未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

倫(徳、善、愛、悪)、知(理、正)、心(欲、金、愛、嫌)、法(政)、力(兵、義)、食(老、病、死)

現代社会で、人を動かすものは倫、知、心、法、力、食の順だと考えます。人が動かざるを得ない順と言ってもいいかもしれません。同時に、人として大切なものの順とも言えます。

( )内にはほぼ同じ意味の漢字も付け加えています。「倫と悪が同じ」とは意味不明なので、この解説文も必ず一緒に読んでもらうようお願いします。下記の解説文を読まないと誤解が生じ、これを権威とするなら、悪用もされてしまいます。

 

倫(倫理)と徳(道徳)はほぼ同じ意味のはずです。どちらの漢字を使ってもいいのですが、私の印象だと「徳」は大衆意思で決まるもの、伝統的に守っているものであり、「倫」は普遍的なもの、自分を律するものなので、倫を代表させています。善もほぼ同じ意味です。

愛は、倫理の根源的なものだと私は考えています。自然界において、倫理なんて存在しません。人間社会があるから、倫理が存在します。その人間社会から、なにをもとに倫理が存在しているのでしょうか。その答えは一つではありません。幸せ、金、物、数、環境、能力、健康、運など、倫理を作り上げる多くの要素の中で、最も大切な要素は愛だと私は推測します。この「愛」は「仁」や「情」と置き換えてもいいかもしれません。

ここで理想とされる「愛」は、エーリッヒ・フロムが定義する「愛」が一番近いです。「愛する」ことは「配慮、応答、尊重、理解」をともないます。決して「利己的」ではなく、人は簡単に人を愛せるものではないことを知るべきです。

悪はもちろん、倫理の対義語です。悪を憎む心が、倫理と同じ意味になるという趣旨です。愛よりも、悪を憎む心の方が人を動かすものになると私は考えます。だから、悪を憎む心の危険性も知っておくべきです。全ての悪人に同情の余地があることは知らなければなりません。

 

3番目の心(感情)よりも2番目の知(理論)で人は動きます。というより、人は心で納得できなくても、理論で正しいと導かれたら、社会の中の一人として動かざるを得ません。

もう一つ重要なことは、この理論よりも、倫理が人を動かす、という点です。理論は万能ではありません。どんなに理論的に正しくても、心が納得しなければ、人は動かないこともありえます。しかし、倫理は理論や感情を超越して重要になり、人を動かします。

たとえば、一般に、子育てで最も重視されるものはなんでしょうか。「感情に振り回されない理性的な思考を身に着けてほしい」「世界で通用する感性を持ってほしい」など、いろいろあるでしょうが、「他人のために生きることが自分の生きがいになってほしい」などの倫理的な生き方を最も強く親は望むはずです。それは子どもに対してだけでなく、どんな他人に対しても、自分に対しても、理想の人間の姿だからです。

 

言うまでもなく、心も人を動かします。どんな時代であれ、まず感情により動物は動き、感情のままに生きていたら好ましくないので理性で制御されます。人間を動かす感情は欲と呼べるでしょう。その欲の中でも、社会で特に強いものが金銭欲と愛情欲だと思います。お金と愛情は、どんな人にとっても重要です。

しかし、個人の人生で、莫大なお金が必要でないと知ることも極めて重要です。たとえば、現代日本で、年収1千万円もあれば、4人家族でも十分贅沢できます。子どものいない夫婦なら年収600万円もいりません。子どものいない世帯に対しての累進課税はもっと強めるべきです。

愛は唯一、上の中で2回使った漢字です。愛は極めて価値のある心の動きです。既に説明した通り、倫理の根源として愛が存在するくらいです。

それにもかかわらず、特に男性の女性に対する愛情は、性欲(悪いもの)と同一視されすぎていて、少子化など、社会的に大きすぎる弊害が出てしまっています。21世紀前半の日本に生きたせいで、この弊害に人類史上最大に苦しめられた男性の一人として、私はこの害を特に強調しておきます。

嫌いという感情は、しばしば、好きという感情以上に人を動かしてしまいます。人間は愚かなのか、上記の通り同情の余地が全くない悪人は存在しないにもかかわらず、誰からも嫌われる人は存在してしまいます。嫌う心の危険性も人は知らなければいけません。

 

法は問答無用で人が従わなければいけないもの、と多くの人が考えています。しかし、現実に全ての法律を厳密に守っている人などいません。そもそも人は法を漠然としか知らないので、法に常に従っているわけでもありません。法が間違っていることもあります。法を決める政治も同様に間違います。「完全な中立などありえない」でも批判したように、難しい思考も放棄して、できるだけ政治と関わらず生きていきたいと考えている人は、特に日本で多いです。

法は常に従わなければならないと考えている警察や弁護士や裁判官がいたら、人として大切なところが欠けていると考えていいでしょう。

 

力(兵)を食よりも重要としているとはなにごとか、とお叱りを受けるかもしれません。孔子は信、食、兵の順で政治において重要だと主張しています。しかし、個人として、社会全体として、人を動かす上で、力は現実的に必要になるでしょう。力が不要となる未来を期待しています。

国家の暴力機関として、軍隊(兵)や警察があります。軍隊も警察もない社会が理想ですが、現在までのところ、軍隊はともかく、警察がない国家は実現できていません。また、ナチスドイツや戦時中の日本やソ連の横暴が、力なしで、話し合いだけで止められなかったのも歴史的事実です。ガンジーの非暴力でさえ、非協力と不服従が伴っています。ガンジーは非力だったわけではなく、力強く抵抗していました。

悪と戦うため、正義を元にした力は許容されるべきです。「どちらに正義があるかは決められない」と信じ切っている人は「『あらゆる思想の正誤は絶対的に決められない』とは絶対的に決められない」などの記事を読んでください。

 

食も人が生きるために重要です。同様に、老、病、死を避けるために人は動きます。しかし、社会福祉が発達して以後、特に世界の平均寿命が70才を越える現在、これらはそれほど人を動かす動機になっていないと私は考えます。どんなに医学が発達しても、老、病、死は避けられません。「人間は死んだら、なにもできない」と医者は死を避けようと患者さんにやたらと強要しますが、単に生き延びることよりも大切な価値がいくらでもあることを忘れています。

上記の通り、法が万能と勘違いしている弁護士、検察官、裁判官は社会から排除されるべきように、命がなによりも大切と勘違いしている医者は社会から排除されるべきです。

未来視カント

カントの「実践理性批判」は、道徳法則について書かれています。もっとくだけていえば、「人はどう生きるべきか」について書かれています。

カントによると、道徳法則とは「格率(するべき行為)」に従うことです。もっとも、「するべき行為」は明確ではありません。さらに言えば、時代や場所によって変わってきます。とはいえ、一般論として、社会に普遍的な「するべき行為」(≒義務)をしている人は道徳的に好ましいでしょう。

快楽に向かうのではなく、義務に向かう自由意思を持つ我々人間は自然から独立した「人格」を持ちます。道徳法則に反する行為をしてしまう人間もいますが、そんな人間でも人格(良心)を持っています。

確かに、どんな悪人でも良心を持っていることは、私の経験上、正しいです。だから、カントによると、人間は全て尊重しなければなりません。

カントの「永遠平和のために」は、人類最大の悪である戦争をなくすためにどうすればいいかを書いています。社会はどうあるべきかについて書いているとも言えるでしょう。

ここで「常備軍を持たない」「他の国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない」「全ての国は共和制でなければならない」「国際法を制定すべきである」「国際連盟の枠組みを作るべき」とカントは主張しています。カントの提言した「国際連盟」が実現したのは1920年なので、カントは125年も時代を先取りしていたわけです。

SF作家は科学の未来を予見している、という考えがあります。実際、SF作家ジュール・ベルヌの創作「月面旅行」に感動した科学者フォン・ブラウンが、本当に月面旅行を実現させたのは世界史的事実です。

それにならっていえば、カントのような哲学者は社会の未来を予見しているようです。新しい思想、新しい社会制度は、まず哲学者が予見して、政治家がそれを実現させることもあります。

明るい所をより明るくするのではく、暗い所を明るくすべきである

先月、荒戸完がMORNING BOOOOOOSTで、こんな愚痴を言っていた。

「なるほど。ご主人がそんなこと言っていたのね。あ、今、『ご主人』と言っちゃダメなんだっけ。『夫』と言わなきゃいけないんだっけ。でも、本人がメールでそう書いていても、ダメなの? 俺が自動的に言い換えなきゃいけないの? いや、俺はいいけどさ。本人が言いたいニュアンスも変わってこない? ああ、もう面倒くさいね。そういえば、最近さあ。『奥さん』と言うのもダメなんて言われるじゃない。でも、『妻』ってよそよそしくない? 『うちの妻』なんて言う人いる? 女性でも奥さんって呼ばれる方がいい、という人もいるわけでしょ? ああ、もう。なんで俺、こんなことラジオで言っているんだろう。なんか、違う気がするんだよね。いいよ、じゃあ。夫婦の話をするのは止めるよ、ってなりそう。それってどうなの?」

昨日、あるカナダ人女性から次のようなメッセージが届いた。

女性「女性にとって体の管理は、男性にとっての富(wealth)と同じくらい大切でしょ?」

私「言っていることは理解できます。でも、同意していいのかどうか迷ってしまいます。それはポリコレ的に大丈夫なんでしょうか?」

女性「は? そんな言葉(ポリコレ)使わないでもらえる。私、その言葉聞きたくないんだけど」

朝日新聞を購読している私は、ここ10年ほど、フェミニズムという言葉を見たり聞いたりしない日がないくらい、その文化というか価値観のシャワーを浴びている。

1千万円以上の給与を得ている女性が日本に限らず世界中で増えていること、貧乏で魅力のない男性をまるで「人権がない者」のように扱う大多数の女性がいること、セクシーな女性がマスメディアで流れると「sexist」と徹底して批判する大きな社会勢力があること、医者や税理士などの高級職に就いているのにキャバクラや風俗で働きたがる若い女性がいること、メイドカフェガールズバーで稼いだなけなしの金をほぼ全て女性アイドルの推し活に費やしている女性たちが日本に千人以上いること、これらの現実の常識と世間で理想とされる「常識」のギャップに戸惑って私を含めた精神科医にかかっている20代から30代の女性が日本に何万人もいることも知っている。

これらの問題の有効な解決方法の一つは「明るい所にいる者たちが暗い所にいる者たちをよく見る(知る)こと」だろう。

「暗い所にいる者は明るい所にいる者もよく見える。しかし、明るい所にいる者は暗い所にいる者がよく見えない」

少なくとも現在は、明るい所をこれ以上明るくする努力は原則、止めるべきだろう。そんなことすれば、余計に暗い所にいる者が見えなくなり、その者たちを救えなくなる。社会の分断は進む。明るい所を明るくする時間と労力があれば、暗い所にいる者をよく見て、知って、救うべきではないだろうか。

石丸伸二が首相になるには第二の小沢一郎が必要である

「なぜ能力と意思も高い石丸伸二が日本の総理大臣になれないのか?」と私が聞かれたら、「日本では自民党が強すぎるから」あるいは「日本では自民党の長期独裁政権が続きすぎて、保守的な日本でそれを崩すことは不可能に近いから」と答えます。

そんなことを書けば、「1993年に細川政権自民党を倒したし、2009年に民主党政権自民党を選挙で破ったじゃないか」と反論されそうです。

だから、不可能とは書いていませんよ。「不可能に近い」と書いたじゃないですか。

それに、上の二つの政権交代があっても、結局、自民党はまた万年与党に戻っていますよね。自民党の根は日本全土に広く深く伸びきっています。私程度に政治意識があれば、日本に長く住めば住むほど、自民党の牙城を崩すことは無理なんじゃないか、という気になってきますよ。

いや、そういう私みたいな奴がいるから、自民党の万年与党体制が崩せないんだよ、と批判されたら、その通りなんですけどね。

ただし、「尹錫悦は世界史上最高の政治家かもしれない」に書いた通り、日本と最も似ている国、韓国の政治を見ても、能力と意欲が最も高い政治家が最も良い政治を行えるわけでは決してありません。政治はあざなえる縄のごとしです。あまりに複雑すぎて、どんな政策を実行すればいいか、誰にも分かりません。いや、分かっている人はいるんですが、政策を実行するための能力と意思は、良い政策を考える能力と意思と別に必要なんですよ。

これでは「石丸伸二が首相になれない理由」ではなく、「日本で自民党政権がなかなか崩壊しない理由」になっているので、石丸伸二にテーマを絞ります。

前回の記事に書いた通り、石丸が東京都知事になり、東京を大きく改革してくれることは間違いないと私は確信しています。だから、先週の選挙で落ちた42人の候補者のうちの何名か、あるいは、ほぼ全員がいずれ当選し、都議会議員になると私は確信しています。

石丸の東京都政改革は、それまでの都政改革が児戯(子どもの遊び)に見えるほど、本格的かつ抜本的なものになると私は予想しています。その成果に、多くの都民が拍手喝采することも確実だと私は考えています。

そうなると、「東京をあれほど改革してくれた石丸都知事なんだから、日本全体も改革してもらおう」という流れが出てくるのは必然です。

しかし、そこまでの流れがあっても、盤石の自民党政権を倒せるかと問われると、難しい、と言わざるを得ません。

たとえば、石原慎太郎だって都政改革(と言うほど改革したと私は思っていませんが)で大人気になって首相待望論が出ましたよね。でも、維新の会と手を組んでも、自民党政権はビクともしませんでした。最後に石原は自分の政党を作った挙句、自爆して政界から去っています。

頭脳明晰さ、論戦で常勝するところなど、石丸と共通点の多い橋下徹が創設した日本維新の会は関西で幅をきかせている程度で、国政での自民党の影響力と比べたら、10分の1もないでしょう。

野田佳彦や前原誠二などの松下政経塾出身者たちが中心となった民主党だって、自民党の牙城は崩せていません(もっとも、松下政経塾出身の有力政治家は自民党にも多くいます)。

こういったことを全て考慮すると、どれほど石丸伸二や再生の道の候補者たちの能力と意思が高くて、都政でかつてない改革実績を示せても、国政での自民党の牙城を崩せるかと言えば、やはり難しい、と私は思ってしまいます。

維新の会がそうだったように、政権をとろうと思ったら、やはり最大野党(現在なら立憲民主党)と手を組まないと難しいでしょう。東京が地盤の再生の道、大阪が地盤の維新の会、その他の地域で自民党と対抗できる民主党系が連立政権を樹立して、ようやく自民党を野党に追い込めるくらいが現実でしょう。

そして、維新の会と民主党が一度も連立政権を組めなかったように、再生の道が他の政党と連立政権を組めるかといえば、難しいと思いませんか? あの石丸が他の政党の党首と笑顔で握手するなんて、想像できますか? だから、石丸が首相になるのは難しいと私は断定しているんですよ。

リハックを観ていて笑ったのが、再生の道候補者の都議選全敗の報道を受けて、米山隆一が「そら見たことか!」と、早くも批判しているらしいことです。

(アホか! 米山と石丸なんて、同じ改革派じゃないか! どちらも頭脳明晰で、これからの日本を担っていく重要な政治家だよ! なんで内ゲバなんかしているんだ!)

それが私の感想です。

良くも悪くも、こういう時、小沢一郎なんかは天才的な調整力を発揮して、細川連立政権を樹立させたり、自自公政権を樹立させたり、民主党政権を樹立させたりしたんですよね。一度も首相になっていないくせに、何度も政権交代を実現させた影の主役になっている点で、小沢一郎に並ぶ政治家は、戦後一人もいません。小沢一郎のいない平成日本の政治なんて、想像できますか? 2回目の首相を狙っていたのに、1回の首相で終わった田中角栄を、その弟子の小沢一郎は政治影響力で遥かに上回っています。

私の小沢一郎賛歌はこれくらいにしておきます。ともかく、石丸が小沢一郎のようになることは不可能でしょうから、小沢一郎のような奴が日本政治に現れて、石丸とそれ以外の改革派をうまく仲介すれば、石丸が首相になれる可能性が飛躍的に増します。

石丸が首相になれるかどうか、ひいては、日本に抜本的な改革が行われるかどうかは、第二の小沢一郎が日本政治に生まれるかどうかにかかっているように私は思います。

石丸伸二は東京を変えます

石丸が暗殺でもされない限り、タイトルは99%実現するはずです。なぜか誰も書かないみたいなので、ここで私が断言しておきます。

東京を変えるということなので、もちろん、石丸は都知事に必ずなります。3年後の都知事選でも、石丸が勝つんじゃないですか。小池が四選を目指す可能性もありますけど、3年後には74才(選挙後すぐに75才)ですよ。引退する可能性も高いですよ。

そう思って調べてみたら、鈴木俊一は81才で都知事選勝って、85才まで都知事していたんですか。こんな前例があれば、まあ、小池は次回の都知事選も出馬するでしょう。

ということで、3年後は、また小池と石丸の戦いになります。74才の婆さんと45才の石丸なので、政策は抜きにしても、石丸に勝ってほしいですけどね。かりに負けたとしても、その次くらいには石丸が勝つんじゃないですか。最悪でも、その次、つまり10年後には石丸が都知事選で勝つはずです。石丸が都知事になった次の都議会議員選挙では(石丸が当選後すぐに都議会を解散する可能性も高いでしょう)、再生の道(石丸の政党)が都議会で第一党になるでしょうから、石丸は自分の理想を東京都政で実現できるはずです。

「なに言ってんだ! つい先週、石丸の政党から42人も都議選に立候補したのに、全員落選したじゃないか! 新宿区なんて、2人も立候補させて、2人で最下位争いする始末だ! 昨年の石丸旋風の勢いがまだ残っているのに、このザマだぞ! 3年後だろうが、何年後だろうが石丸が都知事選で勝つ可能性などゼロだし、まして石丸の政党など、あと3年もしないうちに雲散霧消している! そんな簡単な未来も予想できないのか!」

石丸嫌いな人は、こんな風に思うでしょう。私も「都議選での再生の道42人全員落選」の新聞記事を読んだときは、その可能性が高いと、うっかり思ってしまいました。

しかし、石丸と再生の道の落選者たちをリハックというインターネット番組で視聴して、その考えは間違いだと気づきました。

(いや、この人たち、いずれ選挙に確実に勝ち、東京を変えるよ)

誰もが認める通り、再生の道のメンバーは石丸を筆頭に全員が頭脳明晰ですし、落選したことも「最初から当選を目的としていない」と全く動揺していません。ここまでブレない政治家は、なかなかいないように思います。いや、石丸含めて全員落選したので、誰一人政治家とは言えないかもしれませんけどね。

(頭でっかちすぎる。庶民は、政治家に頭の良さなんて求めていないの! 毎朝、駅前でマイク持って演説している政治家の努力に感動して、投票するの!)

再生の道の政治家たちはそんな風に批判されていますが、松下政経塾出身の政治家たち、日本維新の会の政治家たちも、できたばかりの頃、同様の批判を受けてきましたよ。

2004年発売と古い本ですが、「松下政経塾とは何か」(出井康博著、新潮社)を読めば分かる通り、松下政経塾出身の政治家たちは、一時期まで地方選挙で勝つことが精一杯で(もちろん、地方選挙でも負けることもありました)、国政選挙では勝てない、と批判されていました(というより、それが事実でした)。でも、いつの間にやら国政選挙でも松下政経塾出身の当選者が多数いて当然の時代になり、ついには松下政経塾出身の首相、野田佳彦まで誕生しました。現在も野田は、少数与党政権での最大野党の党首なので、日本政治で無視できない影響力を持っています。

日本維新の会は、「保守本流」の朝日新聞からは「保守派」認定されていますが、ここ10~20年ほど実質的な改革勢力として大阪を中心に、日本政治に影響を与えてきています。

今後、再生の道も、松下政経塾日本維新の会のような勢力になっていく可能性は十分あると私は考えています。

実際のところ、松下政経塾や維新の会の政治家たちが、他の多くの日本政治に加わった勢力よりも、なぜ日本政治に遥かに大きな影響力を与えていると考えますか?

その理由は一つではないでしょうが、「所属する政治家たちの能力と意思が高いから」が一番の理由だと私は考えています。リハックなどのyou tube番組を観る限り、再生の道の政治家たちの能力と意思は、松下政経塾や維新の会の政治家たちよりも、高いと私は考えています。今回の全員落選の結果にも、ほとんど動じないことからも、それはうかがえます。

(なに? ということは、いずれ再生の道が日本の国政選挙でも第一党になって、石丸伸二は首相に選ばれ、日本を改革してくれるのか?)

そう期待する石丸支持派もいるでしょう。正直にいえば、私も石丸首相を期待する一人ですが、日本の現状から考えれば、それは難しいだろう、と思っています。

理由は次の記事「石丸伸二が首相になるには第二の小沢一郎が必要である」に書きます。

資本主義の矛盾を解決するのは共産主義ではなく累進課税である

マルクスはお金の価値は本質的に労働にある、と考えていました。だから、単にお金を出しただけの資本家の利益(取り分)は「余剰価値」と見なし、「本来存在しないもの」もしくは「存在すべきでないもの」と否定しました。なぜなら、余剰価値は労働の対価ではないからです。

現在の株高がバブルであると警報を発しない経済学者は社会に不要です」で「お金をどこかに置いていたら、自然とお金が増えていた」という魔法は存在しない、と私は何度も強調していますが、上のマルクス理論とほぼ同じことを言っているだけです。

有史以来、この矛盾は多くの知識人が疑問に感じてきました。その知識人の一人は、世界最大の宗教の教祖であるイエスです。

「なぜ物を作る人(農家や工業人)より、物を売ったり買ったりする人(商売人)がお金を儲けるんだ。さらに言えば、物を売ったり買ったりする人よりも、お金を売ったり買ったりする人がさらに儲かるのは明らかにおかしい。みんな好き勝手にしていたら(自由経済であれば)、本来、なんの価値も生み出していない金融業者が莫大に儲けて、世の中で楽してしまう。誰かなんとかしてくれ」

有史以来、ほぼ全ての人類が気づく社会の欠陥です。だから、世界中どこでも、商売は卑しい職業とみなされています。

たとえば、「商」は昔の中国の王朝の名前で、もっと広く使われている言葉にすれば「殷」です。殷王朝の後の周王朝の時代、当然ながら、かつての殷王朝の人たちは役人からはじかれます。エリートだった殷王朝の人たちが今更、農家や工業人になれるほど肉体労働ができるわけもありません。頭脳を使って生活していく上で、最も好ましい生き方が「物や金を売ったり買ったりする仕事」になります。つまり、「商人」です。周王朝時代の中国も「物や金を売ったり買ったりする仕事」は蔑まれており、一般の人は就きたがらなかったことも、殷王朝の人たちが商人になった理由です。ともかく、「物や金を売ったり買ったりする仕事」は商(殷)王朝の人たちが多かったので、それらの仕事に従事する人たちを商人と呼ぶようになった、という話は、俗説かもしれませんが、いろんな教養本で読んだ記憶があります。

現在、47才の私は中学生の頃、日本の江戸時代の身分制度として「士農工商」を習いました。ここでも、やはり商人が一番下です。ただし、現在の学説では、江戸時代の身分制度を表す言葉として「士農工商」は、必ずしも適切ではないそうです。

一方、西洋でも同様に、商人は蔑まれていました。上記の通り、特にイエスが憎んでいた職業であったため、キリスト教徒はなりたがりません。だから、キリスト教徒でないユダヤ教徒が多く商人になりました。結果、「ユダヤ人≒金持ち」のイメージができました。なぜなら「ユダヤ人≒商人≒金持ち」だからで、さらに言えば「金持ち≒憎まれる」なので、ユダヤ人差別に拍車がかかりました。

マルクスの「余剰価値」の否定の話に戻ります。繰り返しますが、資産家は体を使って、働いていません。多くの労働者が働いて作り出した利益を搾取することによって、お金(余剰価値)を得ています。しかも、その資産家個人の利益(給与)が往々にして、労働者個人の利益(給与)より遥かに大きかったりします。それは道徳的におかしすぎます。マルクスでなくても、誰が考えても、おかしいです。

「それは誤解だ。資本家だって一人しかいないわけじゃない。世の中には多くの資本家がいる。その中で、資本家たちも競争しているんだ。資本家が理不尽に高い利益を工場の労働者たちから搾取していたら、他の良心的な資本家が現れて、適正なわずかな利益を工場の労働者から得るはずだ。そうしたら、自由市場だと、どちらの工場の製品が売れるだろうか。資本家が理不尽な高い利益を搾取している商品は、当然ながら、資本家が適正なわずかな利益を得ている商品より、値段が高くなる。アダム・スミスミクロ経済学に従えば、同じ品質なら、安い商品の方が売れるに決まっている。そのため、理不尽に高い利益を得ている資本家は淘汰されていくはずだ」

理論上は、このマルクスへの反論が正しくなります。しかし、世の中には、このマルクスへの反論通りいかないことが多いのも事実です。つまり、資本家と労働者なら、やはり資本家の方が金持ちです。統計的にはマルクスの指摘(資本家が理不尽に金持ちになる説)が、マルクスへの反論(資本家がわずかな給与しか得ていない説)よりも正しいことが証明されています。

話は少し逸れますが、零細自営業などは資本家と呼べないので、忙しい割に、労働者並みに貧しかったりもします。ただし、一般の労働者と異なり、上司がいないメリットもあるので、零細自営業が労働者と比べて不幸とも限りません。この零細自営業の問題も、資本主義社会で無視できない数と規模で、どの国でも存在します。とはいえ、無視できない数と規模と書いていながら、今回は主な論点から逸れるので、無視させてもらいます。

私は資本家ではありませんが、ここで、私なりに資本家の「余剰価値」の弁護をさせてもらいます。

そもそも世の中の価値なんて、人間の主観で決まる、いいかげんなものです。たとえば、スポーツ競技なんて、本来、なんの役にも立ちません。どのプロ野球チームが勝とうが、どの選手が金メダル取ろうが、誰が0.01秒早くゴールしようが、当事者以外にとって、場合によっては当事者にとっても、どうでもいいことです。それによって、世の中が少しでも良くなるんですか? なりませんよ! え? 明日から生きる気力が出てくるって? 生きる気力を出す方法なんて、他にいくらでもあるでしょう! 甲本ヒロトが歌っていたように、「世界中で定められたどんな記念日なんかより、あなたが生きている今日はどんなに意義があるのだろう」と思って、毎日、生きる気力でも出してくださいよ。

話がまた逸れました。ともかく、価値なんて、自然界に存在しません。人間あるいは人間社会が勝手に作り出したものです。そして、価値には「数が少ないほど高い価値がある」という不思議な性質があります。資本家と労働者の数を比べると、どうしても資本家が少数になります。そうなると、資本家が得る価値は、労働者が得る価値より高くなります。価値は実物にすれば、お金が一番近いので、お金の多寡も価値と同様になり、つまり資本家が労働者よりお金持ちになります。

ただし、資本家がそれなりのリスクを負っているのも事実です。確かに、労働者が負っているリスク、自己破産や一家離散のリスクと比べたら、大したことないんですけどね。それはその通りだと私もよく知っていますし、「労働者が負うリスクなんてせいぜい戸建てローンの3000万円くらいだろう! 俺ら資産家が負うリスクは10億から100億円だぞ! え? うちの総資産額? 1000億円くらいですかね。アハハハ!」と言うバカはぶん殴っていい、と私もよく知っています。それはそれとして、単純に額としては、資産家のリスクは一般の労働者より何倍も大きいんですよ。

それと、自分で働く人よりも、多くの部下を働かせる人の方が、人間社会では価値があります。アダム・スミスミクロ経済学の理論通り、「数が少ないほど価値が高くなる」は人類社会の原理なんでしょう。「価値とはどれくらい大切か、またどれくらい役に立つかの尺度である」という辞書的な意味からは、はずれていますけどね。

中国の前漢の時代、国士無双韓信が、劉邦の機嫌とるために放った有名な言葉がありますよね。

「私は100万の軍隊を指揮できる将ですが、殿下(劉邦)は1万の軍隊しか指揮できない将です。しかし、殿下は将たちを指揮できる類まれな人物です。私はただの将に過ぎませんが、殿下は将の将になれる、この国でたった一人の人物なのです」

世界のどの場所でも、いつの時代でも、人を使う人物は価値があり、その人を使う人物たちを使う人物は、さらに価値があるんですよ。多分。

話をマルクスに戻します。

では、資本主義社会で資本家に莫大な富が集中してしまう弊害は、マルクスの言う通り、共産主義社会にしない限り、解決しないのでしょうか。もちろん、それは間違いです。歴史が証明している通り、共産主義にしたら、むしろ失敗します。

では、どうすれば解決するかと言えば、単純ですよ。累進課税で解決すればいいんですよ。僕のブログの中でも特に読まれている「ベーシックインカムよりも国民所得税を導入すべき」やその前の関連記事に書いてある通りです。

つまり、自由経済が基本だけど、それだと理不尽に儲ける奴が出てくるから、累進課税で搾り取ればいい、という単純明快な理屈です。その搾り取った税金は、政府が責任持って、公平になるように社会に還元するわけですね。

私が最も尊敬するアメリカ大統領、ルーズベルトの政治理念は21世紀の今も十分通用するはずです。累進課税の理念は場合によってはあと1000年も通用するかもしれないのに、「なぜ累進課税は後退しているのか」に書いた通り、1980年代に累進課税を悪徳政治家どもがブチ壊したから、今のアメリカおよび世界に不公平が蔓延しているんですよ。

で、今回の記事の基礎知識があることを前提に、「スコア交換方法」や「スコア譲渡制限」について別の記事で論じます。

令和の虎の神回「成田悠輔」

昨日の記事「情報革命とシンギュラリティ」では映画「プラットフォーム」しか書いていませんが、その他の素晴らしいyou tube動画を観ていなければ、特に「令和の虎」を観ていなかったら、さすがに「21世紀の知性、教養、芸術を楽しめる人は、20世紀までの知性、教養、芸術なんか全て一切触れず、知らず、でいいのかもしれません」とまでは書いていません。

昔、「マネーの虎」というテレビ番組がありました。私の感想としては「知性の3~10倍炎上(主に暴言)を感じる番組」でした。マネーの虎も炎上を繰り返していますが、「炎上の3~10倍知性を感じる番組」です。もっとも、まだ再生回数の多い数話しか観ていないので、全話では、この印象は間違っているのかもしれません。

その中でも、神回は公開から3ヶ月程度で再生数500万回を越えた「成田悠輔」の回でしょう。

「お金の価値なんていずれなくなる。いずれどころか、今既にお金の価値ゼロに近づいている。私の意見に賛同したら、所持金2千万円を捨ててほしい」

それを5人の大金持ちにお願いして、1人は1円も捨てなかったものの、2千万円全額捨てた者2人、1千万円と半額捨てた者2人となりました。6割、合計6千万円も成功しています。

(こんなの100%ヤラセだよ! 番組では捨てたことにしているけど、後でちゃんと6千万円は元の所有者たちに戻っているに決まっている! 世の中、そういうもんだって!)

私もそう思います。ただし、「令和の虎」の他の番組も合わせて判断すると、本当に捨ててしまった可能性も十分ある、とも私は考えてしまいます。

ここから本題の一つ「自由平等道徳競争」に入るので、次に記事に分けます。

なぜ郵政民営化は実現できなかったのか、また、どうすれば実現するのか

日本の郵便局問題を全て語ろうとしたら、何百ページ必要になるか分かりません。それこそ「ソ連共産主義はなぜ失敗したのか」と似ている点が多いです。とはいえ、日本の郵便局問題の大きさは、ソ連共産党の問題の大きさの1万分の1か100万分の1くらいでしょう。

ええ、そうです。70年以上続いたソ連共産党問題と比べれば、日本の郵便局問題なんて、比較にならないほど微々たる問題なんです。それに気づいていないのは現代に生きる日本人だけです。

郵便局に限らず、日本の伏魔殿は、他にも山のようにあります。自民党創価学会、連合(日本労働組合総連合会)、ゼネコン、裁判所、都道府県警察、東京大学日本医師会共産党日教組、外務省に限らない各省庁も、当然ながら、日本の伏魔殿に入ります。

その中でも最大規模の伏魔殿は、やはり郵便局でしょう。ちなみに次点は農協です。

以前は電電公社国鉄も日本が誇る伏魔殿でしたが、民営化したら、ウソのように闇が解消していき、現在は伏魔殿判定からはずれるほどになりました。

だから、本当に小泉が郵政民営化を2005年に実現できていたら、20年後の今、郵便局も伏魔殿判定から確実にはずれていたんですよ。

「21世紀初頭の日本の最大の伏魔殿は郵便局で、第2位は農協でした」の「日本の基礎知識」は、多分、100年後の日本の社会の教科書に載っています。載らなければいけません。

そんな闇に覆われて、複雑怪奇な郵便局問題を無理やり、こんな短い記事で語っています。大雑把にならざるを得ないことをご承知ください。

第一に言えることです。ソ連の計画経済の全貌など、ソ連の書記長を含めたソ連人の誰も把握していなかったように、日本の郵便局の全貌など、日本郵政社長の増田寛也を含めた日本人の誰も把握できていません。ただし、ソ連の計画経済が極めて悪いと世界中の誰もが知っていたように、日本の郵便局に深刻な問題があることは日本人の誰もが知っています。

これは医療でいえば、全身状態がよく分かっていないが、なにか治療をしなければ最悪の状況になると分かっている症例に近いです。しかし、全身状態がよく分かっていないのですから、どう治療すればいいのか分かっている医師はいません。いや、多分、病状の本質を把握し、すべき治療を分かっている医師はいるんでしょうが、それを万人に納得させる根拠はない、と言うべきでしょうか。あるいは、適切な治療方法を分かっている医師は何名もいるが、その治療方法が適切だと「科学的に」証明することは、現代の医学ではできない、と言うべきかもしれません。

その場合、「事なかれ主義」が蔓延する日本だと、どうなるか想像できますよね。

もちろん、現状維持ですよ。

「俺が責任取る!」と意思も能力も高い小泉純一郎のような政治家が手をあげても、潰されます。小泉劇場を実現させ、衆議院で3分の2の議席をとっても、潰されたのです。

(日本、もうどうにもならんわ)

小泉を含め、そう嘆いた何万人もの日本人の一人が私です。

衆議院で3分の2の議席を獲得して、日本最高の権力を使っても潰せなかった郵便局は、日本が誇る最強の伏魔殿であることは間違いないでしょう。

でも、ここで諦めたら、正義の負けになります。

考えてみてください。ソ連共産党を潰すよりは、日本の郵便局を潰す方が何万倍も簡単です。日本の郵便局は、世界を何回も滅ぼせるほどの核兵器なんて持っていないじゃないですか。核兵器どころか、郵便局は戦車も戦闘機も戦艦もなく、銃さえ一つも持っていませんよ。

しかも、郵便局を潰そうとしているわけでもないんですよ。民営化するだけですよ。その程度の改革がなぜ、この国だと実現できないんですか。総理大臣が国会の圧倒的支持で民営化しようとしても、なぜできないんですか。

だったら、どうすれば郵政民営化を実現できるんですか。

日本の郵便局は、まさに伏魔殿としか言いようがありません。

ただし、一つ言えることは、郵政民営化を本当に実現させれば、郵便局は伏魔殿でなくなることです。

(いや、でも、郵便局が伏魔殿だから、民営化できなかったんでしょ?)

それはそうなんですが、その理論が正しいとなると、「民営化不可能」の結論になるじゃないですか!

ソ連が崩壊したように(民営化したように)、日本の郵便局も絶対に民営化できます。それは日本の常識を遥かに超越する、人類普遍の事実です。

たとえば、民主党政権が小泉以上に郵政民営化に本腰を入れていれば、とっくの昔に、郵便局はNTTやJRのように伏魔殿判定からはずれていたはずです。

郵便局という日本最強の伏魔殿に潜む悪魔どもも、世界全体の視野で観れば、狡猾な小者に過ぎません。言い訳だけは天才的ですが、意思も能力も大したことのない世界中の小役人たちと一緒です。恐れることはまるでありません。本気で挑めば日本中の郵便局など一つ残らず潰せますし、民営化ならもっと容易です。

結論としては、「郵政民営化を実現させる」という民意が強く継続していけば、いずれ郵政民営化は必ず実現できる、ということです。

もういいかげん、私を含む1千万人以上の日本人が抱く(郵政民営化とはなんだったのか?)という20年ほど続く無力感を消滅させてください。

郵政民営化残夢

2005年の夏なので、私が27才の時です。小泉劇場の最高潮、郵政選挙が行われていました。

改革政治家の小泉が人生をかけた「改革の本丸」である郵政民営化を強行したのです。しかし、郵政民営化法案は衆議院で可決されたものの、参議院で否決されます。ブチ切れた小泉が衆議院解散に打ってでました。

(は? 参議院で否決されたのに、衆議院解散って、八つ当たりじゃん。小泉は気が狂ったのか? 衆議院だけで解決するためには、3分の2以上の議席をとらないといけないよ。そんなの99%無理だよ)

しかし、そんな私の予想は大間違いでした。自民党郵政民営化反対勢力を自民党から追い出して、つまり自民党の一部を敵に回したのに、小泉与党は衆議院だけで3分の2を確保したのです!

実際には、衆議院の3分の2の賛成による強行採決を待たず、郵政民営化支持の民意に恐れをなした参議院は、1名も議員が変わっていないのに、手のひらを返し、郵政民営化法案を可決したのです。

(ついに、あの日本が動いた!)

まだ若かった私はマジで感動しました。

私は革新系なので、保守派の小泉とは主張が異なることも多かったのですが、郵政民営化は小泉同様かそれ以上に大賛成でした。

郵政民営化財政投融資が廃止され、無駄な公共投資も削減され、日本は生まれ変わる!)

もともと小泉に対する期待は、その10年前から私は持ち続けていました。保守派の自民党議員ですが、小泉が言う通り「自民党が変わらない限り日本が変わらない」からです。小泉の暴論正論(小泉は、ある雑誌でそんな名前のコラムを連載していました)の姿勢も、私に近いものがあり、共感が持てました。

 

それで、2005年の郵政選挙の圧勝で、日本は変わったのでしょうか。

その20年後の今の日本が証明している通り、なにも変わりませんでした。郵政民営化も、羊頭狗肉、有名無実、竜頭蛇尾に終わりました。

小泉劇場とは、郵政民営化とは、改革の本丸とは、一体、なんだったのだろう?)

2006年秋に小泉が首相退任する頃には、上のような考えがうすうすありました。2009年に民主党が政権を取る選挙前には、うすうすではなく、はっきりありました。

それでは私も期待した民主党政権小泉改革の不備を補って、さらなる郵政改革を断行してくれたのでしょうか。

いえ、その逆でした。民主党政権で、確実に郵政改革は後退していきました。

(一体、どういうことなんだ? 民主党革新政党なのに、なぜ郵政改革を進めないんだ?)

民主党政権は一部の改革を実行したものの、多くの改革は停滞してしまい、特に郵政改革に至っては後退させました。保守派自民党政権の小泉が改革を断行して、革新派民主党政権が改革を押し戻すという、世界史で散見される現象、特に冷戦後に頻発している現象が、日本でも起こったわけです。

ここ1週間ほどの朝日新聞の郵便局批判記事や「郵政腐敗 日本型組織の失敗学」(藤田知也著、光文社新書)や「ブラック郵便局」(宮崎拓朗著、新潮社)を読んでいると、改めて思います。

郵政民営化とはなんだったのか? 2005年の郵政選挙の圧勝に感動した僕は一体なんだったのか?)

2005年に「日本は変わった」と感動した気持ちを、20年後の今も消化しきれていない何万、何十万、何百万、何千万の日本人の一人が私です。

次の記事で「なぜ郵政民営化は実現できなかったのか」を考察します。

愛知県が誇る外様職人・荒戸完

全国では全く無名でしょうが、愛知県には日本を代表する天才ラジオパーソナリティ荒戸完(あらとかん)がいます。ZIP-FMでMORNING BOOOOOOSTという変な名前のラジオ番組のナビゲーター(司会)を月曜日から金曜日までの毎日、朝6時から9時まで務めています。

本日朝、行政の不当な処分を受けるため、市役所に向かっている時に、たまたま荒戸完の素晴らしい放送を聞きました(私がラジオ放送を聞くのが「たまたま」であり、荒戸完が素晴らしい放送をするのは「たまたま」ではなく、毎度のことです)。

自民党が選挙前にまたバラマキするみたいっすね。非課税所得者に4万円ですよ。非課税所得者って、国民全体の27%くらいいるんですって。そのうち、75%くらいが高齢者、つまり65才以上なんすよ。で、この高齢者たちの投票率って、すごい高いわけですね。は~。みなさん、どう思います~? これ、明らかに選挙対策でしょ? じゃあ、そのお金は誰が出すのよって話ですよね? 政治家が自腹切るんじゃないんですよ。僕らが結局、払うんですよ? こんなアホな話、ありますか? もう選挙制度変えるしかないよ。40才未満の投票価値を2倍にするとかさあ。え? 60才未満がいいのかな。そのあたりは偉い人に決めてもらってね。いや、投票価値2倍とか、日本の民主主義を根底から覆すことになるのかもしれないっすけどね」

MORNING BOOOOOOSTは、カッコいい音楽かけて、ナイスキャンプマンというオジサンの寒いギャグをさらして、荒戸完がインコの声色で変な話をする番組です。

こんなド正論言って、僕を笑わせないでくださいよ。すごすぎますよ、荒戸完さん!

 

ところで、私が本日朝9時に受けた不当な行政処分とは、6か月間の停職でした。つまり、私は6か月も給料がもらえないわけです。

ええ、そうですね。事実上の辞職勧告ですよ。だって、私は公務員なので、バイトが許されないんです。6か月無給で生活できるほど、僕に貯金もありません。

まあ、幸運にも私は医師免許を持っていたので、日本全国、どこでも働ける場所なんて、ありますよ。今の悪徳公立病院は私の能力の高さも、倫理観の高さも理解できなかったようですが、普通の病院なら理解できて、評価してくれますから。

ということで、私の人間としての尊厳を踏みにじった愛知県を捨てて、新しい県で私が人生を始めることも考えなければならないのですが、よりにもよって、その当日、荒戸完の素晴らしいラジオ放送を聞いてしまいました。

 

いや、やっぱり愛知県、すげえよ!

荒戸完は福岡出身なんだって? 俺も高知県出身だよ。そういえば俺の父は福岡出身だったから、荒戸完ともそう遠くない親戚だよ。なんにせよ、地元出身者割合や地元愛が日本で有数に高い愛知県では、他県出身者は完全な外様だよ!

でも、そんな偏狭な愛知県だからこそ、生き残った他県出身者には優秀な奴が多い、と言えるんじゃないか? 荒戸完さんのように!

俺のことなので、明日になったら違うこと言っているかもしれないが、とりあえず、今日は、愛知県に残るために頑張ってみるよ! 荒戸完さんのような、愛知県が誇る外様職人を目指すぜ!

少子化のワニの口

私みたいに財政にある程度の知識のある方なら、財務省がよく出す「ワニの口」のグラフは何度も見たことがあるでしょう。

財政問題ワニの口

コロナ禍を理由に、財政出動が狂気の沙汰まで膨大した後のグラフを見て、「ワニの口に、ついに角まで生えた」と財務省の優秀な官僚たちを筆頭に、私を含む日本中の勤勉な国民が嘆いたことも知っていると思います。

日本には、この「財政問題ワニの口」に負けるとも劣らないほど深刻な「少子化問題ワニの口」が30年ほど前から存在しています。私は40年以上も日本で生きているのにかかわらず、恥ずかしながら、「少子化問題ワニの口」を知ったのはこの1週間程度です。

少子化問題ワニの口

少子化対策として国が「保育園拡充」や「児童手当導入や増額」などのバラマキ政策をすれば、必然的に国民負担率は上がります。

結婚できる勝ち組カップルには、「結婚した後(これ重要です)」の「保育園増加」や「児童手当収入」は嬉しいかもしれません。しかし、そもそも勝ち組カップルは高収入なので、そんなバラマキ政策なくても、さほど困りません。まして結婚前10年以内の「保育園増加」や「児童手当拡大」政策を理由にして結婚したカップルなど、砂の中のダイヤモンド並みに希少価値があります。

一方、結婚できない負け組は、「結婚した後」の「保育園増加」も「育児休暇の普及」も「児童手当収入」も、全く関係ありません。関係ないのに、国民負担は結婚している勝ち組と同様に科せられます。必然的に、結婚している勝ち組より少ない収入が、さらに少なくなります。当然、特に男性なら、まず結婚できません。20代の頃の私の経験からいえば、男は結婚どころか、彼女もできません。

なお、この30年で国民負担率上昇に特に貢献したのは家族関係政府支出費だと知ったのも、恥ずかしながら、というか、罪深いながら、私はこの1週間ほどでした。

家族関係政府支出費と少子化

私は現在、行政から不当な処分を受けており、元妻に子どもたちを連れて逃げられて、いつ自殺してしまうかも分からないので、自殺する前に先に謝っておきます。

 

自己中心で愚かな現在までの日本人のせいで、莫大な財政赤字を背負い、少子化に苦しむ未来の日本人の皆さま、本当の本当に申し訳ございません。

 

日本の男性はなんてかわいそうなんだと西洋男性に同情される」などで少子化問題の本質について、私なりに日本人全員に訴えましたが、少子化財政赤字も止められませんでした。

私が死んだ程度で許されるものでないことは分かっていますが、バカな私には他の謝罪方法も浮かばないので、とにかくこのブログに「少子化財政赤字を止めようと訴えた日本人がいた」記録だけは残していきます。「果てしなく救いようのない日本に、少しはまともな日本人がいた」との記録を見て、日本や日本人にわずかな希望を見出してもらえると、私としてはこの上ない光栄です。

李在明の壮絶な子ども時代

大方の予想通りに6月3日の大統領選では李在明が勝って、私が日本の片隅で万歳三唱することもありませんでした。私に不当な処分を与えた悪徳公務員どもは、ほくそ笑んでいることでしょう。

尹錫悦は世界史上最高の政治家かもしれない」と「韓国に追いつけ、追い越せ」で、世界史上最高かもしれない韓国の天才かつ崇高な政治家を2名も紹介しました。

この記事では、それら与党政治家2人のライバルの野党政治家であり、6月4日より大統領になることに決まった李在明について解説します。

尹錫悦と金文洙の2人、特に金文洙については失敗や欠点を探すことが難しかった(情報少なくてできなかった)のですが、李在明については失敗や欠点を探すのは容易です。

李在明の批判で必ず出てくるのは、その節操のなさです。李在明は反日国家である韓国でも有数の反日政治家として有名です(日本は嫌韓国家でないように、韓国が反日国家という見方も実は間違っているのですが、ここではそう書かせてもらいます)。Wikipediaに日本に対する敵対発言で、一つの項目ができてしまうくらい、ことあるごとに日本を口汚く罵っています。

李在明の興味深いところは「自身が批判するほど日本はおかしな国でない」という事実を十分把握していることです。その証拠もいくらでもあげられます。たとえば、福島第一原発の処理水の海洋放出を「第2の太平洋戦争と記録される」「核テロ」とまでマスコミ通じで罵倒した同じ日の夜、日本産の魚の刺身を食べているのです。つまり、処理水放出なんて科学的に全く問題ないと李在明は知っていました。それでも日本を批判するのは、そうすると支持率が上がるからです。

(そんな見え透いたウソ、すぐバレるでしょ? 日本人が李在明のウソを見抜いているのに、韓国人は見抜いていないってこと?)

いえ、韓国人も李在明のウソを見抜いています。だから、李在明は革新系ですが、その革新系支持者からも「李在明は信念がない」「李在明の言うことは信用できない」「李在明は真の革新系ではない」と批判されています。

今回の大統領選では、李在明の対日批判は全くと言っていいほどなくなって、むしろ日本との協力の重要性を訴えていたりします。李在明は選挙戦当初から最有力候補、つまり次期大統領になる可能性が最も高いので、野党時代のように国民の支持だけ考えて話していいわけない、と十分知っているわけです。風見鶏といえば、まさにその通りで、韓国でもそのように批判されています。

そういった発言も含めて、良くも悪くも、李在明は要領のいい、世渡り上手の政治家です。2022年の大統領選で李在明が僅差で敗れた尹錫悦とは、いろいろな面で対照的なので、よく比べられます。たとえば、友だちの多寡も好対照です。尹錫悦は政治経験がゼロだったので、政治家としての友だちが極めて少なく、それが与党内の政治基盤脆弱さになり、今回の戒厳令につながっています。一方、李在明は10年以上の政治家歴があり、なによりコミュニケーション能力が抜群で、政治家の友だちが多いそうです。

たとえば、テレビ討論会で、ある政治家が李在明と激論を交わし、その政治家は議論の激しさに精魂尽き果てて(とても李在明とは仲良くできない)と思ったそうです。しかし、番組終了後、精気が全く衰えていない李在明が笑顔で「ありがとうございます。素晴らしい議論ができました。よければ、この後、一緒に食事でもして、韓国の未来についてもっと語りませんか?」と握手を求めてきます。

その食事会で、先ほどのテレビ討論会では言い過ぎたところがあった、と李在明は素直に謝り、テレビ討論会とは打ってかわって、最後まで和やかに有意義な議論ができました。その政治家が(李在明は俺と格が違う。俺は一生、この人に着いていこう)と感激したのは言うまでもありません。

日本でこんなエピソードが最も多い政治家は、田中角栄小沢一郎でしょう。田中と小沢は李在明ほどの思想の節操のなさはないと思いますが、人たらしの上手さでは同格でしょう。つまり、李在明は日本でいえば、田中や小沢ほどの大物政治家と言えるわけです。このブログを読む人の中には、田中や小沢が大嫌いな人もいるので、田中や小沢と同格といえば、李在明を大物政治家というより悪徳政治家と考えるかもしれませんが。

確かに、悪徳政治家度というか、疑惑の多さでも、李在明は日本の田中や小沢と似ています。

今現在も、李在明は公職選挙法違反、偽証教唆疑惑、対北朝鮮違法送金疑惑、都市開発不正などで5つの刑事訴訟を抱えており、6月3日の大統領選に負けていたら、ほぼ確実にどれかで有罪判決が出て、政治生命は終わると予想されていました。

一方、大統領選に勝ったので、アメリカのトランプのように、不訴追特権があるらしく、少なくとも大統領任期中は有罪になることはないそうです。過激な発言と疑惑の多さから、李在明は革新系なのに韓国のトランプとの異名も持っています。

そういえば、どこかの韓国メディアが李在明を「疑惑のデパート」と呼んでいて、私は笑ってしまいました。日本には「あなたは疑惑のデパートではなく、疑惑の総合商社だ」と2009年に批判された鈴木宗男という政治家もいましたね。日本の政治家は2009年に既に「疑惑の総合商社」に到達していたのに、韓国の政治家は2025年の今も「疑惑のデパート」に過ぎないのですから、日本が韓国に勝つ分野もまだまだ残っているようですね。安心しました。

いやいやいや。そんなところで勝っちゃ、ダメですよ。できるだけ早く、日本は政治腐敗分野で韓国に負けましょう。

冗談はさておき、保守派の尹錫悦や金文洙と比べると、革新派の李在明は(タテマエ上)反日政治家のくせに、風見鶏なところや疑惑が多いところから、日本的な政治家であると思います。

本題からずれますが、韓国では革新系でも腐敗政治家が多い点は、日本と大きく違いますよね。この理由は分かりますか?

理由は単純で、日本は保守派の自民党が万年与党なのに対して、韓国は保守派と革新派で大統領(与党)がよく変わるからです。当たり前ですが、政治の癒着は、権力を持つ政治家だけが実行できます。権力がなければ、疑惑の「甘い蜜」も与えられませんから。つまり、政治の癒着は、主に与党の特権です。だから、革新系が与党になれば、やはり政治の癒着や政治の腐敗が革新勢力にも起きます。「尹錫悦は世界史上最高の政治家かもしれない」で批判した「女性家族部」なんて、明らかな革新系政治の腐敗産物です。

日本のように保守派の長期政権が続いていると、「腐敗≒与党≒保守」という図式が成立しますが、革新政党が与党になる国では、政治と癒着して腐敗している革新勢力も珍しくありません。

李在明を例にみれば、都市開発不正は城南市長時代の疑惑であり、要は土建疑惑ですよ。土建疑惑なんて日本だと自民党の専売特許になっていますが、海外では革新系でも手を染めてしまえるようです。

さらに話は逸れますが、実は日本の弱い革新勢力でも、間接的な権力のため、腐敗はあったりします。それについてはいずれこのブログで指摘していくつもりです。

本題の李在明に戻ります。ここまでの時点で、李在明は日本でいえば、田中角栄小沢一郎クラス、つまり戦後トップクラスの大物政治家とも言えそうです。しかし、政治家になるまでの経歴で、それら2人を突き放します。以下、Wikipedia情報が主になりますが、李在明の生まれてからの経歴を述べていきます。

李在明の経歴でまず驚くのが、生年月日がよく分かっていないことです。その最大の理由は、生家が当時の韓国でもありえないほど貧しかったことにあります。9人兄弟という時点で、そのひどさがある程度、想像できます。だから、父母が子どもの誕生日なんて気にしている余裕がなかったらしく、しかも、役所への届出という意識も薄かったそうです。

正確な誕生日は分からないながらも、1963年頃に生まれたことは間違いないので、もう朝鮮戦争もとっくの昔に終わっています。子どもが誕生しても、役所に届けないとか、それを役所が把握しようとしないとかは、当時でも珍しかったようです。それくらい田舎で、李在明は貧しい生活をしていました。

そんな田舎で、そんな両親の子なので、小学校もろくに通っていませんでした。儒教文化が世界で一番強い韓国なので、1960年代は既に義務教育が徹底されていたにもかかわらず、です。

李在明は後に弁護士になるほど頭脳明晰なので、小学校もろくに通っていない、というのは大げさに言っている部分もあると私も思います。ただし、調べればすぐ分かることなので、生家から小学校まで片道2時間かかった、というのは事実でしょう。

なんにせよ、2時間もかけて通うのは大変なので、家庭環境のせいもあり、毎日学校通っていたわけではないそうです。学校サボると、次に行った時、時代が時代なので、先生が李在明を叱って、殴りました。その頃の李在明の将来の夢は、小学校の先生でした。「先生になれば、人を殴れると思った。いつも殴られてばかりだったから」となにかのインタビューで言ったそうです。

小学校卒業すれば、もう働きます。私が調べた限り、1950年頃から韓国の義務教育は日本と同じく中学までなので、李在明の両親の義務教育違反です。その違反とは別に、そもそも李在明自身が中学に通うことを切望したようですが、父が許さなかったようです。今なら100%児童虐待です。いえ、99%、当時でも中学生年齢の勤労は児童労働違反だったはずです。それが見逃されているケースは極めて稀で、同時代に育った韓国人にとっても李在明の壮絶な子ども体験記は同情を誘っています。

働く工場は何度も変えたようで、3番目の工場ではゴム片が指に刺さり、その破片は今も指の中に残っています。4番目の仕事では鋭いトタンで刺されたことがあり、多くの傷跡が残っています。作業班長からの暴行で難聴と部分的な聴覚障害も負っています。

野球グローブ工場でプレス機に左手首の外側を挟み、手首の関節が砕ける骨折を負いましたが、当時は特に問題ないと思い、本格的な治療は受けませんでした。本人によると、子ども心にこの程度のことで痛いとか言ったら何か言われるかもしれないと思い、黙っていたそうです。結局この事故のため、後に障害6級の判定を受け、第二国民役判定で兵役が免除されました。兵務庁の軍医がレントゲンを見ながら「これはひどいな」と独り言を言ったそうです。

当時、作業班長が高卒であることを知り、「自分も高卒になれば作業班長になれるかもしれない」と思い、勉強を始めました。割り当てられた作業量を急いで終わらせた後、隠れて本を読んでいたそうです。作業を通じてベンゼンとアセトンの臭いを嗅ぎすぎて嗅覚を失い、後に弁護士になり経済的に余裕ができて治療を受けましたが、既に嗅覚細胞の55%以上が壊死していたため、嗅覚を取り戻すことはできませんでした。

当時、家族は李在明の勉強に反対していましたが、結局は李在明自身のお金で学んでいたため、面と向かって止めることはなかったそうです。その後1981年までの6年間で中学校と高校の卒業資格の検定考試(日本の大検に相当)に合格しています。

鬱病と障害を苦痛に、17歳の時に何度か自殺を試みてもいます 最初の試みは練炭の火が自然に消えてしまい、2度目は次兄に助けられてしまいました。その後も鬱病に悩まされ、3度目は多量の睡眠薬を買いに行きましたが、それに気づいた薬剤師が胃薬などの他の薬を代わりに買わせ、大量服薬したものの死なずに済んだそうです。

なんとか壮絶な子ども時代を生き延びた1982年(戸籍上の年齢は18才)、光州事件の影響で出来た奨学金を得て、中央大学校法科大学法学科に入学します。李在明は必死で勉強して、2回目で司法試験に合格します。

ソウル大学卒の同世代の尹錫悦が9回目で司法試験に合格しているので、李在明は極めて優秀だと思われそうですが、合格には学力とは別の理由もあるようです。

全共闘はなぜ失敗したのか」にも書いた通り、日本でも1960年までは最難関の東京大学が「アカの巣窟」と呼ばれたように、韓国でも難関大学ほど反体制派が多い時代が続いていました。反体制派のソウル大学の連中が法曹界に入ってきたら困るので、ソウル大学よりも下位の大学の受験生の方が司法試験に合格しやすかった時代が長期間あったようです(あるいは今もあるのかもしれません)。

李在明は城南市で弁護士を始めました。同時に、持ち前の正義感から市民活動もしていたようで、その一つが市民病院の設立運動でした。城南市に限りませんが、当時の韓国は医師不足で、病気になっても、大多数の市民は病院にかかることはできず、薬局で適当な薬を買うだけでした。李在明自身も障害持ちなので、これはなんとかすべき、と自ら署名活動をして、2万筆以上も集めました。法律上、これで議会は「市民病院開設について」議論しなければならなくなります。しかし、市議会では「市民病院開設は無理」と、ほんの数分で議論を終えて、議論は形だけでした。その議会を見学していた李在明は激怒して「だったら、俺が市長になってやる」と立候補しますが、2回も落選します。3回目の2010年でついに当選します。

ここから李在明の政治家としての卓抜した能力が発揮されます。まず、公約通りに、城南市に大病院を作ります。さらに、600億円もあった財政赤字をゼロにします。他にも、上記の通りの土建屋政治家として、いろいろな公共投資に関わったようで、疑惑をいくつも作ります。

李在明の経歴を子ども時代を中心に見てきました。極貧家庭から大統領候補にまで登りつめた実績も加えたら李在明は田中角栄小沢一郎ですら圧倒するので、日本に匹敵する政治家はいないように私は思います。

戦後の日本の政治家には、まずいないでしょう。戦前まで戻れば、百姓の子から初代総理大臣まで登りつめた伊藤博文でしょうか。でも、韓国人にとって伊藤博文は極悪人なので、比べたら失礼です。そうなると、下級武士から明治維新の立役者にまでなった西郷隆盛坂本龍馬くらいしか、李在明に匹敵する日本の政治家は思いつきません。

これまでの記事に書いた通り、私は李在明よりも尹錫悦や金文洙が政治家として優秀だと考えています。格下の李在明ですら日本で匹敵するのは西郷隆盛坂本龍馬なのですから、尹錫悦や金文洙になると、やはり日本で匹敵する政治家はどれだけ歴史をさかのぼってもいないはずです。

現在の韓国の政治家の質の高さは、心底うらやましい、あるいは心底恐ろしいとしか言いようがありません。私もそれほど詳しくないので、詳しい人に聞きますが、韓国の政治家は上記3人クラスが他にもいっぱいいるのでしょうか。

韓国に追いつけ、追い越せ

韓国が日本より豊かになる」に書いたように、韓国は21世紀に入る頃(実際にはそのだいぶ前から)には国民の知性と倫理観で日本を追い抜いていました。その記事にも書いてある通り、「国家の富は国民の道徳と教養によって決まる」と私は20年ほど前から考えているので、韓国がいずれ日本を経済的に追い抜くと覚悟していました。その予想通りに2020年代に日本は一人当たりのGDPで韓国に追い抜かれました。

2025年の現在、日本が韓国に勝っていることはなにがあるでしょうか。政治、経済、文化、教育、倫理の全ての面で日本は負けています。日本が韓国に負けている点はいくらでも簡単に見つけられますが、勝っている点はなかなか見つけられないはずです。それに気づいている日本人はどれくらいいるか、誰か調査してもらえませんか。

私が自信を持って、これだけは日本が韓国に勝っていると言えるのは、出生率合計特殊出生率でも同じ)です。つまり、少子化だけは日本は韓国に勝っているのです。「日本が韓国に再逆転する場合の理由」に書いた通りです。

ただし、もし6月3日の大統領選で金文洙が勝ったら、韓国のバカげたフェミニスト運動は適切に抑制されるでしょうから、ついに出生率でも日本が韓国に負ける日が来るかもしれません(日本の出生率が韓国を下回るかもしれません)。なお、誤解されたくないので、書いておきますが、全てのフェミニスト運動が不適切と私は考えていませんし、まして抑制されるべきとも考えていません。

尹錫悦を調べている時にうすうす気づいていましたが、1日ほど改めて調べてみて、尹錫悦支持派の金文洙も素晴らしい経歴と頭脳と倫理観の持ち主であることに驚きました。それにしても、どうして韓国にこんなスゴイ政治家が2名もいるんですか。

いえ、次の記事に書きますが、今、金文洙と大統領選で争っている李在明ですら、日本の全ての政治家を上回る経歴です。「すごすぎる。日本でこの経歴なら、総理大臣間違いなしだ」と私が独り言でうなってしまいました。

こんなスゴイ政治家たちがすぐ隣の韓国にいるなんて、私は全く知りませんでした。韓国が少子化問題をアジアで初めて本当に解決するのなら、今から私は韓国語を勉強して、韓国に逃げた方がいいかもしれない、と半分本気で考え始めています。

ともかく金文洙の分かった範囲の経歴を簡単に説明しておきます。

尹錫悦と違って、金文洙は現在のwikipediaに経歴がほとんど載っていません。分量としては5分の1くらいじゃないでしょうか。

(なぜ?)と思って調べてみると、金文洙なんて、保守派の非公式序列の中では、かなり下位の方で韓国でも無名だったからです。間違っても大統領選に出られるような地位ではなかったんです。

でも、現実に大統領選に出馬しているわけで、その理由はなにかと言えば、他の保守派上位の連中が「尹錫悦が戒厳令なんてバカげたもの出しやがったから、次の保守系候補なんて最初から負けが確定している。かりに出馬して、尹錫悦と同一視されたら、俺の政治生命は終わる」と考え、誰も出馬しなかったからです。そこで尹錫悦より10才近くも年上で73才の金文洙に(今回の大統領選に出ても負けるに決まっているが、どうせこの爺さんに次の大統領選の機会なんてないんだから、冥途の土産に「大統領選に出た」という箔付けだけでもさせてあげよう)とお鉢が回ってきたのです。

(本当に? でも、今、その爺さんの大逆転勝利がワンチャンあるんでしょう?)

ええ、映画みたいな話ですが、現実に、そうなっています。これで金文洙が本当に勝ったら、民主選挙の勝利というより、革命ですよ。6月3日に金文洙が当選したら、韓国はもちろん、世界中に激震が走るでしょう。

で、金文洙の経歴なんですが、「日本語で1日調べた限りでは、よく分かりませんでした」が答えになります。

(アホか! それ答えになってないぞ!)

その通りなんですが、尹錫悦と比べると、本当に情報が少ないんです。実際に調べてもらったら分かると思いますが、尹錫悦はいろいろ調べるのに数日、場合によっては1ヶ月かけられるでしょうが、金文洙なんて情報が少ないから1日以上調べられなかったんですよ。

分かっている範囲でいえば、金文洙は軍事独裁政権時代の70年代~80年代にかけ労働運動家として労働運動に携わります。民主化後の1990年に本格的革新政党として結成された民衆党に参加し、1992年総選挙で全国区から出馬するも落選します。

だから、政治家としてのスタートは革新系なんですよ。まあ、落選しているので、政治家になる前(スタート前)と言うべきかもしれませんが。

でも、1994年に大統領であった金泳三の勧誘を受け民主自由党に参加します。1996年の総選挙で初当選して政界入りした後、2006年の京畿道知事選挙へ立候補して当選、第4代民選知事となります。

白状しますが、このあたり完全にwikipediaのコピペです。この情報からすると、当選してからは、金文洙は一貫して保守系議員だったようです。

で、ここからwikipedia外の情報になります。韓国でもさほど有名でなかった金文洙なんですが、大統領選に出馬してからは、さすがに過去の経歴も徹底して調べられます。政治家なんで当然、叩けばホコリなんていくらでも出てくるわけですよ。

じゃ、なかったんです! いくら叩いてもホコリが一切出なかったのです!

(は? ありえない! 一般人でもありえない! まして保守系政治家でしょ? 絶対の絶対にありえない!)

私もそう思います! 信じられないというか、ありえないというか、何星人の話かと思うんですが、本当に今の韓国で、金文洙は「どこまで叩いてもホコリの出ない政治家」と評されているんですよ。

私が同じことを言われても、絶対に信じません。だから、自分で調べてみてください。

百歩譲って、それが本当だとしたらですよ。

(あ、分かった。その爺さん、いわゆる自己主張全くしない人畜無害のタイプでしょ? 日本にもよくいるよね、そういう人。政治家にも。このブログの著者で言うところの「性格はいいけど、内面は空っぽなタイプ」だ。仲良しグループ5名のリーダー決めるんじゃないよ。人口5千万の最高権力者を決めるんだよ。しかも、44年ぶりの戒厳令が出て、韓国史上初めて現職大統領が起訴され辞職させられた政治の大混乱期だよ。誰だって、多少の汚職や暴言には目をつぶってでも、強力なリーダーを求めるよ。そんな優しいだけの爺さんはどこかの老人ホームに入れて、高齢者たちの人気者として余生を過ごさせてあげて)

そう思いますよね? それも違うんです! 金文洙はメチャクチャ自己主張します。

もう私も訳分かりません。でも、事実です。下の動画を観てください。

www.youtube.com

日本の政治家でこんな暴言吐く奴知っていますか? 今日のブログに書いたばかりの吉田一郎議員を暴言度で遥かに越えていますよ。

特に「日帝時代(日本統治時代)に、韓国籍なんてないでしょう! 強制的に日本国籍にされたんですよ! だから、(あなたの父母も私の父母も)みんな日本人だったでしょう! 話にならないのはそっちだ!」なんて、私を含めた日本人全員にとって胸がすく発言じゃないですか。私なんか、涙出そうになりましたよ。

尹錫悦も世界史上最高の政治家かもしれませんが、その擁護者の金文洙も上の情報が本当に本当なら(私もまだ半信半疑です)、全く同じことが言えてしまいます。

金文洙も世界史上最高の政治家かもしれません。もちろん、金文洙に匹敵する日本の政治家など、過去も現在も、一人もいません。いたら、下の「コメントを書く」に根拠とともに書いてください。金文洙と同等の日本の政治家の名を書ける日本人ですら、一人もいないと私は予想します。

3年前と同じ主張をもう一度します。「現在の日本が最も参考にするべき国は韓国です」。

次の記事で、金文洙のライバルである李在明の素晴らしい経歴を記述します。

正義と性格は別物である

さいたま市議会議員の吉田一郎を知っているでしょうか。2007年からの市議で、正論を直球で話す議員としてyou tubeの人気者です。私もこの1週間ほどで、始めて知りました。

「首をつって死ね」「ブルジョア障害者」「この議案に賛成する議員はペテン師だ」といった「問題発言」をして(市民にとっては問題発言でなかったのですが、「木を見て森を見ず」の視野狭窄でお上品なエリート議員様たちには問題発言だったようです)、辞職勧告決議案が可決され、公式な懲罰も2018年までに4回出ているそうです。

しかし、その後も吉田は市議会議員選挙で2回連続トップ当選しています。総合して考えれば、吉田の意見は正しく、それくらいの厳しい表現をされて当然な事実があるので、トップ当選は妥当な結果だと私も考えます。

なお、2019年以後も吉田の暴言を含んだ正論は議会で何度も発せられていますが(しかもyou tubeで全世界に拡散されていますが)、2018年の吉田への辞職勧告決議案も懲罰処分も無駄で、むしろ「吉田を批判する方がおかしい」との民意が出たので、2019年以後に吉田の辞職勧告決議も懲罰も出ていないようです。これも妥当でしょう。

この吉田議員にどうしても今の私を重ねてしまいます。日本のどこかに、精神科医を選挙で決める公立病院があれば、教えてもらえると嬉しいです。

なお、「正義と性格は別物である」は「メラビアンの法則」と「言葉は性格である」と「なぜ外見から内面まで判断してしまうのか」で示した普遍的事実です。だから、このブログでこのテーマは4回目か、それ以上になります。私には常識すぎるほど常識なのですが、いい大人なのに、それを知らない日本人が多すぎるので、何回も書かざるを得なくなっています。

日本の文科省の偉い人にお願いです。「性格(話し方や態度)と内面(倫理観や人間観や社会観)は違う」という、大人になる前に全員身に着けておくべき人間観の習得を義務教育や高校教育で徹底してください。その人間観を日本人全員が習得すれば、間違いなく日本は精神的にも物質的にも豊かになります。

(精神的に豊かになるのは分かるけど、物質的にも豊かになる理由は?)思ったと人は、「カナダ人の寛容性と生産性の相関関係」でも読んでください。

尹錫悦は世界史上最高の政治家かもしれない

2024年12月3日の戒厳令以後の韓国政治の混乱について、日本の知識人による次のような批判をネットで見つけました。

「韓国は戒厳令ばかり出していた歴史がある」→それは軍政時代の話です。韓国が民政に移行して、もう37年もたっています。この批判はこじつけと断定していいでしょう。

 

「韓国は政党の離合集散が激しすぎて、全く安定していない。政治的に成熟していると言えない」→どの口が言っているんですか。やたらと首相が変わる日本も同じですよ。また、韓国の政党政治の混乱の欠点を埋め合わせるために、5年任期の大統領制があります。このおかげで、5年間は政治が安定しています。まあ、今回の尹錫悦大統領みたいなトラブルもありましたが。

 

他にも「韓国は法治国家ではない」とか「韓国では民主主義が機能していない」とか、相変わらず、日本による上から目線の批判が山のように出てきました。

率直に言って、読んでいて日本人として恥ずかしかったです。断言しますが、その批判をしていた日本人全員の知性と倫理観は、尹錫悦の知性と倫理観と比べると偏差値30か40は下回ります。間違いありません。

尹錫悦前大統領は凡人の理解の限界を越えるほど優秀な政治家です。尹錫悦を批判する人でも、尹錫悦の優秀さまでは否定できないほど優秀です。

客観的事実として、韓国最難関のソウル大学卒業で、司法試験は9度目で合格であるものの、検察として出世し、最高位である検察総長まで登りつめ、ついには大統領にまで選出されています。

韓国戒厳令の衝撃」の情報だけで推測されるバカなわけがありません。その正反対で、尹錫悦は超がつくほど頭脳明晰です。尹錫悦ほど頭の良い人がいたら、もちろん日本人でいいので、ぜひ私に紹介してください。友だちにはなれなくても、せめて知り合いになりたいです。それが無理でも、一度だけでもお話させてもらいたいです。これは冗談ではなく、本気で私は書いています。

私にそう思わせるほど尹錫悦は知性と倫理観が桁違いに高いです。そんな事実は尹錫悦について少し調べれば分かることです。

たとえば、2019年6月に尹錫悦を検察総長(候補)に指名したのは文在寅、つまり尹錫悦の前任大統領です。文在寅は進歩系で、尹錫悦は保守系です。両者の所属政党は正反対で、不倶戴天のライバルです。それにもかかわらず、文在寅が尹錫悦を検察総長に指名したのは、尹錫悦の知性が極めて高く、また倫理観も極めて高いと、尹錫悦の敵であるはずの文在寅でさえ認めていたからです。

もっと書きます。尹錫悦の人生で、道徳的に間違った行為など、一つでもあったでしょうか。もちろん、人間のすることなので、完璧はありません。また、成功も見方によっては失敗にうつります。そういった点を全て考慮しても、尹錫悦が道徳的に間違ったことなど、私には一つもなかったように思います。少なくとも、ここ数日、尹錫悦について徹底的に調べた程度の私では、尹錫悦の道徳的な間違いは本当に一つも見つけられませんでした。

金建希? 妻については調べきれなかったので、よく分かりませんが、まだ全て疑惑でしょう? 百歩譲って、それが悪かったとしても、それは妻の問題じゃないですか。尹錫悦は別として考えてくださいよ。

なんでも批判したがる私が批判すべき点を見つけられない政治家など、私の記憶する限り、韓国の政治家だけでなく、世界中、あるいは世界史上の政治家の中で初めてです。

たとえば、尹錫悦は大統領候補時に若い男性の支持を集めるため、「女性家族部」廃止を提案して、多くのフェミニストから批判を浴びました(もちろん、「女性家族部」廃止を支持する女性もいました)。この提案も道徳的に正しい、と私は確信します。現在の日本のwikipediaで「女性家族部」から引用します。

 

中央日報は「女性家族部はここの公金を持っていって使いなさい部」「正義連をして、女性家族部長官をして、国会議員をする彼らだけの世の中」などのような世間の皮肉を聞くことになるのだと数々の不正を告発してきた。余明淑は「女性家族部の存在理由はそれこそ人権蹂躙と血税の無駄遣いのために存在するのではないかと思います」と指摘している。

 

尹錫悦は大統領になったので、公約通りに「女性家族部」を廃止したかったでしょうが、できませんでした。野党の「共に民主党」が政策そっちのけで政争に明け暮れて、弾劾決議案を無駄に連発して、尹政権を無力化したからです。

(確かに俺は戒厳令で国会の野党勢力を無力化しようとした。しかし、それより先に、行政の与党勢力を無力化したのは野党の方だろう。それに、俺はわずか6時間で戒厳令を撤回したけど、野党はいまだ弾劾決議案を撤回していない。それどころか、野党は逆ギレして、大統領の俺まで罷免しやがった! どっちが本当の悪かなんて、誰が考えても明らかだろう!)

もし私が尹錫悦なら、確実にそう考えています。

いえ、もっと書きます。尹錫悦の主張が明らかに正しいです。それを理解できない野党や韓国人や日本人が道徳的に間違っているんです。

では、尹錫悦の自爆に終わった戒厳令を、私はどう解釈するのでしょうか。

もちろん、戒厳令は正しかったと私は考えています。

(民政後37年も経過した韓国だぞ。野党が邪魔なら、選挙で野党に勝つべきだ。検察出身者なのに、法の支配を無視して戒厳令なんて禁じ手を出している。ありえない)

そういう反論もあるでしょう。では、その反論に対する私からの反駁です。

今の韓国で、選挙で勝つなんて無理です。どんなに素晴らしい政治家がどんなに素晴らしい政策を訴えたって、凡人の有権者たちはその素晴らしさを理解できません。保守系だろうが、革新系だろうが、本来実行するべき政策を全部実行するのは無理です。どうしても一定数の韓国人、一定数の韓国の政治家は、反対するからです。そうなると、ひどい場合、尹錫悦政権のように、なんの改革も実行できなくなります。

そもそも、尹錫悦政権なんて、一体、なんのために存在していたんですか。国会では野党が反対して、与党の中でも尹錫悦の反対派が主流になって、尹錫悦政権はほぼ全ての政策を実行できていませんでした。尹錫悦政権の存在意義なんて、まるでありませんでした。

それを打開するためには、戒厳令しかありませんよ。

(それは禁じ手だって? いえ、ちゃんと法律で認められていますよ。韓国では過去16回も発令されているじゃないですか。44年間はなかったですけどね。民政化してからは、初めてになりますけどね。でも、野党だって、あんなに弾劾決議案出しているじゃないですか。それこそ政治が停滞している根本原因ですよ。野党の横暴がよくて、与党の横暴がよくない理由はどこにあるんですか? それよりも、政策の中身を見てください。結局のところ、政治家はどんな政策を実現させるかで評価されるべきでしょう? 違いますか? それで、私の政策のどこに間違いがありますか。政争なんて、私はどうてもいいんです! 政争に巻き込まれるために大統領になったんじゃありません! 韓国人のため、韓国をよくする政治を実行するため、大統領になったんです。だから、政策の中身の議論をしてください。お願いですから!)

それが尹錫悦、あるいは尹政権を支える政治家や官僚たちの本音だったはずです。

繰り返しますが、尹錫悦ほど知性が高く、倫理観も高い政治家は、世界史上、存在しないかもしれないほど、他の政治家たちを圧倒しています。もちろん、尹錫悦に匹敵する政治家など、日本に一人もいません。過去にも現在にも。

尹錫悦の戒厳令が自爆に終わったのは事実ですが、それも兵士たちが尹錫悦の天才性に追いつけなかったから、とも言えるはずです。

もちろん、尹政権は事前に軍への根回しはすべきだったんですけどね。私ならしています。

でも、尹錫悦は本当にいい人すぎるんですよ。人を信じすぎるんですよ。法律通り、兵士たちは大統領の命令に従うものだ、と信じたんですよ。尹錫悦はバカがつくほど正直者ですから。

だって、法律にのっとって、大統領が戒厳令出しているんですよ。法律通りなら、兵士たちは国会議員たちを国会に入らせちゃいけないんです。なに、大統領の命令を無視しているんですか。法律違反しているのは、兵士たちですよ。だから、法律上、罰せられるのは兵士たちじゃないですか。なに、法律を無視して、正義も無視して、大統領を罰しているんですか? 法律面でも、正義面でも、逆ですよ。なんで、韓国人も、韓国以外の人も、それが分からないんですか。

唯一の救いは、韓国人、あるいは世界の人たちがようやく、尹錫悦の天才性に追いついてきていることです。つまり、「最初、戒厳令は尹錫悦のバカとワガママの極みだと思ったけど、本当は正反対じゃないの? あらゆる観点から考えも、尹錫悦が正しかったんじゃないの?」と気づいてきているようなのです。

その証拠が、6月3日に行われる韓国大統領選の世論調査です。

当初は、反尹錫悦の筆頭勢力である野党の李在明が大統領選で圧勝するとの見方が有力でした。保守系が金文洙、李俊錫と2つに分かれていたので、なおさらです。

しかし、あれほどの逆境でも尹錫悦擁護を訴える金文洙を支持する韓国人が、この開票直前の時期になって急上昇しているのです!

もし金文洙が大統領選で勝ったなら、日本の片隅で私が万歳三唱することは間違いありません。

現在、私に対する不当な処分を知っている方なら、言うまでもないでしょうが、私は尹錫悦に自身の不遇を投影しています。もちろん、私は韓国の前大統領とは比べものにならないほど小粒の経歴で、天才で崇高な政治家である尹錫悦に私を投影するなど、おこがましいにもほどがある、とは分かっているつもりです。

私に対する不当な処分については、事件がひと段落したら、こちらのブログに書いていくつもりです。