2005年の夏なので、私が27才の時です。小泉劇場の最高潮、郵政選挙が行われていました。
改革政治家の小泉が人生をかけた「改革の本丸」である郵政民営化を強行したのです。しかし、郵政民営化法案は衆議院で可決されたものの、参議院で否決されます。ブチ切れた小泉が衆議院解散に打ってでました。
(は? 参議院で否決されたのに、衆議院解散って、八つ当たりじゃん。小泉は気が狂ったのか? 衆議院だけで解決するためには、3分の2以上の議席をとらないといけないよ。そんなの99%無理だよ)
しかし、そんな私の予想は大間違いでした。自民党の郵政民営化反対勢力を自民党から追い出して、つまり自民党の一部を敵に回したのに、小泉与党は衆議院だけで3分の2を確保したのです!
実際には、衆議院の3分の2の賛成による強行採決を待たず、郵政民営化支持の民意に恐れをなした参議院は、1名も議員が変わっていないのに、手のひらを返し、郵政民営化法案を可決したのです。
(ついに、あの日本が動いた!)
まだ若かった私はマジで感動しました。
私は革新系なので、保守派の小泉とは主張が異なることも多かったのですが、郵政民営化は小泉同様かそれ以上に大賛成でした。
(郵政民営化で財政投融資が廃止され、無駄な公共投資も削減され、日本は生まれ変わる!)
もともと小泉に対する期待は、その10年前から私は持ち続けていました。保守派の自民党議員ですが、小泉が言う通り「自民党が変わらない限り日本が変わらない」からです。小泉の暴論正論(小泉は、ある雑誌でそんな名前のコラムを連載していました)の姿勢も、私に近いものがあり、共感が持てました。
それで、2005年の郵政選挙の圧勝で、日本は変わったのでしょうか。
その20年後の今の日本が証明している通り、なにも変わりませんでした。郵政民営化も、羊頭狗肉、有名無実、竜頭蛇尾に終わりました。
(小泉劇場とは、郵政民営化とは、改革の本丸とは、一体、なんだったのだろう?)
2006年秋に小泉が首相退任する頃には、上のような考えがうすうすありました。2009年に民主党が政権を取る選挙前には、うすうすではなく、はっきりありました。
それでは私も期待した民主党政権が小泉改革の不備を補って、さらなる郵政改革を断行してくれたのでしょうか。
いえ、その逆でした。民主党政権で、確実に郵政改革は後退していきました。
(一体、どういうことなんだ? 民主党は革新政党なのに、なぜ郵政改革を進めないんだ?)
民主党政権は一部の改革を実行したものの、多くの改革は停滞してしまい、特に郵政改革に至っては後退させました。保守派自民党政権の小泉が改革を断行して、革新派民主党政権が改革を押し戻すという、世界史で散見される現象、特に冷戦後に頻発している現象が、日本でも起こったわけです。
ここ1週間ほどの朝日新聞の郵便局批判記事や「郵政腐敗 日本型組織の失敗学」(藤田知也著、光文社新書)や「ブラック郵便局」(宮崎拓朗著、新潮社)を読んでいると、改めて思います。
(郵政民営化とはなんだったのか? 2005年の郵政選挙の圧勝に感動した僕は一体なんだったのか?)
2005年に「日本は変わった」と感動した気持ちを、20年後の今も消化しきれていない何万、何十万、何百万、何千万の日本人の一人が私です。
次の記事で「なぜ郵政民営化は実現できなかったのか」を考察します。