未来社会の道しるべ

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学位論文のための難民調査

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

著者はオックスフォード大学の博士課程の研究のため、ガーナのブジュブラムに来ていました。そのオックスフォード大学の大先輩にデビッド・タートンという人類学の先生がいて、次の言葉を残したそうです。

「難民や貧困層などの苦境にある人々に対する調査が正当化されるのは、その調査が、なんらかのかたちでこうした人々の苦境を和らげるのに貢献することが目的となっている時だけだ」

ジュディスという三十代半ばの難民がいました。リベリア大学を卒業した才女で、これまでブジュブラムに来た数多くの研究者のアシスタントを務めてきました。著者がインタビュー形式の質問をジュディスに始めようとすると、それまで黙っていたジュディスは遮りました。

「ちょっと待って。あなたの調査に参加すると、私たち難民にはどんなメリットがあるの?」

著者はそれまでにも難民たちから同様な質問を何度も受けていました。

「この調査結果をUNHCRやガーナ政府に報告していく。それによって、ブジュブラムキャンプ難民に対する支援の向上につながっていくと思う」

著者は毎度の「模範解答」をしましたが、その言葉が終わるか終わらないかのうつに、ジュディスが切りこんできました。

「あなた、本当にそんなことができると思っているの? あなたはただの学生でしょ。UNHCRやガーナ政府は一学生の研究結果なんかで難民への支援や政策を変えたりすることなんて、絶対にないのよ。あなたは嘘を言っているわ」

それは「全くもって正しかった」と著者は書いています。

「自分は今、学位をとるために研究論文を書いています、その調査に協力してくださいって、どうして正直に言わないのよ。これまで私は何度も海外から来た研究者や学生のために働いてきたけど、皆きれいごとばっかり言うの。私たちがそれに気づかないほど愚かだとでも思っているの?」

しばしの沈黙の後、著者は答えました。

「キミの言う通りだと思う。僕は確かに学位をとるためにやっている。そして僕にはUNHCRやガーナ政府の政策に直接影響を及ぼす力はない。ただそれでも、研究成果を彼らにプレゼンするということは嘘ではないし、援助機関やガーナ政府にキャンプ内の状況を分かってもらうために、できる限り努力はするつもりだ」

何とも歯切れの悪い言葉を返した著者に、彼女は助け舟を出しました。

「分かったわ。いい? あなたが学位をとって将来、本当に偉い先生になればいいのよ。そうすればUNHCRやガーナ政府だって、あなたの言葉に耳を傾けるようになるかもしれないわ。約束しなさい。あなたの調査に協力してあげるから、必ず調査を本にしなさい。私へのお礼は、この本はジュディスの協力なしでは書けなかった、とその本のなかに書くこと。いいわね、約束よ」

事実、この本の最初の言葉は「ジュディスとの約束を越えて」になっています。

これら二つの言葉のせいでしょう。「恵まれた難民たち」に書いたように、著者はあまりにリベリア難民寄りの意見だ、と私は感じました。

とはいえ、リベリア難民は強制帰国すべきだ、と軽く発言するUNHCRのアメリカ人スタッフに著者が激怒したのは共感します。

著者は調査中、「キャンプ内の困窮層の難民に対してはUNHCRらの援助が不可欠」と力説すると、このスタッフは「もうリベリア難民たちを世界にセールスしても無駄です。UNHCRも近いうちにガーナから撤退する予定だから」と言い放ち、何度も口論になっていました。

ある時、このスタッフが冷笑を浮かべて、停戦後も本国帰還を選択しない難民を批判し、「どうも彼らは、自分たちを取り巻く状況をよく把握できていないようです。困ったものです」と発言すると、著者は身内をバカにされたような気になり、強いトーンでこう言い返しました。

「難民にとって、本国帰還は口で言うほど簡単なものではありません。2万人の難民の状況は個々人によって大きく違います。なかには、まだ帰国後に命の危険のある難民もいます。彼らは自分たちを取り巻く状況のことは十分理解していますよ」

著者の予想外の反論に、このスタッフは「他人でしかない難民の話に、なにをそんなムキになっているんだ」と怪訝な顔をしました。

この話を著者が居候している難民キャンプ内の家の貸主に言うと、「でかした。その通りだ。お前も随分と『俺たち』に近づいてきたじゃないか」と大笑いされ、肩を叩かれたそうです。

2003年の停戦後にリベリア難民は本国帰還すべきと私も考えますが、先進国出身の恵まれた人が難民たちにあれこれ言う正当性はありません。

恵まれた難民たち

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

難民「なあ、俺って、リベリアに帰った方がいいのかな?」

著者「帰りたいのか?」

難民「いや、そうじゃないけど……。でも、UNHCRやガーナ政府はそうした方がいいって言うから……。どう思う?」

著者が調査中、何度もリベリア難民と交わされた会話です。

2003年にリベリア内戦が終結した後、ブジュブラムの住民はUNHCRとガーナ政府の双方から本国に帰還することを強く推奨されました。UNHCRは2004年から2007年に大規模な「リベリア難民本国帰還推進プロジェクト」を実施し、難民たちにあの手この手で帰国を促しました。しかし、盛大なキャンペーンのかいなく、2004年当時のブジュブラムの人口4万人のうち、2007年までに帰国したのは1万人程度でした。

大々的な帰国プロジェクトが失敗に終わったUNHCRはガーナ定住に焦点を定めますが、ガーナ政府は難色を示します。リベリア難民に対する人道支援の「おこぼれ」はもはや期待できないとガーナ政府は理解していたからです。「UNHCRが提案してきたガーナ定住案は難民の『押し売り』だ」と厳しく批判します。ガーナ難民局とUNHCRは2007年に何度も会合を持ちましたが、議論は平行線をたどりました。

その最中、前回の記事で書いた2008年2月から3月のブジュブラムでのガーナ定住政策反対デモが発生します。これに憤慨したガーナ政府は、デモに参加した難民を逮捕勾留しただけでなく、ガーナに滞在する全てのリベリア難民に対して国外退去を命じます。ガーナの内務大臣は「恩知らずのリベリア難民は即刻リベリアに帰れ」と吠えて、同時に「近日中にブジュブラムキャンプを閉鎖する。それでも帰国しない難民たちは、国内に別の収容施設を設けて、そこで管理する」と声明を発します(結局、このブジュブラムキャンプ閉鎖は実施されませんでした)。

ブジュブラムキャンプを持て余していたUNHCRも、この流れに便乗します。2007年に終了したばかりの本国帰還推進プロジェクトを再開し、本来300ドル程度かかる送迎サービスを無料支援し、追加で一人あたり100ドルの給付(それまでのプロジェクトでは5ドル)を約束し、再三にわたってリベリア難民たちに帰国を促しました。

上記の本に、難民キャンプで結婚し、6才の子どもがいる三十代半ばの夫婦の話があります。この本国帰還キャンペーンに妻は乗り気でした。しかし、普段は妻の言いなりの夫が「今回の本国帰還キャンペーン終了後、残った難民には先進国移住の機会が与えられるかもしれないって話もあるんだ」と言って、反対したのです。現在は「難民」という被害者だから先進国に行ける機会があるが、リベリアに帰国して難民でなくなると、その機会が消滅すると夫は考えていたのです。この反論に妻が激怒します。

「あなた! まだそんな夢みたいなこと言っているの! 先進国移住なんて可能性はないってUNHCRもはっきり言っているわ! 私たちはガーナ人じゃないんだから、何年もこの国にいること自体がおかしいのよ! かりに苦しむとしても、私は自分の国で苦しむ方がまだ納得がいくわ!」

もともと、ブジュブラムのあるゴモア地区は、ガーナでも最も貧しい所でした。そのため、難民キャンプ設立により、人口は一気に増え、国際支援の波及効果にもあずかり、当初、ガーナ人はキャンプ難民たちと極めて友好な関係を築いていました。難民キャンプ設立以前は皆無であった学校や水道が設置され、地元民にも開放されました。キャンプ周辺の地価が高騰し、その恩恵を享受した地主は枚挙にいとまがないそうです。

しかし、難民の滞在が長期化し、1990年代後半から国連からの経済支援が削減されるにしたがい、現地住民の難民に対する寛大さもしぼんできて、2000年代半ばになると、「難民キャンプの経済事情」に書いたような両者間の暴力事件も散見されるようになります。

もちろん、母国に帰ったら、殺される可能性のあるリベリア難民もブジュブラムにはいます。その代表がGAPにいる元兵士たちです。しかし、それは母国で残虐行為をしたからで自業自得です。さっさと帰国して、罪を償うべきであり、そんな理由での帰国拒否は認められません。

難しいのは、リベリアで殺されそうになって、あるいは親戚が虐殺されたのを目の前で見て、精神的な理由で帰国できないと主張する難民でしょう。精神科医が診断すればいいと考えるかもしれませんが、精神科医は警察のような捜査権はないので、患者の主張が事実かどうかの裏付けはとれません。結局、本人の主張だけでPTSDかどうかの診断が決まり、帰国できる人とそうでない人が分かれてしまいがちです。客観性が乏しいので、これも認めにくくなります。

52才の戦争未亡人、ナンシーの話が本に載っています。夫はリベリア元大統領の縁戚にあたり、政府の要職にも就いていたため、内戦中は真っ先に反乱軍の兵士の標的となりました。目の前で夫と三才に満たない末っ子を惨殺されたナンシーは、反政府軍の兵士たちに輪姦され、生き残った長女だけを連れてリベリアを脱出しました。

「こうして文章にするとわずか数行に収まってしまうが、私は、ナンシーが途切れ途切れに語った仔細を、ここに書くことはできない。反政府軍の兵士が、彼女の家族に対していかに残虐な行為をはたらいたか。それはまさに酸鼻を極める内容で、『人間が果たしてそこまで人に対して残忍になれるものなのか』と私は言葉を失った」

そう著者は書いています。著者はその悲劇を聞いた直後にもかかわらず、不用意に「リベリアに帰還する予定はないのですか?」と尋ねました。ナンシーの表情は見る見る暗くなり、静かだが断固とした口調で、「私は何があってもあの国には帰らない」と答えました。

「私の夫と子どもを殺した奴らは今、リベリアの軍隊や警察で働いているのよ。リベリアは小さな国だから、私たちが帰国したらすぐに連中の耳に入る。あいつらは絶対に娘と私を狩りにくるわ」

インタビューが終わりに近づく頃、ナンシーが突然「しゃっくり」のような症状を見せ、「ヒック、ヒック」としばらく発せられた後、「ウアー!」と絶叫しました。彼女は椅子から床に倒れ込み、「長年、身体の奥に無理矢理閉じ込められていた膨大な量の悲しみが、堰を切って噴出したような、凄まじい泣き方」をしました。

ナンシーが号泣した夜、著者は「もっと慎重に質問するべきだった」「難民たちの持つ過去の強烈な経験も聞き慣れてしまっていた」などと反省したようです。

しかし、これを読んでも、「ここまで苦しんだナンシーには先進国移住させて、恵まれた福祉を与えるべきだ」と私は確信できません。

リベリア内戦の前、大統領の縁戚として、ナンシーはこの上なく恵まれた生活をしていた可能性が高いでしょう。その恵まれた生活は、大多数の恵まれない生活を送る庶民を搾取することで実現できていた側面はあるはずです。それをナンシーも自覚しているからこそ、平和になったはずのリベリアでも帰国したくない、と言っているのかもしれません。

こういった事情を全て考慮すると、2003年の停戦合意ができた時点で、リベリア難民は帰国すべき、と国連やガーナ政府が判断したのは妥当と考えます。

UNHCRのベテランのガーナ人スタッフは「水道やトイレを有料にしてから、難民に経済な自立精神が芽生え、援助に頼らず、自活していこうと大きなインセンティブになった」と誇らしげに語ったそうです。しかし、著者の知る限り、これら生存に必要な基本サービスの有料化の評判は難民の間で最悪でした。

この問題も全体として考えれば、難民が不平を言う資格はないでしょう。どんな高福祉国家であっても、水やトイレは有料です。自己負担無料の国はありますが、税金かなにかで負担しているだけで、本質的に無料なわけがありません。

2009年にUNHCRはリベリア難民の希望者に電気工事、石工、左官、縫製、コンピュータ、理容業などの分野で6ヶ月にわたる職業訓練プログラムを提供したそうです。しかし、訓練を受けた多くの人はその職業技術を活かせる仕事に就けませんでした。リベリア人がガーナで働くことは、制度の面でも、言語の面でも、金銭の面でも(開業資金を借りられないなど)、難しいからです。受講したリベリア難民は「トレーニングは受けたが、経済的に力がついたわけではない」と不平を言っており、著者は「訓練プログラムの根本的な弱点」を指摘している、と書いています。

しかし、それも全体として見れば、国際支援で職業訓練を受けられた難民たちに、不平を言う資格は一切ないでしょう。著者は「ガーナ」では職業技術を活かした仕事を得られないと批判していますが、UNHCRとしてはその職業技術を「リベリア」での仕事に活かしてほしいと考えていたはずです。著者の批判は的外れとしか思えません。

問題の本質として、ブジュブラムのリベリア人難民キャンプが、母国リベリアより豊かになってしまったことがあります。つまり、国際援助が過剰だったのです。難民キャンプが母国より豊かなら、難民が母国に帰りたがらないのは必然です。このブジュブラムの反省は、国際社会やUNHCRが記録し、広報すべきでしょう。

2008年4月から2009年4月まで続いたUNHCRのキャンペーンでも、帰国したブジュブラムの難民はキャンプ人口の4割の1万人です。ガーナ政府から「恩知らず」と罵倒され、「キャンプを閉鎖する」と脅されて、帰国の交通費に追加して300ドル与えると言われても、過半数は母国よりも難民キャンプを選んだのです。

次の記事に続きます。

難民キャンプの政治

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

「難民たちは政治に参加してもいいのだろうか? もちろんだ。難民の政治的権利は難民条約および各種人権条約に規定されている」

そう本にはありますが、こう続きます。

「だが現実には、世界の難民ホスト国の大半は、難民の政治的な活動を大幅に制限している」

これは難民受入国(今回の例ではガーナ)だけでなく、国連も「自らの権利を声高に主張して政治活動する者」を悪い難民とみなすそうです。

難民の政治活動を快く思わないのは、仕方ない側面があるでしょう。母国から逃げ出した難民はそれぞれ心苦しい事件があるに違いありませんが、だからといって、母国以上に豊かな生活を難民キャンプで送りたいと言う権利はないはずです。前回の記事に書いたように、ブジュブラムの難民たちは母国以上に豊かな生活を送れているのですから、それでも不平不満を言うなら、「いいかげんにしろ」と言われるのは当然です。

経済的側面を無視しても、リベリア難民がガーナ政府に「もっと支援してくれ」「もっと仕事をくれ」という正当性はあまりないでしょう。第一に、リベリア内戦は2008年から2009年当時、5年以上前に終結しており、ブジュブラムのリベリア人たちは、そもそも「難民」の定義に入らない(とも考えられる)からです。第二に、現地語を覚えようとせず、先進国移住ばかり考えるリベリア人を助けたいと思うガーナ人などいないからです。

にもかかわらず、ブジュブラムでも「とびきり激しい」政治活動があります。

難民キャンプの経済事情」に書いた通り、ブジュブラムの代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)です。かつてLRWCの会長は民主選挙で決め、誰でも立候補が可能でした。しかし、1996年にガーナ政府が選挙を廃止してからは、ガーナ人のキャンプ支配人がLRWCの会長を指名するのが慣例となりました。会長は、自分の補佐として副会長2名と8名のメンバーのリストをキャンプ支配人に提出して、ガーナ難民局の承認を得ています。

著者が選挙廃止の理由を聞くと、キャンプ支配人はこう答えました。

リベリア内戦は民族間の対立により起こった。今でこそ大きな争いは減ったが、水面下ではお互いに敵意を抱いている。もしキャンプ内で選挙を実施したら、それぞれの民族が独自の代表を立てて争うことになる。そうしたら、必ず衝突が起こる」

一方のリベリア難民たちは、ガーナ人のLRWC会長指名に強く反発していました。著者が調査した2008年頃にはLRWCの上層部は、ガーナ政府にとって御しやすいリベリア人たちで占められており、その結果、LRWCの上層部とキャンプ支配人の間にはもたれ合いの関係が醸成されていました。

たとえば、ブジュブラムには居住区ごとに目安箱(オピニオンボックス)があり、生活上の問題点や改善を望む点を伝えることができます。この目安箱に入れられた投書は、全てLRWCの会長と副会長が審査した後、適切と判断された投書のみ、キャンプ支配人に届けられます。この「審査」で、ガーナ政府やUNHCRにとって耳の痛い意見は、ほぼ間違いなく却下されています。これに何度も不満を表明したLRWCのメンバーは、更迭されたそうです。

また、アメリカからのキリスト教使節団が難民から直接話を聞きたいと申し出たので、どの難民が使節団と話し合うかを決めるため、LRWCで緊急会議が開かれました。出席者の一人が「悪化しているキャンプの生活水準について話してもいいか?」と発言した際、すぐさま副会長が「その話は不適切だ」と却下しました。緊急会議の後半は、会長の独演会と化して、こんなことが述べられました。

「我々は、ガーナ政府やUNHCRへの感謝を忘れてはならない。20年近くもここにいるのだから、その恩を仇で返すようなことがあっては絶対にいけないんだ!」

結局、このキリスト教使節団が直接話した難民たちはLRWCの会長と2人の副会長と8人のメンバーだけでした。

LRWCの上層部には、横領や贈収賄の噂が絶えませんでした。「難民キャンプの経済事情」に書いたように、トイレ使用料の横領はほぼ間違いないでしょう。ブジュブラム内の清掃作業やゴミ収集などに充当する目的で、UNHCRから毎月一定額がLRWCに支給されていましたが、その具体的な使途は一切公表されていないので、多くの難民はそこでも横領があると疑っていました。

LRWCと一部のNGOの癒着も多くのリベリア難民が指摘していました。UNHCRなどの国連機関は、援助プログラムの実行と運営を、パートナーシップ契約を結んだNGOに委託するのが一般的です。国連の援助プログラムの実行を請け負うことは、ブジュブラムにある50程度のリベリア人設立のNGOにとって、最大の収入源です。キャンプの状況をあまり理解していないUNHCRは、ふさわしいNGOをLRWCに推薦してもらっていました。この委託契約をもらえるNGOがいつも同じ顔ぶれなので、NGOはLRWCに賄賂を贈っていると難民たちは疑っていました。

著者はLRWCの会長に使途不明金と横領の噂について質問しましたが、会長は「LRWCの活動費用は、キャンプ支配人を通じてUNHCRとガーナ難民局に定期的に報告することになっています。こんな仕組みで横領などできるわけないでしょう」と言って、不機嫌に去っていったそうです。会長は金の時計とブレスレッド、新品のラップトップパソコン、最新型の携帯電話をいつも持っていたので、著者は「はて、会長も海外送金の受益者だったか」と皮肉を書いています。

一方、2005年頃から「腐敗した現体制を糾弾し、真のブジュブラムキャンプ代表を結成する」という大義名分の元、選挙で決めた15人のメンバーで設立された群代表者連合が活動していました。LRWCの腐敗構造とキャンプ住民の現体制に対する不信をしたためた文書をガーナ難民局とUNHCRに送りましたが、黙殺されたようです。群代表者連合はその程度であきらめずに、草の根運動を続けて支持者を増やしていると、ガーナ政府は「キャンプ内での一切の政治活動は禁じられており、それを犯したものは厳しく処分する」と掲示板で通達するようになります。それでも群代表者連合は活動をやめなかったそうで、支持者の増加も止められなかったようです。

そんな2008年2月、UNHCRの推進する「リベリア難民のガーナ定住計画案」にブジュブラム内の女性グループが抗議デモを行います。「先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬」で書いたように、キャンプの大多数の難民は先進国移住を希望して、ガーナ定住には反対しているのです。この抗議活動は1ヶ月以上続き、当初は数十人の参加者だったものの、そのうち200~300人に膨れ上がり、国内外のメディアの関心をひくまでになります。

ガーナ政府とUNHCRは女性たちの抗議デモを違法行為とみなし、すぐさま解散を命じました。LRWCもデモの中心となった女性たちと厳しく非難しました。一方、群代表者連合は女性デモ参加者への「絶対的な支援」を表明しました。

同時に群代表者連合は、「LRWCが難民の生活水準向上への努力を怠っているだけでなく、汚職にまみれており、既にキャンプ住人たちからの信用を失っている」と指摘します。LRWCメンバーの総退陣と、キャンプ内での民主選挙を再開する要求文書を、2008年3月、ガーナ政府、UNHCR、国内メディアに送りつけます。

これを境にデモの主導権は女性グループから群代表者連合に移り、目的が現体制からの政権奪取に様変わりします。デモを主催した女性リーダーたちは群代表者連合に猛反発しましたが、群代表者連合のキャンプ内での広範な影響力の前に、なすすべがありませんでした。

キャンプ支配人からの度重なる警告にもかかわらず、群代表者連合は扇動を続け、最終的にデモ参加者は700名ほどになりました。一線を越えたと判断したガーナ政府は、2008年3月末、数百人に及ぶ武装警官隊をブジュブラムに送り込み、デモ参加者を根こそぎ逮捕し、16人を国外追放にしました。これにより、群代表者連合は一気に弱体化します。

UNHCRは16人の国外追放を非難したものの、キャンプ内のデモについては「極めて遺憾」と批判的立場を崩さず、デモの背景について何ら調査を行いませんでした。

次の記事に続きます。

先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

難民キャンプの経済事情」で、難民キャンプ内の多くの職業を書きましたが、これほど多種多様な職業が難民キャンプで存在している例は少数です。特に、現金が全くないと本当に生きていけない難民キャンプはブジュブラムくらいのようです。

「キャンプでは何ひとつタダなものはない!」

ブジュブラムの難民たちから、著者が何度となく聞かされた言葉です。同じく難民たちから数えきれないほど著者にかけられた言葉が「ブジュブラム以外の難民キャンプでも、水やトイレが有料なのか?」という質問です。著者は12のアフリカの難民キャンプを訪れた経験がありますが、水やトイレまで料金を徴収している例はガーナのブジュブラムだけでした。

「難民キャンプでは、衣食住の全てが国際援助により無償で提供されていなければならない」

そんな発想は、当の難民自身を含めて、世界中の多くの人が持っています。確かに、「緊急援助」の段階では概ねその通りに実施されています。しかし、1年、2年と経過すると、国際援助の提供者である先進国の関心が薄れていきます。それにつれて支援の質と量は大幅に鈍化していきます。

「難民キャンプは一時的な避難所」「難民キャンプでの生活が年単位で長期化するのは好ましくない」「援助に慣れてしまえば、人間は堕落する」「難民キャンプの住人と地元民とのトラブルは必発である」「貧しい受入国が隣国の難民たちを養う義務は存在しない」「自国の問題は自国民だけで解決すべきだ」「母国が内戦中であっても、それは母国の責任であって、受入国の責任ではない」「本来なら、隣国への入国を拒否されて当然だった。一時的に違法入国を許可してもらっただけでも受入国に感謝しなければならない」

私のように難民支援について議論したことのある方なら、上記のような理屈は聞いたことがあるはずです。上記の理屈は難民条約に反する可能性もあるので、無条件で正しいとは言えませんが、無条件で間違っているとも言えない実情があります。

著者が調査した2008~2009年のブジュブラムでは、上記の理屈が正しいと国連や国際社会はほぼ断定していました。なぜでしょうか。

ブジュブラムの難民キャンプが発生した原因は、1989年のクリスマスクーデターに端を発するリベリア内戦になります。14年間続いたリベリア内戦で、約30万人の死者を出し、20万人以上が周辺国に難民として流れ込みました。だから、リベリア内戦中であれば、14年間という長期ではあるものの、ブジュブラムのリベリア難民を救う正当性は、とりあえず、ありました。

しかし、2003年に停戦合意が結ばれ、2005年の大統領選挙も一応、平和裏に行われました。2008年は停戦合意から5年後、民主選挙から数えても3年後です。

リベリアに平和が戻ったのですから、リベリア難民がガーナの難民キャンプに住む正当性は原則ありません。

しかも、ブジュブラムの多くのリベリア難民は、国際援助や海外送金により、母国リベリア(2017年の一人あたりGDP約3万円)より豊かなだけでなく、ガーナ(2017年の一人あたりGDP約16万円)よりも豊かな生活を送っている、と思われていました。平均的なガーナ人より豊かかどうかは不明ですが、「難民キャンプの経済事情」で書いたように、「骨折り損のくたびれ儲け」という見出しで、貧しい仕事の代表として書かれていた水販売業でさえ日給300円(年200日勤務なら約6万円)であることを考えると、ブジュブラム難民キャンプは母国リベリアより遥かに豊かだったことは間違いないでしょう。

当然ながら、ガーナ政府はリベリア難民が自国民から雇用を奪うことに強い警戒感を示していました。難民がガーナのキャンプ外で雇用を得る際は、ガーナ政府が発行する労働許可証の取得が義務づけられています。しかし、雇用主が申請してから労働許可証の取得まで8~10ヶ月もかかります。経済発展の著しいガーナで、雇用主がそんな長期間も待てるわけがなく、事実上、難民はガーナの公式の労働市場から締め出されています。

発展途上国なので、賄賂を渡せば、難民もマーケットで商売ができるのですが、同じ商品で同じ値段なら、ガーナ人はリベリア難民からではなく同じガーナ人から必ず買います。リベリア難民は国際支援で苦労せずに生活できていると多くのガーナ人は考えているので、リベリア難民から商品を買うことを避けます。

また、リベリア難民はガーナの銀行口座の開設ができません。銀行口座がなければ、借り入れも極めて難しくなります。結果、リベリア難民は元手が必要な利潤の高い商売を始めることができません。かつてはブジュブラムでもUNHCRが難民向けのマイクロファイナンス(少額融資)を行っていましたが、2003年の停戦合意以降は、本国帰還が最大の目的となったため、難民が長期間ガーナに根付くことになりかねない起業資金の貸し出しプログラムは全て閉鎖されました。

ガーナ人にとって極めて腹立たしいのは、リベリア難民のほぼ全員がガーナの現地語をろくに覚えないことでしょう。あまつさえ、リベリア難民たちはガーナ定住すら希望せず、先進国移住に異常なほどの熱意を燃やしています。著者が難民たちに現地語を覚えない理由を聞くと、「いずれアメリカ(リベリア宗主国)に行くので、ガーナの言葉を覚えても仕方ない」と、素っ気なく答えられたそうです。ブジュブラムのリベリア難民は口をそろえて、ガーナ人がいかに排他的で冷たいかを滔々と著者に語ったそうです。これに著者は強い違和感を抱かずにはいられませんでした。

ブジュブラムのガーナ支配人はある時、著者にこう言いました。

「ここの難民たちは先進国移住のためならなんだってやる。リベリア大統領を暗殺したら、先進国に移住できると言われたら、本当に殺すだろうよ。あいつらは先進国移住に憑りつかれているんだ」

著者は難民キャンプで、ミニスカートで胸が見える服を着た若い女性3人組に突然話しかけられたことがあります。著者が日本から来たことを伝えても、日本がどこにあって、どんな国かも知らないほど教養がない女性たちです。まず聞いたのは、リベリア公用語であり、彼女たちも話せる英語が日本で通じるかどうかです。通じないと分かると、日本への移住は難しいと判断したのか、アメリカの友人がいるのか、あるいはカナダやオーストラリアの友人がいるのか著者に聞きます。いると分かると、著者に友だちになりたい、著者の友だちにも興味がある、と吐息がかかるほど近づき、耳元でささやきました。さらに、会って3分しかたっていない著者の右手を両手で慈しむように握りしめました。彼女たちの目的が分かった著者が「僕の友だちは君たちの助けにはなれないと思う。ごめん」と言っても、彼女たちはわずかな可能性にかけて執拗に食い下がり、著者からメモとペンを取り上げ、自分の携帯番号を書いて、「今度来る時は必ず電話して。絶対に約束よ」と、またささやいたそうです。

著者がプライベートで最も長い時間を過ごしたエマーソン(男性)の話です。エマーソンはリベリア内戦中に父と生き別れ、現在も父は生死不明です。母と二人の妹とともに隣国のコートジボアールに逃れ生き抜きます。リベリア脱出から数年後の2000年に、先進国移住を目的に家族をコートジボアールに残したまま、ガーナのブジュブラムにやってきました。コートジボアールには正式な(?)難民キャンプがないので、先進国移住のためにはガーナに来なければならない、というのがリベリア難民で常識となっていたからです。当然、エマーソンの人生の第一目標は先進国移住になっており、著者がいくら質問しても、「お前も先進国出身なら分かるだろう。家族のためにも、絶対に先進国移住が必要なんだ!」としかいいませんでした。

「現実にどの程度の確率で先進国へ移住できるかは別問題だ。困窮する難民にとって、先進国での新しい生活を夢見ることは、目の前の食うや食わずの茨の日々を一瞬でも忘れさせてくれる『麻薬』でもあった」

そう著者は書いています。

インターネットカフェはブジュブラムでいつも繁盛している商売ですが、その大きな理由の一つはSNSを通じて、先進国にいるスポンサー探しができるからです。

ネットで知り合ったノルウェーの男性と結婚し、ノルウェー移住を叶えた35才女性の「シンデレラストーリー」は瞬く間にブジュブラムで広がりました。ネットでのスポンサー探しはブジュブラムで大ブームとなり、どうすればスポンサー探しに成功するかを助言するコンサルタント業まで複数登場します。過去にスポンサー獲得や海外からの金銭支援を勝ち取った「成功実績」をウリにして、「どのSNSが成功率が高いか」「どのようなプロフィールを載せるべきか」「どんな写真を掲載すべきか」「どのような返信をすべきか」などのノウハウを有料で教えてくれるそうです。

著者の近所に住むサミュエルの先進国移住の夢物語が載っています。

サミュエルの父とその弟である叔父は、長年、土地の相続問題をめぐり、激しく対立していました。土地問題がサミュエルの父に有利に終わることを恐れた叔父は、2003年のある夜、反政府軍に紛れて、父を殺します。サミュエルと弟は激しい物音で寝室から自宅を抜け出し、ガーナ行きの船に乗って、なんとか命拾いしていました。サミュエルの叔父は、今も罪に問われることなく、リベリアで生活しています。

そんなサミュエルが、ある早朝、興奮気味に著者の携帯に電話してきます。ネットでのスポンサー探しで、オーストラリア人の50代女性がサミュエルの話に同情して、オーストラリアに迎え入れるかもしれないと言って、当座の生活費用として200ドルを送金してくれたからです。「聴いているのかよ! 送金だけじゃなくて、オーストラリアに移住できるかもしれない! 俺にもようやく運が向いてきたんだよ!」とサミュエルは早朝にもかかわらず、叫んでいました。本によると、50代のオーストラリア女性は真剣であったようで、先進国移住に必要な手続きを全て請け負ってくれました。サミュエル兄弟はガーナのオーストラリア大使館で面接を受けた後、著者に向かって親指を立て、「好感触」と言いました。まさに夢見心地だったのでしょう。しかし、3ヶ月後、審査結果はビザ不許可でした。既にリベリアが内戦状態ではなく、政治的な理由よりも個人的な理由で帰国しづらいことが不許可の理由だろう、と著者は推測しています。はちきれんばかりに期待を膨らませていた当時20才のサミュエルの落胆は当然大きく、しばらくは抜け殻のようでした。

次の記事に難民キャンプの政治活動について書きます。

難民キャンプ内の助け合い

前回の記事の続きです。

「外圧にさらされる集団は、内部での結束力が高まるのが常だ」

「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)からの引用です。

難民キャンプが長期化すると、難民たちは受入国から帰国するように促されます。どの難民キャンプでも、多かれ少なかれ、周辺の現地住民たちとトラブルが生じるからです。

ガーナ内のリベリア難民キャンプのブジュブラムの例です。難民たちがレンガ造りの家の材料にするため、土地を掘り起こしていましたが、それは「土地を傷める」という理由で現地の首長(いわゆる族長)により禁じられていました。その事情を何度説明しても、難民たちは隠れて土地を掘り起こすので、揉め事になったそうです。さらに、前回の記事に書いたように、聖なる土地を難民たちのトイレにされたことで、現地の人たちは実力行使に出て、見つけた場合、男女問わず、袋叩きにしていました。

一方、2006年には、睡眠中の難民を鋭利な刃物で手当たり次第に突き刺す通り魔事件がブジュブラムで起こりました。難民たちはガーナ人の警察に訴えましたが、警察は口約束をしただけで、なにもしなかったので、難民たちは自警団を組織して、2週間後、犯人のガーナ人を捕まえます。しかし、ガーナ人のキャンプ支配人はその犯人を2日間牢屋に勾留しただけで、無罪放免とします。これを知った難民たちは激怒し、一部は暴徒化して、キャンプ支配人の事務所に押し寄せましたが、近隣のガーナ警察署からの警官隊の介入で鎮圧されています。

このようにガーナ政府に歓迎されていないブジュブラムの難民たちは困った時は自分たちでなんとかするしかありません。助け合いの精神が自然と生まれ、同じ難民が助けを求めてきたら、かりに自分の台所事情が苦しくても、本当に持っていない限り断ることはありません。断れば、次に自分が頼む時に断られるからです。

例えば、自身の子どもと友だちの子どもの面倒を見るペニーというシングルマザーと、その隣に住むジョアナの関係です。リベリアには、食事中に客人が来ると、一緒に食べようと食卓に招く習慣があります。ジョアナはその習慣を利用して、週に2,3回は必ず昼食時にペニーの家を訪ねて、ペニーの料理を食べていました。著者はその光景から、てっきりジョアナは貧しいと思っていましたが、ペニーによるとジョアナは金貸しで、相当に裕福だそうです。「呼んでもいないのに、しょっちゅう家に来るのよ。しかも、いつも昼食時を狙って」とペニーが憤慨していたので、「じゃあ、食事をシェアしなければいいのに」と著者が言いました。ペニーは言い辛そうに、「過去にジョアナにお金を用立てしてもらったことがある。いざという時にお金を貸してくれなくなると困るから」と答えたそうです。

他の例もあります。キャンプ内で結婚したものの、夫は4年前にノルウェーに移住してしまった30才のビクトリアです。非公式な結婚のため、2人の間に幼い子どもがいたものの、ビクトリアはノルウェーに移住できないでいました。夫から毎月100ドルの送金を受け取り、夫の幼馴染であるシングルマザーのエリカとエリカの子ども3人と同居し、エリカ一家もビクトリアが面倒を見ていました。エリカはカットフルーツを売り歩いて、わずかばかりの収入を得ていますが、ビクトリアの100ドルの送金収入と比べると、少ないようです。一方で、ビクトリアは娘と2人家族、エリカは子ども3人の4人家族で、エリカの方がどうしても支出は多くなります。著者が血縁関係のない知り合いをなぜ助けるのか聞くと、当初は「だって苦しんでいる人たちを放っておけないわ」と模範解答を返してきましたが、そのうちにビクトリアは次のような本音を語りました。「キャンプ内では送金の受益者が受け取ったお金を独り占めするのは正直難しい。周辺の住民は、みんな海外送金のことを知っているから。すごいプレッシャーがある。以前、エリカから『子どもたちの文房具を買いたいので、お金を貸してほしい』と頼まれたのだけど、その月は苦しいから断ったら、翌日から彼女は私のことを無視するの! それに彼女の子どもたちまで私の子どもを仲間外れにするようになったの。結局、私がお金を用立てる羽目になったわ」

もしエリカが夫の幼馴染ではなければ、このような仕打ちをしたエリカに「出ていけ」とビクトリアは言えたのかもしれません。しかし、エリカ4人家族との同居を指示したのは送金者の夫であったので、それは無理だったのでしょう。

このような助け合い精神、あるいは恵まれた者と恵まれない者の持ちつ持たれつの関係が息づいているブジュブラムですが、そのブジュブラムの助け合いグループに入れない者たちもいます。元兵士たちと売春婦たちのグループです。

元兵士たちは、GAPと呼ばれる地区に住んでいます。ブジュブラム内にGAPは三つあり、国連やガーナ政府が認めた公的機関であるLRWCの管理が全く及ばず、特定のメンバー以外は立入禁止です。著者は知り合いの介入で、なんとか「特定のメンバー」になり、GAPに何度も入ったようです。

他のキャンプ住民はGAPを無法地帯と呼んでいましたが、独自の秩序の存在に著者は気づきます。まず、リーダーには絶対服従です。また、メンバー同士での私闘の厳禁、GAP以外での酒とマリファナの禁止、警察に追われている時のGAP立入禁止の三つの掟があります。最後の掟は、ガーナ警察がGAPに踏み込んできたら、犯人に加えて、その場にいた全員がしょっぴかれるからです。リベリア内戦中にその残虐性で恐れられた元兵士たちも、ガーナでは警察に逆らえないようです。

GAPでは、メンバーの一人が食料品を調達してくると、他の連中と分け合う習慣がありました。マリファナとアルコールはその時点で金を持っている者が買い、その場にいるメンバーで回し飲みが基本です。小銭の貸し借りも頻繁に著者は目撃しました。

売春婦も、日本同様かそれ以上に、難民キャンプ内で厳しい視線が投げかけられているそうです。近隣住民から村八分にされた売春婦たちは、独自の助け合いグループを組織していました。売春婦たちはしばしばガーナの首都のアクラまでバスで2時間かけて出稼ぎに行き、1週間ほど現地に滞在します。その間、キャンプに残った売春婦たちは、他の売春婦たちの子どもの面倒も見る体制を作っていました。アクラに遠征した売春婦たちが帰ってくると、全員の収入を合計して、均等に分配します。次の遠征時は、アクラ遠征組とブジュブラム滞在組が入れ替わる、という仕組みです。他にも、メンバーの一人が病気になった場合には、食事を分け与え、商売の後に客が支払いをしないなどのトラブルが生じた場合、グループでその男の家に押しかけて抗議するなどの結束があります。

ガーナの難民キャンプで、このような経済的な助け合い組織が張り巡らされている事実は、私にとって意外でした。著者は必然のように書いていますが、私はそう考えません。

たとえば、2009~2010年の私の留学中、カナダに日本人同士のコミュニティはあったものの、このような経済的な助け合い組織に私が属したことはありませんし、存在したという話も聞いたことがありません。海外で金がなくなれば、日本人は帰国するだけでしょう。帰国する渡航費がなければ、日本の親戚に頼るはずです。

カナダ人をはじめ、他の西洋先進国の人たちが、ブジュブラムにあるような小規模経済助け合い組織を海外で立ち上げることも、想像できません。海外で経済的に困窮しても、自己責任で済まされるだけでしょう。

そういえば、「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやか著、春秋社)は香港のタンザニア人車ブローカーのルポですが、やはり経済助け合い組織が存在していました。アフリカでは、このような経済助け合い組織が普及しているのでしょうか。もしくは、ある一定の経済レベルに達するまでは、昔の日本がそうだったように、経済助け合い組織が普及しているものなのでしょうか。

少しでも参考になる例を知っている方がいたら、ぜひコメント欄に書いてください。

次の記事に続きます。

難民キャンプの経済事情

「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)は素晴らしい本でした。難民キャンプの経済事情について調査した本です。

左翼のキレイ事に吐気を催す保守派たちへの共感」の記事で書いた生半可な海外ボランティアを経験した一人と、私との20年以上前の対話です。

相手「私が行った難民キャンプの経済支援はいずれ打ち切る予定らしいよ」

私「え? 難民たちは自国に帰れない人たちでしょ。支援がなくなったら、難民たちは全員飢え死にするんじゃないの? 国連も入っている難民キャンプでしょ? 国連が難民たちを見殺しにするわけ?」

相手「いや、全員が飢え死にするわけではないみたい。難民たちもお金を持っていて、地元民から食料を買えるから」

私「お金? どうして難民がお金を持っているの?」

相手「うーん。よく分からない。お金を全く持っていなくて、支援団体からの食料配給だけで生きている人もいるから」

「難民キャンプ内での金銭のやり取りがある」ことはボランティアの誰もが目撃していましたが、「そのお金はどこから来るのか」についてはボランティアの誰もがよく知りませんでした。

だから、私にとって難民キャンプの経済活動は長年の謎でしたが、上記の本で解決しました。

普通に考えたら分かることでしたが、難民キャンプで獲得可能な通貨には、本人が持ってきた母国通貨、海外の親戚などから送金された米ドルなどの国際通貨、難民キャンプの近くで違法で(場合によっては適法で)働いた現地通貨の3種類があります。

このうち持参した母国通貨は、母国のインフレなどで、だいたい一瞬で無価値に等しくなるようです。

海外支援金は、親戚などからの送金、国連などの公的機関からの援助金、海外ボランティアたちからの手渡しによる喜捨、の三つがあるでしょう。

このうち国連などの援助金は、ごくわずかです。なぜなら、難民キャンプは一時避難所で、生きるために最低限の援助でいいからです。だとするなら、食料などの現物給付が妥当で、武器購入に使われるかもしれない金銭援助だと不適当になります。また、難民キャンプ内で経済活動が行われることなど、国連としてはあまり想定していません。

しかし、現実には、ほぼ全ての難民キャンプで、金銭がやりとりされています(経済活動が行われています)。2015年のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、世界にいる2100万人の難民の受入国の平均滞在年数は26年です。人生の長さを考えれば、26年が「一時的」のはずがありません。これほどの長期間、数千人か数万人が一定地域に滞在していれば、経済活動が発生するのは避けられません。

では、難民キャンプの難民たちは一体どんな仕事で金銭を得ているのでしょうか。

世界各地の難民キャンプごとに千差万別でしょうが、上記の本のガーナ国内にあるリベリア人たちの2万人程度の難民キャンプ(2008~2009年頃)、ブジュブラムの例を見てみます。

ブジュブラムで一番多くの難民が従事しているのが「飲料水と果物の小売業」です。西アフリカの焦げ付くような日差しの下では、誰もが水分を渇望するため、需要は多くあります。一方、元手は数十ドルで、簡単に商売を始められるため、売る人は多く、需要の多さを上回る供給過多になっており、乾季になると目抜き通り10mごとに1人の水売りがいます。1パックは10円で儲けは3円程度、1日働いて100パック売り、利益はわずか300円程度だそうです。

(300円! 今ならいざ知らず、2000年頃のインドなら、十分な稼ぎだったはずだ!)

それが私の感想ですが、先に進みます。

他にも、石鹸、ロウソク(よく停電するので必需品)、トイレットペーパー、食料品、古着屋、靴の修理屋、床屋などの露店、洋服の仕立て屋、ネイルサロン、携帯電話をかけるためのプリペイドカードの売店、DVDレンタルショップなどもそろっています。

著者が家賃を払って居候させてもらった家主の仕事は、小・中学生相手の塾講師です。

難民キャンプ内ではUNHCRが設立した小学校や中学校があり、そこの「公立」学校の先生になる人もいます。ただし、小学6年生で約3千円、中学3年生で1万3500円と高額で、対象の子ども全員が通学しているわけではありません。

難民キャンプ内には80のキリスト教会があるので、牧師の仕事もあります。

UNHCRが設立したクリニックもあり、そこの従業員になる難民もいます。

ただし、そのクリニックに歯科はないので、無資格の歯科医をしている人も紹介されています。ボランティアで来たカナダ人の歯医者から歯科医療技術を即席で習い、彼が残した医療器具を使って、ブジュブラムの歯の治療を一手に引き受けているそうです。抜歯する時には、歯に糸をくくりつけ、その糸をクリニックのドアノブに引っ掛けて歯を引き抜くという乱暴な治療法にもかかわらず、他の歯科がないので、客足は絶えません。

インターネットカフェの経営、新品・中古の携帯電話機の販売、レストラン、飲料水を提供するための貯水池の経営は「繁盛しているビジネス」と本にはあります。どれも起業時に相当の元手が必要なものばかりで、こういったビジネスに携わる者のほぼ全員が、親戚からの海外送金を受けている「特権的な」グループだそうです。

本には「海外からの送金―キャンプの命綱」と書かれています。ブジュブラムで裕福な人は、ほぼ例外なく海外送金の受給者です。

ブジュブラムの公式代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)で、その会長と2人の副会長と8人のメンバーは、事実上の公務員です。

非公式な経済活動を行う難民たちから、どうやって税収を得ているかというと、一つは「公衆トイレ使用料」です。なんと、公衆トイレを使用するたびに、3.4円を払わなければならないのです。この使用料は清掃とメンテナンスに使われる規則ですが、その痕跡が全く見当たらず、一部のトイレでは堆積した排泄物が便器からあふれ出しており、強烈な悪臭を放っています。

難民たちは公衆トイレの使用を嫌い、近所に住む複数の家族でグループをつくり、お金を出し合い、自分たち専用のトイレを作っていました。そのメンテナンス費用は、グループで分担すると書いてあるので、トイレ掃除も仕事なのでしょう。

なお、この私設トイレは、グループ専用なので、お金を出していない者は使えません。私設トイレを持たず、公衆トイレも使えないほど貧しい者は、キャンプ近隣にあるガルフと呼ばれる茂みに隠れて、用を足します。しかし、現地のガーナ人にとって、ガルフは神聖な場所のようです。この場でウンチをさせないよう、定期的にパトロールを行っています。本には、ガルフで用を足している最中にガーナ人たちから暴行を受け、泥だらけで服が大きく割け、唇は切れ、目の下が腫れあがって青タンになっている14才の難民が出てきます。日本だったら、どんな理由であれ暴行罪になるでしょうが、この少年は警察に訴えることすらしていません。かりに難民キャンプに一人しかいないガーナ警察官に伝えても、犯人を逮捕することなどなく、「おまえの方こそ野グソをした罪で逮捕するぞ」と脅されるからでしょう。

本には、ブジュブラムに数十名以上の売春婦がいることも書いています。さらに、定職につかず、2名の海外送金受給者の女性に対して1日交代で相手をして、送金のおこぼれをもらう「ヒモ」の男性も1名紹介されています。

ブジュブラムでは、このような手段で難民たちは生計を立てていました。

難民キャンプ内の経済活動も大変興味深かったのですが、難民キャンプ内の助け合い(reciprocity)の話も大変興味深かったので、それについて次の記事で書きます。

教育の効率を高める改革

「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)で、元三重大学学長でもある著者が再三主張していることは「国立大学の選択と集中は間違っている」です。

著者は三重大学学長の在職中に、この政策が発表された時、わざわざ緊急記者会見まで開いて批判しました。なぜなら、日本は欧米諸国や韓国と比べても、論文数が東大や京大などに一部大学に偏っており、それ以外の大学になると論文数が極端に少なく、既に「選択と集中」は行われているからです。この論文数の低下は研究力の低下、イノベーション力の低下に直結しており、イノベーション力の低下は経済の低下に直結しています。だから、大学の選択と集中は、国民全体にとって悪影響なので、やめるべきだ、という理屈です。

いくつものデータを根拠に「中位や下位の裾野があるからこそ、上位も伸びる」「研究者の配属先がなくなる」などの主張をしています。

結論から言えば、この主張に私は反対で、著者が何度も名指しで批判している冨山和彦の意見に賛同します。

冨山和彦は2014年の文科省有識者会議で、世界で通用する人材を育成する「G(グローバル)型大学」と、生産性向上に向けた働き手を育てる「L(ローカル)型大学」の二分化すべきと主張しました。

少子化のため、日本の大学はどんな学力の人でもほぼ入れるようになっています。よく言われるように、分数の計算ができない大学生に会うことも珍しくありません。こんな大学生に世界最先端の研究結果を理解できるわけがありませんし、時間と労力をかけて理解させるべきでもありません。それより、社会に出てから役に立つ勉強、実習をさせるべきです。

学力低下は錯覚である」(神永正博著、森北出版)によれば、どの時代でも、高校の内容を習得している者は30%程度で、それには及ばないが中学校の内容は習得している者が40%程度、中学校の内容すら習得していない者が30%程度います。私の実感としても、それくらいだと推測します。

この統計に従っていえば、それこそ30%くらいの生徒は中学から、40%くらいの生徒は高校から、職業に直結する授業や実習を受けさせていいと考えます。

大学進学率は全体の20%(現在は60%)くらいでいいでしょう。残りの10%は高校卒業後に職業に直結する各種専門学校で授業や実習を受けさせます。

修士まで進学するのは全体の10%(現在は7%)くらい、博士課程まで進学するのは3%(現在は1%)くらいで十分だと考えます。

こうなると、大学は当然、淘汰もしくは統合されるべきです。大学院は現在より拡張するものの、大学は国公立・私立問わず減らします。つまり、「大学の選択と集中」を進めます。

ここまで減らすと、大卒の価値は増します。

前回、日本は中小企業の研究費が国際的に低いので、中小企業の研究費を上げることが、GDPの増加につながると書きました。この中小企業の研究力を高めるため、どんな中小企業であっても、博士(または修士)の学位を持つ者を一定割合で研究職として役員採用しなければならない、というルールがあってもいいと考えます。もちろん、中小企業から大きな抵抗はあるでしょうが、別の観点からすれば、役職に見合う仕事のできる博士を生み出す社会的圧力になります。

なお、上記の職業に直結する授業や実習を行う学校(職業訓練校)は、英語、数学、国語、理科、社会などの科目を復習する授業も選択できるようにすべきと考えます。これらの科目の学習で、どのような職業に就くにしろ、社会人として有益となる基礎学力を養えるからです。

極端な話をすれば、どんな職業であれ訓練は必要なので、職業訓練校を卒業しないと、それぞれの職業になれない制度に変更してもいいかもしれません。

以上のような改革をすれば、「分数の足し算も分からない生徒に連立方程式の解き方を教える」「将来の職業にも関係ないし、自分も興味ない三角関数の勉強をする」など、非効率な教育は排除されていくはずです。

一人あたりGDPを上げるために研究者人件費の公費支出を増やすべきである

「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)は統計を元に、いくつもの相関関係を調べています。まず、論文数と一人あたりのGDPは正の相関、論文数と労働生産性は正の相関があることを示しています。

また、論文数は単純に大学研究者数(実際には総研究時間であるFTE)と正の相関があります。

だから、研究者数を増やせば論文数が増えて、論文数を増やせばGDPも増え、みんなが豊かになると主張しています。

では、どうやって研究者数を増やせばいいかについてですが、単純に研究者の人件費を増やせばいい、という結論を出しています。なぜなら、日本の研究者人件費は、先進国で最低レベルだからです。

具体的には、6000億円の研究者人件費を毎年公費負担することを提案しています。年収500万円なら、12万人も研究者を新たに雇用できます。実際は社会保障費などで追加負担もあるので、その半分程度になるかもしれませんが、それでも6万人です。

こちらによると、大学の研究者数は2021年のFTEで13.6万人なので1.44倍~1.88倍になる計算です。

毎年100兆に及ぶ予算をかけている日本で、6000億円くらいの研究予算の追加は十分考慮に値するでしょう。

本では、博士課程修了者と論文数の正の相関も示されているので、博士課程への予算も支出しましょう。それこそ授業料免除にして、月15万円程度の給与を与えたらどうでしょうか。2つ合わせても、年400万円程度のはずです。現在、日本の博士課程は7.5万人しかいないので、年3000億円です。もちろん、こんな好条件にしたら、博士課程に進学する者が一気に倍増するかもしれませんが、それでも6000億円です。博士課程修了者数とGDPに正の相関があることを考えれば、考慮には値するでしょう。

これは極端にしても、価値ある研究をしている博士課程の院生たち4万人くらいの授業料免除、うち1万人くらいの月15万円の給与、合計1000億円くらいの財政支援はすべきと考えます。日本全体としても、その支援額に見合うリターンはあるでしょう。

さらに、政府支出研究費は(政府歳出全体よりも)7年後の一人あたりのGDPと正の相関があると示しています。つまり、公的研究費支出は(他の公的支出よりも)将来のGDP成長に繋がっている可能性があると数学的には言えます。

本には、イノベーションGDPと正の相関関係があると示されており、大企業の研究開発費は一流だが、中小企業と大学の研究開発費は三流とも書かれています。特に日本の製造業において、国際比較で大企業は強いが、中小企業が弱いので、これもその通りだと考えてしまいます。

日本人全体が豊かになるため、研究、開発、改革、改善に中小企業と大学はもっと予算をかけるべきとの提案は傾聴に値するでしょう。

次の記事で、この本についての批判も書いておきます。

イギリス製大学ランキングは信頼できないが、日本の大学レベルの低下は間違いない

このブログの閲覧数で上位に入る記事で、「他に読んでもらいたい記事がいくらでもあるのに」と私が思うものがいくつかあります。

恋愛における女性優位の証拠」「LGBTはよくてロリコンはダメな理由が分からない」「人類史上最悪の殺人犯は毛沢東である」などです。端的に言ってしまえば、ネトウヨが喜ぶような記事はやはり閲覧数が多いです。「フェイクニュースの対処法」に書いたように、世界中どこでも保守的な記事ほど閲覧数が多くなるようです。※

それと関連するのでしょうが、「あてにならない世界大学ランキング」も私の予想を越えて、閲覧数が多い記事になっています。「THE(Times Higher Education)などの大学ランキングはイギリスの陰謀だ。日本の大学順位が下がったと悲観していたら、中国人と同じ失敗をしてしまう」と読者に伝わっているのかもしれません。だとしたら、私の意図とはかなり違います。

THEなどの大学ランキングが信頼性に乏しいことはその記事に書いた通りなのですが、世界の中で日本の大学レベルが下がっているのは厳然とした事実です。「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)という500ページを越える本を読んでもらえれば、日本の大学の国際的な地位の低下は明らかです。

この本でも、THEだと京大教員数の1年間での37パーセントの減少、エントリー大学数増加による点数への影響を指摘し、その信頼性への強い疑問が示されています。ただし、THEの曖昧な「評判」という指標のないARWU(世界大学学術ランキング)やCWUR(世界大学ランキングセンター)でも、日本の大学順位は大幅に下がっています。

なぜなら、どの大学ランキングでも、大きい影響力を持つ被引用インパクト(CNCI)のランキングで、なんと日本は2014年から2016年で78位です。質ではなく、量で勝負といきたいところですが、2014年から2016年で人口あたりの論文数でも、GDPあたりの論文数でも世界40位程度で、台湾、韓国、香港、シンガポールにダブルスコアくらいの差をつけられて、負けています。

もっとも、国際比較して日本の研究レベルが低下していることは、研究者なら誰でも知っています。もし知らなかったら、その人はまともな研究者ではないと断定できます。

上記の本では、大学レベルや研究レベルの低下により、日本の経済発展も低下しているとデータ分析しています。しかし、その逆もあるでしょう。日本の経済が低迷しているから、大学レベルや研究レベルも低迷している、という関係です。

だいたい、大学レベルや研究レベルに限らず、この30年間で、世界の中で日本の順位が低下していないものがあるでしょうか。順位が上がったとしたら、高齢者率くらいでしょう。高齢者率で世界のトップランナーの日本があらゆる面で斜陽国家なのは、日本人なら誰でも知っています。

「だから、日本の大学レベルの低下も止むを得ない」という結論になりがちですが、それは間違いだ、と上記の本を読めば分かります。

実は単純に人件費を増やすだけで、大学レベルと研究力をつけられることが示されています。

次の記事に続きます。

 

※一方で、「ネットは社会を分断しないが、ネットの議論は分断しがちな理由」という科学的根拠があることも知っています。

京アニ放火事件の死者数はなぜ明治以後最悪になったのか

タイトルの答えは簡単で、放火だったからです。

私の小学校の先生がこんな話をしていた記憶があります。

地震も、火災さえ起きなければ、そう怖くはない」※

日本史上最大の死者数を出したのは1923年の関東大震災で、約10万人です。死因の9割は津波や建物崩壊ではなく、火災です。関東大震災より40倍もエネルギーの大きい2011年の東日本大震災は、約2万しか死者が出ていません。死因の9割は津波で、火災による死者は1%程度です。単純な比較はできませんが、関東大震災の教訓から、地震による火災予防がされていたため、関東大震災の5分の1の死者数で済んだ側面はあったはずです。

被災者数では関東大震災に匹敵すると思われる1995年の阪神淡路大震災の死者数は約6千人です。関東大震災より桁外れに低く済んだ原因は、火災が小規模に抑えられたことも大きいでしょう。

火災犯罪だと死者数が多くなるのは、36名殺人の京アニ放火事件に限りません。戦後最悪の火災死者数118人を出した1972年の千日デパート火災の原因は、電気工事関係者のタバコの不始末だったとの説が最有力です。刑事裁判では「原因不明」として不起訴になりましたが、もし起訴されていたら、当事者は京アニ放火事件の3倍もの死者を出した凶悪犯人として、間違いなく死刑になっていたでしょう。

他にも、2001年の歌舞伎町雑居ビル火災は44人が死亡し、犯人は特定できませんでしたが、放火説が最有力です。また、2021年の大阪精神科クリニック放火事件は犯人を含む死者数が27で、京アニ放火事件に次いで戦後2番目に死者数の多い犯罪となりました。

相模原障害者施設殺傷事件の原因は謎のまま終わるのか」の記事で、「19人と数において戦後最悪の殺人事件」と私は書いていますが、これは間違いです。書いている途中で、京アニ放火事件の死者数が多いことに私は気づきましたが、放火事件は「死者数が極端に多くなる」特殊な例であるとして、無視することにしました。なお、相模原障害者施設殺傷事件以前に、日本で死者数が最も多い刑事事件は、2008年に16人の死者を出した大阪個室ビデオ店放火事件で、やはり放火になります。

「最も重い罪は、放火罪だ。殺人より重い。放火は無差別に人を殺すから、絶対にしてはいけない」

これも私の小学校の先生の言葉です。実際のところ、日本の刑法で最も重い罪は外患誘致罪なので、間違いでした。ただし、放火が多数の命を簡単に奪いやすいことは事実です。「放火は無差別に人を殺すから、絶対にしてはいけない」は間違いではなかったと思います。

さらに書きます。言うまでもありませんが、火災とは比較にならないほどの大量殺人になる事件は戦争です。通常、戦争は犯罪になりませんが、普遍的価値観からすれば、人による最も恐ろしい犯罪です。また、火災と同等かそれ以上に殺人者数が多くなるのが、貰い子殺人事件です。1948年に発覚した寿産院事件は、警察調査で死者84人(起訴されたのは27名)と、京アニ放火事件の2倍以上です。1913年の愛知貰い子殺人事件では、200~300人もの幼児が殺害されています。貰い子殺人事件も、比較対象外としていました。

 

※日本の歴史上で3番目に死者数が多い地震は、1896年の明治三陸地震で、東日本大震災同様に約2万人と見積もられ、死因のほとんどは津波と推定されています。これからすれば「地震も、火災さえ起きなければ、そう怖くはない」は津波を無視しているので、間違っているとは思います。

「大地震連鎖と富士山大噴火」と「国債デフォルト」よりも被害が明らかに大きくなる日本のリスク

前回の記事の続きです。

「大地震の連鎖と富士山大噴火」と「国債デフォルト」の被害規模の比較は難しいですが、それ以上に悲惨な状況になる危機を今現在の日本が抱えていることを知っているでしょうか。この問いに日本人の多くが即答できないのなら、それは日本の教育やマスコミの失敗ではないでしょうか。

もちろん、答えは原子力発電所の壊滅的メルトダウンです。

東日本大震災の「最悪のシナリオ」は次のようなものでした。福島第一原発で「全職員が避難する」(「『東京電力全面撤退は誤報である』は誤報である」に書いたようにこれは誤解があります)ほどの状況になれば、当然なら福島第二原発の職員も避難せざるを得ないので、福島にある10基もの原発には何万年も人類が近づけなくなります。東京都心部を含む半径250㎞では防護服を着ないといけないので、事実上、まともな生活はできません。福島原発からそう遠くない、茨城県の東海、東海第二の2基の原発宮城県の女川の3基の原発、さらには新潟県柏崎刈羽の7基の原発も放棄することになるでしょう。柏崎刈羽の7基の原発放棄は、滋賀県の2基の原発放棄にもつながり、福井県若狭湾に集中する13器の原発も放棄することになります。そうなると、常識的に考えて、静岡県にある浜岡の5基の原発も放棄せざるを得ません。つまり、東北地方のほとんど、関東地方、関西地方、近畿地方が全滅し、1万年以上、人が住めなくなります。さらに悪い想定、たとえば日本全ての原発メルトダウンすれば、北海道の一部と沖縄くらいしか、日本人の移住区域は残されません。

繰り返しますが、北海道と西日本だけで日本人が生きていく可能性は、2011年の福島原発事故当時、吉田所長を含めた現場職員首脳部、菅直人首相も含めた日本政府首脳部が本気で心配していた事態です。かつ、今でも福島原発事故で「そうなる可能性があった」「なぜそうならなかったのか不明」と言われる事態です。

もちろん、メルトダウンが起こる原因は、大地震以外でもありえます。軍事的には、北朝鮮のミサイルが一番ありえるでしょうか。また、中国とアメリカの核戦争が起きれば、普通に考えて中国は日本の原発を核ミサイルで狙うので、すぐに日本が滅亡するに違いありません。誰だって、日本を本気で潰すつもりなら、日本の原発を狙います。

このように、日本中の原発は、大地震群発と富士山大噴火、国債デフォルトをしのぐ、文句なしの日本にとって最大最悪のリスク因子です。

原発を考慮に入れた時点で、日本の安全保障問題を考えるのがバカらしくなるくらい、原発は日本の究極のリスク因子です。「日本の安全保障を議論したいなら、日本の原発を全て廃炉にしてからにしましょう」という意見を誰も言わないことは、私にとって長年の日本の謎の一つです。

なぜ今日起きてもおかしくない国債デフォルトが起きた時の準備をしないのか

2023年12月15日の朝日新聞の記事の抜粋です。

「国会が開いているにもかかわらず、国会審議がいらない予備費で経費をまかなう事例が相次いでいる。政府が2020~21年度に使い道を決めたコロナ予備費約14兆円のうち4割超が国会開会中の決定だった。政府は緊急性を強調するが、決定から1カ月以上も使われなかったものが3分の2を占める。予備費ではなく、審議が必要な補正予算で対応できたとみられ、国会軽視との批判は免れない」

財政が緩みっ放しの日本も、国会で審議されない予算が数兆円も現れており、末期症状が出てきた気がします。とはいえ、日本の財政危機は「末期症状を呈している」「待ったなしだ」「危険水域を越えた」「今日国債デフォルトが起きてもおかしくない」といった切羽詰まった表現を、バブル崩壊から35年間も聞き続けています。私も含めて、ほとんどの日本人はとっくの昔に慣れてしまっているはずです。

前回までの一連の記事にからめていえば、日本の国債デフォルトの警告は、大地震警告と似ているところがあります。「今日、東京に大地震が起きてもおかしくない」ことは誰でも知っていますが、現実に大地震のために東京を今日逃げ出している人はいないように、「今日、国債デフォルトが起きてもおかしくない」ことは誰でも知っていますが、現実に国債デフォルトのために日本円を今日全く持っていない人はいないはずです。

ただし、両者の重要な違いは、大地震が起きた時にどうすべきかについて行政やマスコミで何回も議論され、莫大な予算もかけて準備されているのですが、国債デフォルトが起きた時にどうすべきかについて行政やマスコミで全く議論されておらず、当然、準備も全くされていない点です。

こうなると、国債デフォルトが大地震よりも日本にとって被害が大きくなると断言したくなりますが、必ずしもそうとも言い切れないと考えます。2001年のアルゼンチン、2015年のギリシアなど、国債デフォルトに陥った国は世界史上、何例もありますが、なんだかんだ、そこまでのパニックは生じておらず、だましだまし、経済を回しているからです。

一方、首都直下型地震は、東海地震東南海地震、南海地震を誘発する可能性があり、さらには富士山の大噴火も誘発する可能性があると地震学者たちは大真面目に予測しています。三大都市圏を直撃するような大地震が連鎖し、富士山まで大噴火すると、この世の終わりのようですが、科学的に十分ありえることは教養ある日本人は全員知っています。

「大地震の連鎖と富士山大噴火」と「国債デフォルト」の被害規模の比較は難しいでしょう。

それにしても、「ここまで増えた国債はどうやっても返せるわけがない。だから、国債デフォルトは必ず起こる」「今日、国債デフォルトが起こってもおかしくない」「国債デフォルトが起こったら日本中がパニックになる」ことを日本人の誰もが知っていながら、国債デフォルトが起きた時の準備を国家としてすべき(個人資産の海外持ち出し禁止など)、と提言する日本人はなぜ(私以外に)一人もいないのでしょうか。私にとって、長年の日本の謎の一つです。

なお、日本の国債デフォルト発生前にすべき準備として、私は「日本が国債デフォルトする前に金銭取引を完全公開しておくべき理由」に書いています。

日本の危機に関して言えば、私にとって、長年の日本の謎が他にもあるので、次の記事に書きます。

東日本大震災は誰も予知していなかったのか

2008年の世界金融危機の時、多くの人はこう考えました。

デリバティブなどの訳の分からない金融商品がのさばっていたから、巨大な経済バブルが発生した」

私も、ほぼ同意見です。サブプライムローンという住宅の借金を債権に変えるなど、誰でもおかしいとすぐ分かるのですが、あまりに複雑(≒デリバティブ)にされて、本質が隠されていたのです。

ウォール街の物理学者」(ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール著、早川書房)という本があります。単純にいえば、この本は2008年の世界金融危機の時に複雑化されすぎたデリバティブを生んだ数学者や物理学者批判に対して、100年以上の歴史を振り返り、数学者や物理学者がいかに金融業界に貢献してきたかを示しています。

この本の中で最も興味深かったのは第7章です。株価の暴落、雪崩、てんかん発作、労働者のストライキ地震、銀行の取り付け騒ぎ、政治革命など、多くの臨界現象には共通点があります。全て負荷がかかりつづけた結果として起こりますが、正確にいつ起きるかは誰にも分かりません。上記の中で、雪崩は比較的予測しやすいでしょうが、労働者のストライキは、個別の条件が違いすぎるので、予測は極めて難しいでしょう。それらに共通点もありますが、相違点もあるので、共通の数学で考えるのはどこかに無理があるはずですが、その臨界現象の理論を確立したディディエ・ソネットという物理学者は、1997年のアジア通貨危機を正確に予測し、株の空売りで儲けたそうです。

他にも、2008年の金融危機も正確に予測していた物理学者も紹介されています。つまり、「世の中の多くの数学が金融危機を予測できなかったのは事実だが、数学を駆使して金融危機を正確に予測していた物理学者もいる。だから、数学が悪いわけではない」と言いたいのでしょう。

興味深いのは、上記のソネットが1997年に空売りする前にこう考えていたことです。

「今、アジア通貨危機が起こると言っても誰も信用してくれないだろう。世の中で使われている分析手法では、どこにもおかしな動きはないからだ。しかし、発生後に言っても、やはり誰も信じてくれないだろう。何千人もの学者や投資家が危機を予測していたと言い張るからだ」

そのため、ソネットは株を空売りしただけでなく、アジア通貨危機が起こる予測を(なぜか)特許庁に送って、証拠としたそうです。

これを読んで思ったのは、「地震学をつくった男・大森房吉」(上山明博著、青土社)で、「日本地震学会は東日本大震災を全く予知できなかった」と断定されていることです。本当でしょうか。株価の暴落と同様、東日本大震災が2011年に起こることを予知していた地震学者も少しはいたのではないでしょうか。もし予知していた学者を知っていたら、下のコメント欄に証拠とともに書いてもらえると嬉しいです。

ところで、日本には大地震同様に、近いうちに必ず起こる災害として、国債デフォルトがあります。大地震国債デフォルトには共通点もありますが、重要な相違点もあります。それについて、次の記事で論じます。

地震予測は役に立たない

地震学をつくった男・大森房吉」(上山明博著、青土社)によると、「かつて国民の多くから敬愛され、世界の人びとから『地震学の父』と称揚され、1916年には日本人初のノーベル賞候補となった大森は、1923年の関東大震災を予知できなかったため、『無能な地震学者』と罵られ、その責任と非難を一身に背負ったまま震災から2か月後に急逝した」そうです。

私の知識でも、この文に間違いを指摘できます。wikipediaの「日本人のノーベル賞受賞者」にあるように、1901年の第1回から北里柴三郎野口英世などがノーベル賞候補になっているはずです。本では「大森は世界に誇るべき偉大な地震学者なのか、それとも関東大震災を予知できなかった無能な地震学者だったのか」と両極端な二者択一になっていますが、普通に考えて、その2つの事実を持つ人物との評価が妥当でしょう。それまで音速程度と漠然と考えられていた地震波(P波とS派)の伝達速度を統計的に求めて、初期微動継続時間の長さから震源地までの距離を推測する大森公式は、日本の中学理科の教科書に必ず載っている金字塔です。

生存中の大森は日本だけでなく世界の地震学を牽引していました。1906年4月にサンフランシスコで大地震が起きた後、余震が続き、さらなる大地震の前触れではないかと恐れる地元の人々に対して、「今後2,30年間は激震が起こることはない。今度の震災はペルーおよびチリにあると予想される」と現地調査していた大森が発言しました。地元紙にはその大森発言が大森の写真付きで、大きく報道され、地元民の心の安定に寄与しています。さらに同年8月17日、チリ沖でマグニチュード8.6の大地震が起きて、世界中の人たちが大森の予想が当たったことに度肝を抜かれます。

今では考えられないことですが、当時、地震報道は、大森のいる東大の地震学研究所がマスコミ発表≒公式発表していました。現在のように気象庁(当時は中央気象台)が地震のマスコミ発表するようになったのは、大森の部下にしてライバルの今村が教授を退官した1931年からです。

この今村明恒は、大森の人生の話になると、必ずセットで出てくる人物です。以下、上記の本を読む前に私が把握していた大森と今村のライバル関係について、簡単に記します。

1915年、今のwikipediaにも載っていないマグニチュード6.0の地震が関東で起こり、その後も余震が続き、大地震の前触れではないか、という噂が東京中に沸き起こります。それに対して東大地震助教授の今村が「関東にはいつ大地震がきてもおかしくない。通常は万に一つだが、今回の地震群を考慮すれば、100に一つくらいには注意すべき」と新聞で発表し、教授の大森の逆鱗に触れます。大森は今回の地震群が大地震の前震ではないと断言し、市中の人たちに無用な心配を煽った、と今村を強く叱責したそうです。大森の予想通り、1915年に大地震は起きず、今村は研究室内でも世間からも「大ぼら吹き」の誹りを受けます。今村はいずれ関東に大地震が起きると確信していたので、「自分が死んだ後に関東に大地震があったら、自分の墓標に『関東に大地震あり』と刻んでくれ」との遺言を残していたほどです。しかし、その遺言は実行されませんでした。今村が生きている1923年に、今村の予言通りに関東大震災が発生したからです。

今後数十年間は関東に大地震が起きないと確信していた大森は、関東大震災発生時、オーストラリアの学会に出席していました。東京で大地震が発生したと知り、大慌てで日本に戻り、「今度の震災につき自分は重大な責任を感じている。叱責されても仕方ない」と今村に語り、失意と悔悟のうちに2か月後に亡くなります。大森の後、「関東大震災を予知した天才」である今村が当然のように地震学の教授に就任します。

このような私の知識は、本を読んで、単純すぎることを知りました。1915年の今村の発言も、生涯を通じた大森の発言も、科学的には間違っていません。今村の新聞での発言も、上記の物語では今村に反論した大森の新聞での発言も、関東で大地震がいずれ起こると認め、そのための準備が必要と当たり前のことを述べている点で一致しています。両者が論争していたとは、新聞を読むだけではまず分かりません。おそらく、当時の東京の大衆も、東大地震学の教授と助教授が論争しているとは知らなかったはずです。1915年に大地震が起こらなかったので、地震学会という小さい世界では、今村が大ぼら吹きと批判されたでしょうが、一般大衆は今村の予想がはずれたとは考えなかったはずです。今村は100に1で大地震が起こると言っているので、100に99の大地震なしの方になったのなら、むしろ当たっているからです。さらに、大森が関東大震災を予知できなかったとの通説も間違っている、と上記の本は強調しています。大森は関東大震災の直前に、発生時期はともかく、関東での大地震を予想していた証拠を、その証拠を見つけた経緯と労力まで示して、詳述しています。実際に読めば明らかなのですが、この本は「大森は関東大震災を予想していた」「大森は無能でない」ことを証明するためだけに書かれたようなものです。

また、大森も今村も大地震が発生する正確な年月日までは予知できない、という点でも一致していました。

関東大震災の正確な発生日まで予知できなかったのは当然でしょう。現在の科学でさえ、予知できていません。

大森時代を含めて、世界で初めての地震学会設立以来、日本は地震学を先導してきました。地震の前兆現象をとらえるために全地球衛生測位システム(GNSS)や地殻岩石歪計(strainmeter)など、さまざまな計測機器を日本列島全域に設置して、世界に他に例のないほどの地震観測システムの構築を行っています。

国土地理院によるGEONET防災科学技術研究所によるHi-net、総理府地震調査研究推進本部によるKik-netなど、さまざまな機関で毎年およそ100億円を上回る予算が割かれ、2011年までに3千億円以上の巨費を投じています。全ては地震予知と防災対策のためです。

しかし、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0の東日本大震災を、日本の地震学者たちは予知できませんでした。地震学者が想定していた前兆すべりなどのプレート境界面で起こる顕著な前兆現象を、上記の世界最高の観測網がなに一つとらえられなかったからです。

本によると、2012年9月25日のイタリアの裁判が、日本の地震学者たちに大震災に匹敵するほどの衝撃を与えています。2009年に起きたイタリアの群発地震が起きている際、十分な検討をすることもなく、必要な警報を出すことを怠ったために309人が死亡し、6万人以上もの被災者を出した罪で、イタリア地震委員会の7人全員に禁固6年の有罪判決が下ったのです(二審で、証拠不十分として6人に無罪、1人に執行猶予つき禁固2年の有罪判決となる)。

その判決から1か月もしない2012年10月17日、日本地震学会会長は「地震予知は困難」と公式に発表します。「地震予知を行うことを前提に永年にわたって潤沢な研究予算を得てきた当の地震学者が、地震予知の可能性をみずから否定することは、科学者としての責任を放棄し、国民の期待を裏切ることに他ならない」と本は書いています。

地震学会はその後、「地震予知決定論的予知)」という言葉は使わず、「地震予測(確率論的予測)」のみ使っているそうです。

私も、その地震学会の見解に同意します。地震が正確にいつ起こるかは予想が極めて難しい(不可能とまでは断定しません)が、確率的には予想できるのでしょう。つまり、大森と今村の地震論争の時代と、そう変わっていません。

確率的な地震予測くらいなら、莫大な予算を使わなくても、難しい学問を習得しなくても、簡単にできます。地震が頻発する日本で、大地震が発生する確率が高いのは、プレートテクトニクス学説のない大森・今村時代から、日本人なら誰でも分かっていました。学者たちが考えに考え抜いて、30年以内に90%の確率で大地震が起きると言っても、あまりに期間が長いので、実生活ではほとんど役に立ちません。有用であるためには、せめて1年以内にすべきです。しかし、東日本大震災ほどの大地震すら、日本地震学会は1日前にも予知できませんでした。もちろん、2024年の能登半島地震も、1日前に予知できていません。

それが現在の科学の限界だ、と多くの日本人は知るべきだと考えます。

本には、日本地震学会が2009年に編纂した「地震学の今を問う」にある大木聖子東大地震学研究所の1049人の無作為のインターネット調査を載せています。「あなたが地震研究にもっとも期待することはなんですか」の答えの1位は52.2%「地震予知」で、2位20.8%の「住んでいる地域の被害予想」に大差をつけています。

こんな結果が出る時点で、地震学会の失敗だと考えます。「地震予知は困難」と地震学会が発表したのは、イタリアの有罪判決に影響を受けたにせよ、妥当だったと私は考えます。「地震予知は困難」と一般の周知させることは、地震学会の重要な使命の一つだと考えます。さらにいえば、「現代の科学では、地震予測はほとんど役に立たない。地震予測のための莫大な予算も不要だ」も地震学会が周知させるべきと考えます。

最後に、日本地震学会が「地震予知が困難」と発表する前の民間企業のテレビCMを貼っておきます。

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東日本大震災は誰も予知していなかったのか」に続きます。

日本で大地震が起こった時に最も心配すべきこと

正月の能登半島地震の報道で、ある弁護士が震災被害の証拠を示すための写真や動画を撮るべきことを言った後、最も被災者に伝えたい内容として、こう述べました。

地震に対する経済的支援は十二分に出ます。日本には災害を救済するための支援制度が数えきれないほどあります。だから、身体と心の健康面を最優先してください」

「ネットや電話連絡がつかない人が多く、安否不明者が多い」との地元だけでいい報道をわざわざ全国に流すことが多い現在、これは将来を見据えた本質を突いた意見だと考えます。

身体はともかく、心の健康面は社会性を含むので、広い意味を持ちます。災害被害に注目しすぎること、被災地復興にこだわりすぎて他地域で生きる手段を考えなくなること、災害で被害者意識を持ちすぎること、その後の生き方について視野を狭くすることなども含むのなら、私も心の健康面を最優先することに賛成です。

私は2つの大学を卒業しています。2つ目の大学の同級生に、私と同様の30代の人が何名かいました。そのうちの一人が福島県出身で、「東日本大震災補助金で大学に通えているので、Aさん(私のこと)のように奨学金借りなくていいんですよね」と言って、驚きました。「震災の被害はどれくらいだったのか」「今は福島に住んでいないのに、なぜもらえるのか」「いくらもらえるのか」「いつまでもらえるのか」などの質問をしようとしましたが、あまりに失礼な質問であり、向こうも明らかに答えたがらなかったので、詳しいことはなにも分かりませんでした。

2011年の東日本大震災は、2万人以上の死者が出て、被害額で日本史上最悪だったと内閣府が発表しています。それほどの大震災でも、「そこまでもらっていいのか」と受け取る側が思うほどに補助金が出たことは、私の経験した上記の一例以外でも、知っています。もちろん、補助金が不十分だったと憤慨している人が多くいることも知っています。

2024年の能登半島地震の被災者総数は、東日本大震災と比べて、桁外れに小さいです。この程度の被害者数であれば、上記の弁護士が言うように「経済的支援が十二分に出る」のは間違いありません。そのことを多くの国民が知るべきで、「能登半島地震被害よりもお金を回すべき問題が日本に山積している」こともマスコミは報道すべきです。

こんなことを私が書きたくなったのは、1月4日と5日の私の仕事経験からです。私は病院に勤務する医療従事者なのですが、外来患者は誰も、能登半島地震の話題など触れませんでした。自分のことで精一杯だからでしょう。唯一の例外が、患者として外来通院している60代の医師でした。

地震の報道を観ると、私の病気のことなど小さい問題だと思えてきますね」

地震の報道を観ると、この程度で日本中が同情してくれるのなら、私の住む地域に地震が起きてほしいと思えてきますね)と返す度胸は私にありませんでした。

地震については、次の「地震予測は役に立たない」でさらに考察します。