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土浦連続殺傷事件犯人家族は典型的な日本人

事件当時の金川一家です。

外務省勤務の父(59才)

パート勤務の母(48才)

無職の真大(24才)

派遣会社員の上の妹(22才)

大学生の下の妹(20才)

無職の弟(17才)

上の妹は声優を目指して養成学校にも通っていました。真大の最初の殺人標的はこの22才の妹でした。中学の時、妹が不登校になり、家の中でふてくされている感じで、見ていてイライラするからです。事件当日と前日、金川が起きた時に上の妹がたまたま出かけていたというだけの理由で、この上の妹は殺されませんでした。

この上の妹は明らかな変人で、母の前で声を出すことはなく、筆談をしていました。上の妹は「両親の年齢も分からないし、事件が起きて初めて兄の年齢を24才と知った。家族では、特に母が嫌い。一生、自分の声を聞かせたくないから、母とは筆談で会話している」と証言しています。そこまで母を嫌いになった理由は「母としての義務を怠ったから」というが、詳しい理由は明かしていないそうです。初めて母と筆談したときも、両親は「なぜ筆談するのか」とも聞かなかったそうです。ここで叱らないどころか、理由も聞かなかったというのですから、両親も明らかな変人です。上の妹は紙に「ちげーよ」と書いて、母に投げつけたこともあったそうです。私の子どもがそんなことをしたら、子どもが私から猛省を求められることは間違いありません。

上の妹は「兄とは同居しているが、年に数回しか話さない。小学生の頃、『まーちゃん』と呼んだら、『まーちゃんなんて呼ぶな』と怒られて、拒絶された気持ちになり、それから積極的に話すことができなくなった」そうです。金川の事件を知った上の妹は「相手の方が民事裁判を起こしたら力になりたい。兄には『クソ野郎』『何やってんだ、ボケ』と思う。兄を心配する気持ちはない。苦しみを感じることなく死ぬことは許されない」と語っています。

下の妹は「兄弟と会いたくない」という理由で、大学進学後は一度も実家に帰っていません。「兄については好きでも嫌いでもない。つらいことがあっても乗り越えられないのは弱い人。大学も行かず、就職もしない、甘えた人は好きになれない」と語っています。下の妹は兄よりも姉と弟が嫌いだったようです。「姉との関係に亀裂が入ったのは、風呂の順番でもめてから。いつもは自分が姉より先に入っていたが、テレビ番組を中断するのが嫌で、姉から『入らねーのかよ』と聞かれたので、うなずいた。それから、だんだん話をしたくなくなった。弟も私が居間で受験勉強していると、すぐ近くでゲームをしたりして、うるさくて、無神経で大嫌い」と言っています。

不登校となり、アルバイトをしていた弟はエレキギターが好きで、音楽関係の仕事に就きたいと考えていました。弟は月に数回、金川と対戦ゲームをしていましが、「特に仲が悪くもないし、よくもない」と言っています。兄が悪いことをやって許せない、というより、事件を起こした驚きの方が大きかったそうです。事件に関心はなく、兄がどうなるかにも関心はなく、被害者に対しても何か思うことはない、家族の誰かが死んでも悲しいとは思わない、今付き合っている彼女が死んだらさみしいかもしれない、と話したそうです。

金川の母は父と異なり、金川の頭の良さより、人間力を伸ばすことを重視していました。そう言うわりに、「真大は自分が気に入らなければ絶対にやらない。牛乳を飲まなければ、飲まずにカルシウムをとれる食べ物を与えた。嫌がることをやらせたことも、悪いことをして叱ったこともない」そうです。

呆れたことに、兄弟仲が悪いことに、母は全く気づいていませんでした。それどころか、上の妹が筆談している理由すら分からないのに、子どもは自分を分かってくれているし、自分は子どもを分かっていると思う、というほど能天気でした。

金川の家族と私には共通点が複数あります。まず、私も家族が好きではありません。大学で上京した後も、基本的に実家に帰ることはありませんでした。現在、両親とは10年以上、会っていません。両親のどちらかが死んだら悲しいと思うどころか、喜ぶでしょう。その殺人犯にお礼を言いたくなるでしょうから、私の両親への憎しみは金川家を越えているようです。

しかし、私が家族を憎むきっかけは、こんな些細なことではありません。姉妹が風呂の順番で口をきかなくなるのは、私には共感不可能です。子どものときに「まーちゃん」と呼んで叱られて、口をきかなくなるなど、「人生なめるな!」と叱りたいです。お父さんもお母さんも、上の妹が口をきかない理由が分からないまま何年も経過しているのも、異常としか思えません。

相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」にも書いたことですが、日本人は表面的な会話、世間話、笑い話は好きですが、政治の話、道徳の話、深刻な話は避けがちです。日本人は対立が生じる話題からとにかく逃げます。その同じ方向で極端に大きい例が金川家という気がしてなりません。多くの日本人もここまでひどくなくても、同じような性格(話し方と振舞い)を持っていると私は推測します。だからこそ、金川家の周りの人も、弁護士も、ジャーナリストの著者も、金川家の異常性に気づいても、核心的な質問をしていないのでしょう。

母はゲーム好きの金川プログラマーの仕事を勧めたこともあったようですが、「俺が好きなのはゲームをやることで、作ることじゃない」と言われると、仕事のことは全く話さなくなったそうです。子どもについて書いた本に「仕事のことは触れない方がよい」と書いてあったからだそうです。この本に書いてあったから話さなかった側面もあったでしょうが、仕事について話す勇気のない母を正当化してくれる言葉で安心したい側面もあったに違いありません。

よく誤解されているので、ここに書いておきます。「うつ病の人に励ますのは禁忌」は医学的に間違いです。確かに、うつ病の急性期に励ますことが好ましくないのは事実です。しかし、うつ病の慢性期、特に本人が退屈だと感じるようになったら、むしろ少しずつ励ました方が早く回復するとのエビデンスがあります。同様に、「登校拒否児に登校刺激は絶対してはいけない」「引きこもりの人に仕事の話は避けなければいけない」も医療職の国家試験で出題されたら明らかに×です。せめて「〇〇してはいけない時もある」くらいでないと〇になりません。

「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)には、14ページにわたって、裁判上での弁護人と金川の父との変な対話が載っています。

弁護人「妹さんに、なぜ家で口をきかないのか、その理由を聞いてみないんですか。お兄ちゃんがこうなったんです。どうして今も放置しているんですか?」

なんと、裁判中のこの期に及んでも、妹は母への筆談を続け、しかも、両親ともその理由を聞いていないのです。なお、この上の妹は、母が目の前にいるからか、警察相手にもメモで言葉を伝えた、という常識外れの行動までとっています。

父「タイミングというものがあり……。本人たちの心の状態があります。時間をかけて、これから対応していきたいと思います」

もし私が弁護人なら、ここで次のように父に叫んでいます。

「タイミングなんて、今でも遅すぎるくらいなんだよ! さっさと聞けよ! 裁判中の今でもいいから、すぐに妹の携帯に電話しろ! 妹の用事なんて、後回しだ!」

しかし、弁護人の返答は間抜けでした。

弁護人「死刑判決も十分あり得る事案です。死ぬ前までにタイミングが来なければ、お父さんは見送るだけですか?」

父「そのときまでにできないこともあり得ますが、それは仕方のないことだと考えています」

この「それは仕方ない」の父の言葉に、著者も強い違和感を持っています。

しかし、それでも上記の私の言葉が父に投げかけられることはありませんでした。もし私がこの本の中の弁護人、裁判官、検察官、ジャーナリストなら、間違いなく父に上記のように怒鳴っています。もし私が弁護人かジャーナリストなら、上の妹にも直接、「なぜ筆談なんてするのか?」と確実に聞いていますが、誰も聞いていません。

変な両親に、変な弁護士に、変な裁判官に、変なジャーナリストです。こんな変な奴らが暮らす国だから、こんな変な犯罪が起こるのでしょう。

ジャーナリストである著者は「責めを負うべきは加害者自身であり、その家族ではない」と書いていますが、それには大反対です。この両親も確実に、この凶悪犯罪の原因を作っています。

母は「私が死ぬことで、死ぬことの意味を真大に分からせたい」とまで証言し、著者はそれを読み返すたびに涙が出たそうです。私の正直な感想を書きます。母も著者も正気でしょうか。ここまで異常だと、私には狂人に思えます。どちらも精神疾患があるとしか思えません。

「本当に死ぬほど心苦しいのなら、なぜもっと早く息子の悩みを聞かなかったのか! それが遥かに簡単なことになぜ気づかないのか! なぜ今も妹の奇行の理由も聞かないのか! どこまでバカなんだ、お前は!」と著者はどうして母に言わない、あるいは言えないのでしょうか。

私には本当に謎なので、その理由が分かった人は、下のコメント欄に書いてください。

なぜ金川真大は土浦連続殺傷事件を起こしたのか

「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)は取材不足なので、タイトルの問に答えを出すのは容易ではありません。金川は事件当時24才なので教育に問題があったことは間違いなく、とりわけ、家庭教育に原因があるとの上記の本の指摘は正しいでしょう。しかし、そこまで分かっていながら、家庭への取材が不十分すぎます。

本では、取材による事実の発掘よりも、著者の思考が記述の多くを占めています。ろくに取材していないくせに著者の考えを並べるのはジャーナリストとして不適切だと思いますが、なにより腹立たしいのは、その著者の人間観が貧弱で、犯人の思考の本質を全く捉えられていないことです。こんな著者の思考なら書かない方がマシでした。

金川の父は東京都八丈島で生まれ、地元の高校卒業後、22才から外務省のノンキャリアとして働き、事件当時は59才、外交史料館の課長補佐でした。父は金川に大きな期待をかけて、5才の金川を「非常にシャープで、物覚えが早い」「自分の意思を持っており、すっかり1人前だ」と高く評価していたそうです(ただし、この評価がどこに記録されていたのかの記述が本にはありません)。

なぜか父は「小学3年からが本格的な正念場だ。ここから頭角を現すかどうかが分かる」と金川が5才くらいの頃から思い込んでいました。そして、小学3年生の評価が「漢字、かけ算の積み重ねができない分、学習は遅れがち」であると、「真大は欲がなく、のんびり。大器晩成型のようだ」と金川に対する父の評価は「転落」したそうです。

本の解釈によると、金川の幼い頃の父の過剰な期待によって、金川の高い自己顕示欲や自己愛性パーソナリティ障害ができたそうです。また、その父の期待がはずれたことで、父は金川を含めた家族全員とほとんど接触しなくなり、それが一つの原因で金川家では誰もがお互いに口を異常なほどきかない妙な家庭になったそうです

金川の小学3年時の父の評価の転落がそこまで重要だと考えるなら、「小学校3年が正念場だと考えた根拠は? もし金川が小学3年時に優秀な成績をおさめていたら、より家族と関わっていたのか?」という質問を父にしなければなりませんが(私なら絶対にしていますが)、著者はそんな簡単な質問をしていません。

また、父が金川の良しあしを学校の成績だけで判断していた理由も、「外務省で多くの秀才たちに囲まれているうちに知らず知らずに学力が唯一の物差しになった」という薄っぺらい推測しかしていません。そう推測するなら、「真大くんへの評価は学力だけで決まったのでしょうか? 真大くんの人間性の成長はどう考えていたのですか? 真人くんの学力を重視しすぎていたなら、それは外務省勤務と関係あったと思いますか?」と父に聞くべきですが、それもしていないので、上記の推測が正しいかどうか全く分かりません。

金川は小学校入学前までのほとんどを海外で暮らしています。父の勤務に合わせて、上海に1才2ヶ月から4才まで、その後は6才までニューオリンズに住んでいました。小学校は5年生まで横浜市内の公立小学校に通います。その頃までは、仕事が忙しいながらも、父は土日に家族で鎌倉に出かけたり、トランプしたりしていたそうです。しかし、茨城県土浦市にマイホームを購入し、家族で引っ越した頃から、父は仕事、母は家庭と完全に分業されていたそうです。父は朝6時に出かけ、午後11時頃に帰宅します。国会期間中はタクシーで帰宅することもあったようです。事件後、父は「妻と一緒に買い物に行ったのは、真大が小学生の頃、勉強机を買いに行ってから一度もない」と語っています。金川は事件までの2ヶ月間アルバイトもせず、自室でゲームばかりしていたのですが、父は「1日4,5時間のアルバイトをしながら、勉強しているのだろう」と思い込んでいたというのです。金川の二人の妹にとって、父は厳しいだけの印象しかないようです。

事件が起こると当然金川の家に警察が来ましたが、母も母で、金川の部屋に入るのは2ヶ月ぶりだと白状し、警察が金川の連絡先を聞いても、母は金川の携帯番号を知らない、と言って、警察関係者を唖然とさせています。

金川は中学を「おとなしい、静かな子ども」として過ごし、進学した私立高校の普通科コースの成績は「中の中」で、弓道部ではナンバー2までの腕前になったそうです。

金川がおかしなことを言いだしたのは、高2の8月に部室にあった雑誌ムーを読むようになってからのようです。「宇宙と一体になる」と言って座禅を組んだりしたので、クラスで浮いた存在になっていました。11月に父からもらった「子どものための哲学対話」(永井均著、講談社)を読み、常識を見下す思考を身に着けました。12月の沖縄修学旅行の感想文に、金川はこんなことを書いています。

「よく聞け、無能でバカな愚かな下等生物がごとき野蛮な人間ども。お前たちはどのみち、滅びの運命にあるのだ。そう、最後の審判の日に一人の審判者によって、すべてが裁かれ、罪を負うだろう。『死という罪を』」

当然、「人間を中傷する内容だ」と担任教師に書き直しを命じられますが、それでも中傷は半分程度までしか減らなかったそうです。上記は書き直した文章の一部です。

金川真大はオタクなので、オタク用語で表現するなら、これは中2病です。「最後の審判」といった非科学的な発想はしないものの、このようなドス黒い表現は、私も中高生の時は好んで使っていました。いえ、この世の理不尽さに耐えかねて、「無能でバカで愚かな人間ども」など死んでしまえ、という思考は今でも私の中で残っていますし、このブログでも見え隠れしていることでしょう。

金川は事件を起こす直前、2台持っている携帯の一つから、家に置いておくもう一つに次のようなメールを送っています。

「この宇宙で最も正しい答えを知っている。何が正義で、何が悪か、善悪の基準はどうつけるのか、知っている。私が正義だ! 私が法律だ! 私の言葉が正しい! 私の行動が正しい! 私以外の人間は皆、間違っている!」

この言葉だけで自己愛性パーソナリティ障害の診断はつけられるでしょう。また自己陶酔しており、犯行前にわざわざ書き残していることから、自己顕示欲が強いことも容易にみてとれます。情けないことに、高校2年生時の思想の間違いを悟らないまま、金川は24才になり凶悪事件を起こしてしまいました。

もっと信じられないことに、金川はその思考の間違いを犯罪後も指摘されないまま、29才で処刑されています。それが上記の本を読んでいて、私が最も嘆くことです。

金川の家族について、次の記事で掘り下げます。

三菱銀行人質事件はなぜ起こったのか

前回の記事の続きです。

強盗殺人犯の15才の梅川は岡山少年院に送られます。当時は今と異なり非行少年に対する処分が厳しく、少年院送りが当たり前に決められていました。ベビーブームのせいもあり、日本中の少年院は定員を越えており、岡山少年院も定員115名に、倍近い200名が詰め込まれていました。わずか4ヶ月後、梅川は脱走事件を起こしたようで、山口県特別少年院新光学院へ送られます。

新光学院に入っていた者によると、新光学院の教育はなにごとも軍隊調で、体罰がまかり通り、教官からも古顔の年長者からも押さえつけられる毎日だったそうです。彼は「梅川はいじめられていたに違いない」と推測しています。一方で、新光学院の元矯正官はこの話を「たしかに規律は厳しいが、そんな……」と一笑にふしたそうです。

新光学院で1年余りを過ごした後、梅川は両親の住む香川県引田町に仮退院します。その半年後、高松保護観察所に無断で親許を離れ、大阪に出ていきました。梅川家の遠縁にあたる人が西成区で飲食店を経営しており、ここで調理師修行をするつもりでした。

高松保護観察所はすぐに梅川の父に会い、このまま行方不明になれば、再び少年院に戻ることを告げ、梅川の大阪の住所を聞き出します。しかし、その住所をたどっても、梅川は既に引っ越していて、しかも転居先不明でした。このようなことが3度続いた後、ようやく西成区玉出の梅川の住所が突き止められます。この間、ざっと1年。梅川はこのとき、既に調理師の道を棄て、刺青を入れて同じ年ごろの女性と人目を避けるように暮らしていたそうです。刺青ありで女と同棲していたのに、当時74才の保護司は大阪保護観察所に「普通」と報告していたそうです。そして梅川が20才になった時、保護観察は自動的に打ち切られます。

三菱銀行人質事件を起こすまで約12年間、梅川は大阪で暮らし、その間の職業は一貫してバーテン兼貸金取立人である、と「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)には書いています。裏の社会とも近い位置にいましたが、梅川はヤクザに入ったことはありません。梅川は「組織の中で耐えて励むタイプではなく」、「そこいらのヤクザと違うんだという気位の高さ」があるため、「ヤクザへの軽蔑と憧れを心の中で複雑にからませながら、一匹オオカミを気取っていたのかもしれない」と本では指摘しています。

梅川には交際した女性が三人おり、上記の本では20代の大半をともにした一つ年上の女性に注目しています。前回の記事に書いたように、この女性は殴られ、蹴られ、髪をつかんでひきずりまわされ、たばこの火を押し付けられることが梅川との日常でした。たまりかねて女性が実家に逃げ帰ると、梅川が実家まで迎えに来ます。女性の両親の前にきちんと正座し、折り目正しい言葉で「私が悪うございました。許してください。心からお詫びします」と涙を流して両手をつき頭を畳にすりつける梅川に、両親の方がすっかり信用して、「もどってあげえな。あないにおっしゃってるんやし……」と言うこともあったそうです。

メラビアンの法則」に書いたように、日本は外見ばかり重視し、中身を軽視します。ここまで暴力振るっていた奴と付き合う女も、外見上はしっかりした謝罪で許してしまう両親もバカです。こんな奴らが多いから、私はこの国でうまくいかないのだろう、と思ってしまいます。

女性が梅川の元に戻ると、もちろん、暴力沙汰は繰り返されます。ある時、女性は決心して、以前の情夫の元に駆け込み、その男と一緒に自分の家財道具を梅川との同棲先から運び出そうとしました。しかし、しばらくすると女性は「やっぱり、ここにおるわ。ゴメンな」と言って、決心を翻しました。

現代の精神医学の言葉を使えば、これは典型的なDVであり、共依存です。1979年出版のこの本に「DVや共依存は自力での解決が難しいので、福祉の助けが必要である」といった見解はありません。当時はどこにでもある男女の悲劇として見られ、社会全体で助けるべきとはあまり考えられていなかったようです。そんな観点からすれば、当時より現在は日本人の道徳意識も、社会福祉も発展したのでしょう。

梅川は25才の時、住吉警察署の銃砲所有許可証を見せて、銃砲店で銃を購入します。

前回の記事で、梅川が凶悪犯になった最大の原因は、梅川の子どもの頃の教育の失敗にある、と私は断定しました。その答えとは別に「梅川が三菱銀行人質事件のような凶悪事件を起こさないためになにをすればよかったか?」の問いに解答を出すなら、「15才で強盗殺人事件を起こした奴に、銃砲の所有を許可してはいけなかった」になるでしょう。同じ批判は事件当時から無数にありました。しかし、上記の本では「なぜこんな危険な男に銃を持たせたのか」についての考察は全くありません。こんな重大な考察をなぜ放棄しているのでしょうか。マスコミと警察の癒着、馴れ合いがあるからとしか思えません。

日本のマスコミと警察の根深い癒着を知るために、「真実」(高田昌幸著、角川文庫)を読むことを強く勧めます。

梅川の趣味の一つは読書でした。徹底したハードボイルド派で、大藪春彦の作品は全て読むほどのファンでした。200冊近い蔵書には「人類の知的遺産」シリーズの「ドストエフスキー」「アインシュタイン」から、「人物現代史」シリーズの「ヒトラー」「ムッソリーニ」「チャーチル」などの伝記もありました。虚栄心の強い梅川は「毎月の本代が1万円を越えて弱っとるんや」「フロイトは面白く読めたが、ニーチェはさすがに難しかったなあ」「プレイボーイみたいなジャラジャラしたエロ本が読めるか!」と喫茶店や書店で自慢していたようです。

また、梅川は健康雑誌も毎号購入しており、健康には人一倍気をつかっていました。三菱銀行人質事件の最中も、カップ麺の差し入れに「こんなもの食えるか! もっとカロリーのあるもの持ってこい! サンドウィッチかなにかだ。ついでにビタミン剤もだ!」と怒鳴り散らしています。

差し入れといえば、「シャトー・マルゴーの69年ものを持ってこい」とも事件最中に梅川は警察に要求しています。虚栄心に満ちた梅川は自身も飲んだことのない高級ワインを要求したのです。ただし、本当のワイン通であれば70年ものを要求するはずだったので、梅川の一流好みは生半可であることが露呈しています。

梅川が銀行強盗の計画を始めて口にしたのは、事件から2年前の1977年です。香川で同郷だった友人の鍋嶋に銀行強盗の話を持ち掛けて、協力するよう勧めています。

その翌年、梅川の勤め先のクラブが閉鎖され、無職になります。深夜クラブ、バーを転々としてきた男に一時的な失職はよくある話です。しかし、「人に使われて働くのはもう嫌だ」「オレもお袋を心配させたらあかん年齢や」と言って、次の仕事を探そうとしませんでした。この頃から、銀行強盗の話を再び鍋嶋兄弟に何度も持ち出したようです。30才になった梅川はバーやクラブに客用の贈答品や景品を売り歩く商売をはじめますが、うまくいきません。それまでは苦しい中でも続けていた母へのわずかな仕送りも途絶えます。

1978年10月、経済的に困窮しているのに、高級車コスモを購入し、12月にはサラ金から派手に借金をして回ります。1979年正月に、2年ぶりに母親の元に帰り、郷里の知り合いたちに「母がいつもお世話になっています」と言って、高級なカズノコを贈答品として渡して回っています。

大阪に戻った梅川は鍋嶋兄弟に銀行強盗の協力を執拗に迫りますが、結局、どちらにも協力を断られ、1979年1月26日に一人で三菱銀行の強盗事件を起こします。

梅川は「銃を一発天井か床にぶっ放せば、みんな縮みあがって、手向かうものなどあるはずがない」とタカをくくっていました。また、襲撃した銀行は警察署から車で3分以上かかる距離にあるので、警察は3分間はやってこない、とみなしていました。

ところが現実には、銃で威嚇発射しても銀行員はすぐ現金を差し出さないばかりか、目の前に突き出された銃を振り払おうとして、梅川が現金を奪うまでに時間がかかりました。さらに、たまたま付近をパトロール中の警官がいて、現場から逃げた客の助けに応じて、3分もせずに梅川の目の前に現れます。それからすぐに警察に銀行を包囲されると、梅川は人質籠城を決め込み、42時間の悲劇が起こります。

2年あるいは1年もかけて計画していたわりに、「銃で威嚇射撃すれば、すぐに現金が手に入る」計画が失敗した時を考えていなかったり、「警察署に警察がいつも待機しているわけがない。普段は街をパトロールして、警察署に連絡がいけば、現場近くの警官に無線で連絡が来て、すぐに駆けつける」と思いつかなかったりしたことを、本では「自分の筋書き通りに相手が動いてくれる、動くべきだと思い込む『甘え』こそが、この計画の重大な欠陥だった。『甘え』に支えられた計画だけに、失敗の責任は他人に転嫁され、梅川は逆上した」と書いています。

事件後、梅川が射殺された後、人目をはばかるように立っていた母は「私だけは最後まであの子の味方でいてやりたかった……」と漏らしたそうです。

さて、「日本では検察が犯罪を作り出せる」の記事で、「犯罪本の批判を通じて、日本人の道徳について考察していきます」と書きましたが、今回の「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)について、私が批判したいところはほとんどありません。むしろ、梅川の生い立ちについて、広島や香川まで足を運んで、よく取材していると賞賛したいです。強く批判したい唯一の点は、上記のように「なぜ警察は梅川のような危険人物に銃の所有を許可したのか」の取材や考察が全くされていないことです。

著者の見解は鋭いです。梅川の「甘え」、母や父への批判的な見解などは、本質を突いていると考えます。さすが1970年代の毎日新聞社会部の本です。

これと対照的に、著者の見解のあまりの幼稚さが目立つのが次の「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)になります。次の記事から、その幼稚さを指摘していきます。

三菱銀行人質事件の犯人はどうして現れたのか

1979年に起きた三菱銀行人質事件は、その残虐性において、日本の人質犯罪史上最悪でしょう。猟銃で脅しながら、人質銀行員に同僚の耳をナイフで削ぎ落させ、女子行員を裸にして並ばせ、肉の盾にしています。犯人の梅川は42時間もの長時間、一睡もせず銀行内に立てこもり、40名近い人質たちを恐怖で支配していました。

この記事で取り上げる本は「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)です。特に、この残酷な犯罪者の梅川昭美がなぜ現れたかに注目します。

梅川昭美は広島県大竹市に1948年に生まれます。梅川の父は「鄙にはまれなダンディな男」だったらしく、外面ばかりいい浪費家でした。椎間板ヘルニア大竹市の工場で仕事ができなくなると、実家の香川県引田町に戻り、八の字のヒゲをはやして、易者をしていました。しかし、収入は十分でなく、あちこちで借金しては、弟がその借金を返していたそうです。

こんな男と結婚した女が梅川の母です。外見以外に長所がないので、外見に惹かれたのでしょう。バカな男に惚れるバカな女です。母の生い立ちについて、本では詳しく書かれていません。戦争で亡くしたのかも不明ですが、母に親兄弟はおらず、小学校3年生くらいまでしか行っていないため、読み書きがやっとできる程度だったそうです。

この母も夫(梅川の父)が亡くなってからは、当然、生活が苦しくなっています。それに同情して、家主が「電気代、水道代は3千円でよろしい」と言ってあげているのに、母はどうしても5千円を出していたそうです。この行為を「貧しいからといって他人に迷惑をかけるのはいけないと考える責任感の強い母」と本で賞賛することはありません。電話代のたびに千円札を出していた梅川本人のように「見栄を張っていた」と批判的に記述します。本質を突いた指摘だと思います。

この母および父の養育方法に、日本史上な稀な凶悪犯罪を産んだ最大の原因があると私は考えています。梅川は外見に非常に気を配る見栄っ張りで、銀行襲撃前に美容院に行って、パーマをかけています。同様に、梅川の銀行人質事件が起きた後、人質解放説得のために母が呼ばれるのですが、母は「郵便局で貯金をおろしてくる」と言った後、2時間も戻ってこなかったので、「逃げたのか」と周囲の者が心配している中、「美容院に行ってきた」と現れました。乱れた髪を長時間かけてセットしてきた母の冷静さに、周囲の者は唖然とします。「銀行で人質事件をしている最中の息子をたしなめに現場に急ぐ母親像」とは大きくかけ離れています。

この母は梅川を徹底して甘やかして育ててしまいます。「家でふとんかぶって寝とれば治るような病気」でも、母はすぐ近くの診療所に何度も連れてきていたそうです。診療所の医師は「ネコ可愛がりはよくないぞ。少しは放っておきなさい」と母に忠告したと本にあります。

梅川が小学校に入った頃から、父は病気のため休職し、2年後に退職します。その後、母が炊事婦になりながら、生計を立てます。梅川の父の浮気が原因なのか、夫婦仲は悪くなり、梅川が小学校5年生の時、父が香川県引田町の実家に梅川本人を連れて帰ります。しかし、梅川は半年間で母のいる広島県大竹市に一人で戻ってきます。

「子どもが悪戯をしても怒るでもなく、はた目には甘やかしすぎと思えるほどだった」と当時、梅川と母の住む家の管理人は証言しています。本ではここでも「優しい母」という賞賛よりも、この批判を強調しています。

梅川はそんなにかわいがってくれた母に暴力をふるうようになります、あるいは、甘やかしていた母なので当然見下すようになり、暴力をふるいます。小学校の頃はまだ口答えする程度でしたが、中学に入ってから、小遣いはもとよりテレビ、バイクなどを次々とせがみます。要求が受け入れられないと、母を引きずり回し、ときには刃物を突き付け、首を絞めたりします。なお、女性の髪を引っ張って引きずる虐待は、この後、梅川が自身の恋人や銀行強盗事件の人質にも行っています。梅川は学生の頃、喫煙、暴力行為などで地元警察に複数回補導もされています。

本では、「梅川は特別目立つ不良少年ではなかった」とも書いています。梅川はベビーブーマーの一人で、当時、日本中の学校でスシ詰め教育が行われていました。その弊害として不良少年は全国各地で増大し、大竹市でも最大の社会問題となっており、少年たちの集団乱闘事件や卒業時の集団暴行は頻発化していました(と本では書いていますが、先生でも手がつけられなくなった最悪の時代はもっと後、1980年頃からだと私は考えます)。梅川も日本全国にいる不良少年の一人で、梅川と同じような境遇、経歴の人間は珍しくなかった、と本では指摘しています。

この見解に、私は同意しません。確かに、全ての不良少年が殺人事件を犯すわけではありません。しかし、梅川がここで不良少年になっていなければ、悪に憧れを抱く道徳的に間違った観念を持っていなければ、絶対に三菱銀行人質事件を起こしていません。梅川の最大の失敗は、子どもの頃の教育にあると私は確信します。そして、間違った道徳観を持った梅川を育ててきた最大の責任は母と父にあります。ただし、母に同情の余地がないわけではありません。親兄弟もいない環境で、母は教育もろくに受けていません。男を見る目もなく、くだらない男と結婚しています。このようなバカな女はどうしても社会に生まれてきてしまうものでしょう。だから、こんな母や父が、間違った道徳観の子を育てないような社会保障が必要だと考えます。それが家庭外で教育を担当する先生の役目なのかもしれませんが、少子化の現代でさえ、学校の先生がそこまで幅広く担当するのは無理です。だから、家庭支援相談員のような制度は必要だと私は確信しています。

話を戻します。梅川は広島工大附属高校に進学しましたが、2学期の途中で自主退学します。夏休み中、合わせて3台のオートバイを盗んで、その後、預金通帳を盗んでいます。子どものために、夫婦はヨリを戻し、その年の10月に父のいる香川県引田町に母と梅川が暮らすことになりますが、梅川だけはわずか2,3日で家を飛び出し、広島県大竹市に戻ってきます。梅川は住む家もないので、高校時代の不良仲間に身を寄せ、遊ぶ金に困ると、父母のもとに帰って、1万、2万と金をせびっては、また大竹市に現れるという生活ぶりでした。

12月、梅川はついに強盗殺人事件を起こします。ただ単に金ほしさに、「盗むのが難しいときは脅してでも取る。脅して抵抗されたから殺した」と梅川は平然と語り、被害者や遺族への謝罪は一切なかったので、梅川の将来を二人の刑事は暗い気持ちで思い描いたそうです。警察署の玄関で「犯人を出せ」と怒り叫ぶ遺族の声が取調べ室へも筒抜けになると、梅川は突然表情を険しくして、「呼んでこい!」と荒々しく立ち上がったそうです。

この23才女性を殺した強盗事件時、梅川は15才9ヶ月半です。当時、16才未満であれば刑事処分を課すことはできませんでした。重ければ死刑に該当する殺人の償いが、1年余りの少年院生活で清算されることになります。

この事件を審理した裁判官は「少年は犯行後も人間良心の呵責を受けておらず、罪の意識も皆無に近く、被害者遺族の心情に思いをいたし、社会的影響を考慮し、かつ少年の凶悪犯罪増加の傾向を考える時、本少年については、これを刑事処分に付するのが相当と思料されるところ、年齢上その処分を取り得ないので、中等少年院送致とした」と異例の所見を書き加えています。三菱銀行人質事件後、梅川の15才児の強盗殺人事件も報道され、「なぜそんな人を、わずか1年余りで社会に出した」「生命を奪った罪を1年余りで清算させたとするから、人命を繰り返し軽視する」との批判が沸き上がりました。

確かに、15才であろうと梅川は刑事裁判を受けるべきだった、との意見に私は反対しません。しかし、梅川に刑事裁判さえ受けさせていればよかったとの意見には反対します。それで三菱銀行人質事件は防げたのかもしれませんが、梅川が15才で起こした強盗殺人事件は防げないことになります。「梅川がいなくても、いずれ誰かが梅川の代わりに女性を強盗目的に殺していた」わけがありません。梅川が間違った道徳観さえ持っていなければ、一人の女性の命が救われていました。また、刑事裁判を受けたからといって、梅川が出所後、同じような凶悪犯罪をしないとは限りません。事実、広島家裁技官の精神科医の久保摂二は「少年の病質的人格は根深く形成され、容易に矯正し得ない段階にきている」と報告しています。

誰でも知っていることですが、成長後に欠点を矯正するのは難しいです。不可能の場合も少なくありません。だから、最初から欠点がないように教育すべきです。医学的な言葉を使うなら、この時点で非社会的パーソナリティ障害(あるいはモラル・ハラスメンター)になっています。「梅川がどうしてあんな凶悪事件を起こしたか?」の答えは、第一に「梅川が小さい頃の父母の教育がよくなかったから」とする私の考えは変わりません。「ベビーブームの頃は、子育てにかけられる労力が限られていたから、不良少年、不良少女が蔓延してしまうのは仕方がない」という意見に私は全く同意しません。子育ての余裕がなかったとしても、あるいは、仕事やその他のことを犠牲にしてでも、親は子どもを甘やかさず、最低限の道徳観は身に着けさせるべきです。もしどうしても親にそれができなかったのなら、社会全体で担うべきです。子どもが手遅れになる前に。

次の記事に続きます。

わずかな新型コロナ患者数で日本の病床が逼迫した問題の正解

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コロナ病床逼迫

本日の朝日新聞朝刊の記事です。

コロナ病床が逼迫した理由について、簡潔に示しています。さすが一流新聞だけあり、本質を突いています。「 今の日本で医療崩壊が起こっていると本気で信じている日本人が多くいます(10年後の日本人へ)」の記事に書いたように、今年の初めころ、「民間病院がコロナ患者を受け入れていないから医療崩壊が起きた」「そもそも日本に民間病院が多いから、コロナ患者の受け入れ先がない」といった説がまことしやかに唱えられ、「コロナ患者を受け入れていない病院を公表すべきだ」と本気で言い出す「知識人」まで現れましたが、それらは見当はずれの批判だったことが分かります。

「医療資源が世界一と呼ばれる日本なのに、なぜ欧米より遥かに感染者数が少ない段階で医療崩壊が起こるのか?」と疑問に思っていた人に、私の上の記事より、上記の朝日新聞の記事の方が遥かに納得できるでしょう。しかし、この朝日新聞の記事を読んでも、「そもそも日本で医療崩壊など起こっていない」「コロナ病床を爆発的に増やす必要などない」という私の意見が間違っていた、とは考えません。

新型コロナで亡くなる人よりも、それ以外で亡くなる日本人が100倍以上多い事実は変わらないからです。それにもかかわらず、他の多くの病気のための病床を差し置いて、コロナ病床を激増させる理由はないからです。

それはともかく、こういった「多くの人が持っていた疑問」の正解を示した記事はもっと世に広まるべきでしょう。この記事が出た後は「日本はコロナを受け入れない民間病院が多いから、コロナで医療崩壊が起きた」という妄言が一切消えるべきなのですが、現実にはそうならないことが残念です。

日本の犯罪者は反省を強要される

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)によると、「犯罪者を反省させることが重要」と考える日本の検察官は92.7%なのに対して、アメリカの検察官はわずか8.8%です。また、「犯罪者と被害者との関係の修復が重要」と考える日本の検察官は67.6%なのに対し、アメリカの検察官はなんと0%です。

刑事裁判では、検察官は被告に罰を与えることを目的としています。被告が反省すると罰を与えにくくなるので、検察官が被告に反省を求めることなど通常ありません。まして、検察官が被告と被害者の関係を修復することなど、ありえません。少なくとも、アメリカの検察官は、それらが仕事の範疇に入ると考えていません。では、なぜ日本の検察は被告に反省を求め、被告と被害者の関係修復をはかろうとするのでしょうか。

これまで書いてきていませんでしたが、アメリカでは裁判前に検察官が容疑者や被告とまず会いません。検察官が容疑者や被告と始めて会うのは裁判なので、お互いに敵同士となっています。一方、日本では裁判前に検察官が容疑者に取調室で長時間話し合います。「日本では自白が作られる」に書いたように、取調室で容疑者は自白を強要されますが、その大きな理由の一つは「自白は反省を示すから」です。

もちろん、自白しても反省していない者もいますし、反省しているが自白しない者もいます。それを全くと言っていいほど考慮しない日本の検察官たちの倫理観に大きな問題はありますが、概ね、反省していれば自白する傾向はあるでしょう。

ともかく、自白させて反省の弁を述べれば、刑を逃れたいために上辺だけの反省を示しているのかどうか、日本の検察官は時間をかけて容疑者の本心を探ります。アメリカの検察官のように「人が反省しているかどうかなど本当には分からない」と諦めないで、上記の著者によると、容疑者の反省が心からのものか、日本の全ての検察官が真剣に検討していたそうです。

さらに、その反省が本心であることを示すために、被害者への金銭的な賠償をするように、検察官は容疑者に勧めるそうです。賠償まですれば、重罪や重犯でない限り、検察官が容疑者を起訴することはありません。

アメリカの検察官はこの日本の習慣に対して「金持ちが無罪になって、貧乏人が有罪になるシステムではないか!」と道徳的に批判します。しかし、日本の検察官にとって、被害者への賠償時に、金銭の多寡はほとんど問題になりません。「親戚を頼れば、なんとかお金は集められるもの」らしいです。

犯罪者に反省を促すことが検察官の仕事の大切な要素になっているからでしょう。日本の犯罪者は検察官に対して非常に従順です。アメリカの犯罪者が検察官と敵対的なのとは大違いです。また、著者によると、日本の検察官は、アメリカの検察官と違って、犯罪者の悪口を言うことが滅多にないそうです。さらに、日本の検察官の多くは、どんな犯罪者であっても更生させられると信じている、とまで書いています。

一例をあげます。

45才の無職の男性が知り合いの女性を凶暴な方法で強姦した罪で裁判にかけられていました。彼は一般社会に定着しておらず、教育がなく、身だしなみが悪かったそうです。彼は婦女暴行で既に2度懲役刑をうけており、他にも重罪の前科を持っていました。裁判で弁護人は被告人に被害者に与えた苦痛に対して心から申し訳ないと述べさせ、2度とこのようなことはしないとはっきり約束させました。しかし、今後どのように自分を改めていくかについては、被告はぶつくさ呟いて、「がんばります」とあいまいな約束をしただけでした。そこで、弁護人は俳句には人を更生させる効果があると突然言い出して、次のようなやりとりが公開裁判の席上で行われました。

弁護人「あなたは俳句を作ったことがありますか?」

被告「まったくありません」

弁護人「作るべきです。私もよく作ります。俳句ほど心を集中させ、精神を浄化するものはありません」

被告「分かりました」

弁護人「芭蕉という人の名を聞いたことがありますか?」

被告「ありません」

弁護人「じゃあ、芭蕉を読みなさい。そして、自分でも俳句を作りなさい。きっとあなたのためになりますよ。芭蕉はこんな句を作りました。『古池やかわず飛び込む水の音』。ねえ、素晴らしいでしょう? この句を聞いたことがありますか?」

被告「いえ、ありません」

弁護人「それじゃあ、俳句の勉強を始めたらどうですか。こういうものはあなた自身を変えるのに本当に役に立ちますよ」

被告「はい、やってみます。ありがとうございました」

この裁判を傍聴していたアメリカ人の著者は、芭蕉の句が読まれた時、こらえきれず、くすくす笑ってしまったそうです。著者はこの被告をどうしよもない奴だと思っていました。こんな奴は一般の人から隔離する以外にしようがない、それ以外の方法で彼を遇するなら、「マジメな人々をバカにして、ずるい奴をのさばらせる」ことになる、とみなしたそうです。この弁護人は真面目にやっているのだろうか、と著者は疑問に感じていました。

しかし、驚いたことに、検察官は弁護人に裁判で同意しました。この裁判後、裁判を傍聴していた司法修習生に聞いても、あの被告であっても努力すれば本来の徳性に近いものを取り戻せる、と言ったそうです。検察官にいたっては「更生できないわけがないじゃないか。おそらく、俳句は彼の生活ぶりを一変させると思うよ」とまで裁判後に言ったそうです。

私の感想を書きます。日本の法曹界は世間知らずばかりなのでしょうか。重罪を何度も犯した教育のない者が俳句を勉強しつづける可能性など、ほぼありません。まして、それで更生できる可能性など皆無に等しいでしょう。

とはいえ、上記の著者のように「こんなどうしようもない奴は一生、一般の人から隔離するしかない」と判断すべきではないし、ましてそれを実行すべきでない、とも考えます。どんな犯罪者であれ、更生できる可能性はゼロでありません。また、その犯罪者から社会が学べることもあります。なにより、そのような境遇に犯罪者を追いやったのは、犯罪者だけの責任ではなく、社会全体の責任でもあります。それなのに、社会が犯罪者だけを罰して終わりにするのは、道徳的に間違っているはずです。

だから、凶悪な犯罪者であったとしても更生を目指すべきでしょう。しかし、上記のやりとりを見る限り、俳句がこの犯罪者を更生できる可能性が極めて低いことは間違いありません。だから、俳句以外の手段も含めて、この犯罪者の更生を目指すべきと考えます。著者の「一般の人からの隔離」がどのような意味かは不明確ですが、ここまで重罪を何度も犯した人なら、無期懲役以外の選択肢もあるとはいえ、「長期間の一般の人からの隔離」が妥当になるとは思います。45才という年齢を考えると、その隔離期間が生命の終末期近くまでになるのも、やむを得ないと考えます。

日本の検察官は犯罪者の反省を促し、更生を目指します。それは好ましいことだと私は考えますが、検察官のほぼ全員が恵まれた環境で育ってきたせいか、上記のような世間知らずなところがあるようです。それと関係しているのでしょうが、検察官が反省を促す時、家族関係を不自然なほど重視しています。この儒教的な古き良き家族関係の偏重は蔓延しているので、おそらく検察官のマニュアルにも明記されていると推測します。その弊害は甚大です。

これからの個別の犯罪事件の記事で、この家族関係の重視の弊害については多く指摘していくことになります。

日本の検察制度の長所

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)は、日本の刑事裁判制度の長所も書いています。

手放しで賞賛しているのは、日本の検察制度の一貫性です。アメリカでは、同じ州で起こった同種の犯罪でも、検察側の要求する量刑が大きく異なるそうです。理由として「二つとして同じ犯罪は存在しないから」がよく言われるそうですが、あまり納得できない話です。たとえば、日本でもアメリカでも起訴される事件の多くを占める交通犯罪は、被害の程度、弁償の有無、犯罪者の反省の有無などで、起訴するかどうか、あるいは起訴した時の求刑量は日本だと機械的に決まっていきます。そのための基準集、マニュアルまであります。一方、アメリカではそんな基準集が存在しないため、恣意的な起訴、検察官の一存による求刑量が多発してしまっています。

交通犯罪に限らず、日本の検察官は全ての犯罪の起訴・不起訴を決めるとき、あるいは求刑量を決めるとき、可能な限り前例を参照します。この一貫性を守るために、日本の検察には決裁制度があります。決裁制度とは、現場の検察官が最終処分を決めるとき、必ず上司の2名程度の検察官の決裁を受けなければいけない制度です。アメリカでは、ほとんどの検察官が独自に動いており、決裁制度は存在していません。

結果、アメリカでは同種の犯罪なのに、黒人被告への求刑量は、白人被告への求刑量より重い、という統計事実が出てきてしまいます。日本でも外国人被告への求刑量は、日本人被告への求刑量より重くなっている気はしますが、そのような統計が存在しないので分かりません。ただし、上記の著者は、長期間の取材中、そのような人種差別を感じたことはなかったそうです(ただし、人種格差はなくても、殺人罪に関しては関東よりも関西の方が軽い刑に決まりやすい、という地域格差はあったそうです)。

また、アメリカの裁判では、事実があまり重視されない、という信じがたい傾向があります。日本の検察官が精密司法と呼ばれるほど詳細な調書を作成しようとする傾向の対極にあると言えるかもしれません。

そもそも、アメリカの検察官を含む法曹関係者は、概ね、完全な真実は誰にも分からない、という不可知論に立っています。「真実とは『合理的な疑いを入れない程度』に示されていればいい」「われわれが求めているのは正義であって真実ではない」という信念があるようです。

この仮説に立脚し、アメリカの検察官は答弁取引(被告の自白等と引き換えに訴えの対象を一部の訴因、又は、軽い罪のみに限る合意)を日常的に行っています。答弁取引により、事実の追及を放棄し、同時に労多く効少ない捜査・取り調べ・裁判を省略し、量刑という結論を得ています。まだ事実もよく分かっていない段階で、被告や容疑者に自白させる代わりに量刑を軽くするなど、日本では考えられない制度かもしれません。ただし、日本でも被告や容疑者が自白すれば、量刑は軽くなる傾向はあります。

答弁取引の明らかな欠点は、被告に反省を促しにくい点でしょう。実は、これこそが日本とアメリカの検察官の目標の最大の違いになります。次の記事に続きます。

日本の刑事裁判では弁護人も被告の敵になる

日本の刑事裁判では99.9%ほどが検察側の勝利に終わります。負けがほぼ確定しているため、刑事裁判の弁護人は勝つために全力を尽くす気が削がれてしまいます。また、国選弁護人の給与は他の弁護士の仕事と比べて各段に安くなっているので、優秀な弁護士の多くが刑事弁護を避けるようになります。結果、弁護士の質が低下し、さらに刑事裁判で無罪になる確率が減る、という悪循環に陥っています。

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)の調査によると、「容疑者および被告人に対して黙秘権の使用を積極的に勧めたことは一度もない」と答える弁護士が60%もいるそうです。この「一度もない」という点を著者は強調したい、と書いています。

それでも容疑者の味方になってくれるはずの弁護人なので、本来であれば、容疑者は弁護士と面会する権利がいつでもあります。しかし、検察側は拘留中の容疑者の弁護士との接見の時間および場所を指定できます。これから批判していく犯罪本でも書かれていますが、「弁護士に会いたいと言っても、国選弁護人はここに来るまで時間がかかる。いつでも会えるわけではない」と検察官に言われたりするそうです。

ここで、上記の本の著者が傍聴した刑事裁判の一例をあげます。

20代初めの男性が8時間のうちに合計3回も知り合いの女性を強姦した、と裁判にかけられていました。この被告人は性行為を認めたものの、それは合意の上であったと主張します。彼の主張を裏付けるため、弁護人は次のような質問ができたはずでした。

「なぜ被害者はそれほど親しくもない知り合いの被告を夜中の2時に、自分のアパートに、しかも寝室まで入れたのか」

「なぜ被害者は隣の部屋に聞こえるように大声で叫ばなかったのか」

「なぜ被害者は寝入った被告人に宛てて台所の黒板に、アパートを出た理由や行き先を書き置いて、しかも最後に『バイバイ』と言葉をつけ加えたのか」

このように素人でも簡単に思いつく被害者への質問を、弁護人は一切しませんでした。弁護人は被害者に2、3おざなりの質問をした後、被告人を証言台に立たせて、「いったい君は誰を騙そうとしているのかね!」と𠮟りつけたそうです。さらに「君はその説明を皆が信じていると思うのか。私にはとてもそうは思えないね。君は裁判官がこれで納得すると思うのか。ええっ。それはとんでもないことだ。せめて裁判官にはもっとましな話をしたまえ」と続けたそうです。

まるで検察官の言葉です。この弁護人を被告人の味方と考えるには、無理があるでしょう。結局、この被告は婦女暴行罪で有罪となり、3年6ヶ月の懲役刑が言い渡されます。

上記本の著者は「もしこの裁判がアメリカで起こったら、『弁護人の支援無効』の理由で審理無効または破棄となるだろう」と書いています。

次の記事に続きます。

日本では自白が作られる

「自白は証拠の王様ではありません」

これは私が中学の社会の先生から教えられた格言です。ウソで自白だってできますし、強迫されて自白する人も過去の歴史に山のように存在しています。情けない過去を白状しますが、私は子どもの頃、ある大人に間違って犯人だと確信され、自白を強要されたことがあります。経験した人は分かるでしょうが、悔しくて仕方なく、一生消えない心の傷として今も残っています。その大人を憎むだけでなく、その時に助けを求める相手がいなかった環境も憎んでいます。

残念ながら、日本では「自白が証拠の王様」の時代が現在まで続いています。検察側が徹底的に容疑者に自白を強要します。「アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)によると、日本の検察官同士で、最も話題にするテーマが、人事と自白を引き出す方法だそうです。たいていの検察官は、自白を強要するために肉体的、精神的苦痛を与える方法を日常的に使っていることを認めています。1984年に東京三弁護士会が30人の虚偽の自白をした元容疑者(うち14人は既に無罪判決を受けている)に聞いた調査によると、20人が平手打ち、パンチ、蹴りを受けており、23人が長時間の取り調べで疲れても休息や睡眠をさせてもらえず、24人が「自白すれば早く釈放してやる」と約束され、25人が「自白をしなければ刑が重くなる」と脅されています。

しかも、この取り調べのための拘留時間は、日本は先進国の中でかなり長く、起訴・不起訴の決定まで最長23日間あります。アメリカのカリフォルニア州での逮捕後の起訴・不起訴決定までの拘留期間2日間と比較すると、その差は歴然としています。しかも、この23日間は軽微な別件逮捕で延長が可能なので、カルロス・ゴーンのように108日間も勾留される者も出てきます。自白した場合は保釈されるのに、自白していないと保釈されないので、しばしば「人質司法」と国内外から批判されています。

ここまで徹底的に自白を強要されるので、日本の刑事事件での自白率は90%を越えています。「容疑者には黙秘権があるのでは?」と思うかもしれませんが、日本の黙秘権はあってないようなものです。アメリカでは黙秘権の告知なしの自白は証拠として認められませんが、日本では黙秘権の告知なしでも自白として認められます。また黙秘権を行使しても、容疑者は尋問に耐えなければいけません。海外では、黙秘権行使後の尋問を禁止している国もあります。

日本でも、刑事訴訟法で「伝聞」を裁判の証拠として使用することは禁じられています。基本的に自白も伝聞なので裁判の証拠にはならないはずなのですが、この伝聞規定には、例外が広く認められ、実際には自白を元に作られた検察官の調書が裁判での証拠の核心になります。

ほぼ例外なく、この自白を元にした調書は事件の流れが詳細に書かれています。こんなに理路整然と事件の流れを自白するなどありえない、と誰もが思うほど、微に入り細を穿つ調書です。それは当然で、事件の流れを分かりやすくするように、容疑者の自白を検察側が修正して、調書を作成しているからです。調書作成時には、容疑者が言っていない言葉が加えられたり、逆に言った言葉を省いたりしています。調書は検察官の作文だとよく呼ばれる所以です。

ここで検察の弁護になります。私は医療従事者なので、毎日、患者さんの言葉をカルテに記録しています。実は、医療従事者も患者さんの言葉をそのままカルテに記録しません。カルテは職場内での情報共有が第一目的なので、他の同僚が患者さんの真意を理解しやすいように患者さんの言葉を適宜修正しています。その時に、患者さんが言っていない言葉が加えられたり、逆に言った言葉を省いたりしていますが、患者さんの許可はとっていません。

もちろん、病院のカルテ記録と、裁判所で基本情報となる調書はその目的が異なります。調書が容疑者の許可なく事実と認定されないように、作成された調書は、最後に検察官が読み上げて、その内容に間違いないことを容疑者に確認させてから、容疑者が署名します。しかし、大抵、検察官は早口で膨大な調書の内容を一気に読み上げた上、調書に署名するように容疑者に迫ります。上記の「虚偽の自白をした元容疑者30人」のうち、29人は調書への署名を執拗に強制された、と答えています。

ここまでの記事を読んで、多くの日本人は日本の刑事訴訟制度に絶望したのではないでしょうか。普通の人権感覚なら、絶望するはずです。事実、国連人権員会から、日本の自白偏重、自白の強要、長い拘留期間は何度も非難されています。

だから、他の先進国で一般的になっている「警察官や検察官からの取り調べの全過程を録画」を義務づけるように「アメリカ人のみた日本の検察制度」の著者は主張しています。これは、現在、弁護士団体や他のNPOからも広く叫ばれています。しかし、多くの国民は上記のような実態を知らない上に、興味もないので、政治問題にならず、なかなか実現していません。

日本が世界で尊敬される国になってほしい、と本当に願っている人なら、ぜひとも「取り調べ全過程の録画」を叫んでほしいです。

次の記事に続きます。

日本では検察が犯罪を作り出せる

「犯罪は社会を映す鏡」という言葉があります。これからの犯罪についての記事では、犯罪本の批判を通じて、日本人の道徳について考察していきます。

この記事のタイトルの「日本では検察が犯罪を作り出せる」は「アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)からの借用です。

犯罪本批判をする前に、総論として、上記の本を元に、日本の刑事裁判の問題点を指摘しておきます。ただし、この本は2004年に出版されており、まだ裁判員制度が設けられる前なので、現在既に改善されている点はあります。

日本の刑事裁判の被告人の権利は、先進国で最低でしょう。日本は「検察官の楽園」とは上記の本の冒頭にある言葉です。刑事裁判の無罪率が0.1%と異常に低いことに、それは端的に現れています。なぜここまで低いのでしょうか。

検察は被疑者を取り調べるときに、捜索、押収された全ての証拠を使えるのに、裁判では検察側が提出した証拠しか使えません。だから、検察側は裁判に有罪を示す証拠だけを提出し、無罪を示す証拠を提出しません。一応、裁判所が判断に必要だからと証拠提示を検察側に求められますが、その証拠提示を検察側が拒否できます。つまり、証拠を開示するかどうかは、検察側の善意に頼るしかないのです。誰が考えても、「え! 本当に? なぜ?」と言いたくなるような制度が合法的に定められています。

裁判での証拠提示を拒否できるなど、常識では考えられないでしょう。道徳的に論外であることは言うに及びません。それでは裁判で真実が明らかになりません。

アメリカでは、検察側が使用した証拠は全て被告側に渡す義務があります。もしこの義務を実行しなかったら、自動的に審理無効となります。他の多くの民主主義国家でも同様です。

この時点でありえないのですが、まだまだ検察側に有利な点があります。

次の記事に続きます。

日本が負けるに違いない太平洋戦争を始めた本質的理由、あるいは日本が第二次大戦で負けた本質的原因

ポツダム宣言受託で日本が無条件降伏した時、中国に105万の支那派遣軍関東軍を除く中国派遣軍)がいました。一部の例外を除けば、日中戦争で日本は楽勝だったので、終戦時点でも、支那派遣軍のほとんどの兵士は「日本が勝っている」と信じて疑っていません。

だから、「無条件降伏」という噂が流れた時、やっと蒋介石が無条件降伏した、と喜んだ兵士が少なからずいたそうです。しかし、時間がたつうちに「無条件降伏したのは日本らしい」と分かり、事情がよく呑み込めなかったと言われています。大本営発表でしか全体の戦況を知らされていなかった末端の兵隊たちだったので、この反応はご愛敬とも考えられます。

しかし、支那派遣軍総司令官の奥村寧次までが日本降伏の知らせを受けても、「屈辱的平和は……断じて承服できない。支那派遣軍100万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍(中国軍のこと)に無条件降伏するが如きは、いかなる場合にも絶対承服できない」と東京に電報を打ったのは、どう考えればいいでしょうか。日中戦争をもてあまし、米英との新しい戦争で決着をつけようとして太平洋戦争を始めた時点で、日中戦争の帰結は米英両国との戦争の勝敗に左右されるという大戦略の基本を、支那派遣軍の総司令官が忘れていたのです。

もしかして、支那派遣軍汪兆銘政権(日本が南京につくった傀儡政権)が中国で自活できる可能性が少しでもあると考えていたのでしょうか。もし「その可能性はゼロでない」と思っていたら、それこそ狂気です。

とはいえ、関東軍の中にも、「日本政府が万一降伏したとしても、満州国で自活する」と本気で考えていた日本軍人がいたようです。もちろん、ポツダム宣言受諾数日前にソ連軍の猛攻を受けてから、そんなことが可能だと考える人は満州に皆無になりました。

満州事変やそれにつづく北支工作、そして日中戦争の全過程を通じて、世界情勢下での自国の状況について日本は全く把握できていませんでした。支那派遣軍のトンチンカンぶりも最期を飾るのにふさわしかったのかもしれません。

第一次大戦後のヨーロッパにおける民族自決の潮流は、日本をふくむ帝国主義国家に蚕食されていた中国や、数百年前から欧米諸国によって植民地とされていたアジア各地にも、まんべんなく浸透しつつありました。たんに軍事力に秀でているからといって、適当な理由をでっち上げて他国を侵略し、自国のために他国を利用する時代は、完全に過ぎ去っていました。それが日露戦争までと決定的に異なる国際環境でした。

世界各地の植民地でも、エリート層からつぎつぎに民族独立の要求をつきつけられたので、欧米諸国は一歩ずつ譲歩していました。アジアのフィリピンでも、インドでも、インドネシアでも。だからこそ、日露戦争の時は、日本の朝鮮支配とアメリカのフィリピン支配を相互に認め合うとした「桂タフト協定」に同意したアメリカも、ワシントン会議で中国主権の尊重をおりこんだ9ヶ国条約を結んで日本を牽制したのです。

日露戦争から満州事変までは26年です。その間、中国や植民地側の人たちの自由や平等意識は明らかに向上していました。もはや帝国主義政策はとるべきでないことを欧米諸国は肝に銘じていました。しかし、日本はそういった世界の思想潮流に全く気づいていませんでした。

本来であれば、1915年の「対華二十一ヶ条の要求」を発した際の欧米諸国からの強い反発、なによりも中国自身がそれをむりやり認めさせられた日を「国恥記念日」として記憶しようとしたことから、日本は世界の思想の変化に気づき始めるべきでした。日本が当事者である1919年の韓国での三一独立運動、中国での五四運動などから、普通であれば、韓国人や中国人の自由や平等意識の向上に日本は気づくはずでした。あるいは、理想主義的な国際連盟規約に多くの国が賛同した時、1922年にワシントン海軍軍縮条約が結ばれた時、上記のように欧米諸国が植民地政策を少しずつ放棄している時、中国人や韓国人の自由や平等意識が向上している時に、日本は世界の思想潮流に気づかなければなりませんでした。しかし、いまだ欧米諸国が広大な植民地を持っている事実の方に日本は注目してしまい、帝国主義政策が絶対に許されない時代になっていることに、上から下までのほぼ全ての日本人が気づいていませんでした。

満州事変から太平洋戦争開始までの10年間、政策を大転換する機会は何度もありました。しかし、政治家や軍人の上層部は「このままでは日本が滅んでしまうかもしれない」と考えていながら、上記のような国際感覚だったので、政策を大転換することはできませんでした。もちろん、大転換すれば、日本は多くの領土を手放さなければならなかったでしょう。中国や満州は言うに及ばず、韓国や台湾もいずれ独立させなければならなかったはずです。つまりは、戦争してもしなくても、今とほぼ変わらない領土になっていたに違いありません。だから、いかに国民を納得させて、領土をうまく縮小させるかに、政府や軍部の役割があったのです。しかし、結局、誰もそれに気づかないまま、日本は負けるに違いない戦争に訴えました。

戦場の将兵は、ひたすら国家の正義を信じて戦い、将兵を送り出した家族・学校・職場・地域も日本の正義を信じて支えました。しかし、その正義がかなりゆがんだ正義であった、と日本人が悟るには「降伏という衝撃」と「戦前や戦中に隠されていた事実を直視すること」と「自由と平等意識の向上」と「世界全体の中で日本を客観視すること」が必要でした。この中でも「自由と平等意識の向上」が十分にできていない日本人にとっては、第二次大戦中の日本人が信じた正義を、今でも擁護すべきと考えてしまうのではないでしょうか。また、「世界全体の中で日本を客観視すること」ができていない日本人が多いのなら、日本は第二次大戦と同様の失敗を繰り返すことになるかもしれません。

 

※注:この記事の多くは、別の著者の記事からの引用です。昔、私はその記事を読んで、「第二次大戦で日本が負けた理由について、これほど本質を突いている意見は知らない」と思いました。それから約20年たっても、その考えはほとんど変わらなかったので、その記事を使わせていただきました。

コロナを制圧するためにも、全国民の位置情報をネット公開すべきである

私のように、新型コロナを2類感染症から5類感染症に変えて、インフルエンザ同等に対応するのが一番だと考えている日本人は、ごく少数でしょう。一方で、中国や台湾やシンガポールのように、徹底した隔離・規制によって、新型コロナをゼロにすべき、と考えている日本人も、ごく少数なのでしょう。「全く規制なし」も嫌で、「短期間の徹底した規制」も嫌で、「長期間の緩やかな規制」が日本人にとって、最も受け入れやすいのかもしれません。

本日の朝日新聞の「耕論」の「生存か自由か 選べぬ日本」の記事は、現状のコロナ対策の本質を突いた意見だったと思います。コロナ禍に対してアジア各国は生存を優先し、プライヴァシーも人権も抑圧して、欧米と比べると、コロナをうまく制圧しています。一方、欧米各国は自由を優先し、新型コロナの死者を続出させています。日本はそれらの中間をとっています。

なお、私は「無規制」を主張しているので、欧米各国よりも自由を優先しています。より正確には、コロナ禍で亡くなる人はほとんど高齢者なので、これまでの生活様式を規制するほどではない、と考えています。

それにしても、コロナで振り回される毎日が1年以上続いていると、私も含めて、多くの方がコロナ疲れをしていることでしょう。いまだに「コロナを減らすために、接触歴のない無症状の人にもPCR検査すべきだ」と言っている人がいると知って、「福島産の米が全例放射線モニタリング検査して、世界で最も厳しい基準を通っているのに、福島産米を捨てて、より危険な産地の米を食っている」人がいると知った時と、似たようなショックを受けています。なぜ科学的に正しい情報が広まらないのでしょうか。

本日の朝日新聞の「耕論」は日本の公的新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)の通知漏れ事件を踏まえての記事です。COCOAはただでさえ利用者が20%程度と少ないのに、見事に致命的な不具合を起こしてくれて、IT後進国ニッポンの面目躍如といったところでしょうか。

上の記事では「生存か自由か」と対立させていますが、アジア各国、特に中国や台湾でコロナを制圧できたのは、自由を制限しただけではありません。あまり注目されていませんが、携帯電話のGPS機能を使って感染者の移動範囲を徹底して特定したことも、自由の制限と同等か、それ以上にコロナ制圧に重要でした。記事によると、現在、中国ではスマホに「健康コード」というアプリをダウンロードしていないと、電車にも乗れないそうです。個人の位置情報の活用なしで、コロナを制圧できた国などありません。また、コロナ制圧に向けて、自由の制限を最小限にするためにも、IT機器の活用は不可欠です。

日本が世界最高のAI国家になる方法」に書いた通り、私は5年ほど前から、日本人全員の位置情報をネットで公開し、日本人全員の金銭情報をネットで公開すれば、日本が世界最高のIT先進国になるだけでなく、日本人全体の幸福にも繋がると確信しています。

コロナを制圧するためにも、国民全員に位置情報発信機をつければいいと考えます。そうすれば、新型コロナを最も効率的に制圧できます。

上記の通り、コロナ禍については「無規制」が一番だと私は考えています。しかし、それができず、長期間ダラダラと自由を制限し、皆が不満を持つくらいなら、短期間徹底的に感染者の自由を制限することが次善の策だと私は考えます。もちろん、位置情報の公開で、プライヴァシーは侵害されますが、それを上回るメリットがある、と私は確信しています。

今の日本で医療崩壊が起こっていると本気で信じている日本人が多くいます(10年後の日本人へ)

日本で医療崩壊が起こるのは「欧米先進国と違って、日本の病床数の大多数を占める民間病院がコロナ患者を受け入れていないから」という説が今月号の文芸春秋に載って、多くの人がその説を引用しています。こんな議論が起こっていること自体、私には不思議というか、滑稽でしかありません。以下にその理由を書きます。

確かに、ヨーロッパだと病院はほとんど公的機関なので、政府が一気にコロナ病床を増やしたり、コロナが収束した時にコロナ病床を減らしたりするのは簡単です。しかし、アメリカも日本同様、病院の多くは民間企業であるのに、コロナ病床を一気に増やせているので、民間病院が多いことだけが問題ではないでしょう。

では、なぜ日本はコロナ病床を他国のように一気に増やさないのでしょうか。

その答えは単純で「コロナ病床を急増させる必要がない」からです。「軽症のコロナ病床を一気に増やすと、コロナより死亡率が高い疾患のための病床が減るので、デメリットが大きい。さらに、重症のコロナ病床は全国的に不足していない」からです。こちらのNHK情報によると、1/20の時点で、コロナ重症者の病床で100%を越えているのは東京だけです。東京はすぐ近くに神奈川や埼玉や千葉があるので、そちらのコロナ重症者用の病床を使わせてもらえばいいだけです。また、東京は日本で医療資源が最も豊富でもあるため、実際はコロナ重症者用にできる病床がまだまだあるので(だから100%を越えられている)、その辺りは現場で適切に処理してもらえばいいでしょう。

それに第3波のコロナ感染者が第1波や第2波と比べると急増しているからといって、よく言われるように、欧米と比べると微々たるものです。コロナ重症者まで東京で毎日数百人単位で増えているわけではないので、コロナ病床を欧米のように一気に2倍も増やす必要はありませんし、増やすべきでもありません。

そもそもの議論です。「日本で医療崩壊が起きそうだ、あるいは、既に起きている」と多くの日本人は本気で信じているのでしょうか。私はコロナ軽症者用病床もコロナ重症者用病床も多くある大病院に今勤務しているのですが、医療がひっ迫している雰囲気は感じません。ICUが使いづらくなったので、手術が延期している影響(ICU病床は他から送られてきたコロナ重症患者さんに使われているため、手術後にICUに入室しなければならない人は手術ができなくなっている)、救急車の搬入を断っている影響があるくらいでしょうか。しかし、実際に手術延期となる症例を見ていると、「そもそもこんな手術をするべきなのか」と、どうしても疑問に感じてしまいます。術後にICUに入るくらいなので、もともと持病が複数あったり、ADL(日常生活動作)がかなり低下したりする高齢者になります。「そんな人にこんな大掛かりな手術して、わずかにADLを上げるほどの価値があるのだろか」と考えてしまう症例ばかりなのです。もちろん、手術を延期できるくらいなので、その手術をしなかったからといって、患者さんがすぐ死ぬわけでもありません。

医療崩壊しそうだ」とか「医療崩壊している」と言っている人やマスコミにまず聞きたいのですが、その「医療崩壊」の定義はなんでしょうか。それを定義してくれない限り、話が進みません。救急車の搬送先がなかなか決まらないことでしょうか。それで死者が全体として増えなくても、医療崩壊なのでしょうか。新型コロナの自宅待機患者が病院に搬送されず亡くなったケースがあるからでしょうか。市中肺炎でも自宅で急変して亡くなるケースはありますが、それとの比較もせずに医療崩壊なのでしょうか。医療者の負担が増しているという声があるからでしょうか。負担が増した医療者は何人いて、どれくらい仕事量が増えているかを明確にしていないのに、医療崩壊なのでしょうか。

福祉先進国・北欧は幻想である」にも書いた通り、日本は世界一医療が手厚い国です。同時に、過剰医療も世界一になってしまっています。現在の日本で、コロナ禍のせいで、これまでの手厚い医療ができなくなっているのは事実です。だからとって、日本で本当に必要な医療が、マスコミでいちいち取り上げるほど、減ってる事実はない、と確信します。毎年増加していた日本の死者数が2020年には減少に転じることが確実視されています。もちろん、最大の理由は「新型コロナ対策が市中肺炎対策にもなって、肺炎死者数が減少した」からです。ただし、それを考慮しても、他の疾患の死者数が激増しなかったのは事実です。

だから、「新型コロナ患者数が少なくて、医療資源も世界一の日本が医療崩壊しそうなのは〇〇だからだ」は根本的に論点がおかしくて、正しくは「新型コロナ患者数が少なくて、医療資源も世界一の日本は、当然、医療崩壊していない」になります。日本が医療崩壊していたら、他の国はもっと医療崩壊しています。なぜその発想が浮かばないのか、私には本当に不思議です。私は現在の日本の医療をこのように捉えています。

「もともと世界一手厚かった日本の医療は、コロナ禍のせいで、医療アクセスがやや減ってしまった。しかし、コロナ禍で死者数が減ったことからも、国民全体の健康が損なわれたわけでは全くない。むしろ、医療アクセスが減ったデメリットよりも、過剰医療が減ったメリットが勝るかもしれない。実際、2020年に死亡率は減ったし、医療費も減っている」

日本の農業は問題も答えも分かっているのに、その答えに進めない状態が30年以上続いています

これまでの記事で指摘した日本の農業問題は、このブログを読むような人なら、それほど目新しいものではない、と推測します。「日本は零細農家が多いため、生産性が低すぎる」「日本人の食料品消費のほとんどは加工食品や外食なのに、農家はその需要に応える農作物を作っていない」などの批判は、私も何回読んだか分かりません。少なく見積もって、ウルグアイラウンドのあった30年前からは言われています。日本農業の生産性の低さはその遥か昔から分かりきっていることなので、「農地は集約すべき」「生産過剰なら減反ではなく、輸出に回すべき」と、減反政策がとられる50年前からは提言され続けていることでしょう。

それにもかかわらず、なぜ変われなかったのでしょうか。そういった問題で、必ず悪玉にあげられるのは農協(JA)です。今回の一連の記事で取り上げている「2025年日本の農業ビジネス」(21世紀政策研究所著、講談社現代新書)でも、当然のように農協は批判されています。農協批判が出てこない農業の本は、日本に存在しないのではないか、と私が思ってしまうほど、農協は腐敗しています。

農協批判については、もう書ききれないほどありますが、一つだけ上記の本から例をあげておきます。

「日本と西洋先進国の農業保護政策の違い」で書いたように、関税で農産物価格を維持するよりも、農家への補助金にした方が、農業の国際競争力や生産性は増します。日本政府もバカではないので、まだコメの食糧管理制度のある数十年前から、そんなことは分かっていました。しかし、その記事で示したように、国内生産量が消費量の50%を上回ると、農家への補助金は関税政策よりも消費者の総負担(PSE)が多くなるので、特に関税収入がなくなる政府は採用したがりません。なにより、生産額の大きいコメに莫大な農家補助金を出すべきではありません。

だから、小規模で生産性の低い兼業農家補助金は低くして、大規模で生産性の高い専業農家補助金を高くする案が、当時の大蔵省から出ていました。これにより生産性の低い農家には退場を促し、生産性の高い農家に農地を集約する目的もありました。しかし、農協からその「選別政策」を強く反対され、兼業農家が大半の農民の票をあてにする与党政治家にも、受け入れられませんでした。

農協にとって、農家補助金を受け入れられなかった最大の理由は、農家への直接補助金は、農協の販売手数料の低下に直結していたからです。

政府が農協を通じて農家からコメを買い入れていた食糧管理制度の時代、「農家が負担する生産費は全て補償する」という考え方から、肥料や農薬、農業機械といった生産資材価格は、政府が買い入れる際の価格、つまり生産者米価に満額盛り込まれていました。農協が農家に生産資材を高く売りつけるという、組合員である農家と利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価の算定方式に制度化されていたのです。

この仕組みでは、農協が肥料などの農業資材を農家に高く販売すれば、当然米価も上がります。農協は生産資材販売と米価によって二度販売手数料を稼げます。さらに、食糧管理制度のもとで米価を高くすると、農家にとって闇市場に流す理由が薄れるため、農協を通じて政府に売り渡す量が増えます。つまり、農協のコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加します。直接の農家補助金では、これらの旨みが消えてしまいます。

もちろん、食糧管理制度は1995年、とうの昔に廃止されました。しかし、減反政策は2018年に名目上ようやく廃止されたものの、いまだに日本政府は備蓄米を買っていますし、適正生産量をわざわざ毎年示してくれています。なにより問題なのは、減反の代償であったはずの転作補助金はまだ続いていて、実質上減反政策が存続していることです。

しかも、最近の政策の飼料用米の転作補助金が異常に高いせいで、人間用の米から転作する農家が続出しています。コメ余りのはずの日本でコメの生産量が足りなくなる、というバカみたいな現実が今、本当に起こっています。需要のある安くて質の高い業務用米(もちろん飼料用では代用できません)は以前から不足しているにもかかわらず、です。

話を農協批判に戻します。上記のような「農水省の役人は正気か?」と疑ってしまう補助金政策が実行されるのも、農協からの要望があるから、と推測されます。主食用米の価格は維持したいので、毎年減っている主食用米の消費量に合わせて、主食用米の生産量も減らさなければなりません。しかし、トウモロコシなどの新しい農作物になると、これまでのコメ農家は作り方がよく分かりません。飼料用米なら、主食用米より生産が容易なので、楽に作れます。だから、飼料用米の補助金を増額したのでしょう。

果てしなくバカな話です。「呆れかえって物も言えない」という言葉は、こんな時のためにあるのではないでしょうか。

日本と農業成熟先進国の農業保護政策の違い

海外でも農業保護に税金が使われていることは以前から私は知っていました。「2025年日本の農業ビジネス」(21世紀政策研究所著、講談社現代新書)の著者の一人は、それを知らない日本人が大半だと考えているようです。

PSE(Producer Support Estimate:生産者支持推定量)という指標があります。政府の財政負担によって農家の所得を維持する「納税者負担」の部分(つまり、農家への補助金)と、内外価格差(国内価格と国際価格との差)に生産量をかけた「消費者負担」の部分(つまり、消費者が安い国際価格ではなく、高い国内価格を自国農家に払うことで農家に所得移転している総額)で構成されています。

このPSEの各国の内訳をみると、農協がコメ輸入について理不尽に大反対をしたウルグアイラウンド(それについての記事は既にこちらに書いています)の1986~1988年当時、消費者負担がアメリカ37%、EU86%、日本90%でした。しかし、2013年にはPSEの消費者負担がアメリカ6%、EU15%と6分の1くらいに激減したのに、日本はいまだ78%(年間約3.6兆円)もあります。25年ほどの間に、欧米各国は農業保護政策を「価格支持」から「農家への補助金」へ変えているのです。なぜでしょうか。

それは、国内消費者に安価な農作物を供給すると同時に、農業の国際競争力を確保したいからです。

また、国内生産量が少ない場合、PSEの総額負担は小さくなります。たとえば、日本の小麦の国内生産量は14%なので、下記の図から分かるように、農家への補助金の方が関税保護策よりもPSEの総額は低くなります。

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もちろん、この政策だと農家はどれだけ生産費用が高くなっても生産量を増やせば儲けが増えるので、政府は生産費用の上限の規制は敷きます。この生産単価上限(国内価格)を漸減させて、国内生産量が50%に到達するまでに国内価格をうまく国際価格に一致させれば、理論上、PSEはゼロにできます。減反をする必要もありません。ちなみに、現在の日本の減反は全水田面積の4割で、世界最大の減反率に違いないと上記の本に書かれています。

本では、コメ産業の規制を強く批判しています。減退補助金としてコメ農家に4000億円もの税金を出して、国内生産量を減らしている上に、コメの国際価格と国内価格の差で消費者が払っている総額は6千億円にも達しているからです。なお、日本のコメの市場は2兆円なので、その半額もの費用が費やされている計算です。

公明党の提言によって、食品だけは消費税が8%になりましたが、そんな面倒な政策を実行するくらいなら、コメの関税を撤廃して、農家への補助金政策に変えた方がよほど経済的弱者のためになる、と著者は指摘しています。確かに、コメの関税をなくせば、食品も消費税10%にしても、消費者がコメをより安い価格で買えることは間違いありません。

なお、世界各国のPSEと農業生産額の比率は以下の通りで、案の定、日本は上位集団の一つになっています。この上位集団は「日本の農業は日本のために世界で勝負すべきである」の記事で述べた「低生産性保護型農業」(生産性の低い農家を保護するため消費者に負担を強いている)であることは間違いないでしょう。

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