未来社会の道しるべ

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世界史上の全ての国はなぜ外交下手なのか

トランプ大統領候補やイギリスのEU離脱など、主に先進民主主義国で右翼と排外主義の台頭が冷戦終結後から30年間ほど続いています。

この理由は、いろいろあるでしょう。

まず、第二次世界大戦後、先進国は大きな戦争を経験していないことです。第一次世界大戦第二次世界大戦、あるいは日本の源平合戦南北朝時代、戦国時代、あるいは中国の三国時代五胡十六国時代黄巣の乱、紅巾の乱、李自成の乱などの大きな戦争があった後、統治者も民衆も「戦争だけは止めよう」としばらくは考えます。しかし、それらを痛感した世代が引退すると、再びタカ派が台頭してくるのは歴史が証明していると言えるのかもしれません。

世界史上で常に排外主義がはびこりやすい他の大きな理由は、国の統治者は、国内だけの支持を得ていればいいからでしょう。民主主義国家の選挙だと国内の有権者だけから選ばれるので、統治者は国内の支持だけを得ていればいいのは必然です。また、ロシア、北朝鮮、中国といった一党独裁国家でも、国内の支持だけで十分なようです。もちろん、海外の支持があれば、国内の支持も高まりやすい側面はあるでしょうが、あくまで間接的です。海外の支持があっても、国内の支持が高まらなければ、統治者は大した関心を持ちませんし、海外の支持がなくても、国内の支持が高まるなら、統治者は「有権者の声を反映する」などと理屈をつけて、積極的に排外主義に走ります。

日本の政治家を見ていると、選挙(政治家としての地位保全)のことばかり気にしていて、衆愚政治と私が失望することが少なくないのですが、実は独裁国家も国内ばかり気にしている点では同じようです。

「マンガ金正日入門」(李友情著、飛鳥新社)を読んで、私が一番驚いたことは金正日が自身の権力確保に、人脈も知力も労力も金も、全て注いでいることです。独裁者の息子として、地位が安泰していると思っていましたが、そんなことはありませんでした。正直にいえば、「おそらく、私が金正日でも、同じことをしているだろう」と考えてしまいました。なぜなら、独裁国家では、権力の転落は、地獄への転落を意味するからです。権力闘争に少し負けただけで、金正男暗殺事件のような結末を迎えてしまいます。

北朝鮮の権力者にとっては、自身の権力確保が全てです。民衆の暮らしは、権力確保のために間接的に影響していますが、直接的にはどうでもいい問題です。まして、海外での評判など、伸びすぎた鼻毛よりも関心はないでしょう。

世界史上、外交上手な国は、数えるほどでしょう。エリザベス期からヴィクトリア期までのイギリス、ビスマルク時代のドイツ、19世紀から20世紀のタイくらいしか私は浮かびません。日本が外交上手だった時代は一度もなく、「拉致問題が解決しないなら核ミサイルを打たれた方がマシだ」に書いたように、拉致問題は外交以前に狂気の沙汰の失敗です。ただし、アメリカも誕生から現在まで外交上手とは言えないと思います。

過去から現在まで、世界中の統治者は、国内で勝ち上がってきた者で、国外の支持はほぼ無関係です。この構造が変わらない限り、排外主義もなくならないように考えます。現在の世界で最大の不平等は、生まれる国も親も選べないことです。生まれた国による不平等をなくすためには、統治者の決め方も変えざるを得ないのかもしれません。

尖閣諸島で日中が戦争すれば

前回までの記事の続きです。

「戦争の大問題」(丹羽宇一郎著、東洋経済新報社)によると、尖閣諸島で日中が戦争すれば、日本がすぐに負けます。

核兵器を使えば日本が負けることは当たり前ですが、さすがに中国はこんな無人島のために、そこまでしないでしょう。核兵器を使わないなら、戦争の常識として、制空権が勝敗を決めます。最新鋭の第4世代戦闘機だけを比べても、中国は700機で日本は290機です。戦力2乗の法則に従って計算すれば、この量的な3.5倍の差は、実践だと2乗の12倍の差となりえます。尖閣諸島は日本が実効支配していますが、中国が本気で戦えば、まず日本は負けるそうです。

丹羽は元中国大使で、在任中、弱腰と日本で散々に批判されていました。「尖閣諸島の戦争で日本が負ける」と丹羽が予想しても、信じない人も多いかもしれません。私も丹羽の本の他に「日本が負ける根拠」はありません。

ただし、丹羽が言うように、「尖閣諸島で日中が争っても、アメリカが日本のために戦争することは絶対ない」は事実と考えます。日米安保条約でも、「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)でも、尖閣諸島のために、アメリカが日本を防衛する義務があるとは考えにくいからです。それ以上に間違いないことは、アメリカ人が自らの命を使って、こんな無人島を守るメリットがほぼないことです。日本に感謝されるメリットはあるかもしれませんが、そんなものは中国と(核)戦争するデメリットと比べると、誰が考えても、物の数に入りません。

丹羽の予想通りなら、中国が尖閣諸島を本気で占領に来たら、1日も立たずに戦争は終わり、制圧するでしょう。日本人の死者は多くて100人ではないでしょうか。もちろん、たった100人でも、日本人の反中感情はかつてないほど高まるに違いありません。

そうなると、どうなるでしょうか。

戦争は勝っても損をする」に書いたように、「満州だって、朝鮮だって、中国沿岸部の主要都市だって、占領しても日本の国益にならなかった。まして、そのために大国アメリカと戦争するなんて、バカげた判断だった。尖閣諸島ごときで、日本が中国と戦争するなんて、愚の骨頂だ」という丹羽の意見がますます言えない社会になることは確実でしょう。

「こんな小さい諸島のために、日本が毎年何億円もの国費を浪費して、巡視船やジェット機を運航させるなんて、もう止めよう。尖閣なんて中国に売るか、譲って、その分、日本への感謝を表明してもらった方が遥かにマシだ。中国は共産党の一党支配国家だから、メディアで日本への感謝を表明させられるはずだ」と日本の知識人たちが公言できるうちに、尖閣問題は解決すべきでしょう。

拉致問題が解決しないなら核ミサイルを打たれた方がマシだ

前回の記事の続きです。

「戦争の大問題」(丹羽宇一郎著、東洋経済新報社)を読んで、私は初めて認識したことですが、2002年9月、小泉純一郎金正日が調印した日朝平壌宣言では、北朝鮮がNPT(核不拡散条約)を遵守し、IAEA国際原子力機関)による査察を受けて核開発をやめ、その見返りに日本は北朝鮮と国交を樹立し、経済協力を行うことを定めていました。

アメリカもロシアも韓国も中国も国際機関もできなかった北朝鮮の核開発を日本がほぼ独力で阻止したのです。当時、ニュースでも大きく報道され、もちろん私も覚えていますが、そこまでの偉業だったとまでは把握していなかったように思います。

「信じがたい北朝鮮の譲歩を日本が得た、と欧米の新聞は称賛し、その後、いくつかの国際会議で小泉首相は満場の拍手を浴び、英雄扱いされた」

「しかし、日本国内では北朝鮮拉致事件を認め謝ったことで、拉致被害者家族への同情と北朝鮮への怒りが高まり、国交樹立、経済協力どこではなくなった。メディアもそろってこの動きに同調した」

世界の外交史上、ここまで愚劣な失敗があったら、教えてください。

この時、北朝鮮が日本に秋波を送った理由は、予想できます。冷戦結後、ロシアと中国は経済発展のために韓国と国交を結び、北朝鮮を事実上見捨てました。日本でいえば、日米同盟をアメリカから一方的に破棄されたと同等の衝撃か、あるいはそれ以上の衝撃だったはずです。だから、それ以後、核開発をチラつかせて、アメリカや韓国の経済援助などを引き出す計画でしたが、2001年にブッシュ大統領が選ばれてからは、その計画も頓挫しました。そこで目をつけたのが日本だったのでしょう。北朝鮮としては、起死回生の外交革命だったのかもしれません。

なお、平壌宣言調印後、日本が国交を結び、経済援助をしても、北朝鮮が本当に核開発を放棄したかは不明です。それ以前のアメリカとの交渉期間と同様、経済援助だけ受けて、核開発は放棄しないことが北朝鮮に最もメリットがあるので、あらゆる手段を使って、北朝鮮はその方向に持っていこうとしたに違いありません。その可能性を考慮しても、「六者協議は無意味であった」にも書いた通り、2001年のブッシュ政権誕生まで北朝鮮は内部的にはともかく、外部的には核開発を中止する姿勢を見せていました。この時の平壌宣言は、その動きを再開させる絶好の機会でした。今から考えれば、またとない、最後の機会でした。もし北朝鮮の核開発を未来永劫に中止させられるなら、日本世論や韓国世論を無視して、日本は韓国との国交を一時中断するくらいの価値はあったと私は考えます。

しかし、拉致事件という些事に日本がこだわったので、失敗します。北朝鮮拉致事件を謝ったのに、謝られた日本がなぜか逆ギレして、核開発中止も国交樹立もオジャンになりました。

これがおかしいことは正常な思考力のある人なら、日本人であっても、全員分かるはずです。道徳的に考えても、謝られたのに、怒るのは不誠実です。それはまだ許すとしても、わずか17名程度の拉致事件と各ミサイルで犠牲になる何百万あるいは何千万の人命を比較して、どちらが重要かわからない日本人が一人でもいるのでしょうか。

拉致問題に関して、日本、あるいは日本人は正気を失っているとしか思えません。「六者協議は無意味であった」にも書いた通り、韓国では日本の何十倍も拉致被害者がいますが、韓国は拉致事件について日本の何十分の1程度しか気にしていません。少なくとも、北朝鮮の核開発問題より重視するなんて、あり得ません。そんなことをするのは、日本だけです。

マスコミ報道するエリートたちがそれに気づかないはずはないのですが、「拉致事件は大した問題ではない。わずか17名なら、日本で1年間に失踪する人の1%未満ではないか」という事実を言う報道人がなぜ一人もいないのでしょうか。

全く無関係で、絶対に関心もなく、内心でバカにしていて、解決する気など皆無のトランプ大統領にまで日米首脳会談で「拉致問題の解決」を誓わせるなど、狂気の沙汰としか思えません。現在も世界中から、未来には日本人自身からも、嘲笑されることは、ここで私が断言しておきます。

世界有数の経済大国の日本がここまで狂った外交を行うことは、さすがに外国人の誰も信じられないようです。上記の本によると、平壌宣言が不履行になったとき、何人ものアメリカ人が軍事評論家の田岡俊次に「拉致問題に騒ぐ人々の意図は何か」と尋ねられたそうです。「怒りと同情の感情だけで特に意図はない」と田岡が言っても、誰も納得してくれません。どうもアメリカは「北朝鮮核武装を理由に、日本も核武装しようとしているのではないか」と本気で疑っているようでした。

実際、そう思われても仕方ない側面が、拉致問題にはあります。「(拉致被害者を)救う会」は時には暴力団新興宗教関係者も参加する列記とした右翼団体です。救う会には、日本会議のメンバーも多くいます。こんなことはマスコミ関係者なら全員基本知識として持っているはずです。しかし、公明党創価学会の党であることと同様、いえ、それ以上に、マスコミは口を閉ざしています。

拉致問題よりも重要な問題は、日本にも、北朝鮮にも、いくらでもある」ことは正常な判断能力があれば、誰にでも分かります。朝日新聞毎日新聞は言うに及ばず、読売新聞や産経新聞だって、「いくらなんでも拉致問題にここまでこだわるのはバカらしすぎる。日本の未来のためにならない」と気づいている記者は確実にいます。なぜ、誰もそれを言わないのでしょうか。

私にとって20年以上続く日本の謎の一つです。

戦争は勝っても損をする

「戦争の大問題」(丹羽宇一郎著、東洋経済新報社)は素晴らしい本でした。以前、同じ著者の本を読んで、大したことないと思った記憶がありますが、その判断が間違っていたと思うほど質の高い本でした。

第二次世界大戦の経験から「負ける戦争は絶対してはいけない」と日本人の誰もが知っているでしょうが、「勝つ戦争すらしてはいけない」と公言している丹羽宇一郎のよう人は珍しいのではないでしょうか。上記の本からの抜粋です。

「戦争は国民を犠牲にする。戦争で得する人はいない。結局、みんなが損をする。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけない」

「『あの戦争は正しかった』という私とは異なる意見があってもよいと考えている。問題は正しかったか、間違ったかではなく、正しかろうと、間違っていようと戦争をしてはいけない、戦争は人々を不幸にするとしっかり認めることにあるからだ」

「相手にいかに非があったとしても、武力をもって正すという方法は我々が決して許してはいけない」

その通りです。著者の言葉を借りれば、「キレイごとを正々堂々と」言っています。

確かに、日本は第一次世界大戦で「勝者」となり、経済も発展しました。それは、日本がほとんど戦争せず、戦争当時国に物資を売り込んだから、経済が発展したのです。いわば日本が戦争を利用して死の商人として儲けたからで、朝鮮戦争特需同様、情けない、かつ恥ずかしい歴史的事実です。

日本が当事国となって戦争した日清戦争日露戦争、シベリア出兵、日中戦争ノモンハン事変、太平洋戦争は、全て日本にとって負担になっています。

他の戦争はともかく、多額の賠償金獲得と領土割譲に成功した日清戦争まで、日本の負担になったとの解釈には反論もあると思います。

しかし、著者は石橋湛山も引用した次の統計を参考に、そう主張しています。1921年の統計によると、日本と朝鮮、台湾、関東州(満州の一部)との貿易額はそれぞれ約3億円で、合計9億円です。一方、同じ統計でアメリカとの貿易額は14億円です。しかも、当時はイギリス領だったインドの貿易額は6億円で、イギリスは3億円です。だから、(韓国や台湾の人には失礼極まりないですが)朝鮮半島や台湾のために、米英を敵に回すのは経済的には明らかな愚策でした。本からの抜粋です。

「戦争をして領土をとっても、産業と技術がなければなんの利益も生まない。

確かに、他国の資源の採掘権や販売権を持つことで利益は出るが、それは戦争しなくても然るべき代価を払えば手に入る権利である。

軍事的に資源を奪えば、その国民に恨まれ、常に施設の警備と防衛に兵員を割かなければならず、作業者も現地人の応募は期待できない。あまりにも経費がかかり、かえって相手国から買った方が安上がりになる公算が高い。

戦争して相手国に傀儡政権をつくったとしても、民意を得ない政権では結局上手くいかないことはイラクを見ても明らかだ。戦前日本の満州国経営も失敗例である。

戦争には与える力も作る力もない。あるのは破壊だけである。戦争で国益を確保すると主張する人は、具体的にどうすれば確保できると考えているのだろうか」

日清戦争で日本が負けていれば、日露戦争もなく、上記の他の全ての戦争もなかったでしょう。「日清戦争で日本が負けていれば、ロシアが日本に攻めてくる」と主張する日本人は当時もいましたが、その可能性はほぼゼロだと断定できます。もし本当にロシアが日本に攻めてくるのなら、もっと日本とロシアの国力の差があった幕末に攻めていたからです。また、万一、ロシアが日本に攻めてきたとしても、「黒船と本気で戦っていたら日本は攘夷を達成できたが、それは最悪の選択であった」にも書いたように、日本の一部をロシアが占領に成功したとしても(その成功確率すら低いと私は考えますが)、日本の抵抗により、いずれロシアは撤退せざるを得なかったでしょう。

日本は日清戦争に負けていた方が、経済的には発展したに違いありません。ただし、そうなると日本史だけでなく世界史も大きく変わってしまい、第二次世界大戦に日本が加わらなかった可能性も高くなります。だとしたら、今も日本には明治憲法が残り、軍隊もあり、徴兵制もあり、基本的人権の尊重もない国になっていたかもしれません。

東京大学前刺傷事件のまとめ

東大進学者数ではトップ10にも入らないものの、医学部進学者数では1位になる愛知県最難関の東海高校2年生が2022年のセンター試験当日に、本人が志望する東大前で受験生2名と70代男性1名を包丁で切りつけた事件です。直接の死者もおらず、既に世間の関心も集めていませんが、私としては注目している事件だったので、現在までに新聞で公表された犯人の経歴をまとめておきます。

犯人は4人兄妹の長男です。両親は障がいを持つ妹と不登校の弟の面倒を見ることで精いっぱいで、犯人に目を向けることができなかったようです。両親はいわゆる教育パパやママではなかったそうですが、良い成績をとれば犯人を褒め、進路についても犯人の意思を尊重していたそうです。

両親の証言によると、犯人は幼少期、放課後には友だちと外で遊んだり、ゲームをしたりする「普通の子ども」でした。小学5年からは塾に通いはじめ、地元の公立中学に入学後も塾通いは続きます。

一方、高校受験の頃から、偏差値や高校の東大合格者数などを気にするようになります。勉強にのめり込み、深夜1~2時ごろまで机に向かっていたそうです。この時期、両親が心配したのは、犯人の「自傷行為」です。「眠気を覚ますため」と、自分の手の甲をカッターで薄く傷つけることもありました。父は当時を振り返り、「自分を傷つけてはいけない。体を壊してまで勉強することはないと伝え」ました。母も注意し、その時はおさまったらしいです。

犯人は中学2年の時に国際医療で活躍する医師・吉岡秀人のドキュメンタリー番組をテレビで観て、医学部を目指すようになったようです。中学では常に学年上位の成績で、高校受験では複数の有名校を受験しています。しかし、親しかった友人らが受かった県外の進学校には落ちました。

ここで高校受験事情に詳しくない人には解説が必要でしょう。くだらないとしか言いようがありませんが、特に高校受験では、受験ツアーなるものを塾が企画します。開成、灘、ラサールといった全国屈指の難関校を受験するツアーです。ラサールは各県別の学生寮があるので合格したら入学することもありますが、それ以外の開成や灘など、生徒も親も塾も、合格しても入学しないと決めています。それにもかかわらず、受験させるのは塾としては「灘3名合格」などの宣伝になるため、生徒や親としては「開成にも合格した」と自慢になるためです。こんな受験文化が、この犯罪を助長したことは間違いありません。

犯人は「県外の私立に落ちたのは自分だけ。その醜態、自分が許せず、汚名返上、帳消し、挽回してやるという気持ちだった」そうです。

同じ頃、好意を持っていた成績1位の女性に告白し、フラれたことも追い打ちをかけました。「女性はサッカーがうまいとか顔がいいとかそんな奴がいいんだという妬みから、自分は勉強以外何もないので、勉強で挽回する。一人の女に好かれるよりも、肩書きで上にいって全員認めさせればいいという驕った考えに至り、(東大)理3を目指すようにな」りました。

高校入学時の自己紹介では「背水の陣。自分で自分を脅して心を鬼にして勉強し、理3という目標から逃げられないようにするため」、東大理3を目指すことを宣言します。

勉強にのめりこんでいった犯人は、周囲にも「学歴」へのこだわりを伺わせる発言を繰り返すようになります。

高校に入学した直後、別の女性から好意を伝えられた犯人は、「馬鹿と付き合う気はない」と告白を断ります。

勉強漬けの日々のなか、両親がちょっとしたことで諭しても、2人の出身大学を持ち出し「○○大学出身の人の意見は聞かない」などと見下すようになります。父が「人間は偏差値じゃない。テストの出来不出来で、人の(評価に)差をつけてはいけない」と言っても、響いていない様子でした。法廷で父は「勉強でやればやっただけ成績が上がった。他の人よりも努力すれば上に行けることから、そういった考え方になってしまったのでは」と推測しています。

自ら猛勉強していた犯人の姿を見ながらも、父は「自己肯定感が低い」とも述べています。どれだけ勉強しても、もっと上位の成績を取る人がいるため「全然だめだ」と思っていたとし、「成績は上がっても、満足はしてなかったと思う」と述べました。

高校1年で10番台まで上がった犯人の成績も、高校2年の秋ごろになると振るわなくなります。学年での順位は約400人中100位前後まで落ち込み、犯人は「一言でいうと愕然とした」そうです。

担任との面談で他大の医学部や文系転向を勧められたものの、「政治家や官僚以外は文系を蔑む風潮があった。普通の地方の国公立の医学部でも下に見られる。旧帝大でも、例えば名古屋大の医学部だとしても、それが普通のレベル」だったため、理3という目標を捨てきれなかったと述べています。

法定での同級生によると、犯人は高校2年の時、同級生に「将来はアフリカに行って病院を建て、貧しい子どもたちや発達していない医療を改善したい」と語っています。同級生が「東大を出ていなくてもかなえられることだよ」と言うと「世界で活躍するには東大じゃないとだめだ。その他は話にならない対象としてみられる」と答えました。同級生がさらに「そんなことないんじゃないかな」と言うと、犯人は泣き始めたそうです。同級生は高校内で成績が良かったため、犯人に「生まれ持ったものが違う」と言われたこともありました。

同級生によると、犯人は事件を起こす前、授業中に眠るようになったり、栄養ドリンクを大量に持ってきたりしていました。同級生が話しかけても拒否されるような対応を取られることも増えました。同級生は「あきらかに様子が変わっていたが、当たり前のことしかしてあげられず、とても後悔している。大学受験が全てではないと気づかせてあげられていたら、こういうことは起こらなかった」と悔やんでいます。

同じころ、犯人は同級生の女性を呼び出し、悩みを打ち明けましたが、「志望校のレベルを下げればいいんじゃない。」と一蹴されました。その際、女性への好意を伝えましたが、テスト勉強をした方がいいと断られ、その場で1時間近く泣きました。

「勉強や自分が周りに言ったこと、傲慢さ、プライドも投げ打ち、逃げたい」

犯人は、志望校だった東京大学のキャンパス付近で無差別に人を刺し、罪悪感で自分を追い込み、東大のシンボルである赤門に放火して安田講堂前で割腹自殺しようと考えるようになります。ついにはセンター試験当日に計画通りではありませんが、それを実行します。

勉強への執着は、逮捕されても続きました。

犯人は「今思えば大変失礼な感情」としながらも、逮捕直後は「被害者については何も考えていない。自分自身に対してもどうして死にきれなかったのか、と自暴自棄の感情」でした。

拘置所でも受験勉強を続けました。「勉強していないと周りから何か言われる」という強迫観念や、「罪を償うことや、今後の人生でお金を稼ぐには必要だとも考えた」こと、「被害者や事件のこと考えると怖くなる。現実と向き合わないように」との思いからでした。

しかし、被害者の供述調書を読んだことや、犯人が刺傷した70代男性が事件後に病死したことを知ると、心境に変化が現れました。2023年9月、きっぱりと勉強を止めたのです。犯人の言葉です。

「虚栄心、学歴、勉強といったことで自分を押し殺したり、自分の価値を決めたりせず、あえて一言でいうなら、素直に生きることだと思っています。

不安や臆病さはまだまだありますし、勉強の副産物である学歴偏重や職業の決め方、それを基にした傲慢さも、払拭しきれたわけではありません。勉強しなければ、皆に否定され、認められないという強迫観念に駆り立てられることもあります」

ところで、この事件の直後、私はたまたま東海高校OBの研修医と話す機会がありました。彼は「あれは東海生の事件とは言えませんよ。奴は高校から入っていますから。生粋の東海生じゃないですからね」と言いました。「犯人が刺すべき人はあなたでしたね」と私がなぜ言わなかったのか、と今でも思います。

この事件で、私にとって最も不可解な点が下記の「堪忍袋の緒が切れた」理由です。

裁判長「勉強以外秀でているものがないというが本当にないのか?」

犯人「秀でているという表現は…そうじゃないんじゃないでしょうか」

裁判長「今後社会で生きていくうえで秀でたものが必要?」

犯人「…」

裁判長「両親に聞くと『やさしい』と聞く。友達関係も受験という意味では蹴落とすこともあるかもしれないけど、対人関係で恐ろしいということはないはず。1つのプラスになるもの。沢山人がいる中で、勝ることを探すことは難しい。物差しを変えてみる価値観はいろいろだよ、考えてみてください」

犯人「…精進します」

このやり取りについて、犯人は判決前の意見陳述で、こう述べています。

「裁判の中で、裁判長に『自分は秀でているものが本当にないと思っているのか』と問われて、堪忍袋の緒が切れそうになったこともありました。大変ぶしつけではありますが、そうした心持ちであったことも正直に報告します」

法定でこのやり取りを見ていた人には、犯人の気持ちが分かったのもしれませんが、私には分かりません。

「秀でているものがないと思っていたからこそ、こんな事件起こしているんだろう! 今更なにを言っているんだ! こんな当たり前の質問をする奴に俺の人生の大事な数年間を決める権限などない!」

私がこの場で怒りを感じたなら、こんな気持ちだろう、とは思います。

しかし、直後の「秀でているという表現は…そうじゃないんじゃないでしょうか」という言葉とは、一致していません。「自分や誰かがなにかで秀でているとか、秀でていないとか、そんなくだらないことにこだわるべきでないと裁判で何度も言ってきたじゃないか!」という気持ちだったのでしょうか。

この「堪忍袋の緒が切れそうになった」の具体的な気持ちを本人に聞いた記事があれば、あるいは実際に文書などで本人に聞いた方がいれば、下のコメント欄に書いてもらえると助かります。

いじめの定義

「いじめを本気でなくすには」(阿部泰尚著、角川書店)を読んで、感動しました。無償でイジメ問題を解決している探偵の本です。そんな人が日本にいて、しかも「いつでも連絡してください」と電話番号とメールアドレスまで書いて、さらには「翌営業日までに100パーセントお返事します」とすら書いています。

にわかには信じられません。というより、日本中のいじめ問題を一つの探偵事務所が解決することなど、絶対に不可能です。どう処理しているのだろう、という気がしてなりません。

著者はテレビや雑誌にも紹介されているため、他の多くの探偵事務所がいじめ対策の仕事を有料ではじめてしまいました。他の探偵事務所は、校門の前に立って、出てくる生徒たちに片っ端から被害生徒の写真を見せ、「この子がいじめられているところ見たことないか」と聞き込みしたり、言葉巧みに高額請求したりして、問題になっているようです。本で他の探偵社に騙されない注意を呼びかけているのは良心的です。

著者が素晴らしいと特に思うのは、いじめ防止対策推進法を日本でおそらく一番活用して、いじめを解決していることです。7年前の「いじめ防止対策推進法」の記事で「のべ100万人以上のいじめ被害者の犠牲の上に成り立った金字塔」と私が絶賛したように、この法律はよくできています。この法律を活用すれば、著者のような探偵の出番も不要であると日本中の教師に理解してもらいたいです。

このように、私は著者を称賛する気持ちが批判する気持ちよりも遥かに強くあります。だから、以下で著者の考えの間違いを指摘しますが、それも著者や教育者がこの本の欠点に気づき、いじめ問題をさらに適切に解決できるようになってほしい、と考えるからです。

著者は、神奈川県の中学校の生徒指導の先生に「いじめの定義っていろいろあるから」と言われたとき、「一つしかありませんよ。もしかして法律を読んでいないのですか」と返答して、大いに脱力したそうです。

これは著者が間違っています。法律上の定義は一つしかありませんが、一般的な「いじめの定義」はいろいろあります。特に「いじめは絶対悪である」なら、どうしても「いじめ」の範囲は狭くならざるを得ません。「いじめ」や「ハラスメント」は「絶対悪」になりがちなので、その言葉はあまり使うべきでない、と私が考えることもよくあります。

いじめ防止対策推進法は「いじめ」の定義を広くとっています。それこそ、「いじめ」と言った者勝ちになりえるほどです。

だからこそ、いじめ防止対策推進法は、罰則がありません。罰則がないことも含めて、いじめ防止対策推進法は素晴らしいと私は考えていますが、罰則がないことをこの法律の欠点だと著者は考えているようです。

しかし、本当に悪質ないじめなら、刑法で罰せられます。刑法に抵触しない程度のいじめなら、罰則なしはやむをえないでしょう。また、罰則がないからこそ、いじめを広く定義できているのです。さらに、「裁判上の罰則がない=学校がいじめた生徒に罰を与えられない」では全くありません。実際、いじめた生徒たちに「出席停止を命じる」「懲戒を加える」と、いじめ防止対策推進法に書いています。法律以外での文科省公開のいじめ対策通達なら、「いじめた生徒(いじめられた生徒ではありません)を別室登校させる」など、より具体的に書いています。

いじめは学校に存在すべきではありませんが、残念ながら、小さいものまで含めたら、どの学校にも存在してしまいます。

たとえば、「みんなは友だち同士で敬語なんか使わずに話しているのに、私にだけはみんな敬語を使ってくる。これはいじめだ」と主張された場合、どうでしょうか。いじめの可能性もありますが、そうでない可能性もあるでしょう。さらには「みんなは真面目にテスト勉強している。これはテスト勉強できない私に対するいじめだ」なら、どうでしょうか。これをいじめと考える人は、さすがに日本にいないことを願います。

このように、いじめ防止対策推進法の「他の児童によって、当該児童が心身の苦痛を感じているもの」が完璧ないじめの定義になるわけではありません。どうしても「いじめの定義」はあいまいになります。その不完全さを理解しながら、著者や日本中の教育関係者がいじめ対策してくれることを期待しています。

日本人男性を大量に安楽死させる案

前回の記事の続きです。

「挑発する少女小説」(斎藤美奈子著、河出新書)はミサンドリー(男性嫌悪)に満ちた本でした。理性が飛んでいるとしか思えないほど、ミサンドリーあるいは結婚嫌悪が強いです。特に「若草物語」の章はひどいです。

若草物語は4人姉妹の物語です。主人公の「男の子でなかったのがくやしくてたまらない」次女ジョーは、長女メグが結婚するとき、異常なほどの嫌悪感を表出します。「メグはあの人(結婚相手)に夢中になって、私(ジョー)なんか何もおもしろいことがなくなる」とジョーは私憤を爆発させますが、著者はこの私憤を正当なものとみなして、「そうだ、そうだ、もっと言ってやれ」と囃し立てています。「(ジョーにとって)最愛の姉が奪われる、という恐怖もあったでしょう。メグが恋愛なんかにウツツを抜かしていること自体が許せなかった。それもあり得る。しかし、より本質的には女を束縛する結婚制度、ひいては異性愛至上主義に対する無意識の抗議ではなかったでしょうか」と著者は書いて、ジョーへの異常に強い共感を示しています。

若草物語」には序盤から、ローリーというジョーと同年代の少年が出てきます。著者も認めているように、「いつかこの2人はくっつくんじゃないかしら」「くっついてほしい」と読者は考えます。しかし、「そんなのはくだらないラブロマンスに毒されている証拠」と著者は一蹴しています。「子どもの頃は誰でも『男の子になりたい』っていうのよ。だけど年頃になったらみんな恋に目覚めて、私の大切な人はこんな近くにいたんだわ(ハートマーク)、とかいって結婚するのよ。そんなありふれた言葉を私たちはイヤッというほど聞かされてきました」と、著者は自分以外の女性も同じだと考えているようです。

若草物語」の続編で、ジョーはローリーの求婚を拒絶し、傷心のローリーは四女エイミーと結婚します。さらなる続編で、ジョーも20才年上の哲学教師と結婚します。著者はジョーの結婚が気に入らないらしく、「ジョーの結婚は読者の要望に応えた結果で、作者にとっては妥協の産物だったともいわれています」とわざわざ書いています。

著者は自称フェミニストですが、私にはミサンドリーにしか思えません。残念ながら、私が購読している朝日新聞は、この斎藤美奈子が大好きです。「好書好日」と「旅する文学」と2つもの連載記事を書かせるだけでなく、ほかの記事にも頻出し、日本の若者女性たちに結婚しないよう全力で奨励しています。

少子化が最大の政治・経済・社会問題である現代日本で、これは社会犯罪でしょう。斎藤美奈子朝日新聞は、日本人を絶滅させたくて仕方ないようです。

もし若い女性が結婚せず、恋愛もせず、セックスもしないことが社会的に許されるなら、許された人数分だけ、男性を安楽死させてください。少なくとも私は、女性と結婚できず、恋愛もできず、セックスもできないのなら、そもそも生まれてきたくなかった多くの男性の一人です。それ以外の生きがいなど、私にはありません。現在も私は「家庭10で仕事0」といろんな人に本音で言っています。結婚適齢期まで生きてから安楽死させるのはかわいそうなので、男として生まれた直後に安楽死させる方がいいでしょう。

上の本で、最も腹立たしい言葉は「男だったら、こんな思いはせずにすんだ」です。斎藤文一という宇宙物理学者の父のおかげで、恐ろしく恵まれた人生を歩んだ女がこんな言葉を使う正当性があるのでしょうか。上記の本の内容を男女逆転させれば、いかに女性にとって失礼になるか、斎藤美奈子は少しでも考えたことがあるのでしょうか。斎藤美奈子に何十回もミサンドリーな意見表明をさせて、腹が立たない朝日新聞の男性記者はどれほど恵まれた恋愛経験をしているのでしょうか。誰か、本当に調べてください。

「個の尊重」を守るためなら日本が滅んでもいい

「まだこんなこと言っているのか、コイツは! もういいかげんにしろよ!」

今朝の朝日新聞を読んでいての感想です。

今日の新聞一面トップは人口戦略会議の発表でした。このブログでも何度も書いている通り、少子高齢化、特に少子化は現在の日本の最大の政治・経済・社会問題です。これから日本の多くの地方が電気・水道・医療・教育・介護・保育・交通・インターネットなどのインフラを維持できなくなり、事実上消滅します。その最大の原因は少子化にあります。

「今後、日本の経済がどうなるか知っていますか?」

この1年で私は10代後半から20代前半の日本人10名ほどに上の質問をする機会がありました。3分の2は「分かりません」でしたが、3分の1くらいは「悪くなる」と正解を言っていました。「よくなります」や「現状維持」と不正解を言う若者はさすがにいませんでした。

これも何度も書いていることですが、革命でも起きない限り、日本の経済規模(GDP)は今後縮小していきます。「日本経済がよくなるかどうかは、若い人たちの努力次第です」と言っている奴がいたら、バカだと思ってかまいません。もう既に老害世代が日本の経済減少路線を頑丈に造り上げてしまったからです。経済縮小路線が頑丈になっている最大の原因も少子化です。もはや若者がどう努力しても、人口減少ジェットコースターを修復するまでに50年はかかるはずです。100年、200年、もしくは日本が滅亡する数百年先まで修復できない可能性も十分あります。

人口減少は未来の日本人全員に負担をかけます。上記のような社会インフラの崩壊が最も分かりやすい負担になるはずです。「生涯未婚時代」「高齢者天国日本が見えない新聞記事」「子育てなしなら年金ゼロ」などの記事でも書いたことですが、子どもがいないと社会が持続できません。その社会の構成員である個人も困ります。これは予想ではなく、科学的に導かれる事実です。

それにもかかわらず、朝日新聞は「時時刻刻」という記事で、少子化問題について次のように主張しています。

 

人口問題を考えるとき、経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ。人は決して、人口増の手段ではないのだから。

 

いつまで、この新聞はこんなバカなことを言っているのでしょうか。子どもがいなければ、働く人がいなくなれば、社会が成り立たない事実から、いつまで目をそむけるつもりなのでしょうか。この記事を書いたバカ記者は人口減少すれば個の尊重にもならない、という当たり前の事実を理解できないのでしょうか。

おそらく、このバカ記者にとっての「個の尊重」は、第二次大戦時の日本人が命よりも大事にした「国体」と同じようなものなのでしょう。当時の日本人は戦争でいくら負けがこんで、何百万や何千万の日本人が死のうと、絶対に降伏はせず、「国体」という大義を守ろうと思い詰めていました。「国体」を守るためなら、日本という国が滅んでもいい、と第二次大戦時の日本人が考えていたように、「個の尊重」という大義を守るためなら人口減少で日本という国が滅んでもいい、とこのバカ記者は考えているのではないでしょうか。

上の朝日新聞の主張についてのもう一つの感想です。「経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ」は文化大革命期の中国の紅衛兵が好んで使いそうな言葉です。このブログは朝日新聞記者にも読まれているので、誰か上の文章を書いたバカ記者に「文化大革命と西洋人への皮肉」の記事を読ませてくれないでしょうか。

誰もが不要と認めているのに継続している制度を「枢密院」と呼ぶ提案

「枢密院」(望月雅士著、講談社現代新書)を読んでの感想です。

枢密院といえば「胡散臭い」「頑迷固陋」「陰謀」といった世論が、現在および、その存在中からつきまとっています。1902年、まだ枢密院誕生してから13年の時点で、伊藤博文が総理大臣だった時の「遺物」と中江兆民が枢密院を批判しています。

戦前の日本は衆議院貴族院と枢密院の三院制だった、という見解があります。このうち国民が選べるのは衆議院だけです。貴族院は定数250~400名で議事録が公開されていますが、枢密院は定数わずか二十数名で議事録が非公開です。枢密院は他国に同様の機関がなく、伊藤博文が欧州留学中にシュタインの講義に出てきた参事院を元に「発明」したようです。上記の著者は「枢密院のために、日本の政治は多元化し、また複雑化した。もし枢密院がなければ、近代日本の政治はどれほどシンプルであったか」と嘆いています。

中江兆民が批判した通り、明治憲法の起草時に政治対立がなければ、特に1887年に条約改正についての藩閥内の対立と民権派反政府運動がなければ、「政府と議会の対立を解決するための」枢密院が生まれなかったかもしれません。つまり、一時的な政局で、「憲法の番人」と自称する複雑怪奇な機関(枢密院)が生まれてしまった可能性があるのです。上記の本では「もしその歴史的条件(1887年の政局)が異なれば、枢密院は存在しなかっただろうし、近代日本はまた別の道をたどったに違いない」と確信調で書いています。

1889年に枢密院ができた直後、1890年に帝国議会が始まる前に、山県有朋によって枢密院形骸化が計画されています。さらに帝国議会が始まると、明治天皇は枢密院にろくに出席しなくなり、顧問官(枢密院のメンバー)のモチベーション低下も著しくなります。枢密院を作った当の伊藤でさえ、第二次内閣時代、日清講和条約遼東半島還付条約について枢密院を無視しています。発足直後から数年で、天皇も伊藤も山県もその他の有力政治家も枢密院に疑問を感じていたのです。

確かに、枢密院が若槻内閣を総辞職に追い込んだりした例はありますが、その誕生から終焉までの枢密院の歴史を書いた上記の本を読む限り、政治に大した影響は与えていません。上記の著者の見解とは異なり、たとえ枢密院がなかったとしても、近代日本は同じ道をたどったように私は考えます。

そんな不要な枢密院ですが、顧問官の最大の魅力は給与の高さにあると本に書かれています。1892年に伊藤が枢密院顧問官を「閑職」と呼ぶほど仕事がなかったのに、年俸は各省大臣に匹敵しています。「枢密院顧問官に就くと、亡くなるまで在任するケースが多いのは、就任時の年齢が高いことともに、この給与の高さに理由がある」そうです。枢密院がなければ、近代日本の税金が少しは有効に使えたようです。

そんな税金の無駄でしかない、老害政治家のガス抜きの場でしかない枢密院なのに、有力政治家から一般国民まで煙たがっていたにもかかわらず、枢密院は戦後の日本国憲法制定まで約60年間も残ってしまいました。何度か枢密院をなくそうという案は出ていますが、明治憲法改正の必要性があるため、結局、日本国憲法成立、つまり日本史上最大の敗戦まで実現しませんでした。

敗戦後、多くの日本人が新憲法案を作りましたが、そのほとんどは枢密院の記述なし、つまりほとんどの日本人は枢密院を廃止すべきとしか考えていませんでした。

日本人の上から下まで不要と考えているのに、なぜか継続されている機関や制度は現在も多く残っています。あまりに多いので、そういった機関や制度は「枢密院」と代名詞で呼んでみてはどうでしょうか。

減税は企業献金のキックバック

今朝の朝日新聞に租税特別措置の批判記事がありました。

税制は「公平・中立・簡素」という原則がありますが、その例外として特別に認められた措置で、現在369項目あって、全て知っている方はほぼいないでしょう。

総務省は毎年秋、それぞれの租税特別措置の効果を点検します。昨年点検した36項目のうち、19項目でこれまでの効果について、32項目について将来の効果について、それぞれ説明や分析が不十分と指摘しました。

とりわけ、昨年末に延長と拡充が決まった「賃上げ減税」については、「著しく不十分」と厳しく評価しました。減税が賃上げにつながっているのか、効果検証するためのデータが開示されておらず、総務省ですら検証しようがなかったのです。

このブログで何度も批判していることですが、日本は検証しない国で、情報開示しない国です。賃上げのために減税したなら、当然、減税が賃上げにつながったかどうか考察しなければいけないのですが、していないのです。考察以前に、減税の恩恵を受けている企業名すら謎なのです。ありえません。

日本は一度決めたことは、なかなか変更できない国でもあります。本来、例外である租税特別措置なのに、1951年の昔から2年ごとの延長を続けている「船舶特別償却」もあります。担当者によると、日本の船舶の税制優遇措置はヨーロッパの主要海運国と比べて遥かに劣っているらしいのですが、だったら恒久減税にすべきです。そうすれば、海運の業界団体が毎年1千万円も自民党に寄付しなくてすみますし、役人の無駄な事務処理も減ります。それにもかかわらず70年も延長を繰り返しているのは「延長を繰り返すことで税調(自民党)は業界への影響力を保てるし、財務省も恒久化を避けられる」からだそうです。そんなくだらないことのために、毎年1千万円と無駄な公務員の労力を使うべきと考える日本人が一人でもいたら、下のコメント欄に実名を書いてください。

賃上げ減税も含めた租税特別措置で、毎年8兆円もの税収が減っています(2023年度国家予算の7%)。今年3月の参院財政金融委員会で共産党小池晃が「(減税は)企業献金キックバックだと言われても仕方ないのではないか」と批判しています。同感です。

法曹界への2つの失望

「〇〇の常識は世間の非常識」

自虐表現として、よく用いられる言葉です。医療関係者の私も院長に「病院の常識は世間の非常識」と言ったことがあります。

残念ながら、高い社会道徳が要求される「政治家」にも上記の言葉が使われるのは、周知の通りです。今回注目したいのは「法曹界の常識は世間の非常識」という問題です。

「道徳違反の行為の一部が法律違反になる」という考えがあります。普通に考えて、その通りですし、そうあるべきようにも思います。だから、法曹界の道徳は世間一般の道徳よりも質の高いものであるべきなのですが、そうなっていない実例を「私は真犯人を知っている」(文藝春秋編集部編、文春文庫)から示していきます。

司法試験合格者の中で、最も優秀な者が裁判官になり、次に優秀な者が検察官になり、それ以外が弁護士になる傾向は、このブログを読む方なら知っているでしょう。ごく一部のエリートである司法試験合格者の中でも、さらに優秀な検察官が、ここまで低い道徳観なのか、道徳観以前に常識もないのか、と失望することが「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」でありました。厚労省局長である村木厚子の冤罪事件でもあります。

村木を最初に取り調べた遠藤祐介検事は「私は倉沢さんに会っていません。『凛の会』は知りません」との調書を作成して、村木に確認を求めました。村木は「そこまで断定していません。会っているのに私が忘れてしまっている可能性までは否定していません」と必死に抗議しましたが、遠藤検事は「あなたの記憶についての調書なんですから、これでいいいんです。また思い出したら、その時に別の調書を作りますから」と訂正してくれませんでした。押し切られる形で、村木は調書にサインをしています。

以下、村木の感想です。

「調書の中で一つでも事実に反することが分かれば、私(村木)は嘘をついているという実績が作られてしまいます。罠にはめられているような気がして、弘中弁護士にも相談しました。(略)

弘中先生は『みんなが嘘をついているわけじゃない。検事が自分の好きな調書をまず作ってしまう。そこから交渉が始まるんだ。調書とはそういうものだ』って。

どんなに説明しても、結局検事さんが書きたいことしか書いてもらえない。いくら詳しく喋っても、それが調書になるわけではないんです。話した中から、検事さんが取りたい部分だけがつまみ出されて調書になる。そこから、どれだけ訂正してもらえるかの交渉が始まるんです。なので、いくらやりとりをしても自分が言いたいこととはかけ離れたものにしかなりません。がんばって交渉して、なんとかかんとか『少なくとも嘘はない』というところまで、たどり着く、という感じです。(略)

遠藤検事から『執行猶予がつけば大した罪ではない』と言われた時に、『有罪でも執行猶予なら大したことないなんて、とんでもない』と泣いて抗議しました。その後の取り調べをした國井検事にも同じことを言われました。実は、元検事の弁護士さんからも言われたことがあります」

この部分でも「法曹界の常識は世間の非常識」が如実に現れていますが、まだ続きます。

「遠藤検事の取り調べは10日で終わりました。その最後の日、すでに作ってあった長い否認調書を持ち込んで、私に見せたんですよ。読んでみたら、他人の悪口がいっぱい書いてあるんです。特に上村さんや倉沢さんについて。『10日間、これだけ誠実に取り調べに対応してきたのに、まとめの調書でこれか』と思い、憤慨して『サインできません』と突っ返しました。遠藤検事が『どうしてダメなんですか。立派な否認調書だと思いますよ』と怪訝そうな顔をするので、『私はこんなこと言いましたか。これは、私と全然人格が違う人の調書です』と抗議したんです。そうしたら、遠藤検事はーきっと正直な人なのでしょうー「これは検事の作文です。筆が滑ったことはあるかもしれません」と認め、パソコンに向かって直し始めました。それで、私がとんでもないと思ったところはきれいに消えたんですが、一ヶ所だけ、倉沢さんについて「いい加減」という言葉は残っていました。遠藤検事は『村木さんは1回、こう言ったでしょう?』と、ここだけは譲らない。確かに、倉沢さんは事実と違うことを言われていました。でも、その場面を自分で見ているわけではなく、会った記憶もないので、『倉沢さんがいい加減っていうのは、事実なんだろうか、私の憶測なんだろうか』ってかなり悩みました。結局、その表現は残りましたが……。それで、できあがった調書にサインしようとしたら、遠藤検事はその前に上司のところに見せに行くんですよ。『最初のやつと、だいぶニュアンスが変わっちゃったから』とか言って。ちょっとして、オーケーが出たということで、サインをしましたけれど、これだけ1対1の真剣勝負で作った調書なのに、いちいち上司の決裁を受けなければならないのか、と思いました」

この世間の常識から乖離した遠藤検事は、しかし、村木にとってまだマシな検事でした。次の國井検事は村木にとって「全然気持ちが通じない」「思い込みがとても激しい」「何を考えているのか全然分からない」「話は最後まで全くかみ合わなかった」相手でした。

思い込みの激しさの例として、「キャリアとノンキャリアは常に対立していて、ノンキャリアの人たちは汚い仕事ばかりさせられて、それが嫌でたまらない」「役所は議員案件に弱い」などが挙げられています。後者について、「証明書の類は、民間の人だろうが、議員さんだろうが、やることは同じなんですよ」と村木が説明しても、「そんはずはない」と國井検事は言い張ります。「議員から頼まれたからやるんであって、そうでなければやるはずがない」と國井は本気で述べたそうです。「法務省検察庁では、そういう仕事のやり方をしているのでしょうか」と村木が邪推したのも当然でしょう。

他の思い込みも書かれています。

「議員が紹介してくる団体はろくな所ではないとも思い込みもありました。ろくでもない団体だから議員の紹介が必要、という発想なんです。私の経験だと、それは全くの誤解です。特に、議員が小さい団体を紹介してくる時は、『いいことをやっているけど、公的な応援がなにもなくて苦労しているので、なにか救える制度はないか』という問い合わせが多いんです。民主党市民運動系の人がいるから、そういうことが多かった。でも、いくら説明しても分かってもらえない。押収された私の手帳や業務日誌には、議員からの依頼事項やそれをどう処理したかも全部書いてあるんです。与党の大物議員から『ここに補助金をつけてくれ』と言われて断ったことなんかが、いっぱい書いてあります。なのに、野党の政治家からのお願いを無理してもやらなきゃならないはずがない。普通に考えれば分かりそうなものです。(略)

そんな調子でしたので、國井検事の取り調べは、調書を1本も作ることなく終わりました」

國井検事の独特な(異常な)思考形式の例は他にも書かれています。

國井「上村さんは一生懸命正直に話してくれる。僕は上村さんが嘘をついているとは思えない。上村さんって真面目な人ですよね」

村木「そうですね」

國井「上司から言われてやったことで、彼が追い詰められたら可哀そうですよね」

村木「もしそうだったら、可哀そうですね」

このやりとりの後、國井検事はこんな調書を読み上げました。

「私は今回のことに大変責任を感じております。私の指示がきっかけでこういうことが起こってしまいました。上村さんはとても真面目な人で、自分から悪いことをやるような人ではありません」

当然、村木はびっくりして、サインしませんでした。

國井検事は「真実はなんなのかは結局分からない。いろんな人たちの真実を重ねて、一番たくさん重なり合っている所が真実と決めるしかない」と村木に言ったそうです。國井によると「村木が嘘をついているか、他の人全員が嘘をついているか」なので、上の理論から「村木の言うことが間違っている」が導かれてしまいます。まるで小学生が言うような屁理屈です。もちろん、裁判所はこの國井理論を退けています。

それにしても、いくなんでも、ここまでバカで非常識で道徳観の低い遠藤や國井が日本最難関の資格試験に合格して、その中でもエリートの検事になれたことが不思議でなりません。一体、司法試験とは、なんの目的で、なんの能力を調べるために課されているのでしょうか。

残念ながら、遠藤や國井は村木の冤罪事件を起こした後も、検事を続けられて、現在も公職に就いています。

村木の記述を読むと、法曹界あるいは日本の法体系全体に失望してしまうほど、ひどい検事だと感じます。

村木はこうも書いています。

「事実に反する供述調書(村木に不利な内容)にサインした人たちを恨んだりはしていません。取り調べは、玄人と素人が一緒にリングに上がっているようなもので、調べられる側にとってはあまりに分が悪い戦いなんですね。私自身も、自分にとって不本意な調書にサインしたこともあります。それに、マスコミであれだけの情報を流されれば、事件はそういう構図なのかなと思い込んでしまったり、そういう構図の中で嘘つきと思われたくなったり、という防衛本能はどうしても働くので」

そこまで「分が悪い戦い」であったのに、村木が裁判で戦えたのは「気持ちが折れない」「健康で体力が続く」「いい弁護団に恵まれる」「自分の生活と弁護費用をまかなえる経済力がある」「家族の理解と協力を得られる」という5つの条件が揃ったからだ、と述べています。

「5つの条件が揃う幸運に恵まれないと戦えないんです」とまで村木は書いていますが、そんな5つの条件が揃わないと(検察との刑事裁判に)戦えないのなら、大多数の人は検察とは戦えません。事実、日本の検察は刑事裁判での勝率99%以上なのですから、村木の言う通りなのかもしれません。しかし、刑事裁判は国家の正義が明らかにされる場なのですから、「気持ちの折れやすい人」「病気で体力もない人」「いい弁護団に恵まれない人」「大した貯金のない人」「家族の理解と協力を得られない人」であっても、容疑者に正義があるなら、検察に勝てる制度にすべきことに、誰も異論はないはずです。もし村木の言う通りであるなら、日本の正義に失望せざるを得ません。

100兆円を越えるコロナ予算の事後検証

「コロナ予算」は、新型コロナの流行が本格化した令和2年度だけで、総額77兆円です。日本大震災の復興予算が、10年あまりの総額で約32兆円であることからも、「コロナ予算」がいかに異次元の規模かがわかります。ワクチン接種、国のマスク配布、Go To イートなど、感染症の拡大防止から経済対策まで、使い道は多岐にわたります。

その「コロナ予算」の一つ、新型コロナウイルス対策の地方自治体向けの財源として、国が2020年に創設した「地方創生臨時交付金」は3年間で18.3兆円です。キャンプ場のWiFi整備(北海道浦幌町熊本県美里町など)や、トイレの洋式化(愛媛県西予市山口県長門市など)、レンタル用自転車の購入費(長野県原村、大分県国東市など)に使われた例もあります。コロナ禍では密を避けるべきなのに、花火にコロナ予算が使われた例も多くあり、人影が消えた目抜き通りのイルミネーションや、建物などのライトアップに関する計画も129件見つかったそうです。恐竜、土偶、(ゆるキャラの)着ぐるみにまでコロナ予算が使われ、今朝の朝日新聞も呆れています。

常識的に考えて、そんなものがコロナ対策になるわけがありません。しかし、各自治体は「花火でコロナの終息を願う」「自粛生活を強いられた市民に元気を与える」といった「検証結果」を出しているそうです。

このブログで何度も嘆いているように、日本はまともな事後検証ができない国です。反省しない国と言ってもいいかもしれません。

コロナを完全に無視して、みんなが自粛もしなければ、100兆円以上のコロナ予算は全て不要でした。もちろん、そうすればコロナは蔓延して、確実にコロナによる死者は増えました。しかし、コロナに限らず、癌、心臓病、うつ病、風邪などを含む全ての疾患の医療費は年間約40兆円です。全ての疾患費用の2倍もの金額を、たった一つの感染症のためにかけるべきだったと考える日本人はいるのでしょうか。

コロナ自粛は先進国の高齢者の残り数年の命を延ばし、発展途上国弱者の命より価値ある尊厳を踏みにじった」にも書いたように、コロナ自粛によって世界中の多くの恵まれない人たちが不要に苦しんだと私は確信しています。新型コロナによる障害調整生存年(DALYs)は、肺炎の10分の1、自殺の8分の1という研究結果もあります。

今後も新型感染症パンデミックは必ず起きますが、今回の反省を活かして、自粛しすぎることのないように十分にコロナ禍を事後検証しなければならないはずです。

学位論文のための難民調査

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

著者はオックスフォード大学の博士課程の研究のため、ガーナのブジュブラムに来ていました。そのオックスフォード大学の大先輩にデビッド・タートンという人類学の先生がいて、次の言葉を残したそうです。

「難民や貧困層などの苦境にある人々に対する調査が正当化されるのは、その調査が、なんらかのかたちでこうした人々の苦境を和らげるのに貢献することが目的となっている時だけだ」

ジュディスという三十代半ばの難民がいました。リベリア大学を卒業した才女で、これまでブジュブラムに来た数多くの研究者のアシスタントを務めてきました。著者がインタビュー形式の質問をジュディスに始めようとすると、それまで黙っていたジュディスは遮りました。

「ちょっと待って。あなたの調査に参加すると、私たち難民にはどんなメリットがあるの?」

著者はそれまでにも難民たちから同様な質問を何度も受けていました。

「この調査結果をUNHCRやガーナ政府に報告していく。それによって、ブジュブラムキャンプ難民に対する支援の向上につながっていくと思う」

著者は毎度の「模範解答」をしましたが、その言葉が終わるか終わらないかのうつに、ジュディスが切りこんできました。

「あなた、本当にそんなことができると思っているの? あなたはただの学生でしょ。UNHCRやガーナ政府は一学生の研究結果なんかで難民への支援や政策を変えたりすることなんて、絶対にないのよ。あなたは嘘を言っているわ」

それは「全くもって正しかった」と著者は書いています。

「自分は今、学位をとるために研究論文を書いています、その調査に協力してくださいって、どうして正直に言わないのよ。これまで私は何度も海外から来た研究者や学生のために働いてきたけど、皆きれいごとばっかり言うの。私たちがそれに気づかないほど愚かだとでも思っているの?」

しばしの沈黙の後、著者は答えました。

「キミの言う通りだと思う。僕は確かに学位をとるためにやっている。そして僕にはUNHCRやガーナ政府の政策に直接影響を及ぼす力はない。ただそれでも、研究成果を彼らにプレゼンするということは嘘ではないし、援助機関やガーナ政府にキャンプ内の状況を分かってもらうために、できる限り努力はするつもりだ」

何とも歯切れの悪い言葉を返した著者に、彼女は助け舟を出しました。

「分かったわ。いい? あなたが学位をとって将来、本当に偉い先生になればいいのよ。そうすればUNHCRやガーナ政府だって、あなたの言葉に耳を傾けるようになるかもしれないわ。約束しなさい。あなたの調査に協力してあげるから、必ず調査を本にしなさい。私へのお礼は、この本はジュディスの協力なしでは書けなかった、とその本のなかに書くこと。いいわね、約束よ」

事実、この本の最初の言葉は「ジュディスとの約束を越えて」になっています。

これら二つの言葉のせいでしょう。「恵まれた難民たち」に書いたように、著者はあまりにリベリア難民寄りの意見だ、と私は感じました。

とはいえ、リベリア難民は強制帰国すべきだ、と軽く発言するUNHCRのアメリカ人スタッフに著者が激怒したのは共感します。

著者は調査中、「キャンプ内の困窮層の難民に対してはUNHCRらの援助が不可欠」と力説すると、このスタッフは「もうリベリア難民たちを世界にセールスしても無駄です。UNHCRも近いうちにガーナから撤退する予定だから」と言い放ち、何度も口論になっていました。

ある時、このスタッフが冷笑を浮かべて、停戦後も本国帰還を選択しない難民を批判し、「どうも彼らは、自分たちを取り巻く状況をよく把握できていないようです。困ったものです」と発言すると、著者は身内をバカにされたような気になり、強いトーンでこう言い返しました。

「難民にとって、本国帰還は口で言うほど簡単なものではありません。2万人の難民の状況は個々人によって大きく違います。なかには、まだ帰国後に命の危険のある難民もいます。彼らは自分たちを取り巻く状況のことは十分理解していますよ」

著者の予想外の反論に、このスタッフは「他人でしかない難民の話に、なにをそんなムキになっているんだ」と怪訝な顔をしました。

この話を著者が居候している難民キャンプ内の家の貸主に言うと、「でかした。その通りだ。お前も随分と『俺たち』に近づいてきたじゃないか」と大笑いされ、肩を叩かれたそうです。

2003年の停戦後にリベリア難民は本国帰還すべきと私も考えますが、先進国出身の恵まれた人が難民たちにあれこれ言う正当性はありません。

恵まれた難民たち

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

難民「なあ、俺って、リベリアに帰った方がいいのかな?」

著者「帰りたいのか?」

難民「いや、そうじゃないけど……。でも、UNHCRやガーナ政府はそうした方がいいって言うから……。どう思う?」

著者が調査中、何度もリベリア難民と交わした会話です。

2003年にリベリア内戦が終結した後、ブジュブラムの住民はUNHCRとガーナ政府の双方から本国に帰還することを強く推奨されました。UNHCRは2004年から2007年に大規模な「リベリア難民本国帰還推進プロジェクト」を実施し、難民たちにあの手この手で帰国を促しました。しかし、盛大なキャンペーンのかいなく、2004年当時のブジュブラムの人口4万人のうち、2007年までに帰国したのは1万人程度でした。

大々的な帰国プロジェクトが失敗に終わったUNHCRはガーナ定住に焦点を定めますが、ガーナ政府は難色を示します。リベリア難民に対する人道支援の「おこぼれ」はもはや期待できないとガーナ政府は理解していたからです。「UNHCRが提案してきたガーナ定住案は難民の『押し売り』だ」と厳しく批判します。ガーナ難民局とUNHCRは2007年に何度も会合を持ちましたが、議論は平行線をたどりました。

その最中、前回の記事で書いた2008年2月から3月のブジュブラムでのガーナ定住政策反対デモが発生します。これに憤慨したガーナ政府は、デモに参加した難民を逮捕勾留しただけでなく、ガーナに滞在する全てのリベリア難民に対して国外退去を命じます。ガーナの内務大臣は「恩知らずのリベリア難民は即刻リベリアに帰れ」と吠えて、同時に「近日中にブジュブラムキャンプを閉鎖する。それでも帰国しない難民たちは、国内に別の収容施設を設けて、そこで管理する」と声明を発します(結局、このブジュブラムキャンプ閉鎖は実施されませんでした)。

ブジュブラムキャンプを持て余していたUNHCRも、この流れに便乗します。2007年に終了したばかりの本国帰還推進プロジェクトを再開し、本来300ドル程度かかる送迎サービスを無料支援し、追加で一人あたり100ドルの給付(それまでのプロジェクトでは5ドル)を約束し、再三にわたってリベリア難民たちに帰国を促しました。

上記の本に、難民キャンプで結婚し、6才の子どもがいる三十代半ばの夫婦の話があります。この本国帰還キャンペーンに妻は乗り気でした。しかし、普段は妻の言いなりの夫が「今回の本国帰還キャンペーン終了後、残った難民には先進国移住の機会が与えられるかもしれないって話もあるんだ」と言って、反対したのです。現在は「難民」という被害者だから先進国に行ける機会があるが、リベリアに帰国して難民でなくなると、その機会が消滅すると夫は考えていたのです。この反論に妻が激怒します。

「あなた! まだそんな夢みたいなこと言っているの! 先進国移住なんて可能性はないってUNHCRもはっきり言っているわ! 私たちはガーナ人じゃないんだから、何年もこの国にいること自体がおかしいのよ! かりに苦しむとしても、私は自分の国で苦しむ方がまだ納得がいくわ!」

もともと、ブジュブラムのあるゴモア地区は、ガーナでも最も貧しい所でした。そのため、難民キャンプ設立により、人口は一気に増え、国際支援の波及効果にもあずかり、当初、ガーナ人はキャンプ難民たちと極めて友好な関係を築いていました。難民キャンプ設立以前は皆無であった学校や水道が設置され、地元民にも開放されました。キャンプ周辺の地価が高騰し、その恩恵を享受した地主は枚挙にいとまがないそうです。

しかし、難民の滞在が長期化し、1990年代後半から国連からの経済支援が削減されるにしたがい、現地住民の難民に対する寛大さもしぼんできて、2000年代半ばになると、「難民キャンプの経済事情」に書いたような両者間の暴力事件も散見されるようになります。

もちろん、母国に帰ったら、殺される可能性のあるリベリア難民もブジュブラムにはいます。その代表がGAPにいる元兵士たちです。しかし、それは母国で残虐行為をしたからで自業自得です。さっさと帰国して、罪を償うべきであり、そんな理由での帰国拒否は認められません。

難しいのは、リベリアで殺されそうになって、あるいは親戚が虐殺されたのを目の前で見て、精神的な理由で帰国できないと主張する難民でしょう。精神科医が診断すればいいと考えるかもしれませんが、精神科医は警察のような捜査権はないので、患者の主張が事実かどうかの裏付けはとれません。結局、本人の主張だけでPTSDかどうかの診断が決まり、帰国できる人とそうでない人が分かれてしまいがちです。客観性が乏しいので、これも認めにくくなります。

52才の戦争未亡人、ナンシーの話が本に載っています。夫はリベリア元大統領の縁戚にあたり、政府の要職にも就いていたため、内戦中は真っ先に反乱軍の兵士の標的となりました。目の前で夫と三才に満たない末っ子を惨殺されたナンシーは、反政府軍の兵士たちに輪姦され、生き残った長女だけを連れてリベリアを脱出しました。

「こうして文章にするとわずか数行に収まってしまうが、私は、ナンシーが途切れ途切れに語った仔細を、ここに書くことはできない。反政府軍の兵士が、彼女の家族に対していかに残虐な行為をはたらいたか。それはまさに酸鼻を極める内容で、『人間が果たしてそこまで人に対して残忍になれるものなのか』と私は言葉を失った」

そう著者は書いています。著者はその悲劇を聞いた直後にもかかわらず、不用意に「リベリアに帰還する予定はないのですか?」と尋ねました。ナンシーの表情は見る見る暗くなり、静かだが断固とした口調で、「私は何があってもあの国には帰らない」と答えました。

「私の夫と子どもを殺した奴らは今、リベリアの軍隊や警察で働いているのよ。リベリアは小さな国だから、私たちが帰国したらすぐに連中の耳に入る。あいつらは絶対に娘と私を狩りにくるわ」

インタビューが終わりに近づく頃、ナンシーが突然「しゃっくり」のような症状を見せ、「ヒック、ヒック」としばらく発せられた後、「ウアー!」と絶叫しました。彼女は椅子から床に倒れ込み、「長年、身体の奥に無理矢理閉じ込められていた膨大な量の悲しみが、堰を切って噴出したような、凄まじい泣き方」をしました。

ナンシーが号泣した夜、著者は「もっと慎重に質問するべきだった」「難民たちの持つ過去の強烈な経験も聞き慣れてしまっていた」などと反省したようです。

しかし、これを読んでも、「ここまで苦しんだナンシーには先進国移住させて、恵まれた福祉を与えるべきだ」と私は確信できません。

リベリア内戦の前、大統領の縁戚として、ナンシーはこの上なく恵まれた生活をしていた可能性が高いでしょう。その恵まれた生活は、大多数の恵まれない生活を送る庶民を搾取することで実現できていた側面はあるはずです。それをナンシーも自覚しているからこそ、平和になったはずのリベリアでも帰国したくない、と言っているのかもしれません。

こういった事情を全て考慮すると、2003年の停戦合意ができた時点で、リベリア難民は帰国すべき、と国連やガーナ政府が判断したのは妥当と考えます。

UNHCRのベテランのガーナ人スタッフは「水道やトイレを有料にしてから、難民に経済な自立精神が芽生え、援助に頼らず、自活していこうと大きなインセンティブになった」と誇らしげに語ったそうです。しかし、著者の知る限り、これら生存に必要な基本サービスの有料化の評判は難民の間で最悪でした。

この問題も全体として考えれば、難民が不平を言う資格はないでしょう。どんな高福祉国家であっても、水やトイレは有料です。自己負担無料の国はありますが、税金かなにかで負担しているだけで、本質的に無料なわけがありません。

2009年にUNHCRはリベリア難民の希望者に電気工事、石工、左官、縫製、コンピュータ、理容業などの分野で6ヶ月にわたる職業訓練プログラムを提供したそうです。しかし、訓練を受けた多くの人はその職業技術を活かせる仕事に就けませんでした。リベリア人がガーナで働くことは、制度の面でも、言語の面でも、金銭の面でも(開業資金を借りられないなど)、難しいからです。受講したリベリア難民は「トレーニングは受けたが、経済的に力がついたわけではない」と不平を言っており、著者は「訓練プログラムの根本的な弱点」を指摘している、と書いています。

しかし、それも全体として見れば、国際支援で職業訓練を受けられた難民たちに、不平を言う資格は一切ないでしょう。著者は「ガーナ」では職業技術を活かした仕事を得られないと批判していますが、UNHCRとしてはその職業技術を「リベリア」での仕事に活かしてほしいと考えていたはずです。著者の批判は的外れとしか思えません。

問題の本質として、ブジュブラムのリベリア人難民キャンプが、母国リベリアより豊かになってしまったことがあります。つまり、国際援助が過剰だったのです。難民キャンプが母国より豊かなら、難民が母国に帰りたがらないのは必然です。このブジュブラムの反省は、国際社会やUNHCRが記録し、広報すべきでしょう。

2008年4月から2009年4月まで続いたUNHCRのキャンペーンでも、帰国したブジュブラムの難民はキャンプ人口の4割の1万人です。ガーナ政府から「恩知らず」と罵倒され、「キャンプを閉鎖する」と脅されて、帰国の交通費に追加して300ドル与えると言われても、過半数は母国よりも難民キャンプを選んだのです。

次の記事に続きます。

難民キャンプの政治

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

「難民たちは政治に参加してもいいのだろうか? もちろんだ。難民の政治的権利は難民条約および各種人権条約に規定されている」

そう本にはありますが、こう続きます。

「だが現実には、世界の難民ホスト国の大半は、難民の政治的な活動を大幅に制限している」

これは難民受入国(今回の例ではガーナ)だけでなく、国連も「自らの権利を声高に主張して政治活動する者」を悪い難民とみなすそうです。

難民の政治活動を快く思わないのは、仕方ない側面があるでしょう。母国から逃げ出した難民はそれぞれ心苦しい過去があるに違いありませんが、だからといって、母国以上に豊かな生活を難民キャンプで送りたいと言う権利はないはずです。前回の記事に書いたように、ブジュブラムの難民たちは母国以上に豊かな生活を送れているのですから、それでも不平不満を言うなら、「いいかげんにしろ」と言われるのは当然です。

経済的側面を無視しても、リベリア難民がガーナ政府に「もっと支援してくれ」「もっと仕事をくれ」という正当性はあまりないでしょう。第一に、リベリア内戦は2008年から2009年当時、5年以上前に終結しており、ブジュブラムのリベリア人たちは、そもそも「難民」の定義に入らない(とも考えられる)からです。第二に、現地語を覚えようとせず、先進国移住ばかり考えるリベリア人を助けたいと思うガーナ人などいないからです。

にもかかわらず、ブジュブラムでも「とびきり激しい」政治活動があります。

難民キャンプの経済事情」に書いた通り、ブジュブラムの代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)です。かつてLRWCの会長は民主選挙で決め、誰でも立候補が可能でした。しかし、1996年にガーナ政府が選挙を廃止してからは、ガーナ人のキャンプ支配人がLRWCの会長を指名するのが慣例となりました。会長は、自分の補佐として副会長2名と8名のメンバーのリストをキャンプ支配人に提出して、ガーナ難民局の承認を得ています。

著者が選挙廃止の理由を聞くと、キャンプ支配人はこう答えました。

リベリア内戦は民族間の対立により起こった。今でこそ大きな争いは減ったが、水面下ではお互いに敵意を抱いている。もしキャンプ内で選挙を実施したら、それぞれの民族が独自の代表を立てて争うことになる。そうしたら、必ず衝突が起こる」

一方のリベリア難民たちは、ガーナ人のLRWC会長指名に強く反発していました。著者が調査した2008年頃にはLRWCの上層部は、ガーナ政府にとって御しやすいリベリア人たちで占められており、その結果、LRWCの上層部とキャンプ支配人の間にはもたれ合いの関係が醸成されていました。

たとえば、ブジュブラムには居住区ごとに目安箱(オピニオンボックス)があり、生活上の問題点や改善を望む点を伝えることができます。この目安箱に入れられた投書は、全てLRWCの会長と副会長が審査した後、適切と判断された投書のみ、キャンプ支配人に届けられます。この「審査」で、ガーナ政府やUNHCRにとって耳の痛い意見は、ほぼ間違いなく却下されています。これに何度も不満を表明したLRWCのメンバーは、更迭されたそうです。

また、アメリカからのキリスト教使節団が難民から直接話を聞きたいと申し出たので、どの難民が使節団と話し合うかを決めるため、LRWCで緊急会議が開かれました。出席者の一人が「悪化しているキャンプの生活水準について話してもいいか?」と発言した際、すぐさま副会長が「その話は不適切だ」と却下しました。緊急会議の後半は、会長の独演会と化して、こんなことが述べられました。

「我々は、ガーナ政府やUNHCRへの感謝を忘れてはならない。20年近くもここにいるのだから、その恩を仇で返すようなことがあっては絶対にいけないんだ!」

結局、このキリスト教使節団が直接話した難民たちはLRWCの会長と2人の副会長と8人のメンバーだけでした。

LRWCの上層部には、横領や贈収賄の噂が絶えませんでした。「難民キャンプの経済事情」に書いたように、トイレ使用料の横領はほぼ間違いないでしょう。ブジュブラム内の清掃作業やゴミ収集などに充当する目的で、UNHCRから毎月一定額がLRWCに支給されていましたが、その具体的な使途は一切公表されていないので、多くの難民はそこでも横領があると疑っていました。

LRWCと一部のNGOの癒着も多くのリベリア難民が指摘していました。UNHCRなどの国連機関は、援助プログラムの実行と運営を、パートナーシップ契約を結んだNGOに委託するのが一般的です。国連の援助プログラムの実行を請け負うことは、ブジュブラムにある50程度のリベリア人設立のNGOにとって、最大の収入源です。キャンプの状況をあまり理解していないUNHCRは、ふさわしいNGOをLRWCに推薦してもらっていました。この委託契約をもらえるNGOがいつも同じ顔ぶれなので、NGOはLRWCに賄賂を贈っていると難民たちは疑っていました。

著者はLRWCの会長に使途不明金と横領の噂について質問しましたが、会長は「LRWCの活動費用は、キャンプ支配人を通じてUNHCRとガーナ難民局に定期的に報告することになっています。こんな仕組みで横領などできるわけないでしょう」と言って、不機嫌に去っていったそうです。会長は金の時計とブレスレッド、新品のラップトップパソコン、最新型の携帯電話をいつも持っていたので、著者は「はて、会長も海外送金の受益者だったか」と皮肉を書いています。

一方、2005年頃から「腐敗した現体制を糾弾し、真のブジュブラムキャンプ代表を結成する」という大義名分の元、選挙で決めた15人のメンバーで設立された群代表者連合が活動していました。LRWCの腐敗構造とキャンプ住民の現体制に対する不信をしたためた文書を群代表者連合はガーナ難民局とUNHCRに送りましたが、黙殺されたようです。群代表者連合はその程度であきらめずに、草の根運動を続けて支持者を増やしていると、ガーナ政府は「キャンプ内での一切の政治活動は禁じられており、それを犯したものは厳しく処分する」と掲示板で通達するようになります。それでも群代表者連合は活動をやめなかったそうで、支持者の増加しつづけました。

そんな2008年2月、UNHCRの推進する「リベリア難民のガーナ定住計画案」にブジュブラム内の女性グループが抗議デモを行います。「先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬」で書いたように、キャンプの大多数の難民は先進国移住を希望して、ガーナ定住には反対しているのです。この抗議活動は1ヶ月以上続き、当初は数十人の参加者だったものの、そのうち200~300人に膨れ上がり、国内外のメディアの関心をひくまでになります。

ガーナ政府とUNHCRは女性たちの抗議デモを違法行為とみなし、すぐさま解散を命じました。LRWCもデモの中心となった女性たちと厳しく非難しました。一方、群代表者連合は女性デモ参加者への「絶対的な支援」を表明しました。

同時に群代表者連合は、「LRWCが難民の生活水準向上への努力を怠っているだけでなく、汚職にまみれており、既にキャンプ住人たちからの信用を失っている」と指摘します。LRWCメンバーの総退陣と、キャンプ内での民主選挙を再開する要求文書を、2008年3月、ガーナ政府、UNHCR、メディアに送りつけます。

これを境にデモの主導権は女性グループから群代表者連合に移り、目的が現体制からの政権奪取に様変わりします。デモを主催した女性リーダーたちは群代表者連合に猛反発しましたが、群代表者連合のキャンプ内での広範な影響力の前に、なすすべがありませんでした。

キャンプ支配人からの度重なる警告にもかかわらず、群代表者連合は扇動を続け、最終的にデモ参加者は700名ほどになりました。一線を越えたと判断したガーナ政府は、2008年3月末、数百人に及ぶ武装警官隊をブジュブラムに送り込み、デモ参加者を根こそぎ逮捕し、16人を国外追放にしました。これにより、群代表者連合は一気に弱体化します。

UNHCRは16人の国外追放を非難したものの、キャンプ内のデモについては「極めて遺憾」と批判的立場を崩さず、デモの背景について何ら調査を行いませんでした。

次の記事に続きます。