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精神科詐欺

前回までの記事の続きです。

発達障害のウソ」(米田倫康著、扶桑社)にも書いてあるように、現在、発達障害が過剰診断されている問題が世界中で発生しています。発達障害のうち注意欠陥多動障害(ADHD)は保険適応薬があり、しかもその薬剤に依存性が確認されているので、薬物依存が問題になっているのも世界共通です。

上記の本は「発達障害の診断があいまい」なだけでなく、「精神科の診断は全てあいまい」であることを証明しています。「あいまい」をもう少し科学的に説明すれば、「客観性がない」「再現性がない」になります。同じ患者でも、医師によって診断が違うことは精神科だと珍しくもありません。

精神科の診断がいかにメチャクチャかを示した最も有名な論文が1973年発表のローゼンハン実験です。

精神障害の診断を受けていない8名の疑似患者(うち1人はローゼンハン本人)は幻聴があるふりをして、アメリカ国内12の精神病院に入院を試みました。全疑似患者は精神障害と診断され、入院できてしまいました。

これに怒った医療機関は、ローゼンハンが送り込む疑似患者を特定すると伝え、ローゼンハンはこの提案に同意しました。医療機関は新しい患者193名のうち、41名を疑似患者の可能性がありとしました。しかし、ローゼンハンは1人も疑似患者を送り込んでいませんでした。

これは50年以上の前の実験ですが、2008年のBBCの実験でも精神科診断の信頼性は失われました。5名の精神障害者と、5名の精神障害のない者の10名の生活の様子から、3名の精神障害診断の権威に精神障害者5名と診断名を特定させたところ、専門家は2名を正しく診断しましたが、1名は診断名が間違っており、残り2名は精神障害のない者を精神障害と診断しました。

こう書くと精神科の診断のひどさに落胆するでしょう。ただし、他の全ての科でも、アメリカの研究で誤診率は2~3割もあると出ています。医者が診断を間違えることは一般人が考えるほど珍しくはありません。

さらにいえば、「これだけの問診や検査では診断を確定できない」「可能性のある疾患が10以上もある」などが正解の場合も少なくなく、「診断をつける価値がない」「検査する価値がない」が正解の場合もあります。これは医学の基本中の基本です。

あらゆる科の中で最も客観性のない精神科で、強制入院などの人権侵害が行われるわけですから、法律での規制があって当然です。

それとは別の問題も大きいです。精神疾患と診断されることで、患者が被害者と認定されてしまう問題です。患者が被害者と認定されると、なにが問題になるのでしょうか。以下で考察します。

医者は警察と違い、事実調査する権限を持っていません。だから、患者からの情報だけで診断しなければいけません。客観的な検査に乏しい精神科の場合、患者からの情報は、ほぼ伝聞のみとなります。つまり、患者の言い分がそのまま診断になってしまいがちです。

ここで特に問題になるのは、精神障害者手帳が交付され、精神障害者年金が支払われ、生活保護が受給される場合です。金銭的利益があるので、患者は症状を重く訴えがちです。それを精神科医は十分注意しなければなりませんが、全く注意していない場合が多すぎます。患者の言いなりになっている精神科医が多すぎます。

率直に言って、障害者手帳申請書や障害者年金申請書に症状を正しく書く利点は、医師側にも全くといっていいほどありません。症状を重く書けば、患者の金銭的利益になるので患者にも信頼されます。実際、私の知る全ての精神科医は、ほぼ例外なく、症状を実態より重く書いていました。私は良心に従い症状を正しく書くので、金銭的利益を失う患者から大クレームを受けたことが何度もあります。

ここで根本的な制度の欠陥について伝えておきます。日本では、障害者手帳申請書や障害者年金申請書は医師が書いてから、患者に渡されて、患者が公的機関に提出します。医師から直接に公的機関ではなく、医師から患者を経由して公的機関です。医師がどの程度の症状として書いたか、患者がチェックできる制度になっています。だから、申請書に納得できなければ、患者が医師に再度書き直しを要求できます。上記の私への大クレームは例外なく、この時に発生しています。

障害者手帳申請書や障害者年金申請書の卑劣さがよく現れているのは、この申請書を数万円で代行する悪徳社労士がいることです。この悪徳社労士は患者の言いなりで申請書を作成する精神科医をお勧めしたり、より重い等級になるためには精神科医にどう訴えればいいか助言したり、医師に書き直してもらうよう患者に要求したりします。あまつさえ、障害者年金を獲得できたときは、その年金の2ヶ月分が悪徳社労士に払われる契約だったりします。障害者に払われるべきお金から利益を得られるなど、道徳的に許されるわけがないのに、なぜ刑法罰が科されないのでしょうか。

断定しますが、障害者手帳申請書や障害者年金申請書の代行を請け負っている社労士は例外なく悪徳です。できるだけ早く刑法で取り締まらなければなりません。

また、今後、障害者手帳申請や障害者年金申請をする方に伝えておきます。これらはお願いすれば、必要な情報を聴取した医師が無料で作成してくれます。場合によっては、病院のMSWなどに手続き方法を無料で聞くこともできます。障害者手帳申請や障害者年金申請に何万円もの費用がかかることは絶対にありませんし、あってはなりません。

同時に、こういった悪徳社労士や似非精神障害者のお得意様になっている精神科医は、医師免許を剥奪しなければなりません。

ここでウソのような精神科医としての私の体験談を明かします。摂食障害の患者で、精神障害者手帳2級でした。障害者手帳2級以上なら、医療費の自己負担は無料になります。この患者は過食嘔吐を繰り返すため、胃酸で歯がボロボロになり、差し歯にしたり、入れ歯にしたりで、膨大な医療費が発生していましたが、手帳2級なので自己負担ゼロです。精神科担当医が私になり、私は正直に症状を書きました。その障害者手帳申請書を受け取った翌日、予約もないのに、その患者が私に診察を要求して、「先生はわずかの期間しか診ていない。なぜ長年診てきた医師より症状が軽く書かれているのか」と10回以上言ってきました。正直に「もし2級でなくなったら、もう歯医者にかかれない」とも泣きながら訴えていました。

私「お金の管理は自分でしていますよね?」

患者「自分です」

私「借金取りに追われているんですか?」

患者「借金はありません」

私「それなら、これまで金銭管理が『できない』になっていたのが間違いです。だいだい障害者手帳がなくなれば歯医者にかかれないと心配しているなら、金銭管理できているじゃないですか。もし不満があるなら、裁判でも起こしてください。これまでの精神科医が間違っていたことを明らかにします」

私に言わせれば、日本の9割の精神科医障害者手帳申請書や障害者年金申請書を実態より症状を重く書いて、公金の浪費に手を貸しているのに、なんら罪の意識を持っていない悪徳医師です。

この不正は本来働ける人に補助金を与えることで、働く意欲を阻害しています。さらに、普通に働いている人の税金負担を増している側面もあります。

9割の精神科医の医師免許を剥奪せよ、とまでは言いませんが、調べれば、悪徳社労士のお得意様になっている精神科医など、すぐに見つけられるはずです。なんら恥じることなく、公金の不正受給に手を貸していた精神科医を数百名単位で取り締まるべきです。

私が精神科医になってすぐに気づいた不正なのですが、なぜかこの不正に対して声をあげている人を全く知らないので、あえてここで記しました。拡散希望です。

精神科の特殊性

前回までの記事の続きです。

これまでも書いてきたように、精神科は医学の中でガラパゴス(特殊)です。精神科の診断は、あらゆる科の中で客観性が最も乏しいです。血液検査のように数値で分かりませんし、頭部CTなどの画像検査でも確定診断できません。診断には患者もしくは医者の主観が著しく入ります。客観性がないとは、非科学的であるとも言えます。だから、精神医学は科学でない、医学でない、という批判が常につきまとっています。

逆にいえば「精神科は非科学的である」と認識していない精神科医は、それだけで失格でしょう。「100%正確な診断がない」「100%治る薬も手術もない」という医学の根本原則を理解していない医者が失格であることと同じです。

もちろん、精神科医も医者である以上、客観性を持たせるための努力はするべきです。しかし、客観性を重視するあまり、それ以上に重要な点を見逃してはならないこともあります。客観性以上に重要な点とはなんでしょうか。それは「患者のため」あるいは「社会のため」といった倫理観や道徳観です。

たとえば、アルツハイマー認知症あるいはレビー正体型認知症の診断基準を調べてみてください。「頭部CTでの海馬の縮小」「SPECTでのドパミントランスポーターの取り込み低下」などは、診断基準の補助にしかなっていません(海馬の縮小は補助診断基準にすら入っていません)。日本は人口あたりで世界最多のCTやSPECTなどの高額医療機器を持っているので、やたらと検査して、その結果を重視します。しかし、他の多くの国ではそんな検査をしませんし(できませんし)、「記憶力や学習能力の低下」「幻視」などの症状を重視しますし、それだけで診断をくだします。

国際的に画像診断よりも症状を重視する理由は日本に多い(多すぎる)医療機器が海外にはあまりないからではなく、そうでないと医学的にも社会的にもおかしなことになるからです。

たとえば、「頭部CTでの海馬の縮小」や「SPECTでのドパミントランスポーターの取り込み低下」があっても、なぜか認知症の症状が全く出ていない人はいます。こういった人に「あなたは認知症だから」と診断をつけて、本人の意思を無視して施設に入れるなんて道徳的に許されません。また、「頭部CTでの海馬の縮小」や「SPECTでのドパミントランスポーターの取り込み低下」がないのに、なぜか認知症の症状が露骨に出ている人もいます。こういった人に「認知症のフリをするな」と診断せず、介護を受けさせないとなると、やはり道徳的に許されません。

精神疾患の中で画像診断が最も行われている認知症ですら、このような有様なのです。他の多くの精神疾患については、言うに及びません。脳については科学的に未解明な部分だらけです。ウソ発見器もありますが、あれでウソが完全に見破られるわけではないと科学的に結論が出ています。

ここから理論的に導かれる結論として「精神科は詐病を科学的に見分けられない」事実があります。だから、全ての精神科医は「患者がウソをついている可能性がある」と念頭に置かなければいけません。常に患者の言いなりになっているとしたら、その時点で精神科医失格です。もちろん、患者の言葉を常に疑っているのも、精神科医以前に人間として失格です。当たり前のことですが、そんな当たり前のことすら多くの精神科医は認識していないのではないか、と精神科医の私はよく思います。

ここまでの話にもあるように、精神科の診断で特殊なのは社会的観点が入ることです。治療する上で医療費や医療設備や家族の協力などの社会的観点が入るのは全ての科で共通していますが、精神科は診断の段階から社会的観点が入ります。たとえば、日本でも使われるDSM-5では、ほぼ全ての精神疾患の診断基準に「B 社会的または職業的な領域における機能の障害」が入っています。つまり、たとえ幻覚と妄想があったとしても、社会的または職業的に困っていなければ、統合失調症と診断しなくていい、と認めているのです。

他に精神科医にとって有名な事実として、日本人よりもアメリカ人の方が「赤面症(あがり症)」の有病率が遥かに高いことがあります。常識的に考えれば逆です。アメリカ人が日本人より赤面症が多い事実から、精神科の診断がいかにメチャクチャかを示しているとも言えるでしょう。日米の赤面症の有病率の差の理由として説明されるのは、アメリカと日本の社会環境の差です。日本と比べると、アメリカは人前で発表する機会が多くあります。必然的に、日本だと赤面症にならない程度の人でも、アメリカでは赤面症で悩んでしまいます。だから、その人自身の赤面症の程度はともかく、社会環境の差から、アメリカ人は日本人より赤面症が多くなる、という理屈です。

この赤面症の有病率の差に納得できない人でも、社会環境の差により精神疾患の有無が変わることまで否定する人はいないでしょう。1mの高さでも冷や汗と動機が止まらない人だとしても、残りの人生は布団で寝たきりで過ごすと決まっているなら、高所恐怖症の診断をつける意味は全くありません。このように仕事、家庭、性別、年齢、生活習慣などの社会的観点によって、精神疾患が決まってくることは、むしろ当然のはずです。しかし、一般人はもちろん医師ですら、こんな精神科の基礎診断理論を知らない人がいるのも事実です。

精神病院がない国を実現させたバザーリア」の記事で、バザーリアが精神患者を入院治療から地域での治療に変えたことで治療効果を上げた、と書きましたが、この成果には科学的に妥当な疑問が出されています。精神科の診断ですら客観性に乏しいのですから、精神科の治療効果になると客観的はさらに乏しくなります。統合失調症の評価尺度PANSS、うつ病の評価尺度HAMDなどは存在して医学雑誌でも頻出しますが、これら評価尺度も患者や医者の主観がどうしても入っています。端的にいえば、「バザーリアは精神病院をゼロにして治療効果が上がったと言っているが、それはバザーリア派の意見であって事実ではない」と言われると科学的に十分に否定できません。

精神科の非科学性を強調してきましたが、精神の問題でも科学的に断定できることは無数にあります。「精神科医統合失調症患者を直観で(プレコックス感で)診断できる」は科学的に否定されていますし、「フロイト学説は非科学的である」ことは結論がほぼ出ていますし、「心理テストはウソでした」(村上宣寛著、講談社+α文庫)にあるように「日本人を対象にした科学的に客観性を証明された知能テスト(IQテスト)は存在しない」ことも事実です。

こういった精神科の特殊性を前提として、精神科の他の問題について論じていきます。

精神病院がない国を実現させたバザーリア

前回までの記事の続きです。

GDP比で先進国最悪の国債発行額を誇る日本には税金のムダがはびこっています。それを削減しようとする時に反対派から出てくる常套句があります。

「利用者は喜んでいるじゃないか」

それはそうでしょう。税金補助のおかげで、そんな手厚いサービスを受けられたり、そんな安い値段で利用できたりするのですから。

厚労省が入院期間無制限の療養病床を削減できない理由の一つもそれです。

「入院でなくて、訪問診療で十分と言うが、患者家族は自宅での介護などできない。患者も施設だけには行きたくないと言っている」

長期入院の精神患者の自宅移行や施設移行の案が出ると、やはり「患者自身が自宅や施設には絶対住みたくないし、病院で一生生活したいと言っている」「患者が社会でどれだけ傷つけられたか知っているのか。患者の意思を無視して強制退院させることこそ、人権侵害でないのか。精神科医として、人間として、そんなことはできない」といった反対論が必ず出てきます。

それが一理あることは事実でしょう。考慮に値しないとまでは言いません。しかし、世界中のほぼ全ての国で、無期限に入院できる病院などありません。世界中のほぼ全ての国の中で、日本だけ何倍も精神病床が必要で、何十年も入院させなければならないわけがありません。

精神科も医学であり科学であるので、科学的側面から考えます。

医学が最も進んでいるのは、他の多くの学問分野同様にアメリカです。しかし、医学の中でガラパゴスの精神科は例外で、アメリカが最先端との認識は必ずしも一般的ではありません。むしろ、発達障害多重人格障害スタンフォード監獄実験など、アメリカは批判される精神医学が発達している側面もあります。

アメリカとは違う方面で、世界最先端の精神医療が行われていると私を含む多くの精神科医が認めている国がイタリアです。なんと、国中の精神病院をゼロにしたのです。

もっとも、精神の単科病院をゼロにしただけで(厳密にはゼロでないとの文献もある)、総合病院に精神科の病床はあります。だから、精神患者の入院を全て受け入れていないわけではありません。また、イタリアでも強制入院もありますし、隔離と拘束もあります。

精神病院ゼロという精神医療史上に輝く快挙を成し遂げる上で、中心人物となった医師がバザーリアです。バザーリアの画期的なところは、精神病院をなくし、地域で対処していく方が、精神疾患治療に有効であると科学的に示したことです。バザーリアは人権的な観点や、医療費削減の観点も持っていましたが、バザーリアがなにより重視したのは精神医学としての治療効果です。

このバザーリアによる精神医療の快挙は、私を含む世界中の精神科医から称賛されていますが、一方で世界中から批判もされています。「理想主義的すぎる」「現実を分かっていない」「患者は望んでいない」「世論も望んでいない」「医療費削減で治療効果が上がるなんてバカな話があるか。医者がストライキしたら平均寿命が延びたというエビデンス(実在します)くらい考慮に値しない」といった批判は、イタリア国内からもあがっています。

だから、イタリア以外の世界中の国で、いまだ精神病院は存在しつづけています。むしろ、イタリアを含む世界中の国で(ただし日本は除く)「精神病院を減らしすぎた」「入院すべき精神患者すら入院できなくなった」との声も大きいです。精神科に限らず、「もっと入院できるようにするべきだ」という医療アクセス向上の要望は日本を除く、世界中の国の一般的な世論です。

そういったことを全て考慮しても、世界最高の日本の精神医療が世界最高に削減すべきなのは間違いないと考えます。治療効果、人権、医療費、国際比較の4つの観点全てで「削減すべき」との結論が得られるのですから、たとえ患者や患者家族が望んでいようが、日本の精神病院の多くは閉鎖すべきで、長期入院も禁止すべきです。

ガラパゴス精神医療に必要な改革

日本で強制入院が多い理由として、真っ先に挙げられるのは医療保護入院制度です。これは日本でしかない制度です。

日本以外の国で精神科の強制入院とは、措置入院のことです。日本同様、特別な資格を持った精神科医だけに認められた制度で、入院費用は全額公費負担になります(もっとも、強制入院に限らず、アメリカ以外の西洋先進国の医療費は原則全額公費です)。

日本の強制入院は、ほとんど医療保護入院で、例外的な強制入院が措置入院となっています。どちらも指定医が「本人の意思に反しても、強制入院する必要がある」と診断しなければならない点は共通しています。一方で大きな違いは二つあり、医療保護入院が保護者の同意が必要で、医療費は本人または保護者負担であるのに対して、措置入院は同意者不要で、医療費は公費負担である点です。

強制入院の場合、なぜ措置入院が例外で、医療保護入院が原則になっているかといえば、医療の公費負担を削減したいから、と一般には言われています。

我が国に生まれた精神患者は、この病を受けた不幸だけでなく、我が国に生まれた不幸をも重ねていると言うべきである」の記事に示したように、日本には5年、10年、20年、40年と一生の多くの時間を精神病院だけで過ごしている人が何万人もいます。その長期入院患者たちの保護者たちは、莫大な医療費を今も払い続けているのでしょうか。

そんなことはありません。長期入院患者たちは、ほぼ例外なく、精神障害者手帳2級か1級を持っています。これで医療費の自己負担はゼロになります。さらに、精神障害者年金ももらっているため、医療費外となった入院時の食費も、それで負担できます。

つまり、精神病院の長期入院患者の医療費は、結局、公費負担になっています。また、長期入院でなくても、精神病院に何度も短期入院するような患者は、やはり精神障害手帳と精神障害者年金を得ているので、公費負担です。

だから「公費負担を減らすために強制入院は原則措置入院でなく、医療保護入院にしている」は嘘です。では、本当の理由はなんでしょうか。

「昔から家族の同意による『同意入院』が普通だったから」だと私は考えています。つまり、ほとんど有効性も必要性もないのに、ただ「そういう習慣だから」「みんなそうしているから」という日本に蔓延するくだらない理由で、強制入院では措置入院ではなく、医療保護入院が原則になっているだけだ、と私は推定しています。

私は精神科医であり、指定医でもあります。だから、当然、精神保健福祉法について勉強しましたが、どこまで勉強しても、医療保護入院すべき場合と措置入院すべき場合の違いが分かりませんでした。だからこそ断定しますが、医療保護入院など不要です。世界中どこでも医療保護入院などないのに、日本だけ必要な理由は全くありません。こんな当たり前のことさえ気づかないバカ精神科医どもが、残念ながら日本に2万人もいて、今日も医療保護入院を実行して、合法的に人権侵害に手を貸しています。

医療保護入院は日本だけの制度と書きましたが、実は、数年前まで同じ制度を持つ国がありました。韓国です。その韓国でも2016年に医療保護入院制度が憲法違反となりました。なぜなら「家族らの中には、扶養義務を逃れたり、財産を奪ったりする目的のために、医療保護入院を悪用する人がいる。しかし、現行法は、それらを防ぐ仕組みを十分に用意していない」からです。これは「収容所列島ニッポン」で紹介した相馬事件でも、生じていた問題です。

だいたいにおいて、精神患者の家族は、精神患者の利害関係者です。精神病院に勤務していれば「入院したくない患者」と「入院させたい患者家族」に遭遇するのは日常茶飯事です。だからこそ、イギリスの強制入院にはAMHPという社会福祉の専門資格があります。これは強制入院の可否を判断するときに、利害関係の強い患者家族の意思を優先させすぎないため、第三者のAMHPに事情を調べさせる制度です。患者家族の意思で強制入院できる日本の制度とは正反対です。

医療保護入院制度の廃止は、これまで日本政府で何度も話し合われてきました。しかし、精神患者家族会と精神病院協会の強い反対にあって、いまだ実現していません。精神患者家族会が反対するのは、手の負えない精神患者を自宅で保護するのに耐えられないからでしょう。

精神病院協会が反対する理由は、よく分かりません。もっとはっきり言えば、反対する正当な理由がありません。強いていえば、上記のような「家族同意の強制入院に慣れているから」だけで、考慮するに値しません。こんなバカ精神科医どもの意見は唾棄しなければなりません。

一方で、精神患者家族の意見は無視できません。たとえ、薬で症状が軽減できるようになったからといって、精神患者の世話を家族だけに負わせるべきではないでしょう。かといって、精神患者の意思を無視して、一生、精神病院で過ごさせるべきでもないはずです。精神患者を病院で長期間暮らさせる莫大な公費負担も削減すべきです。

では、1960年代から精神病院を廃止していった海外は、どうしていたのでしょうか。

我が国に生まれた精神患者は、この病を受けた不幸だけでなく、我が国に生まれた不幸をも重ねていると言うべきである」を読むと、革命的な薬のクロルプロマジンの発明で統合失調症が全例すっきり治るようになったと勘違いするでしょうが、実際はそんなことはありません。すっきり治る人もわずかにいますが、ほとんどは完治あるいは寛解(薬さえ使えば症状が出ない状態)までいきません。主症状である幻覚や妄想は軽減しただけで残っていたり、統合失調症のせいか、薬の副作用かは不明ながら、認知機能全般が落ちていたりする患者がほとんどです。統合失調症薬は鎮静効果もあるので、たいてい興奮は治まっており、長期入院する必要はありませんが、かといって、普通に仕事して結婚して生活できる人は多くありません。最も多い統合失調症患者は薬に頼りながら、副作用と戦いながら、福祉就労したり、誰かの助けを借りたりしながら、生活しています。

日本の場合、この「誰かの助け」が精神病院あるいは家族になっています。アメリカを除く西洋先進国であれば、「誰かの助け」が施設あるいは地域社会になっています。

これは精神医療に限らず、医療全般、あるいは福祉政策全般にあてはまることですが、日本だと居住権の提供義務は第一に家族にあります。だから、家賃が払えないほど貧しくなる人がいれば、まずは家族がその人に住む場所を提供する義務があります。「生活保護の扶養義務を同一世帯に限定すべきである」に書いたように、生活保護を申請したら、最初に家族の収入や貯金を調べられるのも日本に特有です。本人もしくは家族が同居を拒否するなら特別な理由が必要になり、原則、患者家族は患者に住む場所を提供しなければならず、大抵は患者と同居しなければなりません。

精神科に限らず、日本の入院日数が長くなる理由の大きな一つはここにあります。病院に勤務したことがある人なら誰でも「医療的には入院の必要性はなくなったが、入院中に生活能力が落ちたので、元の家に戻れず、退院できない」ケースに毎日のように遭遇しています。いわゆる社会的入院です。この場合、病院内の社会福祉士(MSW)が、場合によっては看護師や医師までもが、患者の親戚や施設に電話依頼して、退院先を手配しています。

アメリカを除く西洋先進国では、居住権が基本的人権の一つなので、市町村がこういった元入院患者を受け入れるそうです。

もっとも、退院後、具体的にどうするかまでは私も知りません。希望すれば、すぐに入所できる施設がいつもあるのでしょうか。「福祉先進国・北欧は幻想である」に書いたように、西洋先進国の福祉が日本の福祉より優れているわけがないので、日本だと生活を心配して退院させないケースでも、無理やり退院させているケースは存在すると推測します。

アメリカでは、マイケル・ムーアの映画シッコによると、なんと事情を無視して元の家に退院させて、自己責任にするそうです。映画だと医療が必要な状況でも、医療費が払えないという理由で、入院着のままの患者を道路上に放置する映像が出てきます。

ところで、この議論の大前提として、病院で1月入院する費用より、施設で1月暮らす費用が安い事実があります。たとえば、日本で看護基準が低い(一人の看護師で多くの患者を担当する)精神病院でも1月入院すれば約50万円もかかります。一方で、世界最高の公的介護保険を持つ日本で、最重度の要介護度5で最大使える金額は1月35万円です。

このように入院よりも施設入居の方が公的負担は低くなるため、世界中で精神病院は潰されましたし、世界中で入院期間は短縮されていますし、日本でも厚労省が入院期間無制限の療養病床や精神病院を撲滅しようと躍起になっています。

繰り返しますが、日本だと療養病床や精神病院で暮らしている患者は、西洋先進国だと自宅または施設で暮らしているのです。動ける患者は病院に通院し、動けない患者は自宅または施設まで訪問診療医に来てもらっています。もっとも、これも繰り返しになりますが、西洋先進国の施設の福祉は、日本の施設ほど手厚くはありません。また、「安楽死と自己安楽死と自殺と老衰」に書いたように、西洋先進国は日本ほど死を避けようとしません。

なお、もう一つ考慮すべき点として、日本の長期入院患者のほぼ全員が任意入院(本人の意思による入院)である事実です。入院時には、強制入院、つまり医療保護入院だった患者が多いのですが、強制入院は長期にしてはいけないと規定されています。だから、入院して1年以内に、これまた患者の意思を無視して、医療保護入院から任意入院に変えるように説得します。法律上、任意入院の期間は患者の希望があれば、いつでも退院できます。しかし、実際は退院希望があっても、「退院すると言っても、家族は嫌がっていますよ」「退院するとしても、本当に買い物や掃除や洗濯をできるんですか」などと言って、退院させません。あまりに患者の退院希望が強かったら、再度、保護者を呼んで、医療保護入院を一時的に再開せざるを得ませんが、それは例外中の例外です。

収容所列島ニッポン」で書いた他国と比べて精神患者の隔離と拘束時間が極端に長い理由は、日本の精神病院が単純に人手不足だからです。上記のように、厚労省は精神病院なんて潰したくてしょうがないので、精神病院の保険点数は低くしようとします。必然的に、看護師などの職員数は少なくなります。暴力事件などはできるだけ起こってほしくないし、起こった場合に対応する人員もいないので、どうしても隔離と拘束時間は長くなります。この問題を解決するためには、精神科病床数を激減させ、病床あたりの人員を増やすしかありません。

まとめると、日本の精神医療がするべき改革は次の通りです。

 

1 医療保護入院を廃止して、強制入院は措置入院のみにする

2 ほとんどの私立の精神病医を閉鎖させ、精神病床を現状の30万から3万程度にして、病床あたりの人員を増やす

3 入院期間を短縮させ、特に3年以上の長期入院を不可にする

4 精神患者のための施設を増やす

5 精神患者の家族の負担を軽減する

6 何十年も患者を病院だけで生活させている異常さに気づかない1万人以上の精神科医たちから医師免許を剥奪して、上記の精神患者のための施設員に年収300万円で強制的に働かせる

収容所列島ニッポン

精神科と人権は切っても切れない関係です。医療は人の命を扱うので、医療全般も人権と関係しますが、その中でも精神科は別格です。精神科の専門誌で、人権という単語が出てこない時はありません。

精神科と人権の関係の深さが最もよく現れているのは、法律です。日本には指定医が産科と精神科だけに存在しています。医師免許があれば、たとえ研修医であろうと、原則、どんな治療も行えます。頭蓋骨を切って脳内手術をしてもかまいませんし、胸を開いて心臓移植手術をしても法律上は問題ありません。例外は、産科の堕胎と精神科の強制入院です。医師免許だけでは、堕胎と強制入院は許されず、指定医という公的資格が必要になります。

この指定医は、中堅以上のほぼ全ての医師が持つ資格の専門医とは異なります。専門医は原則、学会が独自に定めた資格であり、あらゆる科の医師が持てる民間資格です。総合内科専門医と総合診療専門医と似たような専門医がいくつもある上、内視鏡専門医など科とは直接関係ない専門医も山のようにあります。一方、指定医は公的資格であり、産科と精神科医以外では通常存在しません。

産科の指定医よりも、精神科の指定医が特別なのは、その根拠となる法律です。産科の指定医は母体保護法14条だけで大雑把に定められています。一方、精神科の指定医は精神保健福祉法という法律全体で、なにができて、なにをしてはいけないか、入院前から退院まで、事細かに定められています。精神科医療は、それくらい基本的人権に抵触するからです。

日本の精神医療は、社会が注目する事件に合わせて、変化してきた歴史があります。たとえば、前回の記事に示したように、1964年のライシャワー事件に合わせて、1960年代からの精神病院激増があったとされています。

他にも、1900年に精神病者監護法の設立の契機になったのは、1883~1895年の相馬事件です。相馬事件は、「家族の言葉によって患者は精神病とされ社会から隔離されているが、患者が本当に精神病なのかについて疑いがある」という事件です。日本の医師の中で最も首相に近づいた後藤新平がしゃしゃり出てきて「精神病でない」と断定したり、患者家族による患者の財産略奪疑惑が浮上したりで、世論は賛否両論入り混じり沸騰しました。

これは100年以上前の事件なのですが、同様の問題は今現在も日本中で発生していますし、私も遭遇しています。

日本が精神医療で世界最悪の人権侵害を行っていると暴露された事件が、1984年の宇都宮病院事件です。

この病院で食事に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約4時間後に死亡します。別の患者は見舞いに来た知人に病院の現状を訴え、職員らに殴られ翌日に急死します。後に、当病院では「看護師に診療を行わせる」「ベッド数を上回る患者を入院させる」「死亡した患者を許可なく解剖する」などの違法行為が常態化していたと発覚します。国連人権委員会、WHOなど多くの国際機関から日本の精神医療に非難が集中します。

誰が考えても許されない人権侵害なのですが、当時、宇都宮病院だけで行われていたわけではありません。程度や頻度はともかく、上記のような人権侵害は、日本中のほぼ全ての精神病院で蔓延していました。

この宇都宮病院事件によって1987年に精神保健法が制定され、強制入院が法律によって制限されます。今では信じられない話ですが、それまでの精神病院では、原則、強制入院でした。家族の同意による「同意入院」が普通で、本人の入院の意思は無視されていました。法律制定以前に本人の意思による入院は「自由入院」と呼ばれていましたが、法律制定後は「任意入院」が正式名称となり、任意入院が原則になります。家族の意思による強制入院は「同意入院」ではなく、「医療保護入院」と法律で名称が定められました。

精神保健法のおかげで「日本の精神医療は西洋先進国同様に人権が守られた素晴らしいものに生まれ変わった。めでたしめでたし」であれば良かったのですが、そうはなっていません。いまだ日本の精神病院の強制入院の率は世界最高です。

他にも精神病患者の隔離と拘束の時間も、日本はぶっちぎりで一位です。

日本の精神病患者は、世界の精神病患者より段違いに危険なのでしょうか。もちろん、そんなエビデンスはありません。

こんな現状なので、2022年になっても「ルポ・収容所列島」(風間直樹著、井艸恵美著、辻麻梨子著、東洋経済新報社)という日本の精神医療批判の本が出版されています。このタイトルはノーベル文学賞受賞者のソルジェニーツィンの金字塔である「収容所群島」を元しています。日本の精神病院は旧ソ連強制収容所のようである、と批判したいのでしょう。

なぜ日本で強制入院率が高く、隔離と拘束時間が長いのかについて、次の記事で考察します。

我が国に生まれた精神患者は、この病を受けた不幸だけでなく、我が国に生まれた不幸をも重ねていると言うべきである

こちら厚労省統計にあるように、日本の人口あたりの病床数は世界最高です。

こちらの統計に通り、人口あたりの精神科病床も、他科同様、世界最高です。

上の2つのグラフには共通点があります。1990年頃まで、日本の人口あたりの病床数は増え続けていますが、それ以後、緩やかに減っています。一方、他の先進国はそれより20年か30年も前から、日本より速いペースで減っています。

上の2つのグラフの相違点は、全ての病床数の変化よりも、精神科の病床数の変化が急激である点です。特に1960年から1990年頃、他の先進国の精神科病床数が激減している一方で、日本だけが精神科病床数を激増させているのは対照的です。

なぜこんなことが起こったのでしょうか。

医療全般でいえば、日本は1990年頃まで高齢化率が高くなく、経済成長が続いており、医療費に湯水のようにお金を使えたからです。他の先進国(欧米先進国)はその20年か30年ほど前に高齢社会や不況に陥っており、医療費を削減せざるを得なかったからです。他の先進国の病床減少率が日本より速い理由は、日本は既得権益を崩せない病気に何十年もかかっているからです。

それでは1960年頃から1990年頃に起きた西洋先進国での精神科病床激減と、日本での精神科病床激増の理由はなんでしょうか。

まず、西洋先進国の精神科病床激減の理由は、第一に統合失調症の治療薬ができたことです。人口の1%が罹患するとされる統合失調症は、一度発症すれば対処法がなく、精神病院で社会から隔離して生きてもらうしかない、と1950年代まで考えられていました。1950年代にクロルプロマジンという薬が使われるようになってから、それまで幻覚と妄想で訳の分からないことを言っていた精神病患者(統合失調症患者とほぼ同義)と理性的な会話が可能になりました。このクロルプロマジンのような統合失調症薬の使用前に「神からの声を言っていいだすか? ファイザーと言えばバイアグラ!」と言っていた旧帝大卒の患者が、使用後に「社会復帰のために、まずは就労支援から通うつもりです」と真顔で言う姿を私も見たことがあります。まさに精神病を治す魔法のような薬でした。

この精神病の革命に、医療行政役人や政治家が飛びつきます。

「医療費の無駄は削減しなければならない。通院治療で対処できる人に、入院させる必要はない」「精神科患者を隔離させるなんて人権侵害だ。精神科患者だって、社会で生きる権利がある」

削減できる医療費探索に血眼になっていた医療行政役人や政治家たちから、他の科以上に、精神科は集中砲火を浴びました。社会から胡散臭い目で見られていた精神科の宿命だったのかもしれません。

一方、1960年から1990年までの日本の精神病院の激増の理由はなんでしょうか。

一般に言われるのは、1964年のライシャワー事件です。駐日アメリカ大使のライシャワー統合失調症患者にナイフで刺される事件が起きました。「こんな危険な奴をどうして野放しにしていたのだ」という世論が沸き起こり、精神科患者を精神病院に隔離する政策が進められたそうです。

当時、精神病院の建設には政府から多大な援助を受けられました。現在日本中にあまねく林立する精神病院のほとんどは、この時期に造られて、私立です。

何十年も前から、厚労省は国際比較して極めて多い病床数を削減したいと考えています。特に精神科病床数は人権の観点からも減らしたいと考えています。しかし、特に精神病院は私立が多いため、なかなか行政の指示に従ってくれず、精神科病床も減らせない実情があります。

もっとも、上のライシャワー事件は精神科病床激増の口実に過ぎない、と私は考えています。そもそも1960年頃まで、人口あたりの日本の精神科病床は先進国の中で、他の科と比べても、極端に少なかったのです。なぜ他の疾患よりも、精神疾患は後回しにされたのでしょうか。また、厚生省も日本の精神科学会もバカではないので、1960年頃から他の先進国が精神病院を手当たり次第に潰していたことを知っていたはずなのに、なぜ1990年まで日本の精神病床を増やし続けたのでしょうか。この二つの日本精神医療の大きな謎について、私の管見では、問題提起している人すら発見できませんでした。この答えを知っている方がいれば、下の「コメントを書く」に記入してもらえると助かります。

病床数の問題と関連しますが、日本は平均入院日数も世界最高です。

おそらく世界中のどの国でも、全ての科の中で最高の平均入院日数になるのは精神科です。必然的に、どんな科であれ世界最高の平均入院日数を誇る日本の精神科の平均入院日数は、とんでもない数値になっています。

病床数が減りだしたのは1990年頃ですが、入院日数は1980年頃から減少に転じています。

入院日数に関して注目すべきなのは、日本の長期入院患者率が世界で突出して高いことです。

精神科に限りませんが、日本の医療は西洋先進国と大きく異なります。病床数や入院日数の他にも、一人あたりの平均通院回数も世界最高で、病院で亡くなる率も世界最高です。家庭医制がないため、ただの風邪でも大病院にかかれる点も特殊です。

日本の特殊性が際立っているのは、無期限に入院できる療養病床です。実質的に、これは治らない病気を持つ患者のための病院です。世界中どこでも、病院は病気を治す機関です。治らない病気の患者なら、病院にいる意味はありません。日本(と韓国)以外の全ての国では、そんな患者は自宅か施設にいます。その方が公費を節約できるからです。

だから、日本の厚労省も療養病床は失くす、と20年以上前から言い続けています。しかし、なにかにつけて既得権益の打破が難しい国なので、いまだなくなっていません。

日本(と韓国)の医療は世界の中でガラパゴスです。そして、世界中どこでも、精神科は医療の中でガラパゴスです。だから、日本の精神医療はガラパゴスの中のガラパゴスになっています。

日本人にさえ、あまり知られていない精神医療の問題点について、次の記事から述べていきます。

なお、「我が国に生まれた精神患者は、この病を受けた不幸だけでなく、我が国に生まれた不幸をも重ねていると言うべきである」は日本の精神医学の父とも呼ばれる呉秀三の言葉です。100年前に使われた言葉が、残念ながら現在も使われている理由も示していきます。

無敵の人

これは「なぜ私がこんな国の少子化を心配しているのか。私はバカか?」と同じような嘆きの記事です。

無敵の人は「失うものがなにもない人」「凶悪犯罪者予備軍」「世の中に対する被害者意識が非常に強い人」のような意味です。ほとんどは弱者男性です。

この国に無敵の人は何万人いるのでしょうか。もし今の私が無敵の人に含まれるなら、1千万人はいるはずです。

「私より道徳を重視して生きている人がいたら、ここに連れてこい!」

私はこれを人生で何万回思ったでしょうか。誰かに言った回数だけでも10回くらいあります。そこまで世の中のために、この国のために生きているのに、なぜこの国は私に対してその報いをわずかでも返してくれないのでしょうか。

「こんなクソみたいな人生、やってられるか!」

最近、独り言で1日に何十回も言ってしまう言葉です。私がこの上なく共感してしまう日本人、「黒子のバスケ事件」の犯人(おそらく故人)の言葉です。

補聴器詐欺の被害額推計

医者になってから、補聴器詐欺にひっかかる患者さんに5人くらい会ったでしょうか。

私が補聴器について聞いた高齢者患者さんはせいぜい50人くらいでしょうから、難聴の高齢者の10人に1人くらいの確率で騙されているのかもしれません。

こちら厚労省情報だと難聴患者は1430万人もいるので、143万人が被害にあっている可能性があります。

難聴患者の多くは感音性(振動を電気信号に変える器官の障害)で、伝音性(振動を伝える器官の障害)ではありません。補聴器は伝音性難聴を改善するための医療機器であり、感音性難聴には理論上無効です。確かに、感音性に効果が全くないと断定できませんが、通常は微々たるものです。これは医者なら何科であろうと知っている耳鼻科の基本中の基本です。看護師であっても、こんな簡単な医療理論は知っているべきです。

また、本当に補聴器に効果のあるほどの難聴なら障害者認定されるので、耳鼻科医が適正に診断すれば、補聴器も公費負担されます。もっとも、高齢の難聴者であれば、音の電気信号が脳に伝わっているが、脳が適切に処理できていない、つまり脳中枢の障害(認知症)の可能性も高いです。だから、聞こえの悪い認知症患者を全例障害者認定するなんて、公費の無駄はしていないはずです。

お金の面から判断すれば、補聴器に30万円以上かけた人は、私の経験上、全員詐欺にあっていました。その全員が、結局、「つけてもあまり変わらない」「つけるのがうっとうしい」と装着を継続していませんでした。ひどい人は100万円かけていた例もありました。相場を少しでも調べればおかしいと気づいたはずなのに、と思わずにはいられませんでした。

難聴詐欺では、日本中で143万人が50万円程度の被害にあっていると仮定するなら、被害額は約7000億円です。250床規模の総合病院を100個造れるほどの額です。大雑把な推測なので2倍程度の差はあるとすると、1兆4000億円から3500億円程度の詐欺被害になります。

これほどの莫大な額の詐欺は、日本中探してもそうそうないと思います。なぜマスコミが補聴器詐欺について大きく報道しないのでしょうか。10年以上解けない社会の謎の一つです。

どんな人も殺人被害者にもなれば、殺人加害者にもなる

私が日本の最も嫌うところ」に書いた通り、タイトルのような考えを私は持っています。

だから、先日、「私は殺人なんかしません」と言った患者さんに、私は反論しました。

私「殺人したくない、なら分かりますが、殺人しないと断言できる人はいないはずです」

患者さん「いえ、私は絶対しません」

私「その根拠はなんですか?」

患者さん「しないからです。先生はすると思っているんですか?」

私「もちろん、殺人なんてしたくはありませんが、してしまう可能性はあります。あなたは自分をそんな立派な人間だと思っているんですか?」

患者さん「立派な人間だとは思っていませんが、殺人をしないくらいの人間だとは思っています」

私「殺人は自分よりくだらない人間だけがすると思っているんですか?」

患者さん「くだらないというか、どうしようもない奴がするんでしょう」

私「第二次世界大戦中、日本人は2千万人も殺しました。その日本人たちはどうしようもない奴なんですか?」

患者さん「その通りです」

私「だったら、私たちもどうしようもない奴でしょう! 遺伝的には同じですよ!」

 

「家族がいなくなった日」(今田たま著、ぶんか社)というマンガを読んだ時も、同じ理由で腹立たしくなりました。

誰だって、殺人被害者にはなりたくないですが、なってしまう可能性はあります。

これは当たり前のことです。まして被害者(著者の父)はパチンコ屋の雇われ店長です。ギャンブルから利益を得ている奴です。逆恨みなどで殺される可能性は一般人よりも高くなります。

にもかかわず、父を溺愛する著者は父が殺された事実を全く受け入れようとしません。本を読む限り、たとえ殺人でなかったとしても、どんな死因であれ、この著者は父の死を受け入れなかったでしょう。

全ての人は必ず死にます。生まれた時から、そんなことは知っているはずです。

「死んでも全く悲しまない家族を持っている人の方がよほどかわいそうではないのですか? あたなは『死んで悲しむ家族を持つ人生』と『死んでも悲しまない家族を持つ人生』のどちらを送りたいですか?」と著者に言いたいです。

さらに腹立たしいのは、著者(被害者家族)が加害者への死刑(殺人)要求に全く迷いがないことです。

「犯人は死刑にできないんでしょ!」

「犯人も犯人家族も、この先、楽な人生なんか送らせない!」

「犯人に謝られても不愉快なだけだ」

単に被害者家族になっただけで、こんな道徳に反する思考を堂々と本で書く正当性があると著者は信じているようです。社会から排除されるべき者はどっちなのか、とすら私は考えます。

おそらく、この著者は「自分が殺人被害者にならない」と信じていただけでなく、「自分が殺人加害者にならない」と信じ切っているのでしょう。

もっとも、この殺人犯の家族も道徳的に愚かなところが確かにあります。被害者が店長のパチンコ店に加害者は以前勤めていたのに「自分たちの息子が関わっているとは全く思わなかった」と加害者家族は裁判で答えたそうです。「思いたくなかった」なら分かります。「思わなかった」ならバカですが、まだ許される余地はあるかもしれません。「全く思わなかった」なら、その時点で刑罰を科されていいほどの罪があると私は考えます。

どこまでも愚かです。こんなマンガがamazonで絶賛されている日本に失望します。

加害者家族の罪

なんの罪もない被害者などこの世に存在しない」の続きです。

被害者家族と加害者家族のどちらをより救うべきかといえば、それは被害者家族になるでしょう。

「『少年A』被害者遺族の慟哭」(藤井誠二著、小学館新書)と「加害者家族」(鈴木伸元著、幻冬舎新書)と「息子が人を殺しました」(阿部恭子著、幻冬舎新書)を読むと、その思いが強くなります。

この三つの本を読んですぐに気づく大きな違いは、「『少年A』被害者遺族の慟哭」はどのような犯罪であるかを書いているのに、「加害者家族」と「息子が人を殺しました」はどのような犯罪であるかをほとんど書いていないことです。おそらく、犯罪内容を伝えると「加害者家族が責められても仕方ない」と読者に思われるからでしょう。つまりは、「加害者家族を救済すべきだ」という本全体の主張も説得力がなくなるからでしょう。

私が日本の最も嫌うところ」で書いたように、どんな人だろうが犯罪者になる要素は持っていると私は考えています。誰も犯罪被害者になりたくないでしょうし、犯罪加害者にもなりたくないでしょう。そうであるのに、犯罪に追い込んだ加害者と同じ社会に生きている以上、「なんの罪もない被害者などこの世に存在しない」という倫理観の柱もあります。

「なんの罪もない被害者などこの世に存在しない」のですから、「なんの罪もない加害者家族など、この世に存在するわけがありません」。むしろ、私は「加害者家族にも責任がある。犯罪実行者でないからといって、犯罪加害者を育てた家族(特に親)に刑法罰が与えられない現行制度に問題がある」くらいに考えています。実際、「犯罪」の記事で、同様な意見を何度も書いています。

「ある犯罪が起こった時、その社会の構成員全員に罪がある。加害者家族には、その構成員平均より重い罪の可能性がある」と考えているので、今回、「加害者家族」や「息子が人を殺しました」の全体の主張である「加害者家族を救済すべきである」には疑問があります。

「犯罪の間接的な被害者を救済すべき」なら文句なしで賛成です。加害者家族も加害者に苦しめられていたなら、加害者家族も救うべきと考えます。しかし、加害者家族が犯罪の恩恵を受けていた場合や、加害者家族が犯罪後も加害者の味方をする場合まで、加害者家族を救うべきでしょうか。

「加害者家族」には、「いじめ事件、非行事件の被害者を今からでも救うべきである

の記事にある5千万円恐喝事件について書かれています。以下、引用です。

 

事件発覚後、加害者の姉はマスコミから逃れるため、知人の家に預けられ、そこから職場のスポーツジムに通った。あるとき、水泳を教えていた子どもたちから、突然、住所を聞かれて、事件が気づかれたとショックを受け、退職届を出した。無職となった姉は両親のいる自宅に戻ったが、いやがらせの電話が鳴りやまなかった。インターネットには「加害者の姉を拉致してレイプしてしまう」といった書き込みがあり、見知らぬ男に追いかけられることもあった。家の周りには見知らぬ車が常に止まっており、明らかに近所の住民ではない人が見物に来ていた。

 

こんな事実があっても、私は5千万円恐喝事件の被害者と被害者の母の苦しみを知っているので、加害者の姉をかわいそうとは思いません。被害者はこの加害者宅で出血するほどの暴力を何度も加えられていて、加害者は恐喝した5千万円を使ってタクシーで名古屋から大阪まで行って風俗店で遊んでいたのです。実際にレイプされたわけでも、暴力を振るわれたわけでもない加害者の姉に同情などしません。

 

事件発覚前、高価な品を所持し始めていた弟を姉は何度も問い詰めていた。そのたびに、弟はパチンコで勝ったと答えたり、怒って反発したりして、決して本当のことを語ろうとしなかった。もっと厳しく問い詰めればよかったのだろうかと、姉は犯罪の予兆に気づくことができなかった自分を責め、自殺も考えた。生きている意味が分からず、毎日泣いて過ごした。

事件発覚からの1年間を振り返り、姉は手記の最後にこう書いている。

「生活も将来も怖くて怖くて悲しくて悲しくて仕方なかったです。自分が私の立場に立ったらどう思うか考えてほしいです。人間が大嫌いになるはずです」

 

これを読んでも、姉への同情心など私には微塵も湧きません。むしろ、この期に及んでも、5千万恐喝事件という「紛れもない犯罪」を「犯罪の予兆」と表現したり、弟を殺してでも止めるべき犯罪だったのに「もっと厳しく問い詰めればよかったのだろうか(疑問文!)」と考えたり、「怖くて怖くて悲しくて悲しくて」と被害者面したりする姉に怒りしか感じません。

確かに、被害者が加害者の姉に復讐するなら分かりますが、無関係の者が加害者の姉に復讐する正当性は全くありません。ただし、元いじめ被害者がこの事件に憤慨して、加害者側の人間に嫌がらせをする気持ちは、私も元いじめ被害者なので、分からなくはありません。

だから、加害者家族(加害者の関係者)は、「家庭支援相談員」が事情を聴いて、必要な公的支援(監視)を与えるべきでしょう。これは加害者家族保護の目的もありますが、加害者家族に反省させる目的もあるべきです。

「息子が人を殺しました」からも加害者家族のケースを一つ紹介します。

 

40代の高橋純子(仮名)の夫は、知人に架空の投資話を持ち掛けて大金をだましとり、詐欺罪で逮捕された。夫が犯行に及んだ動機として、「生活費に使うため」と供述したことから、家族である純子と娘の贅沢な生活が非難の的となった。

「家はローンが残っていたし、車は外車といって中古でした。私はブランド品も持っていないし、服装にお金をかけてもいません」

 

純子はそう言ったのですが、「贅沢」でない証明になっていません。家のローンが残っているのは普通です。問題なのはどれくらいの金額の家に住んでいたかです。私の元妻も全く同じことを述べ(家族が中古の外車を持っている点など本当に同じ)、「お金持ちでない」と本気で言っていて、そう信じていました。元妻の父も母も年収2千万円であり(父と母で年収2千万円でなく、父も母も一人で年収2千万円)、年収2千万円の日本人など上位1%しかいない統計を示して、ようやく元妻は自身が超お金持ちであることを認識しました(それを認識させるのに結婚後3年はかかりました)。

 

さらに純子はこう愚痴った。

「夫には若い愛人が何人かいたんです。それがわかって、もう離婚するしかないと決めました。それなのに、金の切れ目が縁の切れ目なのかって、私たち親子だけが周囲から非難されました」

純子たち家族へのバッシングが激しくなったのは、インターネットの掲示板だった。内容から推測すると、ほとんどが知人の書き込みのようだった。

「確かに、娘の教育にはお金をかけました。それは親のエゴであって、決してあの子が望んだわけではありません。それなのに、娘が一番の悪者のように責められてしまって……。本当に、可哀想なことをしたと思っています」

17才の高橋美月(仮名)は、中高一貫のミッション系女子校に通う「お嬢様」だった。会社経営する父と専業主婦の母である純子との3人家族で、父が逮捕されるまで何不自由ない生活をしていた。

年が明けてまもなく、美月は短期留学をしていたカナダから帰国した。家に帰ると、まるで引越しでもするように段ボールが摘まれ、家の中が閑散としていた。

大事な話があるから、まっすぐ帰ってくるようにと言っていた純子は、数週間見ないうちにずいぶんとやつれていた。

「パパの会社がね、倒産したの……」

美月は耳を疑った。

「ここにはもう住めない。おばあちゃんのとこに行くから荷物をまとめて」

美月は急いで自分の部屋に入ると、すでにほとんどの荷物が整理されていた。

「ごめん、時間がないの。後でゆっくり説明するから、とにかく片づけて」

純子は急かすように言った。

「パパはどこ?」

父の居場所を尋ねると、予想だにしない答えが返ってきた。

「警察」

純子は、美月が帰国するまで、事件のことは伏せていた。これからしばらくは海外に行く余裕などない。娘にはせめて、ギリギリまでカナダでの滞在を満喫してほしかった。

 

そう本には書いていますが、「都合の悪い事実を言う勇気がなかった」が本当でしょう。人間や世間の嫌な部分を直視しない純子と美月の薄っぺらさが垣間見えます。

 

「学校はどうなるの?」

美月はおそるおそる尋ねた。

「おばあちゃんの家の近くの高校に転入できるって」

「いつから?」

「もう、すぐにでも」

「嘘でしょ、やだ……」

美月は思わず泣き出した。美月にとってR女子高校は、難しいと言われながらも努力して合格した憧れの高校だった。制服も大好きで、他の高校の生徒になるなど、とても考えられなかった。

「もう、学費を払う余裕がないの……」

これまで聞いたことがないような純子の力ない言葉に、美月はどん底に突き落とされたような気がした。

翌朝、純子と美月は、まるで夜逃げのようにこっそり荷物を運び、実家のある田舎に向かった。

美月はせめて、残る3ヶ月、高校2年生を修了するまでR女子高校に在籍したいと純子に頼み込んだ。学費はすでに納めており、在籍する権利はあるはずだ。祖父母は、美月があまりに可哀想だと、来年の学費を自分たちがなんとか工面しようかと言い出した。

高校生活が続けられる可能性が出てくると、美月はようやく一筋の光を見つけたような気がした。

母の実家から学校までは、高速バスで片道1時間半。早起きは楽ではないだろうが、これまでと同じように学校に通えるならば、どんなことでもする覚悟だった。

新学期の初日、美月は担任から職員室に来るように言われた。

「高橋さん、大変だったわね。転入を希望していたS高校、欠員募集出てるみたい。ちょうどよかった、早めに書類書いてちょうだい」

唐突な言葉に美月は混乱した

「え? まだ私、学校やめませんけど……」

担任の顔色が変わった。

「でも……」

「母が、3月までの学費は納めてるって……」

「来年はどうするの?」

「来年の学費は、祖父母が出してくれるはずです」

担任は困った様子だった。

「そう。分かりました。ここにいることが、あなたにとっていいことなのか、分からないけど……」

担任と一緒に教室に入ると、いつもとは違う雰囲気を感じた。何人かのクラスメートの視線が冷たく感じられたのだ。

「大変だったね」

休み時間、親友の玲奈が駆け寄ってきた。

「もしかして、事件のこと? みんな知ってるの?」

カナダにいた美月は、父の逮捕報道を全く知らなかった。父がパーカーをかぶって顔を隠し、手錠をかけられてパトカーに乗り込む映像が全国に流れていたのだ。美月は急に足がすくんだ。

放課後、美月は所属している管弦楽部の練習に向かった。

「高橋さん、どうしたの?」

音楽室に入るなり、先輩が驚いた顔で寄ってきた。

「え? 練習しようと思って……」

「練習って、そんな場合じゃないんじゃないの?」

美月が困惑していると、顧問がやってきた。

「高橋さん、何してるの? 練習どころじゃないはずでしょ、ほら、帰りなさい、早く」

美月は追い出されたような気がした。家に帰っても何もすることなどない。せっかく、演奏していろんなことを忘れたいと思ったのに……。

母の実家では、何事もなかったかのように時間が流れていった。周囲にコンビニひとつない田舎だ。夜8時をすぎれば、町は静まり返っている。父は警察署にいて、しばらくは戻ってこられないようだ。今は、家族も面会が許されていない。母の純子は、父の仕事内容を詳しく理解しているわけではなく、事件の詳細についても知らされていないようだった。

美月は、友達の何人かに無事に帰国したというメールを送ったが、玲奈以外からの返事は来なかった。

翌朝、美月はクラスメートにカナダで買ったお土産のクッキーを配ろうとした。すると、誰も受け取ろうとはせず、むしろ軽蔑するような視線を浴びせられた(私も同じことをされたら、このような態度をとるでしょう)。

「信じられない……」

「バカじゃないの……」

微かな悪口が聞こえる。美月の机の周りには誰も近寄らず、遅刻寸前で現れた玲奈だけが挨拶をしてくれた。

昼休み、いつも4人でお弁当を食べていたにもかかわらず、真紀と美保はいつの間にか他のグループに入っていた。

突然無視され、内心、頭に来た美月は、放課後、真紀と美保に理由を聞きたいと思った。美月が声をかけた瞬間、ふたりは逃げるように教室を出ていった。追いかけようとする美月を、玲奈が引き留めた。

「高橋さん、非常識なんじゃない?」

様子を観ていた智子が、見かねたように声をかけてきた。

「親があんな事件を起こしておいて、よく学校に来られるよね。しかも海外旅行のお土産を配るとか、ありえないでしょ。この期に及んで自慢する気?」

正義感の強い智子は、真っ向から美月の行動を批判した(「正義感の強い」という表現から、著者も智子に正義があると認めているようです)。

「親が起こした事件だよ。美月がやったわけじゃないでしょ」

玲奈が弁護すると、

「でも、ここの学費は自分で払ってるわけじゃないじゃない。父親が騙し取ったお金でしょ? 罪悪感とかないの?」(この視点は極めて重要です。私は父の犯罪を知らなかったから関係ない、と美月は考えていたのでしょう。過去はそうでも、現在は知っているとの視点を持てないほど美月は自己中心だったと推測できます。一応書いておくと、盗まれた品だと知っていて、その盗品を買ったら、「故買」という懲役刑もありえる犯罪になります)

美月はいたたまれなくなり、思わず教室を飛び出した。学費は父が騙し取ったお金――その言葉が胸をついた。美月の通う高校は伝統があり、裕福な家庭の子どもも通っているが、ギリギリの生活でアルバイトをしている生徒もいた。美月のように、毎年、数週間を海外で過ごす生徒はそれほど多くはない。親の離婚などをきっかけに、学費を払えず退学せざるを得なくなる生徒もいる。恵まれている美月に、密かに嫉妬していたクラスメートもいたようだった。

それでも美月は、めげなかった。

「大丈夫。もう少し時間が立てば、前みたいになれるよ」(そうなれる人も間違いなくいます。美月が悪を憎み、正義を愛する心を持つ人だったら、そうなっていたはずです)

そう言って励ましてくれる玲奈の言葉を頼りに、翌朝も学校に向かった。

しかし、美月に対する周囲の風当たりは、日増しに強くなっていった。クラスメートからだけではなく、部活の仲間たちからも無視された。登校途中に見知らぬ生徒から、「帰れ!」「泥棒!」など、心ない言葉を浴びせられることもあった。

ある日、教室を移動していると、職員室前に大人たちが集まっている姿が見えた。美月がそばを通ると、

「あの子じゃない? ほら」

ひとりの女性が美月を指さして叫んだ。

「いったい何考えてんの? 被害者の子どもが進学できないのに、加害者の子どもがのうのうと学校に通っているって話はないでしょうが!」

何やら美月のことで苦情を言いに来たようだった。美月が放課後、担任に事情を尋ねると、ここのところ、毎日のように学校に保護者から苦情が来ているという。

美月の父は、多いところからは数千万円を騙し取っていた。被害者の中には、美月の父を完全に信用し、預貯金を全てつぎ込んでしまった人もいた。被害者の家族の中には、子どもが進学できなくなったケースもあったという。父は、騙し取った金は全て使い果たし、被害者への返済の目途は立っていないという。

インターネットの掲示板では、美月の父について、逮捕前の贅沢な生活が話題になっていた。「妻は高級車を乗り回し、娘は名門R女子高校」「娘は父逮捕後も学校で海外旅行自慢」などクラスメートしか知りえない情報も公開されていた。実名を公表され、「体売って金返せ。さんざん贅沢したんだろ」などと嫌がらせの言葉も並んでいた。

美月の通っている学校名や身体的特徴まで書き込まれており、携帯に非通知の着信がたびたび入るようになった。美月は恐怖のあまり、警察に母と相談に行くことにした。

担当の警察官は、あからさまにやる気のない態度で、サイトの管理者宛に投稿の削除依頼をするしかないと言うだけだった。

「娘になにかあったらどうするんですか!」

母が詰め寄ると、

「娘さん、早く転校した方がいいですよ。とにかく何か起きたら、連絡してください」

そう言われ、相談は終わった。

事件からひと月が経っても、学校での美月の居場所はないままだった。

美月が所属する管弦楽部では、部員たちの間で、美月についての話し合いの場が持たれていた。

例の掲示板では、美月が管弦楽部の部員であることがすでに特定され、「バイオリンだって。最高級の楽器使ってるらしい。売って返済しろよ」「ずいぶん余裕あるな。アルバイトでもして返済手伝えよ」などと、厳しいコメントが続いていた。部員の中からは、発表会などで自分たちまでも嫌がらせを受けることを心配する声も上がった。

「私たち、美月とは一緒に音楽をやりたくない」

部長は、30人の部員を前に、美月を音楽室に呼び出してそういった。誰ひとり、美月をかばう者はいない。美月は迷惑をかけたお詫びと、これまでの感謝の言葉を述べて、音楽室を去るしかなかった。

先生たちの視線も、日増しに冷たくなっているように感じた。これまですれ違うたびに冗談を言ってきた体育の先生や、いつも体調を気遣ってくれていた保健室の先生からも、声をかけられることはなくなった。

美月はたったひとりの友達の玲奈に何度もメールや電話をしたが、その日は繋がらなかった。玲奈まで去ってしまうのではないかと不安で、その日は一睡もできなかった。

翌朝、玲奈はいつもより機嫌のいい様子で現れた。美月が、何度も連絡したにもかかわらず返信がなかった理由を聞くと、彼氏と過ごしていたのだという。

「昨日はバレンタインだよ」

のろける玲奈に、美月は苛立ちを抑えられなかった。

「ひどいよ、こっちは自殺していたかもしれないのに!」

美月は思わず怒りをぶつけた。

その日の放課後、気まずくなった空気を変えようと、帰り支度をしている玲奈に声をかけると、彼女は下を向いたまま呟いた。

「ごめん、もう無理……。美月の味方でいるの、もう疲れた。私には重すぎる」

唯一の友達も去っていった。

翌日から美月は登校をやめ、退学届を提出した。母の実家近くの飲食店でアルバイトを始め、翌年からは近くの高校に通うことにした。

定時制のS高校。美月は初日を緊張して迎えた。事件のことがここまで広まっていたらと思うと、周囲の人と目を合わせることが怖かった。

美月は、ひとり歳が近いと思われる女子を見つけ、彼女の近くに座った。彼女も微笑んでくれて、美月は胸をなで下ろした。

「R女子?」

美月がまだ使っている前の高校の鞄を見て、彼女が尋ねた。美月は事件のことがばれたと思い、緊張した。

「私も中3までいたよ」

美月は驚いた。まかさ、ここでR女子の生徒と会うなんて、ありえないと思った。

「父親が自殺して、高校は無理だった」

「うちのパパは、詐欺やって刑務所」

「大変だったね。うちも借金つくって死んじゃったから、すごい周りから責められた。もう思い出したくない」

「わかる……」

ふたりの会話は止まらなかった。

 

以上で「息子が人を殺しました」での美月の話は終わります。

犯人の妻である純子、および犯人の子である美月は、詐欺で得たお金で恵まれた生活を送っていました。「被害者の子どもが進学できないのに、加害者の子どもがのうのうと学校に通っているって話はないでしょうが!」「バイオリンだって。最高級の楽器使ってるらしい。売って返済しろよ」「ずいぶん余裕あるな。アルバイトでもして返済手伝えよ」などと言われるのは、当然です。少なくとも、被害者はそう主張する正当性があると私は考えます。しかし、保証人にでもなっていない限り、純子や美月が詐欺の弁済をする法的義務はないのでしょう。だとしたら、これくらいの罵倒は耐えるべきだったと考えます。まして、純子は専業主婦です。夫のおかげで楽できていたのですから、夫の犯した罪も一部は受けるべきとの考えはあるでしょう。夫の仕事内容なんて知らなかった、と純子は言い訳したいのでしょうが、そんな世間知らずのバカなら、なおさら罪が重いと考える人もいるでしょう。

そもそも、純子も美月も、お金持ちでなかったとしても、大して人望はなかったはずです。繰り返しますが、美月が道徳を重視する立派な人間であれば、この程度の批判(当然あるべき批判)があっても気にしなかったでしょうし、跳ね返せていたでしょう。父のお金のおかげで自己中心かつ能天気に生きてきたからこそ、この程度の批判で転校まで追い込まれたと考えます。

残念なのは、転校後、似たような境遇の友だちを見つけたせいで、美月が十分反省しないままで終わったことでしょう。上記の文を読む限り、美月は被害者意識しか持たなかったようです。

そもそも論になりますが、この事件についても、具体的な犯行内容についてはほとんど書かれていません。さらには、美月が父をどう思っていたかも書かれていません。これらがどうであるかによって、美月の責任は大きく変わってきます。たとえば、美月が「父が犯罪者であったとしても、私にとっては素晴らしい父であり、今でも誇りに思っています」と言ったなら、おそらく被害者は(私が被害者なら)「この娘も同罪だ。娘にも借金返済させろ」と怒り心頭に達するでしょう。

加害者家族がどのような罪と罰を負うのかは、犯罪内容、犯罪による加害者家族の利益と損害、犯罪を除く加害者による加害者家族の利益と損害、犯罪前の加害者に対する加害者家族の関係と気持ち、犯罪後の加害者に対する加害者家族の関係と気持ち、などによって大きく変わってきます。

現在のところ、加害者家族の罪が公式に定まっていないため、加害者家族はその近くの者やネットから社会的制裁を受けています(あるいは、それらから逃げ出しています)。しかし、私刑(私的制裁)の禁止は、法治国家の原則です。だから、公式に「加害者家族(加害者から利益を得ていた者)にも責任はある」と認めて、加害者家族への私的制裁(社会的制裁)は禁止し、取り締まるべきでしょう。

結論は同じになりますが、加害者家族(加害者の関係者)は、「家庭支援相談員」が事情を聴いて、必要な公的支援(監視)を与えるべきです。これは加害者家族保護の目的もありますが、加害者家族に反省させる目的もあるべきです。

1万年働いても返せない損を出しても4年の懲役

今さらですが、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件の事後処理のひどさを知りました。当時、私は生きていたので、このニュースに接していたはずですが、記憶にはありません。

これは端的にいえば、井口俊英というトレーダーが損失を取り戻すため、巨額の投資をし、さらに損失を増やす、というサイクルを繰り返した事件です。親のコネで大和銀行(現りそな銀行)のニューヨーク支店に就職した井口が最初に出した損失は数万ドル程度でした。損失はすぐに大和銀行に報告すべきなのですが、井口はその義務を怠り、損失を取り戻そうと泥沼にはまります。井口は会計不正にも手をそめ、12年間も損失を増やし続け、会計を操作し続けます。逮捕された1995年、損失は10億ドル(当時のレートで1100億円)にまで達していました。

井口が大和銀行に犯行を「告白」してから大蔵省に報告するまで、さらにはアメリカ政府に報告するまで、数か月もかかっていたので、アメリカ政府が激怒したことも、この事件の特徴です。

1100億円といえば、井口が4000年働いても返せない金額ですが、なんとわずか4年の懲役で済んでいます。

さらに腹立たしいのは、その後、井口はいけしゃあしゃあと日本で事業を展開し、大和銀行ニューヨーク支店行員の女性と再婚までしていることです。もっと腹立たしいのは、bloombergこちらの記事で、「現状では、トレーダーは損失を申告すれば烙印(らくいん)を押されて解雇され、二度と業界で働けなくなると考える。懸命に積み上げてきた全てを失う。あまりにも罰が重すぎる」と、まるで自分が被害者のように述べていることです。

井口が生みだした1100億円の損失は大和銀行が負担しますが、大和銀行の救済には日本の税金が使われています。日本人の平均生涯収入は2億2千万円くらいですから、1100億円とは約500名の日本人が生涯無給で全て借金返済にあてて返せる金額です。

井口の自己保身の損失のせいで、間接的に自殺や引きこもりに追い込まれた氷河期世代の日本人は一体何名いるのでしょうか。

バリバラを語らせろ

私には得意な人がいます。得意とは、「つきあいやすい」「話しやすい」「一緒に物事を進めやすい」くらいの意味です。たとえば、「倫理観に優れた人」「頭のいい人」「優しい人」は得意です。もっとも、それらの人は、私に限らず、誰でも得意だと思います。私に特徴的だと思うのは、「不幸な人」「少数派の人」「海外に関わりのある人」が得意な点です。「不幸な人」「少数派の人」と関連もしますが、障害者も得意です。

私は医療職に就いているので、障害者には頻繁に会います。私は普通に接しているつもりなのですが、私以外の医療職の人たちより桁違いに適切に対応している時がよくあるようで、障害者に私の予想外に感謝されたことが何度もあります。

そんな私だからでしょう。私の「すごいテレビ番組ランキング」の第一位はNHK教育のバリバラです。ただし、そのランキングでは20年以上も「進め、電波少年」が不動の首位だったので、一位だから名誉とは言えないかもしれません。

Wikipediaによると、バリバラは「日本初の障害者のためのバラエティ番組」と紹介されていますが、世界初なのではないでしょうか。もし海外にこんなすごい番組があるのなら、ぜひ下の「コメントを書く」で教えてもらえると助かります。

大変残念なことに、バリバラが放送された頃から現在まで、私の家にテレビはありません。だから、バリバラも友だちの家で観た時があるくらいです。番組を最初から最後まで観たことは、記憶する限り、1回しかありません。

その1回のバリバラでも私が何年も忘れられない企画がありました。片足を失った女性が脚マッサージ屋に行って、「片足しかないので半額でお願いします」と要求するのです。常識で考えて「お値段は変わりません」と即答すると思いますが、なぜか受付は上司に確認した後、「そういった対応はしておりません」と答えていました。すると、今度はもう一人片足の女性を連れてきて、「これで両脚になったので、1人分の料金でお願いします」と要求しました。これも受付は上司に確認していました。これらは隠し撮りだったので、カメラがあるから、この脚マッサージ店がこんな優しい対応をしていたわけでないようです。もっとも、NHKがヤラセをしていた可能性も否定できません。

バリバラはこれまで何度も炎上事件を起こしています。たとえば、「桜を見る会」を障害者たちが演じるパロディでは「アブナイゾウ首相」と「無愛想太郎副総理」が出てしまいます。「安倍晋三」と「麻生太郎」を茶化した呼び方ですが、侮辱ととられても仕方ないので、当然ながら炎上します。「健常者がやっていれば炎上しなかった。これで炎上したのは障害者差別だ」という意見もあった一方で、「健常者がやっていればもっと炎上していた。障害者だから、あの程度で済んでいた」という意見もありました。

こういった議論は「社会的弱者」ではよくあることです。浮気報道でも「同じことを男性がすれば問題にならない。女性だから問題になった」といった意見は朝日新聞で頻出しますが、「同じことを男性がすればもっと問題になった。女性だから、あの程度で済んだ」という意見も必ずあります。

そういった問題も含めて、バリバラは社会問題を際立たせていると感じます。一般社会でも「これはかわいい女性だから許されているだけだ。そうでない女性や男性がすれば非難ごうごうだ」という問題はありますが、バリバラではそれが目立つように私は思います。一般社会でも「当事者だけど、よく分かっていないな」という問題もありますが、バリバラだと「障害者だけど、障害者のことよく分かっていないな」という問題が目立ちます。

たとえば、はっきり言って、バリバラのご意見番の玉木幸則の人間観と社会観はひどいです。玉木にその自覚がないことも私を苛立たせます。

とはいえ、それを含めても、バリバラはすごいと思います。バリバラのご意見番でなければ、私は玉木の人間観と社会観をこのブログで堂々と批判しなかったでしょう。「確かに、この障害者の人間観と社会観はひどいが、それは本人の責任とは必ずしもいえない」などと考えて、批判もしなかった、あるいは批判できなかったと思います。

バリバラが批判する感動ポルノと比べると、バリバラは障害者の真の姿を示していることは間違いありません。誰もが助けたくなる障害者ではなく、誰もが助けたくない(と思うだろう)障害者もたくさん出てきます。誰もが助けたくない障害者がどれくらいの割合でいるのかは私も予想がつきませんが、誰もが助けたくない健常者の割合よりは少なくあるべきでしょう。

障害者の権利に関する条約では、障害者が他の者と平等に人権や自由を行使できるようにするため、必要な配慮を行うことを求めています。この配慮を「合理的配慮」と呼び、条約では「合理的配慮」をしないことは差別とされています。合理的配慮がいかなる範囲かつ内容で実現されるかについては各国の裁量にゆだねられており、様々な要素を総合的に勘案して、個々の事案に即して判断されるべきものです。

というわけで、障害者の合理的配慮は簡単に決められませんが、完全に決められないものでもありません。たとえば、上記の片脚マッサージも、「片脚であれば料金は通常の3分の2,かける時間も3分の2が妥当」などと、いずれ「合理的配慮」が決まってくるのではないでしょうか。問題なのは、「片脚ならば脚マッサージは受けられない」「片脚ならば半額と無理難題言う客はお断りだ」と一切拒否すること、あるいは片脚の人たちが「片脚で脚マッサージ行ったらトラブルになるだろうから、行くのはやめておこう」となにもしないことではないでしょうか。そうなれば、いつまでも「合理的配慮」が決まらず、健常者と障害者の分断も続きます。もし私が「片脚だから半額にしてくれ」と言われたら、「うーん。それは難しいと思います。大学の授業料だって、半期だったら半額になるわけではないですよね。3分の2ではどうでしょうか」などと提案しているでしょう。

こんなことを考えられたのも、バリバラのおかげです。

孫文の虚像

孫文といえば、台湾だけでなく中国でも、「国父」として神格化された存在です。しかし、その実像は、中国人はもちろん、台湾人ですら、ろくに知られていません。

孫文」(深町英夫著、岩波新書)によると、孫文の絶頂期は1912年1月1日の辛亥革命時の臨時大総統就任の宣誓式です。しかし、辛亥革命、あるいは武昌蜂起は孫文が主導したものではありません。武昌蜂起当時、孫文アメリカにいたので、主導どころか、参加もしていません。

辛亥革命は、四千年以上続いた中国の君主制を廃止させたので、文字通りに革命的事件です。ただし、帝政廃止、共和制国家設立は、孫文が帰国する前に決まっていたことで、辛亥革命での孫文の功績はわずかです。

革命後も、中華民国臨時政府が存在していたのは1913年10月10日までで、2年未満で潰えています。そのうち、孫文が臨時大総統に就いていたのは1912年2月14日までと、わずか2ヶ月未満です。もっといえば、孫文は1913年8月8日には日本に亡命、つまり逃げています。以後、3年間、孫文は日本で過ごしますが、自己への絶対服従を仲間に要求したため、護国戦争では蚊帳の外に置かれました。

1917年から孫文は南部(広東)を中心に勢力を広げますが、軍閥をうまく操れず、北伐の途中、「革命いまだ成らず」の言葉を残して、1925年に亡くなります。

大局的に見れば、孫文は1912年の帝政廃止から1949年の中国統一までの激動の時代に活躍した無数の革命家たちの一人に過ぎません。孫文より知性の高い革命家も、孫文より政策実現能力が高い革命家もいたに違いありません。しかし、この激動の時代の中で、過去も現在も、孫文より人気のある革命家はいませんでした。

辛亥革命の初期の段階、1911年11月で既に有名無名の多くの中国人が、なぜか「大総統になるのは孫文しかない」と考えていました。同年12月29日の臨時大総統選挙でも、孫文は各省17票中16票を集め、圧勝しています。

なぜ辛亥革命時に、孫文がここまで神格化されてしまったのか、私には謎です。もしこの疑問に答えられる方がいたら、下の「コメントを書く」に情報源とともに記入をお願いします。

現在だったら、一発で政治生命が終わる孫文の女性スキャンダルを次に書きます。

孫文は中国に妻がいるにもかかわらず、1902年に亡命中の日本で大山薫と結婚し、その他に日本人の愛人まで作って、常に同伴させていました。さらにいえば、大山薫を妊娠させたものの、出産前に孫文は帰国し、母子のためにお金も送付しませんでした。もし現在の中国の有力政治家がこんな過去を持っていたら、大スキャンダルで、死後も批判され続けるに違いありません。付け加えておくと、1913年に日本に再亡命した後、結婚したはずの大山薫には一切合わず、孫文浙江財閥宋慶齢と結婚しています。

私が孫文により失望したのは、宮崎滔天頭山満という怪しい人物と親しすぎることです。こんな胡散臭い日本人と仲良しなら、少なくとも現在の価値観だと、評価は低くなるはずです。

日本で孫文の評価が高いのはまだ分かるにしても、台湾、まして中国で孫文がいまだ神格化されていることは、滑稽としか思えません。

立花孝志は南あわじ市長選挙で落選する

日本が負けるに違いない太平洋戦争を始めた本質的理由、あるいは日本が第二次大戦で負けた本質的原因」などの100年たっても忘れるべきでない事件を論じているのに、1年後には忘れられていい事件を論じたくないのですが、既に「斎藤前兵庫県知事の大逆転勝利後」を書いたので、ついでに予想しておきます。

2025年1月の南あわじ市長選挙に、お騒がせyou tuberの立花孝志が立候補するらしいですが、まず落選するでしょう。「南あわじをドバイにしたい」は比喩だから、まだいいとしても、「ふるさと納税を10倍にする」「関空と洲本(淡路島の一部)を海路で結んで外国人観光客の増大」など、実現できるわけがありません。

さらには、ゴルフ場の拡張、和歌山県と淡路島を結ぶ橋の建設など、発想が昭和で、古すぎます。こんなことを実現させたら、借金に苦しんで、「地域活性の起爆剤が反対の意味で起爆してしまう」ことは確実です。

そもそも、日本の過疎地域の活性化など、市長一人の力でどうにかなる問題ではありません。日本の衰退はどんなに優秀な政治家がどんなに頑張っても止められません。せいぜい、衰退スピードを緩くするくらいです。「人口減少の深刻さ」に私が書いた通りです。

それにしても、上記のような政策を聞いた時点で、「立花孝志は所詮お騒がせyou tuberに過ぎなかった」「そんな政策、実現できませんよ。議論するのもバカらしい」と誰もが考えると思いましたが、この文芸春秋電子版動画では、2人の「ジャーナリスト」が立花孝志の大言壮語を素直に聞いています。

もっとも、ここでは立花の落選を予想しましたが、立花のプロパガンダが功を奏して、当選する可能性もあるでしょう。さらに言えば、ゴルフ場の拡張などで、ゴルフ場利用者が増えた程度で、拡張費用まで考えれば成功とは必ずしも言えないのに、「成功」と立花が言い出す可能性はあるでしょう。そうなると、日本の衆愚政治もさらに悪化していくことになります。

「斎藤知事のパワハラ調査は、また聞き情報がほとんど。実際に目撃した情報はわずか」「西播磨元県民局長が自殺した理由に不倫疑惑があるとマスコミは知っていながら、全く報道しない」などの本質的な情報を広め、立花たった一人でマスコミの斎藤バッシングを覆しました。だからこそ、「持続可能性を考え、コンパクトシティを目指すべき」「人口減少が続く限り持続不可能なので、外国人労働者を積極的に受け入れよう」「それでも人口減少は続くので、未婚税と少子税と子ども補助金を導入しよう」「南あわじ市だけで未婚税と少子税と子ども補助金を導入したら、他の市に若い女性が逃げられるだけだから、日本全体で実施してもらうようにしよう」などど、市民が受け入れたくないが、必要な政策を立花には訴えてほしかったです。

 

11月27日追記:さすが、というか、やっぱり、というか、立花孝志は予想不可能で、南あわじ市長選の前に大阪府泉大津市長選挙に立候補するようです。泉大津市は立花の出身地らしいですが、それ以上に重要な理由は単純に選挙日が近いからです。調べてみたら、泉大津市長の任期満了に伴う選挙で、その現職が似非科学を根拠とする新型コロナワクチン反対派なので、これは立花が勝つ可能性も十分ありそうです。立花が泉大津市長になったら、南あわじ市長選挙は立花が推す別の候補を出すそうです。泉大津市長選で負けた立花が出るにせよ、立花の推す候補が出るにしろ、南あわじ市長選では現職に負けるでしょう。なぜなら、南あわじ市長の現職は東大卒の元経済産業省官僚だからです。

官民ファンドの失敗

今朝の朝日新聞からの引用です。

 

官民ファンドは、民間企業だけではリスクが高くて手が出せない投資を支援する。官民が共同で出資し、「民間主導で投資案件の目利きを行う」とされる。

内閣官房が点検の対象とする官民ファンドは昨年3月末時点で14ある。この中核を占めるのが、投資の終了後に国に資金を返済することを前提とする「財政投融資」を元手とする8ファンドで、その出資状況を調べた。

8ファンドは、2009~22年に設立された。ともに経済産業省が所管する「産業革新投資機構」(JIC)と「海外需要開拓支援機構」(クールジャパン機構、CJ)を除く六つは、国と企業の折半出資だった。

政府は国の出資比率の上限を定めていない。ただ、財務省幹部によると、「官民」という建前から、多くが国と企業が折半で設立された。CJも、設立時に財政投融資を要求した際に、「民間からの出資については、政府出資と同額程度を期待」と説明していた。

ところが、昨年度末時点では、8ファンドの国の出資の平均は80.2%まで高まっている。折半出資だった6ファンドのうち、五つで国の出資比率が上昇し、「海外交通・都市開発事業支援機構」(JOIN)、「農林漁業成長産業化支援機構」(A―FIVE)、「海外通信・放送・郵便事業支援機構」(JICT)は9割を超えた。

ただ、国の出資が9割を超すファンドのほとんどは100億円を超える累積赤字を抱え、経営の手直しが急務になっている。

官民ファンド

官民ファンドと言いながら、ほとんど純官ファンドです。

それはそうでしょう。これら官民ファンドの第一目的は、利益を出すことではなく、お金を使うことです。利益が出ないなら、お金が減るだけのファンドなら、誰も出したいお金などありません。例外は、自分のものでないお金(税金)です。朝日新聞の引用を続けます。

 

ファンドの多くは、積極財政が持論だった安倍晋三政権下の13~15年に設立された。財務省で予算を担当する主計局は、予算の膨張で、財政が悪化することを恐れていた。

そこで目を付けたのが財投だった。各省庁や自民党族議員から求められた企業支援を、財投を原資にしたファンドで行えば、その分予算の膨張を抑えることができるからだ。

 

積極財政とは、バラマキ政治とほぼ同義です。安倍政権は、バラマキ政治で「好景気」を無理やり作り出し、ツケ(借金)を後の世代に回しました。財投とは財政投融資の略で、もう一つの国債(国の借金)と考えても、そう間違っていません。

官民ファンドの役員に、官僚たちが天下っているのは言うまでもありません。バラマキ政治が行われると、新しい公的機関ができて、官僚たちの天下り先(再就職先)が増えて、国の借金がうなぎ上りになるのは、天皇制と並ぶ日本の金城湯池です。この鉄壁の既得権益を崩すことは、憲法改正以上に難しいでしょう。

そういえば、「ガソリン価格減額補助金3兆円は博報堂が分配」で莫大な税金の不正支出批判記事を去年に書きましたが、正直にいえば、私自身、そのことを忘れていました。

このような莫大な税金の無駄使い報道がろくに注目も批判もされず、黙認され続けるのは、なぜなのでしょうか。10年以上解けない日本の謎の一つです。