未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

なぜ累進課税は後退しているのか

ソ連が崩壊した頃から、多くの先進国は自由競争を重視し、富裕者へ課税率を下げ、貧富の差が拡大しています。当時から現在まで、ほとんどの先進国は民主主義国家です。古今東西全ての社会で、富裕者は一部で、大多数の一般人は富裕ではありません。だとしたら、富裕者への課税率を下げる税制改革は、一人一票の普通選挙制が実施されている民主主義国家なら、多数決で否決されるはずです。しかし、現実に日本を含む多くの先進国で、ここ30年ほど富裕者への課税率が下がる、つまり累進課税が後退しています。なぜでしょうか。

その理由は一つではありませんし、国によっても異なるでしょう。ただし、アメリカに関しては、「つくられた格差」(エマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマン著、光文社)によると、租税回避産業の存在が大きいようです。

租税回避産業には四大会計事務所が当然のように関わっており、それ以外も含めて、アメリカだけで25万人も従事しています。彼らは自分たちの存在基盤であるタックスヘイブンへの規制に大反対で、そのためのロビー活動にも多大な費用を投じています。この産業は租税競争(≒法人税を下げる競争)がいいことだと主張するロビー活動までしています。法人税ゼロ理想仮説や、トリクルダウンという経済専門用語が世界中のマスコミにやたらと出てくるのも、このアメリカの租税回避産業のロビー活動によって生まれたのかもしれません。

ところで、タックスヘイブンを黙認し、法人税を下げようとするなど、いかにもアメリカらしい、と私は考えてしまいましたが、必ずしもそうではありません。累進税率がアメリカで世界最高であった時代が20世紀の半分近くも占めていた事実が本に書かれています。

世界史上最悪の不況と世界史上最悪の戦争を乗り越えたルーズベルト所得税の限界最高税率を94%、世界史上最悪まで上げました。ルーズベルトが1942年4月27日に議会に送った調書からの抜粋です。

低所得者と超高所得者の差を縮めなければならない。アメリカのいかなる市民も、年間2万5千ドル以上の税引後所得を持つべきではない」

この主張通り、ルーズベルトは限界税率を100%まで上げたかったようですが、連邦議会はさすがに100%はやりすぎだとして、最高税率94%で妥協しました。なお、当時の2万5千ドルは現在の100万ドル以上に相当するので、この最高税率を課された超富裕層は納税者の0.01%未満に過ぎません。

あのアメリカで、1930年代から1980年代まで、所得税の限界最高税率は80~90%に設定されていました。必然的に、この時代、アメリカの貧富の差は過去にも未来にもないほど縮小していました。しかし、1981年にレーガンが大統領になると、「高い税率はアメリカ的でない」「課税は窃盗」などの説がまかり通り、現在まで続く「租税回避のビックバン」が起こります。

さらに1986年、最高限界税率が28%と、先進国で最低水準まで下がる税制改革が決まりました。この税制改革は、大衆の間でさほど人気ではありませんでしたが、政治エリートや知的エリートからは自らの莫大な富をさらに増やせるので、絶大な支持を得ていました。テッド・ケネディアル・ゴアジョン・ケリージョー・バイデンなどの民主党議員もみな、心から賛成票を投じています。

本によると、現在、この税制改革は格差を拡大する大きな要因になったと広く認識されています。それでも、この改革に関わった人はみな、いまだに肯定的にとらえているそうです。アメリカの大学の経済学者たちも、この改革の利点を吹聴することを職業上の義務と見なしているかのようだ、と書かれています。

金持ちの政治家がこの改革を歓迎するのは当然でしょう。しかし、民主主義社会であれば、金持ちでない一般大衆の支持がなければ、政治家は選挙で負けます。なぜ金持ち優遇政策に心から賛成する政治家たちを、アメリカ人は支持したのでしょうか。

共産主義が失敗した思想的理由」に書いたように、下層大衆ほど保守的だからかもしれません。あるいは、「ポピュリスト支持者の本当の敵であるグローバリズムの弊害の解決方法」に書いたように、下層大衆は本当の敵を見誤っていたのかもしれません。

もしくは、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がこぼれ落ち、経済全体が良くなる」とのトンデモ説、いわゆるトリクルダウン理論を一般大衆が半信半疑ながら容認していたのかもしれません。このトリクルダウン理論が少なくとも1980年以後のアメリカでは完全に間違っていることを次の記事で示します。

この記事の最後に、上記の本の言葉を載せておきます。

「このような不公平な税制は私たちが選んだのだ。もちろん、結果を熟知して選んだのではなかったのだろう。私たちが選んだ政治家に騙されたと感じている人もいるかもしれない。しかし、とにかく選んだことには変わりない」