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2010年代のミャンマーの民主政治期

2021年2月1日にミャンマーで軍事クーデターが起きます。事実上の最高指導者であるアウンサンスーチーが拘束され、「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著、岩波新書)によると、「2011年以来続いていた民主政治」が終わりました。

ミャンマー軍事独裁政権が長く続いてきました。1948年の独立以来、54年間が軍事政権です。軍事政権の間、憲法すら存在しない時期が38年もあります。ミャンマーの国政選挙は、独立前の政権議会議員選挙も含めると、12回実施されています。同時期の日本は、戦後の衆議院議員選挙だけでも27回なので、その半分未満です。その12回の国政選挙のうち、5回は軍事政権下なので、最初から軍政が続くように設定された不自由で不公正なものです。残りの7回の国政選挙のうち、4回は1940年代から1960年の独立前後の混乱期に実施されます。残り3回は1990年以降に実施され、うち2回は軍が選挙結果を無効にしています。

ミャンマー現代史」では、2011年から2021年のミャンマーの「民主政治」を政治制度にまで踏み込んで詳述しています。それを読み込めば理解できますが、ミャンマーで十分な民主政治が実現した期間は一度もありません(だから、ミャンマーの「民主政治」とカギカッコつきで私は表現しています)。「民主政治」を実現した2008年憲法では、行政機関の軍将校の出向を認め、連邦議会の上下定員の4分の1を軍代表議員としており、大統領でも軍に介入できないので、軍の文民統制は全くできていません。制度的に軍事政治なのか民主政治なのか不明確な上、そもそもミャンマー法治国家ではなくて人治国家です。1988年の軍事クーデターから23年間も独裁者であったタンシュエが引退し、テインセイン大統領が就任した2011年時は「こんな体制移行はかたちだけで、実態としては軍事政権が続くだろうという見方が大勢だった。(ミャンマー現代史の)筆者もそう考えてい」ました。

「ところが、2011年からこの国は大きく変わった。政治、経済、社会、外交、あらゆる面で、ミャンマーはほとんど別の国になったかのようだった。そうなると今度は、この国は軍事政権には戻らないといった声が支配的になる。筆者もそう言っていた。そこにクーデターが再び起きるわけだから、予想はなんともしがたい」と「ミャンマー現代史」には書かれています。

朝日新聞はこの「ミャンマー現代史」の見解をほぼ踏襲した記事ばかり書いています。2011年までミャンマーは暗黒時代で、2011年から2021年までバラ色時代が続いたが、2021年の軍事クーデターで再び暗黒時代に戻ったような見解が支配的です。

しかし、その見解は極端です。端的にいえば、ほとんど間違っています。2011年までの間もミャンマーの経済は成長していましたし、2021年以降も2011年の前の経済レベルに戻ったわけでは決してありません。「アジア最後のフロンティア」と称されだけあり、経済発展の余地はいくらでもあるので、軍事政権期でも民主政権期でも、経済は成長しつづけ、国民の生活だって発展しつづけています。

また、2011年から「民主政治」が始まったと言っても、2011年から2016年までの最高権力者である大統領テインセインは元軍人であり、閣僚を含めた政権幹部はほぼ全員軍人関係者です。2010年に国政選挙は上記の分類で「軍事政権下の国政選挙」なので「不自由で不公正」です。2011年から2016年までは、その2010年の国政選挙で勝った議員たち、つまり軍の味方の議員たちが国政を担っていました。これのどこが民主政治なのでしょうか。

2015年の民主的な選挙で勝ったアウンサンスーチーが最高権力者になった2016年から2021年の時期は、私も民主政治が行われたと認めますが、それでも一般的な民主政治には見劣りします。

第一に、上記のように軍の文民統制が全く効いていないので、いつでも軍事クーデターが容易にできました。1958年と1962年のミャンマーの軍事クーデターがそうだったように、制度上は文民統制が効いている国ですら、軍事クーデターは起きます。まして、文民統制が効いていない国なら、軍はクーデターしたい放題です。現実に2021年にミャンマーで起きた上、その直前にミャンマーの軍報道官が「(クーデターは)ありえるともありえないともいえない」と記者の質問に答えています。

スーチー政権期でさえ民主政治といいにくい第二の理由は、スーチーが憲法の規定しない「国家顧問」という最高権力者になったことです。確かに、ミャンマーの民主主義を進めるためには、軍事政権下で作成され、軍に都合のいい2008年の憲法は遵守すべきではありません。それにしても、憲法上は大統領が最高権力者なのに、自身が大統領に就任できないからといって、「大統領の上(スーチーの表現)」に国家顧問という役職を作り、行政府と立法府の広範な「助言(事実上の決定)」を行うとは、まるで独裁者です。事実、ロヒンギャ問題を筆頭に、スーチーに失望・批判する声が日本を含む民主主義国家から多く出るようになってきました。国家顧問の設置は、当然、軍から憲法違反だとの批判を浴びますし、「憲法を遵守させる」というクーデターの大義名分を軍に与えてしまいました。

民主政治といいにくい第3の理由は、第1や第2と関連しますが、十分に民主的とは言いがたい2008年憲法がまだ生きていたことです。スーチーの政党NLDが2015年選挙で圧勝して、政権交代が行われたとはいえ、選挙なしで議員になれる軍代表議員がいまだ議会の4分の1を占めています。憲法改正には議会の4分の3以上の賛成が必要なので、軍の同意なければ憲法改正は不可能なままです。政権幹部の軍関係者が激減したとはいえ、一掃されたわけではなく、2016年以降も副大統領は軍出身です。

だから、「2011年から2021年までがミャンマーの民主政治期」とは、あくまで「ミャンマー現代史」の著者の考えです。ミャンマーの民主政治期は、2008年憲法制定からと考えることもできますし、私のようにスーチー政権が発足した2016年からと考えることもできます。あるいは1962年の軍事クーデター以降、ミャンマーに民主政治が存在した時期はないと考えることもできます。

私が2016年からは民主政治が行われたと考えるのは、2015年に民主的な選挙が行われ、そこで勝った議員たちが政治を行ったからです。「民主政治」を単に「議会の中で多数を占める政党が内閣を組織する議会制民主主義」と定義すれば、2010年の選挙で勝った議員たちが政治を行った2011年から「民主政治」になります。しかし、2010年の選挙が「軍事政権下の不自由で不公平な選挙」である以上、そこで選ばれた議員たちの政治は民主的と言えない、と私は考えます。

後述するように2011年から2016年のテインセイン政権は、世界中の多くの人の予想に反して、「民主的」な政治を行いますが、それは発展途上国によくある「開発独裁」の相似形です。韓国の独裁者の朴正煕政権は経済を発展させ、国民の生活も改善させましたが、当時の韓国は紛れもない軍事政権でした。朴正煕政権が民主政治を行ったとは世界中の誰も認識していません。だから、非民主的選挙で選ばれた軍関係者議員たちが国会に多く居座り、大統領も独裁者タンシュエが決めたような政権が民主政治とは言えないと私は考えます。

それでは、なぜ「ミャンマー現代史」の著者は、スーチー政権だけでなく、テインセイン政権期も民主政治とみなしているのでしょうか。

その理由について、本では明確に書いていませんが、「政治批判が自由にできる」ことが大きかったと私は考えています。2011年まで、ミャンマーでは街中に軍の諜報員が潜んでおり、密告もよくありました。報道・出版の検閲も当たり前のようにありましたが、2012年に検閲が禁止され、それまで国営新聞しかなかったのに2014年には報道の民間参入が可能になります。他の国家では当たり前の政権批判報道が、ミャンマーでも普通に観られるようになったのです。

決定的だったのは2012年に補欠選挙で、NLDが圧勝し、スーチーが国会議員になったことです。スーチーは「ミャンマーで進む改革のグローバル・アンバサダーのような役割」を果たし、多くの外国を訪問します。このスーチー効果はてきめんでした。ミャンマーは軍事政権下で強い経済制裁をかけられていましたが、「驚くほどのスピードで」緩和が進みます。海外直接投資は、2011年の3億ドルから2015年で95億ドルと30倍以上に拡大します。この海外直接投資な爆発的増加こそが、ミャンマーの経済発展の原動力となります。

経済はスーチー政権が始まるとさらに発展していきますが、テインセイン政権から加速したわけではありません。2016年から2019年までの経済成長率は6.3%で、テインセイン政権の7.1%より低くなっています(2020年の経済成長はマイナス18%ですが、これはスーチー政権の失敗というより新型コロナによる打撃と見る方が妥当でしょう)。経済制裁の緩和も進み、海外投資も増えて、GDP上昇が続いたものの、経済の全般的発展は「スーチー政権の新しい政策によるものというよりも、テインセイン政権の改革を引き継ぐことで生まれ」ています。

下のグラフにあるように、スーチー政権では、テインセイン政権よりも成立法案が少なくなっています。

数だけからは単純に判断できませんが、テインセイン政権よりもスーチー政権は、改革が鈍くなった側面もあるのです。その理由として、「軍の抵抗があったから」と私はすぐに考えましたが、「ミャンマー現代史」は軍の抵抗のために改革が遅れたとは一言も書いていません。むしろ、スーチー政権の実務能力の低さが原因だと述べています。

そもそもですが、スーチーは政治家とはいえ、行政の実務経験は全くありませんし、選挙で国会に入ったNLDの多くの議員も同様です。だから、スーチー政権は政治の実務能力が極めて低く、それがために政治改革もなかなか進まなかったようです。

こうみると、2016年のスーチー政権からではなく、2011年のテインセイン政権から「ミャンマーが変わった」と考えた方が妥当でしょう。とはいえ、2011年前後でミャンマーが変わったことは認めても、やはりミャンマーの民主政治は2016年から2021年のクーデターまでだった、と私は考えます。

もっとも、ミャンマーの民主政治の期間がいつからいつまでか、あるいは民主政治の定義など、本来、どうでもいいことです。それよりも重要なのは「ミャンマーは軍事政権には戻らないといった声が支配的に」なっていたのに、なぜ軍事政権に戻ったのかという問題です。あるいは、2021年のクーデター後、あるいは今後、ミャンマーがどうなるかの問題です。

次の記事でこれらを考察します。

世界で最も注目すべき国はインドである

タイトルをより正確に修正すれば、「現在、注目されるべき程度と、実際に注目されている程度の差が最も大きい国はインドなので、インドは最も注目すべき」になります。

日本だと、この命題は間違いなく真でしょう。もう既にインドはG7の多くの国をGDPで抜いています。あと10年もしないうちに日本も抜いて、それから10年もしないうちにアメリカを抜くことも分かっています。恐ろしいほど巨大な経済国家が出現するにもかかわらず、日本だと、インドがニュースになる回数はアメリカの100分の1以下、あるいはイギリスの10分の1以下でしょう。アメリカはともかく、イギリスよりもインドの注目度が低いなど、時代錯誤も甚だしいです。

もっともインドの注目度が本来あるべき程度より極端に低いのは、日本だけではなく、旧宗主国のイギリスを除けば(あるいはイギリスを含めても)、世界中でそうだと推測します。そう考える根拠は、私が得る英語ニュースでもインドはほとんど記事になっていないからです。一方で、アメリカと並ぶ経済大国になり、かつ、軍事的脅威である中国は頻繁に記事になっています。

インドがニュースにならない理由はいろいろあるでしょうが、「中国はアメリカのようだが、インドはヨーロッパのようだ」に書いたように、インドが多様すぎて理解しづらい国になっていることも大きい、と私は考えています。その記事で「中国という一つの国に、1940年代から2030年代までの10年ごとの日本の経済レベルの地域が全て存在する」と書きましたが、インドについていえば「インドという一つの国に、1860年代から2010年代までの10年ごとの日本の経済レベルの地域が全て存在する」のではないでしょうか。ジニ係数では中国とインドでそれほど差がありませんが、実際に二つの国を観てきた私の推測です。

なお、インドへの無関心と比較すると、日本が関心を寄せすぎている国といえば、イギリスを筆頭としたヨーロッパの国々でしょう。一方で、インドに比べると関心が高い国で、イギリスと比べると関心が低すぎる国といえば、東南アジアの国々でしょうか。日本との地政学的関係、人口構成と天然資源、経済規模と成長率などを考慮すれば、日本の東南アジアへの関心は高すぎず、低すぎず、適度なのかもしれません。

ただし、東南アジアにもいろいろな国があるので、十把一絡げにしているのは不適切でしょう。

たとえば、日本のインドネシアへの関心は、その人口構成と天然資源、経済規模と成長率を考慮すれば、明らかに低すぎます。インドネシアは、インドに次いで2番目に、日本がもっと関心を持つべき国と考えます。一方で、主に第二次世界大戦の影響でしょうが、昔から関心が高い東南アジアの国の筆頭にあげられるのはミャンマーになるはずです。

この論理の流れからすれば、インドやインドネシアについてもっと書くべきなのですが、やはり日本だと情報が少なくて書きづらいです。日本人の国際認識にさらに悪影響を及ぼすかもしれませんが、次の記事ではミャンマー現代史について解説します。

中国はアメリカのようだが、インドはヨーロッパのようだ

先日、久しぶりの海外旅行でバリ島に行きました。千年以上の歴史あるダンスのようで、実際は西洋人のために100年ほど前に作られたケチャダンスを観ていた時、妻が観客席を指して「人種のるつぼだね」と言っていました。

そこには500人くらいの観客がいたと思いますが、確かに、あれほど複雑に人種が入り混じっている場は、なかなかありません。私に関していえば、あれ以上の国の人が集まっている現場にいたのは、国連系の会議だけでしょう。

「人種のるつぼ」とは、もともとアメリカが自国の多様性を表現した言葉です。しかし、バリ島の観客たちは、アメリカ以上に多様でした。アメリカは多様とはいえ、しょせん、白人が過半数を占め、ほとんどはキリスト教徒で、ほぼ全員が英語を話します。バリ島の観客たちは、白人もいるものの、せいぜい3割程度、女性の服装からイスラムも1~2割はいて、日本人を含め、英語をろくに話せない者も4割はいたはずです。バリ島に旅行できる裕福な者といえば、西洋人と日本人くらいだった1980年代とは大違いです。

現在でもアメリカを多様性のある国だと考えている人は、少なくありません。当のアメリカ人自身もそう思っているはずです。しかし、世界にはアメリカ程度に多様性のある国はいくつもあります。まず、カナダやオーストラリアはアメリカ同様に多文化が入り混じり、アメリカ以上に移民には寛容です。ヨーロッパの国でも、アメリカ以上に移民に寛容で、かつ、多民族が共存している社会はいくつもあります。

中国は同質性の社会でない」に書いたように、多人種社会ではないものの、中国もアメリカ程度には、多様性があると私は考えています。まず、言語がアメリカ以上に多様です。今でこそ、普通語が中国のどこでも通じるようになりましたが、私のような40代以上の日本人にとっては「北京語(普通語)と上海語は英語とドイツ語くらい違う」というのは常識でした。実際、現在でも、文革以上の世代の人たちは地方の言語(広東語や福建語など)しか話せず、普通語をほとんど解さないようです。

また、文化に関しては、人口がアメリカの4倍以上もいることもあり、日本人が想像している以上に多様です。アメリカも貧富の差が激しいのは事実ですが、中国の省ごとの貧富の差は、アメリカの州ごとの貧富の差の比ではありません。中国という一つの国に、1940年代から2030年代までの10年ごとの日本の経済レベルの地域が全て存在するようなイメージでいいと思います(日本より10年はIT化が進んでいる地域もあります)。なにより、中国では、一人ひとりの性格、考え方、教養、価値観が多様です。外見はほぼ同じですが、内面でいえば、私のよく知るカナダ人よりは、中国人の方がよほど多様でした。

もっとも、アメリカや中国よりも、さらに多様性に富む国を、私は知っています。インドです。世界で最も多様性に富む国はインドである、と私は考えています。同じような理由で、世界で一番理解しづらい国もインドである、と私は考えています。失礼を承知でもっとくだけていえば、インドほど訳の分からない国は存在しないと思っています。

まずインドは、中国以上に言語が多様です。また、中国以上に経済発展レベルも多様です。宗教に関していえば、インドは世界で最も多様でしょう。文化も、インドほど多様な国は私には想像できません。文化の多様性は、インドが世界でぶっちぎりで一番でしょう。

中国は同質性の社会でない」で、中国はアメリカと考えるべきだ、と私は書きました。それにならっていえば、インドはヨーロッパと考えるべきではないでしょうか。ヨーロッパの中には、ルクセンブルクのような非常に豊かな国もある一方で、モルドバのような貧しい国もあり、旧ユーゴスラビアのように「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」だったのに今は分裂して、手がつけられないほど対立している地域もあり、スペインのように一つの国家の中にそれぞれ言語と文化が異なる地域があり、スペインが大航海時代に最初の世界帝国になったため、世界史にもスペインの地域言語の違いが大きな影響を与えた国があったりするので、本当に多様です。ヨーロッパの全ての国家、全ての民族、全ての政治問題を人に一通り説明できる程度に勉強しようとしたら、10年では足りないでしょう。そして、インドも、そのヨーロッパ並みに多様だと私は考えています。

なお、「初海外がインド」である私の旅行体験記を「死体の前で金を騙される」と「インドで人生観が変わった」に書いておきます。

経済縮小時代を迎える韓国と日本

韓国の不動産バブルが崩壊しはじめました。ここ10年ほどの韓国の地価の値上がりは異常で「まるでバブル時代の日本のようだ」と何度も言われ、いずれバブルが崩壊すると多くの経済専門家が指摘していたのに、「不動産価値が上がって資産が倍増した」などと能天気に喜ぶ韓国の一般人が少なくなかったのも、日本のバブル時代と同じでした。

もっとも、現在、世界的に注目されているのは韓国の不動産バブル崩壊ではなく、近いうちに始まる日本の不動産バブル崩壊でもなく、中国の不動産バブル崩壊です。バブル崩壊の規模が韓国と日本を合わせたものの数倍に及ぶからです。

中国の不動産バブル崩壊がどれくらいの悪影響を世界経済に及ぼすのかは私には予想不可能ですが、それでも中国経済は成長し続けると予想しています。その理由は、一人当たりのGDPで中国は日本や韓国と比べて低いので成長の余地があり、中国の就労人口がまだしばらく増えていくからです。

一方で、今回の韓国の不動産バブル崩壊が、1990年頃の日本の不動産バブル崩壊同様に、韓国衰退の始まりになる可能性は高いはずです。

バブル期まで日本には土地神話があり、地価は上がり続けると信じている日本人が多くいました。韓国も建国以来現在まで、一時的な小さな下落はあっても、基本的に地価は上昇し続けてしまいました。GDPが拡大したこともあり、今回の韓国土地神話崩壊により吹き飛ぶバブルの損害額は、四半世紀前のアジア通貨危機IMF危機)の損害額を越えるでしょう。これがどの程度の不況を韓国にもたらすかは私には予想不可能ですが、その不況を乗り越えても、これから韓国の存在感が世界で縮小していくことは避けられないと私は予想しています。中国と異なり、韓国の一人当たりGDPは日本に追いついて成長の余地がほとんどない上、韓国の就労人口は減少していく一方だからです。

私にとって不思議なのは「現在の韓国の不動産バブルは、1980年代後半の日本の不動産バブルのようだ」と予想する人は少なくないのに、「1990年のバブル崩壊が日本の停滞期と衰退期の始まりだったように、今回のバブル崩壊が韓国の停滞期と衰退期の始まりである」と予想する人がいないことです。

そういえば、1990年に株価が暴落し始めた頃、これから日本は衰退に向かい、世界経済全体での日本の割合が減少していく一方である、と正確に予想していた人はあまりいませんでした。バブル後の日本が高齢者増加で経済の足を引っ張ることは予想できても、科学技術、特にIT分野で世界に遅れ、生産性の低さで苦しむと予想することは難しかったからかもしれません。

それと比べると、韓国の不動産バブル崩壊は既に始まっていますし、人口減少も北朝鮮が崩壊しない限り必然なので、これからの韓国経済の停滞と衰退は予想しやすいように思います。

他国の衰退を予想するのは失礼なので誰もしないのかもしれませんが、日本(経済)の衰退も止められないので、韓国は日本と同じ問題を抱える仲間です。平成の30年間に日本は衰退を食い止めようと、さらに傷を深めてしまう失敗を何度も犯してきましたが、韓国も衰退を食い止めようとあがくに違いありません。日本が失敗経験とわずかな成功経験を韓国に適切に伝えれば、同じように韓国も自身の経験を日本に伝えてくれるはずです。

たとえば、韓国も少子化対策に「130兆ウォンも費やしたのに、全く効果がなく、解決する兆しもない」(文在寅大統領の演説)ので、既に無駄な努力をしてきています。その少子化対策費用の詳細を知れば、日本も大いに参考になるはずです。「未婚税と少子税と子ども補助金」や「養子移民政策」といった人権に抵触する解決策も、韓国が仲間になってくれるなら世界で議論できるでしょう。

「外国とは西洋先進国のこと」という錯覚

このブログで最もアクセスされた記事は「変化のスピードが恐ろしく遅い時代」になります。ただし、犯罪カテゴリの記事を書き始めてからは、「土浦連続殺傷事件犯人家族は典型的な日本人」と「『秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか』また』犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか』」が圧倒的に多いので、遠くないうちに、この二つの記事が最もアクセスされる記事になるでしょう。

現代の日本が恐ろしく変化の遅い社会であることは客観的に考えれば明らかです。しかし、「やばいデジタル」(NHKスペシャル取材班著、講談社現代新書)という本でも「将来なりたい職業に『ユーチューバー』が登場した当初、それは衝撃的なニュースだった。だが瞬く間に常識と化している今の光景に時代の加速を見る」という文章が出てきて、落胆しました。現代日本で「時代が加速している」と堂々と公共放送が述べていることこそ、現代日本で「時代が減速している」事実が現れている気がします。つまり、現代の日本で「時代が減速している」から、世界のデジタル進化に「時代の加速」を感じてしまうのでしょう。

この2020年放送のNHKスペシャルの本では、COCOAのダウンロード数が伸び悩んだことも記事にしていますが(2022年9月には役立たずのままCOCOAの終了が決まりましたが)、「やばいデジタル」のタイトル通り、「デジタル化の加速でプライバシーが脅かされる」との警告メッセージばかり発しています。

日本を含む先進国で、この30年ほど、身の回りの商品、いわばアナログ世界で大きな進化はありませんでした。この30年ほどの一番大きな進化はIT分野、つまりデジタル世界で生じました。そのデジタル世界で日本が大きく遅れを取ったことは、NHKスペシャルを放送する記者なら十分に知っていなければなりません。ならないはずなのですが、デジタル化の遅れを心配せずに、デジタル化の普及を心配する報道をしてしまっています。

確かに、欧米先進国では、莫大な富を稼ぐ多国籍IT企業にプライバシーの観点などから警笛を鳴らす報道が多くあります。だから、欧米先進国はIT技術進歩の恩恵が十分に得られていなかったりします。現在、IT技術進歩の恩恵を最も受けているのは、もともとプライバシーなどの人権をあまり気にしていなかった韓国や中国などの新興国です。多国籍IT企業の多くはアメリカを本拠にしていますが、アメリカ全体でみれば、プライバシーの侵害などデジタル化の負の側面を気にしすぎるあまり、ITに関して韓国や中国などから一歩も二歩も遅れています。結果、一般的な韓国人や中国人は、一般的なアメリカ人よりもITにより便利な生活を手に入れています。プライバシーを失うデメリットよりも日常生活が便利になるメリットが明らかに大きいことも、普通に考えれば分かります。

だとしたら、ITに関して今の日本が見習うべきは、欧米先進国ではなく、韓国や中国などの新興国のはずです。しかし、NHK取材班は新興国も取材しているのに、そんな視点を持つことができません。韓国や中国が欧米よりもIT社会で進んでいることを認識できません。「外国とは西洋先進国のこと」「見習うべきは欧米先進国」という発想から抜けきれない固定観念の強い日本人ジャーナリストは欧米先進国の古いジャーナリストのマネばかり続けているようです。

日本人が「外国とは西洋先進国のこと」という幻想から脱却できるのはあと何十年必要なのでしょうか。

おまえなんかに山上を語る資格はない

「82年生まれ、キム・ジヨン」の翻訳者の本「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著、イースト・プレス)によると、「キム・ジヨン」は韓国人男性のほとんどから強い反感を買いましたが、日本人男性からは反感がほぼ聞かれず、むしろ「これは男性こそ読むべきだ」という感想がいくつも寄せられたそうです。

(自分が日本で生きづらいわけだ)

そう感じました。日本のリベラルな男性は、それくらい恵まれているのでしょうか。過半数の恵まれない若い男性が保守化するわけです。

このブログから明らかなように、私はリベラル思考です。しかし、私と同じくリベラル思考の日本人男性は、私と異なり、フェミニズムに共感を示すようです。恵まれない若い世代が、恵まれないからこそリベラルに共感を示した時代は日本にもありましたが、とうの昔に過ぎ去ったようです。

2022年8月30日の朝日新聞に伊藤昌亮という社会学者の記事があります。伊藤は安倍元首相を暗殺した山上徹也のものとされるネットでの書き込みを調べたそうです。山上は自分をインセルだと何度も書いていました。インセルとはinvoluntary celibate(非自発的な禁欲主義者)の略で、伊藤は「いわゆる『非モテ』の男性です。インセルは社会構造の被害者なのに弱者認定されず、むしろフェミニズムから加害者扱いされる、と反発している。旧来の保守のような家父長制的な反フェミニズムではなく、弱者男性の反フェミニズムです」と説明しています。

そこまで分かっていながら、伊藤は「リベラルが在日コリアンやLGBTQを弱者として支援することは間違いなく正しいのですが、漏れてしまう弱者が存在する」と書いたので、憤慨しました。

「リベラルがLGBTQを弱者として支援することは間違いなく正しい」だって! なぜその固定観念から抜けられないんだ! 「漏れてしまう弱者」だと! 最初から救おうともしていないくせに! それに漏れる程度の数じゃないんだ! 彼氏がほしいのにできない女性より、彼女がほしいのにできない男性が遥かに多くいることくらい、社会学者なら知っているべきだろう! おまえみたいな社会観の浅い奴がLGBTQを支援することが正義だなんて思っているから、弱者男性がリベラルを忌避するんだよ! 賭けてもいいが、30年以上前、LGBTQがただの変態としか思われていなかった時代の日本なら、おまえみたいな偽善者がLGBTQを支援することなんて確実になかったよ!

もしかしたら、山上は上の伊藤の意見に賛同するかもしれません。ただし、大多数のインセルは「おまえなんぞにインセルを語る資格はない!」と伊藤の意見に反発すると確信します。

 

※2022年10月13日追記:上では伊藤を批判しましたが、伊藤の「山上徹也容疑者の全ツイートの内容分析から見えた、その孤独な政治的世界」という記事を見つけました。山上徹也について、これほどまで本質を捉えた見解は今のところ、他に存在しないと思います。「リベラルがLGBTQを弱者として支援することは間違いなく正しい」という言葉は、朝日新聞記者たちへのリップサービスだったのかもしれません。

が、それを考慮しても、山上を語る記事で書くべきではなかったと思います。

「キム・ジヨン」のバックラッシュの妥当性

ウーマンリブ」という言葉は死語になったようで、代わりに「フェミニズム」という言葉がここ10年ほど、毎日のように見聞きします。どちらも意味は似たようなものでしょう。その時代を生きていたわけではありませんが、「ウーマンリブ」には9割程度の共感を持った私ですが、「フェミニズム」には8割程度の反感があります。どう理性的に考えても、行き過ぎだと思える主張がしばしばあるからです。こんな恵まれた女の悩みを解決する余裕があれば、遥かに恵まれない男の悩みを解決すべきだ、と強く思うことが少なくないからです。

ここ数年に出版された韓国本だと高確率で「82年生まれ、キム・ジヨン」についての記述があり、そこでは必ずフェミニズムとその反動であるバックラッシュについて解説しています。このブログで何度も紹介している「韓国社会の現在」(春木育美著、中公新書)も例に漏れません。「キム・ジヨン」で韓国の30代女性が最も胸に突き刺さったセリフとして、次の場面を指摘したそうです。

ジヨンが育児のために職場を辞める時、夫はジヨンに「俺も手伝うからさ」と声をかけた。その一言にジヨンは逆上し、こう叫びます。

「その手伝うから、という言い方、やめてくれない。家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うからって、いったい何なのよ。家事や育児にしても、あなただって当事者でしょう。子どもだって、あなたの子でしょう。まるで他人事のように、なんで人に施してやるみたいな言い方するのよ」

日本でも女性誌で特集が組まれるほど「夫から言われてイラっとするセリフ」の代表格に「手伝う」はあげられる、と春木は書いています。

普通に考えれば、この事実から「手伝う」という言葉でキレるくらい、女性は恵まれている、女性は優しく扱われていることが証明されているでしょう。だったら、「俺は手伝わないから、自分でなんとかしろよ」と言えばいいのでしょうか。それは論外のはずです。言い方や態度に問題があるならともかく、「手伝う」は一般的な模範解答です。「人に施してやるみたいな言い方」されることが嫌なら、ジヨンより低学歴で低収入なプライドの低い男と結婚すればよかったのです。それは絶対嫌なくせに、なにを逆ギレしているのでしょうか。逆ギレしたいのは、ジヨンのような女に振られた、あるいは振られる以前に相手にすらされなかった韓国人男性たちでしょう。

さすがに春木もそれは考えたのか、「これのどこがいけないのか、と憤慨する人がいるかもしれない」とは続けています。

キム・ジヨン」は若い女性の共感は得ても、中高年の女性の共感はあまり得られていないことも、いくつもの韓国本で指摘されています。ジヨンはソウル市内の24坪の高層マンションに住み、中堅会社に勤める正規職の夫がいて、もっと生活費が必要だとは考えているが、経済的な困難に直面しているわけではありません。累積した女性差別や不平等への怒りが根底にあったものの、ジヨンが鬱になり異常行動を見せるようになった引き金は、出産退職です。育児のために退職しても生活に困らない苦しみは、現代の中産階級の悩みです。昔の世代、あるいは現在の低所得層が直面している厳しい現実とは相入れません。

50~60代の韓国人女性は、同年代のジヨンの母が置かれてきた境遇はよく分かるし、ジヨンが成長過程で直面した女性差別や悔しい気持ちも理解できます。しかし、結婚後のジヨンの苦悩には理解できません。その理由を集約すると次のようになります。

「安定した職場に勤め、権威的でもなく妻に寄り添い理解しようとする優しい夫がいて、嫁姑問題も深刻でない。婚家は地方で離れており、その婚家ですら盆暮れに行くだけ。仕送りをしてくれとか、兄弟の生活費を出せとか、婚家との間でありがちな経済的問題にも悩まされてもいない。子どもはたった一人。何がそんなに問題なのか」

普通に考えて、その答えは「問題ではありません。この程度で不満を感じるなら、若い韓国人女性がいかに恵まれているか、あるいは、いかに自己中心かの証拠でしかありません」でしょう。

「韓国社会の現在」のフェミニズムの章で、私が最も頭にきた言葉が次になります。

「『大学の成績でも入社試験でも優秀な成績をおさめる女性は、いまや自分たちにとっては脅威で強力なライバルである』と言う男性たちに、女性が就職活動でも昇進や賃金面でも差別を受けており、仕事と家庭や育児の両立に疲弊しているという現実は見えていない」

そんなことありえません! 世界中、どの文明国にいようと、女性差別を知らない人はいません! 女性差別という言葉は、韓国人だろうが、日本人だろうが、子どもの頃から知っています! 就職活動や昇進で女性差別があることは、あれだけ報道されているので、知らない男性はいません! それどころか、社会全体でその改善に取り組んでいます! 韓国にも日本にも、そのための役所があり、大臣までいます。フェミニズムに反対するほど社会意識の高い男性たちがそんな報道を知らないわけがないでしょう!

この見解は完全に間違っているどころか、正反対の見解がむしろ正解です! 自分が正義だと信じているフェミニズムどもが見えていない、見ようともしないのは男性差別の方です! ジヨンのような恵まれた環境で不平を述べる女性は、恵まれない男性がどれほど不幸であるか、考えたことはないのでしょうか。「そうは言っても、社会全体で女性差別は対処されているけど、男性差別は言葉すら存在しない。女性が弱者なのは当たり前だから、女性は優遇されなければならない」という固定観念から一度も、一歩も抜け出せていないとしか、考えられません。

もちろん、恵まれない女性もいることは誰でも知っています。しかし、ジヨンや大学教員の春木(私は大学教員になりたかったのに、なれなかった学者崩れの一人です)のような十分に恵まれた女性が自分は弱者であると正義の味方面して説教するのは、恵まれない男性(数としては恵まれない女性よりも多い)にとって、我慢ならないでしょう。

こんな倫理観の低いリベラルな偽善者がいるから、バックラッシュが起こります。こんな倫理観の低いリベラルな偽善者がいるから、ネトウヨが台頭します。こんな倫理観の低いリベラルな偽善者がいるから、本来必要なリベラルな改革も進みません。

似たような感想を朝日新聞に感じたので、次の記事に書きます。

黒船と本気で戦っていたら日本は攘夷を達成できたが、それは最悪の選択であった

幕末の動乱は不可避だったのか」の記事に誤解を生む表現があったので、訂正させてもらいます。

この記事では「当時のアメリカ側の文献を読めば読むほど、ペリーは日本と本気で戦争する意思はほとんどなく、アメリカ本国政府に至っては日本と戦争する意思など皆無と言っていいことがよく分かります」と書いた後に、「武力衝突をしたら双方に死人が出て、まずアメリカと戦争になったでしょう」と矛盾するようなことを書いています。

ペリーが日本と戦争する気がなかったのは事実で、アメリカ政府はもっと戦争意欲がなかったのも事実です。日本がペリーの蒸気船団と本当に戦って、アメリカ人を多数戦死させていたら、アメリカは確実に報復に来たでしょう。生麦事件の報復に薩英戦争が起きたり、長州藩の外国船砲撃事件の報復に下関戦争が起きたりしたように、ペリーたちが殺害されたら、アメリカが新しい強力な軍艦で報復に来た可能性は高いです。

しかし、アメリカが日本と全面戦争する可能性はほぼありませんでした。上の記事では「(アメリカと日本が戦争になった)場合、日本は確実に負け、完全な植民地になった可能性もあります」とまで書いていますが、これは間違いと言っていいでしょう。黒船事件の頃、アメリカと日本が戦って、アメリカが戦術的に勝つ可能性(アメリカ人より日本人の方に死傷者が多く出た可能性)が高いのは確かですが、アメリカが戦略的に買って、日本を植民地にしたり、アメリカが江戸幕府を征服できた可能性はゼロに近いです。アメリカは日本とそこまで大きな戦争をする気は全くありませんでした。

その根拠は、同時期の李氏朝鮮の2つの対外戦争です。フランスが9人のキリスト教宣教師の処刑の報復として、1866年に李氏朝鮮と戦争(丙寅洋擾)しましたが、敗走しています。また、アメリカが平壌の1866年のジェネラル・シャーマン号事件で乗組員全員が殺害されたことの報復として、1871年に艦隊を派遣(辛未洋擾)しました。アメリカは砲撃を加え、わずかな領土を一時的に制圧しましたが、本来の目的である李氏朝鮮との通商条約を結ぶことはできず、撤退しました。

にもかかわらず、1875年に日本の江華島事件で、李氏朝鮮はあっさり日朝修好条規を結ばされています。強国であるフランスやアメリカが失敗して、日本が成功している理由は、韓国は欧米列強を外敵と考えていても、日本を外敵と考えていなかったことが大きいです。また、西洋列強は日本ほど朝鮮との交易意欲はありませんでした。

アメリカも、イギリスも、ロシアも、世界中の全ての国は、日本と戦争してまで日本と交易したいとは思っていません。当時の帝国主義国家が戦争してまで交易したい、不平等条約を結びたいと思っていた東アジアの国は、中国だけです。だから、アヘン戦争やアロー戦争を起こしてでも、イギリスは中国との貿易(黒字化)にこだわりました。こう断定できる根拠は、「幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか」に書いています。

だから、幕末の日本が最も恐れていたこと、日本がアヘン戦争後の中国のようになる可能性はほぼゼロでした。アヘン戦争のように、帝国主義国家が大軍を率いて戦争していれば、日本は確実に負けましたが、そこまでする価値が当時の日本にはありませんでした。「幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか」に示したように、アメリカはその事実を貿易統計で把握していましたが、相手側の日本はその事実を客観的に認識しておらず、不必要な心配ばかりして、ペリーの脅迫に屈してしまいました。

アメリカ本国が日本と戦争しないのはもちろんですが、ペリー自身も本気で戦う気はなかったので、江戸幕府が「開国は絶対にしない。それに納得できないで戦争したいなら、戦争すればいい」と交渉を打ち切ったら、ペリーが死人を出してまで戦った可能性はほぼありませんでした。突発的な事故で日本側がペリー艦隊に攻撃したせいで、アメリカ本国が新艦隊で報復に来た可能性はありますが、そうだとしても、朝鮮半島での辛未洋擾同様、アメリカが一時的に日本の港を占領しても、日本側が徹底抗戦すれば、アメリカは日本から撤退せざるを得なかったに違いありません。日本はアメリカと国交も結ぶ必要もなく、交易をする必要もありませんでした。

とはいえ、それが最悪の選択であったことは、丙寅洋擾や辛未洋擾で外国勢力の撃退に成功した李氏朝鮮のその後を見れば、明らかでしょう。

黒船事件で幕府が200年以上続いた鎖国政策を一変させた改革は(不平等条項を結んだことを除いて)、日本にとって有益でした。「尊王攘夷」と言い続けた倒幕勢力が、政権奪取後、手のひらを返して、幕府以上の開国政策を実施したのも、妥当あるいは当然の判断でした。

もし日本が黒船を撃退して、その後も鎖国政策を維持し続けていたら、日本の発展が大きく遅れて、好ましくない歴史を持ったに違いありません。

日本が韓国に再逆転する場合の理由

日本経済の成長も衰退も全ては人口動態が根本原因である」に書いたように、日本が韓国に再逆転するとしたら、その最大の理由は人口動態にあると私は考えます。つまり、韓国が日本以上の少子高齢化により韓国経済の足を引っ張るからだと考えています。

とはいえ、私は「国家の富は国民の道徳と教養によって決まる」との理論を信じており、その理論でも日本が韓国を再逆転する理由を説明できるとも考えています。

その前に、1990年頃に一人当たりのGDPで日本は欧米先進国を抜いていたのに、その後に日本が欧米先進国に負けた理由を、上記の理論を用いて説明します。欧米人と比べて、日本人がよく働くことは、バブル期から現在まで変わっていません。しかし、バブル期に既に存在していた日本人の欠点を直せなかったため、日本は自滅して、欧米先進国に抜き返されたと私は考えています。

具体的に書きます。日本人は働く時間が長かったものの、バブル期から生産性が低く、ITなどで生産性を高めることもできませんでした。「新卒一括採用の功罪」に書いたように、新卒一括採用を続けているため、人材の流動性は低いままで、人材を効率よく活かしきれていません。高齢者、女性、外国人、障害者たちを労働力として活用できず、むしろ社会保障の重荷にしています。人口動態で高齢者ほど多くなっているのに、年功序列賃金を維持しようとするため、経済全体に無理が生じています。長幼の序が社会全体に浸透しすぎているため、時代遅れになった成功パターンに執着して、必要な改革を実行しません。教育面でも、外国語教育は貧弱で、大学生になると極端に勉強しなくなります。

韓国についても、現段階で、既に欠点があります。財閥企業とそれ以外の企業の賃金の差は絶望的なほど大きくなっており、貧富の差は日本の比ではありません。それに関連して、失業率は日本より高く、とりわけニート率は日本の何倍も高くなっています。塾や留学などの民間教育産業が盛んであるため、親の収入の差による教育の差も、日本以上にひどいです。大学受験、就職活動の競争が世界最高と言えるほど激しく、結果、自殺率も世界最悪になっています。

現在、韓国人の学習意欲、勤勉さ、他国の良さを積極的に取り入れるなどの長所が目立って、これらの欠点は覆い隠されている部分があります。しかし、韓国が日本同様、経済が停滞する時代に入ってくると、上記の欠点が目立ってくるのではないかと予想します。

私が深刻だと考えるのは、上記の韓国の欠点は直りそうもないことです。日本同様、韓国も少子化対策に「130兆ウォンも費やしたのに、全く効果がなく、解決する兆しもありません」(文在寅大統領の演説)。

財閥で働く韓国人は1%なのに、財閥は韓国のGDPの75%を生み出す異常な格差も、解消の目途がありません。多くの韓国人は財閥腐敗に憤りながらも、財閥で働くことを望んでいます。優秀な韓国人ほど財閥企業に就職しており、財閥解体の副作用が大きくなっています。

日本同様、優秀な教育を施すために公教育は限界があるので、民間教育産業が幅を利かすのは無理もなく、結果、経済格差が教育格差につながります。この不公平をなくそうと、政府の命令で韓国の主要大学は試験選抜から推薦選抜に変更しました。しかし、お金持ちほど課外活動に没頭できるので、余計に経済格差が教育格差を生んで、失敗しています。

これらの問題を解決できる政治家は、韓国はもちろん、世界中探してもいないと思います。それこそ北朝鮮が崩壊でもしない限り、あるいは崩壊しても、難しいでしょう。

一方、日本は「新卒一括採用制度を禁止する」「年功序列賃金制度を禁止する」「専業主婦優遇社会保障制度を撤廃する」「定年を遅くする」「採用の年齢上限を禁止して、高齢者でも働けるようにさせる」「企業への障害者雇用義務を厳しくすることによって、障害者の社会保障費を軽減すると同時に、障害者を労働者にする」などの制度改革で、上記の日本の欠点は直せます。韓国での財閥解体と比べると、日本で必要な制度改革は副作用も少なく、実現可能性は高いはずです。やるべき政策が明確な分、日本は幸運だとも思うので、是非とも上記の改革を実現させてほしいです。

なお、日韓ともに衰退の根本原因である人口減少については、「未婚税と少子税と子ども補助金」などの「少子化」カテゴリーで対応策を述べています。

現在の日本が最も参考にするべき国は韓国である

これまでの記事で明らかでしょう。断定します。間違いありません。アメリカやヨーロッパの報道をしている暇があったら、一文、一秒でも多く韓国について報道してください。

「反響が大きいから」「視聴率が高くなるから」という、くだらない理由で、韓国での反日政策や反日事件ばかり報道しないでください。少しでも韓国や韓国人を知っている人なら分かるでしょうが、反日など韓国全体のごくごく一面にしか過ぎません。日本が韓国について知るべき、かつ学ぶべき事柄は、その他に、その1万倍はあります。

「韓国社会の現在」(春木育美著、中公新書)を読んで、そう確信しました。日本中の全ての政治家、あるいはジャーナリストに読む義務を課すべきではないか、と思えるほど、日本が教訓にすべき内容が詰まっています。

「韓国人は日本のことをよく知っているのに、日本人は韓国のことをなにも知らない」とは昔からよく言われます。「韓国は日本から見習うことがあるけど、日本は韓国から見習うことはないから、仕方ないだろう」と多くの日本人は考えていたことでしょう。正直に白状すれば、そこまでは考えないものの、同じ方向でより小さい考えは私も持っていました。

しかし、「韓国の大学英語講義の失敗」や「韓国の英語新テスト導入の挫折」に示したように、韓国が過去に犯した失敗と同じ失敗を日本も犯しています。韓国は日本をよく勉強して、「がん検診にペナルティをなぜ与えないのか」に書いたように、日本を模倣しながらも、日本と同じ失敗はしないように政策を実行しています。韓国人ができて、日本人ができないわけはないでしょう。

世界中で日本人と最も似ているのは韓国人です。外見だけでなく、考え方、感じ方、文化、習慣、制度など、ありとあらゆるものが似ています。似ていないものを探す方が難しいです。まして、韓国の経済力が日本と並んだ今、韓国の政策から学べることは無数にあります。イギリスやフランスなどのヨーロッパの国について学んでいる暇があれば、少しでも多く韓国から学ぶべきです。

がん検診にペナルティをなぜ与えないのか

がん検診に上限年齢は設けるべきである」にも書いた意見ですが、もう一度書きます。

日本のがん検診は低いままです。

当然です。他国のようにペナルティがないのですから。

韓国は、ちょっとした風邪でもクリニックにかかれる世界で二つしかない国の一つです。つまり、それくらい日本の医療制度をマネしたのですが、がん検診にペナルティをつけないことまではマネしませんでした。韓国でも、がん検診を受けない人ががんにかかった場合、当然、ペナルティとして医療費は高額になります。私が知る限り、どこの国の保険制度でも、公的か民間かにかかわらず、そうなっています。

ここで私が不思議に感じるのは、次の点です。

「がん検診が低いことを嘆く日本の医療関係者は多いのに、がん検診を受けない人にペナルティを与えるべきだと主張する声がほとんどないこと」

誰もがすぐ浮かぶ簡単な案で、世界中で実施されているのに、なぜでしょうか。がん検診を受けさせないことで得する人がいるからでしょうか。10年以上の謎なので、この答えを知っている人がいれば、下のコメント欄に書いてください。

なお、念のため書いておくと、一時、韓国で甲状腺がん検診を義務化して、失敗したことは私も知っています。本人が気づかない程度の甲状腺がんは、ほとんどが死に繋がらないので、全国民にがん検診を行うと、治療しなくていい甲状腺がんばかり発見されて、過剰診断になります。韓国もそれに気づいて、甲状腺がん検診は既に止めています。この事実は、福島原発事故後に甲状腺がんを過度に恐れる日本人なら、特に知っておくべきだとも考えます。この報道があまりなされていないことも謎です。

韓国の大学英語講義の失敗

あてにならない世界大学ランキング」や「グローバル30で唖然とした英語教員の質」に書いたように、現在、日本は大学での英語教育を推進させています。「英語公用都市を実現させた韓国」や「韓国の英語教育熱」に書いたように、日本より遥かに英語教育熱が高い韓国では、日本よりも早く2000年から、日本よりも熱心に大学の英語化を行いましたが、上手くいきませんでした。このことを知っている日本人はどれほどいるでしょうか。

2019年時点で、全体の講義数のうち、英語で行われる講義の割合は、最難関のソウル大学でわずか10%です。ソウル所在の13校の4年生大学の平均では、英語の講義比率が約20%と低調で、しかも10年前に比べて減少しています。

「韓国社会の現在」(春木育美著、中公新書)で紹介されている延世大学工科学部の研究に、英語の講義が減少した理由が示されています。

韓国語と比較して英語での授業では、学生側で2.6倍の学習時間を要求し、教師側で2倍の労力と時間を要求します。そんな労力をかけているにもかかわらず、学生の満足度は低く、教師側も十分な講義ができたと考える程度は低くなります。英語で授業を進めることが「講義内容の理解を妨げている」という意見は8割を越えます。

韓国では大学教授の8~9割が海外で学位を取得して、英語で博士論文を執筆した教員が大部分を占めます。平均的な日本の大学教授よりも英語に堪能な韓国の大学教授でさえ、英語での講義は、同じ内容を韓国語で話した場合の7割程度しか伝えられず、深みのある講義ができないようです。

概念的な話や高度で専門的な内容になるほど、英語でかみ砕いて説明することが難しく、韓国語で聞いても分からない内容をネイティブでもない教員から英語で聞くので、理解度は低下します。結果、名目上は英語授業のはずが、先に英語で説明してから、同じ内容を韓国語で繰り返すことが少なくないようです。

日本同様、英語による講義を増やす目的の大きな一つは、留学生の多様化と英語圏の学生を誘致することにありました。現実には、韓国の留学生の9割はアジア人であり、その7割は中国とベトナムです。英語に秀でるアジア圏の学生は、当たり前ですが、英語圏の国に留学します。英語が苦手であるため留学先に韓国を選択した学生も少なくなく、特に最多の中国人はその傾向が強いので、むしろ英語での講義を避ける傾向にあります。このような状況なので、英語の講義が増えるほど、韓国語も英語も中途半端にしかできない留学生が増え、学業不振に陥っています。

繰り返しますが、韓国は2000年頃から大学の英語化を日本以上に熱心に取り組んできて、上記の延世大学の研究は2010年に行われています。つまり、2010年頃には韓国での失敗が明らかになってきているのに、同じ頃に日本は国際化拠点整備事業(グローバル30)を実施し、「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に10校以上をランクインさせる」などの目標を掲げているのです。この政策に関わった政治家全員と文科省の役人全員に韓国の大学英語化の失敗を知っていたか聞きたいです。いえ、むしろ、聞くべきです。今からでも、英語教育政策に関わる文科省全員に聞いてください。

韓国と日本のIT社会の絶望的な差

「韓国社会の現在」(春木育美著、中公新書)からの引用です。

韓国では住民登録番号(日本のマイナンバーにあたる)を通じて、生年月日、性別、出生地、顔写真、10本の指紋、家族構成、行政サービス、納税、医療、銀行、教育、福祉、出入国管理、クレジットカード利用歴(!)など、個人のあらゆる記録を紐づけしています。

より具体的に説明します。医療に関しては、出生してから現在までの予防接種歴、受信歴、入院歴、処方歴、健診歴が全て記録されています。母子手帳を紛失して予防接種歴が分からない、3年前に風邪でクリニックにかかったがなんの薬をもらったかは分からない、という日本ではよくある状況は、韓国にいる限り、ありません。加入している公的保険の種類、これまでの医療費の情報も登録されているので、韓国ではクリニック受診時に保険証は不要で、住民登録証(日本のマイナンバーカード)さえ不要で、住民登録番号さえ覚えていれば足ります。出入国管理の情報まであるので、新型コロナウイルスの感染経路の特定にも有益です。

教育に関しては、出身学校、入学年、卒業年、出欠日数、成績表まで記録しています。住民登録番号さえあれば、成績証明書や卒業証明書を自宅のパソコンから母校に24時間請求でき、母校もネットを介して証明書のデータを送付してくれます。日本のように、わざわざ手紙でやりとりして、紙として出力するような手間はありません。

特筆すべきは銀行やクレジットカード利用歴と繋がっていることです。2016年の日本のキャッシュレス決済は19.8%と先進国最低と言えるのに、韓国のキャッシュレス決済は96.4%と先進国最高です。つまり、韓国の96.4%の金銭取引は政府が把握できているのです。以前にも書いたように、キャッシュレス化は、貨幣や紙幣の印刷代が不要になり、現金レジやATM機器が不要になり、個人から団体まで現金輸送が不要になり、脱税が難しくなります(脱税方法を知らない大部分の一般庶民にとって恩恵が大きくなります)。

韓国がキャッシュレス化を強力に推進したのは1997年以降で、年間クレジットカード利用率が年収の4分の1を越えた分に関して、課税所得を20%(上限300万ウォン)控除する政策を打ち出します。後に控除率は15%に下がりましたが、それでも節税対策として、クレジットカードが一気に普及しました。

住民登録番号さえあれば、過去1年間の買い物履歴を全て確認できます。さらには、給与所得や給与以外の所得、世帯構成員の所得、源泉徴収額、医療費などの公的費用も全て記録されているので、確定申告の手間がかかりません(!)。

引っ越しの際は、自宅のパソコンから転入届のページに新住所を入力して申請すれば、あとは転出元と転入先の職員が行政情報共同利用システムを用い、手続きを済ませてくれます。引っ越しに伴い住所変更届が必要な運転免許証、国民健康保険国民年金、子どもの転校手続きなども自動処理されます(!)。

相続や死亡の申請もネットで完結します。パスポートの申請も、住民登録証を見せれば、あとは写真を撮って手数料を払えば完了します。

日本にこの制度を導入すれば、1年あたり、役人の人件費は何億円、何兆円節約できて、国民全体の無駄な申請労力時間は何万時間、何億時間削減されるのでしょうか。大手マスコミは今すぐ計算して、トップで報道すべきです。

韓国では、がん検診の督促メールを政府が個人に届けてくれます。さらに、健康保険審査評価院という機構が、保険外での処方や過大請求、過度な治療行為など、治療費の払い過ぎを自動的にチェックしてくれて、患者個人に直接連絡して、払い戻しをしてくれます。税金についても同様で、過払いがあれば、自動的にチェックしてくれ、納税者がなんの手続きもしなくても、銀行口座に払い戻しをしてくれます。

いつの間に日本はこんな残念な国になったのか」でも書いたように、中国は監視カメラの活用で世界最先端を疾走しています。比較サイトComparitechによれば、人口千人あたりの監視カメラの台数は、中国の都市が1位373台で、2位~5位のインド各都市の63~25台を突き放しています。韓国のソウルは人口千人あたり7.8台で10位にも入っていませんが、監視カメラの設置に特別交付税を配分して、急ピッチで普及させています。新型コロナ感染者が発生するたびに、感染者が訪れた店舗や施設などの移動ルートは携帯端末の位置情報、クレジットカードの利用履歴、カーナビのデータ、監視カメラの映像記録などによって割り出されました。

ソウル市の市長室には、巨大なデジタルダッシュボードが設置されており、市内の交通状況、大気汚染、災害、事故、犯罪、物価、不動産価格、予算執行状況まで、ありとあらゆる情報がリアルタイムで表示されます。驚くべきは、同じ内容がホームページを通じて、市民にも公開されていることです。バスが停留所に到着する時間はもちろん、座席の空き状況までスマホ画面にリアルタイムで表示できます。災害や事故にあったり、帰宅途中に危険を感じたりしたときなどに、緊急救助を要請すると、最寄りの管制センターに自動的に自分の位置情報と現場写真や動画が転送されます。管制センターには警察が常駐して、必要に応じて警察官が急行します。

光州市では、音声や映像を分析するソフトでスクリーニングをかけ、悲鳴や不自然な動き、火災などの温度変化を自動感知し、アラートがかかれば各地域の管制センターに常駐する警察官と職員が映像を確認し、パトカーや消防署や救急車を現場に急行させます。

民間でも、深夜まで塾通いする子どもが往復ルートから外れると現在地の写真や地図を親に連絡するシステム、タクシー内のチップにスマホをタッチすると乗車したタクシーの情報や現在地を登録した連絡先に自動で知らせるサービスもあります。

IT後進国の日本にいれば、まるでSF世界のように思えますが、すぐ隣の韓国で数年前から実現している話です。

私は以前、「日本が世界最高のAI国家になる方法」で、日本人の全ての金銭情報と位置情報をネット公開すれば、日本は世界最高のIT国家になれると断定しました。韓国はさすがに金銭情報や位置情報のネット公開まではしていませんが、政府はネット上でほぼ全ての金銭情報を把握できているようです。

彼我の差に失望の念を禁じえません。

歴史が暗記科目でないように政治ニュースも暗記教養ではない

日本に限った話ではありませんが、歴史科目では人物名を記憶することが主な勉強内容になりがちです。本来、歴史はどの時代にどんな事件が起きて、それによって民衆の生活がどう変わったかが重要であるはずですが、教科書にそんな記述がほとんどなく、当然、教師もそんな内容を教える時間がほとんどありません。「歴史は暗記科目ではない」は歴史教科批判の常套句で、1人の王の名前よりも、その下にいる数百万の民衆の生活に注目すべきであることは誰でも分かります。

同じ批判は、現代の政治ニュースにもあてはまるでしょう。本来、日本の総理大臣の名前だとか、アメリカの大統領の名前など一般大衆にとってはどうでもよく、どの国でどんな政策が実施されて、それによって民衆の生活がどう変わるのか、変わったのかが重要なはずです。しかし、現実には日本はもちろん、特にアメリカなど海外の政治ニュースは、選挙で誰が選ばれた、誰が勝ちそうだ、誰がスキャンダルに巻き込まれたなど、くだらない政争の話がほとんどです。

「韓国社会の現在」(春木育美著、中公新書)を読んで、この10年ほどの韓国の政治改革について、新聞を毎日読んでいる自分がここまで無知であったことに愕然としました。同時に、日本の全ての大手マスコミが韓国に現地駐在員を常駐させているはずなのに、ここまで参考になる、参考にすべき韓国の政策情報が日本でろくに報道されていないことに憤りを感じたので、あえて上記のことをここで訴えました。

現在の韓国と未来の韓国

「韓国カルチャー」(伊東順子著、集英社新書)は「爆速」に変化する韓国という表現が頻出します。中国に住んだ経験のある私からすると、この表現には違和感がありました。もっと言えば、視野の狭さを感じました。

変化のスピードが恐ろしく遅い時代」の日本から見ると、新興国は全て「爆速」で変化しているのは事実です。日本から見ると、他の先進国ですら高速で変化しているように見えるでしょうから、韓国などは爆速に変化していると見えるのも自然ではあります。

しかし、韓国はとっくに先進国の仲間入りをしています。率直に言って、伸びしろがそれほどない国です。出生率は日本以上に低く、日本以上に急激に高齢化することも分かっています。韓国にとって大変失礼なことは承知で書きますが、現在の韓国は、1990年頃の日本と同じく、韓国史上、世界での存在感が最も高い時期なのではないでしょうか。戦後から1970年頃までの日本を「爆速で変化する」と表現するなら分かりますが、バブル期の日本を「爆速で変化する」と表現したなら、「視野の狭い奴」「未来の読めない奴」と知性の高い人から嘲笑されるはずです。

世界から注目される高齢化先進国・日本」でも批判したことですが、日本人は欧米先進国ばかりに注目しすぎています。世界が欧米先進国と日本と韓国だけなら、「爆速」の韓国でいいのでしょうが、それなら中国はどうなるのでしょうか。ミャンマーベトナム、アフリカの国は? 上記の著者は世界も未来も見えないようです。

韓国は日本以上に急な人口減少ジェットコースターを進むことは確実で、高齢化率は上昇する一方なので一人当たりGDPも増えないか、場合によっては減少するでしょう。そうなると、日本が韓国に再逆転する可能性もあります。

もっとも、韓国が日本のように今後、停滞して、衰退する一方なのかは疑問に思っているところもあります。1990年代以降も日本人は欧米人より勤勉であったように、韓国人が日本人より教育に力を入れる習慣は変わらないでしょう。韓国が日本よりIT分野で遥かに進んでいるアドヴァンテージもありますし、「韓国が日本を追い抜いた事実はニュースにもならない」に書いたように、韓国政府は日本政府の比ではないほど政治改革を迅速に実行します。「国家の富は国民の道徳と教養によって決まる」との考えに立てば、教養の高さで日本人が韓国人に負け続けるのなら、日本が韓国に再逆転する可能性は低いようにも思います。