未来社会の道しるべ

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中国はアメリカのようだが、インドはヨーロッパのようだ

先日、久しぶりの海外旅行でバリ島に行きました。千年以上の歴史あるダンスのようで、実際は西洋人のために100年ほど前に作られたケチャダンスを観ていた時、妻が観客席を指して「人種のるつぼだね」と言っていました。

そこには500人くらいの観客がいたと思いますが、確かに、あれほど複雑に人種が入り混じっている場は、なかなかありません。私に関していえば、あれ以上の国の人が集まっている現場にいたのは、国連系の会議だけでしょう。

「人種のるつぼ」とは、もともとアメリカが自国の多様性を表現した言葉です。しかし、バリ島の観客たちは、アメリカ以上に多様でした。アメリカは多様とはいえ、しょせん、白人が過半数を占め、ほとんどはキリスト教徒で、ほぼ全員が英語を話します。バリ島の観客たちは、白人もいるものの、せいぜい3割程度、女性の服装からイスラムも1~2割はいて、日本人を含め、英語をろくに話せない者も4割はいたはずです。バリ島に旅行できる裕福な者といえば、西洋人と日本人くらいだった1980年代とは大違いです。

現在でもアメリカを多様性のある国だと考えている人は、少なくありません。当のアメリカ人自身もそう思っているはずです。しかし、世界にはアメリカ程度に多様性のある国はいくつもあります。まず、カナダやオーストラリアはアメリカ同様に多文化が入り混じり、アメリカ以上に移民には寛容です。ヨーロッパの国でも、アメリカ以上に移民に寛容で、かつ、多民族が共存している社会はいくつもあります。

中国は同質性の社会でない」に書いたように、多人種社会ではないものの、中国もアメリカ程度には、多様性があると私は考えています。まず、言語がアメリカ以上に多様です。今でこそ、普通語が中国のどこでも通じるようになりましたが、私のような40代以上の日本人にとっては「北京語(普通語)と上海語は英語とドイツ語くらい違う」というのは常識でした。実際、現在でも、文革以上の世代の人たちは地方の言語(広東語や福建語など)しか話せず、普通語をほとんど解さないようです。

また、文化に関しては、人口がアメリカの4倍以上もいることもあり、日本人が想像している以上に多様です。アメリカも貧富の差が激しいのは事実ですが、中国の省ごとの貧富の差は、アメリカの州ごとの貧富の差の比ではありません。中国という一つの国に、1940年代から2030年代までの10年ごとの日本の経済レベルの地域が全て存在するようなイメージでいいと思います(日本より10年はIT化が進んでいる地域もあります)。なにより、中国では、一人ひとりの性格、考え方、教養、価値観が多様です。外見はほぼ同じですが、内面でいえば、私のよく知るカナダ人よりは、中国人の方がよほど多様でした。

もっとも、アメリカや中国よりも、さらに多様性に富む国を、私は知っています。インドです。世界で最も多様性に富む国はインドである、と私は考えています。同じような理由で、世界で一番理解しづらい国もインドである、と私は考えています。失礼を承知でもっとくだけていえば、インドほど訳の分からない国は存在しないと思っています。

まずインドは、中国以上に言語が多様です。また、中国以上に経済発展レベルも多様です。宗教に関していえば、インドは世界で最も多様でしょう。文化も、インドほど多様な国は私には想像できません。文化の多様性は、インドが世界でぶっちぎりで一番でしょう。

中国は同質性の社会でない」で、中国はアメリカと考えるべきだ、と私は書きました。それにならっていえば、インドはヨーロッパと考えるべきではないでしょうか。ヨーロッパの中には、ルクセンブルクのような非常に豊かな国もある一方で、モルドバのような貧しい国もあり、旧ユーゴスラビアのように「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」だったのに今は分裂して、手がつけられないほど対立している地域もあり、スペインのように一つの国家の中にそれぞれ言語と文化が異なる地域があり、スペインが大航海時代に最初の世界帝国になったため、世界史にもスペインの地域言語の違いが大きな影響を与えた国があったりするので、本当に多様です。ヨーロッパの全ての国家、全ての民族、全ての政治問題を人に一通り説明できる程度に勉強しようとしたら、10年では足りないでしょう。そして、インドも、そのヨーロッパ並みに多様だと私は考えています。

なお、「初海外がインド」である私の旅行体験記を「死体の前で金を騙される」と「インドで人生観が変わった」に書いておきます。