当時のアメリカ側の文献を読めば読むほど、ペリーは日本と本気で戦争する意思はほとんどなく、アメリカ本国政府に至っては日本と戦争する意思など皆無と言っていいことがよく分かります。ペリーはあくまで威嚇によって日本に譲歩を迫ったのであり、それにまんまとひっかかったのが日本政府だったのです。
もちろん、こんな威嚇に譲歩するのは誰にとっても屈辱です。特に幕政に関わる武士たちが外圧に屈するのは死んでも嫌だったに違いありません。
しかし、当時の世界情勢からいって、日本が西洋列強からの開国要求をいつまでも無視できるはずがありませんでした。また、それまでの外国使節のようにペリーをぞんざいに扱えば武力衝突に至る可能性は高く、武力衝突をしたら双方に死人が出て、まずアメリカと戦争になったでしょう。その場合、日本は確実に負け、完全な植民地になった可能性もあります。当時の幕閣で最も強硬論だった徳川斉昭でさえ、アメリカと戦争して勝てるとの妄想は持っていませんでした。アヘン戦争で負けた、あるいはアロー戦争に負けた中国のような悲劇こそ最悪だと考えたのでしょう。
かといって、当時の幕政の中心人物たちは、ほぼ全員、開国もしたくありませんでした。戦争もしたくない、開国もしたくない、ということで、幕府は時間稼ぎ作戦に出ました。ペリーが根負けして帰ってくれるんじゃないか、と期待したわけです。武士道を尊ぶ人たちがこんな外交手段をとったことは注目に値します。
現代から考えてみれば、当時の幕閣たちの現状認識がなによりも間違っていたことが分かります。「外圧に屈するか」あるいは「戦争するか」と、両極端な二元論です。もっと別の見方をするべきで、ペリーもハリスも他の西洋列強の使節も、「開国が日本人の利益になる」見解をいくつもの角度から伝えています。しかし、当時の日本人の見解とはあまりに隔たっていたため、日本政府の中心人物たちはそれをなかなか理解できませんでした。そして、日本政府の中心人物が変わって、日本人が開明思想を受け入れるまで、日本の動乱期は続きます。
だから、大局的な視野でいえば、幕末維新の動乱期とは、日本人が開明思想を習得するための期間だったと私は考えています。もし始めから多くの日本人が、西洋人に匹敵するほどの開明思想を持っていたなら、上のような二元論に固執することもなく、日本は開国を早々と受け入れて、近代化に向かっていたことでしょう。
もちろん、鎖国を200年以上も続けた日本人が開明思想をすぐに理解するのは不可能です。しかし、結局、日本人はそれを理解しなければなりませんでしたし、事実、理解しました。もしいつまでも理解しなかったら、日本は殖産興業も富国強兵もできず、それこそ中国のような悲劇を迎えていたかもしれません。
なお、「国家の思想が大きく変わるためには、幕末維新にあれくらいの動乱が必要だった」という歴史観(そんなものがあったとして)に、私は必ずしも同意しません。たかが人の考えを変える程度です。なにも京都で暗殺が横行したり、戊辰戦争で多くの日本人が死んだりする必要はなかったでしょう。
たとえば、西洋列強から入ってきた開明思想を日本中の庶民に知らせたら、どうなっていたでしょうか? 「西洋では進んだ科学技術を使って便利な生活をしている」「選挙によって最高権力者まで決める」「貿易によって商業が発達すれば暮らしが豊かになる」 政治家や役人たちがそんな風に日本人の視野を広げ、教養を高めることに成功していれば、幕末に日本人同士で殺しあう悲劇はそこまで起こらなかったはずです。
こう書くと、次のような反論が容易に浮かぶでしょう。
「幕府がそんな自滅を招くような政策を実行できるわけがない」
「福沢諭吉が同じような発想で『学問のすすめ』を出版して日本人の教養を高めようとしたが、やはり西南戦争が起こったじゃないか」
「第二次世界大戦後ならともかく、封建社会で大改革を実行するなら、あれくらいの犠牲は不可避だった」
「確かに日本人の教養を高められたら好ましかっただろう。しかし、それは『全ての人がキリスト教徒なら世界が平和になるのに』という、ありえない夢想をするのと同じだ。ありえない仮定で歴史を振り返るのはナンセンス極まりない」
それらの反論が不条理だとは思いません。しかし、それでも、「学問のすすめ」のような本がもっと早く広く普及していれば、当時の役人が日本人全体の教養を高めることにもっと早く専念していれば、幕末の犠牲はより少なくてすみ、日本の近代化はより早く進展したと確信します。少なくとも日本人の教養を高める活動は(当たり前ですが)物理的には可能なので、より多くの日本人がそれに気づき、一人ひとりが視野を広げて、「どうして西洋人はあんなすごい船を持っているんだ?」「西洋人ができるのなら、日本人だってできるんじゃないか」「昔からの習慣を守ることで自分たちは本当に幸せになれるのか?」という視点を持てていたなら、より誇らしい歴史を持てたと私は考えます。
※この記事には誤解を生む論理展開になっているので、「黒船と本気で戦っていたら日本は攘夷を達成できたが、それは最悪の選択であった」に追加の記事を書きました。