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なぜミャンマーで2021年の軍事クーデターが起きて、今後ミャンマーはどうなるのか

21世紀初頭、ミャンマーは20年間も憲法を無視した軍事独裁政権が続いていました。しかし、2008年に憲法ができ、2011年に軍最高司令官とは別の大統領が憲法にのっとって就任し、2016年に民主選挙による政権移譲が行われました。ミャンマー民主化は着実に進展していたのです。

「一度進みはじめた民主化を止めることはできない」という考え方があります。「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著、岩波新書)によると、「ミャンマーは軍事政権には戻らないといった声が支配的に」なっていましたし、著者もそう言っていたそうです。

しかし、2021年2月1日の軍事クーデターで、ミャンマー政治の最高権力者のアウンサンスーチーや政権幹部は逮捕・拘束され、現在まで一切の意見を公表できていません。ミャンマーは再び軍事政権に戻りました。

どうして民主化が10年間も進展していたミャンマーが再び軍事政権に戻ったのでしょうか。

それについての答えはいくつもありますが、一つの答えを述べるなら、「2010年代のミャンマーの民主政治期」に書いたように、いつでも軍事クーデターできる体制になっていたからです。2021年のクーデターでは、軍出身の副大統領が非常事態宣言を発令しましたが、非常事態宣言は2008年に制定された憲法の第417条と第418条(a)に明記されており、憲法にのっとって発令されています。もっとも、憲法制定当時から、これらは「クーデター条項」と批判されていましたが、ともかく、2010年代に進んだミャンマー民主化は簡単に軍の力で抑え込める体制になっていました。

だから、「なぜ2021年にミャンマーで軍事クーデターが起きたのか」という問いは、「なぜ2021年までミャンマーで軍事クーデターが起きなかったのか」という問いにも関連します。2015年の民主選挙までは、元軍人テインセインが政治の最高権力者であり、政権幹部もほぼ全員軍人関係者なので、軍がクーデターを起こす理由はありません。しかし、2015年の民主選挙で与党が大敗して、スーチー政党NLDが圧勝してからは、いつでも軍はクーデターを起こす理由がありました。2016年以降、軍が政治を動かせなくなっただけでなく、閣僚を含む政権ポストの多くを軍関係者は失ったのです。普通に考えれば、この時点でクーデターを起こした方が、軍にとっては得です。なぜスーチー政権の5年間、軍はクーデターを起こさなかったのでしょうか。

その最大の理由は、経済成長にあったと私は考えています。「2010年代のミャンマーの民主政治期」に書いたように、2012年にスーチーが国会議員になったことで、海外投資が飛躍的に増えて、ミャンマーはかつてないほどの経済成長を成し遂げます。もし2015年の選挙が不満だからといって、軍事クーデターを起こせば、多くの民主主義国家は確実に経済制裁を加え、海外投資は激減し、経済成長は鈍ります(事実、2021年の軍事クーデター後にそうなりました)。

「経済が発展して、国民の暮らしも豊かになった。政権幹部のポストの多くを軍が失うが、その気になればいつでも軍事クーデターは起こせるのだから、しばらくスーチーに政権を預けてもいいだろう。西洋諸国の多くはスーチーが大好きだから、さらに経済が爆発的に発展して、軍人の生活も豊かになるかもしれない」

そんな風にミャンマー軍は考えたのではないでしょうか。

別の観点からいえば、スーチー政権がテインセイン政権と変わらない程度しか経済成長できなかったからこそ、軍はクーデターを起こしたのかもしれません。スーチー政権がテインセイン政権の2倍の経済成長率を達成していたりしたら、2021年に軍はクーデターを起こさなかった可能性が2倍以上高くなっていたと推測します。あるいは、2020年にコロナ禍で経済がマイナス成長になっていなかったら、今もスーチー政権だった可能性は十分あったでしょう。

次に「もっと後に軍事クーデターを起こすこともできた、あるいは永遠に軍事クーデターを起こさないこともできたのに、なぜ2021年2月1日にミャンマーで軍事クーデターが起きたのか」について考察します。

2015年の選挙に続いて、2020年の選挙でもNLDが圧勝すると、選挙に不正があったと軍は繰り返し訴えてきました。クーデターの起きた2021年2月1日は下院の招集日で、その翌日には上院が招集され、スーチー政権5年間継続されます。不正な選挙結果による国会運営の阻止が、軍事クーデターの理由の一つです。

ただし、それまで5年間もスーチー政権であり、この選挙だけで政治の実質が大きく変わったわけではないので、2021年2月1日にクーデターを起こす必然性は乏しいです。スーチー政権が軍にとって大きく不利益になる政策を行った時でもよかったはずです。たとえば、2016年からのスーチー政権期に、大統領よりも上位にある「国家顧問」法案が可決された時点で、「憲法が規定する最高権力者の大統領よりも上の地位をもうけるなど憲法違反だ」と軍事クーデターを起こした方が、まだ国内外への説得力があったと思います。

ミャンマー現代史」によると、軍も2月1日の直前まで、本当にクーデターを起こすかどうか迷っていたようです。水面下では、ギリギリまで軍側と政権側の交渉が続いていたことが分かっています。

2021年1月30日、政権幹部2名と軍幹部2名の会合がありました。軍は①選挙管理委員会の交代、②議会招集の延期、③票の再集計を要求します。スーチーはこの要求を全て受け入れませんでした。それどころか、軍に一切の連絡をしないまま、1月31日に翌日午後の議会招集をアナウンスして、軍のメンツをつぶします。これで準備されていたクーデターにミンアウンフライン軍最高司令官のゴーサインが出たようです。

スーチーが軍の力に無自覚だったわけではありません。直前まで、軍による政権転覆を懸念する声が周囲からスーチーに伝えられていたことも分かっています。それでも軍に妥協しなかった理由として、「ミャンマー現代史」の筆者は、「選挙不正の追及をいつもの揺さぶりだと考えていたからかもしれない」と書いています。「一方で、ミンアウンフラインも、クーデターをちらつかせればスーチーは軍の要求を呑むと読んでいたのだろう。だからこそ、2月1日の未明まで『待った』のだ。もっと早くに敢行することもできた。相手はブレーキを踏む。お互いがそう考えながら走るチキンレースの結末だった」とも書いています。

次に、今後のミャンマーがどうなるかについて考察します。

ミャンマー現代史」には、「断言してもよい。ミャンマーが2021年のクーデター前の状況に戻ることはない」とあります。しかし、前回の記事に書いたように、2011年からミャンマー民主化が進展することも、2021年のクーデターで民主政治が崩壊することも、予想できなかった著者の断言なので、あまり信用できないでしょう。

まず、「ミャンマーでは(クーデター前の)出版の自由や民主政治が未来永劫戻らない」との断言は間違いになるでしょう。何年後、あるいは百年以上後かもしれませんが、いずれミャンマーでの出版の自由や民主政治は再開するはずです。「ミャンマー現代史」を読む限り、すぐに「ミャンマーがクーデター前の状況に戻ることはない」でしょうが、永遠に戻らないわけでもないでしょう。断言するなら、「あと〇年は戻らない」などの期間も予想してほしかったです。

今後、ミャンマーがどうなるか、専門家でもない私に細かい予想はできませんが、大局的な予想ならできます。たとえ軍事政権下であっても、ミャンマーが経済成長していくことは間違いないでしょう。その理由は、ミャンマーはいまだ若者人口が多く、経済が未成熟で、発展の余地が大きいからです。

軍事政権下なら出版や思想の自由は制限されますが、それは経済の発展ほど、国民生活に影響を与えないと推測します。同じく出版や思想の自由が制限された中国で暮らした私の実感です。

以上の2点を踏まえれば、ミャンマーは2021年に軍事クーデターが起こりましたが、それは「ミャンマー現代史」が表現するほど、ミャンマー内外にとって大きな変化ではなかったと私は考えます。もちろん、自由化や民主化が後退したことはミャンマー人にとっても、人類全体にとっても悲劇です。しかし、「2010年代のミャンマーの民主政治期」に書いたように、2011年からの民主化が、「ミャンマー現代史」で「まるで別の国になった」と表現されるほど、大きな進歩でなかったと私は考えます。「ミャンマー現代史」も、スーチーは国内外で神格化された「ポピュリスト」であり、実際の政治能力は必ずしも高くなかったと指摘しています。

日本がそうであるように、10年や100年といった長い期間でみれば、ミャンマーの自由化と民主化は進展していくでしょう。日本ではミャンマーの関心が高いので、2016年のスーチー政権誕生や2021年のクーデターを、ミャンマーの大変革のように考えてしまっていますが、「大変革と言うほどでもない」「ミャンマーの発展が止まったわけではない」という考えをもっと持つべきだと考えます。また、「世界で最も注目すべき国はインドである」に書いたように、そこまでミャンマーの変化に感情移入して一喜一憂するのなら、インドやインドネシアにもっと注目すべきだと考えます。