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「秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか」また「犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか」

前回の記事の続きです。

秋葉原通り魔事件が起こった直後、犯人である加藤智大の両親へのテレビインタビューが行われています。今でもyou tubeで観ることができますが、最初から泣いていてインタビューに全く答えてられなかった母は、「親の責任」について問われた時、崩れ落ちてしまいます。インタビューに答え終わった父が、起き上がることもできない母を持ち上げて、引きずりながら家に入るシーンが映されています。

加藤の母がそこまでショックを受けたのは、加藤の性格が歪んでしまった原因を作ったのは自分にあることを認識していたからでしょう。

もし私が凶悪殺人事件を起こして、同じようなインタビューが私の両親に行われたとしたら、同様のシーンがテレビ放映される気がしてなりません。

ただし、加藤の母に関してはよく分かりませんが、私の母が親の責任について問われたら、まずこんなことを思っていたに違いありません。

(確かに、私の育て方に問題はあったかもしれない。しかし、凶悪殺人犯を生むほどひどい育て方はしていない)

実際、似たようなことを私は母から何度も言われています。「子どもの頃の子育てに問題はあったかもしれないが、あなたが仕事辞めたのは子育てと関係ないでしょ」「弟は普通に生きているじゃない」「そんな昔のことは忘れたらいいじゃない。なんでいつまでも思い出すの」などです。もちろん、こんな母となら話せば話すほど、私の心の傷がえぐられていくのは目に見えているので、私はできるだけ話さないようにしています。

とはいえ、私の母も子育てに問題があることを少しでも認めている時点で、まだマシな毒親と思う人もいるでしょう。なお、加藤は私の母以上に、子育ての罪を認めていたようです。

加藤が自殺に失敗した後、2006年9月に3年ぶりに実家に戻ってくると、物心ついてから初めて母に抱きしめられ、「ごめんね」「よく帰ってきたね」と言われたそうです。私は40年間、父母から、ただの一度もそんな心のこもった言葉をかけてもらったことはありません(もっとも、私の父母はそんな言葉を言ったつもりになっていると思います)。

加藤は短大卒で職を転々として、その弟は高校を早々と中退して引きこもっていたので、母は自らの厳しすぎる教育に反省の念を抱いていました。加藤が自殺に失敗した1年ほど前、母は次男に「お前たちがこうなってしまったのは自分のせいだ」と話し、謝罪したそうです。

実家に帰ってきた加藤を母は温かく迎え、しばらく休むように加藤に伝えます。加藤が作った借金は全て母が清算しました。加藤は地元の友だちとの交流し、大型免許を取得し、運送会社に就職します。加藤が運送会社の仕事を終え、夕方4時頃に帰宅すると、母は夕食を作って待っていました。以前の家族の食卓では一切会話がなかったのですが、この頃の加藤は家族と談笑が続くよう努めたそうです。加藤が自分から母に語りかけるのは初めてであり、「自分も大人になった」と感じていました。加藤は「家族のやり直し」をしたいと考えていたそうです。

運送会社で加藤は10才以上も年上の藤川(仮名)と友だちになります。加藤は10年来の地元の友だちにも心のうちをあまり明かさなかったのに、この藤川に激怒されながら説教を受けて感銘した後、藤川にだけは本音を語るようになりました。その代表例として、ネットの掲示板に没頭していたことを藤川にだけは話していたことがあげられています。また藤川は加藤からmixiに誘われた唯一の人物です。

秋葉原事件」(中島岳志著、朝日文庫)の著者は、この藤川こそ加藤の犯罪を止められた人物と考え、「そんな藤川から、加藤は離れていった。なぜなんだ。どうして事件前に、藤川に電話一本できなかったのか。なぜ藤川との関係の大切さに気づかなかったんだ。気づいていたのに、気づかないふりをしたのか。それとも、気づいていたことを忘却したのか」とまで嘆いています。

藤川との関係が続いていたら、加藤が無差別殺人事件を起こさなかったとの著者の見解に、私も同意します。藤川との関係がなぜ切れたかは下に書いていきますが、ともかく、だからこそ、簡単に関係が切れてしまう私的支援ではなく、前回の記事に書いたように、本人が希望しても関係が切れない「家庭支援相談員」などによる公的支援が必要だと私は考えます。

2007年5月のゴールデンウィークのある日、父が突然、母と離婚することを加藤に告げます。加藤は父のいる実家から引っ越すことになり、7月に職場近くにアパートを借りて、一人暮らしを始めます。「秋葉原事件」(中島岳志著、朝日文庫)だけを読んでいれば見逃すかもしれませんが、この7月にようやく加藤が藤川と接近する「藤川の激怒しながらの説教事件」があったので、加藤が藤川と親密になってからの期間は同年10月までのわずか4ヶ月に過ぎません。9月中旬に加藤は仕事を辞めるので、藤川との実質的な付き合いはさらに短くなります。こんな短期間なので、加藤が藤川との関係性の大切さに気づかず、あっさり縁を切ってしまったのも無理はありません。

相変わらず、ネット掲示板に没頭していた加藤は、2007年9月に掲示板仲間にリアルで会うためのツアーを計画します。加藤は正直に遊ぶためと理由を述べて、2週間の休暇を会社に願い出ますが、会社は断りました。それを聞いた藤川は加藤にとってのネット掲示板の重要性を認識していたので、「遊びに行きたいのなら仕方ない。もしそうだとしても、会社に対しては『親戚の結婚式があるから休みがほしい』といった言い方があるだろう」と説教します。加藤は黙って聞いていましたが、「とにかくどうしても行きたいんです」と語ります。結局、会社は休みをくれず、そのツアーに強い執念を持っていた加藤は、あろうことか、会社を辞めます。この突然の辞職を藤川には伝えていません。この突然の辞職こそが、加藤が無差別殺人事件を起こすかどうかの最重要の分岐点となります。

ここから先は、世の女性の99%は理解できない話になるでしょう。特に、「友情と愛情とどっちが大事?」と考えるような女性には一生理解できないでしょう。

誰が考えても、この時、加藤はこの仕事を辞めるべきではありませんでした。しかし、加藤が適性のある運送会社を辞めて、信頼できる藤川との関係を切ってでも、このツアーに執心した主な理由は間違いなく「女性への渇望」です。この女性への渇望は、恋愛欲求と書いていいのかもしれませんが、そこから連想される程度の弱い欲求ではありません。アルコール依存症の人がアルコールを求める欲求に近く、自分の意思や理性で抑えることが困難なほどの強い欲求です。「男性の性欲」に書いたように、全ての男性は性依存症といえるほど、性欲が強いです。だとしたら、この「女性への渇望」は性欲と書くべきなのかもしれませんが、単なる性欲とも違います。事実、加藤は事件前に何回か風俗店で性欲を解消していますが、それでも「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」と書いて、事件を起こしています。性欲を解消してくれる相手がいれば、青年男性の欲求不満が解消されるわけではありません。あくまで「彼女」がほしいのです。そういう意味では、「女性への渇望」は「彼女欲求」と書くべきかもしれませんが、そう書くと「彼氏欲求」と似たような印象を女性に与えそうです。彼氏がほしいという青年女性の欲望と、彼女がほしいという青年男性の欲望は、大きく違います。青年男子が彼女を欲しいと思う欲望の背景には、自分の意思では抑えられないほどの性欲があります。この男性の欲望を批判的に捉えるべきかどうかは、時と場合によって異なるでしょう。

話を戻します。仕事を辞めてまで実行したツアーで、やはり加藤は好きだった女性に振られました。9月26日に地元に戻ってきた時、加藤は自殺を考えていました。自殺を思いとどまったのも、やはり女性でした。ツアーで加藤を振ったばかりの女性が「20才になったら遊びに行くよ」とメールを送ってきたからです。しかし、加藤はその女性を19才と思っていたのですが、1ヶ月もしないうちに実は18才と知り、「そんな先の約束は分からない」とまた絶望し、またも自殺を考え始めます。

10月28日、加藤はもう一人のネット掲示板の女性と会うため、地元の青森から群馬まではるばる出かけます。加藤は女性を襲おうとしますが、女性の拒否で、襲えませんでした。加藤は「死ぬつもりでこっちに来た。死ぬ前に楽しい思い出を作りたかった」と正直に伝えると、最初は冗談だと思った女性も、次第に信じて、心配する気持ちが大きくなります。女性はとにかく考え直すように説得します。加藤はこのときに始めて、仕事を辞めたことを女性に打ち明け、何度も「ごめんなさい」と謝ります。女性は「本当に私に悪いと思っているんだったら、仕事をちゃんとして、また会いに来て」「そのとき、ワンピースでも買ってくれたら許してあげる」と語りかけます。とにかく、彼に生きるための目標があった方がいいと考えたそうです。加藤は「また来ます」と言って部屋を出て、以後、その部屋に戻ってくることはありませんでした。

加藤に襲われそうになった女性は、当時、つきあっている男性がいました。そのことを加藤には話していませんでしたが、加藤は別の掲示板でそれを知ります。加藤は「彼女は主人に逃げられ、精神的に仕事ができないかわいそうな状態だけれども、彼氏がいるから自分よりマシだ」とさらに別の掲示板に書きます。女性は加藤をたしなめることを書き込みますが、加藤はそのスレッドそのものを削除し、以後、二人は連絡を取り合っていません。

2007年11月、加藤は飛び込み自殺をするつもりでしたが、勘違いもあり、うまくいかず、半月も駐車場に停めた車の中で過ごします。不審に思った駐車場の管理人が警察官を呼んで、加藤は職務質問されます。加藤は正直に「自殺を考えている」と伝えました。

「ここで死んだら、駐車場の管理人に迷惑がかかる。死ぬのなら、誰にも迷惑にならない場所で勝手に死んでくれ」

私がこれまで接してきた警察官なら、こんなことを言いそうですが、奇跡的にこの時の警察官は親切だったようです。「君はがんばりすぎだから、肩の力を抜いたほうがいい」と言って、自殺をやめるように説得し、加藤は泣いたそうです。

駐車料金は33500円にもなりました。加藤に手持ちの金がなかったので、駐車場の管理人が立て替えてくれて、加藤は借用書を書きます。加藤はその日のうちに派遣会社に行き、派遣の登録を行います。

「加藤はこれを契機に立ち直った。生きよう、と思った」

そう「秋葉原事件」は書いていますが、これは間違いです。この後、加藤が地元に帰っていたら、とりあえず「立ち直った」と思います。しかし、2007年10月28日に自殺をするため自宅を飛び出してから秋葉原通り魔事件を起こすまで、加藤は両親とも地元の友だちとも、もちろん藤川とも一切連絡を断ったままです。駐車場での事件があった後も、青森の自宅には戻らず、派遣会社が紹介した静岡県裾野市の工場で働き、その近くのアパートで暮らします。青森のアパートは家賃を払わずに放置し、金融機関からの借金も、踏み倒したままでした。駐車場での事件の前後で、加藤が借金に追われ、適切な助言をくれそうな相手と連絡をとらない状況は変わらなかったのです。

加藤は12月末に手土産まで持参して駐車場の借金を返しましたが、工場の同僚には「いつまでいられるか分からないけど、いなくなるときは何も言わずに消えるから」と何度も語っていました。事実、掲示板でなりすましに荒らされ、作業服がないと職場の更衣室を自ら荒らして自己嫌悪に陥ると、加藤は「何も言わずに消えて」、突如秋葉原に現れ、無差別大量殺人を犯しています。

2007年11月から事件までの2008年6月まで、どうして加藤は地元に帰らなかったのでしょうか。2006年9月に母が加藤の借金を支払ったように、おそらく、今度も母は加藤の借金を支払ったのではないでしょうか。普通に考えれば、自殺や無差別殺人を犯すくらいなら、情けなくても、母あるいは父に頼った方がいいはずです。昔の厳しいだけの母だったなら、加藤が地元に帰りたがらなかったのは分かります。しかし、母が厳しい子育てについて謝り、加藤も母との「家族のやり直し」をしようと考えていたなら、母に頼ってもよかったはずです。なぜそれを考えなかったのでしょうか。

この重要な問題は「秋葉原事件」でも考察されていないので、推測になりますが、加藤は「その発想は浮かばなかった。今から考えれば、そうかもしれません」だったのではないかと思います。

これは他の問題についても言えます。「なぜ藤川に相談しなかったのか」も、それまで自分の心を誰にも打ち明けなかった加藤には、なかなか浮かばない発想だったのでしょう。ネット掲示板で知り合ったつまらない女性に会うために、自分に合っていた運送会社を辞めてしまいますが、これも裁判を行う時期になれば「今から考えれば、その仕事を辞めるべきでなかった」と考えたのではないでしょうか。

2007年9月に運送会社を辞めたことは、加藤が秋葉原通り魔事件になった重要な分岐点だと私は考えるので、さらに考察します。

なんと加藤は2007年8月に出会い系サイトで知り合った女性とリアルで会っており、自宅のアパートまで呼んでいます。加藤はこの女性を藤川に紹介し、藤川は「なんでこんなキレイな子をお前が連れてくるんだ」と加藤を冷やかしています。しかし、彼女が断ったのに、加藤が自宅アパートの合い鍵を彼女に渡した8月後半になると、二人の行き来は途絶えて、メールをする回数も減ります。彼女がメアドを変えると、加藤からの連絡は不可能になります。間違いなく、この女性との関係が続いていれば、加藤は仕事を辞めてまで、ツアーに行っていません。

また、加藤が運送会社の仕事を十分に気に入っていたら、ツアーに行くことはなかったでしょう。しかし、「秋葉原事件」に記録されているだけでも2回、加藤は運送会社の職場で怒鳴っています。藤川が仲裁に入り、事なきを得ていますが、その度に加藤は自己嫌悪に陥っていたはずです。また、加藤は既に何度も転職を繰り返しており、転職グセが着いていたことも見逃せません。さらに、加藤は友だち全員に「今から自殺する」と本気でメールを送るほど人生に絶望していた2006年9月から、まだ1年しかたっていませんでした。今までの人生や仕事で十分な幸せを感じていなかった加藤が、一発逆転を目指して、彼女を欲するために、仕事を辞めたのは無理もないと思います。

タイトルの問いに戻ります。

秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか」の問いは、yesです。2006年9月に母が昔の子育てを反省して、加藤が作った借金を清算して、半年ほど夕飯を作ってあげて、加藤と和やかな会話をしていたとしても、まだ十分に償っていないほど、母の罪は重かったと私は考えます。その根拠は、母がそこまでしても、まだ加藤はささいな理由で仕事を辞めて、母に頼るべき時に母に頼らず、取り返しのつかない無差別大量殺人を犯したからです。もし母が加藤への子育ての罪を感じていたなら、2007年11月から2008年6月までの加藤の失踪期間に、母はなにがなんでも加藤を見つけ出し、加藤の心を癒してあげるべきでした。そこまでしなければならないほど、毒親の罪は重いです。毒親の後遺症は1年程度の癒しで治るものではありません。全ての毒親の罪が取り返しのつかないものではありませんが、加藤の場合は、不運もあり、取り返しがつきませんでした。毒親が罪を認めて、その償いをしようとしても、その償いにより子どもの心の傷が十分に癒される前に、子どもが取り返しのつかない自殺や犯罪を実行してしまうことはあります。このことを全ての親は知るべきだと思います。

「犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか」の問いは、やはりyesです。「秋葉原事件」の著者は、「彼女ができれば問題が解決するのか。そんなことはなかった」と断定していますが、それは間違いと断定できます。極端な話、どんな女性であっても、体重100㎏越えの女性であっても、バツイチ子持ちの女性であっても(上記の加藤が襲おうとした女性はこれに当てはまる)、メンヘラ女性であっても、関係の続いている彼女さえいれば、加藤は無差別殺人や自殺はしなかったでしょう。少なくとも、その実行前に加藤は彼女に相談したはずです。「秋葉原事件」の著者がこれに気づいていないのなら、性依存症でない珍しい男性であるか、モテ組男性かのどちらかだと考えます。

私もそうですが、不幸な男性ほど、彼女を欲しがります。これまでの不幸を帳消しにしてくれる一発逆転の解決策が「彼女」だからです。青年男性にとって、それほど彼女の効用は高いです。「Re:」で書いた私のように、加藤は彼女を作るために八方手を尽くして、出会い系サイトにまで本気になっていました。しかし、現代日本で「女であることは東大卒より価値があるのか」、加藤に彼女はできず、無差別殺人を起こしました。

秋葉原通り魔事件後、加藤に共感する人物は多く出ました。「秋葉原通り魔事件はどうすれば防げたのか」やこの記事を読めば分かる通り、私もその一人です。「秋葉原事件」の著者も「おそらく同時代に生きる私たちは、加藤の中にわずかでも自分の影を見てしまう。加藤の痛々しさと、自己の痛々しさがオーバーラップする部分があるに違いない。そして、自分の身の回りにいる彼・彼女の姿を、加藤の歩みの中に見るに違いない」と書いています。

彼女もいないまま自殺していく多くの日本の青年男子は、場合によっては、加藤のような無差別大量殺人犯になっていたと考えもいい、考えるべきだと私は思います。もし秋葉原通り魔事件と同様な事件を防ぎたいと思うのなら、毒親の問題、男性の女性への渇望の問題、転職を繰り返してしまう問題、借金に追われる問題などを理解した福祉職(私の提案する「家庭支援相談員」でなくても)と福祉制度が必要だと考えます。