朝日新聞など「人権派」はLGBTをとにかく擁護したがります。村上春樹の「ノルウェイの森」は「同性愛が悪である」とろくに考察もされず決めていたのに、ベストセラーになっていました。やはり30年も前に出版された「ノルウェイの森」など、昔の価値観の小説とみなすべきなのでしょうか。
私はカナダでも日本でも近い友人にゲイがいたこともあり、LGBTへの社会的な差別には基本的に反対です。ただし、現在のカナダや日本社会ほど積極的に擁護するのはおかしいと考えています。特に「同性婚は認めるべき」を問答無用で正しいと考える意見には大反対です。なぜなら、日本の最大の政治・経済・社会問題である少子化と密接に関係しているからです。
とはいえ、実は私も同性婚に完全に反対なわけではありません。同性婚であっても養子を受け入れるなら、少子化を促進しないので、ある程度認めていいと考えています。逆にいえば、異性婚であっても子どもを作らないのなら、法律上の結婚として認めるべきでないと考えています。それについては「未婚税と少子税と子ども補助金」に書いた通りです。
LGBT問題は性教育問題と似た側面があるように感じます。一時期、あるいは今もそうかもしれませんが、「性教育は恥ずかしくない」と変なキャンペーンを行っていたグループがありました。しかし、「性教育は恥ずかしくない」は現在まで一般的ではありません。性行為を大っぴらにすることは異常ですし、犯罪です。どの時代のどの地域の社会でも、性は隠すべきものとの道徳があります。「性教育は恥ずかしくない」が一般化することは、未来永劫ありえませんし、あるべきでもありません。どんなに性教育普及グループが頑張っても、「性教育は恥ずかしすぎることはない」くらいまでしか進まないでしょう。
同様に、LGBTを大真面目に社会全体でここまで認めようとする運動は、どこか滑稽に私には感じます。性別による差別は確かにいけませんが、性的嗜好による差別は完全にいけないのでしょうか。もしそうなら、オタク業界でよく言われるように「LGBTがダメで、ロリコンがいけない理由は?」に答えられるのでしょうか。ここ30年ほど、LGBTが社会で許容されるのと対照的に、ロリコンは社会で許容されなくなっています。LGBTもロリコンも、どちらも性的嗜好です。こちらが正義で、そちらが悪だと一方的に決めつけるのなら、それこそ差別です。
LGBTについて議論する前に、性差別と性的嗜好差別は厳格に区別すべきでしょう。ひと昔前まで、LGBT(性別違和)はロリコン(ペドフィリア)同様、精神疾患でした。性別と違って、後天的に変えることがある程度できる問題と考えられていました。性的嗜好に限らず、あらゆる嗜好、嫌悪感情は本能に基づくので簡単には変えられませんが、社会で生きる上では、嗜好や嫌悪感情を矯正すべき時もあります。私を含めた多くの人は、本能に抗いながらも、自身の嗜好、嫌悪感情を抑えてきた経験があるはずです。