「コロナ予算」は、新型コロナの流行が本格化した令和2年度だけで、総額77兆円です。日本大震災の復興予算が、10年あまりの総額で約32兆円であることからも、「コロナ予算」がいかに異次元の規模かがわかります。ワクチン接種、国のマスク配布、Go To イートなど、感染症の拡大防止から経済対策まで、使い道は多岐にわたります。
その「コロナ予算」の一つ、新型コロナウイルス対策の地方自治体向けの財源として、国が2020年に創設した「地方創生臨時交付金」は3年間で18.3兆円です。キャンプ場のWiFi整備(北海道浦幌町、熊本県美里町など)や、トイレの洋式化(愛媛県西予市、山口県長門市など)、レンタル用自転車の購入費(長野県原村、大分県国東市など)に使われた例もあります。コロナ禍では密を避けるべきなのに、花火にコロナ予算が使われた例も多くあり、人影が消えた目抜き通りのイルミネーションや、建物などのライトアップに関する計画も129件見つかったそうです。恐竜、土偶、(ゆるキャラの)着ぐるみにまでコロナ予算が使われ、今朝の朝日新聞も呆れています。
常識的に考えて、そんなものがコロナ対策になるわけがありません。しかし、各自治体は「花火でコロナの終息を願う」「自粛生活を強いられた市民に元気を与える」といった「検証結果」を出しているそうです。
このブログで何度も嘆いているように、日本はまともな事後検証ができない国です。反省しない国と言ってもいいかもしれません。
コロナを完全に無視して、みんなが自粛もしなければ、100兆円以上のコロナ予算は全て不要でした。もちろん、そうすればコロナは蔓延して、確実にコロナによる死者は増えました。しかし、コロナに限らず、癌、心臓病、うつ病、風邪などを含む全ての疾患の医療費は年間約40兆円です。全ての疾患費用の2倍もの金額を、たった一つの感染症のためにかけるべきだったと考える日本人はいるのでしょうか。
「コロナ自粛は先進国の高齢者の残り数年の命を延ばし、発展途上国弱者の命より価値ある尊厳を踏みにじった」にも書いたように、コロナ自粛によって世界中の多くの恵まれない人たちが不要に苦しんだと私は確信しています。新型コロナによる障害調整生存年(DALYs)は、肺炎の10分の1、自殺の8分の1という研究結果もあります。
今後も新型感染症のパンデミックは必ず起きますが、今回の反省を活かして、自粛しすぎることのないように十分にコロナ禍を事後検証しなければならないはずです。