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難民キャンプの政治

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

「難民たちは政治に参加してもいいのだろうか? もちろんだ。難民の政治的権利は難民条約および各種人権条約に規定されている」

そう本にはありますが、こう続きます。

「だが現実には、世界の難民ホスト国の大半は、難民の政治的な活動を大幅に制限している」

これは難民受入国(今回の例ではガーナ)だけでなく、国連も「自らの権利を声高に主張して政治活動する者」を悪い難民とみなすそうです。

難民の政治活動を快く思わないのは、仕方ない側面があるでしょう。母国から逃げ出した難民はそれぞれ心苦しい過去があるに違いありませんが、だからといって、母国以上に豊かな生活を難民キャンプで送りたいと言う権利はないはずです。前回の記事に書いたように、ブジュブラムの難民たちは母国以上に豊かな生活を送れているのですから、それでも不平不満を言うなら、「いいかげんにしろ」と言われるのは当然です。

経済的側面を無視しても、リベリア難民がガーナ政府に「もっと支援してくれ」「もっと仕事をくれ」という正当性はあまりないでしょう。第一に、リベリア内戦は2008年から2009年当時、5年以上前に終結しており、ブジュブラムのリベリア人たちは、そもそも「難民」の定義に入らない(とも考えられる)からです。第二に、現地語を覚えようとせず、先進国移住ばかり考えるリベリア人を助けたいと思うガーナ人などいないからです。

にもかかわらず、ブジュブラムでも「とびきり激しい」政治活動があります。

難民キャンプの経済事情」に書いた通り、ブジュブラムの代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)です。かつてLRWCの会長は民主選挙で決め、誰でも立候補が可能でした。しかし、1996年にガーナ政府が選挙を廃止してからは、ガーナ人のキャンプ支配人がLRWCの会長を指名するのが慣例となりました。会長は、自分の補佐として副会長2名と8名のメンバーのリストをキャンプ支配人に提出して、ガーナ難民局の承認を得ています。

著者が選挙廃止の理由を聞くと、キャンプ支配人はこう答えました。

リベリア内戦は民族間の対立により起こった。今でこそ大きな争いは減ったが、水面下ではお互いに敵意を抱いている。もしキャンプ内で選挙を実施したら、それぞれの民族が独自の代表を立てて争うことになる。そうしたら、必ず衝突が起こる」

一方のリベリア難民たちは、ガーナ人のLRWC会長指名に強く反発していました。著者が調査した2008年頃にはLRWCの上層部は、ガーナ政府にとって御しやすいリベリア人たちで占められており、その結果、LRWCの上層部とキャンプ支配人の間にはもたれ合いの関係が醸成されていました。

たとえば、ブジュブラムには居住区ごとに目安箱(オピニオンボックス)があり、生活上の問題点や改善を望む点を伝えることができます。この目安箱に入れられた投書は、全てLRWCの会長と副会長が審査した後、適切と判断された投書のみ、キャンプ支配人に届けられます。この「審査」で、ガーナ政府やUNHCRにとって耳の痛い意見は、ほぼ間違いなく却下されています。これに何度も不満を表明したLRWCのメンバーは、更迭されたそうです。

また、アメリカからのキリスト教使節団が難民から直接話を聞きたいと申し出たので、どの難民が使節団と話し合うかを決めるため、LRWCで緊急会議が開かれました。出席者の一人が「悪化しているキャンプの生活水準について話してもいいか?」と発言した際、すぐさま副会長が「その話は不適切だ」と却下しました。緊急会議の後半は、会長の独演会と化して、こんなことが述べられました。

「我々は、ガーナ政府やUNHCRへの感謝を忘れてはならない。20年近くもここにいるのだから、その恩を仇で返すようなことがあっては絶対にいけないんだ!」

結局、このキリスト教使節団が直接話した難民たちはLRWCの会長と2人の副会長と8人のメンバーだけでした。

LRWCの上層部には、横領や贈収賄の噂が絶えませんでした。「難民キャンプの経済事情」に書いたように、トイレ使用料の横領はほぼ間違いないでしょう。ブジュブラム内の清掃作業やゴミ収集などに充当する目的で、UNHCRから毎月一定額がLRWCに支給されていましたが、その具体的な使途は一切公表されていないので、多くの難民はそこでも横領があると疑っていました。

LRWCと一部のNGOの癒着も多くのリベリア難民が指摘していました。UNHCRなどの国連機関は、援助プログラムの実行と運営を、パートナーシップ契約を結んだNGOに委託するのが一般的です。国連の援助プログラムの実行を請け負うことは、ブジュブラムにある50程度のリベリア人設立のNGOにとって、最大の収入源です。キャンプの状況をあまり理解していないUNHCRは、ふさわしいNGOをLRWCに推薦してもらっていました。この委託契約をもらえるNGOがいつも同じ顔ぶれなので、NGOはLRWCに賄賂を贈っていると難民たちは疑っていました。

著者はLRWCの会長に使途不明金と横領の噂について質問しましたが、会長は「LRWCの活動費用は、キャンプ支配人を通じてUNHCRとガーナ難民局に定期的に報告することになっています。こんな仕組みで横領などできるわけないでしょう」と言って、不機嫌に去っていったそうです。会長は金の時計とブレスレッド、新品のラップトップパソコン、最新型の携帯電話をいつも持っていたので、著者は「はて、会長も海外送金の受益者だったか」と皮肉を書いています。

一方、2005年頃から「腐敗した現体制を糾弾し、真のブジュブラムキャンプ代表を結成する」という大義名分の元、選挙で決めた15人のメンバーで設立された群代表者連合が活動していました。LRWCの腐敗構造とキャンプ住民の現体制に対する不信をしたためた文書を群代表者連合はガーナ難民局とUNHCRに送りましたが、黙殺されたようです。群代表者連合はその程度であきらめずに、草の根運動を続けて支持者を増やしていると、ガーナ政府は「キャンプ内での一切の政治活動は禁じられており、それを犯したものは厳しく処分する」と掲示板で通達するようになります。それでも群代表者連合は活動をやめなかったそうで、支持者の増加しつづけました。

そんな2008年2月、UNHCRの推進する「リベリア難民のガーナ定住計画案」にブジュブラム内の女性グループが抗議デモを行います。「先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬」で書いたように、キャンプの大多数の難民は先進国移住を希望して、ガーナ定住には反対しているのです。この抗議活動は1ヶ月以上続き、当初は数十人の参加者だったものの、そのうち200~300人に膨れ上がり、国内外のメディアの関心をひくまでになります。

ガーナ政府とUNHCRは女性たちの抗議デモを違法行為とみなし、すぐさま解散を命じました。LRWCもデモの中心となった女性たちと厳しく非難しました。一方、群代表者連合は女性デモ参加者への「絶対的な支援」を表明しました。

同時に群代表者連合は、「LRWCが難民の生活水準向上への努力を怠っているだけでなく、汚職にまみれており、既にキャンプ住人たちからの信用を失っている」と指摘します。LRWCメンバーの総退陣と、キャンプ内での民主選挙を再開する要求文書を、2008年3月、ガーナ政府、UNHCR、メディアに送りつけます。

これを境にデモの主導権は女性グループから群代表者連合に移り、目的が現体制からの政権奪取に様変わりします。デモを主催した女性リーダーたちは群代表者連合に猛反発しましたが、群代表者連合のキャンプ内での広範な影響力の前に、なすすべがありませんでした。

キャンプ支配人からの度重なる警告にもかかわらず、群代表者連合は扇動を続け、最終的にデモ参加者は700名ほどになりました。一線を越えたと判断したガーナ政府は、2008年3月末、数百人に及ぶ武装警官隊をブジュブラムに送り込み、デモ参加者を根こそぎ逮捕し、16人を国外追放にしました。これにより、群代表者連合は一気に弱体化します。

UNHCRは16人の国外追放を非難したものの、キャンプ内のデモについては「極めて遺憾」と批判的立場を崩さず、デモの背景について何ら調査を行いませんでした。

次の記事に続きます。