未来社会の道しるべ

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学位論文のための難民調査

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

著者はオックスフォード大学の博士課程の研究のため、ガーナのブジュブラムに来ていました。そのオックスフォード大学の大先輩にデビッド・タートンという人類学の先生がいて、次の言葉を残したそうです。

「難民や貧困層などの苦境にある人々に対する調査が正当化されるのは、その調査が、なんらかのかたちでこうした人々の苦境を和らげるのに貢献することが目的となっている時だけだ」

ジュディスという三十代半ばの難民がいました。リベリア大学を卒業した才女で、これまでブジュブラムに来た数多くの研究者のアシスタントを務めてきました。著者がインタビュー形式の質問をジュディスに始めようとすると、それまで黙っていたジュディスは遮りました。

「ちょっと待って。あなたの調査に参加すると、私たち難民にはどんなメリットがあるの?」

著者はそれまでにも難民たちから同様な質問を何度も受けていました。

「この調査結果をUNHCRやガーナ政府に報告していく。それによって、ブジュブラムキャンプ難民に対する支援の向上につながっていくと思う」

著者は毎度の「模範解答」をしましたが、その言葉が終わるか終わらないかのうつに、ジュディスが切りこんできました。

「あなた、本当にそんなことができると思っているの? あなたはただの学生でしょ。UNHCRやガーナ政府は一学生の研究結果なんかで難民への支援や政策を変えたりすることなんて、絶対にないのよ。あなたは嘘を言っているわ」

それは「全くもって正しかった」と著者は書いています。

「自分は今、学位をとるために研究論文を書いています、その調査に協力してくださいって、どうして正直に言わないのよ。これまで私は何度も海外から来た研究者や学生のために働いてきたけど、皆きれいごとばっかり言うの。私たちがそれに気づかないほど愚かだとでも思っているの?」

しばしの沈黙の後、著者は答えました。

「キミの言う通りだと思う。僕は確かに学位をとるためにやっている。そして僕にはUNHCRやガーナ政府の政策に直接影響を及ぼす力はない。ただそれでも、研究成果を彼らにプレゼンするということは嘘ではないし、援助機関やガーナ政府にキャンプ内の状況を分かってもらうために、できる限り努力はするつもりだ」

何とも歯切れの悪い言葉を返した著者に、彼女は助け舟を出しました。

「分かったわ。いい? あなたが学位をとって将来、本当に偉い先生になればいいのよ。そうすればUNHCRやガーナ政府だって、あなたの言葉に耳を傾けるようになるかもしれないわ。約束しなさい。あなたの調査に協力してあげるから、必ず調査を本にしなさい。私へのお礼は、この本はジュディスの協力なしでは書けなかった、とその本のなかに書くこと。いいわね、約束よ」

事実、この本の最初の言葉は「ジュディスとの約束を越えて」になっています。

これら二つの言葉のせいでしょう。「恵まれた難民たち」に書いたように、著者はあまりにリベリア難民寄りの意見だ、と私は感じました。

とはいえ、リベリア難民は強制帰国すべきだ、と軽く発言するUNHCRのアメリカ人スタッフに著者が激怒したのは共感します。

著者は調査中、「キャンプ内の困窮層の難民に対してはUNHCRらの援助が不可欠」と力説すると、このスタッフは「もうリベリア難民たちを世界にセールスしても無駄です。UNHCRも近いうちにガーナから撤退する予定だから」と言い放ち、何度も口論になっていました。

ある時、このスタッフが冷笑を浮かべて、停戦後も本国帰還を選択しない難民を批判し、「どうも彼らは、自分たちを取り巻く状況をよく把握できていないようです。困ったものです」と発言すると、著者は身内をバカにされたような気になり、強いトーンでこう言い返しました。

「難民にとって、本国帰還は口で言うほど簡単なものではありません。2万人の難民の状況は個々人によって大きく違います。なかには、まだ帰国後に命の危険のある難民もいます。彼らは自分たちを取り巻く状況のことは十分理解していますよ」

著者の予想外の反論に、このスタッフは「他人でしかない難民の話に、なにをそんなムキになっているんだ」と怪訝な顔をしました。

この話を著者が居候している難民キャンプ内の家の貸主に言うと、「でかした。その通りだ。お前も随分と『俺たち』に近づいてきたじゃないか」と大笑いされ、肩を叩かれたそうです。

2003年の停戦後にリベリア難民は本国帰還すべきと私も考えますが、先進国出身の恵まれた人が難民たちにあれこれ言う正当性はありません。