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コロナ自粛は先進国の高齢者の残り数年の命を延ばし、発展途上国弱者の命より価値ある尊厳を踏みにじった

コロナ禍により開業医の収入は激減しました。初期に「あのクリニックでコロナが出た」などの風評被害があったり、新型コロナを警戒して患者が受診を控えたりしたからです。病院も収入が減りましたが、補助金が出ましたし、そもそも勤務医の給与は患者の多寡に関係ありません。私の周りでも「冗談ではなく、収入が半減した。この辺りの開業医はどこもそうだよ」という噂はよく聞きました。

しかし、そういった開業医が本当に苦しんだかといえば、そうとも限りません。なぜなら、もともとの年収が2千万円だったりするからです。2千万が1千万の収入になったからとしても、借金に追われてもいなければ、あるいは借金に追われていても、困らなかったようです。コロナ禍では、多くのレジャー関連施設が「不要不急」とみなされ休みになり、ろくに遊べないので、浪費もできませんでした。

結論として、コロナ禍の日本で本当に困ったのは、金持ちの開業医どもではなく、シングルマザー家庭などの弱者になったのは周知の事実でしょう。収入減少額では開業医がシングルマザー家庭より比較にならないほど大きいでしょうが、収入以外でも多くの問題を抱える(だから社会的な同情も得られにくい)シングルマザー家庭の方が、物価高騰など、わずかなつまずきでも、悲惨な状況に追い込まれやすいからです。

古今東西、経済衰退が最も悪影響を及ぼすのは、その被害額によらず、社会的弱者になるようです。国内で考えてもそうですが、国外で考えても同じでしょう。先進国のコロナ自粛による経済衰退が、先進国ではそれほど悪影響を及ぼさなかったのに、発展途上国では戦争などの大問題を起こしている気がしてなりません。

なぜミャンマーで2021年の軍事クーデターが起きて、今後ミャンマーはどうなるのか」にも書いたように、ミャンマーでアウンサン・スーチー政権が軍事クーデターで倒された大きな原因の一つ(もしくは最大の原因)は、コロナ禍により経済不況だと私は考えています。それまでも軍部が政治的にはなんのメリットもないのにスーチー政権を認めていたのは、経済が発展していたからです。しかし、コロナ禍により、ミャンマー経済は高度成長から一気にマイナス成長に陥ってしまい、スーチー政権は軍部に倒されました。コロナ禍さえなければ、スウェーデンのように自粛さえしていなければ、現在もスーチー政権は存続して、ミャンマーの5千万の人たちの自由と平等は今より遥かに守られていたはずです。

今朝の朝日新聞で、パキスタンがアフガン難民を強制帰国させている記事がありました。1979年に旧ソ連アフガニスタンに侵攻してから、パキスタンには100万人以上のアフガン難民がいて、パキスタンも黙認していましたが、ここに来て急にアフガン難民を強制帰国させるようになった大きな要因は、やはりコロナ禍による景気低迷と書かれています。

現在も続いているウクライナ戦争やガザ地区の戦争も、コロナ禍による景気低迷は影響しているはずです。

先進国の人たちが発展途上国でテロすることはまずないのに、発展途上国の人たちが先進国でテロすることが多いのは偶然ではありません。テロを起こした張本人は「正義」や「宗教」を理由としてあげますが、本質的な理由は経済、お金にあることはよく知られています。

コロナ禍の自粛で、日本を含む多くの先進国の高齢者の命は救えたかもしれませんが、自粛が必然的にもたらした経済停滞により、多くの発展途上国の人たちの命、あるいは命より大事な尊厳が奪われたようです。

カンボジアPKOの最大の失敗」などの記事でも示したように、日本は事後検証をとことんしない国ですが、今回のコロナ禍でも、その伝統は維持されています。また大規模な感染症が起きた時、医療機関はどう対処すべきかについての議論はよくされていますが、事後検証がろくに行われていないので、価値の低い観念的な議論にしかなっていないように考えます。医療機関がどう対応するかではなく、社会全体の自粛をどうすべきかの議論がほとんどないのも不思議です。

今回のコロナ禍では、国民全員にかつてないほどの自粛を3年ほども要請し、経済を著しく停滞させ、莫大な税金が投入されたので、そこまですべきだったのかについての議論は間違いなくしなければなりません。

その場合に「日本人全体にとってよかったのか」だけでなく、「(日本の自粛は)世界人類にとってよかったのか」の観点も入れるべきだと考えます。

あと数年しかない命と、これから何十年も生きる命は同等ではないはずです。「これがないなら死んだ方がマシ」という尊厳だって、ほぼ全ての人にあるでしょう。「病気を治すためだけに生きている人なんていない」は、医療者の間でしばしば使われる格言です。

こんな当たり前のことさえ、「命より大切なものがあるのか」についての反論として、日本であまり言われていないように考えるので、あえてここに書いておきます。