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人類史上最悪の殺人犯は毛沢東である

毛沢東は世代が新しい人ほど悪いイメージが強いのではないでしょうか。タイトルは、最近のネットでよく見る言葉です。40代の私だと、最初に見た時は「スターリンの方が多いだろう」という感想をどうしても持ってしまいました。

第二次大戦中、戦後世代の日本人だと「人類史上最も多くの人を殺した人物は?」の答えに、ヒトラーが出てくるのではないでしょうか。ユダヤ人やロマ人や共産主義者や同性愛者や障害者など、数百万単位で虐殺した極悪人のイメージは、今でも世界中の全ての人が持っています。人類史上最悪の戦争である第二次大戦の主犯はヒトラーであり、この死傷者を全てヒトラーの責任と考えるなら、この答えでいいのかもしれません。

ただし、私のような冷戦後世代の日本人になると、大粛清で数百万人の虐殺を行い、第二次大戦中から戦後にかけて多大な悪影響を及ぼした極悪人として「人類史上最も多くの人を殺した人物は?」の答えに、スターリンを浮かべる人は多いのではないでしょうか。スターリンさえいなければ、第二次大戦で最多の死者を出した国民のロシア人は1000万人以上救われたでしょうし、毛沢東金日成や東欧の多くの独裁者も生まれなかった可能性が高いです。「20世紀に最も影響を与えた人物は誰か?」の答えは、スターリンだと私は20年以上考えています。上記のヒトラー世界恐慌や第二次大戦を終結させて国際連合を事実上設立したルーズベルトと比べても、スターリンの影響力は大きかったと確信します。ただし、「もし国共内戦で国民党が勝って、中国が50年早く経済発展していたら、20世紀後半は全く違ったものになっていた」ので、20世紀に最も影響を与えた人物は毛沢東の可能性があるかもしれない、と考えるようにもなりました。

21世紀世代の日本人が「人類史上最も多くの人を殺した人物は?」の答えとして毛沢東をあげる理由は、大躍進政策による数千万人の餓死者を含めているからです。「餓死と虐殺を同列に数えるのは違うのではないか?」と考えるのが、20世紀までは常識だったと思うので、やはり世代が上になるほど、毛沢東極悪人説に違和感があるのではないでしょうか。毛沢東を極悪人と考える説では、文化大革命でも2千万人虐殺説をとりがちです。この説も上の世代の日本人ほど反論したくなると推測します。

私もよく知らなかったのですが、毛沢東個人は日本の中国侵略(満州事変や日中戦争)をほとんど恨んでいなかったようです。いえ、もっと言えば、偶然とはいえ、毛沢東は日本軍により何度も窮地を救われているので、むしろ毛沢東は日本軍の中国侵略に感謝していた、との説が「毛沢東」(遠藤誉著、新潮新書)にあります。事実、毛沢東が生きていた時代、中国は日中戦争の謝罪を日本に求めていませんでした。一部の中国人により南京大虐殺を教科書に載せる運動もあったようですが、毛沢東が間接的に潰していたので、南京大虐殺について知らない中国人が多かった時代が何十年とあったようです。

国民党の蒋介石共産党との内戦に勝つため、第二次大戦直後、日本軍の侵略を許して、日本に協力を求めたことは有名な話です。しかし、第二次大戦中から、共産党毛沢東が国民党との内戦に勝つため、スパイを通じて日本に協力を求めていた事実はあまり知られていないのではないでしょうか。上記の本では、その事実を証明しています。

氷河期世代の私が、上記の本を読んで真っ先に思い出したのは、「世界史講義の実況中継」(青木裕司著、語学春秋社)です。現在の同書版には既になくなっているようですが、私が受験生だった時代、著者の青木は「私が世界史の先生をしている理由は、この長征の話をしたいからです」とまで言って、中国共産党の長征を詳しく語っていました。長征とは国民党軍の包囲戦を逃れた共産党軍が瑞金から延安まで1万2500㎞を徒歩で踏破したもので、今でも中国で神話化されています。この時の青木は、毛沢東に都合よく改変された長征の話が歴史的事実であると、まるで反日ドラマに洗脳された中国人のように信じてしまっていたようです。

長征の途中で毛沢東共産党の実権をついに握ってしまいました。長征の生き残りはほとんどおらず、その実態は文化大革命以上に分かっていません。ただし、国民党により共産党が殲滅寸前であったにもかかわらず、毛沢東共産党内の主導権争いをしていたことは間違いありません。毛沢東が第一に考えていたのは、国民党軍との戦いではなく、共産党理念の民衆への周知でもなく、まして日本との戦争でもなく、自身の権力基盤の確立であったようです。毛沢東はその前もその後も、かつての味方の大恩人であっても自分に都合が悪くなれば、あるいは自分に都合が悪くなると疑っただけで、直接的に、あるいは間接的に大量に殺しています。

日本で上の世代ほど毛沢東極悪人説が広まっていない理由は、国民党の蒋介石政権の腐敗は国共内戦当時から世界中に知られていましたが、共産党の腐敗は共産党の徹底した情報統制で当時はほとんど世間に知られていなかったからです。大躍進政策文化大革命は世界史上稀にみる悪政でしたが、やはり「竹のカーテン」に隠されて、その実態が世界で周知されるまでには何年もかかっています。毛沢東について「革命家にありがちなことだが、革命前には英雄でも、革命後の政治家としてはダメだった。ガンジーゲバラもそうだった」といった評価を私も一時期持っていましたが、「レーニン同様か、それ以上に革命前から極悪人だった」といった評価が妥当である、とさすがに今の私は考えています。

毛沢東」(遠藤誉著、新潮新書)には、井岡山の「富田事変」という日本ではあまり知られていない事件が紹介されています。昔の日本の歴史書では「井岡山の袁文才と王佐は匪賊であり、毛沢東共産主義革命を実現するため、彼らの部下たちに共産主義の理念を浸透させた後、袁文才と王佐を殺して、組織を乗っ取った」といった表現がありますが、大嘘です。現実には地域の民衆の支持は死後でさえ圧倒的に袁文才と王佐にありました。毛沢東共産党に入党していた袁文才と王佐にスパイの嫌疑をでっちあげ、それらの支持派も含めて1万人以上を虐殺したので、大規模な毛沢東派への反乱が勃発しました。その反乱が富田事変と呼ばれます。1931年の満州事変で日本という共通の敵ができなければ、この富田事変で毛沢東は滅んでいた、今の中国は共産主義国家でなかった、と「毛沢東」(遠藤誉著、新潮新書)は書いています。