未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

難民キャンプ内の助け合い

前回の記事の続きです。

「外圧にさらされる集団は、内部での結束力が高まるのが常だ」

「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)からの引用です。

難民キャンプが長期化すると、難民たちは受入国から帰国するように促されます。どの難民キャンプでも、多かれ少なかれ、周辺の現地住民たちとトラブルが生じるからです。

ガーナ内のリベリア難民キャンプのブジュブラムの例です。難民たちがレンガ造りの家の材料にするため、土地を掘り起こしていましたが、それは「土地を傷める」という理由で現地の首長(いわゆる族長)により禁じられていました。その事情を何度説明しても、難民たちは隠れて土地を掘り起こすので、揉め事になったそうです。さらに、前回の記事に書いたように、聖なる土地を難民たちのトイレにされたことで、現地の人たちは実力行使に出て、見つけた場合、男女問わず、袋叩きにしていました。

一方、2006年には、睡眠中の難民を鋭利な刃物で手当たり次第に突き刺す通り魔事件がブジュブラムで起こりました。難民たちはガーナ人の警察に訴えましたが、警察は口約束をしただけで、なにもしなかったので、難民たちは自警団を組織して、2週間後、犯人のガーナ人を捕まえます。しかし、ガーナ人のキャンプ支配人はその犯人を2日間牢屋に勾留しただけで、無罪放免とします。これを知った難民たちは激怒し、一部は暴徒化して、キャンプ支配人の事務所に押し寄せましたが、近隣のガーナ警察署からの警官隊の介入で鎮圧されています。

このようにガーナ政府に歓迎されていないブジュブラムの難民たちは困った時は自分たちでなんとかするしかありません。助け合いの精神が自然と生まれ、同じ難民が助けを求めてきたら、かりに自分の台所事情が苦しくても、本当に持っていない限り断ることはありません。断れば、次に自分が頼む時に断られるからです。

例えば、自身の子どもと友だちの子どもの面倒を見るペニーというシングルマザーと、その隣に住むジョアナの関係です。リベリアには、食事中に客人が来ると、一緒に食べようと食卓に招く習慣があります。ジョアナはその習慣を利用して、週に2,3回は必ず昼食時にペニーの家を訪ねて、ペニーの料理を食べていました。著者はその光景から、てっきりジョアナは貧しいと思っていましたが、ペニーによるとジョアナは金貸しで、相当に裕福だそうです。「呼んでもいないのに、しょっちゅう家に来るのよ。しかも、いつも昼食時を狙って」とペニーが憤慨していたので、「じゃあ、食事をシェアしなければいいのに」と著者が言いました。ペニーは言い辛そうに、「過去にジョアナにお金を用立てしてもらったことがある。いざという時にお金を貸してくれなくなると困るから」と答えたそうです。

他の例もあります。キャンプ内で結婚したものの、夫は4年前にノルウェーに移住してしまった30才のビクトリアです。非公式な結婚のため、2人の間に幼い子どもがいたものの、ビクトリアはノルウェーに移住できないでいました。夫から毎月100ドルの送金を受け取り、夫の幼馴染であるシングルマザーのエリカとエリカの子ども3人と同居し、エリカ一家もビクトリアが面倒を見ていました。エリカはカットフルーツを売り歩いて、わずかばかりの収入を得ていますが、ビクトリアの100ドルの送金収入と比べると、少ないようです。一方で、ビクトリアは娘と2人家族、エリカは子ども3人の4人家族で、エリカの方がどうしても支出は多くなります。著者が血縁関係のない知り合いをなぜ助けるのか聞くと、当初は「だって苦しんでいる人たちを放っておけないわ」と模範解答を返してきましたが、そのうちにビクトリアは次のような本音を語りました。「キャンプ内では送金の受益者が受け取ったお金を独り占めするのは正直難しい。周辺の住民は、みんな海外送金のことを知っているから。すごいプレッシャーがある。以前、エリカから『子どもたちの文房具を買いたいので、お金を貸してほしい』と頼まれたのだけど、その月は苦しいから断ったら、翌日から彼女は私のことを無視するの! それに彼女の子どもたちまで私の子どもを仲間外れにするようになったの。結局、私がお金を用立てる羽目になったわ」

もしエリカが夫の幼馴染ではなければ、このような仕打ちをしたエリカに「出ていけ」とビクトリアは言えたのかもしれません。しかし、エリカ4人家族との同居を指示したのは送金者の夫であったので、それは無理だったのでしょう。

このような助け合い精神、あるいは恵まれた者と恵まれない者の持ちつ持たれつの関係が息づいているブジュブラムですが、そのブジュブラムの助け合いグループに入れない者たちもいます。元兵士たちと売春婦たちのグループです。

元兵士たちは、GAPと呼ばれる地区に住んでいます。ブジュブラム内にGAPは三つあり、国連やガーナ政府が認めた公的機関であるLRWCの管理が全く及ばず、特定のメンバー以外は立入禁止です。著者は知り合いの介入で、なんとか「特定のメンバー」になり、GAPに何度も入ったようです。

他のキャンプ住民はGAPを無法地帯と呼んでいましたが、独自の秩序の存在に著者は気づきます。まず、リーダーには絶対服従です。また、メンバー同士での私闘の厳禁、GAP以外での酒とマリファナの禁止、警察に追われている時のGAP立入禁止の三つの掟があります。最後の掟は、ガーナ警察がGAPに踏み込んできたら、犯人に加えて、その場にいた全員がしょっぴかれるからです。リベリア内戦中にその残虐性で恐れられた元兵士たちも、ガーナでは警察に逆らえないようです。

GAPでは、メンバーの一人が食料品を調達してくると、他の連中と分け合う習慣がありました。マリファナとアルコールはその時点で金を持っている者が買い、その場にいるメンバーで回し飲みが基本です。小銭の貸し借りも頻繁に著者は目撃しました。

売春婦も、日本同様かそれ以上に、難民キャンプ内で厳しい視線が投げかけられているそうです。近隣住民から村八分にされた売春婦たちは、独自の助け合いグループを組織していました。売春婦たちはしばしばガーナの首都のアクラまでバスで2時間かけて出稼ぎに行き、1週間ほど現地に滞在します。その間、キャンプに残った売春婦たちは、他の売春婦たちの子どもの面倒も見る体制を作っていました。アクラに遠征した売春婦たちが帰ってくると、全員の収入を合計して、均等に分配します。次の遠征時は、アクラ遠征組とブジュブラム滞在組が入れ替わる、という仕組みです。他にも、メンバーの一人が病気になった場合には、食事を分け与え、商売の後に客が支払いをしないなどのトラブルが生じた場合、グループでその男の家に押しかけて抗議するなどの結束があります。

ガーナの難民キャンプで、このような経済的な助け合い組織が張り巡らされている事実は、私にとって意外でした。著者は必然のように書いていますが、私はそう考えません。

たとえば、2009~2010年の私の留学中、カナダに日本人同士のコミュニティはあったものの、このような経済的な助け合い組織に私が属したことはありませんし、存在したという話も聞いたことがありません。海外で金がなくなれば、日本人は帰国するだけでしょう。帰国する渡航費がなければ、日本の親戚に頼るはずです。

カナダ人をはじめ、他の西洋先進国の人たちが、ブジュブラムにあるような小規模経済助け合い組織を海外で立ち上げることも、想像できません。海外で経済的に困窮しても、自己責任で済まされるだけでしょう。

そういえば、「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやか著、春秋社)は香港のタンザニア人車ブローカーのルポですが、やはり経済助け合い組織が存在していました。アフリカでは、このような経済助け合い組織が普及しているのでしょうか。もしくは、ある一定の経済レベルに達するまでは、昔の日本がそうだったように、経済助け合い組織が普及しているものなのでしょうか。

少しでも参考になる例を知っている方がいたら、ぜひコメント欄に書いてください。

次の記事に続きます。