未来社会の道しるべ

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教育の効率を高める改革

「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)で、元三重大学学長でもある著者が再三主張していることは「国立大学の選択と集中は間違っている」です。

著者は三重大学学長の在職中に、この政策が発表された時、わざわざ緊急記者会見まで開いて批判しました。なぜなら、日本は欧米諸国や韓国と比べても、論文数が東大や京大などに一部大学に偏っており、それ以外の大学になると論文数が極端に少なく、既に「選択と集中」は行われているからです。この論文数の低下は研究力の低下、イノベーション力の低下に直結しており、イノベーション力の低下は経済の低下に直結しています。だから、大学の選択と集中は、国民全体にとって悪影響なので、やめるべきだ、という理屈です。

いくつものデータを根拠に「中位や下位の裾野があるからこそ、上位も伸びる」「研究者の配属先がなくなる」などの主張をしています。

結論から言えば、この主張に私は反対で、著者が何度も名指しで批判している冨山和彦の意見に賛同します。

冨山和彦は2014年の文科省有識者会議で、世界で通用する人材を育成する「G(グローバル)型大学」と、生産性向上に向けた働き手を育てる「L(ローカル)型大学」の二分化すべきと主張しました。

少子化のため、日本の大学はどんな学力の人でもほぼ入れるようになっています。よく言われるように、分数の計算ができない大学生に会うことも珍しくありません。こんな大学生に世界最先端の研究結果を理解できるわけがありませんし、時間と労力をかけて理解させるべきでもありません。それより、社会に出てから役に立つ勉強、実習をさせるべきです。

学力低下は錯覚である」(神永正博著、森北出版)によれば、どの時代でも、高校の内容を習得している者は30%程度で、それには及ばないが中学校の内容は習得している者が40%程度、中学校の内容すら習得していない者が30%程度います。私の実感としても、それくらいだと推測します。

この統計に従っていえば、それこそ30%くらいの生徒は中学から、40%くらいの生徒は高校から、職業に直結する授業や実習を受けさせていいと考えます。

大学進学率は全体の20%(現在は60%)くらいでいいでしょう。残りの10%は高校卒業後に職業に直結する各種専門学校で授業や実習を受けさせます。

修士まで進学するのは全体の10%(現在は7%)くらい、博士課程まで進学するのは3%(現在は1%)くらいで十分だと考えます。

こうなると、大学は当然、淘汰もしくは統合されるべきです。大学院は現在より拡張するものの、大学は国公立・私立問わず減らします。つまり、「大学の選択と集中」を進めます。

ここまで減らすと、大卒の価値は増します。

前回、日本は中小企業の研究費が国際的に低いので、中小企業の研究費を上げることが、GDPの増加につながると書きました。この中小企業の研究力を高めるため、どんな中小企業であっても、博士(または修士)の学位を持つ者を一定割合で研究職として役員採用しなければならない、というルールがあってもいいと考えます。もちろん、中小企業から大きな抵抗はあるでしょうが、別の観点からすれば、役職に見合う仕事のできる博士を生み出す社会的圧力になります。

なお、上記の職業に直結する授業や実習を行う学校(職業訓練校)は、英語、数学、国語、理科、社会などの科目を復習する授業も選択できるようにすべきと考えます。これらの科目の学習で、どのような職業に就くにしろ、社会人として有益となる基礎学力を養えるからです。

極端な話をすれば、どんな職業であれ訓練は必要なので、職業訓練校を卒業しないと、それぞれの職業になれない制度に変更してもいいかもしれません。

以上のような改革をすれば、「分数の足し算も分からない生徒に連立方程式の解き方を教える」「将来の職業にも関係ないし、自分も興味ない三角関数の勉強をする」など、非効率な教育は排除されていくはずです。