未来社会の道しるべ

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生涯未婚時代

「生涯未婚時代」(永田夏来著、イースト新書)はバブル時代から現在までの若者の結婚観の変遷について、IT化などの社会変化だけでなく、同時代の論文、解釈、新語、書籍、流行ドラマ、マンガなども含めて、幅広く考察しています。

私がこちらのブログで何度も主張している「女性が結婚相手へ求める要求、特に年収が現実離れしているため、未婚が増えている」ことは、永田夏来の師である山田昌弘が2008年に「婚活時代」(山田昌弘著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)で既に指摘していることでした。なお、山田昌弘は「パラサイトシングル」、「婚活」の新語を作り出した張本人です。「婚活時代」において、山田昌弘は男女とも共働きを覚悟し、女性は結婚相手に期待する経済水準を引き下げ、男性は経済水準以外の魅力を高める必要がある、と指摘しています。その上で結婚を意識して積極的に出会いを求めることが「婚活」という言葉の本来意味するところでした。しかし、山田昌弘自身認めているように、いつの間にか「婚活」の意味が「高収入の男性を女性が勝ち取る活動」になってしまいました。これでは「婚活」がいくら流行しても、結婚が増えるはずもありません。本質を突いた指摘です。

また、結婚率を上げるためには、男性の収入をあげるよりも、社会保障を充実させるべきだという説も、「日本式長時間労働は年功序列賃金制度により一般化した」で書いた私の案と同じです。

ただし、いくつか強く反論したい点もあります。たとえば、「女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する」で指摘した「ほとんどの女性は自分より収入の低い男性と結婚しない」はやはりほぼ無視されています。自分より収入の低い男性と結婚する女性は増えている、という統計があるようですが、これだけ働く女性が増えているので、当然です。働く女性の増加割合と比べたら、自分より収入の低い男性と結婚する女性がほとんど増えていない、という問題の根本は考えられていません。著者は意識的に考えていないのではなく、本当に問題だと認識できていないように感じます。

また、「家族はよいもの、と私たちは考えがちです」という言葉も、古臭すぎます。著者は1973年生まれで、1980年代に中高生だったので、ヤンキー全盛期です。両親に反抗するのがかっこいい、両親に頼っているなんて恥ずかしい、とみんな考えて、「家族はよいもの」という価値観なんてカケラもなかったはずです。それより少し後の私の世代でさえ、そうでした。「家族はよいもの」という価値観は全くなくなった時代の後に、再び「それでもこの国では家族に頼らざるを得ない」という価値観が少しずつ復活してきたと思うのですが、著者にとっては「家族はよいもの」という価値観は戦後一貫して続いているようです。日本のエリート社会では、そうだったのでしょうか。

また、最も違和感があるのは次の言葉です。

「『結婚しないという選択肢もある』が真であることは、社会学では論じ尽くされていて、自明なものであると感じる」

「結婚しないという選択肢もある」が無条件で認められていれば、では少子化も認めるのでしょうか。しかし、その社会的負担がほとんど考察されていません。むしろ、かわいそうな生涯未婚者を救うために、社会保障を充実させるべきだ、と主張しているようです。私の「未婚税と少子税と子ども補助金」と全く逆の主張です。

『地方創生大全』でも地方創生はできません」でも書いたとおり、少子化は現在の日本の経済停滞、経済衰退の最大の原因です。だから、たとえ私のように子ども嫌いでも、子育てには莫大な労力と費用がかかろうとも、子育ては義務なのです。子どもがいなければ、社会は成り立ちません。現状のように、子どものいない世帯が、子どものいる世帯よりも、税引き後の可処分所得が大きい不公平は、即刻やめるべきです。最低でもその逆、子どもがいない一般世帯は、子どもがいる一般世帯よりも、明らかに可処分所得が小さくなるように、税金を設定すべきだと思います。

繰り返しますが、第二次ベビーブーマー以降の世代は「家族はよいもの」「子どもはよいもの」との価値観は持っていません。少なくとも私は全く持っていません。そんな人でも、子どもは育てています。当たり前ですが、ある世代の子どもが本当にいなくなれば、その世代が亡くなる前に、医療も介護も食事も移動も、あらゆる社会活動が成り立たなくなるからです。

もし健康であるのに、生涯未婚であることが文句なしで認められたいのなら、その未婚者は医療費や介護保険を全額自己負担にさせられるくらいの覚悟は、最低限、持つべきでしょう。