未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

感染症は栄養摂取と休養が最適の療法である

上のタイトルは特に呼吸器感染症にあてはまります。日本の外来患者のかなりの割合を占める上気道炎(風邪や扁桃炎)、インフルエンザ、肺炎(特に非定型肺炎)は薬なしで治ります。これらの病気で、わざわざ寒い中クリニックまで来る必要はないし、大して効きもしない薬をもらう必要もありません。それより家で栄養のある食事を摂って、休養している方が病気を早く治せます。これは世界中の医者が知っていることです。しかし、日本中の医者、特に開業医がその医学知識と反対の処方を実践しています。そのため、インフルエンザの時は病院に行かなければいかない、と勘違いしている日本人が私の想像していた10倍以上います。私は医療職に従事するまで、熱や鼻水や咳とのどの痛みといった症状で、病院やクリニックに来る日本人がこんなにいるとは知りませんでした。

よほど生活に困る症状が1週間以上続いたりしないかぎり、私は医者にかかったりはしません。この20年間でいえば、のどの痛みが2週間以上続いた2回しか、呼吸器感染症ではクリニックに行っていません。それも結局、風邪と診断されましたが、風邪の特効薬はないはずなのに、なぜか4剤も処方され、そのうちの一つは抗生剤でした。薬局で薬の効能を聞いて、私には意味がないと判断したため、1剤も受け取らずに帰りました。案の定、それから1週間もしないうちにのどの痛みは治まりました。なお、この長期間の咽頭痛は、私の持病となり、その後も2年に1度は同じような症状が出ますが、2回目に試しに受け取った抗生剤もその他の薬も全く効かず、唯一のどの痛みを抑えたのは市販ののど飴です。だから、同じ症状が出ても、3回目以降はクリニックには行っていません。それよりも栄養摂取をこころがけています。確かに、よく栄養を取っていると(よく食べると)、治りが早いです。

私は医療従事者なので、ただの風邪やインフルエンザでクリニックに来るメリットがないことを知っています。インフルエンザ薬のタミフルはウイルスを殺す薬ではなく、ウイルスの増殖を抑える効果しかないので、インフルエンザが陽性と出る頃には、既に体中にウイルスが回っているため、あまり効果がないことも知っています。世界の50分の1以下の人口の日本人が、世界中のタミフルの7割を使用していることも知っています。インフルエンザ症状が出たと思ったら、わざわざインフルエンザか風邪かを確かめず、どちらにしても他人に感染させるので、学校や仕事を休めばいいだけです。インフルエンザと確定したら、学校や仕事に行くべきでないと分かるので、インフルエンザの検査(鼻に綿棒を突っ込むので気持ち悪いですが)をしたい気持ちまでは、まだ分かります。しかし、上のように効果が疑問視されて、副作用もあるタミフルリレンザを使用したがる気持ちまでは、よく分かりません。

だから、ただの風邪で、薬をもらいたがる気持ちはもっと理解できません。風邪ウイルスを退治する薬はなく、出される薬は全て風邪症状を抑える薬です。また、風邪の症状のうち、鼻水を止める薬、のどの痛みを止める薬は、まだ存在しません。厳密には存在していますが、それらは全て偽薬と比べて効果が示されていない薬か、副作用が強すぎる薬です。もちろん、そんな薬で副作用が出ないで効く体質の人たちもいますが、そう理想的に効く確率は高くありません。それに、風邪にかかったとき、鼻水は止めてはいけません。鼻紙などに出すべきです。

いわゆる総合感冒薬(PLやPA)は、効果よりも副作用が強く出ます。いろんな薬の混合剤だからです。これをただの風邪で簡単に処方している医者は怪しいと思って間違いありません。しかし、そんな医者が日本の開業医には少なくないと、医療従事者になって知りました。

私の周りの良心的な医者の多くから「開業医こそ日本医療の最大の無駄」という意見を何度も聞いてきましたが、私にもその意味がようやく分かってきました。「3時間待ちの3分診療は問題なのか 」で書いたように、短時間診療にも意義はあると考えますが、「薬を出す意味がないことは知っているが、薬なしだと納得してくれないし、安価な薬だから処方している」、「ウイルス感染に抗菌薬が効かないのは百も承知だが、細菌感染の可能性はゼロでないし、患者さんが希望するから抗菌薬を出す」のは明らかに異常で、私の知る限り、日本以外の国ではありません。たとえ患者さんの希望に沿わなかったとしても、正しい情報を伝えることが、専門職である医師の役割であり、存在意義のはずです。

少子化原因の分析

「女は別れた男のことをすぐ忘れるが、男は別れた女のことをいつまでも忘れない」

女は切り替えが早いのに男は未練たらしい、という批判的な意味で言われることが多いように思います。それとほぼ同じ意味で使われる「女は過去の男を上書き保存、男は過去の女をフォルダ保存」もよく聞きます。この仮説は私のこれまでの人生経験とも合致しています。

私には理解しづらいことですが、40才前後になって、もう理想的な結婚が難しい状態になっていても、(少なくとも私の周囲にいた)女性はほぼ全員、恋愛について後悔していません。このような恋愛観を持てる女性は、どこまで恵まれているのでしょうか。ふったことはあっても、ふられたことはないのでしょうか。中年以上の女性は非正規の仕事くらいしかないことを知らないのでしょうか。十分な挑戦も決断もしなかったのに、結婚できないのは自分のせいでなく、「タイミングが悪かった」と運のせいにしている女性があまりに多いです。

当たり前ですが、恋愛について後悔しない女性は、男性への要求が高くなります。社会的ステータスの高い男性がアプローチしてきて、女性がそれを受け入れないうちに、その男性が他の女性と結婚したのに、自分がふられたとは思っておらず、その男の学歴や職歴を自慢話のように語る30代女に会ったことがあります。「あのとき是が非でも受け入れておくべきだった」と後悔していないので、彼と同等か彼以上の男性でないと、彼女は結婚に応じないでしょう。しかし、時間経過に従って、女性の価値が下がることはあっても、上がることは通常ありません。一度アプローチしてきた男性以上の男性が現れる可能性は低いでしょう。それにもかかわらず、多くの女性は恋愛について後悔も反省もしません。

そういった女性たちに結婚願望がないわけではありません。強い人も多くいます。しかし、男性への要望が高すぎて、それに見合う男性なんてまずいない、あるいは、それに見合う男性は自分など相手にしない、そんなことに気づいていません。さすがに40才前後になるとそれに気づきますが、それでも男性への要望を十分に下げません。下げるくらいなら、結婚しないことを選択します。たとえ結婚しなくても、さらに非正規雇用で低収入でも、「オリーブの罠にみる日本女性の美意識と少子化原因」に書いたように、女友だちさえいれば、(助けてくれる親戚がいるうちは)大きな不満のない人生が送れる時代に日本は既になっています。このような傾向が未婚化と少子化の原因になっていると思います。

これを解決するためには、「昔のように独身女性が生きづらい社会にする」「男性が女性の要望に見合うように努力する」「女性の高すぎる要望を早めに下げる」などがあるでしょう。「昔のように独身女性が生きづらい社会にする」ことは現実的でも、理想的でもありません。「男性が女性の要望に見合うように努力する」ことは、上記のような理由がある以上、どんなに努力しても相対的に不人気の男性が結婚できない状況は変わらないので、これだけで結婚率が上昇するとは思えません。「女性の高すぎる要望を早めに下げる」ことが最も理想的だと思います。そのためには「妙齢の女性は男性への要望が高い」ことを自覚させるべきでしょう。

「仕事と家族」(筒井淳也著、中公新書)に少子化の原因(≒未婚化の原因)として、「女性の男性への要望が高いこと」をあげています。それをもっと周知すべきだと考えます。

日本の少子化を移民で解決しても世界規模での少子化は止められない

「限界国家」(毛受敏浩著、朝日新書)という本があります。移民なしで人口減少を食い止められるほどの少子化対策を成功させた先進国は存在しないので、日本は移民をもっと受け入れるべきだ、という主張です。移民の積極的な推進は私も同意しますが、この解決策は視野が狭いとも思います。

東京は日本の都道府県で最も出生率が低いのですが、いまだに東京の人口が増加しているのは、他の県から人口が流入しているからです。上の移民策は、日本で起こっている人口減少を世界規模で解決させようとしているだけです。出生率の低下は世界中の発展途上国で起こっていることであり、これでは根本的な解決策になりません。課題先進国と言われる日本なら、100年先の未来まで見通して(人口問題はそれくらいの期間で考えるべきです)、世界規模での根本的な解決策も実践すべきです。だからこそ、「未婚税と少子税と子ども補助金」を私は提案しています。

自分たちの子孫に明るい未来を約束することは生物として大切な務めであり、それに社会的責任(税金)を課すのは人権の侵害でないはずです。日本(大げさにいえば人類)の衰退が手遅れになる前に、多くの(日本)人がそのことに気づき、未婚罪と少子税と子ども補助金を実現させるべきです。最初は批判を浴びるでしょうが、日本人消滅まで本気で心配された少子化問題がこれで解決に向かえば、未来には世界中で現実的で必要な政策と認識されると確信します。

未婚税と少子税と子ども補助金

こちらのブログで何度も紹介している「仕事と家族」(筒井淳也著、中公新書)は少子化問題の本質を捉えた本だと思います。少子化問題の解決のためには、女性の就業率を上げるべきで、そのためには日本における勤務地や時間が無制限の労働は改めるべきと主張しています。また、日本では家事労働にかける時間が長すぎる、もっと簡略化しないと女性であれ男性であれ仕事と家事を両立できない、と仕事だけでなく家事にも注目しています。

労働環境の改善や、家事労働の簡素化で、女性の就業率と出生率を上昇させる案は私も賛成です。ただし、同書で成功例としてあげているスウェーデンでも、合計特殊出生率は10年くらいかけて0.5上昇させて、ようやく2前後になった後、再度1.5くらいまで減少したりしています。周知の通り、現在、日本の若年人口は右肩下がりなので、たとえ来年奇跡的に合計特殊出生率が2になって、その2を長年維持できたとしても、人口減少は私が死ぬくらいまでは止まりません。もちろん、労働環境の改善、家事労働の簡素化をスウェーデン並みにするまでに10年単位の時間がかかりますし、日本の合計特殊出生率を2で安定させるまでにもさらに多くの時間がかかりますし、まして日本経済の斜陽傾向を反転させるほど少子化が解決するとなると、上記の改革案程度では100年先の話になるでしょう。その前に日本の国債がデフォルトになって、それどころではなくなっている可能性も十分あります。上記の本の視点は素晴らしいと感じますが、その解決策だけで有効とは思えません。

だから、人口減少を補うため移民の導入という案が出てくるのでしょう。それも重要な解決策ですが、ここでは別の視点からの解決策を提示します。

未婚税の導入です。未婚税はその名の通り、たとえば30才以上の未婚であれば、男女全員に課せられます。最低でも所得の10%は現在の税金に上乗せしてほしいです。35才になれば未婚税が15%、40才になれば20%と高くなります。

形だけ結婚して子どもを作らず、未婚税を逃れる若者たちが出てきては意味がないので、少子税の導入も提案します。生殖や遺伝機能に問題のない男女で、妻が30才になり、かつ、結婚して2年経過したのに、妻が一度も妊娠していなければ少子税が課されます。少子税は、たとえば、結婚2年後から家庭所得の20%が課されて、結婚後7年後から25%、結婚後12年後から30%と高くなります。

一方で、子どものいる家庭への税金優遇策も提案します。子どもが2人以上いたら、少子税はかかりません。3人以上からは補助金が出て、4人以上になると夫婦の一方が働かなくても中流以上の生活ができるほどの補助金を出して、10人いたら夫婦二人が一生働かなくてもいいほどの補助金を出し、年金を保証します。

未婚税と少子税と子ども補助金は最も簡単に浮かぶ少子化対策だと私には思えるのですが、現在の日本でほとんど論じられていないので、ここに書きました。妻が30才以上になると少子税が課せられる点など、人権侵害との批判は必ず出てくるでしょうが、この案は劇的に効果を生む可能性がある上、税率を変えることで程度が調整できるので、妥当な解決策だと私は考えます。反対する人は有効で現実的な対案を出してほしいです。

次の記事に、移民策では少子化の根本的な解決策にならないことを示します。

結婚制度が社会に必要な理由

結婚があらゆる社会に存在している一番の理由は子どもでしょう。母だけでなく父にも子育ての責任を持たせるため、結婚制度は必要だったのだと思います。

二番目の理由は、無駄な恋愛を諦めさせるためでしょう。自由経済では富が一部に集中してしまうのが必然なように、自由恋愛では人気が一部に集中するのは必然です。ここで結婚(一生固定する男女関係)が社会的に約束されれば、どんなに好きだろうと諦めて、他の異性を探すよう促進できます。だから、異性からの好意を集める人(特に女性)が結婚を先延ばしにするのは社会道徳に反する、と私は考えます。これが社会通念になっていないことが、私には不思議です。

三番目の理由は、一番目と二番目の理由と関連しますが、(特に男性の)浮気を防ぐためでしょう。浮気が蔓延すれば、子どもの父親と子育ての責任が不確かになり、罪のない子どもに不利益が生じるかもしれません。生物的理由から、男性は女性からの誘いにすぐに乗ってしまいますが、結婚後の浮気が違法となれば、抑制できます。言うまでもなく、浮気が道徳に反することは社会通念になっています。

オリンピックは莫大な税金がかかるものでも、返上不可能なものでもない

2024年と2028年のオリンピック開催都市が同時に決まる異常事態になったのは、開催される前から大赤字が決まっている東京オリンピックの失敗が影響したのは間違いないでしょう。名乗りを上げた都市がオリンピックの莫大な費用に愛想を尽かして撤退し、五輪開催地不在の危険性まで出てきたのは今回が始めてではありません。「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)にあるように、1984年のオリンピックも立候補した都市がロサンゼルス一つで、そこでさえ「市の税金投入を禁じる」というロサンゼルス市憲章まで作られたほどです。さらにいえば、1976年のデンバー冬季オリンピックのように、開催決定後に住民投票のため返上されたケースもあります。東京も、あるいは日本人も、オリンピックに名前負けせずに、返上する勇気を持ってほしいものです。

「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)で何度も記述されていることですが、「商業主義」の始まりとされる1984年のロサンゼルス大会が大幅な黒字になったのは費用を節約したからです。収入では、その前の1980年モスクワ大会の方が1.5倍も多いのです。また、歴史を調べれば、オリンピックに商業主義が入ってきたのは1960年のローマ大会からで、1972年のミュンヘンオリンピックは初の商業化オリンピックと断定できるほど変わっていたことが分かります。

1984年のロサンゼルス大会で画期的だったのは、むしろ完全民営化五輪だったことです。住民投票によって「ロサンゼルス市はオリンピックの赤字保証をしないし、運営資金としての税金投入も禁じる」という市憲章修正条項が可決されたのです。だから、スポーツ連盟からの贅沢な宿泊施設を用意する要求、高価すぎる交通手段を準備する要求をことごとくはねつけました。交渉により、ギリギリまで値切ったのです。警官の人件費でさえ市は出してくれなかったので、観光客に課したホテルと五輪入場券の税金37億円によって賄われ、それでも足りない分の23億円まで市との交渉により16億円まで値切っています。この決着は、選手村を開けるわずか1週間前だったそうです。「経費の支出を適正なものにするには、こうした粘り強い態度が必要だった」と上記の本は主張しています。

努力の甲斐あり、オリンピック支出は、1976年モントリオール大会が約14億ドル、1980年モスクワ大会が約13億ドルに対して、1984年ロス大会が約5億ドルです。繰り返しますが、ロス大会が大幅黒字になったのは収入増ではなく、支出減が原因です。

なお、1984年オリンピック開催都市に名乗りをあげた都市がロス一つだった原因は、1976年モントリオール大会の失敗にあります。モントリオールは五輪開催時にカナダ最大の都市でしたが、開催後に五輪の莫大な赤字返済に30年間も苦しみ、現在は人口でも経済規模でもトロントに負けています。もちろん、モントリオール凋落の最大の原因は、ケベック州のフランス系優遇政策にありますが、五輪の赤字が凋落を加速させた側面もあります。

なぜ東京オリンピックはロンドンと同じ失敗をしているのか

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(参考)

ロンドン大会の立候補ファイルと実際の経費を比較すると、「組織委」は3,000億円から6,000億円、「開催都市・国等」は5,000億円(ソフト経費はゼロ)から1兆5,000億円(ソフト経費は7,700億円)、「合計」は8,000億円から2兆1,000億円となっている。

なお、「組織委」の実際の経費6,000億円には、政府から注入された公的資金2,000億円を含む。

(1£=180JPY:2004年~2012年の平均)

 

東京オリンピックの公式サイト(https://tokyo2020.jp/jp/games/budgets/)からの引用です。税金の無駄批判をかわすため、「ロンドン大会よりはマシ」という数値をわざわざ載せています。

これを見て気になるのは、ロンドン大会にしろ東京大会にしろ、ソフト経費が当初の予定より遥かにかかっていることです。東京大会の予算を見ると、恒久施設3500億円、仮設等2800億円、エネルギーインフラ500億円のハード部門合計6800億円に対して、輸送1400億円、セキュリティ1600億円、テクノロジー1000億円、オペレーション1000億円、管理・広報900億円、マーケティング900億円、その他1400億円とソフト部門合計8200億円もかかっています。たった17日間のオリンピック、13日間のパラリンピックで、なぜこんなにソフト費用がかかるのでしょうか。

気になったので、2020年東京大会決定前に出版された「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)で、過去のオリンピック収支を調べてみました。

1984年のロサンゼルス大会では54億円程度しか警備費がかかっていないようです(うち38億円は観光客からの支払)。それも含めた総支出は1339億円です。1996年のアトランタ大会では会場建設費573億円を含めた総支出は1996億円です。2000年のシドニー大会では、競技施設が税金で建設されて予算外になっているので、それを除いた総支出だと1108億円になります。ハード費用(競技施設建設費用)を除けば、ロサンゼルス大会、アトランタ大会、シドニー大会は、東京大会のセキュリティ費用の1600億円だけでも開催できていました。2012年ロンドン大会までに、どうしてオリンピックのソフト費用がここまで高騰したのでしょうか。どう考えても、物価や為替の影響だけではありません。一体、なににどれくらい金を使うようになったのでしょうか。また、ロンドン大会で莫大なソフト費用が予定外にかかっていたのに、どうして東京大会の当初の予算ではその費用が入っていなかったのでしょうか。

私はその答えを知りたかったのですが、調べきれませんでした。もし知っている方がいたら、下のコメント欄に情報源も含めて書いてくれると助かります。

ところで、「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)を読めば、オリンピックは莫大な費用がかかるものでもなく、赤字で運営するものでもないことが分かります。その本を元にした記事を次に書きます。

子ども集団生活施設

日本が新福祉国家に生まれ変わる時、ぜひとも創設してほしい公的機関が、子ども避難所です。避難所といっても、家族の誰かが身体的・精神的暴力を振るっているときだけ、子どもを保護する施設ではありません。親とケンカして家を飛び出し帰りづらいといった時でも利用できる施設です。名称は「子ども集団生活施設」といったものでよく、通常、3才程度の年齢層別(小学校低学年生の施設、中学生の施設など)で子どもを収容します。

子どもがなんらかの理由で家を出たいと思ったら、以前の記事に書いた「家庭支援相談員」にまず相談し、家庭支援相談員が適切に判断して、子どもを施設に入れます。このとき、家庭支援相談員は子どもの家族ではなく、相談してきた子どもを第一に考えます。家を飛び出すことが子どもにとって有害と思える根拠がなければ、子どもが家を出たい理由をうまく説明できなくても、あるいは全く説明しなかったとしても、原則、子ども集団生活施設に入れるように手配します。親や兄弟と性格が合わないといった理由でも、子どもは大学を卒業するまで、あるいは成人するまで何年でも施設で生活できます。施設の管理人は、十分な教育を受けた国家資格保持者になります。子ども集団生活施設は、どんな子どもでも365日自由に身一つで入居できるように、子どもが施設に来るまでの交通費は公費負担とします。

なお、子ども集団生活施設は子どもを甘やかす施設ではありません。掃除は当番制で、風呂とトイレは共用です。食事も学校給食程度の予算で運営されます。しばしば炊事、洗濯などの家事も当番制で、寝る部屋も一緒になります。原則、服もジャージと防寒具程度しか支給されません。それ以上のものを要求するなら、年齢によって異なる定額の小遣いから買わなければなりません。掃除当番をさぼったり、勉強部屋で雑談したり、ケンカしたり、その他のルール違反を起こしたら、子どもはすぐに施設退去となります。

そのような窮屈な施設に入りたがる子どもなどまずいない、と思う人は恵まれた子ども時代を送った人でしょう。私なら両親のいる家より、上のような集団生活施設で子ども時代の全ての時間、生活したかったです。もっと言えば、今でも、上のような集団生活施設で暮らしても構いません。当たり前ですが、集団で生活すれば、費用が節約できますし、エネルギー消費も抑えられます。私は長年一人暮らしをしていますが、私一人のために浴槽や洗濯機や台所があるのはもったいない、多くの人で共用すればいい、といつも思っています。

なお、上記の施設は私の理想です。現実にそんな程度で退去させていたら、子ども集団生活施設の平均在所日数は3日未満になってしまうでしょう。だから、それぞれの施設で特性を持たせるべきです。「ルール違反をしても退去にならないが、厳しく叱られたり、罰を課されたりする施設」、「用意している服に予算をかけている施設」、「クリスマスや正月などのイベントを盛大に祝う施設」、「掃除に力を入れる施設」、「全ての年代の子どもを入所させる施設」などです。家庭支援相談員は、相談してきた子どもの個性に合わせた入所施設を選ばなければいけません。

子ども集団生活施設の定員は、子ども10人に1~2.5人くらい必要と推測します。私のように、子ども時代の全てを親元でなく集団生活施設で暮らしたい、と切望している人だけでも、100人中5~10人はいるのではないでしょうか。さらに、一時的に暮らしたいと考える子どもを受け入れるための部屋をいつも余分に用意しておきます。もし未成年の子どもが2000万人いたとしたら、子ども集団生活施設の定員は200万人~500万人あることになります。その運営費用は、施設に収容されている子どもたちの保護者たちから徴収する費用と公費で分担します。

人口減少で不要になった家や部屋をリフォームすれば、施設新設の初期費用は節約できます。それ以外にも費用はかかるでしょうが、全ての子どもに自由と平等などの基本的人権を保証するための値段としては、安いものだと考えます。

子どもが生まれる家庭を選べないのに、家庭の影響を強く受けて成長していくことは、誰もが知っていることです。この人生最大ともいえる不公平を少しでも是正するため、ここで提案したような施設は創設すべきです。

家庭支援相談員の仕事内容の具体例

例1

中学生の子どもの夜遊びに悩む親が家庭支援相談員に相談した。家庭支援相談員が家庭支援相談センターに戻って上司に報告し、上司は同様の悩みを持つ親が同じ地区に複数いることを突き止める。上司が中学のスクールカウンセラーに連絡したところ、学校の不良仲間が集まって夜遊びしていると分かる。家庭支援相談員が対象者の親全員と協議させ、親たちが毎日交代で夜回りをすることで、警察沙汰になる前に、子どもたちの夜遊びを止めさせた。

例2

家庭支援相談員が担当する50程度の家庭に、結婚希望があるのに未婚の女性と男性が何名もいた。家庭支援相談員がそれぞれの希望を聞いて、お見合いを斡旋し、適切な助言を行うことで、その多くを結婚させた。また、他の家庭支援相談員とも未婚男女の情報を共有し、お見合いを設定し、双方に客観的な助言を伝えたことで、その地域全体での結婚率を大幅に上昇させることに成功した。

例3

家庭支援相談員が一人暮らしの高齢者の家に訪問したところ、本人の認知症が重度に進んでいると言って、ヘルパーが本人の近況を詳しく教えてくれた。いくら毎日掃除に来ているからといって本人に代わってヘルパーが答えるのはおかしいと思った家庭支援相談員が調査したところ、当のヘルパーが高齢者と結婚していると判明した。財産目的の結婚であることは明らかだったので、「適切な機関」に相談して、結婚を無効にさせた。(金持ちの高齢者が溢れる日本で、ヘルパーなどが財産目当てで結婚する事件はよく聞きます。しかし、私の知る限り、現在「適切な機関」は存在せず、この社会道徳的に好ましくない事件がほぼ野放しになっています)

家庭支援相談員の調査の有用性

前回の記事に書いたように、家庭支援相談員は1年に1回以上、日本の全家庭を訪問して、各構成員に家庭に問題ないかを聞き取り調査します。そんな制度を発足させたら、莫大な税金がかかってしまうのは事実です。

かりに一人の家庭支援相談員あたり平均50家庭を担当するとしましょう。現在の日本の世帯人数の平均は2.47人です(2017年厚生労働省)。50家庭だとしたら、123.5人を担当することになります。日本の人口は1億2676万人なので(2017年総務省)、全ての家庭を網羅するために、約100万人の家庭支援相談員を公費で雇う計算です。1人あたりの人件費を平均500万円としたら、それだけで5兆円の税金が毎年新たに必要になります。決して安い費用ではありませんが、家庭支援相談員を適切に運営できれば、それくらいの価値は生みだせる、と私は確信しています。

もちろん、完璧な家庭など存在しないので、あらゆる家庭には問題があります。家庭支援相談員がそれら全てに対処し、解決するのは不可能です。たとえば、国家の過干渉を防ぐためにも、「認知症の義母が嫁の財布から1000円盗んだ」といった軽犯罪まで家庭支援相談員が警察などの機関に伝えるのは適切でないでしょう。どこまで、どのように支援すべきかについては、いろいろな条件によって変わってきます。ただし、一人一人の不満を調査記録して、適切に相談に乗ることは、家庭支援相談員の最低限の仕事とすべきと考えます。

たとえば、浮気について調査して、解決まで全て支援していたら、家庭支援相談員は何人いても足りないかもしれません。しかし、統計をとってみたら、予想外に日本全体の浮気の総数は少なく、家庭調査員だけで解決まで導いた方が夫婦関係を円満にできてよかった、という結果になるかもしれません。

また、家庭内にいるギャンブル依存症者の相談があったとします。「あなたが力づくで止めればいいでしょう」と家庭支援相談員が説教しただけで、なんの協力もせずに終わりました。しかし、全国で統計をとってみると、その被害人数と被害総額は想像以上で、ギャンブル依存症相談員を特別に配置してでも解決するべきと判明して、新しいギャンブル対策機関ができた、ということになるかもしれません。

なんにしろ、実態を調査して統計的に把握することが重要です。どの問題がどれくらいあって、どれくらい深刻かが分かれば、対策が立てられます。逆にいえば、それが分からなければ、対策や効果を論じても、空転するだけでしょう。まずは、実態調査するために、一部の地域だけでもいいので、家庭支援相談員の創設を提案します。

家庭支援相談員

私の提案する新福祉国家で「一人の取りこぼしもない社会」実現のため特に提唱したいのは、家庭支援相談員の創設です。

家庭支援相談員は、日本中全ての家庭に訪問し、実態調査を行います。3世帯家族であっても、一人暮らしであっても、1年に1回以上訪問して、家庭で何か問題がないか聞き取り調査します。原則として、各家庭にいる全員が一人ずつ、家庭支援相談員の調査に答えます。なんらかの事情で、被調査者が家庭現場で悩みを正直に相談できない場合、担当の家庭支援相談員に連絡をとって、別の適切な場所で相談に乗ってもらうことができます。家庭支援相談員が小児虐待や家庭内暴力高齢者虐待を発見したりしたら、警察や適切な機関(児童相談所や配偶者暴力相談支援センターや地域包括支援センター)に連絡します。また、被支援者が生活保護を受けられるのに拒否されていたり、その他の社会保障を受けられる権利があるのに知らなかったりしたら、適切な援助が受けられるように手配します。当然ながら、家庭支援相談員には守秘義務が課されて、得られた情報は正当な目的以外で利用されることはありません。

このように提案すると、家庭という私的な聖域まで国家が干渉すべきでない、と考える人もいるでしょう。確かに、公的機関による家庭への過干渉は抑制されるべきです。ただし、私が上のような制度を提案している理由は、公的な場だと明らかに人権侵害事件なのに、家庭では許容されている事件の被害者を救うことです。特に、家庭での影響を甚大に受ける無力な子どもを救うことが目的です。ある程度教育に携わったことのある人なら、幼稚保育と小学校と中学校と高等学校と大学の全てを合わせた教育の影響よりも、家庭での教育の影響が大きいことは、実感しているはずです。

世の中には育った家庭のせいで、死ぬまで不幸な人生を送っている人が何名もいます。そんな人たちを救う制度は、現在ないか、著しく未整備です。「聖域」や「プライベート」や「自己責任」や「家族愛」といったお題目の下、少なくない家庭では基本的人権が無視されています。

家庭支援相談員のような制度がいまだ存在しないこと、さらには、そのような制度が必要という主張さえないこと自体が、私にとっては意外です。それくらい世の中は恵まれた家庭で育った人たちによって動いているのかもしれません。家庭支援相談員を切望している、あるいは切望していた社会的弱者たちは日本だけでも何百万人もいるはずです。しかし、その人たちの社会改革を訴える声は全く聞こえてきません。だから、ここで私が主張しています。

なお、家庭支援相談員制度に莫大な税金がかかるのは間違いありません。費用の問題点や、どこまで調査して、どのように支援すべきなのかについて、漠然とですが、これから二つの記事で述べておきます。

女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する

女性就業率の上昇を止めることが現実的でも、理想的でもないことは誰もが知っているでしょう。だから、女性就業率上昇が問題になるのは、次のような事実がある時です。

「ほとんどの女性は自分より収入の低い男性と結婚しない」

高収入の女性が増えたのに、それでも女性が自分より収入の高い男性を求めているなら、それは結婚率が下がります。少子化も進みます。

少子高齢化は現代日本の最大の政治、経済、社会問題だと私は思います。その少子化の大きな原因の一つが「女が自分より収入の少ない男と結婚しない」ことです。こんな事実は、世界中のほぼ全ての人が知っているはずです。しかし、この巨大で重要な障害物について誰もが見て見ぬフリをしています。まるで「女が男をお金で評価する権利」は永久不可侵と世界中の人が信じているかのようです。

これについて女性が声を上げないのは仕方ないにしても、どうして男性までもがこの不道徳を糾弾しないのでしょうか。そこには大きな理由が二つあると私は考えています。

一つ目は「社会的な影響力のある男性は収入の高い勝ち組の人たちだけ」だからです。負け組の少数派男性の声が社会に届くことはないのでしょう。

もっとも、これだけが理由ではありません。特に、男性の生涯未婚率が23%となっている現在、負け組男性は無視できない勢力になっているはずです。

二つ目の理由は「収入の少ない男が負けを認めないから」だと私は推測しています。「共産主義が失敗した思想的理由 」にも書いた通り、下層大衆ほど保守的です。保守的な男性は昔ながらにプライドが高く、女性を見下しており、女性に収入で負けている事実を認めようとしません。だから、現状の社会システムが、自分の人生に不利になっていることに気づけません。

しかし、そんなくだらないプライドは捨てて、社会の底辺にいる男性たちは、上記のような女性の不道徳を糾弾すべきです。女性差別うんぬんの話があれば、「それは分かります。だから、女性も男性を収入で差別すべきではありません」と反論すべきです。

また、そういった男性たちの目を覚まさせるように、社会の底辺にいない男性、あるいは男女差別にうるさい人権派の女性たちも「女性が男性を収入で評価する差別」を批判すべきです。

なお、お金持ちの男性が女性たちに人気になるのを防ぐのは不可能ですし、不自然でしょう。美人の女性が男性たちに人気になるのを防ぐのは不可能で、不自然なのと同じです。ただし、「男性が美人でない女性とまず結婚しない」わけでは決してないように、「女性がお金持ちでない男性とまず結婚しない」わけでない状況にするのは十分に可能なはずです。もしそうなっていないとしたら、現在の男女関係に社会的に修正すべきところがあるはずです。

国際結婚統計の不都合な真実

国際結婚統計を見たことのある人は少ないでしょう。これほど結婚が女性優位で決まっている証拠はないと思います。

まず、日本人女性と日本人男性で、どちらが国際結婚しているか知っているでしょうか? 「日本人女性は世界で一番モテる」という俗説は、私の人生で10回以上は聞いたことがあります。日本人女性が日本人男性よりモテるのは間違いのない事実ですが、別にそれは日本人に限った話でなく、そもそも自由恋愛が一般化した社会なら、女性は男性より桁違いにモテます。しかし、現実に結婚するとは限りません(結婚できるのに、女性が拒否する場合があります)。Wikipediaの「国際結婚」の2015年の厚労省統計を見れば分かる通り、日本人男性の国際結婚が14809に対して、日本人女性の国際結婚は6167です。1975年以前、それこそ日本がそれほど豊かでなかった昔は日本人女性が日本人男性より多く国際結婚していたようですが、この30年間ほど、日本人女性の2倍以上の数の日本人男性が国際結婚しています。

ここで注目したいのは、日本人女性と日本人男性で結婚相手の国籍が大きく変わることです。たとえば、日本人―中国人カップルなら、80%以上が中国人女性―日本人男性です。一方、日本人―アメリカ人カップルなら、80%以上が日本人女性―アメリカ人男性です。このように、国際結婚の相手がアジア系なら日本人男性とのカップルが多く、西洋人なら日本人女性とのカップルが多いのです。フィリピンやタイはそれがあからさまで、95%近くが日本人男性とのカップルです。

これを「日本人女性がアジア人にモテない」と解釈する人はさすがにいないでしょう。その全く逆で、「日本人女性がアジア人など相手にしていない」が正解であることは誰だって分かるはずです。もしかしたら、「日本人女性は高嶺の花すぎて、アジア人男性は声をかけづらい」と考える人もいるかもしれませんが、多くのアジア人を知る私が断言すると、それはありえません。日本人女性は、西洋人と同等かそれ以上に、アジア人にもモテます。

一方で、日本人男性がなぜアジア人と結婚しているかといえば、日本人女性が日本人男性すらも相手にしていないからです。日本人男性がアジア人と好きで結婚しているというより、日本人女性と結婚できないので、仕方なくアジア人女性と結婚しています。その証拠に、日本人女性-外国人男性は年齢差がそれほどないのに、外国人女性-日本人男性のカップルの平均年齢は妻30.9才、夫43.3才となっています。若い頃からアジア人との結婚願望を持っていた日本人男性が40才になってようやくアジア人と結婚できた、なんてことは普通に考えてないでしょう。

もっとも、「結婚での女性の圧倒的優位」だけでは「なぜ日本人男性が日本人女性の2倍も国際結婚しているのか」の答えにはなりません。さらに、日本が西洋と同等にアジアより遥かに豊かな国で、「結婚後に財産が共有されるから」です。

「結婚における女性優位」と「結婚後の夫婦財産共有」は、女性差別問題を語る上で避けて通れません。そう私は思うのですが、極めて不思議なことに、この二つの大問題が議論されることは、全くと言っていいほどありません。女性にとって極めて不都合な真実なので、女性側から言及しないのは無理もないかもしれません。謎なのは、男性側からもそんな声が一切上がらないことです。その理由については、次の記事で論じます。

ところで、「国際結婚統計ほど結婚が女性優位で決まっている証拠はない」と述べましたが、もちろん「国際結婚統計ほど人種差別が明らかに出ている統計はない」でもあります。特に、日本人女性が結婚でアジア人を差別して、西洋人を尊重している姿勢は露骨です。

恋愛における女性優位の証拠

お見合いパーティーというものを知っているでしょうか。その名の通り、未婚の男女が複数集まって、結婚相手を探すパーティーです。大抵、男性の参加料金は女性より高くなります。女性は無料のところも少なくありませんが、男性は安くても3000円はします。こんなところにも男女差別はありますが、ここでそれは無視します。

そのお見合いパーティーの職員がこんなことを言っていました。

「たとえば、気になる異性に〇をつけてください、という設定なら、男は自分を選んでくれたら喜んで受け入れるつもりなので、全てに〇をつける。しかし、女は100人男がいても、せいぜい3人の男しか〇をつけない。下手をすれば、一人の男にも〇をつけない」

複数のお見合いパーティーで同様の発言を聞いたので、これは間違いないと思います。社会学者は、ぜひ上のような社会実験をして、その統計結果を学術論文に発表してください。

私はお見合いパーティーに10万円以上費やしました。そんな大金を費やして、このような現実を嫌というほど知りました。「恋愛での女性優位」など世間の常識だったのでしょうが、バカな私は男女平等だと錯覚していました。

そんな経験から学んだことですが、極論すれば、女性はどんな男性ともつきあえます。それこそ、一般の男性並みの熱心さで迫れば、ほとんどの男性は落ちます。しかし、女性はそうしません。「絶対に結婚したい」と言っている人でも、断られるのを恐れているのか、女性からは告白しません。そのくせに、女性は男性を平気で断ります。ひどい女性になると、何度も男性の愛情を無下に断っていて、「誘われてばっかりで、うっとうしい」と言ったりします。

なぜ若い女はそこまで傲慢なのでしょうか。それは放っていても、男の方から求愛してくれるからです。その中で、気に入った男を選べばいいだけです。気に入らなければ、歯牙にもかけない態度をとっても構いません。むしろ、はっきり意思表示した方が相手に勘違いさせなくて、どちらにとっても幸せと女は思っているかもしれません。「自分が相手の側だったらどう思うか」などと想像する必要もありません。男がふられたショックで自殺したって、女が責任を問われることもないのですから。一方、どんなに純粋に愛していようと、ふられた男が女を追いかけまわすのは犯罪なので、警察を呼んでも大丈夫です。

このように「恋愛の女性優位」が厳然として存在しているので、あらゆる学者が「なぜ男性が結婚しなくなったのか」ではなく、「なぜ女性が結婚しなくなったのか」と考えるのは妥当なのです。

このように書くと「恋愛と結婚は違う。結婚は男性優位だ」との反論も出てくるので、次の記事にその反論が間違いである証拠を示します。

性的少数者問題が少子化よりも重要だと考える人たちへ

2017年11月16日の朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」に興味深い意見がありました。アメリカのラストベルトにあるオハイオ州の88ある群の一つで、民主党の委員長を務めている人物の愚痴です。

「労働者たちに民主党は『労働者、庶民の党』と伝えてきたが、民主党はメディアを通じて(性的少数派の人々が)男性用、女性用のどっちのトイレを使うべきか、そんな議論ばかりしているように見えた。私が大統領選挙中に聞かされたのは『民主党は雇用よりも(性的少数者の)便所の方に関心がある』という不満だったのです」

似たような不満を、私も日本のリベラルな若者たちに持っています。日本のリベラル派は、性的少数者を救うことの優先順位が異常に高い、と感じることが少なくありません。特に、若い女性たちです。現代の日本を大局的に見れば、それと比較にならないくらい、少子化が重要であることは明白だと思うのですが、理論上は少子化を促進するはずの性的少数者の保護を優先します。

日本では保守だろうと、リベラルだろうと、指導的立場にいる人たちは本当の社会的弱者に接する機会もないため、その気持ちが分からないのでしょうか。世の中には、浮気できるほどもてる男性と、それに苦しむ女性たちと、性的少数者たちしかいない、と本気で思っているのでしょうか。何度も女性にふられて、その度に傷心している大多数のもてない男性が存在することなど想像もできないのでしょうか。現実に、大多数の女性は、そのもてない男の誘いを人生で何度も断ってきているのに、その男性たちの気持ちを考えることもなく、浮気するほどもてる男性たちの誘いを待っているのでしょうか。

少子化の主因は夫婦間の子どもの数が減っているのではなく、結婚率が下がったことにあるのは、もはや常識でしょう。それでは、なぜ結婚率が下がったかといえば、「仕事と家族」(筒井淳也著、中公新書)によると、「女性の相手への希望が高くなったから」と推定しています。

この本に限りませんが、結婚率の低下の問題になると、なぜか「男性が結婚しなくなった」ではなく、「女性が結婚しなくなった」が主題になります。女性が結婚していなければ、当然男性も結婚しないはずなのに、そう表現されます。男性が主語になる場合、「結婚できなくなった」と表現されることもあります。一方、女性が「結婚できなくなった」と表現されることは、まずありません。もっと不思議なのが、この男女差別について(大多数の人にとっては男女区別なのかもしれませんが)、誰も疑問の声をあげていないことです。そこには、いわゆる常識や暗黙の前提があるわけですが、そこまで深く考察しません。

だから、こちらのブログで、あえてその前提を言葉にしていきます。

 

※注意

「女性が結婚していなければ、当然男性も結婚していない」は正しくありません。国立社会保障・人口問題研究所によると、生涯未婚率(50才までに一度も結婚していない率)は、男性で23%、女性で14%と差があります。なぜこんな差が出るかというと、女性が勝ち組の男性と再婚することはあっても、負け組の未婚男性は相手にしていないからです。こんなところにも、女性は「結婚しない」と選択権があるのに対して、男性は「結婚できない」と選択権がないことが現れています。