未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

年功序列賃金制度を解体しないと日本の夜明けはない

社会経験が始めての新入社員は現場の仕事能力が、全社員で最も低くなります。この新入社員の時期に、自分より仕事能力の高い先輩への敬意と服従が要求され、確定します。先輩との上下関係は同じ会社で働いている間はもちろん、通常、退職しても終生変わりません。日本では、ほぼ同年齢の新入社員が大量に入社してくる習慣が何十年も続いてきました。だから、年長者=先輩=上位となります。

また、中学、高校で盛んなクラブ活動では、やはり年長者=先輩=上位の関係が徹底されています。古くからの儒教文化のせいもあり、社会人になる前も、なった後も年功序列は社会に蔓延しており、もはや日本の道徳となってしまっています。偉そうに批判している私も、日本にいるとこの道徳にある程度従っています。

こう考えると、年功序列の弊害を日本から消滅させるのはほぼ無理でしょう。しかし、年功序列「賃金」制度を破壊するのは、制度面の変更で可能だと私は考えています。具体的な方法は「ピーターの法則を回避するために」に書きました。

目標は、消費意欲の高い20代、30代の収入が増えて、子どものいない世帯の収入が激減して、貯金があまり残らないようにすることです。貯金だけでなく、子どもが巣立った後の高齢者だけの世帯に大きな土地建物は要らないので、土地建物資産についても社会的に公平な分配がなされるべきです。土地問題についてもいずれブログで語りたいと思いますが、大きな問題の一つが「高齢者への土地建物資産の集中」であることは同じでしょう。

相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋

日本人のコミュニケーションで最優先されるのは、相手の気持ちを傷つけないことです。自分の意見を言うことは重要でありませんし、正しい意見を言う必要も全くありません。それでは意思疎通の本来の目的が達成されないかもしれませんが、相手を傷つけるくらいなら、そんなことはどうでもいいのです。相手を傷つけてしまうと、相手がこちらに攻撃的になり、こちらも傷ついてしまうかもしれませんから。

たとえば、「中国人は声が大きくて嫌いだ」と相手が感情的に言ってきたら、たとえそう思っていなくても、「そうねえ」と返すのが模範解答です。最悪の返答は「あなたは人種差別主義者なのか!」と批判することです。まず、言い争いになってしまいます。

一方、西洋では、その最悪の返答が最高の返答になります。というより、それ以外の返答をしたら、人間として許されません。西洋では、道徳が最優先されます。それに反したことを言うと、普通の日本人(女性)ならまず経験しないほど、人格を徹底的に非難されます。

こう書くと、西洋人が道徳を重視する素晴らしい人たちで、日本人は上辺だけの付き合いしかしない下劣な人たちのようです。しかし、道徳や倫理を重視する西洋人よりも、相手の気持ちを尊重する日本人の方が好ましい時はあるはずです。道徳や倫理ばかり重視すると、人間集団がおかしな方向に進んでしまうからです。

第二次大戦時の日本は、人の命よりも国体を重視したために、いまだに消えないほどの汚点を日本だけでなく、アジア中に残してしまいました。その他、文化大革命、冷戦、イスラム戦士たちによる自爆テロなど、自分のたちの信じる道徳や倫理を重視しすぎたために起こった多くの悲劇がありました。それは今もありますし、これからもあるでしょう。しかし、それら全ての道徳や倫理が、それぞれの大きな社会的悲劇を生むほどの重要な問題だったのでしょうか。日本人的な観点からすれば、そんなはずはないでしょう。

道徳や倫理は確かに重要な問題ではありますが、いつも最優先されるのは間違っています。それこそ殺し合いになるまで対立を深める必要は大抵ないはずです。第二次大戦や全共闘などの失敗から、日本人はそんなことを学んできたのかもしれません。だから、道徳よりも和を求めてしまうのでしょう。

日本の医者はお金に無頓着である

診療報酬制度」の記事で、白内障手術の診療報酬を激減させたことに、良心的な眼科医は不平を言っていない、と書きました。その一番の理由は、白内障手術の診療報酬の激減前も後も、病院内での眼科医の給料は変わっていないからです。

そもそも、医者の給料はどのように変化するのでしょうか。私の知る限りでいえば、専門医をとる7年目から10年目までは順調に給与は上がります。そこからは伸び悩んで、部長や院長クラスになって手当がつくと、上がる程度です。都会よりは田舎の方が高収入で、病院勤務医より開業医の方が高収入です。以前の記事に書いた通り、同じ病院なら、科によらず給与は原則同じです。

ただし、良くも悪くも、日本の医者はお金に無頓着です。日本の医者社会では「出世=お金持ち」という発想が皆無です。「白い巨塔」などで知られているように、日本の医者ヒエラルキーのトップは医学部教授です。教授>准教授>講師>助教>医局員と縦社会になっており、日本の医者人生はこの医局村社会で完結しています。「隣の医局は外国より遠い」という言葉がある通り、自分の専門科以外については、その診断法も、その給料もあまり知りません。医局での出世競争に疲れたら開業医になったりしますが、たとえ給与が高くても、開業医は勤務医より格下です。

日本の医者が給料よりも名誉を求めるのは、どんな専門、どんな病院で働くにしても、医者である以上、生きていくだけに十分な収入が得られることは大きいでしょう。また、だからこそ、楽な眼科や皮膚科ではなく、大変な心臓外科を目指す医者が自然に出てくるのだと思います。給料が同じなら、楽な科に進もう、という医者は日本で一般的ではありません。むしろ、日本の医者はやりがいのある、自分に適した専門を選んでいるようです。医者が希望通りに専門を決めても、日本の医療が上手く回っているのは、「診療報酬制度」の記事に示したように、厚生労働省の診療報酬の調整にも原因がありますが、医者がお金の心配をしなくてもよかったことにも原因があるでしょう。

診療報酬制度

日本の皆保険制度では、ほぼ全ての病院、ほぼ全てのクリニックが厚生労働省の定める診療報酬制度に従って収入を得ています。血液検査などの各種検査の費用、肺炎などでの各種入院費用、虫垂炎などの各手術の費用は、全国一律で決まっています。病院によって、あるいは、医者によって、その費用が変わることはありません。その診療報酬は2年ごとに改訂されます。

5年くらい前でしょうか。科別に計算すると、ほとんどの病院で眼科が一番利益を出していた時代があります。眼科専門医は引く手あまたでしたし、開業した眼科医も少なくありませんでした。眼科医が儲かった理由は、白内障手術の件数が増加したからです。白内障高齢になれば必ず罹患して、短時間の手術で簡単に治ります。

これでは不公平と考えた厚生労働省は、白内障手術の診療報酬を一気に下げます。こんな単純な方法ですが、眼科医が引く手あまたの時代、眼科医の開業が増える時代は、あっさり終わりました。今でも日本眼科学会はこの診療報酬改定に不満を表明しているようですが、私の知る多くの良心的な眼科医は「確かに簡単な手術だし、それは仕方ないだろう」と言っています。ちなみに、白内障手術件数はその手術報酬が減った後も増加しています。

また、最近の診療報酬では、訪問診療に高い点数(=報酬)をつけています。日本では病院で亡くなる人の割合が非常に多いのですが、このまま高齢者が増えると、外国と比べて多い日本の病院ベッド数でも、足りなくなってしまいます。自宅で最期を迎えられるように、訪問診療する医師を増やしたいので、厚生労働省は、その診療報酬を上げているわけです。そして、診療報酬増加の通りに、訪問診療する医師が増えています。

ただし、この訪問診療の優遇策はいつまでも続かない、と良心的な訪問診療医は予想しています。これまでも、厚生労働省は足りない医療の診療報酬を上げて、その医療が充足してくると、その診療報酬を下げる、という手法を取ってきました。その政策を、金儲けしか考えない医者は「ハシゴをはずされた」と不満を言ったりしますが、良心的な医者は最初からその流れを見越していますし、診療報酬引き下げに不満を言うこともありません。

このように、専門によって不公平がないように、また、必要な医療を増やし無駄な医療を減らすように、厚生労働省は診療報酬を改定して調整しています。

診療報酬制度には医者の技量によって報酬が変わらないなどのデメリットもあるのですが、メリットも確実にあることは注目すべきでしょう。

自由専門医制

オーストラリアの医学生が脳外科医志望だと自慢気に言いました。日本人医学生は総合診療医志望だと言うと、オーストラリアの医学生は驚いています。

「なぜ総合医志望なの? せめて内科医を目指したら?」

医者社会では、総合医<内科医<外科医というヒエラルキー(上下関係)があります。これは世界共通です。そして一般に、総合医<内科医<外科医の順に、専門医になるのが難しくなります。日本人医学生がオーストラリア医学生に返答します。

「日本では、医者なら誰でも脳外科医になれる。オーストラリアみたいに、優秀な医学生や医師だけが脳外科医になれるわけではないんだよ」

「え! それなら、みんな脳外科医になっちゃうでしょ」

それは事実です。実際、日本の脳外科医の数は、3倍の人口のいるアメリカの脳外科医の数の2倍近くもいます。ただし、当時、この日本人医学生はその事実まで把握していませんでした。だから、知る範囲で、こう答えました。

「そうでもないんだよ。日本では、オーストラリアみたいに、脳外科医の給料が高くない。日本は専門によらず、医者の給与は同じだから。医者が自分の希望で専門を選んでも、うまく回っているんだよね」

オーストラリアの医学生は目を丸くしていました。不思議の国ニッポンの医者社会が理解不能に陥ったようです。確かに、日本の医者社会は、欧米の一般的な医者社会と比べると、大きく異なっています。

まず、医者が自由に専門を選べる制度は、他の国ではありません。なぜなら、ある地域である疾患が起こる数は、統計によって求められるからです。たとえば、日本の肺がん手術件数は年間6万件程度らしいですが、統計から毎年2千件程度増えていることまで分かっています。そういった各手術の数などから、呼吸器外科医の必要数、脳外科医の必要数は自動的に求められ、国によって各専門医の数が規制されるのが普通です。しかし、日本にはそんな規制がありません。医者が希望すれば、どんな専門の医者にもなれます。

だから、脳外科医が人口比でアメリカの5倍もいたりします。もちろん、日本人がアメリカ人の5倍も脳腫瘍などになりやすいわけではありません。にもかかわらず、日本の脳外科医が暇にならないのは、日本の脳外科医は手術以外の仕事も多く処理しているからです。他国では、神経内科医や他の内科医が担っている術前管理や術後管理、または手術しないが脳梗塞になった人の治療を、日本では脳外科医が担うようになっているのです。

同様に、日本は他国と比べて、総合医が極端に少ないのですが、それでも回っているのは、内科医(多くは呼吸器科医や循環器医や内分泌医などの専門医を持っている)が、海外での総合医的な仕事をしているからです。

これらの例のように、各専門医が日本の医療で足りないところを自主的に補って、全体としては上手く回っているのです。

とはいえ、完全に無秩序になってもおかしくなかったのに、たまたま上手くいっているわけではありません。それを長年巧みに調整してきたのは、厚生労働省による診療報酬制度の改定です。次の記事で、診療報酬制度による調整について書きます。

 

※注意 日本の専門医は公的資格ではなく、各学会が勝手に基準を作った資格です。だから、現在の日本の専門医は公的になんの力もありません。実際、脳外科専門医をとらなくても、脳外科医と名乗ることは可能で、合法です(もっとも、経験なしの脳外科医に手術させる病院は存在しないでしょうが)。ただし、来年に新専門医制度が導入されると、19の専門医は公的資格になるようで、自由に専門医を標榜することは違法になるようです。今後、医者が自分の希望だけで専門医を選ぶことも事実上制限される、と噂されています。

ピーターの法則を回避するために

1、ある人材が昇進できるかどうかは、現在の仕事の遂行能力に基づいて判断される。

2、ある人材は昇進後の地位での仕事の遂行能力が高いとは限らない。

3、以上から、ある人材がその組織内で昇進できる限界地位に達した時、ある人材が昇進前までに経験した全ての地位での仕事の遂行能力が高かったのに、限界点に達した地位での仕事の遂行能力が低いことになる。

4、これから、ある組織内の各地位の仕事は全て、その仕事の遂行能力の低い者たちによって処理されていることになる。

以上がピーターの法則です。もちろん、こんな単純な法則に従うほど、世の中の仕事は単純ではありません。しかし、仕事遂行能力によらず、勤続年数によって自動的に昇進が約束されている多くの日本の民間企業、公的機関では、ピーターの法則の危険性は注目に値するのではないでしょうか。

なお、ピーターの法則を回避する方法としては、次の二つがあります。

1、現在の仕事遂行能力が高い者は昇進させず、代わりに昇給させる。

2、昇進後の地位の試験訓練期間を設けて、仕事遂行能力があると認められた者だけ昇進させる。

これまでの日本の新卒一括採用制度と年功序列賃金制度の元では、一般的に新入社員は全員、各部署の最も低い地位からスタートしました。私が提案する新しい人事制度では、新入社員でも管理職から始められます。より具体的には次のような人事制度を提案します。

1、全ての地位は試験訓練期間を経験した者から選抜して採用される。

2、試験訓練期間への応募は、年齢や職種経験の有無によらず可能とする。

3、定員よりも応募者が多い場合、特別な事情がない限り、全ての応募者を試験訓練期間に登用する

単純に言えば、多くの経験者と未経験者を試験訓練期間で登用して、仕事遂行能力の高い少数を採用する制度です。

もちろん、この通りにできない地位もあるでしょうし、この通りにすれば大きな問題が出てくる地位もあるでしょう。ただし、固定観念を払拭して、十分に工夫すれば、ほとんどの職種の地位は、上の3原則通りに試験訓練期間を設けて、採用に至ることは可能だと思います。

たとえば、全ての応募者を試験訓練期間に登用したら、会社内に試験訓練期間の社員が入りきらなくなってしまう、という企業もあるでしょう。その場合、試験訓練期間中は午前勤務のみ試用社員と午後勤務のみ試用社員で分ける、曜日で出勤日を分ける、などの工夫をすれば、最低でも2倍の定員は試験訓練期間として受け入れられるはずです。

また、この通りにすれば、人気企業の人気地位には、応募者が殺到する一方で、人気のない企業の人気のない地位では、応募すれば、能力がなくても試験訓練期間を突破して、採用されることになるでしょう。そのため、能力のある人でも試験訓練期間が連続することで、人材の無駄が増えるでしょうし、特定の職種の人手不足がさらに悪化するかもしれません。ただし一方で、人材の流動性は間違いなく増えますし、こちらのブログで批判している不公平で非効率な年功序列の秩序は崩壊していくでしょう。

少なくとも、「全ての地位は下から上がってきた者だけに開かれる」習慣がなんの検証もなく浸透しすぎている日本に、上の3原則を上手く取り入れさせれば、経済効率は格段に上がると確信します。

手書きの履歴書は法律で禁止すべきである

日本で履歴書は決められた書式に、わざわざ手書きしないといけません。法律で定められているわけではないのですが、そんな習慣が常態化しています。何件も就職活動した人なら知っているでしょうが、この履歴書手書き労力はバカになりません。ほぼ全ての日本人がこの面倒な作業にうんざりしているのに、何年たってもなくなりません。私は不器用なので、書き損じたり、押印を失敗したりして、一からやり直した経験が何度もあります。

この履歴書手書き習慣は、転職者に無駄な労力をかけて、転職の機会を減らし、日本の人材流動性を妨げています。

私がカナダにいた時、「転職のために100社に履歴書を送った」という話はよく聞きました。転職活動を始めたと聞いて1週間後にそんな言葉を聞いたりした時は、「毎日徹夜で履歴書を書いたのか?」とバカな質問をしてしまいました。もちろん、カナダはそんな非効率な労力を要求する社会ではなく、履歴書のコピーを大量に郵送したり、メールで送ったりしただけです。採用側だって、それでなんの不都合もないはずです。

このままだと履歴書手書き習慣は日本からなくなりそうもないので、さっさと法律で禁止してください。

退職金制度を廃止すべきである

うつ病の症状に貧困妄想があることを知っているでしょうか。本当は貧乏ではないのに、うつ病のせいで貧乏だと思い込んで、わずかな出費さえ控える症状が出ます。私も医療職に就いているので、貧困妄想の患者さんに何名も会ったことがありますが、全員高齢者でした。「暖房費用がもったいない(からエアコン使わない)」、「バス代がもったいない(から日中歩いて熱中症になる)」といった貧困妄想は、高齢者によく出ることが分かっています。

高齢者の高い貯蓄額は日本経済の特徴ですが、それを認めて、「高齢者にお金を遣わせる市場を形成すべきだ」と本気で主張する知識人がいますが、私に言わせれば、現実的でないですし、理想的でもありません。高齢者ほどお金持ちになる制度がおかしい、と気づかないのが不思議でもあります。

老人天国ニッポン」の記事で、高齢者を罵倒してしまいましたが、変えるべきなのは、高齢者ではなく、日本の制度です。多くの高齢者は金持ちを目指して金持ちになったというより、気づいてみたら、莫大な貯蓄額を持っていたのでしょう。車も家も持っていて、特別ケチな生活をしていたわけでなく、中流生活を真面目に送ってきたら、1千万円以上もの資産ができてしまったのだと推測します。だから、「普通」の生活をしていれば、高齢者に莫大な資産が生じる現在の日本の制度を変更しなければなりません。

分かりやすい改革の一つは、退職金制度の廃止でしょう。日本では一般化してしまった制度ですが、高齢者の貯蓄額を高めますし、終身雇用を促進するので、人材の流動を妨げます。法律で日本の全職業から退職金制度を失くして、消費意欲のある若者たちに回すべきです。

もっとも、これだけで高齢者の高すぎる資産額の問題が解決できるわけではないので、さらなる改革案を述べていきます。

老後に1千万以上の貯蓄の必要性はないし、あるべきでもない

「老後には〇千万円の資金が必要です」という嘘広告はよくあります。これが銀行広告なら預金の宣伝として、まだ許されるのでしょうが、一流新聞の記事でも平気で同じ主張が載っていたりします(日本経済新聞2016年7月20日朝刊など)。

そんな広告を見て、一般の日本人はどう思っているのでしょうか?

(ちょっと待て。3千万円の貯金なんて、できるわけがないだろう! なに? 20%の高齢者は退職金も含めたら、それくらいの貯金があるって? アホか! 高齢者にそんな大金持たせてどうするんだ! オレオレ詐欺のカモになるだけだ!)

(そもそも、1千万以上の資金がないと、まともな老後が送れない社会だとしたら、社会保障制度に問題があると、どうして気づかないんだ! 世の中には、収入も貯金も全くない高齢者だっているんだぞ!)

こんな私みたいな感想を持つ日本人は、やはり少数派なのでしょうか。

福祉先進国・北欧は幻想である 」にも書いた通り、日本の医療・福祉は世界で最も恵まれているようです。これは収入によりません。年金をもらえない生活保護世帯であっても、世界最高水準の日本の医療・福祉を受けられます。そんなことは、医療職や福祉職に就いている人なら、全員知っているはずです。何千万円もの貯金がないと幸せな老後が送れないという広告や記事は真っ赤な嘘ですし、社会道徳的に考えて、嘘であるべきです。

 

※注意 日本の高齢者は恵まれた医療・福祉を受けられるものの、「保証人制度をなくした場合の金利上昇はいくらなのか」に書いた通り、日本は異常なほど保証人制度が浸透している国なので、保証人になってくれる親戚がいないと、引っ越しや施設入居が極めて難しくなる、などの問題が出てきます。この保証人制度のせいで、高齢者本人はもちろん、それを助ける福祉職の方も本当に苦労しています。恵まれない高齢者をさらに理不尽に苦しめているので、この保証人制度は即刻廃止すべきです。

日本式長時間労働は年功序列賃金制度により一般化した

このブログで何回か紹介している濱口桂一郎氏は「日本の雇用と中高年」 (ちくま新書)で、「日本の正社員が職種も時間も場所も無制限に働かされるようになったのはオイルショック後の低経済成長期でも雇用を維持するためだった」と述べています。海外では、開発職で雇用された人が会社の都合で営業職に回されることなどなく、その必要があるなら、開発職の社員を解雇して、新しく営業職の社員を雇うそうです。また、1日8時間労働の地元勤務で雇われている人が、不況になったからといって、1日12時間労働にさせられたり、単身赴任させたりすることも一般的でないようです。その場合、会社が解雇するか、あるいは、労働者自らが辞職するのかもしれません。

ここで「終身雇用を守るために、無制限労働を受け入れるしかなかった」と考えるのは間違いです。日本社会で最も非効率なのは、高齢になり能力が衰えているにもかかわらず、内輪でしか通用しない権威により、大金をもらっている年長者です。年長者の給与をカットすれば、つまり、年功序列賃金制度さえ止めれば、適性のない部署に配置転換したり、長時間労働や単身赴任をさせたりしなくても、雇用は守れたはずです。また、そうすれば、高齢になって体力や知力が衰えてきても、それに見合った仕事ができて、その仕事に見合った給与がもらえる公平な社会になったはずです。

しかし、日本はその方法は取らずに、無制限に働かされることを許容してまで、年功序列賃金制度を守りました。なぜでしょうか? 「日本の雇用と中高年」では、「日本だと子どもの年齢が増えるにしたがって必要な収入が増えるから」と書いています。

しかし、子どもが教育を受ける権利は本来、社会保障が担います。貧富の差に関係なく、全ての子どもに平等に与えられるべきだからです。だから、「一般家庭では子どもの年齢と共に必要な収入が増える」から「年功序列賃金制度は維持しなければならなかった」は、根本的な観点が間違っています。「年功序列賃金制度は経済的に非効率で維持できない」から「収入の少ない一般家庭には子どもの学費補助などの社会保障を充実しなければならない」と考えるべきだったのです。

人口ピラミッドが三角形だった頃の日本では、年長者ほど高給になるシステムで上手く回っていたのでしょう。多くの若年者の生み出す利益を、少数の年長者に回すことが可能だったからです。しかし、少子高齢社会になると、そのシステムを維持するのは経済的に不合理です。それでも無理に維持しようとしたので、上のように、配置転換も長時間労働も単身赴任も当たり前の社会になってしまいました。現在は、それですら維持できないので、正社員が減って、少子化が進んでいます。

本来なら、年功序列賃金制度なんて、40年以上前に経済的に非効率になっていました。少子高齢化は進み、その非効率度は増すばかりなのに、年功序列賃金制度に固執しているから、社会のいろいろなところに弊害が出ていると、いいかげん日本人は気づくべきです。

これまで何十年も日本の政治家や官僚たちは、「女性の社会進出」「長時間労働の打破」「男性も子育てに関われる社会」「少子化対策」を掲げて、本気で改革しようとしてきました。しかし、上のような理屈から考えれば、年功序列賃金制度がなくならない限り、その改革はまず実現しないでしょう。

年功序列社会の根深さ

高齢者ほど貯蓄額が高い問題は、ここ最近の話ではありません。私の知る限り、バブル時代の1980年代には日本の重大な経済問題として取り上げられていました。この問題の根本原因には、日本の年功序列賃金制度があります。年次が上になるほど高賃金になりますが、高齢になるほどお金を遣うわけではありません。むしろ、子どもが親元を離れたら、家計消費は減るはずなのに、それに見合うだけの賃金減少はありません。だから、高齢者ほど貯蓄額や資産額が上昇します。

また、年功序列賃金制度は、公的年金制度同様、人口ピラミッドが三角形の時はいいのですが、そうでないと維持するのは難しいです。高齢者は若者より能力が高く、価値のある仕事をしているとは限らないからです。まして、現在のように人口ピラミッドが逆三角形になってまで年功序列が一般的なのは、明らかに無理があります。

しかし、濱口桂一郎氏が「新しい労働社会」(岩波新書)などで繰り返し述べているように、日本企業を年功序列賃金制度から職務能力賃金制度に移行させようと、厚労省は何十年間も活動していますが、一向に成功していません。実際、日本を少しでも知る人なら、年功序列賃金制度の解体が容易でないことは理解できるでしょう。儒教文化、長幼の序の意識、先輩後輩の上下関係などは日本のあらゆる社会の行動規範になっていたりします。

日本人の骨の髄まで浸透した年功序列の価値観を変えるためには、制度面から大胆に変える他ないと思います。その必要性と改革案をこれからの記事に書いていきます。

老人天国ニッポン

内閣府発表では、2016年で世帯主が65才以上である場合、平均貯蓄額は2499万円です。日本では、高齢者ほどお金持ちになる、と統計によって明らかにされています。ただし、常識で考えて、高齢者は医療・福祉以外に大したお金の遣い道はありません。そんな高齢者が全人口の4分の1も占めていて、今後さらにその割合は増加していくのですから、経済が停滞するのは当然すぎるほど当然です。

高齢者世代、特に戦後の団塊の世代が日本史上最も恵まれた人たちと呼ばれる根拠として、年金制度はよく言及されます。日本の公的年金制度では、同時代内で、現役世代が高齢者を支えるシステムです。理論上、相対的に現役世代が多いときは現役世代の負担が少なく、高齢者が多いときは現役世代の負担が大きくなります。そして、団塊の世代は若い頃にわずかな金額しか払っていなかったのに、高齢者になった現在、上のように若者を遥かに凌ぐ貯蓄額があるのに、現役世代に重い負担を課しています。それだけ恵まれているのに、借金だけは着実に増やしてくれて、国債残高は1千兆円を越えています。

「オマエら、いい加減にしろ! 借金だけは全額返せ! 死んで逃げ切りなんて絶対に許すな!」と若者たちに言われるのは当然です。私の率直な感想をいえば、今でも不十分です。このような批判は、新聞でもテレビでも毎日のように言われるべきです。

ただし、国債高齢者に消化させれば、日本が老人天国から解放されるわけではありません。財政は一時的に健全化しますが、年功序列賃金制度が続く限り、高齢者ばかりが金持ちになるでしょうし、少子化が続く限り、日本の財政は再び悪化するに違いありません。

少子化問題の方が深刻だと私は考えていますが、これからの記事では、まず年功序列賃金制度について論じます。

どう財政を破綻させるべきか

「日本人の一人当たりの平均金融資産は約1千万円です。これは赤ちゃんも含めた全日本人の平均額です」

「え! それなら、4人家族の自分だと、4千万円の貯金がある計算なのか! 貯金どころか、家のローンがあと何年も残っているのに。いかに自分の家が貧乏か分かった」

日本の財政赤字がどうして破綻しないかを調べているうちに、日本の高い貯蓄額を知って、上のような感想を持った人は多いでしょう。私もその一人でした。上の感想には「家の資産額はいくらなのか? それを計算に入れればローンは相殺され、さらにプラスになり、自分の家もかなりの資産家である。そもそも、子どもが知らないだけで、両親は何百万円もの銀行預金がある」という誤解がしばしばあったりもします。

日本の1千兆円の財政赤字は、ハイパーインフレになるにしろ、預金封鎖が行われるにしろ、最終的に日本の資産家に処理してもらうことになるのは間違いないでしょう。それしか方法はありませんから。

問題なのは、その処理の方法です。日本の財政が破綻することはみんな予想しているようですが、その時、どうするべきかの議論があまりないように思います。せいぜい「ツケを後回しにしてきて、平均2000万円もの資産を持っている高齢者に責任をとらせるべきだ」といった程度ではないでしょうか。それは私も同意するのですが、具体的にどうするのでしょうか。既に逃げ切った(亡くなった)世代もいます。資産のほとんどを投資に回している人もいます。

ハイパーインフレ預金封鎖を起こして、単純に貯蓄額が多い人だけに負担させるのは公平でないでしょう。土地家屋の資産を持っている人、株式資産を持っている人、金(ゴールド)を持っている人、外貨を持っている人などにも負担させるべきです。借金してでも土地や外貨に投資していた人が勝ち組になるのでは、明らかに不公平です。真面目に何十年も働いて貯金してきた2千万円が紙くずになったのに、隣の人は全部ドルに変換していたので全く資産は減らず、外国に逃げて悠々自適な生活を送っている、と知れば、誰だって怒り心頭に達するでしょう。暴動だって起きかねません。

そういった逃げ道は現在、どれくらい法律で防げるようになっているのでしょうか。ない場合、今後、どれくらい規制できるのでしょうか。財務省法務省、政治家、国民は考えるべきでしょう。

もう財政破綻を心配するだけでは不十分です。どう財政を破綻させるか、どう財政赤字を負担させればより公平になるか、よりよい未来につながるかも考えるべきです。

また、「日本が国債デフォルトする前に金銭取引を完全公開しておくべき理由」の繰り返しになりますが、日本が財政破綻する前には、できるだけ公平にするため、日本人および日本国内の全金銭取引をネット上で完全に公開しなければならない、と私は確信しています。また、それができれば、日本は世界の先頭に立って、21世紀の情報公開社会を進めるはずです。

性の問題は敏感である

西洋人は政治や宗教の話が大好きである」にも書いたことですが、性について議論するのは難しいです。ほとんど全ての人にとって関心が強く、重要だからです。わずかな違いでも、大きな差に感じて、言い争いになることも珍しくありません。

非暴力を成功に導いたガンジーの実像」で「ガンジーの実像」(ロベール・ドリエージュ著、白水社)を引用して、私はガンジーを批判していますが、性についての問題はとりあげませんでした。しかし、「ガンジーの実像」をネットで検索したら、ほぼ全てのサイトで性についての問題を扱っています。ガンジーは晩年、彼を暖めるため、若い女性たちに服を脱いで、身体をぴったり寄せて寝るよう要求した、というスキャンダルです。古今東西、一般大衆はこんな性的な話に興味津々です。質の低いスキャンダルな情報が集まるネット上で、この話題ばかり取り上げられるのは必然なのかもしれません。

ただし、本を読めば分かる通り、この説のタイトルは「スキャンダラスな関係?」と疑問符がついています。根拠となっている出典は事実上一冊だけのようです。現在の日本でもそうですが、性的スキャンダルについては、あることないこと書かれるのは世の常です。ガンジーの同行集団に若い女性がいただけだったのに、上のような事件があった、と書かれたのかもしれません。

性についての本質的な要素から考えると、従軍慰安婦は極めて難しい問題でしょう。性に関するだけでなく、政治にも関わっていますから。日本の政治家の問題発言を封じるのも、韓国人の感情的な反対運動を封じるのも、しばらくは無理かもしれません。日本も厄介な問題を抱えてしまったものです。

「オリーブの罠」にみる日本女性の美意識と少子化原因

「オリーブの罠」(酒井順子著、講談社現代新書)というバブル世代の著者の本では、「自分のために美しくなろう」という言葉が出てきます。その意味するところは「全方位的におしゃれな女の子」を目指すことのようです。全方位的といっても、私が「世界一自意識過剰な日本人は世界一美しくなったけれども」の記事に書いた「空や海の青さ」などの生物普遍的な美の追及をしているのでは、全くありません。人間に限ったとして、時代や場所を超越した美しさの話も出てきません。高齢社会日本において、お爺さんやお婆さんにも感心される美しさ、なんて話も当然のようにありません。ここでの「全方位」は、本を全て読む限り、「同世代の女友だち」に対して優越感を持つための美しさ、としか考えられません。「全方位」と言いながら、対象が思いっ切り限定されていることに、著者は完全に気づいていないようです。

そんな矛盾があっても、この「同世代の女友だち」から称賛される美しさを追及することは、当時だと新しかったようです。この本で頻繁に使用される言葉に「モテ」があります。一方で、「非モテ」という言葉も多用しています。「非モテ」とは「他人の束縛から解放された美しさ」という意味では決してありません。「モテ」が男性を意識した美しさなのに対して、「非モテ」は同世代の女性を意識した美しさです。新しい世代は、モテではなく非モテを追及するようになった、と主張しているのです。

バブルを知らない私くらいの世代になると、そんな発想は新しくともなんともないでしょう。若い女性が女性の中だけの内輪の美しさを追及していることは、当たり前だと思っているのではないでしょうか。

昔は違ったようですが、今の日本人女性は家族のしがらみから解放されて、女性の仲間たちだけで集まります。子どもの頃から慣れ親しんだ女性だけの社会は、極めて居心地がいいはずです。それこそ、違う価値観の社会で生きてきた男なんかと一緒にいるより、よほど快適な環境でしょう。だから、男から美しいと思われなくても別にいいのです。それよりも、同世代の女性たちに美しいと思われることが、女性にとって幸せな人生を送ることに繋がっているのだと思います。

なお、「オリーブの罠」の著者は、「振り返ってみて『非モテ』を追及しているのではいけなかった」と後悔してもいます。「言うまでもなく、異性獲得の闘いに負けるからだ」と述べているのです。A→Bと進んで、またAに戻ったら、進化した(アウフヘーベンされた)A’に昇華されそうなものですが、そのような高次の概念は私には見つけられません。単純に、「モテ」を追及するべきだった、男性にとっての美しさを追及すべきだった、と感じているようです。

この感性も、私からしたら古臭いです。なんだかんだいっても女性は男性に頼らないと幸せになれない、といった価値観は私以下の世代にはないでしょう。上に書いたように、女性が女性たちだけの世界に安住することを許容する時代になっています。昔は、健康な女や男が結婚しないまま高齢になるなど許されない社会的圧力があったようですが、今は顔を合わせるたびに「結婚しろ」「子ども作れ」と連呼するお爺さんやお婆さんが激減しました。結婚しても家庭だけに執着する女性はほとんどいなくなって、既婚女性は自分の子どもと同年代の子どものいる既婚女性たちだけと接する、なんてこともありません。未婚女性でも既婚女性たちとつきあえて、さらに、それが自分の人間関係の中で一番重要な仲間だったりするので、未婚女性が孤独感を味わうこともありません。むしろ、男性と一緒に暮らすストレスを感じることなく、子育ての世話をしなくていいので、未婚女性が最も幸せな人生を送れる社会になったのではないでしょうか。

こういった社会環境の変化こそが、少子化原因の大きな一つだと私は考えています。同様のことは、男性側の視点からも言えます。それについては、いつか記事に書くつもりです。