未来社会の道しるべ

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親が子どもの名前をつける制度

先日、ある飲み会で自己紹介しました。自分の子どもが欲しいこと、子どもの教育本を100冊以上も読んでいることを熱弁しました。

「あれ? 結婚してましたっけ?」と聞かれて、「結婚どころか彼女もいません!」と言うと大ウケして、次に「子どもの名前はなにを考えていますか?」と聞かれて、私はこう答えました。

「もちろん、子どもの名前も考えています! ただし、僕一人で決められるわけではなく、将来の妻とも考えていくべき問題なので、秘密です!」

私の返答で「流行りのキラキラネームだ!」とか「〇〇なんて名前つけられた子どもに限って反対の××になったりするんだよね」とかで笑おうと思っていた人たちが、私の真面目な返答に引いていくのが分かって、そこで止めました。しかし、実際は主張したいことがまだありました。

「そもそも、親が名前を決める現状のシステムに私は反対です。よほどのことがない限り、名前はその人に一生着いて回ってしまいます。イジメの原因にもなります。本来なら、ある程度の年齢になったら、本人が自分で名前をつけられるようにするべきだと私は考えています」

飲み会の自己紹介でここまで言ったら、変人が確定するので、さすがに言いませんでした(ここで確定しなくても、日本人集団にいる限り、いずれ私の変人評価は確定しますが)。

あらゆる調査結果が示すように、多くの人は自分の名前が好きです。私は例外で、自分の名前が嫌いです。若い頃はもっと嫌いでした。

自分の名前が好きな人が多い理由は「不満のない幸せな人生を送っているから」「(無意識のうちに)自己肯定感の強い自分になっているから」が大きいでしょうが、「名づけた人(多くは両親)との関係がいいから」も大きいでしょう。一方、私は自分の名前をつけた両親との仲が最悪です。

どんな時代のどんな社会でも、親との関係が悪ければ、その後の人生は恵まれたものにはならず、出世しません。だから、過去から現在まで、親が子どもの名前を決める制度を変更しようとする動きは生まれないのでしょう。

とりわけ日本のように少数派が迫害されやすい社会では、「子どもの名前を親が決めるのはおかしい」という疑問すら口にするのが憚られてしまいます。「なんで自分の名前が嫌いなの?」「別に変な名前じゃないでしょ?」について、私が真摯に上記のような主張をしても、変人扱いされるのがオチです。

名前の問題を考えると、親との関係がいい人たちだけで社会体系が構成されている、といつも私は考えてしまいます。当たり前ですが、子どもは親を選んで生まれてくるわけではありません。親といい関係を築けた人たちに「もし、ひどい両親の元に生まれていたら、自分の人生は一体どうなっていたか」を考えてもらいたいので、この記事を書いておきます。

人は自分のためにしか生きられない

前回までマザー・テレサナイチンゲールガンジーと3名の私の尊敬する人物を紹介させていただきました。この3人は自分を犠牲にしてでも他者のために生きていますが、なぜそんなことができたのでしょうか? 

その理由は誰にも特定できないでしょうが、3人ともが非常に恵まれた子ども時代を過ごしていることはその必要条件だった、と私は考えています。不幸な子ども時代を送った者ほど、人の不幸が分かるとは思いますが、だからといって、人に優しくできるとは限りません。不幸なほど人は心に余裕がなく、他人に優しくできなくなる場合の方が多い、と私は感じています。

また、3人とも他者を助けることで、自分の中で充実感が得られたから、慈善事業にあれほど人生を費やせたのだと確信します。なんの見返りもなく、誰からも称賛されず、実践しても辛いだけだったら、3名とも偉業を成し遂げることは不可能だったと私は考えます。

究極的に、人間はなんの満足感もない事柄を継続することなどできないでしょう。完全な自己犠牲など不可能で、全ての慈善活動は偽善的な側面、自分のためにしている側面があると私は考えています。全てなので、上の3人の慈善活動も偽善的側面はあると見なしています。

「究極的に人は自分のためにしか生きられない」の考え方は、私の社会観の大きな柱になっているので、これまで多くの日本人、外国人に語ってきました。その経験では、カナダ人の多くがこれと同様の考え方を持っていたのですが、日本人だとこの考え方に強い反感を示す人が少なくありませんでした。反感を示す方たちは、人間の浅い内面しか見ていないように思えてなりません。

非暴力を成功に導いたガンジーの実像

20世紀に最も人類に貢献した人物といえば、ガンジーだと私は考えています。もっと言えば、人類史上で彼ほど偉大な人物はいない、とさえ考えています。

暴力に対して非暴力で対抗する理想主義を主張するだけでなく、その実践により、大英帝国が絶対に手放したくなかった植民地インドの独立を達成させた功績は、歴史上比類ないものがあります。その理想主義に感銘を受けた人物にはアインシュタイン、マーティー・ルーサー・キング、ダライ・ラマネルソン・マンデラなどのノーベル賞級の著名人をはじめ枚挙に暇がありません。ガンジーがいなければ、理想的すぎると批判される日本国憲法9条もなかったでしょう。冷戦が第三次世界大戦にならずに終結した理由の一つには、ガンジーの非暴力の思想と功績が世界中に広まっていたことがあると私は考えています。

ただし、そんなガンジーも人間です。欠点はありますし、失敗を何度も犯しています。以下、「ガンジーの実像」(ロベール・ドリエージ著、白水社)を元に、ガンジーの欠点と失敗の代表的なものを示していきます。

ガンジーはロンドンに留学するほど裕福な家庭に育っています。イギリスで弁護士資格を得たガンジーはインドに戻って弁護士業を始めますが、すぐに挫折して、南アフリカに行きます。この南アフリカ滞在中に列車から放り出されるなどの理不尽な人種差別を受け、ガンジーは人権擁護の活動家に生まれ変わります。ただし、この人権擁護の対象はインド人だけでした。ガンジーの自伝には250ページも南アフリカに費やされているものの、南アフリカの圧倒的多数の被差別人種、黒人については全く触れていません。ガンジーにとって南アフリカの人種問題は、インド人が白人と対等になることが全てだったようです。

ガンジーの政治感覚は、今から考えれば、甚だしい見当違いが少なくありません。たとえば、1930年代のヨーロッパ訪問で、ガンジーユダヤ人問題について次のように発言しています。「ユダヤ人が消え去ったなら、彼らの人類に対する貢献は最大となる。私がドイツのユダヤ人の立場なら、亡命を拒み、苦しみの中に喜びを見出すだろう。もしもユダヤ人がこの考えを受け入れるなら、虐殺も喜びの出来事であろう」

西洋文明を嫌悪するガンジーの考えは全く科学に基づいてはいませんでした。特に健康についての考えは、ひどいの一言に尽きます。ガンジーの著作である「健康の手引き」は日本の巷に溢れるトンデモ本よりも非科学的で、もはや宗教本と言っていいでしょう。肉食は最も遅れた民族の食事で、お茶とコーヒーは脳を障害させ、カカオは感触を鈍くする毒を含み、牛乳や豆まで有害だとの主張には何の根拠もありません。ガンジーと同じ遺伝子と生活をしていない人以外、絶対に実践してはいけません。

ガンジーの教育論も極めて独善的です。科学技術を徹底的に批判していたガンジーは、教育に本の使用、つまり教科書の使用を認めませんでした。教育すべき唯一の技術は、手紡車と手織機だと本気で信じていたのです。恐ろしいことに、ガンジーはアシュラムという道場で、自身の息子を含めた何名かの子どもにこの教育方法を実践しました。当然のように、その子どもたちは文章もろくに読めない、知性も感性も精神力も弱い大人になり、挙句、ガンジー自身にも疎まれた者までいます。

マザー・テレサナイチンゲールもそうですが、ガンジーも伝記(偉人伝)ではその欠点がほとんど書かれていません。あるいは欠点も長所のように解釈する本まであります。どんな聖人でも欠点があり、失敗することは当たり前なので、子ども向けの伝記だとしても、正しい人間観を養うため、それらは欠かさず書いておくべきだと私は思います。

近代病院は医者ではなく看護師により創られた

ナイチンゲールは資本主義勃興期のイギリス家庭に生まれました。貧富の差が極限まで広がっていた時代の上流階級であり、名前のフローレンスはイタリアの都市「フィレンツェ」のことです。両親が2年間の新婚旅行中にフィレンツェナイチンゲールを産んだことが由来です。そんなことが可能なくらい両親はお金持ちなのに、事実上、働いていませんでした。

ナイチンゲールには姉がいますが、この姉は社交界でどの男がどれくらいの金持ちかしか興味のない女性だったようです。慈善活動を通じて貧民に同情するようなナイチンゲールと姉は意見が合わないことも多かったそうです。

ナイチンゲールが子どもだった頃、看護師は現在のように立派な職業として認識されていませんでした。仕事のない能力の低い女性が仕方なく就く卑しい仕事でした。看護師の労働環境は劣悪でしたが、看護師の人間性も劣悪でした。

だからナイチンゲールが「看護師になりたい」と言い出して、家族全員が猛反対したのは無理もなかったでしょう。とりわけ、妹のいい子ぶりに日ごろから頭にきていたナイチンゲールの姉は精神が極度にかき乱され、寝込んでしまったそうです。それでも、ナイチンゲールの決意は変わらず、根負けした父はドイツでの看護師活動を許しました。そこで現実を知って諦めることを父は期待していたようですが、実際はその逆で、ナイチンゲールは看護の重要性を確信し、ロンドンの病院で看護師として働くことになります。

当時、病院は病気を治すところというより、病人を見捨てるための場所でした。一度入院したら退院することはほとんどなく、死ぬまで病室にいるのが一般的だったのです。まだ感染症の原因が細菌やウイルスと特定されていない時代なので、病人は厄介払いするかのように病院に送られたのです。お金持ちは医師に往診に来てもらって、病院にかかることはほとんどありませんでした。

病院の衛生状況も、今の基準でいえば醜悪としか言いようのないものでした。ベッドのシーツや病院服は患者が死ぬまで変えません。病室の掃除はしませんし、空気の入れ替えもしません。一般人より栄養が必要なはずの患者に、一般人以下の粗末な食事しか与えません。看護師が患者の食事を介助することはなく、食事を患者の目の前に置くだけで、患者が食べていなければ、看護師はそれを下げます。患者と看護師が話すことも、基本的にありません。

ナイチンゲールはそれを根底から変えます。後にナイチンゲールが提唱した「患者をよく観察すること、患者の環境衛生を整えること、患者の精神面のケアをすること」はこの時、その土台ができていたようです。実際、この改革により病院環境は見違えるように改善し、病気の治癒率も上がり、イギリス中でナイチンゲールの看護活動は評判になったそうです。

それを知った陸軍大臣は、当時勃発していたクリミア戦争の後方病院の看護をナイチンゲールに依頼しました。その病院では死者数が続出しており、世論の非難が沸騰して、大臣は頭を抱えていたのです。ナイチンゲールは選抜したわずか38名の看護師だけで、数千人の患者のいる兵舎病院に赴任しました。

ナイチンゲールは便所掃除を手始めに、徹底的な衛生環境の改善を行います。患者の体を洗い、病室に光を入れ、清潔な水を使用し、栄養のある食事を摂ってもらうようにしました。栄養のある食事を用意することは、当然のことながらお金がなければできませんが、上流階級のコネを使って、実現させたようです。さらに、患者の精神面のケアを忘れず、全ての患者と会話するように努めました。

ナイチンゲールの看護改革には、現地の軍上層部から強い抵抗を受けます。軍上層部にとって、戦場でケガした落第者たちに、前線で戦っている勇敢な兵士以上に手厚い保護を与えるなど、許せないことだったのです。このままでは、軽いケガでもして病院送りになった方がマシと考える者が出てきて、軍紀が緩むと考えたわけです(実際そう考える兵士はいたでしょう)。ナイチンゲールは看護の激務で体力を消耗すると同時に、軍上層部との対立で精神を消耗していったようです。それでも、ナイチンゲールは自身の看護理念を実践し続けました。結果、兵舎病院の死亡率は42%から2%と劇的に減少したのです。

この革命的な成果は、イギリス本国はもちろん、世界中に喧伝されました。病院での衛生状況の改善、患者の精神面でのケアが、病気療養にいかに有効かを世界中が知ったようです。この瞬間に近代病院が誕生したと言っても過言ではないでしょう。以後、世界中にナイチンゲール流の看護を取り入れた病院が設立されていきます。病院は病人を見捨てるための施設ではなく、病気を治して復帰するための現在のような施設になりました。

ナイチンゲールは、クリミア戦争で1日1200人もの傷病兵に8時間連続で膝をついて包帯を巻き続けたり、毎晩数千人の患者を見回ったりした過労がたたって、人生のほとんどを病床で生活することになります。しかし、その後も看護師の育成と地位向上に精力を傾け、現在、看護師を卑しい仕事だとみなす者は誰もいなくなりました。

 

※注意 上ではナイチンゲールだけが近代病院の創始者のように書いていますが、そのような認識は世界中のどこにもありません。ナイチンゲールが近代病院を形作る上で大きな役割を果たしたことは確かだと私は思っていますが、ナイチンゲールがいなくてもいずれ近代病院が確立されていったことも確かだと私は考えています。また、クリミア戦争での兵舎病院での死亡率は、ナイチンゲールの到着後、急上昇していたことが後に判明しています。ナイチンゲールが不衛生なままの兵舎病院に兵士を多く送ってくるように要請して、感染症が蔓延してしまったからです。この後、兵舎病院で死亡率が激減したのは、看護師たちによる衛生環境改善よりも、病院工事による患者すし詰め状況改善と汚水処理状況改善の影響が大きかった、というのが現在の通説です。さらに、ナイチンゲールが長年信奉した病因瘴気説は、ナイチンゲールの生存中に科学的に完全に否定されています。

マザー・テレサの日本人へのメッセージ

マザー・テレサというと、若い世代には歴史上の人物でしかないでしょう。生まれたのは1910年でオスマン帝国と聞くと、なおさらでしょう。

テレサはその地方では裕福な家で育ち、幸せに満ちた子ども時代を過ごしていたようです。敬虔なカトリックであった彼女は世界の不幸な人のために生きたいと考え、21才の時からインドの修道院で働いています。しかし、修道院で上流階級のキリスト教徒ばかり相手していた彼女は、これで本当に不幸な人を救っていることになるのか、と疑問を感じ続けていました。

ついに1948年、テレサ修道院の外に出て、当時インド最大の都市であったコルカタの貧民のために活動することを決めます。この決意を聞いた同僚の修道女たちは、スラムのひどい状況を知っているものの、単なる修道女のテレサが一体なにをしたいのか、なにをできるのか、よく分からなかったそうです。

テレサがスラムで行った活動は、大まかに二つだけです。一つは、青空教育です。浮浪児たちに無料の教育活動を行っていたのです。もう一つは、浮浪者たちに笑顔で話しかけることです。彼女は物質的豊よりも精神的豊かさ、身体状態よりも精神状態を常に重視していました。どんなに貧しい人でも、どんなに身体が病気に蝕まれていても、精神的な豊かさを得ることはできると信じていたのです。不幸で見捨てられている浮浪者たちの心を少しでも救いたいと、テレサたちは毎日多くの浮浪者に笑顔で声をかけ続けました。

テレサが精神面を重視したことが最もよく分かる活動が「死を待つ人々の家」です。これは医学的に絶対に助からないと分かった人たちを看取る施設です。経済的な観点からいえば、このような人たちにお金や労力を注ぎ込むのは必ずしも有益ではありません。しかし、そんな見捨てられた人だからこそ、私たちが心を救わなければならない、とテレサは考えていたのです。

テレサの活動は順調に進んだわけではありません。ヒンドゥー教が多数派のインドでは、キリスト教徒のテレサの博愛行動は、どうしても布教活動の一環として見られましたし、事実、その側面はありました。しかし、相手の宗教を問わず、また無理な改宗をさせることもなく、教育活動や心の救済をする姿勢にインドの人たちもテレサの活動を次第に受け入れるようになっていきます。

そのうちにテレサが設立した「神の愛の宣教者会」の活動は、世界的にも知られるようになります。1965年にはカトリック教会から、ベネズエラでも活動してほしい、とお願いされました。テレサはインド以外での活動を全く考えていなかったようですが、実際にベネズエラに行って、見捨てられた浮浪者たちを見ると、「確かにこの人たちを救わなければならない」と考えを改め、ベネズエラにも神の愛の宣教者会を設立します。

ノーベル平和賞を受賞したテレサはさらに世界中で有名になっていき、1981年には請われて、日本にも来ます。講演を依頼されたのです。テレサは講演をするためだけに日本に来たのですが、滞在中に神の愛の宣教者会を日本にも設立することを決めます。どうしてテレサは世界第2位の経済大国になっていた日本に、インドの貧民のためだった修道院を作ったのでしょうか。

それは日本の東京で、インドのコルカタ同様に不幸で打ちひしがれている浮浪者たちを見たからです。物質的にも精神的にも恵まれた日本人たちが、そんな浮浪者たちを見ていながら、無視して通り過ぎていることに衝撃を受けたからです。

「どうして日本人たちは不幸な同胞たちを見捨てているのでしょうか。日本は物質的に豊かになったとしても、精神的に豊かになったと言えるのでしょうか」

私がこの言葉を知ったのは、それから20年以上後で、既にマザー・テレサは亡くなっていましたが、強いショックを受けました。私も浮浪者たちを無視している多くの日本人の一人だったからです。また、そのことに疑問を感じたこともないに等しかったからです。

よく考えてみれば、いくら私が貧しいと言っても、浮浪者一人くらいを養うことはできます。ワンルームマンションでも、工夫すればあと一人くらい眠れる場所は作れますし、食料だって一人分くらいは用意できるでしょう。毎日、笑顔で語りかけることだってできます。間違いなくできるのに、していません。「私が日本の最も嫌いなところ」で書いたように、「人間は皆同じ」だと私は考えています。同じ社会にいる以上、私が浮浪者として見捨てられていた可能性はあり、誰かが浮浪者として見捨てられている責任の少しは私にもあります。社会道徳的に明らかに私は救うべきだし、物理的に金銭的に救える能力もあるのに、救っていないのです。

上のマザー・テレサの言葉を知って、私の道徳観は変わりました。だからといって、私が浮浪者を自分の家に住まわせているわけではありませんし、笑顔で浮浪者に話しかけるようになったわけでもありません。そんな自分の生き方が、人として最も大切な道徳に欠けているところがある、と常に自覚するようになったのです。もちろん、今この瞬間もそう思い続けています。「どうして不幸な人を見捨てているのに、平気で暮らしているのか?」とマザー・テレサに問われたとして、私は言い訳など全くできず、謝罪の言葉を述べるしかない、と肝に銘じています。

抽選制民主主義

代議制民主主義の国では、国民が民主的な投票によって代表者を選び、その代表者たちが国民の守るべき法律を定め、税金をどう徴収するかを決め、税金をどう使うかを決めます。

これは合理的に思えるのですが、なぜこの政治形態が上手くいかないのでしょうか。国民が選んだ代議士の政治に、どうして国民が不満を持つのでしょうか。

その大きな理由の一つに「民主選挙で決まる人」と「適切な政治判断ができる人」が一致していないことがあるでしょう。国民から選ばれるためには、当然、自己アピールが得意な人でなければなりません。口下手な人はまず選ばれませんし、外見の悪い人だって選ばれにくいでしょう。しかし、自己アピールの上手さや外見の良さは、適切な政治判断ができることと直接の関係はありません。

では、選挙以外のどのような方法で「適切な政治判断ができる人」を決めればいいのでしょうか。一つには、試験で決める方法があるはずです。民主政治の行政と立法は、官僚と代議士によって運営されていて、特に日本では官僚の権力が強いそうですが、官僚は主に試験によって選抜されています。試験による選抜は、どのような試験で判定するか、今のような若者だけの採用でいいのかなどの問題はあるものの、妥当な方法だと私は考えています。

もう一つの方法として、抽選があるでしょう。「投票価値試験の公平性 」で示したような簡単な試験を全有権者に課して、その試験で一定点数以上の結果を出した者から抽選で代議士を決める方法です。

なお、抽選で決まった代議士の個人名は明かされません。任期中に下した決断に対して、代議士が責任をとらされることもありません。マスコミ発表は「23名の議員の提案により、十分な所得のある高齢者の医療保険料の全額自己負担が審議されました」「過半数の51名の議員の賛成により、市の予算案が可決されました」となり、特定の議員名が出されることはありません。

このような抽選制民主主義を採用すれば、次のようなメリットがあるはずです。

1、代議士に2期連続でなれなくなるので、権力の固定による腐敗が防げる

2、代議士か特定されないので、代議士への利益供与を防げる(当然ながら、偶然特定したとしても、代議士への利益供与は厳しく罰せられます)

3、選挙活動費が節約できる

4、一部の政治エリートのためだけでなく、一般人のための政治が行われやすくなる

ところで、現在の日本では地方自治体に首長がいます。首長まで抽選で決めると、あまりに不適切な人物が選ばれた場合の弊害が大きくなります。首長のような一人代表者まで抽選制を適用するのは避けるべきでしょう。それ以外にも、今すぐ思いつくだけで以下のようなデメリットが抽選制にはあります。

1、議会の公開度が下がる(議会の映像にはモザイクがかかり、音声も変更処理されます。議事録の発表者は匿名になります)

2、政治の専門家でない者が政治を動かすことになる

3、有権者が信頼していない者が有権者に強制力を持つことになる

4、政治では判断が重要であるが、全ての判断は完璧ではない。その不完全な判断を有権者に適切に発表して、信頼してもらうことの方が重要な場合もあるが、特定の人が発表できないので、適切な発表ができにくくなる

他にもデメリットはあるでしょうが、十分に洗練された抽選制民主主義なら、少なくとも現状の日本の代議制民主主義より、遥かに優秀な制度になれると私は確信しています。(ただし、代議制民主主義のままでも、現状よりも優秀な政治制度は作れるとも思っています。その一つの改革案を「投票価値試験」に書いています)

幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる国

どんな時代のどんな社会でも、幸せな人はより幸せになりやすく、不幸な人はより不幸になりやすいです。それを是正するため、自由や平等を尊重する民主主義国家が誕生したのでしょうが、完全ではありません。

幸せな人は幸せになりやすく、不幸な人は不幸になりやすい国ほど、民主主義のレベルが低いと、私は自身の海外経験から考えています。この意味で、日本はまだまだ幸せな人のためだけにある国で、民主主義以前の階級社会のようにも思えます。「カナダ人の寛容性と生産性の相関関係」に挙げた例を読めば、カナダと比較すれば日本は、幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる国であると理解してもらえるのではないでしょうか。

ところで、冒頭の「どんな時代のどんな社会でも、幸せな人はより幸せになりやすく、不幸な人はより不幸になりやすい」は、私にとって当たり前のことなので断定させてもらっています。こう考えていない、あるいは、これに気づいていない日本人が多いこと自体が問題でしょう。だから、ここであえて記しています。

ブラック企業でもこれだけは我慢できない

私がブラック企業にいた頃、同じ現場で毎日パワハラに耐えている同僚が「他の叱責は仕方ないにしても、そう言われることだけは我慢ならない」と口を揃えていた不満があります。上司からの次のような叱責です。

「ここでダメだったら、どこいっても同じだからな」

「こんなんじゃ、他でもやっていけないぞ」

私も同様のことを言われて、「それだけは言っていけないだろう!」と思ったことが何度もあります。毎日、理不尽な叱責に耐えているのは、あくまで会社内で雇用関係にあるからです。その関係さえなければ、社会全体での個人と個人の関係になれば、こんな性格の破綻した上司の言うことなど、黙って聞いているわけがありません。無視するか、頭にきていれば怒鳴り返しています。

だから、あくまで会社内で「ダメだ」「バカか」「無能だ」と言われるのなら、それは耐えるしかないかもしれません。しかし、「会社外でもダメだ」などと叱責することは、人として絶対に許されません。そんなことを言う権利が、法の下の平等憲法で保障されている日本で、パワハラを行うような基本的人権を無視した上司に存在するわけがありません。社会全体では立場が対等なのですから、誰かが誰かを威圧的に叱責するなど傲慢な行為は許されません。自分の基本的人権が相手に損害されていたとしても、相手が気づいていない可能性もあるので、まずはその事実を伝えて、穏便な問題解決を目指すべきでしょう

これは当たり前のことですが、多くの日本人上司はそのことを本当に忘れています。だから、ここに記しておきます。また、かつて上のような叱責を受けた私を含む人は、パワハラの連鎖を止めるために、同様のことを部下や新入りに言わないよう、十分に心がけておくべきでしょう。

新卒一括採用の功罪

私はこちらのブログで何度もカナダの自由と平等を称賛してきました。しかし、人生で重要な分岐点である就職については、カナダは必ずしも自由でも平等でもありません。

カナダで就職を目指そうとする複数の日本人およびカナダ人から聞いた言葉ですが、カナダでは「なにができるかではなく、誰を知っているかによって(by not what you do but who you know)」就職が決まるそうです。市の就職相談会に行くと、公務員が「就職したければ、頼りになる知人を作ることだ」と明言しいて、仰天したという日本人に会ったこともあります。カナダではコネ就職が一般なのです。

私の知る限り、日本のような新卒一括採用システムがある外国は韓国だけです。カナダではインターンシップ経験から就職する例を除けば(アメリカの一流企業に入るにはこれが一般的みたいです)、学生は在学中に就職活動をしません。卒業してから、就職活動を始めるのです。そうなると、卒業後に希望する求人がすぐ見つかるとは限らないので、とりあえず妥協できる範囲の仕事に就きます。そのうち、さらに条件のいい仕事の求人を見つけたら、募集に応じて、採用されたら転職します。転職は労働者の権利なので、使用者が理不尽な引き留めをすることもありません。だから、転職が多くなります。

一方、日本は新卒就職時にあらゆる企業、あらゆる職種の求人に応募できます。他の外国なら普通に遭遇する「希望する職種がなかなか求人をしてくれない」状況にはまずなりませんし、採用されれば「卒後にしばらく無職の期間がある」状況にもなりません。これだけでも十分な社会利益があるのですが、それ以上の大きな社会利益は「新卒一括採用だとコネ就職が難しくなる」ことでしょう。実際には新卒一括採用でもコネ就職はあるらしいのですが、不特定の大人数から選ぶ以上、明らかな能力差があるのにコネで採用するのは確実に難しくなるはずです。少なくとも日本の公務員が「新卒一括採用ではコネが重要だ」などと広言することは許されないでしょう。それくらい新卒一括採用は平等に近いシステムだと私は思っています。

ただし、日本の新卒一括採用システムだと、ほぼ全ての職種の選択肢を示して決めている以上、採用者がすぐに辞めることは認められません。だから、日本で転職の文化は根付かないままです。新卒採用を逃すと、就職口は激減します。

また、日本で就労条件のいい企業への求人が卒業前に必ず提示されるので、わざわざ自分で起業する必要は激減します。新卒一括採用は、間違いなく、日本で若者の起業を少なくしています。

「若者と労働(濱口桂一朗著、中央公論新社)」では、「日本の企業の人事担当者は、自分たちが毎日やっている人事や、賃金管理の仕事がどのような原理原則のもとに行われているかを理解していない」と断定しています。他の多くの日本の習慣と同様、新卒一括採用も、経済合理性を検証されることなく、伝統的になんとなく続いてきたようです。だからこそ、新卒一括採用の功罪については、日本人全員が意識して知っておくべきでしょう。「日本はなぜ再チャレンジが難しいのか」「日本ではどうして起業する者が少ないのか」といった問題の答えに、「新卒一括採用システムの浸透」がすぐに挙がらなかったら、本質を見誤っていると考えていいでしょう。

理由が分からないことは問題なのか

前回の記事の最後で、「医学では、統計による根拠はメカニズムによる根拠に勝る」ことを示しただけで、文部科学省批判までしているのは論理の飛躍があるので、捕捉しておきます。

身の回りのことで、理由を説明できることはどれくらいあるでしょうか。電車がどうして動いているか、そのメカニズムを完全に理解している人はいますか。電車の部品が何千、何万あって、それらがどう有機的に結びついて、どこが故障したら、どんな問題が起こるのか、完全に理解している人はいますか。あるいは、携帯電話はどうですか。どうして携帯電話で友だちといつでも会話できるんですか。テレビや洗濯機や冷蔵庫の仕組みは知っていますか。知らないと使ってはいけないんでしょうか。だとしたら、超高齢社会が進む一方の日本は大変です。

本来答えのあるべき自然科学の領域でさえそうなのですから、政治や社会の問題になれば、なおさら誰もが納得のできる理由はありません。伝統でなんとなく続いている習慣が多い日本なら、とりわけそうでしょう。周りに同じ意見の人ばかり集まっている国で、国語や社会でも模範解答のある問題のテストを受けてきたので、そんな当たり前のことすら忘れてしまったのでしょうか。

世の中のほぼ全ての自然事象は、どうしても説明できない部分を必ず含んでいます。たとえば、ニュートンの力学方程式は地上だけなく天上の運動も同じ法則でとらえた画期的な発見ですが、なぜそんな方程式で全ての物体の運動が成り立っているかは説明できませんでした。それを解明するには、アインシュタインの重力方程式の発見まで待たなければなりません。その重力方程式にしても、なぜそんな方程式で宇宙が成り立っているかは説明できません。当たり前です。しかし、こんな自然科学の公理を理解しないまま一流大学を卒業している日本人は多いのかもしれません。

もし多くの日本人が「AIは理由を説明できないことが問題」とだけ考えていたら、それは日本人全体の知性の低さを示しており、明らかに文部科学省に責任があります。

医学的根拠で最も重要なのは確率的妥当性である

ノーベル賞受賞者山中伸弥と将棋の羽生善治の対談動画あります(https://www.youtube.com/watch?v=wIWXtJHN8cE)。この動画の25分以降に、羽生が「AIは確率的にこちらが正しいと言っているだけで、その理由の説明がない。医療のような世界で、理由がよく分からないのでは、命を預けられないと思う」と全く医学を理解していない疑問を口にしています。

朝日新聞で村瀬将棋部記者が「AIの問題点は理由を説明できないところだ」と何度も何度も同じ記事を書いています。10年近くもAIと将棋について考えてきたはずなのに、この程度の浅い見解を繰り返し書くだけで、一流新聞社にいられることの方が、私としてはAI問題よりよほど疑問です(朝日新聞記者への皮肉はこちらの記事に書いていますhttp://perfect-chaos.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-6e0e.html)。

「医学的根拠とは何か (津田敏秀著、岩波新書)」にもある通り、医学的根拠には直感派とメカニズム(機能)派と数量化派があります。それらはお互いに補完しあえる根拠ですが、最優先されるのは数量化、つまりは確率的妥当性になると20世紀の後半には結論が出ています。特に薬物療法については、そのメカニズムが完全に分かっているものなど皆無といっていいでしょう。

日本の医学会では有名な話ですが、20年ほど前、認知症薬として脳の血流をよくする薬がありました。認知症の人は脳の血流が下がっているので、血流がよくなれば脳が活発になるとメカニズムとして推論したわけです。その薬は爆発的に日本で売れていましたが、統計的根拠が医学で重視される普通の国では全く売れませんでした。平たく言えば、日本以外の国ではそもそも薬として認められませんでした。その異常さに、さすがの日本の医学会も反省して、再度、二重盲検法を用いて、脳の血流をよくする薬が認知症に効くかを調べました。既に二十種類以上も脳の血流促進薬が認知症薬として販売されていましたが、それらは全て、一つの例外もなく、効果がないと判定されています。日本では現在、それらの薬は認知症薬として保険適用がありません。

一方で、世界的に売れた認知症薬のコリンエステラーゼ阻害薬は日本で発明されたのですが、コリンエステラーゼ阻害薬が認知症に効くメカニズムを正確に説明できる医者は世界中に一人もいません。せいぜい、「認知症患者は脳内アセチルコリン濃度が低いから、アセチルコリン濃度を上昇させると認知症の進行を遅らせる効果がある」くらいでしょう。しかし、その論理だと「脳の血流をよくする薬がどうして認知症に効かないのか」と問われると、説明できないはずです。

このように全ての薬はそのメカニズムが完全には分かっていません。そもそも、人間の体内のタンパク質は10万個程度あると推定されていますが、その相互作用はほとんど分かっていません。つまりは、なぜ人間が生きているのかすら、医学はあまり解明できていないのです。だから、当然、体内に入った薬が体内でどう相互作用を起こすかなど完全に分かるわけがありません。

しかし、統計的に結論を出すことはできます。全員に効かないかもしれないが、8割の人に効く薬であれば、使うべきでしょう。なにもしなければ5年以内に80%の人が死ぬが、ある薬で5年以内に死ぬ人が20%まで減らせるなら、その薬を使うべきでしょう。このように確率的に考えた方が、現代の医学には有効なのです。

それでも「統計的には効果があるとしても、そのメカニズムを説明できなければ納得できない」と考えるのでしょうか。「理論的には効くはずだが、統計的には効果の認められない薬」を使った方がいいと思うのでしょうか。もし多くの日本人がそう思っているなら、日本人の自然科学観は決定的な欠陥があると断定していいでしょう。高卒棋士の羽生はともかく、一流新聞社まで「理由を説明できないのはAIの欠点だ」と(一度だけならまだしも)何度も全国記事で堂々と主張しているのは、日本の恥だと文部科学省には考えてもらいたいです。

人として大切なところが欠けている

私が小学生の頃です。タチの悪い友だちが得意気にこんなことを言っていました。

友だち「知っているか? アメリカでは銃で人を撃っても、『撃たれそうになったから撃った』と言えば罪にならないんだぜ」

私(バカ言うな。そんなことあるわけないだろう)

そんな言い訳が通用したら、無法国家です。世界最高の民主主義国のアメリカで起こるはずがありません。そう信じていました。

しかし、1992年、愛知県の少年が留学先のアメリカで射殺された事件が起きます。銃はもちろん武器すら持っていない少年です。「『動くな』と言ったのに、動いたから撃った」と被告は裁判で主張すると、陪審員の全会一致で無罪となりました。

私(嘘だろう!)

衝撃を受けたのは私だけでなく、当時、このニュースは日本で大きく扱われました。銃を撃って、人を殺して、全会一致の無罪判決が出るなど、日本ではありえない、いえ、まともな国家なら想像もできないはずです。小学校時代の友だちの妄想だと思った言葉は、事実だったのです。

その後、私はカナダで暮らす機会があり、カナダ人やアメリカ人と銃規制の議論をしたことは何度もあります。アメリカ人は「自分の身を自分で守るのは人間として当然の権利だ」、「合衆国憲法にも銃を持つ権利が認められている」などと主張してきます。それに対して、私は必ず上記の話をします。それでも納得しない相手には、私はこう言っていました。

私「率直に言わせてもらうが、『撃たれそうになったから撃った』という言い訳が通用する国家を認める人は、どんな理屈で正当化しようとも、人として大切なところが欠けているとしか僕には思えない」

PISA現象のおかしさ

若い世代には通じないでしょうが、10年ほど前、日本には「PISAショック」という言葉がありました。「国際的な学力テストのPISAで日本の成績が下がったショック」を意味しています。PISAショックは、当時導入されていたゆとり教育批判の根拠にもなりました。一方で注目された「教育先進国」がフィンランドでした。日本のPISA順位が下降していた2003年や2006年、フィンランドが成績上位だったからです。当時マスコミがやたらとフィンランド教育を称賛したので、今でも20代以上の多くの日本人が「フィンランド=教育国」の印象を持っているかもしれません。

しかし、wikipediaで過去のPISA成績一覧を見てもらえば分かる通り、PISA史上で飛びぬけて優秀だったのは上海です。2009年と2012年で2位以下を突き放しています。客観的に判断して、上海のぶっちぎりの成績の前では、フィンランドなど霞んでしまいます。当然、今度は「上海に学べ!」と日本のマスコミは、フィンランドの時以上に騒がなければならないはずです。

しかし、そんな声は全くと言っていいほど聞かれませんでした。日本で、フィンランドの教育本は今でも出版されていますが、上海の教育本など見つけるのさえ難しいでしょう。そのダントツだった上海は2015年のPISAで「中国」と一括して計算されるようになると、大幅に偏差値を下げています。この事実を知る日本人は少ないはずです。いつの間にか、日本のマスコミが揃ってPISAの順位に騒がなくなったからです。

明らかに、この一連のPISA注目度の上昇と衰退は、大きな問題があります。最低でも、日本のマスコミや教育関係者は次のような検証はするべきです。

フィンランドPISA成績はなぜ下がったのか

フィンランドの教育は日本に導入可能だったのか(日本が参考にするだけでなく、直接見習うべきだったのか)

・どうして上海はPISAで抜群の成績を叩き出したのか。

フィンランドが注目されて上海が注目されなかったいびつさに、どうして疑問の声が上がらなかったのか。

・どうして2012年の上海と2015年の中国で成績が大きく違のか。

・どうして日本のマスコミはPISAに関心を失っていったのか。

今まで日本のマスコミが(あるいは日本人が)こんな重要な教育問題を無視してきた反省も含めて、検証してほしいです。

五蘊盛苦

五蘊盛苦という仏教用語を知る人は少ないでしょう。四苦八苦の一つで、「自分の容姿と自分の性格が自分の思い通りにならない苦しみ」という言葉です。「キレイになりたい」と思ってもなれない苦しみ、「明るくなりたい」と思ってもなれない苦しみはどんな人でも感じます。

一党独裁を批判された中国人の反論」で、私は中国人に謙虚さを求めましたが、日本人に謙虚さを求めていません。「日本人は中国人より謙虚なのだから、中国人こそ謙虚になるべきだ」との思い上がりがあったのです。現実の日中関係を見ていると、どちらも謙虚ではなく、子どものように意地の張り合いをしています。そんな場合に譲歩するべきなのは、普通、より成熟した方でしょう。この場合なら、日本です。私はその逆を要求しているわけで、明らかにいびつです。私のような者に外交を語る資格はないのかもしれません。

さらに私は「なぜ日本人は討論下手なのか」の記事で、日本人の人間観や倫理観が劣っているから建設的な議論ができない、だから日本人と議論するのは嫌だ、と上から目線で批判しています。しかし、相手が劣った人間観や倫理観を持っているなら、分かりやすく諭してあげればいいだけです。そんな説得能力がない以上、相手の人間観や倫理観が劣っていると批判する正当性は私にないでしょう。

相手から自分の意見を感情的に批判されたとき、こちらは感情的にならずに理性的に諭せるような性格になりたい、と私はずっと思っています。しかし、どんなに頭で分かっていても、「バカにつられてバカになってしまうなんて、バカな奴の言い訳だ」といくら考えていても、感情を抑えることができません。過去あるいは現在の精神的な余裕がないのです。

私は「今の自分でいい」「どんなに頑張っても自分は自分でしかない」などと思ったことは、この10年間以上、一度もありません。いつも「自分は最低だ」「自分は変わらなければいけない」と強く思って生きています。それくらい自分はダメだからです。

しかし、人間は「口下手な人」から「話上手な人」などとそう簡単に変われません。大抵の人は、一生変わらないでしょう。それでも、10年、20年と長い期間で見れば、必死で変わろうとした人と、自分を肯定してきた人では、大きな違いになる、と私は信じています。だから、私は自分の人間観や倫理観を相手に正しく伝えられる性格になるよう、今も努力し続けています。

なぜ日本人は討論下手なのか

建設的な議論が成り立つには、お互いに社会観、人間観、倫理観、洞察力などがある程度の水準以上でなければならない、と私は考えています。ほとんどの日本人はその水準に達していないように私は思っています。日本人集団だと意見がほぼ一致している時だけ口論にならずに深い話ができますが、実際は同調しあっているだけで、建設的な議論では全くありません。意見や視点が違う人とは、「言い争いになる」あるいは「一方が言ってもう一方が聞くだけになっている」のどちらかです。新しい視点を知り、新しい概念に到達し、お互いに知的に満足することなど、まずありません。

私は知性の高い西洋人と議論するのは好きですが、日本人と議論するのが嫌いです。

その具体的な経験や、そのような考えに至った経緯はこちらのブログのいくつかの記事に書いています。読んでもらえると光栄です。

(あまりに傲岸不遜な記事なので、その反省文を次の「五蘊盛苦」の記事に書きます)