未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日本人男性を大量に安楽死させる案

前回の記事の続きです。

「挑発する少女小説」(斎藤美奈子著、河出新書)はミサンドリー(男性嫌悪)に満ちた本でした。理性が飛んでいるとしか思えないほど、ミサンドリーあるいは結婚嫌悪が強いです。特に「若草物語」の章はひどいです。

若草物語は4人姉妹の物語です。主人公の「男の子でなかったのがくやしくてたまらない」次女ジョーは、長女メグが結婚するとき、異常なほどの嫌悪感を表出します。「メグはあの人(結婚相手)に夢中になって、私(ジョー)なんか何もおもしろいことがなくなる」とジョーは私憤を爆発しますが、著者はこの私憤を正当なものとみなして、「そうだ、そうだ、もっと言ってやれ」と囃し立てています。「(ジョーにとって)最愛の姉が奪われる、という恐怖もあったでしょう。メグが恋愛なんかにウツツを抜かしていること自体が許せなかった。それもあり得る。しかし、より本質的には女を束縛する結婚制度、ひいては異性愛至上主義に対する無意識の抗議ではなかったでしょうか」と著者は書いて、ジョーへの異常に強い共感を示しています。

若草物語」には序盤から、ローリーというジョーと同年代の少年が出てきます。著者も認めているように、「いつかこの2人はくっつくんじゃないかしら」「くっついてほしい」と読者は考えます。しかし、「そんなのはくだらないラブロマンスに毒されている証拠」と著者は一蹴しています。「子どもの頃は誰でも『男の子になりたい』っていうのよ。だけど年頃になったらみんな恋に目覚めて、私の大切な人はこんな近くにいたんだわ(ハートマーク)、とかいって結婚するのよ。そんなありふれた言葉を私たちはイヤッというほど聞かされてきました」と、著者は自分以外の女性も同じだと考えているようです。

若草物語」の続編で、ジョーはローリーの求婚を拒絶し、傷心のローリーは四女エイミーと結婚します。さらなる続編で、ジョーも20才年上の哲学教師と結婚します。著者はジョーの結婚が気に入らないらしく、「ジョーの結婚は読者の要望に応えた結果で、作者にとっては妥協の産物だったともいわれています」とわざわざ書いています。

著者は自称フェミニストですが、私にはミサンドリーにしか思えません。残念ながら、私が購読している朝日新聞は、この斎藤美奈子が大好きです。「好書好日」と「旅する文学」と2つもの連載記事を書かせるだけでなく、ほかの記事にも頻出し、日本の若者女性たちに結婚しないよう全力で奨励しています。

少子化が最大の政治・経済・社会問題である現代日本で、これは社会犯罪でしょう。斎藤美奈子朝日新聞は、日本人を絶滅させたくて仕方ないようです。

もし若い女性が結婚せず、恋愛もせず、セックスもしないことが社会的に許されるなら、許された人数分だけ、男性を安楽死させてください。少なくとも私は、女性と結婚できず、恋愛もできず、セックスもできないのなら、そもそも生まれてきたくなかった多くの男性の一人です。それ以外の生きがいなど、私にはありません。現在も私は「家庭10で仕事0」といろんな人に本音で言っています。結婚適齢期まで生きてから安楽死させるのはかわいそうなので、男として生まれた直後に安楽死させる方がいいでしょう。

上の本で、最も腹立たしい言葉は「男だったら、こんな思いはせずにすんだ」です。斎藤文一という宇宙物理学者の父のおかげで、恐ろしく恵まれた人生を歩んだ女がこんな言葉を使う正当性があるのでしょうか。上記の本の内容を男女逆転させれば、いかに女性にとって失礼になるか、斎藤美奈子は少しでも考えたことがあるのでしょうか。斎藤美奈子に何十回もミサンドリーな意見表明をさせて、腹が立たない朝日新聞の男性記者はどれほど恵まれた恋愛経験をしているのでしょうか。誰か、本当に調べてください。

「個の尊重」を守るためなら日本が滅んでもいい

「まだこんなこと言っているのか、コイツは! もういいかげんにしろよ!」

今朝の朝日新聞を読んでいての感想です。

今日の新聞一面トップは人口戦略会議の発表でした。このブログでも何度も書いている通り、少子高齢化、特に少子化は現在の日本の最大の政治・経済・社会問題です。これから日本の多くの地方が電気・水道・医療・教育・介護・保育・交通・インターネットなどのインフラを維持できなくなり、事実上消滅します。その最大の原因は少子化にあります。

「今後、日本の経済がどうなるか知っていますか?」

この1年で私は10代後半から20代前半の日本人10名ほどに上の質問をする機会がありました。3分の2は「分かりません」でしたが、3分の1くらいは「悪くなる」と正解を言っていました。「よくなります」や「現状維持」と不正解を言う若者はさすがにいませんでした。

これも何度も書いていることですが、革命でも起きない限り、日本の経済規模(GDP)は今後縮小していきます。「日本経済がよくなるかどうかは、若い人たちの努力次第です」と言っている奴がいたら、バカだと思ってかまいません。もう既に老害世代が日本の経済減少路線を頑丈に造り上げてしまったからです。経済縮小路線が頑丈になっている最大の原因も少子化です。もはや若者がどう努力しても、人口減少ジェットコースターを修復するまでに50年はかかるはずです。100年、200年、もしくは日本が滅亡する数百年先まで修復できない可能性も十分あります。

人口減少は未来の日本人全員に負担をかけます。上記のような社会インフラの崩壊が最も分かりやすい負担になるはずです。「生涯未婚時代」「高齢者天国日本が見えない新聞記事」「子育てなしなら年金ゼロ」などの記事でも書いたことですが、子どもがいないと社会が持続できません。その社会の構成員である個人も困ります。これは予想ではなく、科学的に導かれる事実です。

それにもかかわらず、朝日新聞は「時時刻刻」という記事で、少子化問題について次のように主張しています。

 

人口問題を考えるとき、経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ。人は決して、人口増の手段ではないのだから。

 

いつまで、この新聞はこんなバカなことを言っているのでしょうか。子どもがいなければ、働く人がいなくなれば、社会が成り立たない事実から、いつまで目をそむけるつもりなのでしょうか。この記事を書いたバカ記者は人口減少すれば個の尊重にもならない、という当たり前の事実を理解できないのでしょうか。

おそらく、このバカ記者にとっての「個の尊重」は、第二次大戦時の日本人が命よりも大事にした「国体」と同じようなものなのでしょう。当時の日本人は戦争でいくら負けがこんで、何百万や何千万の日本人が死のうと、絶対に降伏はせず、「国体」という大義を守ろうと思い詰めていました。「国体」を守るためなら、日本という国が滅んでもいい、と第二次大戦時の日本人が考えていたように、「個の尊重」という大義を守るためなら人口減少で日本という国が滅んでもいい、とこのバカ記者は考えているのではないでしょうか。

上の朝日新聞の主張についてのもう一つの感想です。「経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ」は文化大革命期の中国の紅衛兵が好んで使いそうな言葉です。このブログは朝日新聞記者にも読まれているので、誰か上の文章を書いたバカ記者に「文化大革命と西洋人への皮肉」の記事を読ませてくれないでしょうか。

誰もが不要と認めているのに継続している制度を「枢密院」と呼ぶ提案

「枢密院」(望月雅士著、講談社現代新書)を読んでの感想です。

枢密院といえば「胡散臭い」「頑迷固陋」「陰謀」といった世論が、現在および、その存在中からつきまとっています。1902年、まだ枢密院誕生してから13年の時点で、伊藤博文が総理大臣だった時の「遺物」と中江兆民が枢密院を批判しています。

戦前の日本は衆議院貴族院と枢密院の三院制だった、という見解があります。このうち国民が選べるのは衆議院だけです。貴族院は定数250~400名で議事録が公開されていますが、枢密院は定数わずか二十数名で議事録が非公開です。枢密院は他国に同様の機関がなく、伊藤博文が欧州留学中にシュタインの講義に出てきた参事院を元に「発明」したようです。上記の著者は「枢密院のために、日本の政治は多元化し、また複雑化した。もし枢密院がなければ、近代日本の政治はどれほどシンプルであったか」と嘆いています。

中江兆民が批判した通り、明治憲法の起草時に政治対立がなければ、特に1887年に条約改正についての藩閥内の対立と民権派反政府運動がなければ、「政府と議会の対立を解決するための」枢密院が生まれなかったかもしれません。つまり、一時的な政局で、「憲法の番人」と自称する複雑怪奇な機関(枢密院)が生まれてしまった可能性があるのです。上記の本では「もしその歴史的条件(1887年の政局)が異なれば、枢密院は存在しなかっただろうし、近代日本はまた別の道をたどったに違いない」と確信調で書いています。

1889年に枢密院ができた直後、1890年に帝国議会が始まる前に、山県有朋によって枢密院形骸化が計画されています。さらに帝国議会が始まると、明治天皇は枢密院にろくに出席しなくなり、顧問官(枢密院のメンバー)のモチベーション低下も著しくなります。枢密院を作った当の伊藤でさえ、第二次内閣時代、日清講和条約遼東半島還付条約について枢密院を無視しています。発足直後から数年で、天皇も伊藤も山県もその他の有力政治家も枢密院に疑問を感じていたのです。

確かに、枢密院が若槻内閣を総辞職に追い込んだりした例はありますが、その誕生から終焉までの枢密院の歴史を書いた上記の本を読む限り、政治に大した影響は与えていません。上記の著者の見解とは異なり、たとえ枢密院がなかったとしても、近代日本は同じ道をたどったように私は考えます。

そんな不要な枢密院ですが、顧問官の最大の魅力は給与の高さにあると本に書かれています。1892年に伊藤が枢密院顧問官を「閑職」と呼ぶほど仕事がなかったのに、年俸は各省大臣に匹敵しています。「枢密院顧問官に就くと、亡くなるまで在任するケースが多いのは、就任時の年齢が高いことともに、この給与の高さに理由がある」そうです。枢密院がなければ、近代日本の税金が少しは有効に使えたようです。

そんな税金の無駄でしかない、老害政治家のガス抜きの場でしかない枢密院なのに、有力政治家から一般国民まで煙たがっていたにもかかわらず、枢密院は戦後の日本国憲法制定まで約60年間も残ってしまいました。何度か枢密院をなくそうという案は出ていますが、明治憲法改正の必要性があるため、結局、日本国憲法成立、つまり日本史上最大の敗戦まで実現しませんでした。

敗戦後、多くの日本人が新憲法案を作りましたが、そのほとんどは枢密院の記述なし、つまりほとんどの日本人は枢密院を廃止すべきとしか考えていませんでした。

日本人の上から下まで不要と考えているのに、なぜか継続されている機関や制度は現在も多く残っています。あまりに多いので、そういった機関や制度は「枢密院」と代名詞で呼んでみてはどうでしょうか。

減税は企業献金のキックバック

今朝の朝日新聞に租税特別措置の批判記事がありました。

税制は「公平・中立・簡素」という原則がありますが、その例外として特別に認められた措置で、現在369項目あって、全て知っている方はほぼいないでしょう。

総務省は毎年秋、それぞれの租税特別措置の効果を点検します。昨年点検した36項目のうち、19項目でこれまでの効果について、32項目について将来の効果について、それぞれ説明や分析が不十分と指摘しました。

とりわけ、昨年末に延長と拡充が決まった「賃上げ減税」については、「著しく不十分」と厳しく評価しました。減税が賃上げにつながっているのか、効果検証するためのデータが開示されておらず、総務省ですら検証しようがなかったのです。

このブログで何度も批判していることですが、日本は検証しない国で、情報開示しない国です。賃上げのために減税したなら、当然、減税が賃上げにつながったかどうか考察しなければいけないのですが、していないのです。考察以前に、減税の恩恵を受けている企業名すら謎なのです。ありえません。

日本は一度決めたことは、なかなか変更できない国でもあります。本来、例外である租税特別措置なのに、1951年の昔から2年ごとの延長を続けている「船舶特別償却」もあります。担当者によると、日本の船舶の税制優遇措置はヨーロッパの主要海運国と比べて遥かに劣っているらしいのですが、だったら恒久減税にすべきです。そうすれば、海運の業界団体が毎年1千万円も自民党に寄付しなくてすみますし、役人の無駄な事務処理も減ります。それにもかかわらず70年も延長を繰り返しているのは「延長を繰り返すことで税調(自民党)は業界への影響力を保てるし、財務省も恒久化を避けられる」からだそうです。そんなくだらないことのために、毎年1千万円と無駄な公務員の労力を使うべきと考える日本人が一人でもいたら、下のコメント欄に実名を書いてください。

賃上げ減税も含めた租税特別措置で、毎年8兆円もの税収が減っています(2023年度国家予算の7%)。今年3月の参院財政金融委員会で共産党小池晃が「(減税は)企業献金キックバックだと言われても仕方ないのではないか」と批判しています。同感です。

法曹界への2つの失望

「〇〇の常識は世間の非常識」

自虐表現として、よく用いられる言葉です。医療関係者の私も院長に「病院の常識は世間の非常識」と言ったことがあります。

残念ながら、高い社会道徳が要求される「政治家」にも上記の言葉が使われるのは、周知の通りです。今回注目したいのは「法曹界の常識は世間の非常識」という問題です。

「道徳違反の行為の一部が法律違反になる」という考えがあります。普通に考えて、その通りですし、そうあるべきようにも思います。だから、法曹界の道徳は世間一般の道徳よりも質の高いものであるべきなのですが、そうなっていない実例を「私は真犯人を知っている」(文藝春秋編集部編、文春文庫)から示していきます。

司法試験合格者の中で、最も優秀な者が裁判官になり、次に優秀な者が検察官になり、それ以外が弁護士になる傾向は、このブログを読む方なら知っているでしょう。ごく一部のエリートである司法試験合格者の中でも、さらに優秀な検察官が、ここまで低い道徳観なのか、道徳観以前に常識もないのか、と失望することが「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」でありました。厚労省局長である村木厚子の冤罪事件でもあります。

村木を最初に取り調べた遠藤祐介検事は「私は倉沢さんに会っていません。『凛の会』は知りません」との調書を作成して、村木に確認を求めました。村木は「そこまで断定していません。会っているのに私が忘れてしまっている可能性までは否定していません」と必死に抗議しましたが、遠藤検事は「あなたの記憶についての調書なんですから、これでいいいんです。また思い出したら、その時に別の調書を作りますから」と訂正してくれませんでした。押し切られる形で、村木は調書にサインをしています。

以下、村木の感想です。

「調書の中で一つでも事実に反することが分かれば、私(村木)は嘘をついているという実績が作られてしまいます。罠にはめられているような気がして、弘中弁護士にも相談しました。(略)

弘中先生は『みんなが嘘をついているわけじゃない。検事が自分の好きな調書をまず作ってしまう。そこから交渉が始まるんだ。調書とはそういうものだ』って。

どんなに説明しても、結局検事さんが書きたいことしか書いてもらえない。いくら詳しく喋っても、それが調書になるわけではないんです。話した中から、検事さんが取りたい部分だけがつまみ出されて調書になる。そこから、どれだけ訂正してもらえるかの交渉が始まるんです。なので、いくらやりとりをしても自分が言いたいこととはかけ離れたものにしかなりません。がんばって交渉して、なんとかかんとか『少なくとも嘘はない』というところまで、たどり着く、という感じです。(略)

遠藤検事から『執行猶予がつけば大した罪ではない』と言われた時に、『有罪でも執行猶予なら大したことないなんて、とんでもない』と泣いて抗議しました。その後の取り調べをした國井検事にも同じことを言われました。実は、元検事の弁護士さんからも言われたことがあります」

この部分でも「法曹界の常識は世間の非常識」が如実に現れていますが、まだ続きます。

「遠藤検事の取り調べは10日で終わりました。その最後の日、すでに作ってあった長い否認調書を持ち込んで、私に見せたんですよ。読んでみたら、他人の悪口がいっぱい書いてあるんです。特に上村さんや倉沢さんについて。『10日間、これだけ誠実に取り調べに対応してきたのに、まとめの調書でこれか』と思い、憤慨して『サインできません』と突っ返しました。遠藤検事が『どうしてダメなんですか。立派な否認調書だと思いますよ』と怪訝そうな顔をするので、『私はこんなこと言いましたか。これは、私と全然人格が違う人の調書です』と抗議したんです。そうしたら、遠藤検事はーきっと正直な人なのでしょうー「これは検事の作文です。筆が滑ったことはあるかもしれません」と認め、パソコンに向かって直し始めました。それで、私がとんでもないと思ったところはきれいに消えたんですが、一ヶ所だけ、倉沢さんについて「いい加減」という言葉は残っていました。遠藤検事は『村木さんは1回、こう言ったでしょう?』と、ここだけは譲らない。確かに、倉沢さんは事実と違うことを言われていました。でも、その場面を自分で見ているわけではなく、会った記憶もないので、『倉沢さんがいい加減っていうのは、事実なんだろうか、私の憶測なんだろうか』ってかなり悩みました。結局、その表現は残りましたが……。それで、できあがった調書にサインしようとしたら、遠藤検事はその前に上司のところに見せに行くんですよ。『最初のやつと、だいぶニュアンスが変わっちゃったから』とか言って。ちょっとして、オーケーが出たということで、サインをしましたけれど、これだけ1対1の真剣勝負で作った調書なのに、いちいち上司の決裁を受けなければならないのか、と思いました」

この世間の常識から乖離した遠藤検事は、しかし、村木にとってまだマシな検事でした。次の國井検事は村木にとって「全然気持ちが通じない」「思い込みがとても激しい」「何を考えているのか全然分からない」「話は最後まで全くかみ合わなかった」相手でした。

思い込みの激しさの例として、「キャリアとノンキャリアは常に対立していて、ノンキャリアの人たちは汚い仕事ばかりさせられて、それが嫌でたまらない」「役所は議員案件に弱い」などが挙げられています。後者について、「証明書の類は、民間の人だろうが、議員さんだろうが、やることは同じなんですよ」と村木が説明しても、「そんはずはない」と國井検事は言い張ります。「議員から頼まれたからやるんであって、そうでなければやるはずがない」と國井は本気で述べたそうです。「法務省検察庁では、そういう仕事のやり方をしているのでしょうか」と村木が邪推したのも当然でしょう。

他の思い込みも書かれています。

「議員が紹介してくる団体はろくな所ではないとも思い込みもありました。ろくでもない団体だから議員の紹介が必要、という発想なんです。私の経験だと、それは全くの誤解です。特に、議員が小さい団体を紹介してくる時は、『いいことをやっているけど、公的な応援がなにもなくて苦労しているので、なにか救える制度はないか』という問い合わせが多いんです。民主党市民運動系の人がいるから、そういうことが多かった。でも、いくら説明しても分かってもらえない。押収された私の手帳や業務日誌には、議員からの依頼事項やそれをどう処理したかも全部書いてあるんです。与党の大物議員から『ここに補助金をつけてくれ』と言われて断ったことなんかが、いっぱい書いてあります。なのに、野党の政治家からのお願いを無理してもやらなきゃならないはずがない。普通に考えれば分かりそうなものです。(略)

そんな調子でしたので、國井検事の取り調べは、調書を1本も作ることなく終わりました」

國井検事の独特な(異常な)思考形式の例は他にも書かれています。

國井「上村さんは一生懸命正直に話してくれる。僕は上村さんが嘘をついているとは思えない。上村さんって真面目な人ですよね」

村木「そうですね」

國井「上司から言われてやったことで、彼が追い詰められたら可哀そうですよね」

村木「もしそうだったら、可哀そうですね」

このやりとりの後、國井検事はこんな調書を読み上げました。

「私は今回のことに大変責任を感じております。私の指示がきっかけでこういうことが起こってしまいました。上村さんはとても真面目な人で、自分から悪いことをやるような人ではありません」

当然、村木はびっくりして、サインしませんでした。

國井検事は「真実はなんなのかは結局分からない。いろんな人たちの真実を重ねて、一番たくさん重なり合っている所が真実と決めるしかない」と村木に言ったそうです。國井によると「村木が嘘をついているか、他の人全員が嘘をついているか」なので、上の理論から「村木の言うことが間違っている」が導かれてしまいます。まるで小学生が言うような屁理屈です。もちろん、裁判所はこの國井理論を退けています。

それにしても、いくなんでも、ここまでバカで非常識で道徳観の低い遠藤や國井が日本最難関の資格試験に合格して、その中でもエリートの検事になれたことが不思議でなりません。一体、司法試験とは、なんの目的で、なんの能力を調べるために課されているのでしょうか。

残念ながら、遠藤や國井は村木の冤罪事件を起こした後も、検事を続けられて、現在も公職に就いています。

村木の記述を読むと、法曹界あるいは日本の法体系全体に失望してしまうほど、ひどい検事だと感じます。

村木はこうも書いています。

「事実に反する供述調書(村木に不利な内容)にサインした人たちを恨んだりはしていません。取り調べは、玄人と素人が一緒にリングに上がっているようなもので、調べられる側にとってはあまりに分が悪い戦いなんですね。私自身も、自分にとって不本意な調書にサインしたこともあります。それに、マスコミであれだけの情報を流されれば、事件はそういう構図なのかなと思い込んでしまったり、そういう構図の中で嘘つきと思われたくなったり、という防衛本能はどうしても働くので」

そこまで「分が悪い戦い」であったのに、村木が裁判で戦えたのは「気持ちが折れない」「健康で体力が続く」「いい弁護団に恵まれる」「自分の生活と弁護費用をまかなえる経済力がある」「家族の理解と協力を得られる」という5つの条件が揃ったからだ、と述べています。

「5つの条件が揃う幸運に恵まれないと戦えないんです」とまで村木は書いていますが、そんな5つの条件が揃わないと(検察との刑事裁判に)戦えないのなら、大多数の人は検察とは戦えません。事実、日本の検察は刑事裁判での勝率99%以上なのですから、村木の言う通りなのかもしれません。しかし、刑事裁判は国家の正義が明らかにされる場なのですから、「気持ちの折れやすい人」「病気で体力もない人」「いい弁護団に恵まれない人」「大した貯金のない人」「家族の理解と協力を得られない人」であっても、容疑者に正義があるなら、検察に勝てる制度にすべきことに、誰も異論はないはずです。もし村木の言う通りであるなら、日本の正義に失望せざるを得ません。

100兆円を越えるコロナ予算の事後検証

「コロナ予算」は、新型コロナの流行が本格化した令和2年度だけで、総額77兆円です。日本大震災の復興予算が、10年あまりの総額で約32兆円であることからも、「コロナ予算」がいかに異次元の規模かがわかります。ワクチン接種、国のマスク配布、Go To イートなど、感染症の拡大防止から経済対策まで、使い道は多岐にわたります。

その「コロナ予算」の一つ、新型コロナウイルス対策の地方自治体向けの財源として、国が2020年に創設した「地方創生臨時交付金」は3年間で18.3兆円です。キャンプ場のWiFi整備(北海道浦幌町熊本県美里町など)や、トイレの洋式化(愛媛県西予市山口県長門市など)、レンタル用自転車の購入費(長野県原村、大分県国東市など)に使われた例もあります。コロナ禍では密を避けるべきなのに、花火にコロナ予算が使われた例も多くあり、人影が消えた目抜き通りのイルミネーションや、建物などのライトアップに関する計画も129件見つかったそうです。恐竜、土偶、(ゆるキャラの)着ぐるみにまでコロナ予算が使われ、今朝の朝日新聞も呆れています。

常識的に考えて、そんなものがコロナ対策になるわけがありません。しかし、各自治体は「花火でコロナの終息を願う」「自粛生活を強いられた市民に元気を与える」といった「検証結果」を出しているそうです。

このブログで何度も嘆いているように、日本はまともな事後検証ができない国です。反省しない国と言ってもいいかもしれません。

コロナを完全に無視して、みんなが自粛もしなければ、100兆円以上のコロナ予算は全て不要でした。もちろん、そうすればコロナは蔓延して、確実にコロナによる死者は増えました。しかし、コロナに限らず、癌、心臓病、うつ病、風邪などを含む全ての疾患の医療費は年間約40兆円です。全ての疾患費用の2倍もの金額を、たった一つの感染症のためにかけるべきだったと考える日本人はいるのでしょうか。

コロナ自粛は先進国の高齢者の残り数年の命を延ばし、発展途上国弱者の命より価値ある尊厳を踏みにじった」にも書いたように、コロナ自粛によって世界中の多くの恵まれない人たちが不要に苦しんだと私は確信しています。新型コロナによる障害調整生存年(DALYs)は、肺炎の10分の1、自殺の8分の1という研究結果もあります。

今後も新型感染症パンデミックは必ず起きますが、今回の反省を活かして、自粛しすぎることのないように十分にコロナ禍を事後検証しなければならないはずです。

学位論文のための難民調査

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

著者はオックスフォード大学の博士課程の研究のため、ガーナのブジュブラムに来ていました。そのオックスフォード大学の大先輩にデビッド・タートンという人類学の先生がいて、次の言葉を残したそうです。

「難民や貧困層などの苦境にある人々に対する調査が正当化されるのは、その調査が、なんらかのかたちでこうした人々の苦境を和らげるのに貢献することが目的となっている時だけだ」

ジュディスという三十代半ばの難民がいました。リベリア大学を卒業した才女で、これまでブジュブラムに来た数多くの研究者のアシスタントを務めてきました。著者がインタビュー形式の質問をジュディスに始めようとすると、それまで黙っていたジュディスは遮りました。

「ちょっと待って。あなたの調査に参加すると、私たち難民にはどんなメリットがあるの?」

著者はそれまでにも難民たちから同様な質問を何度も受けていました。

「この調査結果をUNHCRやガーナ政府に報告していく。それによって、ブジュブラムキャンプ難民に対する支援の向上につながっていくと思う」

著者は毎度の「模範解答」をしましたが、その言葉が終わるか終わらないかのうつに、ジュディスが切りこんできました。

「あなた、本当にそんなことができると思っているの? あなたはただの学生でしょ。UNHCRやガーナ政府は一学生の研究結果なんかで難民への支援や政策を変えたりすることなんて、絶対にないのよ。あなたは嘘を言っているわ」

それは「全くもって正しかった」と著者は書いています。

「自分は今、学位をとるために研究論文を書いています、その調査に協力してくださいって、どうして正直に言わないのよ。これまで私は何度も海外から来た研究者や学生のために働いてきたけど、皆きれいごとばっかり言うの。私たちがそれに気づかないほど愚かだとでも思っているの?」

しばしの沈黙の後、著者は答えました。

「キミの言う通りだと思う。僕は確かに学位をとるためにやっている。そして僕にはUNHCRやガーナ政府の政策に直接影響を及ぼす力はない。ただそれでも、研究成果を彼らにプレゼンするということは嘘ではないし、援助機関やガーナ政府にキャンプ内の状況を分かってもらうために、できる限り努力はするつもりだ」

何とも歯切れの悪い言葉を返した著者に、彼女は助け舟を出しました。

「分かったわ。いい? あなたが学位をとって将来、本当に偉い先生になればいいのよ。そうすればUNHCRやガーナ政府だって、あなたの言葉に耳を傾けるようになるかもしれないわ。約束しなさい。あなたの調査に協力してあげるから、必ず調査を本にしなさい。私へのお礼は、この本はジュディスの協力なしでは書けなかった、とその本のなかに書くこと。いいわね、約束よ」

事実、この本の最初の言葉は「ジュディスとの約束を越えて」になっています。

これら二つの言葉のせいでしょう。「恵まれた難民たち」に書いたように、著者はあまりにリベリア難民寄りの意見だ、と私は感じました。

とはいえ、リベリア難民は強制帰国すべきだ、と軽く発言するUNHCRのアメリカ人スタッフに著者が激怒したのは共感します。

著者は調査中、「キャンプ内の困窮層の難民に対してはUNHCRらの援助が不可欠」と力説すると、このスタッフは「もうリベリア難民たちを世界にセールスしても無駄です。UNHCRも近いうちにガーナから撤退する予定だから」と言い放ち、何度も口論になっていました。

ある時、このスタッフが冷笑を浮かべて、停戦後も本国帰還を選択しない難民を批判し、「どうも彼らは、自分たちを取り巻く状況をよく把握できていないようです。困ったものです」と発言すると、著者は身内をバカにされたような気になり、強いトーンでこう言い返しました。

「難民にとって、本国帰還は口で言うほど簡単なものではありません。2万人の難民の状況は個々人によって大きく違います。なかには、まだ帰国後に命の危険のある難民もいます。彼らは自分たちを取り巻く状況のことは十分理解していますよ」

著者の予想外の反論に、このスタッフは「他人でしかない難民の話に、なにをそんなムキになっているんだ」と怪訝な顔をしました。

この話を著者が居候している難民キャンプ内の家の貸主に言うと、「でかした。その通りだ。お前も随分と『俺たち』に近づいてきたじゃないか」と大笑いされ、肩を叩かれたそうです。

2003年の停戦後にリベリア難民は本国帰還すべきと私も考えますが、先進国出身の恵まれた人が難民たちにあれこれ言う正当性はありません。

恵まれた難民たち

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

難民「なあ、俺って、リベリアに帰った方がいいのかな?」

著者「帰りたいのか?」

難民「いや、そうじゃないけど……。でも、UNHCRやガーナ政府はそうした方がいいって言うから……。どう思う?」

著者が調査中、何度もリベリア難民と交わした会話です。

2003年にリベリア内戦が終結した後、ブジュブラムの住民はUNHCRとガーナ政府の双方から本国に帰還することを強く推奨されました。UNHCRは2004年から2007年に大規模な「リベリア難民本国帰還推進プロジェクト」を実施し、難民たちにあの手この手で帰国を促しました。しかし、盛大なキャンペーンのかいなく、2004年当時のブジュブラムの人口4万人のうち、2007年までに帰国したのは1万人程度でした。

大々的な帰国プロジェクトが失敗に終わったUNHCRはガーナ定住に焦点を定めますが、ガーナ政府は難色を示します。リベリア難民に対する人道支援の「おこぼれ」はもはや期待できないとガーナ政府は理解していたからです。「UNHCRが提案してきたガーナ定住案は難民の『押し売り』だ」と厳しく批判します。ガーナ難民局とUNHCRは2007年に何度も会合を持ちましたが、議論は平行線をたどりました。

その最中、前回の記事で書いた2008年2月から3月のブジュブラムでのガーナ定住政策反対デモが発生します。これに憤慨したガーナ政府は、デモに参加した難民を逮捕勾留しただけでなく、ガーナに滞在する全てのリベリア難民に対して国外退去を命じます。ガーナの内務大臣は「恩知らずのリベリア難民は即刻リベリアに帰れ」と吠えて、同時に「近日中にブジュブラムキャンプを閉鎖する。それでも帰国しない難民たちは、国内に別の収容施設を設けて、そこで管理する」と声明を発します(結局、このブジュブラムキャンプ閉鎖は実施されませんでした)。

ブジュブラムキャンプを持て余していたUNHCRも、この流れに便乗します。2007年に終了したばかりの本国帰還推進プロジェクトを再開し、本来300ドル程度かかる送迎サービスを無料支援し、追加で一人あたり100ドルの給付(それまでのプロジェクトでは5ドル)を約束し、再三にわたってリベリア難民たちに帰国を促しました。

上記の本に、難民キャンプで結婚し、6才の子どもがいる三十代半ばの夫婦の話があります。この本国帰還キャンペーンに妻は乗り気でした。しかし、普段は妻の言いなりの夫が「今回の本国帰還キャンペーン終了後、残った難民には先進国移住の機会が与えられるかもしれないって話もあるんだ」と言って、反対したのです。現在は「難民」という被害者だから先進国に行ける機会があるが、リベリアに帰国して難民でなくなると、その機会が消滅すると夫は考えていたのです。この反論に妻が激怒します。

「あなた! まだそんな夢みたいなこと言っているの! 先進国移住なんて可能性はないってUNHCRもはっきり言っているわ! 私たちはガーナ人じゃないんだから、何年もこの国にいること自体がおかしいのよ! かりに苦しむとしても、私は自分の国で苦しむ方がまだ納得がいくわ!」

もともと、ブジュブラムのあるゴモア地区は、ガーナでも最も貧しい所でした。そのため、難民キャンプ設立により、人口は一気に増え、国際支援の波及効果にもあずかり、当初、ガーナ人はキャンプ難民たちと極めて友好な関係を築いていました。難民キャンプ設立以前は皆無であった学校や水道が設置され、地元民にも開放されました。キャンプ周辺の地価が高騰し、その恩恵を享受した地主は枚挙にいとまがないそうです。

しかし、難民の滞在が長期化し、1990年代後半から国連からの経済支援が削減されるにしたがい、現地住民の難民に対する寛大さもしぼんできて、2000年代半ばになると、「難民キャンプの経済事情」に書いたような両者間の暴力事件も散見されるようになります。

もちろん、母国に帰ったら、殺される可能性のあるリベリア難民もブジュブラムにはいます。その代表がGAPにいる元兵士たちです。しかし、それは母国で残虐行為をしたからで自業自得です。さっさと帰国して、罪を償うべきであり、そんな理由での帰国拒否は認められません。

難しいのは、リベリアで殺されそうになって、あるいは親戚が虐殺されたのを目の前で見て、精神的な理由で帰国できないと主張する難民でしょう。精神科医が診断すればいいと考えるかもしれませんが、精神科医は警察のような捜査権はないので、患者の主張が事実かどうかの裏付けはとれません。結局、本人の主張だけでPTSDかどうかの診断が決まり、帰国できる人とそうでない人が分かれてしまいがちです。客観性が乏しいので、これも認めにくくなります。

52才の戦争未亡人、ナンシーの話が本に載っています。夫はリベリア元大統領の縁戚にあたり、政府の要職にも就いていたため、内戦中は真っ先に反乱軍の兵士の標的となりました。目の前で夫と三才に満たない末っ子を惨殺されたナンシーは、反政府軍の兵士たちに輪姦され、生き残った長女だけを連れてリベリアを脱出しました。

「こうして文章にするとわずか数行に収まってしまうが、私は、ナンシーが途切れ途切れに語った仔細を、ここに書くことはできない。反政府軍の兵士が、彼女の家族に対していかに残虐な行為をはたらいたか。それはまさに酸鼻を極める内容で、『人間が果たしてそこまで人に対して残忍になれるものなのか』と私は言葉を失った」

そう著者は書いています。著者はその悲劇を聞いた直後にもかかわらず、不用意に「リベリアに帰還する予定はないのですか?」と尋ねました。ナンシーの表情は見る見る暗くなり、静かだが断固とした口調で、「私は何があってもあの国には帰らない」と答えました。

「私の夫と子どもを殺した奴らは今、リベリアの軍隊や警察で働いているのよ。リベリアは小さな国だから、私たちが帰国したらすぐに連中の耳に入る。あいつらは絶対に娘と私を狩りにくるわ」

インタビューが終わりに近づく頃、ナンシーが突然「しゃっくり」のような症状を見せ、「ヒック、ヒック」としばらく発せられた後、「ウアー!」と絶叫しました。彼女は椅子から床に倒れ込み、「長年、身体の奥に無理矢理閉じ込められていた膨大な量の悲しみが、堰を切って噴出したような、凄まじい泣き方」をしました。

ナンシーが号泣した夜、著者は「もっと慎重に質問するべきだった」「難民たちの持つ過去の強烈な経験も聞き慣れてしまっていた」などと反省したようです。

しかし、これを読んでも、「ここまで苦しんだナンシーには先進国移住させて、恵まれた福祉を与えるべきだ」と私は確信できません。

リベリア内戦の前、大統領の縁戚として、ナンシーはこの上なく恵まれた生活をしていた可能性が高いでしょう。その恵まれた生活は、大多数の恵まれない生活を送る庶民を搾取することで実現できていた側面はあるはずです。それをナンシーも自覚しているからこそ、平和になったはずのリベリアでも帰国したくない、と言っているのかもしれません。

こういった事情を全て考慮すると、2003年の停戦合意ができた時点で、リベリア難民は帰国すべき、と国連やガーナ政府が判断したのは妥当と考えます。

UNHCRのベテランのガーナ人スタッフは「水道やトイレを有料にしてから、難民に経済な自立精神が芽生え、援助に頼らず、自活していこうと大きなインセンティブになった」と誇らしげに語ったそうです。しかし、著者の知る限り、これら生存に必要な基本サービスの有料化の評判は難民の間で最悪でした。

この問題も全体として考えれば、難民が不平を言う資格はないでしょう。どんな高福祉国家であっても、水やトイレは有料です。自己負担無料の国はありますが、税金かなにかで負担しているだけで、本質的に無料なわけがありません。

2009年にUNHCRはリベリア難民の希望者に電気工事、石工、左官、縫製、コンピュータ、理容業などの分野で6ヶ月にわたる職業訓練プログラムを提供したそうです。しかし、訓練を受けた多くの人はその職業技術を活かせる仕事に就けませんでした。リベリア人がガーナで働くことは、制度の面でも、言語の面でも、金銭の面でも(開業資金を借りられないなど)、難しいからです。受講したリベリア難民は「トレーニングは受けたが、経済的に力がついたわけではない」と不平を言っており、著者は「訓練プログラムの根本的な弱点」を指摘している、と書いています。

しかし、それも全体として見れば、国際支援で職業訓練を受けられた難民たちに、不平を言う資格は一切ないでしょう。著者は「ガーナ」では職業技術を活かした仕事を得られないと批判していますが、UNHCRとしてはその職業技術を「リベリア」での仕事に活かしてほしいと考えていたはずです。著者の批判は的外れとしか思えません。

問題の本質として、ブジュブラムのリベリア人難民キャンプが、母国リベリアより豊かになってしまったことがあります。つまり、国際援助が過剰だったのです。難民キャンプが母国より豊かなら、難民が母国に帰りたがらないのは必然です。このブジュブラムの反省は、国際社会やUNHCRが記録し、広報すべきでしょう。

2008年4月から2009年4月まで続いたUNHCRのキャンペーンでも、帰国したブジュブラムの難民はキャンプ人口の4割の1万人です。ガーナ政府から「恩知らず」と罵倒され、「キャンプを閉鎖する」と脅されて、帰国の交通費に追加して300ドル与えると言われても、過半数は母国よりも難民キャンプを選んだのです。

次の記事に続きます。

難民キャンプの政治

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

「難民たちは政治に参加してもいいのだろうか? もちろんだ。難民の政治的権利は難民条約および各種人権条約に規定されている」

そう本にはありますが、こう続きます。

「だが現実には、世界の難民ホスト国の大半は、難民の政治的な活動を大幅に制限している」

これは難民受入国(今回の例ではガーナ)だけでなく、国連も「自らの権利を声高に主張して政治活動する者」を悪い難民とみなすそうです。

難民の政治活動を快く思わないのは、仕方ない側面があるでしょう。母国から逃げ出した難民はそれぞれ心苦しい過去があるに違いありませんが、だからといって、母国以上に豊かな生活を難民キャンプで送りたいと言う権利はないはずです。前回の記事に書いたように、ブジュブラムの難民たちは母国以上に豊かな生活を送れているのですから、それでも不平不満を言うなら、「いいかげんにしろ」と言われるのは当然です。

経済的側面を無視しても、リベリア難民がガーナ政府に「もっと支援してくれ」「もっと仕事をくれ」という正当性はあまりないでしょう。第一に、リベリア内戦は2008年から2009年当時、5年以上前に終結しており、ブジュブラムのリベリア人たちは、そもそも「難民」の定義に入らない(とも考えられる)からです。第二に、現地語を覚えようとせず、先進国移住ばかり考えるリベリア人を助けたいと思うガーナ人などいないからです。

にもかかわらず、ブジュブラムでも「とびきり激しい」政治活動があります。

難民キャンプの経済事情」に書いた通り、ブジュブラムの代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)です。かつてLRWCの会長は民主選挙で決め、誰でも立候補が可能でした。しかし、1996年にガーナ政府が選挙を廃止してからは、ガーナ人のキャンプ支配人がLRWCの会長を指名するのが慣例となりました。会長は、自分の補佐として副会長2名と8名のメンバーのリストをキャンプ支配人に提出して、ガーナ難民局の承認を得ています。

著者が選挙廃止の理由を聞くと、キャンプ支配人はこう答えました。

リベリア内戦は民族間の対立により起こった。今でこそ大きな争いは減ったが、水面下ではお互いに敵意を抱いている。もしキャンプ内で選挙を実施したら、それぞれの民族が独自の代表を立てて争うことになる。そうしたら、必ず衝突が起こる」

一方のリベリア難民たちは、ガーナ人のLRWC会長指名に強く反発していました。著者が調査した2008年頃にはLRWCの上層部は、ガーナ政府にとって御しやすいリベリア人たちで占められており、その結果、LRWCの上層部とキャンプ支配人の間にはもたれ合いの関係が醸成されていました。

たとえば、ブジュブラムには居住区ごとに目安箱(オピニオンボックス)があり、生活上の問題点や改善を望む点を伝えることができます。この目安箱に入れられた投書は、全てLRWCの会長と副会長が審査した後、適切と判断された投書のみ、キャンプ支配人に届けられます。この「審査」で、ガーナ政府やUNHCRにとって耳の痛い意見は、ほぼ間違いなく却下されています。これに何度も不満を表明したLRWCのメンバーは、更迭されたそうです。

また、アメリカからのキリスト教使節団が難民から直接話を聞きたいと申し出たので、どの難民が使節団と話し合うかを決めるため、LRWCで緊急会議が開かれました。出席者の一人が「悪化しているキャンプの生活水準について話してもいいか?」と発言した際、すぐさま副会長が「その話は不適切だ」と却下しました。緊急会議の後半は、会長の独演会と化して、こんなことが述べられました。

「我々は、ガーナ政府やUNHCRへの感謝を忘れてはならない。20年近くもここにいるのだから、その恩を仇で返すようなことがあっては絶対にいけないんだ!」

結局、このキリスト教使節団が直接話した難民たちはLRWCの会長と2人の副会長と8人のメンバーだけでした。

LRWCの上層部には、横領や贈収賄の噂が絶えませんでした。「難民キャンプの経済事情」に書いたように、トイレ使用料の横領はほぼ間違いないでしょう。ブジュブラム内の清掃作業やゴミ収集などに充当する目的で、UNHCRから毎月一定額がLRWCに支給されていましたが、その具体的な使途は一切公表されていないので、多くの難民はそこでも横領があると疑っていました。

LRWCと一部のNGOの癒着も多くのリベリア難民が指摘していました。UNHCRなどの国連機関は、援助プログラムの実行と運営を、パートナーシップ契約を結んだNGOに委託するのが一般的です。国連の援助プログラムの実行を請け負うことは、ブジュブラムにある50程度のリベリア人設立のNGOにとって、最大の収入源です。キャンプの状況をあまり理解していないUNHCRは、ふさわしいNGOをLRWCに推薦してもらっていました。この委託契約をもらえるNGOがいつも同じ顔ぶれなので、NGOはLRWCに賄賂を贈っていると難民たちは疑っていました。

著者はLRWCの会長に使途不明金と横領の噂について質問しましたが、会長は「LRWCの活動費用は、キャンプ支配人を通じてUNHCRとガーナ難民局に定期的に報告することになっています。こんな仕組みで横領などできるわけないでしょう」と言って、不機嫌に去っていったそうです。会長は金の時計とブレスレッド、新品のラップトップパソコン、最新型の携帯電話をいつも持っていたので、著者は「はて、会長も海外送金の受益者だったか」と皮肉を書いています。

一方、2005年頃から「腐敗した現体制を糾弾し、真のブジュブラムキャンプ代表を結成する」という大義名分の元、選挙で決めた15人のメンバーで設立された群代表者連合が活動していました。LRWCの腐敗構造とキャンプ住民の現体制に対する不信をしたためた文書を群代表者連合はガーナ難民局とUNHCRに送りましたが、黙殺されたようです。群代表者連合はその程度であきらめずに、草の根運動を続けて支持者を増やしていると、ガーナ政府は「キャンプ内での一切の政治活動は禁じられており、それを犯したものは厳しく処分する」と掲示板で通達するようになります。それでも群代表者連合は活動をやめなかったそうで、支持者の増加しつづけました。

そんな2008年2月、UNHCRの推進する「リベリア難民のガーナ定住計画案」にブジュブラム内の女性グループが抗議デモを行います。「先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬」で書いたように、キャンプの大多数の難民は先進国移住を希望して、ガーナ定住には反対しているのです。この抗議活動は1ヶ月以上続き、当初は数十人の参加者だったものの、そのうち200~300人に膨れ上がり、国内外のメディアの関心をひくまでになります。

ガーナ政府とUNHCRは女性たちの抗議デモを違法行為とみなし、すぐさま解散を命じました。LRWCもデモの中心となった女性たちと厳しく非難しました。一方、群代表者連合は女性デモ参加者への「絶対的な支援」を表明しました。

同時に群代表者連合は、「LRWCが難民の生活水準向上への努力を怠っているだけでなく、汚職にまみれており、既にキャンプ住人たちからの信用を失っている」と指摘します。LRWCメンバーの総退陣と、キャンプ内での民主選挙を再開する要求文書を、2008年3月、ガーナ政府、UNHCR、メディアに送りつけます。

これを境にデモの主導権は女性グループから群代表者連合に移り、目的が現体制からの政権奪取に様変わりします。デモを主催した女性リーダーたちは群代表者連合に猛反発しましたが、群代表者連合のキャンプ内での広範な影響力の前に、なすすべがありませんでした。

キャンプ支配人からの度重なる警告にもかかわらず、群代表者連合は扇動を続け、最終的にデモ参加者は700名ほどになりました。一線を越えたと判断したガーナ政府は、2008年3月末、数百人に及ぶ武装警官隊をブジュブラムに送り込み、デモ参加者を根こそぎ逮捕し、16人を国外追放にしました。これにより、群代表者連合は一気に弱体化します。

UNHCRは16人の国外追放を非難したものの、キャンプ内のデモについては「極めて遺憾」と批判的立場を崩さず、デモの背景について何ら調査を行いませんでした。

次の記事に続きます。

先進国移住の可能性は難民にとっての麻薬

前回の記事の続きです。情報源は「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)になります。

難民キャンプの経済事情」で、難民キャンプ内の多くの職業を書きましたが、これほど多種多様な職業が難民キャンプで存在している例は少数です。特に、現金が全くないと本当に生きていけない難民キャンプはブジュブラムくらいのようです。

「キャンプでは何ひとつタダなものはない!」

ブジュブラムの難民たちから、著者が何度となく聞かされた言葉です。同じく難民たちから数えきれないほど著者にかけられた言葉が「ブジュブラム以外の難民キャンプでも、水やトイレが有料なのか?」という質問です。著者は12のアフリカの難民キャンプを訪れた経験がありますが、水やトイレまで料金を徴収している例はガーナのブジュブラムだけでした。

「難民キャンプでは、衣食住の全てが国際援助により無償で提供されていなければならない」

そんな発想は、当の難民自身を含めて、世界中の多くの人が持っています。確かに、「緊急援助」の段階では概ねその通りに実施されています。しかし、1年、2年と経過すると、国際援助の提供者である先進国の関心が薄れていきます。それにつれて支援の質と量は大幅に鈍化していきます。

「難民キャンプは一時的な避難所」「難民キャンプでの生活が年単位で長期化するのは好ましくない」「援助に慣れてしまえば、人間は堕落する」「難民キャンプの住人と地元民とのトラブルは必発である」「貧しい受入国が隣国の難民たちを養う義務は存在しない」「自国の問題は自国民だけで解決すべきだ」「母国が内戦中であっても、それは母国の責任であって、受入国の責任ではない」「本来なら、隣国への入国を拒否されて当然だった。一時的に違法入国を許可してもらっただけでも受入国に感謝しなければならない」

私のように難民支援について議論したことのある方なら、上記のような理屈は聞いたことがあるはずです。上記の理屈は難民条約に反する可能性もあるので、無条件で正しいとは言えませんが、無条件で間違っているとも言えない実情があります。

著者が調査した2008~2009年のブジュブラムでは、上記の理屈が正しいと国連や国際社会はほぼ断定していました。なぜでしょうか。

ブジュブラムの難民キャンプが発生した原因は、1989年のクリスマスクーデターに端を発するリベリア内戦になります。14年間続いたリベリア内戦で、約30万人の死者を出し、20万人以上が周辺国に難民として流れ込みました。だから、リベリア内戦中であれば、14年間という長期ではあるものの、ブジュブラムのリベリア難民を救う正当性は、とりあえず、ありました。

しかし、2003年に停戦合意が結ばれ、2005年の大統領選挙も一応、平和裏に行われました。2008年は停戦合意から5年後、民主選挙から数えても3年後です。

リベリアに平和が戻ったのですから、リベリア難民がガーナの難民キャンプに住む正当性は原則ありません。

しかも、ブジュブラムの多くのリベリア難民は、国際援助や海外送金により、母国リベリア(2017年の一人あたりGDP約3万円)より豊かなだけでなく、ガーナ(2017年の一人あたりGDP約16万円)よりも豊かな生活を送っている、と思われていました。平均的なガーナ人より豊かかどうかは不明ですが、「難民キャンプの経済事情」で書いたように、「骨折り損のくたびれ儲け」という見出しで、貧しい仕事の代表として書かれていた水販売業でさえ日給300円(年200日勤務なら約6万円)であることを考えると、ブジュブラム難民キャンプは母国リベリアより遥かに豊かだったことは間違いないでしょう。

当然ながら、ガーナ政府はリベリア難民が自国民から雇用を奪うことに強い警戒感を示していました。難民がガーナのキャンプ外で雇用を得る際は、ガーナ政府が発行する労働許可証の取得が義務づけられています。しかし、雇用主が申請してから労働許可証の取得まで8~10ヶ月もかかります。経済発展の著しいガーナで、雇用主がそんな長期間も待てるわけがなく、事実上、難民はガーナの公式の労働市場から締め出されています。

発展途上国なので、賄賂を渡せば、難民もマーケットで商売ができるのですが、同じ商品で同じ値段なら、ガーナ人はリベリア難民からではなく同じガーナ人から必ず買います。リベリア難民は国際支援で苦労せずに生活できていると多くのガーナ人は考えているので、リベリア難民から商品を買うことを避けます。

また、リベリア難民はガーナの銀行口座の開設ができません。銀行口座がなければ、借り入れも極めて難しくなります。結果、リベリア難民は元手が必要な利潤の高い商売を始めることができません。かつてはブジュブラムでもUNHCRが難民向けのマイクロファイナンス(少額融資)を行っていましたが、2003年の停戦合意以降は、本国帰還が最大の目的となったため、難民が長期間ガーナに根付くことになりかねない起業資金の貸し出しプログラムは全て閉鎖されました。

ガーナ人にとって極めて腹立たしいのは、リベリア難民のほぼ全員がガーナの現地語をろくに覚えないことでしょう。あまつさえ、リベリア難民たちはガーナ定住すら希望せず、先進国移住に異常なほどの熱意を燃やしています。著者が難民たちに現地語を覚えない理由を聞くと、「いずれアメリカ(リベリア宗主国)に行くので、ガーナの言葉を覚えても仕方ない」と、素っ気なく答えられたそうです。ブジュブラムのリベリア難民は口をそろえて、ガーナ人がいかに排他的で冷たいかを滔々と著者に語ったそうです。これに著者は強い違和感を抱かずにはいられませんでした。

ブジュブラムのガーナ支配人はある時、著者にこう言いました。

「ここの難民たちは先進国移住のためならなんだってやる。リベリア大統領を暗殺したら、先進国に移住できると言われたら、本当に殺すだろうよ。あいつらは先進国移住に憑りつかれているんだ」

著者は難民キャンプで、ミニスカートで胸が見える服を着た若い女性3人組に突然話しかけられたことがあります。著者が日本から来たことを伝えても、日本がどこにあって、どんな国かも知らないほど教養がない女性たちです。まず聞いたのは、リベリア公用語であり、彼女たちも話せる英語が日本で通じるかどうかです。通じないと分かると、日本への移住は難しいと判断したのか、アメリカの友人がいるのか、あるいはカナダやオーストラリアの友人がいるのか著者に聞きます。いると分かると、著者に友だちになりたい、著者の友だちにも興味がある、と吐息がかかるほど近づき、耳元でささやきました。さらに、会って3分しかたっていない著者の右手を両手で慈しむように握りしめました。彼女たちの目的が分かった著者が「僕の友だちは君たちの助けにはなれないと思う。ごめん」と言っても、彼女たちはわずかな可能性にかけて執拗に食い下がり、著者からメモとペンを取り上げ、自分の携帯番号を書いて、「今度来る時は必ず電話して。絶対に約束よ」と、またささやいたそうです。

著者がプライベートで最も長い時間を過ごしたエマーソン(男性)の話です。エマーソンはリベリア内戦中に父と生き別れ、現在も父は生死不明です。母と二人の妹とともに隣国のコートジボアールに逃れ生き抜きます。リベリア脱出から数年後の2000年に、先進国移住を目的に家族をコートジボアールに残したまま、ガーナのブジュブラムにやってきました。コートジボアールには正式な(?)難民キャンプがないので、先進国移住のためにはガーナに来なければならない、というのがリベリア難民で常識となっていたからです。当然、エマーソンの人生の第一目標は先進国移住になっており、著者がいくら質問しても、「お前も先進国出身なら分かるだろう。家族のためにも、絶対に先進国移住が必要なんだ!」としかいいませんでした。

「現実にどの程度の確率で先進国へ移住できるかは別問題だ。困窮する難民にとって、先進国での新しい生活を夢見ることは、目の前の食うや食わずの茨の日々を一瞬でも忘れさせてくれる『麻薬』でもあった」

そう著者は書いています。

インターネットカフェはブジュブラムでいつも繁盛している商売ですが、その大きな理由の一つはSNSを通じて、先進国にいるスポンサー探しができるからです。

ネットで知り合ったノルウェーの男性と結婚し、ノルウェー移住を叶えた35才女性の「シンデレラストーリー」は瞬く間にブジュブラムで広がりました。ネットでのスポンサー探しはブジュブラムで大ブームとなり、どうすればスポンサー探しに成功するかを助言するコンサルタント業まで複数登場します。過去にスポンサー獲得や海外からの金銭支援を勝ち取った「成功実績」をウリにして、「どのSNSが成功率が高いか」「どのようなプロフィールを載せるべきか」「どんな写真を掲載すべきか」「どのような返信をすべきか」などのノウハウを有料で教えてくれるそうです。

著者の近所に住むサミュエルの先進国移住の夢物語が載っています。

サミュエルの父とその弟である叔父は、長年、土地の相続問題をめぐり、激しく対立していました。土地問題がサミュエルの父に有利に終わることを恐れた叔父は、2003年のある夜、反政府軍に紛れて、父を殺します。サミュエルと弟は激しい物音で寝室から自宅を抜け出し、ガーナ行きの船に乗って、なんとか命拾いしていました。サミュエルの叔父は、今も罪に問われることなく、リベリアで生活しています。

そんなサミュエルが、ある早朝、興奮気味に著者の携帯に電話してきます。ネットでのスポンサー探しで、オーストラリア人の50代女性がサミュエルの話に同情して、オーストラリアに迎え入れるかもしれないと言って、当座の生活費用として200ドルを送金してくれたからです。「聴いているのかよ! 送金だけじゃなくて、オーストラリアに移住できるかもしれない! 俺にもようやく運が向いてきたんだよ!」とサミュエルは早朝にもかかわらず、叫んでいました。本によると、50代のオーストラリア女性は真剣であったようで、先進国移住に必要な手続きを全て請け負ってくれました。サミュエル兄弟はガーナのオーストラリア大使館で面接を受けた後、著者に向かって親指を立て、「好感触」と言いました。まさに夢見心地だったのでしょう。しかし、3ヶ月後、審査結果はビザ不許可でした。既にリベリアが内戦状態ではなく、政治的な理由よりも個人的な理由で帰国しづらいことが不許可の理由だろう、と著者は推測しています。はちきれんばかりに期待を膨らませていた当時20才のサミュエルの落胆は当然大きく、しばらくは抜け殻のようでした。

次の記事に難民キャンプの政治活動について書きます。

難民キャンプ内の助け合い

前回の記事の続きです。

「外圧にさらされる集団は、内部での結束力が高まるのが常だ」

「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)からの引用です。

難民キャンプが長期化すると、難民たちは受入国から帰国するように促されます。どの難民キャンプでも、多かれ少なかれ、周辺の現地住民たちとトラブルが生じるからです。

ガーナ内のリベリア難民キャンプのブジュブラムの例です。難民たちがレンガ造りの家の材料にするため、土地を掘り起こしていましたが、それは「土地を傷める」という理由で現地の首長(いわゆる族長)により禁じられていました。その事情を何度説明しても、難民たちは隠れて土地を掘り起こすので、揉め事になったそうです。さらに、前回の記事に書いたように、聖なる土地を難民たちのトイレにされたことで、現地の人たちは実力行使に出て、見つけた場合、男女問わず、袋叩きにしていました。

一方、2006年には、睡眠中の難民を鋭利な刃物で手当たり次第に突き刺す通り魔事件がブジュブラムで起こりました。難民たちはガーナ人の警察に訴えましたが、警察は口約束をしただけで、なにもしなかったので、難民たちは自警団を組織して、2週間後、犯人のガーナ人を捕まえます。しかし、ガーナ人のキャンプ支配人はその犯人を2日間牢屋に勾留しただけで、無罪放免とします。これを知った難民たちは激怒し、一部は暴徒化して、キャンプ支配人の事務所に押し寄せましたが、近隣のガーナ警察署からの警官隊の介入で鎮圧されています。

このようにガーナ政府に歓迎されていないブジュブラムの難民たちは困った時は自分たちでなんとかするしかありません。助け合いの精神が自然と生まれ、同じ難民が助けを求めてきたら、かりに自分の台所事情が苦しくても、本当に持っていない限り断ることはありません。断れば、次に自分が頼む時に断られるからです。

例えば、自身の子どもと友だちの子どもの面倒を見るペニーというシングルマザーと、その隣に住むジョアナの関係です。リベリアには、食事中に客人が来ると、一緒に食べようと食卓に招く習慣があります。ジョアナはその習慣を利用して、週に2,3回は必ず昼食時にペニーの家を訪ねて、ペニーの料理を食べていました。著者はその光景から、てっきりジョアナは貧しいと思っていましたが、ペニーによるとジョアナは金貸しで、相当に裕福だそうです。「呼んでもいないのに、しょっちゅう家に来るのよ。しかも、いつも昼食時を狙って」とペニーが憤慨していたので、「じゃあ、食事をシェアしなければいいのに」と著者が言いました。ペニーは言い辛そうに、「過去にジョアナにお金を用立てしてもらったことがある。いざという時にお金を貸してくれなくなると困るから」と答えたそうです。

他の例もあります。キャンプ内で結婚したものの、夫は4年前にノルウェーに移住してしまった30才のビクトリアです。非公式な結婚のため、2人の間に幼い子どもがいたものの、ビクトリアはノルウェーに移住できないでいました。夫から毎月100ドルの送金を受け取り、夫の幼馴染であるシングルマザーのエリカとエリカの子ども3人と同居し、エリカ一家もビクトリアが面倒を見ていました。エリカはカットフルーツを売り歩いて、わずかばかりの収入を得ていますが、ビクトリアの100ドルの送金収入と比べると、少ないようです。一方で、ビクトリアは娘と2人家族、エリカは子ども3人の4人家族で、エリカの方がどうしても支出は多くなります。著者が血縁関係のない知り合いをなぜ助けるのか聞くと、当初は「だって苦しんでいる人たちを放っておけないわ」と模範解答を返してきましたが、そのうちにビクトリアは次のような本音を語りました。「キャンプ内では送金の受益者が受け取ったお金を独り占めするのは正直難しい。周辺の住民は、みんな海外送金のことを知っているから。すごいプレッシャーがある。以前、エリカから『子どもたちの文房具を買いたいので、お金を貸してほしい』と頼まれたのだけど、その月は苦しいから断ったら、翌日から彼女は私のことを無視するの! それに彼女の子どもたちまで私の子どもを仲間外れにするようになったの。結局、私がお金を用立てる羽目になったわ」

もしエリカが夫の幼馴染ではなければ、このような仕打ちをしたエリカに「出ていけ」とビクトリアは言えたのかもしれません。しかし、エリカ4人家族との同居を指示したのは送金者の夫であったので、それは無理だったのでしょう。

このような助け合い精神、あるいは恵まれた者と恵まれない者の持ちつ持たれつの関係が息づいているブジュブラムですが、そのブジュブラムの助け合いグループに入れない者たちもいます。元兵士たちと売春婦たちのグループです。

元兵士たちは、GAPと呼ばれる地区に住んでいます。ブジュブラム内にGAPは三つあり、国連やガーナ政府が認めた公的機関であるLRWCの管理が全く及ばず、特定のメンバー以外は立入禁止です。著者は知り合いの介入で、なんとか「特定のメンバー」になり、GAPに何度も入ったようです。

他のキャンプ住民はGAPを無法地帯と呼んでいましたが、独自の秩序の存在に著者は気づきます。まず、リーダーには絶対服従です。また、メンバー同士での私闘の厳禁、GAP以外での酒とマリファナの禁止、警察に追われている時のGAP立入禁止の三つの掟があります。最後の掟は、ガーナ警察がGAPに踏み込んできたら、犯人に加えて、その場にいた全員がしょっぴかれるからです。リベリア内戦中にその残虐性で恐れられた元兵士たちも、ガーナでは警察に逆らえないようです。

GAPでは、メンバーの一人が食料品を調達してくると、他の連中と分け合う習慣がありました。マリファナとアルコールはその時点で金を持っている者が買い、その場にいるメンバーで回し飲みが基本です。小銭の貸し借りも頻繁に著者は目撃しました。

売春婦も、日本同様かそれ以上に、難民キャンプ内で厳しい視線が投げかけられているそうです。近隣住民から村八分にされた売春婦たちは、独自の助け合いグループを組織していました。売春婦たちはしばしばガーナの首都のアクラまでバスで2時間かけて出稼ぎに行き、1週間ほど現地に滞在します。その間、キャンプに残った売春婦たちは、他の売春婦たちの子どもの面倒も見る体制を作っていました。アクラに遠征した売春婦たちが帰ってくると、全員の収入を合計して、均等に分配します。次の遠征時は、アクラ遠征組とブジュブラム滞在組が入れ替わる、という仕組みです。他にも、メンバーの一人が病気になった場合には、食事を分け与え、商売の後に客が支払いをしないなどのトラブルが生じた場合、グループでその男の家に押しかけて抗議するなどの結束があります。

ガーナの難民キャンプで、このような経済的な助け合い組織が張り巡らされている事実は、私にとって意外でした。著者は必然のように書いていますが、私はそう考えません。

たとえば、2009~2010年の私の留学中、カナダに日本人同士のコミュニティはあったものの、このような経済的な助け合い組織に私が属したことはありませんし、存在したという話も聞いたことがありません。海外で金がなくなれば、日本人は帰国するだけでしょう。帰国する渡航費がなければ、日本の親戚に頼るはずです。

カナダ人をはじめ、他の西洋先進国の人たちが、ブジュブラムにあるような小規模経済助け合い組織を海外で立ち上げることも、想像できません。海外で経済的に困窮しても、自己責任で済まされるだけでしょう。

そういえば、「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやか著、春秋社)は香港のタンザニア人車ブローカーのルポですが、やはり経済助け合い組織が存在していました。アフリカでは、このような経済助け合い組織が普及しているのでしょうか。もしくは、ある一定の経済レベルに達するまでは、昔の日本がそうだったように、経済助け合い組織が普及しているものなのでしょうか。

少しでも参考になる例を知っている方がいたら、ぜひコメント欄に書いてください。

次の記事に続きます。

難民キャンプの経済事情

「アフリカの難民キャンプで暮らす」(小股直彦著、こぶな書店)は素晴らしい本でした。難民キャンプの経済事情について調査した本です。

左翼のキレイ事に吐気を催す保守派たちへの共感」の記事で書いた生半可な海外ボランティアを経験した一人と、私との20年以上前の対話です。

相手「私が行った難民キャンプの経済支援はいずれ打ち切る予定らしいよ」

私「え? 難民たちは自国に帰れない人たちでしょ。支援がなくなったら、難民たちは全員飢え死にするんじゃないの? 国連も入っている難民キャンプでしょ? 国連が難民たちを見殺しにするわけ?」

相手「いや、全員が飢え死にするわけではないみたい。難民たちもお金を持っていて、地元民から食料を買えるから」

私「お金? どうして難民がお金を持っているの?」

相手「うーん。よく分からない。お金を全く持っていなくて、支援団体からの食料配給だけで生きている人もいるから」

「難民キャンプ内での金銭のやり取りがある」ことはボランティアの誰もが目撃していましたが、「そのお金はどこから来るのか」についてはボランティアの誰もがよく知りませんでした。

だから、私にとって難民キャンプの経済活動は長年の謎でしたが、上記の本で解決しました。

普通に考えたら分かることでしたが、難民キャンプで獲得可能な通貨には、本人が持ってきた母国通貨、海外の親戚などから送金された米ドルなどの国際通貨、難民キャンプの近くで違法で(場合によっては適法で)働いた現地通貨の3種類があります。

このうち持参した母国通貨は、母国のインフレなどで、だいたい一瞬で無価値に等しくなるようです。

海外支援金は、親戚などからの送金、国連などの公的機関からの援助金、海外ボランティアたちからの手渡しによる喜捨、の三つがあるでしょう。

このうち国連などの援助金は、ごくわずかです。なぜなら、難民キャンプは一時避難所で、生きるために最低限の援助でいいからです。だとするなら、食料などの現物給付が妥当で、武器購入に使われるかもしれない金銭援助だと不適当になります。また、難民キャンプ内で経済活動が行われることなど、国連としてはあまり想定していません。

しかし、現実には、ほぼ全ての難民キャンプで、金銭がやりとりされています(経済活動が行われています)。2015年のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、世界にいる2100万人の難民の受入国の平均滞在年数は26年です。人生の長さを考えれば、26年が「一時的」のはずがありません。これほどの長期間、数千人か数万人が一定地域に滞在していれば、経済活動が発生するのは避けられません。

では、難民キャンプの難民たちは一体どんな仕事で金銭を得ているのでしょうか。

世界各地の難民キャンプごとに千差万別でしょうが、上記の本のガーナ国内にあるリベリア人たちの2万人程度の難民キャンプ(2008~2009年頃)、ブジュブラムの例を見てみます。

ブジュブラムで一番多くの難民が従事しているのが「飲料水と果物の小売業」です。西アフリカの焦げ付くような日差しの下では、誰もが水分を渇望するため、需要は多くあります。一方、元手は数十ドルで、簡単に商売を始められるため、売る人は多く、需要の多さを上回る供給過多になっており、乾季になると目抜き通り10mごとに1人の水売りがいます。1パックは10円で儲けは3円程度、1日働いて100パック売り、利益はわずか300円程度だそうです。

(300円! 今ならいざ知らず、2000年頃のインドなら、十分な稼ぎだったはずだ!)

それが私の感想ですが、先に進みます。

他にも、石鹸、ロウソク(よく停電するので必需品)、トイレットペーパー、食料品、古着屋、靴の修理屋、床屋などの露店、洋服の仕立て屋、ネイルサロン、携帯電話をかけるためのプリペイドカードの売店、DVDレンタルショップなどもそろっています。

著者が家賃を払って居候させてもらった家主の仕事は、小・中学生相手の塾講師です。

難民キャンプ内ではUNHCRが設立した小学校や中学校があり、そこの「公立」学校の先生になる人もいます。ただし、小学6年生で約3千円、中学3年生で1万3500円と高額で、対象の子ども全員が通学しているわけではありません。

難民キャンプ内には80のキリスト教会があるので、牧師の仕事もあります。

UNHCRが設立したクリニックもあり、そこの従業員になる難民もいます。

ただし、そのクリニックに歯科はないので、無資格の歯科医をしている人も紹介されています。ボランティアで来たカナダ人の歯医者から歯科医療技術を即席で習い、彼が残した医療器具を使って、ブジュブラムの歯の治療を一手に引き受けているそうです。抜歯する時には、歯に糸をくくりつけ、その糸をクリニックのドアノブに引っ掛けて歯を引き抜くという乱暴な治療法にもかかわらず、他の歯科がないので、客足は絶えません。

インターネットカフェの経営、新品・中古の携帯電話機の販売、レストラン、飲料水を提供するための貯水池の経営は「繁盛しているビジネス」と本にはあります。どれも起業時に相当の元手が必要なものばかりで、こういったビジネスに携わる者のほぼ全員が、親戚からの海外送金を受けている「特権的な」グループだそうです。

本には「海外からの送金―キャンプの命綱」と書かれています。ブジュブラムで裕福な人は、ほぼ例外なく海外送金の受給者です。

ブジュブラムの公式代表はLRWC(リベリア難民福祉協会)で、その会長と2人の副会長と8人のメンバーは、事実上の公務員です。

非公式な経済活動を行う難民たちから、どうやって税収を得ているかというと、一つは「公衆トイレ使用料」です。なんと、公衆トイレを使用するたびに、3.4円を払わなければならないのです。この使用料は清掃とメンテナンスに使われる規則ですが、その痕跡が全く見当たらず、一部のトイレでは堆積した排泄物が便器からあふれ出しており、強烈な悪臭を放っています。

難民たちは公衆トイレの使用を嫌い、近所に住む複数の家族でグループをつくり、お金を出し合い、自分たち専用のトイレを作っていました。そのメンテナンス費用は、グループで分担すると書いてあるので、トイレ掃除も仕事なのでしょう。

なお、この私設トイレは、グループ専用なので、お金を出していない者は使えません。私設トイレを持たず、公衆トイレも使えないほど貧しい者は、キャンプ近隣にあるガルフと呼ばれる茂みに隠れて、用を足します。しかし、現地のガーナ人にとって、ガルフは神聖な場所のようです。この場でウンチをさせないよう、定期的にパトロールを行っています。本には、ガルフで用を足している最中にガーナ人たちから暴行を受け、泥だらけで服が大きく割け、唇は切れ、目の下が腫れあがって青タンになっている14才の難民が出てきます。日本だったら、どんな理由であれ暴行罪になるでしょうが、この少年は警察に訴えることすらしていません。かりに難民キャンプに一人しかいないガーナ警察官に伝えても、犯人を逮捕することなどなく、「おまえの方こそ野グソをした罪で逮捕するぞ」と脅されるからでしょう。

本には、ブジュブラムに数十名以上の売春婦がいることも書いています。さらに、定職につかず、2名の海外送金受給者の女性に対して1日交代で相手をして、送金のおこぼれをもらう「ヒモ」の男性も1名紹介されています。

ブジュブラムでは、このような手段で難民たちは生計を立てていました。

難民キャンプ内の経済活動も大変興味深かったのですが、難民キャンプ内の助け合い(reciprocity)の話も大変興味深かったので、それについて次の記事で書きます。

教育の効率を高める改革

「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)で、元三重大学学長でもある著者が再三主張していることは「国立大学の選択と集中は間違っている」です。

著者は三重大学学長の在職中に、この政策が発表された時、わざわざ緊急記者会見まで開いて批判しました。なぜなら、日本は欧米諸国や韓国と比べても、論文数が東大や京大などに一部大学に偏っており、それ以外の大学になると論文数が極端に少なく、既に「選択と集中」は行われているからです。この論文数の低下は研究力の低下、イノベーション力の低下に直結しており、イノベーション力の低下は経済の低下に直結しています。だから、大学の選択と集中は、国民全体にとって悪影響なので、やめるべきだ、という理屈です。

いくつものデータを根拠に「中位や下位の裾野があるからこそ、上位も伸びる」「研究者の配属先がなくなる」などの主張をしています。

結論から言えば、この主張に私は反対で、著者が何度も名指しで批判している冨山和彦の意見に賛同します。

冨山和彦は2014年の文科省有識者会議で、世界で通用する人材を育成する「G(グローバル)型大学」と、生産性向上に向けた働き手を育てる「L(ローカル)型大学」の二分化すべきと主張しました。

少子化のため、日本の大学はどんな学力の人でもほぼ入れるようになっています。よく言われるように、分数の計算ができない大学生に会うことも珍しくありません。こんな大学生に世界最先端の研究結果を理解できるわけがありませんし、時間と労力をかけて理解させるべきでもありません。それより、社会に出てから役に立つ勉強、実習をさせるべきです。

学力低下は錯覚である」(神永正博著、森北出版)によれば、どの時代でも、高校の内容を習得している者は30%程度で、それには及ばないが中学校の内容は習得している者が40%程度、中学校の内容すら習得していない者が30%程度います。私の実感としても、それくらいだと推測します。

この統計に従っていえば、それこそ30%くらいの生徒は中学から、40%くらいの生徒は高校から、職業に直結する授業や実習を受けさせていいと考えます。

大学進学率は全体の20%(現在は60%)くらいでいいでしょう。残りの10%は高校卒業後に職業に直結する各種専門学校で授業や実習を受けさせます。

修士まで進学するのは全体の10%(現在は7%)くらい、博士課程まで進学するのは3%(現在は1%)くらいで十分だと考えます。

こうなると、大学は当然、淘汰もしくは統合されるべきです。大学院は現在より拡張するものの、大学は国公立・私立問わず減らします。つまり、「大学の選択と集中」を進めます。

ここまで減らすと、大卒の価値は増します。

前回、日本は中小企業の研究費が国際的に低いので、中小企業の研究費を上げることが、GDPの増加につながると書きました。この中小企業の研究力を高めるため、どんな中小企業であっても、博士(または修士)の学位を持つ者を一定割合で研究職として役員採用しなければならない、というルールがあってもいいと考えます。もちろん、中小企業から大きな抵抗はあるでしょうが、別の観点からすれば、役職に見合う仕事のできる博士を生み出す社会的圧力になります。

なお、上記の職業に直結する授業や実習を行う学校(職業訓練校)は、英語、数学、国語、理科、社会などの科目を復習する授業も選択できるようにすべきと考えます。これらの科目の学習で、どのような職業に就くにしろ、社会人として有益となる基礎学力を養えるからです。

極端な話をすれば、どんな職業であれ訓練は必要なので、職業訓練校を卒業しないと、それぞれの職業になれない制度に変更してもいいかもしれません。

以上のような改革をすれば、「分数の足し算も分からない生徒に連立方程式の解き方を教える」「将来の職業にも関係ないし、自分も興味ない三角関数の勉強をする」など、非効率な教育は排除されていくはずです。

一人あたりGDPを上げるために研究者人件費の公費支出を増やすべきである

「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)は統計を元に、いくつもの相関関係を調べています。まず、論文数と一人あたりのGDPは正の相関、論文数と労働生産性は正の相関があることを示しています。

また、論文数は単純に大学研究者数(実際には総研究時間であるFTE)と正の相関があります。

だから、研究者数を増やせば論文数が増えて、論文数を増やせばGDPも増え、みんなが豊かになると主張しています。

では、どうやって研究者数を増やせばいいかについてですが、単純に研究者の人件費を増やせばいい、という結論を出しています。なぜなら、日本の研究者人件費は、先進国で最低レベルだからです。

具体的には、6000億円の研究者人件費を毎年公費負担することを提案しています。年収500万円なら、12万人も研究者を新たに雇用できます。実際は社会保障費などで追加負担もあるので、その半分程度になるかもしれませんが、それでも6万人です。

こちらによると、大学の研究者数は2021年のFTEで13.6万人なので1.44倍~1.88倍になる計算です。

毎年100兆に及ぶ予算をかけている日本で、6000億円くらいの研究予算の追加は十分考慮に値するでしょう。

本では、博士課程修了者と論文数の正の相関も示されているので、博士課程への予算も支出しましょう。それこそ授業料免除にして、月15万円程度の給与を与えたらどうでしょうか。2つ合わせても、年400万円程度のはずです。現在、日本の博士課程は7.5万人しかいないので、年3000億円です。もちろん、こんな好条件にしたら、博士課程に進学する者が一気に倍増するかもしれませんが、それでも6000億円です。博士課程修了者数とGDPに正の相関があることを考えれば、考慮には値するでしょう。

これは極端にしても、価値ある研究をしている博士課程の院生たち4万人くらいの授業料免除、うち1万人くらいの月15万円の給与、合計1000億円くらいの財政支援はすべきと考えます。日本全体としても、その支援額に見合うリターンはあるでしょう。

さらに、政府支出研究費は(政府歳出全体よりも)7年後の一人あたりのGDPと正の相関があると示しています。つまり、公的研究費支出は(他の公的支出よりも)将来のGDP成長に繋がっている可能性があると数学的には言えます。

本には、イノベーションGDPと正の相関関係があると示されており、大企業の研究開発費は一流だが、中小企業と大学の研究開発費は三流とも書かれています。特に日本の製造業において、国際比較で大企業は強いが、中小企業が弱いので、これもその通りだと考えてしまいます。

日本人全体が豊かになるため、研究、開発、改革、改善に中小企業と大学はもっと予算をかけるべきとの提案は傾聴に値するでしょう。

次の記事で、この本についての批判も書いておきます。

イギリス製大学ランキングは信頼できないが、日本の大学レベルの低下は間違いない

このブログの閲覧数で上位に入る記事で、「他に読んでもらいたい記事がいくらでもあるのに」と私が思うものがいくつかあります。

恋愛における女性優位の証拠」「LGBTはよくてロリコンはダメな理由が分からない」「人類史上最悪の殺人犯は毛沢東である」などです。端的に言ってしまえば、ネトウヨが喜ぶような記事はやはり閲覧数が多いです。「フェイクニュースの対処法」に書いたように、世界中どこでも保守的な記事ほど閲覧数が多くなるようです。※

それと関連するのでしょうが、「あてにならない世界大学ランキング」も私の予想を越えて、閲覧数が多い記事になっています。「THE(Times Higher Education)などの大学ランキングはイギリスの陰謀だ。日本の大学順位が下がったと悲観していたら、中国人と同じ失敗をしてしまう」と読者に伝わっているのかもしれません。だとしたら、私の意図とはかなり違います。

THEなどの大学ランキングが信頼性に乏しいことはその記事に書いた通りなのですが、世界の中で日本の大学レベルが下がっているのは厳然とした事実です。「科学立国の危機」(豊田長康著、東洋経済新報社)という500ページを越える本を読んでもらえれば、日本の大学の国際的な地位の低下は明らかです。

この本でも、THEだと京大教員数の1年間での37パーセントの減少、エントリー大学数増加による点数への影響を指摘し、その信頼性への強い疑問が示されています。ただし、THEの曖昧な「評判」という指標のないARWU(世界大学学術ランキング)やCWUR(世界大学ランキングセンター)でも、日本の大学順位は大幅に下がっています。

なぜなら、どの大学ランキングでも、大きい影響力を持つ被引用インパクト(CNCI)のランキングで、なんと日本は2014年から2016年で78位です。質ではなく、量で勝負といきたいところですが、2014年から2016年で人口あたりの論文数でも、GDPあたりの論文数でも世界40位程度で、台湾、韓国、香港、シンガポールにダブルスコアくらいの差をつけられて、負けています。

もっとも、国際比較して日本の研究レベルが低下していることは、研究者なら誰でも知っています。もし知らなかったら、その人はまともな研究者ではないと断定できます。

上記の本では、大学レベルや研究レベルの低下により、日本の経済発展も低下しているとデータ分析しています。しかし、その逆もあるでしょう。日本の経済が低迷しているから、大学レベルや研究レベルも低迷している、という関係です。

だいたい、大学レベルや研究レベルに限らず、この30年間で、世界の中で日本の順位が低下していないものがあるでしょうか。順位が上がったとしたら、高齢者率くらいでしょう。高齢者率で世界のトップランナーの日本があらゆる面で斜陽国家なのは、日本人なら誰でも知っています。

「だから、日本の大学レベルの低下も止むを得ない」という結論になりがちですが、それは間違いだ、と上記の本を読めば分かります。

実は単純に人件費を増やすだけで、大学レベルと研究力をつけられることが示されています。

次の記事に続きます。

 

※一方で、「ネットは社会を分断しないが、ネットの議論は分断しがちな理由」という科学的根拠があることも知っています。