未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日本人男性を大量に安楽死させる案

前回の記事の続きです。

「挑発する少女小説」(斎藤美奈子著、河出新書)はミサンドリー(男性嫌悪)に満ちた本でした。理性が飛んでいるとしか思えないほど、ミサンドリーあるいは結婚嫌悪が強いです。特に「若草物語」の章はひどいです。

若草物語は4人姉妹の物語です。主人公の「男の子でなかったのがくやしくてたまらない」次女ジョーは、長女メグが結婚するとき、異常なほどの嫌悪感を表出します。「メグはあの人(結婚相手)に夢中になって、私(ジョー)なんか何もおもしろいことがなくなる」とジョーは私憤を爆発しますが、著者はこの私憤を正当なものとみなして、「そうだ、そうだ、もっと言ってやれ」と囃し立てています。「(ジョーにとって)最愛の姉が奪われる、という恐怖もあったでしょう。メグが恋愛なんかにウツツを抜かしていること自体が許せなかった。それもあり得る。しかし、より本質的には女を束縛する結婚制度、ひいては異性愛至上主義に対する無意識の抗議ではなかったでしょうか」と著者は書いて、ジョーへの異常に強い共感を示しています。

若草物語」には序盤から、ローリーというジョーと同年代の少年が出てきます。著者も認めているように、「いつかこの2人はくっつくんじゃないかしら」「くっついてほしい」と読者は考えます。しかし、「そんなのはくだらないラブロマンスに毒されている証拠」と著者は一蹴しています。「子どもの頃は誰でも『男の子になりたい』っていうのよ。だけど年頃になったらみんな恋に目覚めて、私の大切な人はこんな近くにいたんだわ(ハートマーク)、とかいって結婚するのよ。そんなありふれた言葉を私たちはイヤッというほど聞かされてきました」と、著者は自分以外の女性も同じだと考えているようです。

若草物語」の続編で、ジョーはローリーの求婚を拒絶し、傷心のローリーは四女エイミーと結婚します。さらなる続編で、ジョーも20才年上の哲学教師と結婚します。著者はジョーの結婚が気に入らないらしく、「ジョーの結婚は読者の要望に応えた結果で、作者にとっては妥協の産物だったともいわれています」とわざわざ書いています。

著者は自称フェミニストですが、私にはミサンドリーにしか思えません。残念ながら、私が購読している朝日新聞は、この斎藤美奈子が大好きです。「好書好日」と「旅する文学」と2つもの連載記事を書かせるだけでなく、ほかの記事にも頻出し、日本の若者女性たちに結婚しないよう全力で奨励しています。

少子化が最大の政治・経済・社会問題である現代日本で、これは社会犯罪でしょう。斎藤美奈子朝日新聞は、日本人を絶滅させたくて仕方ないようです。

もし若い女性が結婚せず、恋愛もせず、セックスもしないことが社会的に許されるなら、許された人数分だけ、男性を安楽死させてください。少なくとも私は、女性と結婚できず、恋愛もできず、セックスもできないのなら、そもそも生まれてきたくなかった多くの男性の一人です。それ以外の生きがいなど、私にはありません。現在も私は「家庭10で仕事0」といろんな人に本音で言っています。結婚適齢期まで生きてから安楽死させるのはかわいそうなので、男として生まれた直後に安楽死させる方がいいでしょう。

上の本で、最も腹立たしい言葉は「男だったら、こんな思いはせずにすんだ」です。斎藤文一という宇宙物理学者の父のおかげで、恐ろしく恵まれた人生を歩んだ女がこんな言葉を使う正当性があるのでしょうか。上記の本の内容を男女逆転させれば、いかに女性にとって失礼になるか、斎藤美奈子は少しでも考えたことがあるのでしょうか。斎藤美奈子に何十回もミサンドリーな意見表明をさせて、腹が立たない朝日新聞の男性記者はどれほど恵まれた恋愛経験をしているのでしょうか。誰か、本当に調べてください。

「個の尊重」を守るためなら日本が滅んでもいい

「まだこんなこと言っているのか、コイツは! もういいかげんにしろよ!」

今朝の朝日新聞を読んでいての感想です。

今日の新聞一面トップは人口戦略会議の発表でした。このブログでも何度も書いている通り、少子高齢化、特に少子化は現在の日本の最大の政治・経済・社会問題です。これから日本の多くの地方が電気・水道・医療・教育・介護・保育・交通・インターネットなどのインフラを維持できなくなり、事実上消滅します。その最大の原因は少子化にあります。

「今後、日本の経済がどうなるか知っていますか?」

この1年で私は10代後半から20代前半の日本人10名ほどに上の質問をする機会がありました。3分の2は「分かりません」でしたが、3分の1くらいは「悪くなる」と正解を言っていました。「よくなります」や「現状維持」と不正解を言う若者はさすがにいませんでした。

これも何度も書いていることですが、革命でも起きない限り、日本の経済規模(GDP)は今後縮小していきます。「日本経済がよくなるかどうかは、若い人たちの努力次第です」と言っている奴がいたら、バカだと思ってかまいません。もう既に老害世代が日本の経済減少路線を頑丈に造り上げてしまったからです。経済縮小路線が頑丈になっている最大の原因も少子化です。もはや若者がどう努力しても、人口減少ジェットコースターを修復するまでに50年はかかるはずです。100年、200年、もしくは日本が滅亡する数百年先まで修復できない可能性も十分あります。

人口減少は未来の日本人全員に負担をかけます。上記のような社会インフラの崩壊が最も分かりやすい負担になるはずです。「生涯未婚時代」「高齢者天国日本が見えない新聞記事」「子育てなしなら年金ゼロ」などの記事でも書いたことですが、子どもがいないと社会が持続できません。その社会の構成員である個人も困ります。これは予想ではなく、科学的に導かれる事実です。

それにもかかわらず、朝日新聞は「時時刻刻」という記事で、少子化問題について次のように主張しています。

 

人口問題を考えるとき、経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ。人は決して、人口増の手段ではないのだから。

 

いつまで、この新聞はこんなバカなことを言っているのでしょうか。子どもがいなければ、働く人がいなくなれば、社会が成り立たない事実から、いつまで目をそむけるつもりなのでしょうか。この記事を書いたバカ記者は人口減少すれば個の尊重にもならない、という当たり前の事実を理解できないのでしょうか。

おそらく、このバカ記者にとっての「個の尊重」は、第二次大戦時の日本人が命よりも大事にした「国体」と同じようなものなのでしょう。当時の日本人は戦争でいくら負けがこんで、何百万や何千万の日本人が死のうと、絶対に降伏はせず、「国体」という大義を守ろうと思い詰めていました。「国体」を守るためなら、日本という国が滅んでもいい、と第二次大戦時の日本人が考えていたように、「個の尊重」という大義を守るためなら人口減少で日本という国が滅んでもいい、とこのバカ記者は考えているのではないでしょうか。

上の朝日新聞の主張についてのもう一つの感想です。「経済的合理性以上に大切なのが、個の尊重だ」は文化大革命期の中国の紅衛兵が好んで使いそうな言葉です。このブログは朝日新聞記者にも読まれているので、誰か上の文章を書いたバカ記者に「文化大革命と西洋人への皮肉」の記事を読ませてくれないでしょうか。

日本人初の宇宙飛行士が女性だったらよかったのに

日本人初の宇宙飛行士の秋山豊寛を知っている人は、おそらく私同様に40代以上の人でしょう。JAXAが日本中から募集して選んだエリートである毛利衛など3名が日本人初の宇宙飛行士になるはずでした。しかし、1986年のチャレンジャー号爆発事故で、NASAによる日本人宇宙飛行が延期となる間に、バブル景気にうかれたTBSが金にものをいわせて、1990年、突如、ソ連の宇宙船に社員の秋山を載せてしまいました。

秋山は自他ともに認める「普通のおじさん」でした。当時、TBSの看板報道番組のニュース23で司会の(やはり40代以上の日本人なら全員記憶している)筑紫哲也の休みの日、しばしば秋山が代理の司会を務めましたが、ひどいものでした。「普通のおじさん」とは、日本全体のおじさんの平均であり、ジャーナリストとしては普通ではなく、落第だったと私は確信しています。事実、秋山は日本史上に輝く栄誉を与えてくれたTBSを1995年には退職しています。

あの時、秋山を選択したことは、「普通のおじさんでも宇宙飛行士になれる」ことを証明した意義はあったかもしれません。それこそ、ZOZOの前澤友作が「宇宙飛行をするべきでない人でも宇宙飛行ができてしまう」ことを証明したように、です。しかし、どちらも「日本初(前澤の場合は民間人として)」の栄誉まで与えるべきではなかったと考えます。(特に前澤は)日本の宇宙開発史として消えない汚点を残してしまいました。

ところで、日本人初の宇宙飛行士が女性になる可能性が少しでもあったことを記憶している日本人は、現在、どれくらいいるのでしょうか。秋山と同じく、ソ連の宇宙船に乗る最終候補者に残った女性がいました。TBS社員の菊池涼子です。1994年に日本人女性初の宇宙飛行士となるエリート中のエリートの向井千秋とは比べ物にならない小粒の経歴で、向井より12才も年下、秋山より22才も年下で、当時26才です。

秋山が宇宙に行った時は、私もよく記憶しています。大ニュースで、日本中が秋山のことで盛り上がっていました。しかし、菊池のことは全く記憶していません。日本人初の宇宙飛行士の最終候補者2名中の一人が女性だったと知ったのは、菊池が2000年にTBSを退職した後、「宇宙を語る」(立花隆著、書籍情報社)を読んでからです。

立花隆の宇宙本といえば、1983年に出版された「宇宙からの帰還」(立花隆著、中央公論新社)というアメリカでもあまり実施されていない宇宙飛行士12名のインタビューを記録した本があります。その12名のアメリカ人宇宙飛行士と匹敵するほど、あるいはそれ以上に私の記憶に刻まれたのは「宇宙を語る」の菊池です。

立花との対話を読むだけで、さすが日本初の宇宙飛行士の最終候補者に残った女性だ、と思わせるほど頭の回転は速く、ユーモアのセンスもあると分かります。自分が選ばれなかったことに不平をあまり言わないので、寛容力も高いようです。立花との対話でふと気になったことがあると、「今度、テレシコワ(世界初の女性宇宙飛行士で、菊池は訓練中に友だちになる)に電話して聞いてみます」と気軽に答えることから、積極性もあります。「宇宙を語る」は、他にも毛利や向井などの実際に宇宙飛行士になれた者や、アーサー・C・クラーク河合隼雄司馬遼太郎などの作家・学者も出てきますが、向井との対話を除けば、駄文を残したとしか思えません。菊池との対話は大変面白く、向井との対話はそれに次ぎますが、それ以外の対話は読む価値はないでしょう。

菊池が日本人初の宇宙飛行士に選ばれなかったことが、私は残念でなりません。このブログで何度も書いている通り、「国際比較して日本だと女性が恵まれていない」は大きな誤解だと私は確信しています。もし菊池が選ばれていたなら、「日本で女性が恵まれていないはずがない。なぜなら、日本は世界で唯一、初めての宇宙飛行士として女性を選んだのだから」と私が言えました。

もし本当に菊池が選ばれていたら、世界初の女性宇宙飛行士のテレシコワが60年間も持っている女性の宇宙飛行士最年少記録も、菊池によって破られていました。それくらい価値ある記録を残せた菊池をなぜ選ばなかったのでしょうか。能力でいえば、秋山より菊池であったことは間違いないはずです。

私がこの記事を書くきっかけになったのは、「人生はそれでも続く」(読売新聞社会部「あれから」取材班著、新潮新書)で菊池が出てきたからです。そこで改めて、菊池がカメラマンであることを知りました(「宇宙との対話」にも書いていたのかもしれませんが、忘れていました)。秋山は入社2年目にはBBCに出向し、TBS屈指の国際ジャーナリストとしてアメリカのレーガン大統領にもインタビューをしています。実績では秋山に分があることは論を俟ちません。それでも(自分が選べたなら、菊池にしているのになあ)という気がしてなりません。

40代以下の日本人なら、おそらく菊池を知らないでしょうし、50代以上の日本人も「ジャーナリストでベテランの秋山をさしおいてカメラマンで26才の菊池が宇宙飛行士になる可能性など最初からなかった」と考えているのではないでしょうか。そういった日本人や、未来の日本人のために、ささやかですが、菊池涼子の記録をここに残しておきます。同時に、月面着陸したエリート中のエリートのアメリカ人と匹敵するほどの能力を持つ(と、ある日本人に20年間以上も信じさせる)若い優秀な女性が日本にもいたことをここに記録しておきます。

日本のマイノリティ弱者は若者男性のマジョリティである

いまだに「マイノリティ(少数派)である女性」という表現も見かけますが、女性の方が長生きするので、少子高齢化に悩む多くの先進国では女性の方がマジョリティ(多数派)です。必然的に、世界史上最高の高齢者率を誇る日本は何十年も前から、女性がマジョリティです。

従軍慰安婦問題などから、世界中の多くの人は、日本は女性の社会的地位が低いと考えています。世界経済フォーラムの出すジェンダー・ギャップ指数での日本の順位(2023年で146か国中125位)を、日本の女性の社会的地位が低い根拠として、朝日新聞は100回以上使っています。「介護職の多くを公務員化すべきである」にも書いたように、私はこの順位で女性の社会的地位が国際比較できない、と確信しています。フィリピン(同17位)やタイ(同73位)などに住んでいる日本人女性に「現地の女性の社会的地位が日本より高いと思いますか?(女性が尊重されていると思いますか?)」と聞いてみてください。確実にNoが多いはずです。アジアのほとんどの国は、女性への偏見・差別が日本より強く残っています。にもかかわらず、女性の就業率だけは日本より上なので、アジアのほとんど国の女性は、日本の女性より遥かに忙しい状況に追い込まれています。上の質問を「現地の女性が日本の女性より幸せだと思いますか?」に変えたら、9割以上がNoになるでしょう。

そもそも、女性の就業率の低さを帳消しにするほどの金銭メリットが日本の女性だけにあります。妻が家計管理する習慣です。妻が夫の収入を全てもらい、夫は妻の許可を得て、小遣いをもらっている制度です。最近は日本での妻の家計管理率は減ってきているようですが、多数派であることまでは変わっていません。特に、専業主婦家庭で妻の家計管理が多くなっています。

日本の男性はなんてかわいそうなんだと西洋男性に同情される」にも書いたように、この大前提を無視したまま、日本の女性の地位向上の議論はできません。しかし、朝日新聞を筆頭に、ほとんどの女性の地位向上運動は、この大前提には触れません。100年後の日本人には信じられないでしょうが、そんな空回り議論ばかり日本は続けているので、問題はなにも進展せず、少子化は進んで、日本人全員が困っています。

さらに、日本は、高齢者ほど多い人口構造なのに、高齢者天国になっているので、平成の30年間、平均給与は増えず、令和に入る頃からは減っています。今後、韓国や中国は日本以上の少子高齢化に苦しみますが、「老人医療費無料化」や「世界史上最高の介護保険」という日本の失敗は犯さないでしょうから、日本ほどの高齢者天国にはならず、文明の発展に合わせて、ある程度の経済発展はする可能性があります。

さらに「インセル問題と少子化」に示したように、日本は世界一のセックスレスです。女性はセックスしなくても問題ないでしょうが、男性、特に若者男性にとって、セックスできないのは、精神的負担が限りなく大きくなります。秋葉原通り魔事件は、その精神的負担によって起きた悲劇であると「『秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか』また『犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか』」に示しています。

以上のことを考慮すれば、日本の少数派弱者の代表は大多数の若者男性になるはずです。もちろん、素晴らしい彼女がいたり、高給職に就いたりしている一部の勝ち組若者男性は除きます。

大多数の若者男性を社会的弱者として救う制度が、今の日本には必要なはずです。

育児休暇よりも「育児もできなかった休暇」をもうけるべきである

育児休暇が増えれば増えるほど世の中がよくなるわけではありません。

朝日新聞を読んでいると、こんな当たり前のことを理解していない奴が朝日新聞の記者をしているんじゃないか、と思ってしまったので、書いておきます。

たとえば、「育児休暇は男性でも、一人でも子どもが生きている限り、その子が18才になるまで、無条件で取れます。その間、雇い主は給与の全額を払い続ける義務が生じます」という制度だったら、世の中が回らなくなることくらい、猿でも分かるでしょう。

子どものいる働き盛りの男性が、18年間かそれ以上も、社会で働かなくなったら、一体、他に誰が働くのでしょうか。男性ですら、それほど恵まれた育児休暇が与えられるなら、子どものいる女性にも、それと同等かそれ以上の育児休暇が与えられるでしょうから、子どものいる20代~50代の女性すら、働きません。そうなると、体力も知力も落ちた高齢者と、結婚もできなかった若い男女たちに働かせて、世の中を回すことになります。非効率すぎます。そんな世の中を望む人など、まずいないでしょう。

結婚できなかった女性が産休や育休をとる女性に対して裏で愚痴をこぼしている現場に、私は何回か遭遇しています。「ウチは今人手が足りないから、申し訳ないけど、働き始めて1年間は産休とらないでね、と女性の面接担当者に言われて、同意したから雇われたのに、働き始めて3ヶ月後には産休とった。出産時から逆算しても、あの人、自分の妊娠を面接時から知っていたよ」といった愚痴です。

現実問題として、その理由がなんであれ、人が仕事を休むと、普通なら仕事が回らなくなり、他の人がその穴埋めをしなければなりません。だから、その理由がなんであれ、休む時に「申し訳ない」あるいは「ありがとう」という態度を示すべきです。たとえ、出産・育児であっても、「休んで当然」という態度は社会で慎むべきでしょう。

出産はともかくも、祖父母がいるなどの理由で、育児休暇を必要としない人は、男性はもちろん、女性にもいます。私の知人のカナダ人女性が「その時の(女の)社長が出産した次の日から職場に赤ちゃん連れて働き出した。私はもう社長に不平を言えないなと思ったわよ」と笑いながら言っていました。そんな女社長がいれば、女性社員ですら育休をとりにくくなる上、全ての社員に猛烈に働くような圧力にもなるので、好ましくないなどの意見はあるでしょう。ただし、働くと社会の役に立ち、働かないと社会の役に立たないので、仕事を休むことは、一般に、社会にとっては有害です。育児休暇をとることが、社会に全面的に有益なわけがない、と認識はすべきです。

他の私の経験談になりますが、年配の看護師が「この病院ができた頃は、新人の若い看護師ばかりで、一気に産休とられたら困るから、師長が妊娠してもいい看護師を決めたりしていた」と笑いながら話していました。「妊娠時期を上司が指図するなど公私混同と人権侵害の最たるものだ」という意見は尊重されるべきですが、そういったことをしないと、社会が回らない現実は、今も存在しているはずです。

上の愚痴の例にもあるように、日本の生涯未婚率がここまで高くなった以上、「出産・育児はお互い様」ではありません。「未婚税と少子税と子ども補助金」に書いたように、私は出産も育児もしていない夫婦には高税を課すべきと考えていますが、出産や育児もできなかった(≒結婚できなかった)者は、社会的弱者が圧倒的に多いです。ありていにいえば、社会的地位が低い人、社会であまり重要でない仕事をしている人が多いです。だとしたら、社会全体の公平さと効率のため、育児もできる勝ち組男性に特別休暇を与えるより、育児もできなかった負け組男性こそ有給の特別休暇を与えるべきではないでしょうか。

胎嚢を見せる産科医こそ倫理観に優れる

前回の記事に書いたように、キリスト教国と比べると日本は堕胎に極めて寛容です。

だから、6月9日の朝日新聞の耕論には、朝日新聞の購読を止めようと思うほど、怒りが湧いてきました。とりわけ腹が立ったのは、次の文章です。

「中絶を罪悪視する医療者もいて、冷たい視線を向けられたり、取り出した胎嚢(たいのう)を見せて『忘れないように』と説教されたりという話も聞きます。『ケア』の対象であるべき中絶が『罰』とされているのです」

「中絶を罪悪視する医療者もいて」とありますが。「中絶を罪悪視する」のは当然ではないでしょうか。中絶とは、胎児の殺人です。罪悪視しない医療者がいたとしたら、それこそ問題です。

「取り出した胎嚢を見せて『忘れないように』と説教されたりという話も聞きます」とありますが、そういう産科医こそ、倫理観に優れていると私は知っています。私は医療職なので、人工妊娠中絶が産科にとって「ドル箱」であることを知っています。金儲け主義の産科医なら、中絶希望者を歓迎して、本人に事情をろくに聴くこともしません。まして本人に反発される可能性を犯してまで、説教などしません。本人に反発される危険性を犯してでも、命の大切さを知らしめるために胎嚢を見せている産科医こそ、「本当は中絶などしたくない」「お金のために医者になったわけではない」と職業倫理を重視していることくらい、医療職でなくても、分かるのではないでしょうか。

「『ケア』の対象であるべき中絶が『罰』とされているのです」という表現も、気になります。キリスト教徒である西洋人は、たとえ中絶賛成派であっても、中絶に罪悪感を持っています。罪があれば、原則、罰も伴います。中絶が道徳的に全く問題なく、罰など与えられるべきでない、と吹っ切れている西洋人に、私は会ったことがありません。この記事の著者は「日本は」「日本では」とやたらと海外比較していますが、キリスト教の先進国の国民感情を正しく把握しているとはとても思えません。

「胎嚢を見せるのは母だけでなく、父も見せるべきだ」なら分かりますが、「母も見せるべきない」は、根本的な倫理観が間違っているとしか思えません。同じ主張がキリスト教国でされたなら、この記事の著者が殺される可能性もあるのではないでしょうか。

私がカナダで唯一反論できなかった意見

キリスト教国に住んだことのある人なら知っているでしょうが、人工妊娠中絶は激しい対立を生みやすい問題です。それにもかかわらず、「西洋人は政治や宗教の話が大好きである」に書いたように、キリスト教徒が圧倒的に多い西洋先進国では、人工妊娠中絶問題が普通に学校の授業で討論されます。私もご多分に漏れず、カナダ留学中に、何度か人工妊娠中絶の討論に加わりました。

カナダのようなキリスト教国と比べると、日本は中絶に非常に寛容なこともあり、私が妊娠中絶に賛成意見を述べていた時、私の見解の浅はかさを見抜いたカナダ人教師から、こう質問されました。

カナダ人教師「残りの人生が長ければ長いほど、その人の死は避けるべきだと思うか?」

私「それはそうだ」

カナダ人教師「なにも意見を言えない人が殺されることは許されるべきだと思うか?」

私「もちろん、思わない」

カナダ人教師「それなら、お腹から出たばかりの赤ちゃんを殺したら罰せられるのに、どうしてお腹から出る前なら殺人が許されるのか。さきほどのキミの意見と矛盾する。お腹の中にいるなら、お母さん、あるいはお父さんであれ、子どもの生死を決める権利があると思っているのか」

なにごとも反論する私が、カナダで唯一、反論できなかった瞬間です。

なお、そのカナダ人教師は、人工妊娠中絶に反対なわけではなく、どちらかといえば、賛成でした。それでも、浅い見解で「人工中絶賛成」と言う奴は許せなかったようです。この討論時、私は既にマザー・テレサを尊敬していましたが、マザー・テレサが人工妊娠中絶を「殺人」と呼ぶことには反対でした。今は反対とまでは思っていません。

英語で妊娠中絶賛成派は「pro-choice」であり、妊娠中絶反対派は「pro-life」です。この表現の差は、知った時から違和感がありました。「命」と「選択」のどちらが大切かといえば、それは命が大切でしょう。医療現場で延命至上主義がいまだにはびこっている日本なら、特にそう考える人が多いのではないでしょうか。

下のような統計を知っているでしょうか。日本では、妊娠した生命のうち、4割近くが腹の中で一方的に殺されていた時期がありました。

一方、カナダにこのような統計は存在しません。カナダを含むキリスト教国では、人工妊娠中絶をしている産科医がpro-life派から殺される事件が発生しています。だから、人工妊娠中絶はほぼ全例、秘密裏に行われ、なにごとも情報公開に積極的な西洋諸国でも、人工妊娠中絶の統計が存在しないのです。どのカナダ人に聞いても、「人工妊娠中絶の統計なんてカナダに存在するわけがない」と言っていました。

子育て保険

前回までの記事の続きです。

世界史上最高の高齢者天国・日本を支える重要な柱の一つが、「高齢者以上に現役の社会的弱者にも個別事情に応じた人的援助を与えるべきである」にも書いたように、月5~35万円も1割負担で使える世界史上最高の介護保険です。

日本の最大の政治・経済・社会問題である少子化を解決するため、介護保険をやめて、その財源を全て「子育て保険」に回すことを提案します。子育て保険は、これまでの介護保険と同様、40才以上の日本人全員が負担します。

一方、子育て世帯に、その負担度に合わせて、等級別に月5万~35万円の子育てサービスを1割負担で提供します。子育て世帯は、子どもの世話、料理や洗濯や掃除などの家事代行サービス、保育園や学校や塾への送迎、家庭教師や塾などの学校外の教育費、英会話や水泳やピアノなどの習い事、(親が一時的に子育て負担から解放されるための)子どものためのショートステイを最大月35万円分まで、1割負担で利用できます。

もし本当に日本が介護保険をやめて、子育て保険を実現できれば、世界史上最高の高齢者国家から、世界史上最高の子育て国家に移行するに違いありません。家事も子育ても1割負担で代行してもらえるので、能力のある女性の社会進出が一気に進むことも間違いありません。

もちろん、課題はあります。まず、子育て介護士の絶対数が不足しすぎています。日本人のシッターやヘルパーだけでは到底足りません。子育て介護士の移民制限は撤廃・崩壊させ、さらに補助金をつけて世界中から子育て介護士を集めない限り、充足は不可能でしょう。

今年、岸田政権が異次元の少子化対策を打ちだしましたが、例によって羊頭狗肉になりそうです。異次元の少子化対策と言うなら、財源も示した私の子育て保険くらいの改革案は出してほしかったです。

子育てなしなら年金ゼロ

前回までの記事の続きです。

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」(山田昌弘著、光文社新書)は日本の少子化対策の失敗原因の本質を解説している素晴らしい本です。しかし、残念ながら「では、どうすればいいのか」についてはほとんど書かれていません。

興味深いのは「そもそも少子化対策をすべきなのか」という考察があることです。「子どもを持つ、持たないは個人の問題なので、国家が干渉すべきでない」「少子化も人口減少も問題ではない」という主張は、日本にも確実に存在します。1990年頃まで、日本は少子化あるいは未婚化について、公的な対策をほとんど打っておらず、税金もあまり使っていませでした。それから30年間、おそらく何兆円もの予算が少子化対策、未婚化対策に使われたのでしょうが、全く解決していません。「どうせムダだから、少子化対策に税金を使うな」という批判もあっていいでしょう。

有効な少子化対策の提案の前に、これだけは書いておきたいです。「少子化対策など不要」と主張する人たちは、将来、現状の経済生活を維持できなくなる覚悟はできているのでしょうか。現在の日本は世界史上最高の高齢者天国になっていますが、このまま少子化が続けば、現状の介護保険は絶対に維持できません。私は日本の医療制度は世界最高だと考えていますが、それも維持できません。どこかの記事にも書きましたが、「少子化対策は不要」と主張する人には、医療も介護も全額自費にさせるべきだ、と私は考えます。

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」の著者は次の2つの少子化対策を提案しています。

1 全ての若者に子育てしながらも10年後、20年後、30年後に世間並みの生活を保障する

2 日本人のリスク回避思考、世間体重視を変える

漠然としていて、具体的になにをすればいいか、よく分かりません。

このブログで何度も述べている通り、日本の最大の政治・経済・社会問題は少子高齢化だと私は考えているので、少子化対策も5年前に私は「未婚税と少子税と子ども補助金」と提案しています。ただし、日本社会をより大局的に考えれば、「年功序列賃金制度を解体しないと日本の夜明けはない」にも書いたように、子育て世代の福祉を充実させ、高齢者世代の給付を減らし、高齢者世代から税金を取ることが重要でしょう。

まず、高齢者に集中している資産に対する税は必要でしょう。預金、株式などの有価証券への課税です。資産税は、タックスヘイブンや土地建物の税(固定資産税)も考慮しないと意味がなく、それを解決するためにどうすればいいか、金融知識の乏しい私には分かりませんが、少子化対策を度外視しても、日本だけでなく、世界中の全ての国で、この世の不公平を軽減するため、資産税は必要であると私は確信します。

さらに、既に十分資産や収入のある高齢者の給付を制限します。もちろん、医療費を1割から2割に値上げするような微々たる改革では、焼け石に水なので、高資産あるいは高収入の高齢者の医療費を全額自己負担にするくらいの改革を断行します。

一方、子育て世代の福祉の充実として、現在の介護保険をやめて、その財源を子育て保険にあてることを提案します。子育て保険は、まさに異次元の少子化対策であり、次の記事で解説します。

また、「公務員を中高年限定採用にする改革」にも書いたように、子育てしていない者は公務員から排除する改革も行っていいでしょう。

さらに、子育てした人数によって老後の年金が変わってくる改革は十分に考慮に値するはずです。現在の日本の年金は、現役の勤労者が同時期を生きる高齢者に所得を分ける制度です。勤労者が預けてきたお金を老後に受け取る制度ではありません。その理屈からいえば、子育てしなかった者は、その人の老後を支えてくれる勤労者を一人も生まなかったわけですから、年金をもらう権利はないはずです。同時に、子育てした者たちは、その人数に応じて、年金をもらっていいはずです。

現実には、子育てに失敗して、勤労者どころか犯罪者を育てた親もいて、多人数の子を持つ家庭環境は悲惨な場合が多いので、単純に子の人数に応じて年金を与えるのは妥当ではありません。そもそも、子どもの人数に応じて、親の年金が決まるなら、公的制度にせずに、老後は自身の子どもたちから救済してもらう私的制度にすべきです。そういった制度の欠陥は無視できないものの、子どもの人数に応じて、年金が決まる制度は、考慮には値するはずです。

特に、子育て人数に応じてではなく、子育てしたかしないかで分別する年金制度改革は考慮すべきだと私は考えます。政府も「異次元の少子化対策」として、「子育てなしなら年金ゼロ」改革はぜひ提案してほしかったです。超少子超高齢社会になった日本で、このような年金改革が議論すらされていないのは、私にとって不思議ですらあります。1千万円以上の貯金を持つ高齢者世帯が日本に4割以上もいる統計事実もありますし、収入も資産もない高齢者は生活保護に入れる制度が日本だと整っているので、子育てなしなら年金ゼロの改革はあっていいと私は考えます。

なぜ欧米の少子化対策は日本で無効だったのか

前回までの記事の続きです。

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」(山田昌弘著、光文社新書)の著者は「パラサイト・シングル」という言葉の生みの親です。(南欧を除く)欧米では、学校卒業後、男女とも親の家を出て自立して生活するのが一般的ですが、東アジアでは、結婚までは親と同居して親に頼るのが一般的です。現実に、日本の「出生動向基本調査2015年」では、18~34才の未婚者の約75%が親と同居しているそうです。

欧米では、成人後も理由なく親と同居し続けることは、親離れしていない証拠と見なされ、周りからよく思われず、一人前に扱ってもらえません。日本と同じく欧米でも、若者の収入は低く、失業率は日本より遥かに高いのですが、それでも親元を出て、自立して生活することを迫られます。そうなると、誰かと一緒に住むことは、一人あたりの住居費や光熱費が節約できるので、若者のシェアハウスが欧米だと多くなります。

そして、同じ一緒に住むなら、誰だって好きな相手と住みたいので、欧米だと結婚前の同棲が一般的になります。さらには、同棲しているうちに子どもも生まれるので、出生率も上がります。なお、日本でも高度経済成長期は、地方から出てきた若者の一人暮らしや寮生活者が多かったので、結婚が早かったのではないか、と著者は推測しています。

現在の日本では、親の家を出て新しい生活を始めることは、経済的に苦しくなるケースがほとんどです。生活水準の低下を避けるためには、親と同居し続け(パラサイト・シングル)、一人暮らしをしないことが合理的な選択となります。そうなると、日本だと同棲が減り、結婚も減ります。その前提となる男女交際も控えます。当然、同棲も結婚も男女交際もなければ、子どもが生まれるわけがありません。「成人後も親と同居するのが当然という文化」が、未婚化、少子化に影響していることは誰も否定できないはずです。

非正規雇用の女性が子育てと仕事の両立で悩むわけがない」の記事で、仕事に生きがい(自己実現)を求めている日本人女性は稀だと書きました。では、日本人女性がなにを求めているかといえば、著者の言葉を借りると「豊かな消費生活を送る」になります。各種アンケート調査でも明らかなように、多くの日本人女性も子どもを欲していますが、それは経済的に豊かな生活が前提となっています。事実、下にあるように既婚女性が「子どもを希望数まで持たない理由」のアンケートで圧倒的な1位は「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」です。

少子化対策としてよくあげられる「夫の家事育児への協力が得られないから」を本当にあげる既婚女性は、経済的理由の5分の1にも達していません。現在、既婚女性の就労が増えているのも、仕事に生きがいを感じているからではほぼないでしょう。夫の収入だけでは子どもの教育費や住宅費が賄えず、現在の豊かな経済生活が送れなくなるから、やむを得ず、仕事をしている女性が圧倒的に多いと著者は断定しています。

ところで、なぜ欧米では、子育ての経済負担をあまり考えないのでしょうか。最大の理由は、ヨーロッパでは、子育ての社会福祉が充実しているからです。教育費はほぼ無料で、日本のような塾産業もなく、高校までは学校格差もほぼありません。大学などの高等教育費も、自国民なら格安です。さらに、高校卒業後は、子どもたちは親元離れて、学費や家賃も含めて自活してくれます。親の子育ての経済的負担が日本と比較にならないほど低いのです(ただし、最近はヨーロッパ諸国でも、若者の経済事情の悪化により、親との同居期間が延びている統計事実があるようです)。

もう一つの理由は、欧米ではリスクをとることが尊重されるからだ、と著者は述べています。換言すれば、東洋人のよくする「子どもの将来を心配して、子どもを生まない」という発想を欧米人はしないからです。

ヨーロッパと違い、アメリカの子育ての社会福祉は劣悪です。最近は改善してきたとはいえ、出産・保育所から高校まで、日本の福祉より全般的に貧弱です。一流大学になれば、日本よりも学費が遥かに高いので、子どもの教育には、親の経済力がどうしても影響してきます。それにもかかわらず、子どもの将来が心配になって、子どもを産まない人はアメリカで少数派です。やはり、その理由はアメリカ人もヨーロッパ人同様、リスクを警戒しないからです。「これから産まれる子どもが大人になるまでの未来なんて誰にも分からない」「なんとかなるだろう」と西洋人は考えるからです。

カナダに住んでいた私も、この見解に同意します。現実には西洋でも、親によって子の人生が決まる傾向はありますが、親がどんなに貧乏で、ひどい教育を受けてきたとしても、社会的に成功した人は東洋と比較にならないほど多くあります。その大きな理由は、社会全体に再チャレンジする機会は多くあるからですが、個人としてもチャレンジ精神が旺盛であることも大きいでしょう。

別の観点からいえば、「社会に再チャレンジする機会がない→個人もチャレンジしなくなる→成功例がないため、ますます社会がリスクをおそれ、再チャレンジする機会を少なくする」という悪循環に陥っているのが東洋、とりわけ日本でしょう。

また、他のアジアの国やバブル期までの日本は、経済成長が続いていたので、子どもを産むときに、西洋人のように「なんとかなる」と思いやすかったでしょう。しかし、経済成長が30年間も停滞して、将来は経済縮小していくことが分かっている日本だと、「なんとかなる」との発想はしにくくなります。

次の記事で、有効な少子化対策について考察します。

非正規雇用の女性が子育てと仕事の両立で悩むわけがない

前回までの記事の続きです。

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」(山田昌弘著、光文社新書)によると、日本の少子化対策は、欧米の少子化対策を見習ったため、失敗しました。欧米で広まった「仕事による自己実現」という考え方は、日本では少数の女性に影響を与えたに過ぎませんでした。

政治家、官僚、企業幹部、マスコミ、そして研究者の周りにいる若年女性の大多数は、大卒、大都市在住、大企業正社員か公務員のようです。中には成功したフリーランス、起業家もいるでしょう。しかし、大卒の女性など、最近ようやく5割を超えた程度で、2001年だと若年女性の32.2%、3分の1に過ぎません。日本の若年女性の多数派は、大卒でなく、大都市在住でもない、非正規雇用者です。少し考えてみれば分かりますが、非正規雇用の女性が仕事の自己実現(やりがい)で悩むことはまずありません。

上記の本ではこうも書いています。

「これは女性活躍推進政策にも言えると思う。高学歴で大都市の大企業に勤める女性がトップリーダーになれる環境を整えることは重要である。ただ、地方で中小企業にパートで務める非大卒の女性にとっては、『雲の上の話』に聞こえてしまう。地方にいる非キャリア女性の活躍によって、地方経済の活性化、ひいては、日本経済全体の底上げをすることが、本当の意味での女性の活躍推進なのではないかと痛感している」

私も同感です。具体的な対策として、「介護職の多くを公務員化すべきである」は既に提示しています。

西洋だと「女性が仕事によって自己実現する」という理想が重視されますが、東洋だと、そんな理想を考える女性は稀でしょう。当たり前ですが、コンビニのアルバイトをしている未婚女性が仕事で自己実現していると考えることはありません。まして、手取りで月20万円にもならないレジ打ち・品出しの仕事を辞めたくないから子どもを持たないなど、考えるわけがありません。

上記の本の著者は、毎年大学生たちに「結婚、出産後も働き続けたいか」(同時に、配偶者にどうして欲しいか)を聞いているそうです。1986年、女子学生の回答は「働き続けたい」が圧倒的に多かったそうです。当時、女子の四年制大学進学率は低く、かつ、教員志望者が多い東京学芸大学での調査だったことも影響しているでしょう。ただし、年を追うごとに、学芸大でも「仕事を辞めたい」が増え始め、2008年に中央大学に移籍した以降も同様で、近年は「働き続けたい」と「仕事を辞めたい」が、ほぼ半々になっているそうです。

一方、男子学生は、妻に働き続けてもらいたいという回答が年を追うごとに増えていって、最近は、「仕事を辞めて専業主夫になりたい」という回答が混じるようになりました(「『女性が活躍できる社会』ではなく『女性が活躍しなければならない社会』になっていないか」に書いた私と同じです)。

なぜこんなに調査結果が変わってきたのでしょうか。欧米と異なり、日本はやりがいのある(自己実現できる)仕事があまりない、と大学生も年を追うごとに気づいてきたからだ、と筆者は推測しています。社会学者の中野円佳によるインタビュー調査によると、結婚出産で仕事を辞めたキャリア女性は両立できなくて辞めたというよりも、両立してまで続けるほどの仕事とは思えなかった点が強調されています。キャリア女性、上記の大卒で大企業や公務員勤務の女性の調査ですら、そうなのです。多数派の非キャリア女性なら、なおさらそうでしょう。上記の本の著者の女子大学生アンケートでも、「その時に就いている仕事が面白かったら働き続ける、つまらなかったら辞める」というものが出てきているそうです。

仕事が女性のやりがいになるためには、やりがいのある仕事を日本で増やさなければなりません。その前提が崩れているなら、仕事と子育ての両立支援が少子化対策に有効なはずがありません。

次の記事で、欧米の少子化対策が日本で無効であった理由をさらに考察します。

日本の男性はなんてかわいそうなんだと西洋男性に同情される

前回の記事の続きです。

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」(山田昌弘著、光文社新書)にある下のアンケート結果を見てください。

上記の本では、「日本の少子化対策が失敗した理由は、西洋の少子化対策を模倣したからである」と繰り返し主張しています。上のデータを見るだけでも、その通りだ、と納得してもらえるのではないでしょうか。専業主婦やパートタイムであろうが(スウェーデンでは専業主婦があまりに少ないせいか統計すらないですが)フルタイムであろうが、「夫が収入を得る責任を持つべきだ」で、スウェーデンでは「反対」がほぼ半数なのに、日本で反対は微々たるものです。逆にスウェーデンでは圧倒的少数派の「賛成」が、日本だと半数を占めます。これだけ違うのですから、西洋で成功した少子化対策が、東洋で失敗するのは必然でしょう。

少子化が問題になったとき、よく聞かれる言説が「仕事をしつづけたい女性が、結婚・出産をためらっている」というものです。だから、欧米と同じように子育てと共働きを両立できるようにすればいい、保育所の整備や育児休業の充実、さらに夫の子育て参加を促進すればいい、という仮説です。日本や韓国や台湾の統計から、この仮説は完全に間違っていたことが既に明らかになっています。

重要な点なので繰り返しますが、婚外子がほぼない東洋では、少子化の根本原因は結婚減少にあるので、女性の仕事と育児の両立をいくら支援しようが、少子化対策には結びつきません。もちろん、仕事をする女性の育児負担を減らすため、保育所の整備、男性の育児参加の促進政策は必要です。だから、それらは今後も続けるべきではあることは間違いありませんが、残念ながら東洋の全ての国で、それらは少子化対策にならないと厳然と示されています。だから、少子化対策で「保育所の整備」や「男性の育児参加」という言説が出てきたら、「少子化と関係ない」とマスコミも率直に認めて、「少子化を解決したいなら、結婚を増やすべきだ」と日本人全員に知らせるべきです。

前回の記事で、少子化対策で西洋は参考に全くならないだけでなく、西洋人の助言すら全く参考にならない、と私は主張しました。少子化問題に限りませんが、東洋人は西洋を知ろうとして、よく見習っていますが、西洋人は東洋をろくに知らないくせに、東洋人に上から目線で助言してきます。西洋人の「少子化を解決したいのなら、女性が育児と両立しやすい仕事環境を整備すべきだ」の助言がいかに的外れであるかは、既に十分示していると思いますが、次にも示します。

上のスウェーデンと日本の家計維持の責任意識の統計比較を西洋人が見ると、怪訝な顔をするそうです。夫に依存するのは妻にとってリスクではないのか、離婚されたらどうするのか、自分でお金を稼がなくては自分のために自由にお金を使えないではないか、夫に従属しなければならないのではないか、などの質問が発せられます。

それに対して、著者はまず「日本では、欧米の多くの国のように、一方的に離婚はできない。夫の収入が高い場合、夫の方から離婚するためには多額の慰謝料を妻に支払う必要がある(だから収入の高い夫と結婚しておけば、万一の離婚の場合も安心である)」と答えています。

お金に関しては「日本の多くの家庭では結婚後は夫のお金も妻が管理する。妻は夫のお金を自由に使える(著者の調査では、だいたい4分の3で、妻が夫の収入を監理しています)」と答えることにしているそうです。なお、欧米では、妻が専業主婦の場合でも、一定の生活費を夫が決めて渡すのが原則です。こんなやり取りが毎回必要なくらい、西洋人は日本の結婚事情を知らないのです。

そして、日本だと多くの夫がお小遣いを増やしてもらうために、妻に頭を下げるのだ、というと、欧米人男性は、日本の男性はなんとかわいそうだなんだ、という感想を漏らすそうです。

次の記事で、日本だと女性の子育てと仕事の両立が、少子化と関係するわけがないことをさらに示します。

日本の少子化対策はなぜ失敗したのか

「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?」(山田昌弘著、光文社新書)は素晴らしい本です。この本を読めば、他の少子化の本は読まなくていい、むしろ読まない方がいい、と言えるほど本質を突いています。日本の少子化対策として、保育所の確保だとか、女性が働きやすい環境だとか、夫の育児参加だとか書いている記事や本は未だにありますが、そんなのは読むだけ時間のムダだと理解できる本です。いいかげん、マスコミはそんな主張を止めるべきです。

このブログの他の記事でも書いていることですが、統計から、保育所の数も、女性の就業率も、夫の育児参加時間も、子どもの数と正の相関は全くありません。むしろ、それらは負の相関があります。つまり、保育所の数が増えれば増えるほど(昔の日本はもっと少なかった)、女性の就業率が上がれば上がるほど、夫の育児参加時間が増えれば増えるほど(実際日本でも最近増えましたが)、子どもの数は減ってきています。特に、女性の就業率の上昇と、子どもの数の減少は、日本に限らず、世界中どの国でも明らかに相関があります。

それにもかかわらず、なぜ少子化対策となると、保育所、女性の社会進出、夫の育児参加などと言われるのでしょうか。それは欧米の一部の国だと、その対策で少子化が軽減したからです。ただし、その対策で少子化が軽減したのは欧米でもスウェーデンやフランスなど、一部の国であり、ドイツやイタリアやカナダなど、その対策を打っても解決せず、移民で労働力不足を解消している国も多くあります。また、「未婚税と少子税と子ども補助金」で書いたように、そのスウェーデンやフランスでも少子化は解決したと言えず、せいぜい軽減したと言える程度で、両国が人口減少しなかったのは、やはり移民を労働者として受け入れたからです。

だから、欧米でも上記の対策はそれほど有効でなかった、と言えるのですが、それでも明治以来、日本は欧米先進国を見本にする習慣を捨てることができず、スウェーデンやフランス、あるいはオランダを「成功例」として、少子化対策をしてきました。

この「欧米中心主義思考」こそが、日本が少子化対策に失敗した根本原因だ、と上記の本で何度も主張されています。日本の少子化問題を解決するために、欧米は参考に全くならない、と著者は断定しています。むしろ、東洋の国、中国や韓国や台湾などは、日本と似たような少子化問題を抱えています。韓国も中国も台湾も少子化問題を全く解決できていませんが、とにかく日本の少子化問題と似ているとしたら、西洋ではなく、東洋の国になります。たとえば、少子化は先進国共通の課題とはいえ、西洋では結婚前の同棲が多く、婚外子が非常に多いのですが、東洋では結婚前の同棲は珍しく、婚外子が非常に少なくなります。だから、西洋だと「未婚化しているから少子化もしている」とは必ずしも言えないのですが、東洋だと「未婚化しているから少子化もしている」とほぼ断定できます。東洋の国の政治家や官僚も科学や統計を無視しているわけではないので、保育所問題にいくら予算をつけても、結婚が増えない限り、少子化は解決しないことくらい、さすがに気づいています。

著者の「欧米の少子化対策は日本にとって全く参考にならない」につけ加えるなら、欧米人の少子化対策の助言も全く参考にならない、と私は考えます。

以下は私の経験談になります。「女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する」に書いた通り、少子化問題の背景(あるいは最大の原因)に、「女性が自分より収入の少ない男性と結婚しない」ことがあるのに、それが社会で全く問題視されておらず、議論もされていないことを、私は20年以上前から「この世の不思議の一つ」と考えていました。だから、私がカナダに留学した2009年時にも、「国際結婚統計の不都合な真実」を示しながら、「どうして女性が収入の低い男性と結婚しないことが問題視されず、議論もされないのか?」とカナダ人男女2名に聞きました。当時からカナダでも少子化問題が駅の公共広告で掲示されるほど深刻だったのですが、そのカナダ人の男女2名の反応はどちらも「言われてみれば、その通りだ。なぜ議論されないのだろう」でした。やはり、東洋ほどではないにしろ、「女性が自分より収入の少ない男性と結婚しない」傾向は西洋でもある、と2人は認めており、さらに「その重要な点がろくに問題視も、議論もされていないこと」を認めていたのです。

その理由の大きな一つは、上記の本に示されていました。「結婚は愛情ですべき」という価値観が東洋と比べると、西洋で強いからです。たとえば、下のような日本の統計があります。

女性の結婚相手に望む年収と、実際の結婚適齢期の未婚男性の収入があまりに解離している統計です。日本で少子化問題を語る上で、避けて通れない統計なのですが、著者がこの統計をイギリスで示すと、大学の男性教授から「こんな失礼な質問をしたのか。イギリス女性なら、結婚する時、相手の年収にこだわるのはいけない、と答えるだろう」と言われたそうです。どうも西洋人は、女性が男性を収入で結婚相手を選ぶ現実を直視する勇気がないようです。こんな西洋人に「少子化問題を解決したいなら、日本で根強い女性差別を止めるべきだ」などと上から目線で言われて、納得する日本人がいたら、ぜひ下のコメント欄に実名を書き込んでください。

ちなみに、中国で同じ統計を示したら、「中国の女性は男性の収入だけでなく、男性の親の資産も聞く」と言われたそうです。結婚する時に、男性の親が住宅を用意するのが、中国の中流家庭の習慣だからだそうです。中国が日本以上に少子化するのは当然です。

日本の男性はなんてかわいそうなんだと西洋男性に同情される」の記事で、日本の少子化問題を考える上で、西洋は全く参考にならないことをさらに示します。

インセル問題と少子化

下のようなデータを知っているでしょうか。

コンドーム会社Durexのセックス回数の国際比較調査です。こちらの記事のように東大教授も引用しているデータで、毎回日本が必ず最下位になり、しかも下から2番目のシンガポールの6割ほどです。

このデータが事実かどうか、いつも議論になります。女性の自慰率同様、セックス回数の国際統計比較など、まず正確にできないのは事実です。しかし、東大教授でもこのデータを引用するくらい、現在、これ以上に科学的なデータは存在しません。私の国際経験からしても、このセックス回数の国際比較データは事実に近いと思えます。日本ほどセックスレスの国は存在しないと私は推定しています。

このセックスレスが日本の少子化オタク文化の隆盛、その他多くの文化、社会問題の背景にあるはずです。少なくとも、このセックスレス統計を無視して、少子化問題を論じていたとしたら、問題の本質を避けていると断定していい気がします。日本の結婚社会学の第一人者と自称している(私もそう考えています)山田昌弘は、「『少子化問題保育所問題』ではないと30年以上前から言ってきた。しかし、『女性が自分や自分の父以下の収入の人と結婚しないから、少子化が進んでいる』と1990年代に本当のことを言ったら、『そんなこと出版や放送できません』とどこからも断れた。結局、日本は少子化問題を本気で解決する気がないんじゃないか」と何度も書いていますが、それと同様、セックスレスの問題を扱わなければ、少子化問題もなんら進展しないでしょう。

話は少し変わります。英語で「できちゃった結婚」をなんと言うか、知っているでしょうか。Shotgun weddingです。娘を妊娠させたことに激怒した父が、ショットガンで相手を脅して結婚させるから、という意味です。東洋ではそんな恐ろしい文化などありません。女性が妊娠した場合、娘の父がショットガンで脅さなくても、素直に男性は結婚してしまいます。婚外子の比率が、東洋より西洋が圧倒的に多いのは、ここに改めて示すまでもないでしょう。

なぜ、西洋では婚外子が当たり前になったのに、東洋ではいまだに極めて珍しいのでしょうか。この理由は一つではありません。最大の理由は、東洋だと女性が一人で子どもを育てていくのが大変で、西洋だとそれが容易なことでしょう。

ただし、もう一つ、あまり公言されない理由があると私は確信しています。それは上のセックスレス統計と関連します。東洋の女性、とりわけ日本女性が、よほどの高ランクの男性としかセックスしないから、またその高ランク男性とすら、結婚前に、あまりセックスしないからです。西洋女性は、結婚したいと思わない男性ともよくセックスしますが、東洋女性は結婚したいと思わない男性なら、まずセックスもしませんし、結婚したいと思う相手でさえあまりセックスしません。端的にいえば、西洋女性より東洋女性は男性を選り好みして、警戒して、拒否しているのです。

もしそうでなければ、妊娠が発覚した時、東洋男性は西洋男性より女性に優しく、結婚してあげていることになりますが、そんなことはまずないでしょう。現代なら、洋の東西を問わず、結婚の主導権あるいは選択権は女性が持っているはずです。未婚で妊娠した場合、西洋女性より東洋女性が妊娠相手と結婚したい割合が高いから、できちゃった結婚が東洋で多いはずです。

また、「結婚不要社会」(山田昌弘著、朝日新書)でも書いてある通り、東洋女性は結婚相手に収入を求める傾向があるのに、西洋女性は結婚相手に愛情を求める傾向があります。だから、結婚後も、西洋人よりも東洋人がセックスレスになります。ただし、ここでは結婚後のセックスレス問題は無視します。

日本では、結婚適齢期の多くの若い男性がセックスレスであり、その中でも最多グループはセックスゼロです(私はこれを事実と確信するので、あえて統計を示さず断定します)。これも公言できないことでしょうが、どうも昔は風俗が若い男性でも入れるほど安かったようです。しかし、ビートたけしがどこかの雑誌で書いていましたが、若い女性の数が減っている上、高収入の高齢男性たちが値段を吊り上げているので、現在、収入の低い若い男性が風俗に行きにくくなってしまいました。結果、恵まれない男性のセックスゼロがますます増えています。

この欲求不満の男性たちがいたからこそ、日本でオタク文化が世界最高に隆盛したと私は確信します。オタクは生身の人間と付き合うことができないから、マンガやアニメに逃げているという印象は、東洋でもありますが、西洋だと、さらに強くあります。恥ずかしながら、私もそれに抗弁できないオタクの一人です。

オタク文化が社会的地位を得てきたので、以前とはだいぶ変わってはいますが、ほとんどの日本女性は、いまだオタクを「気持ち悪いもの」と感じているでしょう。しかし、世界最大のセックスレス大国(女性が男性を拒否している国)なのに、下のようにレイプ犯罪は世界最小であるので、日本女性は日本男性にもっと感謝してもいいのではないでしょうか。

こんなことを書くと、「レイプされないことで男に感謝する女などいるわけない。あなたは殺されないことで犯罪者予備軍に毎日感謝しているのか」と反論されそうなので、書いておきます。これまでのブログを読めば明らかですが、自ら暴力的になるヤクザは私が最も嫌う人たちですが、恵まれないのに犯罪者にならない人たちには、私は常に感謝しています。それは「『秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか』また『犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか』」や「私は『黒子のバスケ事件』の犯人である」に書いてある通りです。

経済縮小時代を迎える韓国と日本

韓国の不動産バブルが崩壊しはじめました。ここ10年ほどの韓国の地価の値上がりは異常で「まるでバブル時代の日本のようだ」と何度も言われ、いずれバブルが崩壊すると多くの経済専門家が指摘していたのに、「不動産価値が上がって資産が倍増した」などと能天気に喜ぶ韓国の一般人が少なくなかったのも、日本のバブル時代と同じでした。

もっとも、現在、世界的に注目されているのは韓国の不動産バブル崩壊ではなく、近いうちに始まる日本の不動産バブル崩壊でもなく、中国の不動産バブル崩壊です。バブル崩壊の規模が韓国と日本を合わせたものの数倍に及ぶからです。

中国の不動産バブル崩壊がどれくらいの悪影響を世界経済に及ぼすのかは私には予想不可能ですが、それでも中国経済は成長し続けると予想しています。その理由は、一人当たりのGDPで中国は日本や韓国と比べて低いので成長の余地があり、中国の就労人口がまだしばらく増えていくからです。

一方で、今回の韓国の不動産バブル崩壊が、1990年頃の日本の不動産バブル崩壊同様に、韓国衰退の始まりになる可能性は高いはずです。

バブル期まで日本には土地神話があり、地価は上がり続けると信じている日本人が多くいました。韓国も建国以来現在まで、一時的な小さな下落はあっても、基本的に地価は上昇し続けてしまいました。GDPが拡大したこともあり、今回の韓国土地神話崩壊により吹き飛ぶバブルの損害額は、四半世紀前のアジア通貨危機IMF危機)の損害額を越えるでしょう。これがどの程度の不況を韓国にもたらすかは私には予想不可能ですが、その不況を乗り越えても、これから韓国の存在感が世界で縮小していくことは避けられないと私は予想しています。中国と異なり、韓国の一人当たりGDPは日本に追いついて成長の余地がほとんどない上、韓国の就労人口は減少していく一方だからです。

私にとって不思議なのは「現在の韓国の不動産バブルは、1980年代後半の日本の不動産バブルのようだ」と予想する人は少なくないのに、「1990年のバブル崩壊が日本の停滞期と衰退期の始まりだったように、今回のバブル崩壊が韓国の停滞期と衰退期の始まりである」と予想する人がいないことです。

そういえば、1990年に株価が暴落し始めた頃、これから日本は衰退に向かい、世界経済全体での日本の割合が減少していく一方である、と正確に予想していた人はあまりいませんでした。バブル後の日本が高齢者増加で経済の足を引っ張ることは予想できても、科学技術、特にIT分野で世界に遅れ、生産性の低さで苦しむと予想することは難しかったからかもしれません。

それと比べると、韓国の不動産バブル崩壊は既に始まっていますし、人口減少も北朝鮮が崩壊しない限り必然なので、これからの韓国経済の停滞と衰退は予想しやすいように思います。

他国の衰退を予想するのは失礼なので誰もしないのかもしれませんが、日本(経済)の衰退も止められないので、韓国は日本と同じ問題を抱える仲間です。平成の30年間に日本は衰退を食い止めようと、さらに傷を深めてしまう失敗を何度も犯してきましたが、韓国も衰退を食い止めようとあがくに違いありません。日本が失敗経験とわずかな成功経験を韓国に適切に伝えれば、同じように韓国も自身の経験を日本に伝えてくれるはずです。

たとえば、韓国も少子化対策に「130兆ウォンも費やしたのに、全く効果がなく、解決する兆しもない」(文在寅大統領の演説)ので、既に無駄な努力をしてきています。その少子化対策費用の詳細を知れば、日本も大いに参考になるはずです。「未婚税と少子税と子ども補助金」や「養子移民政策」といった人権に抵触する解決策も、韓国が仲間になってくれるなら世界で議論できるでしょう。