「いじめを本気でなくすには」(阿部泰尚著、角川書店)を読んで、感動しました。無償でイジメ問題を解決している探偵の本です。そんな人が日本にいて、しかも「いつでも連絡してください」と電話番号とメールアドレスまで書いて、さらには「翌営業日までに100パーセントお返事します」とすら書いています。
にわかには信じられません。というより、日本中のいじめ問題を一つの探偵事務所が解決することなど、絶対に不可能です。どう処理しているのだろう、という気がしてなりません。
著者はテレビや雑誌にも紹介されているため、他の多くの探偵事務所がいじめ対策の仕事を有料ではじめてしまいました。他の探偵事務所は、校門の前に立って、出てくる生徒たちに片っ端から被害生徒の写真を見せ、「この子がいじめられているところ見たことないか」と聞き込みしたり、言葉巧みに高額請求したりして、問題になっているようです。本で他の探偵社に騙されない注意を呼びかけているのは良心的です。
著者が素晴らしいと特に思うのは、いじめ防止対策推進法を日本でおそらく一番活用して、いじめを解決していることです。7年前の「いじめ防止対策推進法」の記事で「のべ100万人以上のいじめ被害者の犠牲の上に成り立った金字塔」と私が絶賛したように、この法律はよくできています。この法律を活用すれば、著者のような探偵の出番も不要であると日本中の教師に理解してもらいたいです。
このように、私は著者を称賛する気持ちが批判する気持ちよりも遥かに強くあります。だから、以下で著者の考えの間違いを指摘しますが、それも著者や教育者がこの本の欠点に気づき、いじめ問題をさらに適切に解決できるようになってほしい、と考えるからです。
著者は、神奈川県の中学校の生徒指導の先生に「いじめの定義っていろいろあるから」と言われたとき、「一つしかありませんよ。もしかして法律を読んでいないのですか」と返答して、大いに脱力したそうです。
これは著者が間違っています。法律上の定義は一つしかありませんが、一般的な「いじめの定義」はいろいろあります。特に「いじめは絶対悪である」なら、どうしても「いじめ」の範囲は狭くならざるを得ません。「いじめ」や「ハラスメント」は「絶対悪」になりがちなので、その言葉はあまり使うべきでない、と私が考えることもよくあります。
いじめ防止対策推進法は「いじめ」の定義を広くとっています。それこそ、「いじめ」と言った者勝ちになりえるほどです。
だからこそ、いじめ防止対策推進法は、罰則がありません。罰則がないことも含めて、いじめ防止対策推進法は素晴らしいと私は考えていますが、罰則がないことをこの法律の欠点だと著者は考えているようです。
しかし、本当に悪質ないじめなら、刑法で罰せられます。刑法に抵触しない程度のいじめなら、罰則なしはやむをえないでしょう。また、罰則がないからこそ、いじめを広く定義できているのです。さらに、「裁判上の罰則がない=学校がいじめた生徒に罰を与えられない」では全くありません。実際、いじめた生徒たちに「出席停止を命じる」「懲戒を加える」と、いじめ防止対策推進法に書いています。法律以外での文科省公開のいじめ対策通達なら、「いじめた生徒(いじめられた生徒ではありません)を別室登校させる」など、より具体的に書いています。
いじめは学校に存在すべきではありませんが、残念ながら、小さいものまで含めたら、どの学校にも存在してしまいます。
たとえば、「みんなは友だち同士で敬語なんか使わずに話しているのに、私にだけはみんな敬語を使ってくる。これはいじめだ」と主張された場合、どうでしょうか。いじめの可能性もありますが、そうでない可能性もあるでしょう。さらには「みんなは真面目にテスト勉強している。これはテスト勉強できない私に対するいじめだ」なら、どうでしょうか。これをいじめと考える人は、さすがに日本にいないことを願います。
このように、いじめ防止対策推進法の「他の児童によって、当該児童が心身の苦痛を感じているもの」が完璧ないじめの定義になるわけではありません。どうしても「いじめの定義」はあいまいになります。その不完全さを理解しながら、著者や日本中の教育関係者がいじめ対策してくれることを期待しています。