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東京大学前刺傷事件のまとめ

東大進学者数ではトップ10にも入らないものの、医学部進学者数では1位になる愛知県最難関の東海高校2年生が2022年のセンター試験当日に、本人が志望する東大前で受験生2名と70代男性1名を包丁で切りつけた事件です。直接の死者もおらず、既に世間の関心も集めていませんが、私としては注目している事件だったので、現在までに新聞で公表された犯人の経歴をまとめておきます。

犯人は4人兄妹の長男です。両親は障がいを持つ妹と不登校の弟の面倒を見ることで精いっぱいで、犯人に目を向けることができなかったようです。両親はいわゆる教育パパやママではなかったそうですが、良い成績をとれば犯人を褒め、進路についても犯人の意思を尊重していたそうです。

両親の証言によると、犯人は幼少期、放課後には友だちと外で遊んだり、ゲームをしたりする「普通の子ども」でした。小学5年からは塾に通いはじめ、地元の公立中学に入学後も塾通いは続きます。

一方、高校受験の頃から、偏差値や高校の東大合格者数などを気にするようになります。勉強にのめり込み、深夜1~2時ごろまで机に向かっていたそうです。この時期、両親が心配したのは、犯人の「自傷行為」です。「眠気を覚ますため」と、自分の手の甲をカッターで薄く傷つけることもありました。父は当時を振り返り、「自分を傷つけてはいけない。体を壊してまで勉強することはないと伝え」ました。母も注意し、その時はおさまったらしいです。

犯人は中学2年の時に国際医療で活躍する医師・吉岡秀人のドキュメンタリー番組をテレビで観て、医学部を目指すようになったようです。中学では常に学年上位の成績で、高校受験では複数の有名校を受験しています。しかし、親しかった友人らが受かった県外の進学校には落ちました。

ここで高校受験事情に詳しくない人には解説が必要でしょう。くだらないとしか言いようがありませんが、特に高校受験では、受験ツアーなるものを塾が企画します。開成、灘、ラサールといった全国屈指の難関校を受験するツアーです。ラサールは各県別の学生寮があるので合格したら入学することもありますが、それ以外の開成や灘など、生徒も親も塾も、合格しても入学しないと決めています。それにもかかわらず、受験させるのは塾としては「灘3名合格」などの宣伝になるため、生徒や親としては「開成にも合格した」と自慢になるためです。こんな受験文化が、この犯罪を助長したことは間違いありません。

犯人は「県外の私立に落ちたのは自分だけ。その醜態、自分が許せず、汚名返上、帳消し、挽回してやるという気持ちだった」そうです。

同じ頃、好意を持っていた成績1位の女性に告白し、フラれたことも追い打ちをかけました。「女性はサッカーがうまいとか顔がいいとかそんな奴がいいんだという妬みから、自分は勉強以外何もないので、勉強で挽回する。一人の女に好かれるよりも、肩書きで上にいって全員認めさせればいいという驕った考えに至り、(東大)理3を目指すようにな」りました。

高校入学時の自己紹介では「背水の陣。自分で自分を脅して心を鬼にして勉強し、理3という目標から逃げられないようにするため」、東大理3を目指すことを宣言します。

勉強にのめりこんでいった犯人は、周囲にも「学歴」へのこだわりを伺わせる発言を繰り返すようになります。

高校に入学した直後、別の女性から好意を伝えられた犯人は、「馬鹿と付き合う気はない」と告白を断ります。

勉強漬けの日々のなか、両親がちょっとしたことで諭しても、2人の出身大学を持ち出し「○○大学出身の人の意見は聞かない」などと見下すようになります。父が「人間は偏差値じゃない。テストの出来不出来で、人の(評価に)差をつけてはいけない」と言っても、響いていない様子でした。法廷で父は「勉強でやればやっただけ成績が上がった。他の人よりも努力すれば上に行けることから、そういった考え方になってしまったのでは」と推測しています。

自ら猛勉強していた犯人の姿を見ながらも、父は「自己肯定感が低い」とも述べています。どれだけ勉強しても、もっと上位の成績を取る人がいるため「全然だめだ」と思っていたとし、「成績は上がっても、満足はしてなかったと思う」と述べました。

高校1年で10番台まで上がった犯人の成績も、高校2年の秋ごろになると振るわなくなります。学年での順位は約400人中100位前後まで落ち込み、犯人は「一言でいうと愕然とした」そうです。

担任との面談で他大の医学部や文系転向を勧められたものの、「政治家や官僚以外は文系を蔑む風潮があった。普通の地方の国公立の医学部でも下に見られる。旧帝大でも、例えば名古屋大の医学部だとしても、それが普通のレベル」だったため、理3という目標を捨てきれなかったと述べています。

法定での同級生によると、犯人は高校2年の時、同級生に「将来はアフリカに行って病院を建て、貧しい子どもたちや発達していない医療を改善したい」と語っています。同級生が「東大を出ていなくてもかなえられることだよ」と言うと「世界で活躍するには東大じゃないとだめだ。その他は話にならない対象としてみられる」と答えました。同級生がさらに「そんなことないんじゃないかな」と言うと、犯人は泣き始めたそうです。同級生は高校内で成績が良かったため、犯人に「生まれ持ったものが違う」と言われたこともありました。

同級生によると、犯人は事件を起こす前、授業中に眠るようになったり、栄養ドリンクを大量に持ってきたりしていました。同級生が話しかけても拒否されるような対応を取られることも増えました。同級生は「あきらかに様子が変わっていたが、当たり前のことしかしてあげられず、とても後悔している。大学受験が全てではないと気づかせてあげられていたら、こういうことは起こらなかった」と悔やんでいます。

同じころ、犯人は同級生の女性を呼び出し、悩みを打ち明けましたが、「志望校のレベルを下げればいいんじゃない。」と一蹴されました。その際、女性への好意を伝えましたが、テスト勉強をした方がいいと断られ、その場で1時間近く泣きました。

「勉強や自分が周りに言ったこと、傲慢さ、プライドも投げ打ち、逃げたい」

犯人は、志望校だった東京大学のキャンパス付近で無差別に人を刺し、罪悪感で自分を追い込み、東大のシンボルである赤門に放火して安田講堂前で割腹自殺しようと考えるようになります。ついにはセンター試験当日に計画通りではありませんが、それを実行します。

勉強への執着は、逮捕されても続きました。

犯人は「今思えば大変失礼な感情」としながらも、逮捕直後は「被害者については何も考えていない。自分自身に対してもどうして死にきれなかったのか、と自暴自棄の感情」でした。

拘置所でも受験勉強を続けました。「勉強していないと周りから何か言われる」という強迫観念や、「罪を償うことや、今後の人生でお金を稼ぐには必要だとも考えた」こと、「被害者や事件のこと考えると怖くなる。現実と向き合わないように」との思いからでした。

しかし、被害者の供述調書を読んだことや、犯人が刺傷した70代男性が事件後に病死したことを知ると、心境に変化が現れました。2023年9月、きっぱりと勉強を止めたのです。犯人の言葉です。

「虚栄心、学歴、勉強といったことで自分を押し殺したり、自分の価値を決めたりせず、あえて一言でいうなら、素直に生きることだと思っています。

不安や臆病さはまだまだありますし、勉強の副産物である学歴偏重や職業の決め方、それを基にした傲慢さも、払拭しきれたわけではありません。勉強しなければ、皆に否定され、認められないという強迫観念に駆り立てられることもあります」

ところで、この事件の直後、私はたまたま東海高校OBの研修医と話す機会がありました。彼は「あれは東海生の事件とは言えませんよ。奴は高校から入っていますから。生粋の東海生じゃないですからね」と言いました。「犯人が刺すべき人はあなたでしたね」と私がなぜ言わなかったのか、と今でも思います。

この事件で、私にとって最も不可解な点が下記の「堪忍袋の緒が切れた」理由です。

裁判長「勉強以外秀でているものがないというが本当にないのか?」

犯人「秀でているという表現は…そうじゃないんじゃないでしょうか」

裁判長「今後社会で生きていくうえで秀でたものが必要?」

犯人「…」

裁判長「両親に聞くと『やさしい』と聞く。友達関係も受験という意味では蹴落とすこともあるかもしれないけど、対人関係で恐ろしいということはないはず。1つのプラスになるもの。沢山人がいる中で、勝ることを探すことは難しい。物差しを変えてみる価値観はいろいろだよ、考えてみてください」

犯人「…精進します」

このやり取りについて、犯人は判決前の意見陳述で、こう述べています。

「裁判の中で、裁判長に『自分は秀でているものが本当にないと思っているのか』と問われて、堪忍袋の緒が切れそうになったこともありました。大変ぶしつけではありますが、そうした心持ちであったことも正直に報告します」

法定でこのやり取りを見ていた人には、犯人の気持ちが分かったのもしれませんが、私には分かりません。

「秀でているものがないと思っていたからこそ、こんな事件起こしているんだろう! 今更なにを言っているんだ! こんな当たり前の質問をする奴に俺の人生の大事な数年間を決める権限などない!」

私がこの場で怒りを感じたなら、こんな気持ちだろう、とは思います。

しかし、直後の「秀でているという表現は…そうじゃないんじゃないでしょうか」という言葉とは、一致していません。「自分や誰かがなにかで秀でているとか、秀でていないとか、そんなくだらないことにこだわるべきでないと裁判で何度も言ってきたじゃないか!」という気持ちだったのでしょうか。

この「堪忍袋の緒が切れそうになった」の具体的な気持ちを本人に聞いた記事があれば、あるいは実際に文書などで本人に聞いた方がいれば、下のコメント欄に書いてもらえると助かります。