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私がカナダで唯一反論できなかった意見

キリスト教国に住んだことのある人なら知っているでしょうが、人工妊娠中絶は激しい対立を生みやすい問題です。それにもかかわらず、「西洋人は政治や宗教の話が大好きである」に書いたように、キリスト教徒が圧倒的に多い西洋先進国では、人工妊娠中絶問題が普通に学校の授業で討論されます。私もご多分に漏れず、カナダ留学中に、何度か人工妊娠中絶の討論に加わりました。

カナダのようなキリスト教国と比べると、日本は中絶に非常に寛容なこともあり、私が妊娠中絶に賛成意見を述べていた時、私の見解の浅はかさを見抜いたカナダ人教師から、こう質問されました。

カナダ人教師「残りの人生が長ければ長いほど、その人の死は避けるべきだと思うか?」

私「それはそうだ」

カナダ人教師「なにも意見を言えない人が殺されることは許されるべきだと思うか?」

私「もちろん、思わない」

カナダ人教師「それなら、お腹から出たばかりの赤ちゃんを殺したら罰せられるのに、どうしてお腹から出る前なら殺人が許されるのか。さきほどのキミの意見と矛盾する。お腹の中にいるなら、お母さん、あるいはお父さんであれ、子どもの生死を決める権利があると思っているのか」

なにごとも反論する私が、カナダで唯一、反論できなかった瞬間です。

なお、そのカナダ人教師は、人工妊娠中絶に反対なわけではなく、どちらかといえば、賛成でした。それでも、浅い見解で「人工中絶賛成」と言う奴は許せなかったようです。この討論時、私は既にマザー・テレサを尊敬していましたが、マザー・テレサが人工妊娠中絶を「殺人」と呼ぶことには反対でした。今は反対とまでは思っていません。

英語で妊娠中絶賛成派は「pro-choice」であり、妊娠中絶反対派は「pro-life」です。この表現の差は、知った時から違和感がありました。「命」と「選択」のどちらが大切かといえば、それは命が大切でしょう。医療現場で延命至上主義がいまだにはびこっている日本なら、特にそう考える人が多いのではないでしょうか。

下のような統計を知っているでしょうか。日本では、妊娠した生命のうち、4割近くが腹の中で一方的に殺されていた時期がありました。

一方、カナダにこのような統計は存在しません。カナダを含むキリスト教国では、人工妊娠中絶をしている産科医がpro-life派から殺される事件が発生しています。だから、人工妊娠中絶はほぼ全例、秘密裏に行われ、なにごとも情報公開に積極的な西洋諸国でも、人工妊娠中絶の統計が存在しないのです。どのカナダ人に聞いても、「人工妊娠中絶の統計なんてカナダに存在するわけがない」と言っていました。