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口話否定教育を否定

前回までの記事の続きです。

「手話を生きる」(斉藤道雄著、みすず書房)を納得しながら読んでいた時、最後の日本語科(国語を明晴学園ではこう呼ぶ)の授業の紹介で、大きな疑問が生じました。小学校6年生なのに、「呼んでみました」を「呼んで、見る」と勘違いしている子がいるのです。また、原文は「海は、おおきな家でした。かぞえきれないほどたくさんのさけがいて」なのに、「海は、大きな 家でした。数えきれないほど たくさんの さけが います」と生徒たちが分かりやすいように書き換えているのです。繰り返しますが、小学校6年生の授業で、小学校1年生の授業ではありません。もちろん、日本語の読み書きの授業で、話し聞きの授業ではありません。

明晴学園中学2年生の次のような日本語文が本には載っています。

「僕の考えでは、人から人への育児、血がつながっている、心が伝わる、子どもも大きくなったら父になりたいと思う。父の気持ちが子どもにつぐ、人と人とは信頼しあっている」

この意味を理解できる日本人はいるでしょうか。

明晴学園の生徒の半数は英検3級や数検3級に合格できるものの、漢検3級に合格する生徒はまずいないそうです。それは「日本語を第二言語として習得しているからだ」と著者は弁解します。換言すれば、日本人が英語を勉強するように、明晴学園の生徒は日本語を勉強しているようです。だから、中学を卒業しても、日本人の中卒者の英語力程度しか日本語能力を持てないのです。「話す」「聞く」はもちろんのこと、「読む」「書く」でさえ日本語をろくに習得できていないのです。

ここで私は著者の理論の大きな矛盾に気づきました。「日本手話と日本語対応手話」にも書いたように、著者はトータルコミュニケーション法を否定する根拠として、「トータルコミュニケーションを受けた生徒たちはSAT(アメリカのセンター試験)の英語読解力テストで、平均して小学校3年生程度の点数しかとれなかったこと」を挙げています。しかし、トータルコミュニケーション法ではなく、著者の言うバイリンガル教育(日本手話教育)でも日本語読解力テストは、せいぜい小学校3年生程度の点数しかとれないようです。

バイリンガル教育で日本語能力は養えないかもしれないが、思考力は十分に育っている」と著者は主張していますが、根拠がありません。また、バイリンガル教育は思考力を養うが、トータルコミュニケーション法では思考力を養えない根拠が本のどこにも示されていません。その根拠がなければ、著者の理論は完全に破綻してしまいます。その肝心かなめの根拠をいくつかの文献で探し求めている間に、私は「聴覚障害教育これまでとこれから」(脇中起余子著、北大路書房)に出会いました。

なお、「バイリンガル教育は思考力を養うが、トータルコミュニケーション法では思考力を養えない証拠」は、おそらく、世界中探しても存在していません。むしろ、「バイリンガル教育もトータルコミュニケーション法も、同じように思考力を養える証拠」が将来示されるのではないか、と私は推定しています。

聴覚障害教育これまでとこれから」で脇中は手話否定教育を否定して、同時に口話否定教育を否定しています。手話否定教育は「手話は言語である」で示したように、20世紀の半分以上の期間、ろう学校で手話が禁止されたことを示します。口話否定教育とは、まさに明晴学園で行われている教育のことです。トータルコミュニケーション教育(現在のろう学校で一般的な日本語対応手話教育)とバイリンガル教育(明晴学園での日本手話教育)の「歩み寄りが大切と言われても、私はそんな歩み寄りはできない」とまで脇中は書いています。

脇中はこんな例をあげます。

「主治医からP薬しかない、と言われて、P薬を服用し続け、悪い結果になった後、患者がP薬の副作用や他の薬の存在を知ったり、主治医が『他の薬も効果的』と言い出したりすると、その患者はやりきれない気持ちでいっぱいになるでしょう」 

だから、「P薬により学力伸長をはかりたい」という思いが「P薬でなければ学力伸長できない」という言い方に変わらないこと、また周囲の雰囲気で主張を変えると逆に信用を失うことに、教育関係者は注意しなければならない、と脇中は主張します。

次の記事に続きます。

西川はま子と脇中起余子

西川はま子という女性はその劇的な人生のため、手話法と口話法の歴史の中でほぼ必ず言及される方です。

はま子は1917年に滋賀県の裕福な家庭に生まれます。はま子がどれくらいの聴覚障害者であったかは判然としませんが、重度障害者ではなく、わずかながらも聴力を持っていた者のようです。はま子の父、西川吉之助は英語とドイツ語に堪能であったので、娘の聴覚障害が分かると、独自にアメリカやドイツの文献を研究し、それらの国で主流であった純口話法教育をはま子に行いました。父の熱心な指導のかいあり、はま子は読唇により相手の発言を聞き分け、発音も自然でした。はま子は全国各地で講演し、聴覚障害者と分からないような自然な口話での会話を成り立たせ、ラジオでもその美声を示しました。聴覚障害者でも口話による会話が可能だと知った聴覚障害者たちの両親は驚き、我が子もはま子のようになってほしい、と熱望するようになります。その流れもあり、日本中のろう学校で口話が採用され、手話は口話の取得に有害との理由で禁止されることになります。口話を習得できない者は努力が足りないと判断され、教師たちから厳しい指導を受ける時代が何十年も続きます。

一方で、口話に理解を示しながらも、手話を禁止まですることはない、と考える者も一部にいました。その中には、他ならぬ西川はま子がいました。はま子は成人後、手話教育を日本で唯一実践していた大阪市立ろう学校で働くことを希望しますが、「口話教育の成功者」と有名になった女性の採用案は校長に却下されます。はま子が手話教育学校の就職を希望したショックもあったと思われますが、はま子の父、吉之助は自殺してしまいます。その後、はま子は大阪市立ろう学校に雇われ、5年間、手話教育を実践しますが、行き詰まりを感じて退職します。はま子は父と同じく口話教育の推進者となり、41才に肺炎で亡くなりました。

以下は、はま子の残した言葉です。

口話もでき、手話もできることは、ろう者として一番理想だと考えましたが、結局、私としては、ろう学校教育は難しいけれども口話でやるべきとの確信を得た」

「だが、私たちは現在口話でやっている以上、それでいいのかと考えさせられるのである。それは自分自身で、ろう者であるとはっきり認めているがために、口話を身に着けておりながら、やはり心の中には割り切れないものがあると言わねばならない」

 

脇中起余子は新生児期に(生後1ヶ月以内に)カナマイシンの副作用でろう者になりました。そのことから生年は1970年頃と推測されます。脇中の子ども時代、日本中で手話は禁止されており、教育熱心な母の方針もあって、脇中は純口話教育を受けて育ちます。脇中は並外れた本好きだったようで、幼いころから多読して、大人が「ちゃんと読んでいるのか」と思うほどの速さで本を読めるようになります。この読書力が彼女の卓抜した学力の源泉であることは間違いないでしょう。

脇中はろう学校の幼稚部に通って、「この子の聴力では発音指導は無理」と言われたそうです。母は諦めず、森原という発音教育法の優秀な教師を見つけ出し、脇中に週1回指導を受けさせました。その効果は抜群で、脇中は現在も意思疎通が口話で十分できるほどの発声力を身に着けています。なお、脇中の発声能力の成長に驚いた幼稚部の担任は、他の子ども4人にも森原の指導を受けさせ、その全員が大学に進学したそうです。

脇中は地域の公立小学校の難聴学級に通います。主要科目と音楽などは難聴学級、体育と図工と給食は聴児の学級で受けたそうです。この時、聴児の友だちを大人が喜ぶことに脇中は違和感を持ったそうです。また、発音のことでからかわれたとき、母が「ばかにされないように、がんばって発音の勉強をしようね」と言ったときも、脇中は疑問を感じたようです。

脇中は中高私立一貫校に入ります。なんとか読唇で授業も受けていますが、先生の話はほとんど分からなかったそうで、家で他の子の何倍も時間をかけて予習復習をしていました。また、優しくて口形が明瞭な友だちを見つけるのに脇中は苦労しています。苦しみを母に言っても「がんばれ」と返されるだけで、脇中は母にも心を閉ざすようになりました。

脇中は「京都大学が公費でノートテーカー(先生の話を紙に書く人)をつける」ことを新聞で見つけると、猛勉強して、京大に合格しています。

脇中が手話と出会ったのは京大時代です。「人との会話は、こんなにも楽しいものだったのか。生きていて良かった」と脇中は感じたそうです。脇中が「もう少し早く手話と出会いたかったな」と漏らした時、母が「手話を覚えなかったから、大学に行けたのに、なんてことを言うの」と言われたそうです。その言葉に脇中の怒りが爆発します。

「大学に行けるかどうかよりもずっと大事なことがある。家族の団らんで私はいつも後回し。ずっと寂しかった」

脇中の母の口形は明瞭で1対1なら、脇中は90%以上読唇できたそうです。しかし、母が他の人と会話していると、どんなに目を凝らしても10%も分からなかったといいます。父や祖母は口形が不明瞭なので、もともと分かりません。家族の団らんの中、「今、なんて言ったの?」と脇中がたずねても、「ちょっと待って」と後回しにされた挙句、「大したことじゃないから、気にしなくていいよ」と言われることもしばしばでした。手話により大人数でも会話を同時に理解できることは、脇中の人生でまさに革命だったようです。

大学卒業後、脇中は口話で教員採用試験を突破し、京都ろう学校の教員として長年働くことになります。

上記のように、ろう者への手話教育の重要性を自らの人生で悟った脇中ですが、その後の人生で手話偏重教育、特に口話否定教育とも長い年月、戦うことになります。

次の記事に続きます。

日本手話と日本語対応手話

現在、日本のろう学校の9割で行われている「手話付きスピーチ」とは、先生が声でしゃべり、その日本語の一部を手話の単語にして手を動かす手話のことです。もっと端的に言ってしまえば、これは「日本語対応手話」で授業しているということです。

ろうの人たちと接したことのある方なら、「日本手話」と「日本語対応手話」の違いは聞いたことがあるでしょう。私が所属したボランティア活動内では「どちらも差はあまりない。(口話で)話せる人なら日本語対応手話が勉強しやすいよ」と言われていたので、私はその違いについて、あまり深く考えることはありませんでした。これは「全日本ろうあ連盟」の姿勢であった、と「手話を生きる」(斉藤道雄著、みすず書房)を読んで知りました。一方、「手話を生きる」の著者は「日本語対応手話」を不完全な手話と全否定し、「日本手話」のみを推進する側にいます。

「手話を生きる」によると、日本手話は19世紀後半に日本のろう者のあいだで自然発生したそうです。しかし、前回の記事に書いたように、1933年から日本のろう学校で口話教育が強制されます。口話の発達の妨げになるとの理由で手話が禁止されてからは、日本手話は忘れ去られ、1960年代に聴者のために作り上げられた日本語対応手話だけが残りました。

1991年の第11回世界ろう者会議で、日本手話を「発見」する事件が起きます。ネイティブサイナー(両親がろう者で手話を使う家庭に育ったろう者)である木村晴美が、半澤啓子の手話通訳を見たのです。それまで木村が見てきた手話通訳者は、全て日本語対応手話での通訳だったので、頭の中でいったん日本語の文章に組み立てる作業が必要でした。しかし、半澤の手話だとそういった再構築は不要で、メッセージがそのまま木村の頭の中に入ったのです。

木村と同じくネイティブサイナーである半澤は、当時、自分の手話に全く自信がありませんでした。その手話は手話通訳業界の大御所が「みっともない」と注意するほどオーバーな仕草、身振りだったからです。しかし、それは聴者たちの見解、言い換えれば多数派からの見解でした。生まれつきのろう者にとっては、半澤の手話の方が圧倒的に分かりやすかったのです。

日本手話が忘れられていた時代、正しい手話とは日本語対応手話でした。現在でも、映画やテレビの手話はほぼ全て日本語対応手話で、成人式などの自治体の行事や式典もまず間違いなく日本語対応手話です。朝日新聞社の全国高校生手話スピーチコンテストも日本語対応手話で、事実上、日本手話が禁止されています。ただし、少しずつ変化してきており、NHK手話ニュースは2000年頃から日本手話への切り替えがはじまり、今では全面的に日本手話になったそうです。

繰り返しになりますが、これは著者独自の見解、あるいは、著者が校長を務めるろう学校の私立明晴学園の見解です。日本語対応手話と日本手話は、文法は大きく異なるものの、ほとんどの単語が共通しており、全く別の言語のはずがありません。ろう者の中にも、日本手話より日本語対応手話が分かりやすい人もいます。特に、生まれながらでないろう者、中途失聴者はそうです。日本手話と日本語対応手話の中間の手話を使う人も少なくなく、どこまでなら「日本手話」と言えるのかも不明確です。日本手話が19世紀後半に日本のろう者の間に自然発生したという説も、学術的に無理があるでしょう。聴者である古河太四郎が日本で始めて創った京都訓聾唖院で「日本手話作り」は始まったはずです。また、20世紀になってから結成された全国聾唖団体も「日本手話作り」に多大な貢献をしています。日本手話はろう者の間で自然発生した言語ではなく、聴者も含めたろう関係者の間で作り上げた人工言語であったはずです。

学術的あるいは科学的におかしい理屈を駆使してまで、なぜ著者は日本語対応手話を全否定し、日本手話だけを推進するのでしょうか。

それは英語対応手話での教育、いわゆるトータルコミュニケーションがアメリカで失敗したからです。前回の記事に書いたように、1960年代には手話を禁止していたアメリカでも、1980年代にはほとんどのろう学校で手話が導入されるようになりました。この頃のアメリカのろう学校の教育はトータルコミュニケーションと呼ばれ、手話だけでなく口話でもジェスチャーでもよい、発音を口の形と指の形であらわす「キュードスピーチ」でもよい、ろう児とコミュニケーションがとれるならなんでもいい、という方法でした。

しかし、1988年にろう教育委員会が大統領と議会に提出した報告書の冒頭で「現状のアメリカのろう教育は受け入れがたいほど不十分である」と書かれてしまいました。なぜなら、トータルコミュニケーションを受けたろう者でもSAT(アメリカのセンター試験)の英語読解力テストで、平均して小学校3年生程度の点数しかとれなかったからです(参照HPにはそのグラフもあります)。

結局、トータルコミュニケーション、つまり現在の口話と手話を用いた日本のろう学校の教育でも9才程度の学力しか身につけられません。それなら、ろう者にとって最も習得しやすい言語である日本手話を第一言語として、まずは十分な思考力を身に着けるべきである、と著者は主張します。

ろう児の9割は、聴者の両親から産まれます。現在は、出生後すぐにABRという検査で、聴者かろう者かは判明できます。ほとんどの産科のある病院ではABRが簡単に受けられるので、まずABRを受けて、そこでろう児と判明したら、聴者の両親が第一にすべきことは日本手話の使い手を探すことです。英語の話せない両親が英語を学びながら子どもに英語を教えても、子どもは英語を話せるようにはなりません。だから、日本手話を使いこなせるろう者に頼んで、ろう児の言葉親になってもらうべきである、と著者は主張します。

この考え方は革命的でした。しかし、一部理解を示しながらも、強い反論を述べる者もいます。京大卒のろう者、脇中起余子です。次の記事に続きます。

手話は言語である

「手話を生きる」(斉藤道雄著、みすず書房)は私の言語観をゆさぶる本でした。私の世界観を広げてくれた本なので、これから記事にさせてもらいます。

以前、私はボランティア活動でろうの方と接する機会がありました。正直に白状しますが、ろうの方たちと接しているうちに、私は言葉にしないものの、「ろうの人は知的水準が低いのではないか」との差別感情を持ってしまいました。同様の差別感情は、元国会議員で聴覚障害者の福祉活動を進めている「累犯障害者」(山本譲司著、新潮文庫)の著者も持っています。

「手話を生きる」を読んで、事実、平均的なろうの人たちの知的水準が低いことを知りました。同時に、それこそがまさに「ろうの人が受けた取り返しのつかない人生の蹉跌である」ことを知りました。現代日本のろうの人たちの平均的な知的水準が低いのは、ろうの人たちのせいではありません。日本の教育界で100年近くにわたって行われた口話教育にあります。

1933年から1990年代まで、日本のろう学校では、口話教育が推進されてきました。口話教育とは、ろうの人に読唇訓練をさせて、ろうの人自身にも発声させる方法です。これは(当時既に日本と仲が悪くなってきていた)アメリカのろう教育を文部官僚が持ち込んだためです。そのアメリカのろうの人たちへの口話教育は、ヨーロッパの教育法をまねたもので、1880年ミラノの世界ろう教育者会議での口話教育推進決議が大きく影響しています。それ以前の19世紀まではヨーロッパでもアメリカでもろうの人たちは手話教育を受けていましたし、日本のろう学校も大正時代までは手話でした。

今ではミラノの口話教育推進決議は、学術的な根拠はまるでなかったことが明確になっています。しかし、このミラノ決議によって、世界中で口話教育が普及していき、同時に「手話に頼るようになってしまうから」と手話がろう学校で禁止されてしまいます。結果、世界中のろうの人たちが9才程度の知的水準しか達成できない状態が生まれてしまいます。

ろうの人たちが何年間も発声練習しても、理解可能な声を出せる者や読唇を習得できる者は1~3割とわずかです。口話を達成できる人はある程度の残存聴力がある聴覚障害者のようです。手話を禁止されていて、口話もできないわけですから、ろうの人たちは言葉のない世界で生きることになります。十分な言語がないまま子ども時代を送ると、十分な思考力も獲得できません。驚くべきことに、100年もの間、ろう学校の生徒たちは9才程度の学力しか得られないまま卒業していたのに、世界中のろう教育関係者たちは、ろうの人たちの人生をどれほど台無しにしているかを気にせず、口話教育を続けていたのです。

ろう教育関係者たちは手話をなぜ否定してきたのでしょうか。それはミラノ決議にあるように「口話が手話に比べて争う余地なく優位にある」との偏見に基づき、「手話が言語である」ことを理解しなかったからです。

現在、世界中の言語学会で「手話は言語である」が既に通説になっており、同時に「言語に優劣がない」が共通理解になっています。「口話が手話に比べて優位である」ことの証拠として、しばしば「口話言語は手話言語より語彙が多く、文法が複雑である」ことが挙げられます。しかし、手話は他の言語と同じく、新しい単語を無限に作り出せます。文法に関しては、手話の方が複雑な例は無数にあります。たとえば、「納豆は食べない」という日本語文は、手話だと「ない」の表現が何通りにもなるそうです。「食べることをしない」のか、「嫌いだから食べない」のか、アレルギーなどで「食べることができない」のか、それぞれで日本手話は違います。

「手話が言語である」との学術論文は1960年にアメリカのスプーキーにより発表されました。当初は同僚の学者たちに無視され、嘲笑されたようですが、1970年代後半に多くの研究者が手話言語学の分野に参入し、形態、統語、用法のあらゆる面で、複雑で洗練された文法構造を持つことが明らかになりました。結果、アメリカでは1970年代半ばには5~6割のろう学校が手話を取り入れ、1980年代半ばにはそれが8~9割になります。

日本ではようやく1990年代から、ろう学校での手話禁止は廃止されてきて、国立特別支援教育総合研究所の調査では2007年、ろう学校の教室内コミュニケーションの9割は「聴覚口語」と「手話付きスピーチ」になっているようです。

ようやくこれで解決した、と思われるかもしれませんが、著者は「手話付きスピーチ」は「教育の場で使うには不十分で不適切なレベルの手話」と批判します。どういうことでしょうか。次の記事に続きます。

 

※注 後の記事に示すように、この記事は「日本語対応手話」を認めない著者の見解に沿って書かれており、偏りがあります。現在の私は上記のような見解を持っていません。

現場重視のフォレスター

持続可能社会を作るために日本の森林を利用すべきである」の記事にも書いた通り、針葉樹人工林の放置が日本の森林の大問題であることは周知されているので、国も間伐推進策をとってきました。しかし、必要な水準の技術者や経営者がいないまま、画一的な条件による多額の間伐補助金が投入されたため、大きな副作用が出てしまいました。

それまで間伐した木材を廃棄していたのに対して、それを利用する政策を2009年の森林・林業再生プランは推進しました。間伐材利用自体は間違っていませんでしたが、それ以外を考慮しなかったため、条件に合いさえすればいい、補助金さえもらえればいい、との間伐が多発しました。言うまでもないですが、本来の間伐は、残された森林の価値を高めることにあります。残された木の成長を促進し、気象災害に対する耐性を高め、下層植生を豊かにするためにあります。当然、間伐材の搬出時に、残存木の幹に傷をつけることなどもってのほかなのですが、ろくに森林の知識のない技術者は見事にその罪を犯していきました。作業を検査する会計検査院も森林の知識がないので、条件にさえ合っていれば補助金対象として通してしまいます。専門家がみれば、地域ごとに自然条件が異なるので、政策のような画一的な間伐でうまくいくはずがないのに、その政策がまかり通ってしまいました。まるで毛沢東大躍進政策のようです。残念ながら、この間伐政策で森林の価値がどれくらい上下したかの行政資料は現在の日本に存在しないようです。

東大や京大卒の日本の優秀な官僚たちは、なぜこんなバカな政策を推進してしまったのでしょうか。「林業がつくる日本の森林」(藤森隆郎著、築地書館)によると、「日本の森林関連の官僚は専門知識のないバカだったから」が答えの一つのようです。

日本の国家公務員の林学職の技官は、大学では森林学の座学を受けただけで、就職後は2年か3年でポストを変わっていきます。県の林業職で入った職員も同様で、地元の住民との繋がりが薄く、現場感覚をほとんど養っていません。この現状を抜本的に改善するため、上記の著者はドイツのフォレスター制度の導入を提唱しています。

森林先進国のドイツには各州に義務教育を終えた15才以上の若者を対象とした林業職業訓練学校が設置されています。3年制で修了試験に合格した者に林業技術士の公認資格が与えられ、林業事業体や州に採用されます。州に採用された林業技術士は実務を2年以上経験後、半年の現場研修を受けて、普通フォレスターに採用されます。フォレスターは国家資格であり、普通フォレスター、上級フォレスター、高級フォレスターの3種があります。1次試験に合格後、高級フォレスターは2年、上級フォレスターは1年の実務経験をしながら、徹底した現場重視の教育を受け、その後の最終試験に合格して、ようやく資格が得られます。いずれのフォレスターも更新、伐倒、集材、作業道作り、ハンティング、マーケティングなど、林業に関する作業と経営・管理技術を現場で学びます。

高級フォレスターは高級行政官、研究者、大学の教官、民間会社の幹部などとして活躍します。全てのフォレスターは専門知識を常に深める義務があり、仕事に有益な新しい研究結果を求めています。高級フォレスターは研究職にもなるので、自ら知りたい内容を研究したりもします。なにより、産学官の間で異動が行われるので、それぞれの連携および情報交換が密に行われているようです。なお、ベルリン連邦政府林野庁の高級官僚は基本的に公募で(!)、応募資格は大学教授、かつ、森林局または林業事業体や州政府森林庁での実務経験に研究実績が求められるそうです。

上級フォレスターは州の公務員として1500haくらいの任地で10~15年の長期にわたり(それくらいの期間でないと実施された方法の結果が確認できない)、州有林から私有林までの全ての森林を把握し、森林と林業の振興に寄与していきます。フォレスターはマーケットとのパイプを持ち、管轄地で生産された木材の販売支援も行い、そのために、いつ、どのような木材がどれくらい供給できるかの情報提供に努めます。また、市民に森林や林業への理解を深めてもらう教育活動も仕事の一つになります。フォレスターは一般人に講義する能力まで求められるのですが、そうした教育も受けているそうです。

出典は書いていませんが、ドイツの若者のなりたい職業で、フォレスターパイロットと医師についで3位だそうです。

フォレスター制度を日本にも導入すべきだ」との声は以前からあったようで、林野庁が2011年に準フォレスター、2014年に森林総合管理士(フォレスター)という資格制度を開始したそうです。しかし、試験のほかは、わずか半年程度の研修で得られる資格のため、現場教育中心のドイツのフォレスター制度とは似ても似つかぬものになっているようです。

日本の林業に足りないものは、森林への国民的関心および人材のようです。どちらも重要ですが、人材の育成はまだ簡単なのではないでしょうか。ドイツのようなフォレスター制度の導入は検討に値すると考えます。

日本人は森林の重要性を認識すべきである

林業がつくる日本の森林」(藤森隆郎著、築地書館)は、日本人の森林の関心不足、知識不足を繰り返し嘆いています。1970年代までは世界のどの国も森林管理の理念は木材生産の保続管理でした。つまり林業主体で森林管理を考えていましたが、1992年リオデジャネイロの第3回地球サミット以降、国際的な理念は「持続可能な森林生態系の管理」と変わっています。林業だけでなく生態系および環境破壊も考慮した視点に変わっていったわけですが、日本はいまだに木材生産の保続管理を中心とした政策ばかりのようです。何度か改正されたとはいえ、いまだに1897年成立の森林法が残っており、2001年に成立した森林・林業基本法も持続可能な森林生体系の管理を理念とするものになっていない、と著者は批判しています。新しい理念に沿った法体系の整備は必要のようです。

1970年代まで日本の伐採周期は40年でした。その理論的根拠は40年生前後が植栽から伐採までの間の林分の平均成長量が最大なので、その周期で伐採すれば生産量が最大になる、ということでした。しかし、この根拠は科学的にろくに精査されていなかったようです。著者の勤めていた森林総合研究所の長期モニタリングでは平均成長量は70から100年でもそれほど落ちないことが示されています。しかし、現在でも行政では40年を標準伐採期とする考えが一部残っているようです。

主材で同じ収穫量を得るためには、短い伐採周期ほど伐採面積が大きくなってしまいます。1970年代後半に環境問題が大きな政治問題になると、大面積伐採に対する国民の批判が高まり、それに合わせて伐採周期は従来の2倍の80年に変わりました。著者もこの流れに賛成し、100年くらいの間伐周期を提案しています。100年間伐1回の方が、50年間伐2回よりも植栽、下刈り、つる切りの経費が半分で済み、かつ、収穫材積量は何割か高いからです。

前回の記事に書いたように、日本の木材自給率は28%まで下がりましたが、その大きな原因は木材輸入自由化です。「ウルグアイラウンドとTPP交渉に見る日米外交の根本的な違い」の例にもあるように、一次産業生産物の自由化なので木材輸入自由化は外国からの圧力によるものかと思ったら、そうではありません。日本が自発的に外材の自由化を始めたのです。木材不足による価格の高騰が日本経済の足を引っ張っていると考えた経済界の要請により日本が安い外材を購入できるようにしたそうです。農家たちが抵抗すると、他が全て賛成でも、ウルグアイラウンドやTPPを停止させるほどの政治力があったのに、なぜ林業家たちはあっさり経済界に負けてしまったのでしょうか。

理由は簡単です。林業従事者は1965年でも約25万人しかいません。2010年に至っては約5万人です。一方、農家は激減した2018年でも175万人、ウルグアイラウンドの頃の1985年には543万人です。文字通り桁が違うのです。

しかし、単に従事者の数が多いから、林業を軽視して農業を重視しているのなら、日本にいる全ての人にとって大切な環境問題を見落としてしまうことになります。今からでも遅くないので、政治家、マスコミ、日本人全員は森林および林業の重要性を認識し、関心を高め、知識を増やすべきでしょう。

次の記事に続きます。

持続可能社会のために日本の森林を利用すべきである

地方(田舎)への税金投入を批判した一連の記事を書いたので、まだ十分な知識を持っていませんが、地方で必ず税金投入すべき森林対策についての記事を書いておきます。主な参考文献は「林業がつくる日本の森林」(藤森隆郎著、築地書館)です。

日本では室町時代から商業的な針葉樹人工林の育成が行われていた記録があるそうですが、各地で本格的な育成林業が行われるようになったのは江戸時代で今から400年前になります。その頃の森林は村民で共有し、農業とも絡めて多面的に利用した入会林が広大な面積を占めていました。明治時代になり、その多くが国有林や公有林に編入されましたが、所有を巡った紛争が絶えず、境界が不明確であったこともあり、森林管理に大きな乱れが生じました。国家財政上の必要から国有林などへの伐採圧が高まって、明治時代に日本の森林は大きく荒れ、減少しました。

この段落は余談です。名前は忘れましたが、最近、二つくらいの本で「産業革命以前は森林が豊富との印象は幻想で、江戸時代の方が森林は破壊されていた」と読んだ記憶があります。江戸末期の写真や葛飾北斎の絵などが、山に木がないことが根拠のようでした。こちらのHPにあるように、奈良時代から環境破壊が都市の寿命を短くしてきたのは事実ですが、遅くとも江戸時代には森林破壊の危険性が認識されていました。都市や宿場町周辺はともかく、日本全体の森林量では、江戸末期が明治時代より豊富だったようです。

1897年に水害を招くような過剰な伐採や開発などに規制を加える森林法ができました。この森林法は改正により、森林資源の保続と培養を目的とするものに進展していき、1900年頃からは積極的な造林活動が全国で展開されるようになります。しかし、第二次世界大戦の異常事態のため日本中で過剰伐採が行われ、森林は減少してしまいます。

さらに戦後、住宅のための資材、薪の需要が増大し、経済界や政界は奥地林の開発を含む増伐キャンペーンを続けました。林野庁は森林資源の保続政策を重視し、森林の年間成長量を越えない範囲での収穫を訴えましたが、大新聞の社説までそろって林野庁の批判に回っていたため、人工林は若くても伐られ、天然林も過剰に伐採されました。その跡地に人工林が植えられ、人工林の面積は1970年代までの20年間でそれまでの2倍になりました。その結果、日本の全森林面積のうち人工林は40%に達しています。私もよく感じることですが、日本の森林を見ると1年中黒い針葉樹林が、広葉樹林と線を引いたような不自然な境界で接していたりします。

1990年代には1950年代からの人工林が収穫可能になり、日本の木材生産量は増大していくはずでした。しかし、現実には増大どころか減少していきます。1960年代に木材関連の輸入自由化を推進し、安い外材が手に入るようになったためと、日本の人件費が高騰してきたためです。結果、日本の森林の40%を占める人工林は間伐もされず放置され、強風や冠雪や豪雨被害を受けやすくなっています。さらに、閉鎖したスギやヒノキの人工林の内側は非常に暗いため、下層植生が極めて乏しく、生物多様性と水源涵養力が低くなっています。

密集したスギやヒノキの不健全な人工林が多い問題は、日本の森林について少しでも知っている人なら聞いたことがあるでしょう。だから、適切な間伐を行い、下草の生えた健全な森を作るべきだ、という意見は20年前から私も耳にしています。しかし、実際にはろくに進展していません。やはり日本の高い人件費が障壁になっているのでしょうか。

上記の本の著者は、人件費だけの問題ではない、と主張します。なぜなら、国際材価は1970年代から一貫して変わっていません。それにもかかわらず、日本同様に人件費の高い他の先進国では1970年代から木材生産量は2倍に増えていたりします。同時代に日本が木材生産量を3分の1まで減らしたのは、日本の木材生産者たちの古い体質と旧態依然の国産在流通システムの改善の遅れがあったからのようです。現在、日本の森林の材積成長量は年間8000万立方mで、木材需要量は年間7000万立方mです。計算上では日本の木材需要は全て日本の生産量で賄えるにもかかわらず、木材自給率は28%です。

地球温暖化を促進する化石燃料の依存度を低め、持続可能な社会を作っていくためにも、この余裕のある材積成長量を利用しないのは明らかにもったいないでしょう。森林はカーボンニュートラルなエネルギー源であり、鉄やアルミニウムの加工に要するエネルギーの100分の1から1000分の1のエネルギーで木材は加工できます。化石燃料の依存度を下げるために水力、風力、太陽熱はよく注目されますが、自然条件に左右されないエネルギー源として、どうしても火力は必要でしょう。それにもかかわらず、森林破壊のイメージがあるせいか、森林はエネルギー源として注目されていない気が私はします。ネットで閲覧できる「木質バイオマスエネルギー データブック 2018」にもあるように、既に森林からのバイオマスエネルギーは太陽エネルギーより発電能力があります。今後さらに有効活用が進めば、ほぼ限界まで達している水力エネルギー以上に森林がエネルギー源になることは間違いないでしょう。反対にしろ推進にしろ原発について意見を持っている人は、それくらいの基礎知識は持っておくべきだと思います。

次の記事に続きます。

理屈だけで結論は得られない

1973年オイルショック以来のトイレットペーパー不足が2020年2月~3月の日本で発生しました。もともと買う予定のなかった人が買えなくなったら困るという理由で買いだめに走りました。買いだめしたバカは買い占めした奴を批判して、自分が情報に流されるバカであり、かつ品不足の共犯者だとの認識がないのは50年前と変わりありません。

もっと驚くのは「買いだめ(買い占め)するのは合理的な行動だ」と臆面もなくネット上で自説を展開する者がいることです。危機管理やゲーム理論だとか、私には意味不明な理屈を用いて、「やむを得ない」「当然である」と正当性を主張しています。ネット上でそのような意見に賛同する人は「トイレットペーパーを買ってしまった自分」を正当化してほしいのでしょう。

この例だけでなく、私も理屈っぽいのでよく思いますが、どんな仮説も理論で正当化することは可能です。ある問題に理論だけで正しい結論が常に得られるとは限りません。裁判でどちら側にも弁護士がつけるように、世の中のほとんどの問題は理論や理屈のみでは決まりません。多くの問題の決着には理論や理屈を越えた価値判断が必要です。だから、価値判断が間違っている人、社会道徳や倫理観がおかしい人だと、必然的に上記のような間違った結論、おかしな結論を出します(だから、裁判官には法律知識よりも社会道徳や倫理観が本来要求されるべきです)。

これは当たり前のことですが、そのことを認識していない人がいるようだ、と思ったので、あえてここに書いておきます。

また、「トイレットペーパーの買いだめは止められない」と信じている方のために書いておきます。「トイレットペーパーの買いだめを防ぐためにはどうすればいいか?」の一つの解決策は「配給制にする」です。そんな時代遅れな方法をとらなくても「資本主義の矛盾は金銭取引を完全公開しないと解決しない」で提案した金銭取引のネット上の完全公開で、すぐに解決します。「トイレットペーパーを買いだめする公序良俗に反する奴」が誰なのか、ネット上に公開されるからです。

ほとんどの現代人は「そんな相互監視社会は生きづらい」と感じるでしょうが、それは「誠実な者が得をして、不誠実な者が損をする社会」であると知るべきです。「大衆の不安心理を止めることはできない」と言う人ほど、金銭取引の完全情報公開社会のメリットを知るべきだと思います。

「相続税の拡大」と「年金課税の累進化」は今すぐ実現できる有効な財政健全化政策である

子育て支援と経済成長」(柴田悠著、朝日新聞出版)は読む価値のほとんどない本でした。客観的な部分は分かりきった内容で、主観的な部分は私にとって首をかしげたくなるような見解でした。しかし、おまけのように最後の章にある「財源をどうするか」だけは読む価値があったと思います。

財政赤字が破滅的であることは教養のある全ての日本人が知っていますが、具体的な財源案はあげられる人は少ないのではないでしょうか。「無駄な公共工事をやめればいい」「役人が多すぎる」「政治家が儲けすぎている」などのように、支出の削減案はよく言われます。しかし、財源案となると「日本人は平均1000万円も貯金があるのだから、金持ちから税金をとればいい」「(金のつかい道がないくせにお金持ちの)高齢者から税金をとればいい」という批判が聞かれるだけで、具体的にどの税金をどう増やすかについて、少なくとも私は、ほとんど聞いたことがありません。私は「富の不公平を失くすために 」の記事で累進資産税などを提案していますが、それによりどれだけの税金収入が上がるのか考察できていないので漠然としています。

一方で、「子育て支援と経済成長」の財源案は具体的かつ現実的です。「霞が関埋蔵金」「消費税の引き上げ」「配偶者控除などの限定」「資産税または所得税の累進化」「年金課税の累進化」「相続税の拡大」をそれぞれ数値含めて検討しています。

霞が関埋蔵金」について私は知識がないので、ここでの考察はやめておきます。

「消費税の引き上げ」は安定財源としてよく提案されます。消費税1%増で財源約1兆円増らしいですが、あれだけ支持率の高い安倍政権でさえ、消費税増を何度も延期したことから、実現は容易でないでしょう。

配偶者控除などの限定」は財源ではなく支出の削減なのですが、ここでも考慮します。いわゆる専業主婦が年金や健康保険料を払わなくても、医療費が3割負担で済み、老後の年金をもらえる特権のことです。女性を本当に社会進出させたいのなら同時に議論すべき特権ですが、女性社会進出と一緒に議論されている記事を、私は読んだ記憶がありません。かりに中間値の世帯所得600万円以上に専業主婦特権を廃止すると、年間1.5兆円の節税になるようです。上位30%の世帯所得800万円以上の専業主婦特権廃止で0.9兆円の節税です。

私も提案した「資産税」も本では考察されています。かりに純資産総額1億円以上の267万世帯に毎月4万円の課税をしたら、年間1.3兆円が財源になります。しかし、タックス・ヘイブンへの規制と、金融資産の把握は難しいという問題があります。

所得税の累進化」は2015年に実施され、最高税率が40%から45%になって財源が0.06兆円増えたそうです。1983年までは最高税率75%でした。現状から75%まで増やすとどれくらい増えるのか、著者も私も分かりませんが、単純に40%→45%の5%増で財源0.06兆円増からの比例計算では30%増で財源0.36兆円増となります。ここまで少なくなくても、せいぜい1兆円程度であると著者は推測しています。ここで注目したいのは2015年の累進所得税増税に、ほとんどの有権者が抵抗しなかった点です。つまり、実現可能性が高い政策だと言えます。

「年金課税の累進化」として貯蓄額が3000万円以上の世帯からは毎月1万円、住宅・宅地資産額が3000万円以上で毎月1万円の課税を著者は提案しています。これにより年間1.2兆円の財源が生まれます。

著者が最も筋が通ると考えているのは「相続税の拡大」です。現状、相続遺産は3000万円が基礎控除となって、さらに配偶者や子などの遺産を受ける法定相続人の数×600万円も基礎控除となります。おまけに、配偶者に限っては1億6000万円までが基礎控除となります。ここまで基礎控除があるので、相続遺産の総額は37兆~67兆円と推計されていますが、2015年の相続税収はわずか1.8兆円です。

相続税を廃止した国もある中で、国際的にいえば、日本の相続税は課税ベースでも税率でも高い方です。しかし、生まれた時点での格差を縮小し、機会の不平等を是正できるので、相続税増税を断行すべきだと著者は主張します。

著者の提案では、3000万円の基礎控除を廃止し、配偶者の基礎控除を1000万円、子の基礎控除を100万円として、10~55%となっている累進性相続性を一律5%増にします。これで2兆円の財源ができます。かりに相続税1%増でも、0.4兆円の財源となるようです。

2015年に相続税の相続基礎控除の縮小と税率引き上げが行われたそうですが、反対した者はわずかです。だから、著者はこの政策の実現可能性は高いと考えています。なお、「資産税」同様、相続税を急増させると、富裕層がタックス・ヘイブンを使って課税逃れをするので、その規制は必要です。

本を読んで一番ショックだったのは、このような財源情報を私が全くといっていいほど知らなかったことです。日本がこれほど財政赤字に苦しんでいるのですから、財源案はもっと数値をあげて考察しなければいけません。しかし、どのマスコミも消費税を除けば、財源案をろくに考察していません。「〇〇を増税すべきである」と書くと、それによって損を受ける者が反発すると恐れているのでしょうか。

上記のような財源情報は、全てのマスコミに載せるべきでしょう。そのような情報が国民に周知されなければ、国民が財政健全化できる政治家を選ぶこともできないので、財政赤字は悪化する一方です。

この記事を読んだ方は、ぜひ上記の情報を多くの方に周知してほしいです。

人口減少の深刻さ

現状の少子高齢化が続けば、日本の経済は縮小していき、経済縮小の度合いは地方ほど顕著になります。最大の理由は、人口減少と少子高齢化です。

一部の地方で事業が成功して、豊かになることはあるでしょうが、日本中の地方が全て豊かになることはありえません。全体として、日本の地方は衰退していきますし、消滅もしていきます。

こんな分かり切った未来は、私だけでなく、多くの日本人が見通しているはずです。しかし、その深刻さを認識していない人がまだまだ多いように私は思います。これからの日本では、どう成長させるべきかではなく、どう衰退させるべきかを考えなければいけません。厳しいですが、それが現実だと全ての日本人が認識すべきです。

この現実を見据えていれば、対処法も自ずと見えてくるはずです。まず、できるだけ衰退のスピードを緩めるべきです。「パワハラの現状と日本の生産性の低さ」でも指摘したように、日本人はそのサービスの質の高さに対して、生産性が極めて低いです。だから、生産性を高める余地は十分にあります。「パワハラ撲滅がもたらす経済効果」の改革は、生産性を上げるためだけでなく、日本人ひとり一人の幸福度を上げるためにもぜひ実行してほしいです。

また、最低賃金の上昇は生産性向上のために今すぐできる対策です。時給1500円以上にはすべきだと考えます。その副作用として失業率が跳ね上がるので、生活保護捕捉率の向上は必要不可欠です。

人口減少が根本原因なので、それもできる限り食い止めるべきです。「優秀な労働者を韓国や台湾にとられる日本」で指摘したような問題点を即刻修正して、移民の受け入れは積極的に進めるべきでしょう。

地方経済に関していえば、衰退する地方を活性化させることは極めて難しい、あるいは不可能と率直に認めるべきです。だから、「地方創生大全」(木下斉著、東洋経済新報社)で主張されているように、地方活性化政策に補助金(税金)は使用してはいけません。一部の意欲ある者たちが自己資金を持ちよって、あるいは、そういった者たちに融資する企業などの責任において、地域活性化を推進すべきです。人口急減社会の中、地方活性化政策は成功より失敗する確率の方が高くなります。地方創生に補助金を使ったら、既に十分過ぎるほどある後世へのツケをさらに増やすだけなので、それよりも税金のあまりかからないコンパクトシティ政策を推進すべきです。そのために土地問題の解決、一等地の有効活用は重要になってきます。

人口減少なのですから、これまで作った社会インフラを維持すべきかどうかも検討することになります。地方衰退にとって、これが最も切実な問題になるでしょう。水道、ガス、電気、交通、医療アクセスなどが維持できない地方は既に出てきていますが、急激な高齢化社会が到来する今後、そういった地方は激増していきます。結果、切り捨てられる地方や消滅する地方も必ず現れます。強制移住はできないでしょうが、ある人が衰退する地方に残る場合、ある程度の不便さを受け入れてもらわなければなりません。たとえば、「どうしてもそこに残りたいのならそれでもいいが、今後、水道とガスの供給はできない。電気だけは通すが、最低でも月5万円になって、しかも住民が少なるごとに電気代が高くなり、最後には事実上支払い不可の高額になる」などです。こうなると「水道とガスを止められると知っていたら、こんな辺鄙な土地にマイホームなんて建てなかった。ハシゴをはずした国の責任だから、国が移転費用を出すべきだ!」「移転費用などない。病気のため、水道とガスなしでは生きられない。私に死ねと言うのか!」と不平を言う人も必ず出てくるでしょう。しかし、財政に余裕のない日本で、そんな未来を予見できなかった人たちの補償までできなくなる可能性は十分あります。

残念ながら、現在の日本の少子高齢化のペースで、日本の全ての地方で「文明的な」生活を維持するのは不可能です。結果、「嫌なことと、より嫌なことと、絶対に嫌なことの中から、嫌なことを選択する」政策ばかりになってしまいます。いえ、それさえ無理となって、「より嫌なこと」あるいは「絶対に嫌なこと」を選択せざるを得ない場合も出てくるでしょう。日本の少子高齢化はそれくらい深刻な問題です。

そうなりなりたくないのなら、「養子移民政策」などを本気で実行してもいいのではないでしょうか。

 

※余談になりますが、「移転費用もなく、病気のため、水道とガスなしでは生きられない」日本人など、日本中探しても100人もいないでしょう。「家のローンが何十年もあるから移転費用がないと言っているだけ」「現状の暮らしを維持するほどの引っ越し費用はないから、そう言っているだけ」がほとんどです。働く能力のある人なら、一時的に借金は増えたとしても、都会の賃貸住宅に引っ越して、ある程度の貧しさを受け入れたら、借金をなんとか返しながら生きていけます。その貧しさと言っても、子どもが大学進学を諦めなければいけないほどではありません。私もそうでしたが、贅沢しなければ、大学の学費なら奨学金で十分賄えるからです。また、本当に「病気のため、水道とガスなしで生きられない」のなら、なおさら引っ越すべきです。もし本当に死ぬしかない人なら税金で保護してあげるべきですが、そういった人はごく一部のはずです。

「地方創生大全」でも地方創生はできません

明治維新と戦後GHQ改革を越える革命でも起こらない限り、日本の人口減少は止まりません。統計を調べて、簡単な計算をしてみれば分かりますが、日本がどれほど外国人受け入れ政策をとったとしても、人口減少を食い止めるほど大量に外国人を受け入れることはできません。日本人の生産性は低く、それを伸ばす余地はあるので、一人当たりのGDPはほぼ確実に増していくでしょう。しかし、その生産性向上のためには、ある程度、地方は切り捨てざるを得ません。限界集落を全て維持しながら生産性を向上させるのは率直に言って無理です。観光資源や特別な産業がある例外的な地方は別として、日本の大多数の地方は全体として衰退していきます。かりに日本中の全ての地方で、その中で最も優秀な人たちが集まって、地元の地域活性事業に全力で取り組んでも、日本全体での地方衰退を止めることはできません。前回の記事で私が絶賛した「地方創生大全」(木下斉著、東洋経済新報社)の著者は、その時代の大きな流れを把握していません。

著者はあとがきで「日本の地方は大いに可能性に満ちています」と主張し、その根拠として「日本の地方都市には、海があり、山があり、食を含めた文化蓄積があり、さらに空港や新幹線や道路といったインフラまで整っています」と書いていますが、そんな場所はそれこそ世界中に掃いて捨てるほどあります。それらを利用して生産性を高めることができるのは日本のごく一部の地方に限られます。

著者は「以前の日本では人口増加が問題だった。人口減少が問題といっているが、増加だって問題だったのだから、どちらも同じだ」と私にはよく分からない理屈を展開しています。確かに著者の言う通り、「なんでも人口減少が悪い。人口減少が改善されれば、すべて解決する、というのは幻想」です。しかし、人口増加が生み出す問題とそれへの対応と、人口減少が生み出す問題とそれへの対応は、全く異なります。そして、次の記事で明確に示しますが、現在の日本、特に田舎である地方が直面している最大の問題は、間違いなく、人口減少と少子高齢化です。

さらに批判したい点は、著者自らの実践事業の小ささです。たとえば、「稼ぐまちが地方を変える」でも「地方創生大全」でも著者が自慢気に語っている熊本市中心部のゴミ処理一本化ビジネスですが、1年間で節約できた金額はわずか450万円です。社会保障費などを考慮すれば、一人分の人件費程度の額なのに、その事業に4人も関わっているようです。その450万円でさえ節約額なので、全てが4人の取り分になるわけでもありません。また、著書の事業によって別の清掃業者の利益が減ったわけで、そのマイナス分を考慮すれば、どれだけの「地方創生効果」があったと言えるのか、かなり疑問です。

同じく著者が実践した早稲田商店街での修学旅行中の販売体験プログラムでは、こちらのHPにある通り、一人1800円で年間約1000人しか集めていないので、180万円の売上にしかなっていません。費用としては「机と椅子と場所代、それにアテンドするアルバイトの人件費」と著者は書いていますが、他にも「早稲田にある郵便局の待合室に宣伝ポスターを飾る経費」などマイナスを考慮すれば、地域経済への影響は微々たるものです。間違いないのは、わずか180万円程度の売上なら、公務員一人分の人件費にもならないので、地方自治体が関わる地域活性化事業にはならないことです。

もし私が地方活性化事業に関わっている役人なら、著者にこう言いたいでしょう。

「100万円、400万円といった額で地方創生などできるわけがない。その程度の事業しかできない奴に、地方活性化について偉そうに批判する資格はない」

さすがにそういった批判は多かったのか、「地方創生大全」では、「小さく始めて大きくしていくべきだ」「一発逆転の地域活性化など目指すべきではない」「大きく失敗しないことをまず考えるべきだ」といった言葉が出てきます。確かに、それが現実的なところでしょう。しかし、その方法で地方活性化できるのでしょうか。失敗を何度も繰り返して、ようやく成功しても、著者の事業のように、年間数百万円程度の売上が関の山ではないでしょうか。それでは数人程度の雇用しか生みません。地方にいる全員がそういった成功を積めばいい、と著者は考えているのかもしれませんが、人口減少していく地方で年間数百万円であっても稼げる機会がそんなに多いわけがありません。商売には競争がつきものです。ある者が運よく稼ぐ方法を見つけたとしても、それにより、他の者の稼ぐ機会を奪っていることはよくあります。結局、著者の方法で限られた経済規模の地方を活性化などできません。地方衰退を止めることすらできません。せいぜい地方衰退のスピードを少し緩める程度でしょう。

小さい投資で大きく成功する確率は、ほぼゼロです。地方活性化するほど成功するためには、どうしても大規模な初期投資が必要でしょう。それで失敗したら、損失も大規模になるので、どうしても慎重に計画せざるを得ません。税金が入っていると、一部の者たちに任せられるはずがなく、集団での合意を重視しないといけません。著者の言う通り、その方法でほとんどの地域活性化政策は失敗しているわけですが、それ以上に公平な地方活性化政策はあるのでしょうか。

著者は補助金政策を徹頭徹尾批判しています。しかし、役人がなにもしないままだと、地方は衰退する一方です。だから、藁にもすがる気持ちで補助金政策になるのでしょう。補助金政策なしで、著者の提案する「自分たちの出し合った資金で小さく始めて、失敗と挑戦を繰り返しながら、少しずつ事業を大きくしていく」だと、役人の出番はないに等しいです。たとえば、あなたが地方の若者で、役人から「自ら持ち寄った資金で新しい事業をぜひ起こしてください。申し訳ありませんが、補助金は一過性の効果しかないので、役所からお金は一切出しません」と言われたら、実行しようと思うでしょうか。私なら「だったらお前が自己責任でやれよ」と思って、衰退する地方を抜け出し、都会に脱出します。例外もありますが、概して、稼ぐ方法は地方よりも都会に多くあります。もし本当に「日本の地方が可能性に満ちていて」、日本中の地方で利益を上げる方法が溢れているなら、どこかの企業が既にやっているでしょう。いえ、それこそ地方活性の成功例がノドから手が出るほど欲しい著者が実行しているでしょう。

では、地方活性化のために、どうすればいいのでしょうか。その答えは「地方活性化など不可能という事実を直視し、別の対策を考える」になります。特に、人口減少による地方衰退、あるいは地方消滅がどれほど深刻かを認識することは必須になるはずです。次の記事に続きます。

地域活性の起爆剤が反対の意味で起爆してしまう理由

「地方創生大全」(木下斉著、東洋経済新報社)は素晴らしい本でした。地方創生に関わる全ての人に読ませたいです。特に、国や県や市町村から補助金をもらおうとする人にはぜひ読んでもらいたいです。もっと根本的に、補助金を設定したり廃止したりできる政治家や役人には、この本を読む義務を課していいと思います。

本の最初で、ゆるキャラでの地方創生について、税金をつかってまでやるべきでないと批判しています。その中の「経済効果は根拠が怪しい」との批判には全く同感です。たとえば、くまモンの経済効果として日銀の熊本支店が1000億円と計算して、その数字があらゆるところで引用されていますが、その根拠は「くまモンをつけた関連商品売上」のアンケート調査が主体だったと知っているでしょうか。ひどい概算というだけでなく、計算方法も間違っています。本では、経済効果として出される数値は真っ赤なウソだとまで断定しています。

本来、経済効果といえば、マイナス効果も考慮すべきです。くまモンの関連商品の売上が100万円だったとしても、それで経済効果が100万円とそのまま出るわけでなく、くまモンの関連商品が置かれていた場所で出ていた売上、たとえば80万円を引いて、経済効果20万円としなければ、誤解が生じます。このため、日本でよく使われる「経済効果」は「しない方がよかった場合」でも、〇〇億円と喧伝されてしまう恐れがあります。経済効果という怪しい言葉を使っている時点で、そのニュースは聞く価値なしと考えていいようです。

地方創生でよく行われる特産品開発の批判も鋭いです。地域の特産品を「ブランド化」させて、高い値段で売ろうという魂胆ですが、「ただでさえ売れない商品がなぜブランドになるのか極めて不明」です。これについては、著者も苦い経験があるようです。「飲む酢」ブームの時、特産品の果物からつくった酢を割高な価格設定で「ブランド化」して、売り出す話が地方で出たそうです。そんな簡単なものでないと確信した著者は、舌の肥えた酢愛好家たちに調査をお願いすると、予想通り、容赦のない批判が殺到しました。もちろん、割高なので一般客には見向きもされません。「やはり高すぎるのでは」という真っ当な意見に従い、補助金で各種経費を減額することで値下げして、少しは売れましたが、税金を考えると地域全体では赤字です。これでは地域創生にならないので、そろそろ「ブランド」ができたと考えて、補助金を打ち切り、値上げすると、当然、売れなくなり、結果、税金と労力と時間を浪費しただけに終わります。そもそも「ブランドがあるから商品が売れるのではなく、商売の結果としてブランドが形成される」という当たり前の事実を理解していないので、成功するはずがない、と切り捨てています。

道の駅の批判は、私にとって新鮮でした。道の駅の8割は行政によって作られており、税金が使われているそうです。この本で何度も主張されていることですが(著者が一貫して主張していることですが)、補助金が入ると、経営はメチャクチャになります。道の駅の例なら、立派な施設を税金でつくっておカネはかかっているのに、経営上、利益のハードルが低くなっています。生産性が低くても維持可能な環境になるので、利益改善に向けての努力がろくに行われません。結果、立派な施設の維持費すら利益でまかなえなくなり、道の駅は損を生み出し続ける施設となってしまいます。もちろん、建設時の莫大な費用も、地域全体あるいは国全体でツケを払わなければなりません。また、道の駅は補助金をもらうために、地元産品の比率を一定以上にしなければならないので、冬場になると売り場が閑散として、豪華な施設が非効率に運営されてしまうこともあるようです。道の駅に限らず、補助金が入ると損益分岐点が歪み、地域の生産性を低下させることは必発のようです。

本では、ふるさと納税についても批判しています。批判そのものは同意するのですが、「返礼比率の見直し、各企業・生産者からの調達上限の設定、納税財源は自治体のコンパクト化に活用するなどの改善」の解決策には反対です。ふるさと納税は返礼廃止と税金控除廃止、つまりは完全な善意によるものに限定すべきでしょう。

この本に書かれていた中で、私が最も呆れてしまった話があります。ある自治体の責任者が立派な冊子を持って著者の前に現れたそうです。1年間かけて、その地域の約30人が何度か集まってワークショップを行い、地域活性化の計画を作成し、きれいな表紙に参加者の似顔絵までつけていました。その計画作成に税金を1500万円もかけたそうですが、結果として、その自治体にはなんの変化も起こりませんでした。著者の言う通り、会議室に集まり、皆で褒め合うようなアイデア会議で地域が活性化するなら、何十年も前に地域は活性化しています。人が集まって計画を立てただけなのに、一体なぜ1500万円もかかったのか、本には書かれていませんが、そんな莫大なお金を使えたのなら、似顔絵だって入れたくなるのは無理もないでしょう。もし私がその自治体の住民なら(自治体名は本に書かれていないので、「もし」ではなく、私が本当にその自治体の住民の可能性もあるのですが)、その似顔絵を「1500万円の税金を使用した者たち」という言葉と共に、役所の入口に借金が返済されるまで貼っておいてほしいです。地域創生を目指すとき、「合意形成」を重視しすぎる弊害は、本で何度も指摘されています。無責任な100人よりも行動する一人の覚悟を重んじるべきと著者は主張します。

著者は地域活性化の参考例として、江戸時代の二宮尊徳の言葉、積小為大(せきしょういだい)をあげます。「小さく積み上げ、売上の成長と共に投資規模を大きくしていく」方法です。本では、自分たちがお金を出しあって小さく事業を始めることを何度も提言しています。たとえ事業が失敗しても、小さいうちなら大きな損にはならず、再挑戦も可能だからです。しかし、他人にも多大な迷惑をかける失敗を犯すと、再挑戦するのは難しくなります。著者によると、初めての地域活性化事業の99%は失敗するそうですが、その失敗を活かして、何度も一から始めることで、いずれ成功していけるようです。

また、地域の合意を重視してしまうと、目標は漠然と大きくなりがちです。たとえば「観光客が増加し、地元産業が活性し、人口は増え、財政は改善することを目標とする」などです。もちろん、これらは相互に影響しあっているので、全部達成するということも現実にはありえます。たとえば、「観光客が増加することで、地元産業が活性し、それに吸い寄せられるように人口は増え、結果として財政は改善」したケースはあります。しかし、多くの目標を設定してしまうと、達成度が不明確になってしまいます。「この地域事業で財政赤字は増えたし、地元産業の衰退は止められなかったし、人口も減ったが、観光客は増えたので、まだ事業を継続すべき」との意見がまかり通ったりします。日本には無数の地方活性化事業の基本計画がありますが、失敗した時の撤退戦略について書かれているものは皆無らしいです。まるで第二次大戦時の日本軍のように、どうなったら失敗かを定義せず、どう撤退するかも考えていないので、果てしのない泥沼に陥っているのです。

こんな状況なので、2015年に地域再生関連政策の総括の指示に基づいて、各省庁に失敗事例を聴取したところ、失敗だと報告された件数がゼロだったりするのです。嘘みたいですが、本当です。そこで、著者のグループが「あのまち、このまち失敗事例集『墓標シリーズ』」を作ると、なんと財務省主計局の主計官から「自分たちのつけていた予算が、このようなことになっているとは知らなかった」と言われたそうです。全ての地域再生関連政策ではKPIを設定し、PDCAサイクルを回していくことが決まっているらしいのですが、まともに機能していないようです。

他にも「綿密に検討された計画があれば成功するとの思い込みがある」「『あの人が言うなら、仕方ない。やらせてみよう』という形で承認されたりする」「地域活性化事業を請け負うコンサルは仕事をもらうためにゴマすりばかりするが、結果は出してくれない」「アイデアの新規性よりもプロセスの現実味の方がよほど重要」「自ら実践する覚悟がなければ、どんなアイデアもホラ吹きに過ぎない」など、傾聴に値する意見がいくつもあります。

ただし、この本で批判したいところはいくつかあります。一番は、この本の全否定のように聞こえるかもしれませんが、「地方創生大全」で地方創生できないからです。次の記事に続きます。

社会の成功者たちをどう考えるべきか

「ナンバー1は常に批判されるべきだ。ナンバー1になれるほど幸運なのだから、それくらいでないと、割に合わない」

この考えを私は西洋人に英語で何度も言いましたが、全ての西洋人が同意してくれました。しかし、日本人に同じことを言うと、ほぼ全ての日本人が疑問を呈してくれます。

「すごく努力しないとナンバー1になれないのだから、批判しなくてもいいんじゃない?」

そんな理由です。

しかし、すごく努力できることも、多くは幸運によるものです。私もそうですが、多くの人は成功するためにどこまでも努力したい、と考えていますが、どうしても体力と気力と集中力が続きません。たとえば、私は1日中本を読もうとしても、1時間もすれば字面を追いかけているだけで、内容が全く頭に入ってこなくなります。しかし、読書の才能を持っている人、あるいは子どもの時に恵まれた教育を受けた人は、何時間でも集中して読めるはずです。また、そういう人になると、誰よりも速く集中して読めることに達成感を味わい、さらに読もうという気持ちが湧いてくる好循環も出てくるでしょう。

私がこのように主張すると、次のように反論されたりします。

「確かに運もいいのだろうが、オリンピックで金メダルをとることは、運だけでは無理だ。才能があり、努力もしている競争者たちの中で、自分なりの創意工夫をしたからナンバー1になった。がむしゃらに努力するのではなく、必死で頭を使って創意工夫しているのに、批判される理由はない」

確かに、その選手だけが創意工夫をしたのなら、その反論は妥当だと思います。しかし、全員が創意工夫した中で、たまたまその人の試みだけが成功したのなら、やはりそれは運になります。

西洋と比べると日本では、社会の成功者を無条件で賞賛しすぎだと私は感じます。どんな人でも成功すると傲慢になりがちなのに、周りの人たちが賞賛すれば、さらに傲慢になってしまいます。必然的に、成功者は他者を見下すでしょうし、一般人よりも自分が尊重されるべきと勘違いするでしょう。そんな実例は、古今東西、枚挙に暇がありません。成功者たちをやたらと賞賛してしまう人たちは、その成功者たちを人間的にダメにしていると知るべきです。そんな大衆がいるからこそ、日本に国際的に尊敬される成功者がなかなか現れないのではないでしょうか。

「才能で成功した人よりも、努力で成功した人を評価すべきである」

「精神力だけで努力した人よりも、効率を考えて努力した人を賞賛すべきである」

そういった考えには、私も同意します。同時に、「成功者は常に批判されるべきだ。成功者の今後のためにも、成功者を賞賛しすぎるべきでない」も、早く日本社会の常識になってくれることを願います。

恵まれている者は感謝するのでなく恵まれない者を救うべきである

明らかに金持ちの家庭に生まれて、私と比較すると不幸を全く経験せずに大人になってしまった人と私が口論して、ようやくその人に「自分が恵まれている」ことを認めさせた後に、言われた言葉です。

「恵まれていることは分かっていますよ。だから感謝しています」

私は激怒しました。

「感謝だって! 誰に? 両親に? では、恵まれない人にはどうするんだ!」

 

以前の記事に書いたように、日本は「幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる」側面が強い国です。幸せな人が不幸な人を無視している、あるいは、不幸な人の欠点ばかりに注目しているからでしょう。「自分がその不幸な人として生まれていたら」という想像さえ一度もしたことがないのかもしれません。

記事にも書いたとおり、なにもしないでいると人間社会は、恵まれている人はさらに恵まれて、恵まれない人はさらに恵まれなくなります。日本では恵まれた成功者たちを賞賛するバカどもばかりなので、その傾向は極限まで強くなっていきます。その社会的な不公平を是正する責任は、社会道徳的に恵まれている人たちにあるべきです。

恵まれた人が、その恵まれた人生を与えてくれた家族や周囲の環境に感謝するだけでは、社会の不公平は増長される一方でしょう。社会全体での不公平と不幸をなくすためには、恵まれた者は自分の境遇に感謝なんてしている場合ではなく、「その恵まれた環境に入れなかった人、あるいは、はじかれた人はどうすればいいのか」を考え、実行すべきでしょう。

誰かが恵まれた人生を送れているとしたら、それは家族や近い人たちだけのおかげではありません。その人の属する社会全体によって、幸せな人生を送れています。だから、その社会に不幸な人が一人でもいるなら、まず不幸な人たちを救うように、恵まれている者は多少の不利益を引き受けなければいけないはずです(道徳的責任をとらなければいけないはずです)。最低でも、そうすべきとの意識を持たなければいけないと私は考えます。

日本人の国際感覚は第二次大戦時とどれくらい変わっているのか

前回の記事と全く同じ出だしになりますが、「インド独立の志士朝子」(笠井亮平著、白水社)を読んで、またも日本人として悲しくなってしまいました。

「世界中から非難されている第二次世界大戦時の日本で、外国人なのに日本の味方をして、命をかけて戦った女性がいた」と著者が感動していることが、行間に溢れているからです。

たとえば、主人公の朝子がインド人なのに日本人学校に行ったのは、本人たちの文書や証言もなく、「(両親が)何よりも自分たちの子どもには日本式教育を受けさせたかったのだろう」と書いています。

また、大日本帝国下のインド国民軍のリーダーであるチャンドラ・ボースは「日本は天皇制を残すべきだと思う」と言って、朝子は皇后と握手できて「しばらくは手を洗いたくなかったくらい」と言ったそうですが、日本人の前での発言なので、リップサービスかもしれない、と割り引いて受け取るのが普通でしょう。しかし、学者である著者はそれすらできていません。あまりに主観が強すぎて、著者は学者として守るべき客観性も失くしたようです。

本に書かれている通り、ボースも朝子も、日本の無条件降伏を知ったとき、全く感情を動かされていないのですが、情けないことに、著者は「なぜショックを受けなかったのか」と疑問に感じているようです。

(この学者はそんな国際感覚で、外国人が主人公の本を書いたのか)

これは私の感想ですが、私以外でも、まともな国際感覚を持つ人なら、そう考えるはずです。ボースも朝子も、大日本帝国の味方だったとはいえ、第一目標はインド独立です。大日本帝国の正義のために命をかけたかったのではなく、インドの独立のために命をかけたかったのです。ボースや朝子が国連軍よりも枢軸国が勝利すべきと考えていたとは限りませんし、まして日本のアジアでの侵略行為を肯定していたわけがありません。ボースや朝子が日本軍の中国での残虐行為をどれほど知っていたかは分かりませんが、一部では日本軍を当初歓迎していた東南アジアでさえ、日本軍の圧政に現地の人たちが多数反乱していた事実は、さすがにボースや朝子も耳に入っていたはずです。

ボースや朝子が日本の無条件降伏を知って「驚かなかった」と言ったなら、「本当は驚かなかっただけでなく、『やはり日本が負けたか。これでようやく無益な戦争は終わる。真のインド独立のために戦える』と安心したのだろうが、日本人の前では言いにくいのだろう」と私なら考えます。

「あなたはなんて美しい人なんだ」「あなたの子どもは本当によくできます」と言われたら、誰だってお世辞と考えて、割り引いて受け取るでしょう。国だって同じです。普通、相手の前だと、相手の国について褒めようとします。「日本は素晴らしい国です」と言われて、割り引いて受け取る、という当たり前のことが、なぜできないのでしょうか。

著者は太平洋戦争を「日本と欧米列強の東南アジア領土の取り合い」くらいにしか考えていないのかもしれません。そして、この考えは重光葵をはじめ当時の多くの日本人の国際感覚であり、それが日中戦争と太平洋戦争の悲劇を生んだ最大の原因です(断定します)。

私にとって残念なのは、当時の日本人の誤った国際感覚の本を、戦後70年たっても、現在の日本人が平然と書いていることです。おそらく、著者はその異常さに全く気づいていません。

このままでは戦後100年たっても、日本人は「なぜ日本は負けると分かっている第二次世界大戦を始めたのか」の疑問に答えられないかもしれません。戦後200年頃には、いいかげん、一般の日本人がその答えを知っておいてほしいです。