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日本人の国際感覚は第二次大戦時とどれくらい変わっているのか

前回の記事と全く同じ出だしになりますが、「インド独立の志士朝子」(笠井亮平著、白水社)を読んで、またも日本人として悲しくなってしまいました。

「世界中から非難されている第二次世界大戦時の日本で、外国人なのに日本の味方をして、命をかけて戦った女性がいた」と著者が感動していることが、行間に溢れているからです。

たとえば、主人公の朝子がインド人なのに日本人学校に行ったのは、本人たちの文書や証言もなく、「(両親が)何よりも自分たちの子どもには日本式教育を受けさせたかったのだろう」と書いています。

また、大日本帝国下のインド国民軍のリーダーであるチャンドラ・ボースは「日本は天皇制を残すべきだと思う」と言って、朝子は皇后と握手できて「しばらくは手を洗いたくなかったくらい」と言ったそうですが、日本人の前での発言なので、リップサービスかもしれない、と割り引いて受け取るのが普通でしょう。しかし、学者である著者はそれすらできていません。あまりに主観が強すぎて、著者は学者として守るべき客観性も失くしたようです。

本に書かれている通り、ボースも朝子も、日本の無条件降伏を知ったとき、全く感情を動かされていないのですが、情けないことに、著者は「なぜショックを受けなかったのか」と疑問に感じているようです。

(この学者はそんな国際感覚で、外国人が主人公の本を書いたのか)

これは私の感想ですが、私以外でも、まともな国際感覚を持つ人なら、そう考えるはずです。ボースも朝子も、大日本帝国の味方だったとはいえ、第一目標はインド独立です。大日本帝国の正義のために命をかけたかったのではなく、インドの独立のために命をかけたかったのです。ボースや朝子が国連軍よりも枢軸国が勝利すべきと考えていたとは限りませんし、まして日本のアジアでの侵略行為を肯定していたわけがありません。ボースや朝子が日本軍の中国での残虐行為をどれほど知っていたかは分かりませんが、一部では日本軍を当初歓迎していた東南アジアでさえ、日本軍の圧政に現地の人たちが多数反乱していた事実は、さすがにボースや朝子も耳に入っていたはずです。

ボースや朝子が日本の無条件降伏を知って「驚かなかった」と言ったなら、「本当は驚かなかっただけでなく、『やはり日本が負けたか。これでようやく無益な戦争は終わる。真のインド独立のために戦える』と安心したのだろうが、日本人の前では言いにくいのだろう」と私なら考えます。

「あなたはなんて美しい人なんだ」「あなたの子どもは本当によくできます」と言われたら、誰だってお世辞と考えて、割り引いて受け取るでしょう。国だって同じです。普通、相手の前だと、相手の国について褒めようとします。「日本は素晴らしい国です」と言われて、割り引いて受け取る、という当たり前のことが、なぜできないのでしょうか。

著者は太平洋戦争を「日本と欧米列強の東南アジア領土の取り合い」くらいにしか考えていないのかもしれません。そして、この考えは重光葵をはじめ当時の多くの日本人の国際感覚であり、それが日中戦争と太平洋戦争の悲劇を生んだ最大の原因です(断定します)。

私にとって残念なのは、当時の日本人の誤った国際感覚の本を、戦後70年たっても、現在の日本人が平然と書いていることです。おそらく、著者はその異常さに全く気づいていません。

このままでは戦後100年たっても、日本人は「なぜ日本は負けると分かっている第二次世界大戦を始めたのか」の疑問に答えられないかもしれません。戦後200年頃には、いいかげん、一般の日本人がその答えを知っておいてほしいです。