未来社会の道しるべ

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地域活性の起爆剤が反対の意味で起爆してしまう理由

「地方創生大全」(木下斉著、東洋経済新報社)は素晴らしい本でした。地方創生に関わる全ての人に読ませたいです。特に、国や県や市町村から補助金をもらおうとする人にはぜひ読んでもらいたいです。もっと根本的に、補助金を設定したり廃止したりできる政治家や役人には、この本を読む義務を課していいと思います。

本の最初で、ゆるキャラでの地方創生について、税金をつかってまでやるべきでないと批判しています。その中の「経済効果は根拠が怪しい」との批判には全く同感です。たとえば、くまモンの経済効果として日銀の熊本支店が1000億円と計算して、その数字があらゆるところで引用されていますが、その根拠は「くまモンをつけた関連商品売上」のアンケート調査が主体だったと知っているでしょうか。ひどい概算というだけでなく、計算方法も間違っています。本では、経済効果として出される数値は真っ赤なウソだとまで断定しています。

本来、経済効果といえば、マイナス効果も考慮すべきです。くまモンの関連商品の売上が100万円だったとしても、それで経済効果が100万円とそのまま出るわけでなく、くまモンの関連商品が置かれていた場所で出ていた売上、たとえば80万円を引いて、経済効果20万円としなければ、誤解が生じます。このため、日本でよく使われる「経済効果」は「しない方がよかった場合」でも、〇〇億円と喧伝されてしまう恐れがあります。経済効果という怪しい言葉を使っている時点で、そのニュースは聞く価値なしと考えていいようです。

地方創生でよく行われる特産品開発の批判も鋭いです。地域の特産品を「ブランド化」させて、高い値段で売ろうという魂胆ですが、「ただでさえ売れない商品がなぜブランドになるのか極めて不明」です。これについては、著者も苦い経験があるようです。「飲む酢」ブームの時、特産品の果物からつくった酢を割高な価格設定で「ブランド化」して、売り出す話が地方で出たそうです。そんな簡単なものでないと確信した著者は、舌の肥えた酢愛好家たちに調査をお願いすると、予想通り、容赦のない批判が殺到しました。もちろん、割高なので一般客には見向きもされません。「やはり高すぎるのでは」という真っ当な意見に従い、補助金で各種経費を減額することで値下げして、少しは売れましたが、税金を考えると地域全体では赤字です。これでは地域創生にならないので、そろそろ「ブランド」ができたと考えて、補助金を打ち切り、値上げすると、当然、売れなくなり、結果、税金と労力と時間を浪費しただけに終わります。そもそも「ブランドがあるから商品が売れるのではなく、商売の結果としてブランドが形成される」という当たり前の事実を理解していないので、成功するはずがない、と切り捨てています。

道の駅の批判は、私にとって新鮮でした。道の駅の8割は行政によって作られており、税金が使われているそうです。この本で何度も主張されていることですが(著者が一貫して主張していることですが)、補助金が入ると、経営はメチャクチャになります。道の駅の例なら、立派な施設を税金でつくっておカネはかかっているのに、経営上、利益のハードルが低くなっています。生産性が低くても維持可能な環境になるので、利益改善に向けての努力がろくに行われません。結果、立派な施設の維持費すら利益でまかなえなくなり、道の駅は損を生み出し続ける施設となってしまいます。もちろん、建設時の莫大な費用も、地域全体あるいは国全体でツケを払わなければなりません。また、道の駅は補助金をもらうために、地元産品の比率を一定以上にしなければならないので、冬場になると売り場が閑散として、豪華な施設が非効率に運営されてしまうこともあるようです。道の駅に限らず、補助金が入ると損益分岐点が歪み、地域の生産性を低下させることは必発のようです。

本では、ふるさと納税についても批判しています。批判そのものは同意するのですが、「返礼比率の見直し、各企業・生産者からの調達上限の設定、納税財源は自治体のコンパクト化に活用するなどの改善」の解決策には反対です。ふるさと納税は返礼廃止と税金控除廃止、つまりは完全な善意によるものに限定すべきでしょう。

この本に書かれていた中で、私が最も呆れてしまった話があります。ある自治体の責任者が立派な冊子を持って著者の前に現れたそうです。1年間かけて、その地域の約30人が何度か集まってワークショップを行い、地域活性化の計画を作成し、きれいな表紙に参加者の似顔絵までつけていました。その計画作成に税金を1500万円もかけたそうですが、結果として、その自治体にはなんの変化も起こりませんでした。著者の言う通り、会議室に集まり、皆で褒め合うようなアイデア会議で地域が活性化するなら、何十年も前に地域は活性化しています。人が集まって計画を立てただけなのに、一体なぜ1500万円もかかったのか、本には書かれていませんが、そんな莫大なお金を使えたのなら、似顔絵だって入れたくなるのは無理もないでしょう。もし私がその自治体の住民なら(自治体名は本に書かれていないので、「もし」ではなく、私が本当にその自治体の住民の可能性もあるのですが)、その似顔絵を「1500万円の税金を使用した者たち」という言葉と共に、役所の入口に借金が返済されるまで貼っておいてほしいです。地域創生を目指すとき、「合意形成」を重視しすぎる弊害は、本で何度も指摘されています。無責任な100人よりも行動する一人の覚悟を重んじるべきと著者は主張します。

著者は地域活性化の参考例として、江戸時代の二宮尊徳の言葉、積小為大(せきしょういだい)をあげます。「小さく積み上げ、売上の成長と共に投資規模を大きくしていく」方法です。本では、自分たちがお金を出しあって小さく事業を始めることを何度も提言しています。たとえ事業が失敗しても、小さいうちなら大きな損にはならず、再挑戦も可能だからです。しかし、他人にも多大な迷惑をかける失敗を犯すと、再挑戦するのは難しくなります。著者によると、初めての地域活性化事業の99%は失敗するそうですが、その失敗を活かして、何度も一から始めることで、いずれ成功していけるようです。

また、地域の合意を重視してしまうと、目標は漠然と大きくなりがちです。たとえば「観光客が増加し、地元産業が活性し、人口は増え、財政は改善することを目標とする」などです。もちろん、これらは相互に影響しあっているので、全部達成するということも現実にはありえます。たとえば、「観光客が増加することで、地元産業が活性し、それに吸い寄せられるように人口は増え、結果として財政は改善」したケースはあります。しかし、多くの目標を設定してしまうと、達成度が不明確になってしまいます。「この地域事業で財政赤字は増えたし、地元産業の衰退は止められなかったし、人口も減ったが、観光客は増えたので、まだ事業を継続すべき」との意見がまかり通ったりします。日本には無数の地方活性化事業の基本計画がありますが、失敗した時の撤退戦略について書かれているものは皆無らしいです。まるで第二次大戦時の日本軍のように、どうなったら失敗かを定義せず、どう撤退するかも考えていないので、果てしのない泥沼に陥っているのです。

こんな状況なので、2015年に地域再生関連政策の総括の指示に基づいて、各省庁に失敗事例を聴取したところ、失敗だと報告された件数がゼロだったりするのです。嘘みたいですが、本当です。そこで、著者のグループが「あのまち、このまち失敗事例集『墓標シリーズ』」を作ると、なんと財務省主計局の主計官から「自分たちのつけていた予算が、このようなことになっているとは知らなかった」と言われたそうです。全ての地域再生関連政策ではKPIを設定し、PDCAサイクルを回していくことが決まっているらしいのですが、まともに機能していないようです。

他にも「綿密に検討された計画があれば成功するとの思い込みがある」「『あの人が言うなら、仕方ない。やらせてみよう』という形で承認されたりする」「地域活性化事業を請け負うコンサルは仕事をもらうためにゴマすりばかりするが、結果は出してくれない」「アイデアの新規性よりもプロセスの現実味の方がよほど重要」「自ら実践する覚悟がなければ、どんなアイデアもホラ吹きに過ぎない」など、傾聴に値する意見がいくつもあります。

ただし、この本で批判したいところはいくつかあります。一番は、この本の全否定のように聞こえるかもしれませんが、「地方創生大全」で地方創生できないからです。次の記事に続きます。