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「地方創生大全」でも地方創生はできません

明治維新と戦後GHQ改革を越える革命でも起こらない限り、日本の人口減少は止まりません。統計を調べて、簡単な計算をしてみれば分かりますが、日本がどれほど外国人受け入れ政策をとったとしても、人口減少を食い止めるほど大量に外国人を受け入れることはできません。日本人の生産性は低く、それを伸ばす余地はあるので、一人当たりのGDPはほぼ確実に増していくでしょう。しかし、その生産性向上のためには、ある程度、地方は切り捨てざるを得ません。限界集落を全て維持しながら生産性を向上させるのは率直に言って無理です。観光資源や特別な産業がある例外的な地方は別として、日本の大多数の地方は全体として衰退していきます。かりに日本中の全ての地方で、その中で最も優秀な人たちが集まって、地元の地域活性事業に全力で取り組んでも、日本全体での地方衰退を止めることはできません。前回の記事で私が絶賛した「地方創生大全」(木下斉著、東洋経済新報社)の著者は、その時代の大きな流れを把握していません。

著者はあとがきで「日本の地方は大いに可能性に満ちています」と主張し、その根拠として「日本の地方都市には、海があり、山があり、食を含めた文化蓄積があり、さらに空港や新幹線や道路といったインフラまで整っています」と書いていますが、そんな場所はそれこそ世界中に掃いて捨てるほどあります。それらを利用して生産性を高めることができるのは日本のごく一部の地方に限られます。

著者は「以前の日本では人口増加が問題だった。人口減少が問題といっているが、増加だって問題だったのだから、どちらも同じだ」と私にはよく分からない理屈を展開しています。確かに著者の言う通り、「なんでも人口減少が悪い。人口減少が改善されれば、すべて解決する、というのは幻想」です。しかし、人口増加が生み出す問題とそれへの対応と、人口減少が生み出す問題とそれへの対応は、全く異なります。そして、次の記事で明確に示しますが、現在の日本、特に田舎である地方が直面している最大の問題は、間違いなく、人口減少と少子高齢化です。

さらに批判したい点は、著者自らの実践事業の小ささです。たとえば、「稼ぐまちが地方を変える」でも「地方創生大全」でも著者が自慢気に語っている熊本市中心部のゴミ処理一本化ビジネスですが、1年間で節約できた金額はわずか450万円です。社会保障費などを考慮すれば、一人分の人件費程度の額なのに、その事業に4人も関わっているようです。その450万円でさえ節約額なので、全てが4人の取り分になるわけでもありません。また、著書の事業によって別の清掃業者の利益が減ったわけで、そのマイナス分を考慮すれば、どれだけの「地方創生効果」があったと言えるのか、かなり疑問です。

同じく著者が実践した早稲田商店街での修学旅行中の販売体験プログラムでは、こちらのHPにある通り、一人1800円で年間約1000人しか集めていないので、180万円の売上にしかなっていません。費用としては「机と椅子と場所代、それにアテンドするアルバイトの人件費」と著者は書いていますが、他にも「早稲田にある郵便局の待合室に宣伝ポスターを飾る経費」などマイナスを考慮すれば、地域経済への影響は微々たるものです。間違いないのは、わずか180万円程度の売上なら、公務員一人分の人件費にもならないので、地方自治体が関わる地域活性化事業にはならないことです。

もし私が地方活性化事業に関わっている役人なら、著者にこう言いたいでしょう。

「100万円、400万円といった額で地方創生などできるわけがない。その程度の事業しかできない奴に、地方活性化について偉そうに批判する資格はない」

さすがにそういった批判は多かったのか、「地方創生大全」では、「小さく始めて大きくしていくべきだ」「一発逆転の地域活性化など目指すべきではない」「大きく失敗しないことをまず考えるべきだ」といった言葉が出てきます。確かに、それが現実的なところでしょう。しかし、その方法で地方活性化できるのでしょうか。失敗を何度も繰り返して、ようやく成功しても、著者の事業のように、年間数百万円程度の売上が関の山ではないでしょうか。それでは数人程度の雇用しか生みません。地方にいる全員がそういった成功を積めばいい、と著者は考えているのかもしれませんが、人口減少していく地方で年間数百万円であっても稼げる機会がそんなに多いわけがありません。商売には競争がつきものです。ある者が運よく稼ぐ方法を見つけたとしても、それにより、他の者の稼ぐ機会を奪っていることはよくあります。結局、著者の方法で限られた経済規模の地方を活性化などできません。地方衰退を止めることすらできません。せいぜい地方衰退のスピードを少し緩める程度でしょう。

小さい投資で大きく成功する確率は、ほぼゼロです。地方活性化するほど成功するためには、どうしても大規模な初期投資が必要でしょう。それで失敗したら、損失も大規模になるので、どうしても慎重に計画せざるを得ません。税金が入っていると、一部の者たちに任せられるはずがなく、集団での合意を重視しないといけません。著者の言う通り、その方法でほとんどの地域活性化政策は失敗しているわけですが、それ以上に公平な地方活性化政策はあるのでしょうか。

著者は補助金政策を徹頭徹尾批判しています。しかし、役人がなにもしないままだと、地方は衰退する一方です。だから、藁にもすがる気持ちで補助金政策になるのでしょう。補助金政策なしで、著者の提案する「自分たちの出し合った資金で小さく始めて、失敗と挑戦を繰り返しながら、少しずつ事業を大きくしていく」だと、役人の出番はないに等しいです。たとえば、あなたが地方の若者で、役人から「自ら持ち寄った資金で新しい事業をぜひ起こしてください。申し訳ありませんが、補助金は一過性の効果しかないので、役所からお金は一切出しません」と言われたら、実行しようと思うでしょうか。私なら「だったらお前が自己責任でやれよ」と思って、衰退する地方を抜け出し、都会に脱出します。例外もありますが、概して、稼ぐ方法は地方よりも都会に多くあります。もし本当に「日本の地方が可能性に満ちていて」、日本中の地方で利益を上げる方法が溢れているなら、どこかの企業が既にやっているでしょう。いえ、それこそ地方活性の成功例がノドから手が出るほど欲しい著者が実行しているでしょう。

では、地方活性化のために、どうすればいいのでしょうか。その答えは「地方活性化など不可能という事実を直視し、別の対策を考える」になります。特に、人口減少による地方衰退、あるいは地方消滅がどれほど深刻かを認識することは必須になるはずです。次の記事に続きます。