未来社会の道しるべ

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口話否定教育を否定

前回までの記事の続きです。

「手話を生きる」(斉藤道雄著、みすず書房)を納得しながら読んでいた時、最後の日本語科(国語を明晴学園ではこう呼ぶ)の授業の紹介で、大きな疑問が生じました。小学校6年生なのに、「呼んでみました」を「呼んで、見る」と勘違いしている子がいるのです。また、原文は「海は、おおきな家でした。かぞえきれないほどたくさんのさけがいて」なのに、「海は、大きな 家でした。数えきれないほど たくさんの さけが います」と生徒たちが分かりやすいように書き換えているのです。繰り返しますが、小学校6年生の授業で、小学校1年生の授業ではありません。もちろん、日本語の読み書きの授業で、話し聞きの授業ではありません。

明晴学園中学2年生の次のような日本語文が本には載っています。

「僕の考えでは、人から人への育児、血がつながっている、心が伝わる、子どもも大きくなったら父になりたいと思う。父の気持ちが子どもにつぐ、人と人とは信頼しあっている」

この意味を理解できる日本人はいるでしょうか。

明晴学園の生徒の半数は英検3級や数検3級に合格できるものの、漢検3級に合格する生徒はまずいないそうです。それは「日本語を第二言語として習得しているからだ」と著者は弁解します。換言すれば、日本人が英語を勉強するように、明晴学園の生徒は日本語を勉強しているようです。だから、中学を卒業しても、日本人の中卒者の英語力程度しか日本語能力を持てないのです。「話す」「聞く」はもちろんのこと、「読む」「書く」でさえ日本語をろくに習得できていないのです。

ここで私は著者の理論の大きな矛盾に気づきました。「日本手話と日本語対応手話」にも書いたように、著者はトータルコミュニケーション法を否定する根拠として、「トータルコミュニケーションを受けた生徒たちはSAT(アメリカのセンター試験)の英語読解力テストで、平均して小学校3年生程度の点数しかとれなかったこと」を挙げています。しかし、トータルコミュニケーション法ではなく、著者の言うバイリンガル教育(日本手話教育)でも日本語読解力テストは、せいぜい小学校3年生程度の点数しかとれないようです。

バイリンガル教育で日本語能力は養えないかもしれないが、思考力は十分に育っている」と著者は主張していますが、根拠がありません。また、バイリンガル教育は思考力を養うが、トータルコミュニケーション法では思考力を養えない根拠が本のどこにも示されていません。その根拠がなければ、著者の理論は完全に破綻してしまいます。その肝心かなめの根拠をいくつかの文献で探し求めている間に、私は「聴覚障害教育これまでとこれから」(脇中起余子著、北大路書房)に出会いました。

なお、「バイリンガル教育は思考力を養うが、トータルコミュニケーション法では思考力を養えない証拠」は、おそらく、世界中探しても存在していません。むしろ、「バイリンガル教育もトータルコミュニケーション法も、同じように思考力を養える証拠」が将来示されるのではないか、と私は推定しています。

聴覚障害教育これまでとこれから」で脇中は手話否定教育を否定して、同時に口話否定教育を否定しています。手話否定教育は「手話は言語である」で示したように、20世紀の半分以上の期間、ろう学校で手話が禁止されたことを示します。口話否定教育とは、まさに明晴学園で行われている教育のことです。トータルコミュニケーション教育(現在のろう学校で一般的な日本語対応手話教育)とバイリンガル教育(明晴学園での日本手話教育)の「歩み寄りが大切と言われても、私はそんな歩み寄りはできない」とまで脇中は書いています。

脇中はこんな例をあげます。

「主治医からP薬しかない、と言われて、P薬を服用し続け、悪い結果になった後、患者がP薬の副作用や他の薬の存在を知ったり、主治医が『他の薬も効果的』と言い出したりすると、その患者はやりきれない気持ちでいっぱいになるでしょう」 

だから、「P薬により学力伸長をはかりたい」という思いが「P薬でなければ学力伸長できない」という言い方に変わらないこと、また周囲の雰囲気で主張を変えると逆に信用を失うことに、教育関係者は注意しなければならない、と脇中は主張します。

次の記事に続きます。