未来社会の道しるべ

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恵まれている者は感謝するのでなく恵まれない者を救うべきである

明らかに金持ちの家庭に生まれて、私と比較すると不幸を全く経験せずに大人になってしまった人と私が口論して、ようやくその人に「自分が恵まれている」ことを認めさせた後に、言われた言葉です。

「恵まれていることは分かっていますよ。だから感謝しています」

私は激怒しました。

「感謝だって! 誰に? 両親に? では、恵まれない人にはどうするんだ!」

 

以前の記事に書いたように、日本は「幸せな人を尊重し、不幸な人を虐げる」側面が強い国です。幸せな人が不幸な人を無視している、あるいは、不幸な人の欠点ばかりに注目しているからでしょう。「自分がその不幸な人として生まれていたら」という想像さえ一度もしたことがないのかもしれません。

記事にも書いたとおり、なにもしないでいると人間社会は、恵まれている人はさらに恵まれて、恵まれない人はさらに恵まれなくなります。日本では恵まれた成功者たちを賞賛するバカどもばかりなので、その傾向は極限まで強くなっていきます。その社会的な不公平を是正する責任は、社会道徳的に恵まれている人たちにあるべきです。

恵まれた人が、その恵まれた人生を与えてくれた家族や周囲の環境に感謝するだけでは、社会の不公平は増長される一方でしょう。社会全体での不公平と不幸をなくすためには、恵まれた者は自分の境遇に感謝なんてしている場合ではなく、「その恵まれた環境に入れなかった人、あるいは、はじかれた人はどうすればいいのか」を考え、実行すべきでしょう。

誰かが恵まれた人生を送れているとしたら、それは家族や近い人たちだけのおかげではありません。その人の属する社会全体によって、幸せな人生を送れています。だから、その社会に不幸な人が一人でもいるなら、まず不幸な人たちを救うように、恵まれている者は多少の不利益を引き受けなければいけないはずです(道徳的責任をとらなければいけないはずです)。最低でも、そうすべきとの意識を持たなければいけないと私は考えます。