「私が日本の最も嫌うところ」に書いた通り、タイトルのような考えを私は持っています。
だから、先日、「私は殺人なんかしません」と言った患者さんに、私は反論しました。
私「殺人したくない、なら分かりますが、殺人しないと断言できる人はいないはずです」
患者さん「いえ、私は絶対しません」
私「その根拠はなんですか?」
患者さん「しないからです。先生はすると思っているんですか?」
私「もちろん、殺人なんてしたくはありませんが、してしまう可能性はあります。あなたは自分をそんな立派な人間だと思っているんですか?」
患者さん「立派な人間だとは思っていませんが、殺人をしないくらいの人間だとは思っています」
私「殺人は自分よりくだらない人間だけがすると思っているんですか?」
患者さん「くだらないというか、どうしようもない奴がするんでしょう」
私「第二次世界大戦中、日本人は2千万人も殺しました。その日本人たちはどうしようもない奴なんですか?」
患者さん「その通りです」
私「だったら、私たちもどうしようもない奴でしょう! 遺伝的には同じですよ!」
「家族がいなくなった日」(今田たま著、ぶんか社)というマンガを読んだ時も、同じ理由で腹立たしくなりました。
誰だって、殺人被害者にはなりたくないですが、なってしまう可能性はあります。
これは当たり前のことです。まして被害者(著者の父)はパチンコ屋の雇われ店長です。ギャンブルから利益を得ている奴です。逆恨みなどで殺される可能性は一般人よりも高くなります。
にもかかわず、父を溺愛する著者は父が殺された事実を全く受け入れようとしません。本を読む限り、たとえ殺人でなかったとしても、どんな死因であれ、この著者は父の死を受け入れなかったでしょう。
全ての人は必ず死にます。生まれた時から、そんなことは知っているはずです。
「死んでも全く悲しまない家族を持っている人の方がよほどかわいそうではないのですか? あたなは『死んで悲しむ家族を持つ人生』と『死んでも悲しまない家族を持つ人生』のどちらを送りたいですか?」と著者に言いたいです。
さらに腹立たしいのは、著者(被害者家族)が加害者への死刑(殺人)要求に全く迷いがないことです。
「犯人は死刑にできないんでしょ!」
「犯人も犯人家族も、この先、楽な人生なんか送らせない!」
「犯人に謝られても不愉快なだけだ」
単に被害者家族になっただけで、こんな道徳に反する思考を堂々と本で書く正当性があると著者は信じているようです。社会から排除されるべき者はどっちなのか、とすら私は考えます。
おそらく、この著者は「自分が殺人被害者にならない」と信じていただけでなく、「自分が殺人加害者にならない」と信じ切っているのでしょう。
もっとも、この殺人犯の家族も道徳的に愚かなところが確かにあります。被害者が店長のパチンコ店に加害者は以前勤めていたのに「自分たちの息子が関わっているとは全く思わなかった」と加害者家族は裁判で答えたそうです。「思いたくなかった」なら分かります。「思わなかった」ならバカですが、まだ許される余地はあるかもしれません。「全く思わなかった」なら、その時点で刑罰を科されていいほどの罪があると私は考えます。
どこまでも愚かです。こんなマンガがamazonで絶賛されている日本に失望します。