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佐世保小6女児同級生殺害事件はどうすれば防げたのか

次の記事に書くように、犯人の小6生のインターネット使用を制御できていれば、防げた可能性は高いと私は考えています。ただし、こういった殺人事件は一定の確率で起こるとも考えるべきでしょう。

私はこれまでの犯罪記事で「家庭支援相談員」の必要性を訴えてきましたが、その家庭支援相談員がいたとしても、この事件は防げなかったはずです。犯人の小6生が家庭支援相談員に友だちへの悪意を話すとは考えにくいからです。

佐世保小6女児同級生殺害事件は、端的にいえば、オタク少女が人気者の優等生少女をひがんで、殺してしまった事件です。「謝るなら、いつでもおいで」(川名荘志著、新潮文庫)によると、保護した児童相談所は犯人の症状を「普通の子」として整理しています。接見した弁護士も「異常という印象はどこにもありませんでした。精神鑑定の必要性なんて、感じる要素は何もなかった」と言っています。殺人事件のきっかけになった騒動も、「川名荘志ごときが一流新聞記者になれてしまう国」で書いたNEXT事件のように、「どこにでもある子どものけんか。常軌を逸したレベルではない」と捜査関係者が言っています。被害者の父である御手洗は犯人を娘の友だちと思っていましたし、被害者の兄は犯人を「良い子でした」と言っています。小学校5年生の時の担任は犯人について、「彼女に感情の起伏はあったんですが、すぐにカッとする子は他にもいました。『この子だからやった』という話ではないと思うんです」と取材に答えています。

家庭裁判所の通知は「両親の少女(犯人)に対する目配りが十分でなく、両親の監護養育態度は少女の資質向上の問題に影響を与えている」「(親の)情緒的な働きかけは十分でなく、おとなしく手のかからない子であるとして問題性を見過ごしていた」と犯人の親を非難していますが、犯人の親は「娘は夜泣きもしませんでしたし、手はかからなかったかもしれません。でも、放っておいたことはありません」と取材で強く反論したそうです。

この父はワンマンで、犯人の娘へのしつけは厳しかったそうです。そんな父にとって「目配りが十分でない」との指摘は心外だったのでしょう。しかし、川名の取材不足のせいで不明ですが、表面上の立ち居振る舞いや礼儀正しさ(性格)を重視して、倫理や道徳などの内面を軽視していたところは犯人の父の教育にあったと私は推測します。だから、裁判所の通知は誤解を生みやすいので不適切だと思いますが、父(や母)の子育てに問題があったとの指摘はある程度、妥当だったのではないでしょうか。

とはいえ、「三菱銀行人質事件」や「土浦連続殺傷事件」と比べると、この犯人の父(や母)の責任は極めて小さいでしょう。この父は娘(犯人)の出生と同じころに脳梗塞になって、体が不自由になり、転職を余儀なくされ、母も共働きになっていました。おしぼりの配達の仕事を終えて父が帰ってくると、夜の10時頃だったそうです。この父母に子どもへの目配りを一般の親以上に要求するのは不当でしょう。

被害者の少女と加害者の少女はともに、殺人事件の原因となるいざこざについて親に一切語っておらず、被害者の親も加害者の親も殺人事件が起こることを全く予期していませんでした。被害者の新聞記者の家庭と比べて、加害者の家庭の教育が特別に劣っていたとまでは考えられません。

捜査関係者が言うように、この殺人事件の原因は「どこにでもある子どものケンカ」です。しかし、大人と比べて世界が狭い子どもにとって、それだけで相手を殺したくなるほど憎むことはよくあります。本では何度も「子ども同士のいさかいと、人を殺めることの間には、やはり圧倒的に高いハードルがある」「でも実際に人を殺すということはたやすいことではありません」「面会のときにみせる冷静沈着な様子と、事件でやったことの異常性の間には、非常に大きな心の起伏がある」といった表現があります。まるで殺人事件は、倫理観の崩壊した異常な人間でしか起こせないような書き方です。「私が日本の最も嫌うところ」で批判した弁護士のような人間観です。

犯人少女と接見した弁護士は「全く正常に見えました」と断言して、記者から「では、なぜそんな子が事件を起こしたのか」と聞かれると、上記のような人間観なので「そうですよねえ」と言って、黙ってしまったそうです。私なら「どんな人でも殺人を犯してしまう可能性はあります。あなたは自分が絶対に殺人を犯さない人間だと思っているんですか? 殺人を犯す人物は自分とは別の人種だとでも考えているんですか?」と言い返しています。

毎日新聞が全国の小学校6年生担任に実施したアンケートでは、過半数をはるかに超える教師が「自分のクラスでも同様の事件が起こりかねない」と回答しています。私も同意見なので、「自分の子どもが同級生に殺されたら」で、加害者側も被害者だと書きました。

「どんな人でも殺人者になりえる」と似たような人間観を「教誨師」(堀川恵子著、講談社)の著者も述べています。それについては「人間誰しも悪魔のささやきに身を委ねる機会がある」の記事で書くつもりです。

ところで、弁護士は「精神鑑定は必要ない」と言っておきながら、現実には犯人の少女は精神鑑定を受けさせられて、しかも「軽度の発達障害」と診断されて、送られた少年院で改めて発達障害と診断を受けます。

これが誤診である根拠を次の記事に書きます。