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反省していた犯罪者を開き直らせた検察の不正義

前回の記事の続きです。

熊谷男女4人殺傷事件の尾形が裁判後に開き直った最大の理由は、警察や検察や裁判官の不正義です。

日本では自白が作られる」に示した通り、本当に残念ですが、日本の検察は調書を捜査側の好きなように作成します。この事件で、尾形の調書の最後のページは署名以外、差し換えられたと尾形は主張しています。さらに、共犯のマキは「事実と違うことは分かっていたけど、無理やりサイン・指印された」と裁判で言っています。「絞首刑」(青木理著、講談社文庫)によると、尾形の言う通り、調書の差し換えは事実だろうと弁護人も考えていますし、私も事実と推定します。尾形の人間性や犯罪はともかく、正義を体現すべき警察や検察がこんな卑怯な手法を使うことは許されません。

尾形が我慢できない不正義はもう一つあります。

犯行時、泥酔状態だった尾形は二度精神鑑定を受けています。一度目は裁判所が認定した医師で、一人目殺害時の責任能力が著しく低下していたと判断しました。また、尾形は自分にとって不利になることも全て話しているため、その医師は調書よりも尾形の言うことの方が信用できると証言しています。

二度目の精神鑑定は検事が推薦した医師により行われます。この医師はろくに尾形から話を聞かず、調書を参考に鑑定書を作成しました。理性的に考えれば最初の鑑定が正しいことは明らかなのに、裁判官は二度目の鑑定を採用します。尾形の罰を重くしたいために、よりおかしな鑑定書が正しいと認定したのです。

刑事事件の精神鑑定がいかにいいかげんかは、これからの記事でも書いていくつもりです。

繰り返しになりますが、尾形は事件後、死刑も受け入れるつもりでしたし、反省もしていました。しかし、上記の2つの不正義に憤激し、「死ぬかわりに、反省もしない!」と考えを変えました。これは検察捜査および裁判の失敗と断定していいでしょう。

ところで、上記の「絞首刑」の記述には疑問を呈したい部分があります。尾形の犯罪の凶悪性を認める一方で、被害者たちがまるで善人かのように書かれていることです。しかし、尾形に殺された一人は風俗店の店長ですし、もう一人はそこで働く風俗嬢です。尾形に車で連れまわされた残り二人のうち、一人はやはり同じ店の風俗嬢で、もう一人は殺された風俗嬢の友だちで「飲食店勤務」だそうです。少なくとも私の価値観では、社会的に立派な人たちではありません。

生き残った女性二人は裁判で次のように訴えています。

「私はあなたにかけがえのない友だちを奪われた。あの子の代わりに私が死ねば良かったのかもと思った日もあります」

「あなたが死刑になったとしても亡くした者は返ってこないけど、死をもって罪を償う義務がある。人の人生をメチャクチャにして二人の将来を奪った。あなたの将来も奪われて当然です」

「傷が痛むたびに、思い出したくないのに、事件の時のことが、一コマ一コマ思い出されてしまいます。私は尾形がこの世にいる限り恨み続けるでしょう。私が望む刑は死刑だけです」

普通に考えれば分かると思いますが、これらは水商売の被害者たちから自然に出た言葉ではありません。90%くらい、検察の作文だと思われます。こんな表層的な言葉を裁判で並べられても、私だったらバカらしくなるだけかもしれません。

尾形の手紙からの抜粋です。

 

他の死刑囚を見ると、本当に殺人をやった人なのかと疑えるほど普通の人です。俺はぐれ始めてから、ヤクザやその他のアウトローを社会や少年院、刑務所で数多く見てきましたが、それらの人たちと比べてもかなり気の弱く大人しい印象です。

どのような事件を起こしたのか知りませんが、いろいろな理由により精神状態が乱れ、普段ならまともに判断できることができなかっただけなのだと思います。

だから、誰にでも死刑囚になる可能性はあると思います。

本当に心から反省している死刑囚を執行することで罪を償うことになるのでしょうか。罪を背負って生きていくことが、本当の意味での償いになるのではないでしょうか。

被害者や遺族の感情は、自分で犯人を殺したいと思うのが普通だと思います。しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きて来た世界と同じです。

ほとんどの死刑囚は毎日反省し、被害者のことを真剣に考えています。そういう人たちを抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?

 

尾形の人間性は極めて悪く、その更生は難しく、犯した罪は重い、と私は考えています。死刑はともかくとして、尾形への極刑に私は賛成します。それはそれとして、尾形の意見には賛成したい部分もあります。

もう一つ尾形の手紙を紹介します。

 

一般の人は信じないと思うけど、今の刑事は事件のでっちあげも日常的にやっているし、ましては調書の改ざんなんて当たり前にやっているのです。

だけど無実を訴えても今の裁判では無罪になることはないし、たとえ無罪を勝ち取っても年月がかかりすぎるから、懲役に行った方が早く出られるので皆、我慢しているのです。

俺の殺人などは事実ですが、事件の内容はかなりでっち上げなのです。だから俺は100%無罪の死刑囚は何人もいると思っています。

 

あってはならないことですが、無実の死刑囚がいるのは事実です。再審で無実が認められたケースもあります。次の記事からは冤罪事件を取り上げます。