【医師としての特徴】
総合医としての素養を持つ精神科医です。病気を治すだけでなく、人生を治します。医学的側面だけでなく、社会的側面にも注目します。
保険診療で減薬治療を行います。現在、減薬治療はほとんど自費診療なので、全国的にも貴重です。日本は国際麻薬統制委員会から名指しで指摘されるほどのベンゾジアゼピン系薬の大量使用国です。薬害を治すことが、私にできる価値ある仕事だと考えています。
【患者さんに伝えたいこと】
当たり前のことですが、性格は薬で治りません。精神科医だけが持てる特別なカウンセリング技法もありません。
重度の統合失調症の人でも、自由意思があることを知っています。精神疾患の治療には、本人の努力も重要であることを認識してほしいです。
私は毒親育ちで、友だちもいません。10代後半は毎日、毎時間、毎分、毎秒、自殺を考えていて、発狂しそうでした(あるいは発狂していました)。17才の頃に「自分の人生が今後どんなにプラスになっても、これまでのマイナスの蓄積を0に戻せるほどのプラスになることは絶対ない」と確信して、その考えは現在まで一度も間違っていると思ったことがありません。20代の10年間、楽しい思い出は一切なく、後悔しかありません。親ガチャという流行語が示すように、この国では親に恵まれないと、恵まれた人には想像できないほどの一生続くハンデがあります。私のように親に死んでほしい医者に会ったことは全くありませんし、ブラック企業で同僚と「いつ辞めるか」の話ばかりしていた経験のある医者も、私以外に知りません。看護師なら、たまに会います。もちろん、自殺予防電話番号はかける人が多いため、夜中の2時にかけても、つながらなかった経験は、私も持っています。
そんな私が医者になれたのは、もがき苦しむような努力と、バカにされても倫理観を持ち続けたことと、カナダでの経験でしょう。患者さんにそんな話をすることもあります。
【精神科について】
精神科ほど、藪医者が多い科は存在しないはずです。
私が他の精神科医より優れていることがあるとしたら、精神科が医学の中で最も非科学的であると認識していることでしょう。精神科診断には、どうしても曖昧なところがあります。現在、とりわけひどいのは自閉症スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害で、過剰診断が生じている問題は私も知っています。そもそも精神科の疾患を特定することに、それほど意味がない場合があることも知っています。
一方で、精神の問題でも、科学的に断定できることは無数にあります。「精神科医は統合失調症患者を直観で(プレコックス感で)診断できる」は科学的に否定されていますし、「フロイト学説は非科学的である」ことは結論がほぼ出ていますし、「日本人を対象にした科学的に客観性を証明された知能テスト(IQテスト)は存在しない」ことも事実です。
精神科の限界を把握しながら、心の問題に、できるだけ科学的に対応する機関は社会に必要だと私は考えます。
「4週間以上の使用は避けるべきと国際的に推奨されているのに、ベンゾジアゼピン系睡眠薬を1年以上も使用しているので、依存症になっている可能性が高いです」「お金を自分で使えており、借金取りに追われているわけでもないので、金銭管理能力は明らかにあります。残念ながら、患者さんからのクレームを恐れて、障害者申請書に事実よりも症状を重く書く精神科医もいます」ということは正直に言います。それにより患者さんにショックを与えるだろうことは私も十分承知していますが、医師として事実を伝えないわけにはいかず、かつ、そういった事実に向き合わない限り、精神疾患が改善していかない場合が多いからです。
2年前、私は愛知県の命令で、現在暮らす市の公立病院に赴任してきました。その市には、約20年間、常勤の精神科医は一人もいませんでした。公立病院にいる3名の精神科医は全員非常勤でした。精神科クリニックは市に一つもなく、公立病院精神科だけに精神科医がいました。だからこそ、「精神科医師不足」の地域であり」、地域枠医師の私が派遣されたわけです。
その市には、名古屋市同様、全ての世帯に無料で配る公式パンフレットがありました。そこに私の自己紹介文を載せる、というので、上のような文を書いたら、案の定、全く違う文にされ、それが載りました。
(確かに、日本なら、市の公式パンフレットにこの内容は載せづらいだろう。しかし、この自己紹介文を無視することは、本当に不幸な市民を無視することにつながる、とどれくらいの公務員が気づいているのだろうか)
仕方なく、しかるべき精神患者さん一人ひとりに診察中、上の自己紹介文、特に黒字部分(患者さんに渡す用紙だと黒字ではありません)を読んで渡していました。私のパワハラ冤罪を訴える署名は、3週間程度で91名から得られました。それが実現できた理由の大きな一つは、上の自己紹介文にあったはずです。