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光市母子殺害事件の一審・二審の弁護人の罪

光市母子殺害事件での罵倒報道批判」の記事に書いた通り、光市母子殺害事件の報道は、「この差戻控訴審の裁判中、同じような傾向の番組が、放送局も番組も制作スタッフもちがうのに、いっせいに放送され、その場の勢いで、感情的に反応し、他でやっているから自分でもやる、さらに輪をかけて大袈裟にやる、という集団的過剰同調」がBPOで指摘されるほど、ひどいものでした。さらにひどいことには、BPOがそう指摘したにもかかわらず、当時の情報および認識が修正されることもなく、その後も現在に至るまで福田や弁護団への罵倒が続いていることです。

差戻控訴中の情報および認識は「福田は死刑を免れるため、被害者や被害者遺族を侮辱する荒唐無稽なウソを並べたてた」であり、さらにひどい場合、「死刑廃止派の弁護士が荒唐無稽なウソを作り出し、福田に言わせた」といった解釈まであります。

それを今も信じている人は、司法試験に受かった弁護士たちがあんな荒唐無稽な話を思いついたと本気で考えているのでしょうか。また、福田が死刑になりそうになってから突然荒唐無稽な話を始めたのではなく、一審前に福田が「母のいた部屋の押入れに隠れていた。僕にとっての押入れとは、困ったときに助けてくれるドラえもんがいる場所でもあるし、『ライオンと魔女』に出てくる別世界への門があるところ(注:ライオンと魔女への別世界への門は押入れではなく衣装ダンス)。ワープするように別世界に行きたいと思ったときは、押入れに入った」と言った鑑定記録が残っていることも知っているでしょうか。さらに、捜査段階の自白調書でさえ「勾留期間のときの裁判官がドラえもんに出てくるのび太みたいな感じだった」と、通常、捜査官が作成する書類には、あり得ない記載があることも知っているでしょうか。さらに、福田は裁判の途中から急に強姦を否定したのではなく、家庭裁判所の鑑別記録の時から「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」と主張して、裁判で何回も強姦を否定していた事実を知っているのでしょうか。

ここで改めて、裁判の流れを確認します。一審の中光弘治弁護士と二審の定者吉人主任弁護士と山口格之弁護士は、福田の自白調書を事実と認めてしまいました。弁護側は事実認定で争わず、裁判で福田の反省の意思を示して、情状酌量を求めました。いわゆる「土下座裁判」です。

しかし、自白調書は他の証拠と照らし合わせると、明らかにおかしいところがいくつもありました。上告後の弁護団の一人の今枝は自著で「家裁送致段階での少年記録をきちんと見れば、自白調書の証拠能力を争わなければならないことは、通常の刑事弁護人が見れば明らかだったはずだ」と述べています。弁護団の安田も「AERA」(2008年4月28日号)で「福田くんに事実を聞いていない。これはあまり言いたくないが、弁護過誤だった」と述べています。私も一審と二審は弁護過誤だと考えます。

光市母子殺害事件が極刑になった大きな理由の一つに、犯罪の計画性があります。最高裁は「殺人の計画性はなかったとしても、強姦の計画性はあったのだから、死刑を回避できない」と決めてしまいました。しかし、この事件で強姦の計画性すら認めるのはほぼ不可能です。「美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたいと思い、個別訪問した」とすると、自白調書以外の事実と矛盾してしまいます。

犯行日、福田は仕事をさぼって、暇な時間ができてしまいました。福田はアパートを回り、チャイムを押して、インターフォンで「排水検査に来ました。トイレの水を流してください」と要求し、その通りに水を流した女性がドアを開けても誰もいません。福田は犯行前に、そういったことを何件もしていました。福田が強姦相手を探して個別訪問していたのなら、女性がドアを開けた時、福田がいなかった事実と矛盾します。しかも、その時に対応した女性の調書によると、「なにを言っているのか分からない」「声が全然聞こえない」「この人、大丈夫なのか」と思ったと述べています。これから強姦しようとする人物に対する感想ではないでしょう。

他にも、福田は犯行前に友だちと会って、午後にはその友だちと再び会う約束をして、個別訪問時も待ち合わせ場所に少しずつ近づいていたので強姦に計画性があったとは思えないだとか、自白調書は問題だらけです。

自白調書を事実と認めた一審と二審の弁護士たちを、上告後の弁護団が批判するのは当然です。「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)では、一審の中光弁護士が次のように取材拒否したと書かれています。

 

2008年6月15日、私は中光弁護士の話を聞くため、自宅を訪れた。しかし、守秘義務を理由に門前払いされた。その後も、何度も事務所に電話したり、手紙を書いたりしたが、電話は中光弁護士に取り次がれず、手紙の返事は来なかった。

8月9日の面会で、福田くんに尋ねてみた。

増田「中光さんは、福田君の不利益にならないように、取材拒否しているのかな」

福田「いや、中光先生が取材に応じてくれる方が僕には利益になるんだよ。中光先生は付添人として、少年鑑別所からついていてくれたんだけど、今の弁護団が言うには、どういう活動をしているのか僕に報告する義務があったんだ。でも、中光先生はそういうこと、一切してくれなかった。中光先生はヤメ検だから、検察官と相談して、ある程度、裁判の方向性を決めていたんじゃないかって話もあるくらいだよ」

数時間後、私は中光弁護士の事務所をアポなしで訪れた。中光弁護士はしっしっと虫でも追い払うような手ぶりをしながら、素早く奥の席へ移動し、自分の姿が見えないようにしてから、私を罵倒しはじめた。

中光「論外。帰ってください」

中光「非常識でしょ」

中光「あなたの論理とつき合う時間ももったいない」

直前に福田君と面会し、「中光先生が取材に応じてくれた方が、僕には利益になる」と言われたことを伝えても、「その取材は、私とは関係がないでしょ」と切り捨てられた。

中光弁護士が「警察呼びますよ。面会の強要です。刑法でいうと、あなたがやっていることは強要罪です」と言うので、私は「そのように書かせていただきます」と応じた。中光弁護士は「私が今、言ったことは同意しません」と怒鳴っていたが、私は「失礼します」と事務所を出た。

 

同じ本では二審の定者弁護士と山口弁護士も取材を断固拒否しています。定者弁護士事務所に電話しても女性事務員の段階で取材拒否を言い渡され、「定者弁護士と話すこともできませんか?」と食い下がっても、弁護士本人に取り次いでくれません。増田が手紙を定者弁護士事務所までわざわざ持っていって「読んでもらいたいです」と渡しても、3日後に電話すると「中身を読まずにそのまま送り返しました」と女性事務員に言われています。山口弁護士(取材時は裁判官)からも「まずは主任弁護士だった定者先生に聞いてください」と言われ、定者が取材拒否したことを伝えると、「それならなおさら答えられません」とニベもありません。

結果として、一審・二審で事実と認めた自白調書は、上告後に弁護団が反論したものの、一部が事実と異なると認められただけで、死刑判決を覆すほどではないとして、原則、事実であると認められています。

しかし、上告後の新供述が自白調書よりも真実に近いことは、事件の情報をある程度収集すれば、分かるはずです。このように間違った事実が裁判で認められた最大の責任が、一審と二審の弁護士たちにあるのは間違いありません。しかし、「光市事件裁判を考える」(現代人文社編集部著、現代人文社)という本では、上告後の弁護団の一人の村上満宏弁護士が「弁護士だったら、そういう手段(自白調書を事実として認め、土下座裁判にする)を取る人がやっぱり多いと思います」と一審・二審の弁護士たちを擁護しています。

一般的に、被告人が自白調書を裁判で否定すると、「反省していない」として、刑を重くする傾向があります。この事件で量刑に最も影響する母子の殺害事実について、福田は一貫して認めているので、殺害方法や計画性などの細かい事実については争わず、反省の意思の表明した方がいい、と普通の弁護士なら考えてしまうようです。

少しでも光市母子殺害事件について調べた人なら知っているでしょうが、2人殺害で、初犯で、しかも犯行時18才で、死刑になるなど、当時の判例からありえませんでした。いわゆる永山基準が1983年にできて以降、未成年で死刑となったのは、永山事件と同じく4名を殺した市川一家4人殺害事件だけです。それまで4名基準であったのなら、3名ならまだしも、2名で死刑になると普通なら考えません。

日本の刑事裁判では弁護人も被告の敵になる」に書いたように、日本の刑事裁判では99%以上が有罪です。そのため、刑事裁判の弁護士の意欲は極めて低くなっています。一審・二審の弁護士たちは自白調書とそれ以外の証拠をろくに精査しなかったのでしょう。光市母子殺害事件は、誰がどう弁護しても、福田が無期懲役になることは裁判前から決まっているようなものだったからです。

一審で無期懲役となった後、遺族は「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」と記者会見で言っています。つまり、判決に全く納得していない遺族でも、控訴、上告しても無期懲役が覆らないと、十分知っていたのです。

しかし、現実に判決が覆り、福田は死刑になりました。その経緯を次の記事で示します。