未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

光市母子殺害事件はどう処理すべきだったのか

前回までの記事の続きです。

本題から逸れて総論になりますが、私も日本の刑法の厳罰化には賛成であることをここで述べておきます。ただし、「死刑よりも反省し、被害者に償うべき」と考えているので、死刑はなくすべきと考えています。

少しでも「厳罰化」について調べた人なら知っているでしょうが、「他国と比べて日本の刑罰が軽い」と言われる時、論点となっているのは死刑ではありません。ほとんどの先進国は死刑を既に廃止しており、死刑に注目されると、むしろ「他国と比べて日本の刑罰は重い」になってしまいます。厳罰化で論点になるのは、懲役刑です。日本だと有期懲役だと最長で30年しかないこと、無期懲役でも30年ほどで仮釈放(刑務所から出て一般社会に戻れる)となる場合があること、終身刑がないこと(実質的な終身刑はある)、などが問題視されています。アメリカなどでは複数殺人になると、懲役200年以上などがありえます。服役後の模範的な態度で懲役年数が短くなったくらいでは、事実上の終身刑が覆られないほどの長期刑です。

光市母子殺害事件の一連の記事の結論として、福田は2009年の時点で再犯しない程度に反省している、と私は考えません。暴力性と女性観の点で、大きな問題があると考えます。2名の殺人犯であることを考えると、極刑には賛成します。ただし、福田が将来にわたって、反省できないと断定するのは行き過ぎだろうと推測します。本来の問題点を指摘して、反省を促すべきと考えます。

また、裁判で新供述が嘘だと断定されたのは不公平、もっと言えば、許されない不正義だと考えます。「光市母子殺害事件での罵倒報道批判」にも書いたように、極刑であろうと、被告の主張が理性的に妥当であれば、それは適切に認めるべきだからです。そこを屁理屈で捻じ曲げたられたら、被告は裁判を恨むだけでなく、犯罪そのものも反省しなくなってしまいます。被告が再犯する確率を高めますし、たとえ死刑であっても、この社会の理不尽さを憎みながら人生を終えてしまうでしょう。それは本人および社会にとって好ましくはないはずです。

ここまで書いてきたように、検察は「生きて償いなさい」と自白を迫りながら、死刑を求刑したり、検察の捏造を疑わせる福田の不謹慎な手紙を公開したりするなど、正義に反する行為を何度もしています。福田の性格を考えれば、検察の強圧的な誘導で、自白調書ができた可能性は濃厚です。他の証拠と矛盾がいくつも生じているのに、「強姦の計画性はある」とこじつけたいがために、自白調書を原則事実と認めるのは、かなり無理があります。判決は死刑でいいとしても、「ただし、強姦の計画性を認めるのは難しい。自白調書が他の証拠と矛盾するところが多いのは事実である。精神的に幼い18才時の被告が、初めて出会った警察や検察の誘導により、自白調書が作成された可能性は高い」と理性的に認めるべきです。

私が考える福田への妥当な刑罰は、やはり懲役刑です。何年の懲役が妥当かは判断が難しいですが、他の犯罪の刑罰と比較すれば懲役30年くらいになるでしょう。ただし、福田の懲役が何年であっても、福田が十分に更生していなければ、懲役期間が延長されるべきと私は考えます。次の記事に書くように、私は懲役がたとえ1年であっても、受刑者が更生していなければ、延長されるべきだと考えています。そうすれば、今回の事件のように、理性的に考えれば強姦の計画性が認められないのに、罰を重くするためだけに、事実を捻じ曲げることもなくなります。

福田が更生すれば、つまり福田の暴力性や爆発性や女性観が矯正されたと科学的に証明できれば、仮釈放してもいいと思います。もっとも、そんなことが科学的に証明できるエビデンスは現状ありません。そのエビデンスがないままなら、あるいはエビデンスがあっても福田がその条件を満たさないなら、終身刑が妥当だと考えます。