未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

好むと好まざると中国経済の影響を受ける日本

中国人が旅行中に高級品を買い漁る「爆買い」という言葉が2015年に流行語大賞をとりました。この「爆買い」のように、日本人が好むと好まざるにかかわらず、いまだ成長の止まらない中国から受ける影響力はしばらく増え続けます。

隣国に経済大国が誕生しているのですから、中国と好ましい関係を築いて、その経済成長の恩恵を受けたい、と思うのは自然でしょう。しかし今現在、日本人が中国人とつきあいやすくなったと私は特に思いませんし、中国貿易から利益をあげているわけでもなく、むしろ、日本の大幅な貿易赤字です(もっとも、大量に輸入するからには、それだけのメリットが日本にあるわけで、1980年代のアメリカの日本批判のように、日本が貿易赤字を理由に中国批判すべきとは全く思いません)。

私も中国に住んだ経験があるので、中国人と理性的な関係を築くのが難しいのは知っています。それでも上に書いたように、好き嫌いはともかく、中国経済が日本に与える影響は増え続けるので、中国人を日本人嫌いにさせて得することはないでしょう。

中国経済が急激に成長して日本を抜き、アメリカを抜いて世界最大の経済大国になることは、20年以上前には分かりきっていることでした。10年ほど前には「中国の発展は脅威ではなくチャンス」と広言していた日本の首相もいましたが、その小泉首相自身が中国との関係を悪化させる、という言行不一致の外交政策をとっていました。彼には彼なりの信念があったのは知っていますが、「経済発展は歓迎するものの、政治的に対立する」ことは対中国外交として好ましいと思えません。

政治的な対立に限らず、民間交流でも日本人が中国人から尊敬されない側面はあります。上海に住んだことのある日本人なら皆知っていることですが、その側面の一つを「上海のピンクレディー」の記事で紹介しています。

21世紀に大戦争が起こる可能性

アラブの春が起こっても、中東での民主化が一気に進むという夢は実現しませんでした。友人のイスラエル人にその理由を聞くと、こんな答えが返ってきました。

フランス革命後にフランスで一気に民主化が進んだわけではない。独裁者が出たり、王政が復活したり、戦争したりして、民主政治が定着するまでに100年、150年とかかっている。日本だって、明治維新で民主政治が一度に定着したわけじゃないだろう? アラブも同じだ」

世界中のほとんどの国では、民主化の進展にともなって社会に混乱が生じています。その混乱はしばしば暴力を伴って、場合によっては内戦を生み、ひどい時には他国との戦争にも繋がっています。産業革命以降の世界史を俯瞰すれば、帝国主義国家の民主化の進展に伴う最大の混乱が第一次世界大戦第二次世界大戦であった、とも考えられるでしょう。

21世紀には、世界人口のほとんどを占める発展途上国が文字通りに経済発展します。それに伴い民主化も進展していき、大なり小なり混乱も生じるに違いありません。私として期待するのは、それらの混乱ができるだけ暴力手段によらずに解決することです(軍事国家であれば実現不可能に近い理想とは分かっていますが)。また、日本人として心配することは、それらの混乱が他国との戦争に繋がらないか、という点、特に中国やインドといった経済大国が大戦争を勃発させないか、という点です。

もちろん、中国やインドは帝国主義国家ではなく、むしろ帝国主義国家を敵視しています。また、第二次大戦後に半世紀近くも冷戦が続きましたが、冷戦はついに大戦争にならずに人類は世界を二つに分けた対立を終結させています。21世紀には人の命の価値は極めて尊重されており、それを大量に失ってまで守るべきものや概念など存在しないと、道徳的にも、経済的にも分かりきっている、とも思います。

ただし、上記のように21世紀に世界での存在感が劇的に増す発展途上国で社会の混乱が生じるのは必然でしょうし、それらの国が現在の先進国の経済発展期と同じような過ちを犯す可能性はゼロでない、と私は思います。現在の発展途上国は、かつての先進国よりも急激な経済成長を遂げており、極めて保守的な人権感覚の人たちがいまだ現役世代でいます。当然、政治家にもいます。中国やインドの民衆も、20世紀の冷戦時代のアメリカやソ連の民衆より進んだ人権意識を持っている側面もある一方で、遅れた人権意識を持っている側面も確実にあると私は思います。

21世紀を大局的に見る

世界の人口の大部分を占める発展途上国は、20世紀までは後進国と呼ぶのが適切だったのでしょうが、現在は文字通りに爆発的に発展しています。産業革命の恩恵を一気に獲得している人たちが地球規模で何十億もいるのと対照的に、先進国の発展は停滞しています。19世紀、20世紀は先進国さえ見ていれば世界全体の動きが分かる時代でしたが、21世紀はそうではありません。21世紀は地球規模での人類史上最大の変化が起こり、自然環境破壊がこれまで以上に注目されるでしょうが、それらの問題の中心は全て発展途上国にあり、先進国ではありません。経済問題、環境問題を筆頭に、21世紀は否応なく、これまで後進国だった世界人口の大多数の国家群に、先進国家群が適切に対応することを求められます。

21世紀がこのような時代になることは、わざわざ私ごときが書くまでもないかもしれません。ただし、多くの人がまだ上記のような時代の流れに気づいていないようにも思います。「中国やインドが21世紀中にGDPで世界の1位と2位になる」ことは分かっていても、中国やインドの世界への影響力が強くなることまでは想像できていない、としか思えない知識人もいます。発展途上国と先進国の経済成長率の差を比べれば、世界中で一人あたりの経済格差が縮小に向かうのは必然です。当然、現在の発展途上国家群は、世界での存在感が大きくなっていきます。環境問題が深刻化してくると、その途中で惨憺たる悲劇が生じないとは断言できないはずです。それにもかかわらず、数十億人の発展途上国家群の経済成長に対応するための解決策や方法論を、少なくとも私は聞いたことがありません。

いつまでも先進国家群が世界を動かすとの幻想を捨てて、まずは上のような簡単な未来予想をして、手遅れにならないうちに問題を正しく把握して、適切な解決法を考えてみるべきでしょう。

変化のスピードが恐ろしく遅い時代

18世紀末に始まった産業革命は有史以来最高の急激な変化を世界中にもたらしています。いち早く産業革命を達成した一部の国家群は20世紀まで、良くも悪くも世界全体を動かしていました。ついに21世紀には先進国だけでなく、世界中のほぼ全ての国に産業革命の恩恵がいきわたります。地球規模で見れば、21世紀が世界史上最高に変化に富んだ時代になることは間違いありません。必然的に、その弊害も地球規模になるので、環境問題は過去最高に重要になってきます。

以上のことは、教養のある人なら、みんな知っていることです。一方で、地球規模の劇的な変化から取り残されている国もいくつかあります。既に産業革命の恩恵を十分に受けてきた先進国です。中でも停滞が目立つ国は日本です。もうすぐ30周年を迎える「失われた20年」継続中の日本は、驚くほどに変化の乏しい国になっています。これも教養のある日本人なら常識にしておいてほしいのですが、「激動の時代の今」「変化のスピードがますます速くなる時代」などという文言を日本でうっかり使ってしまう「知識人」は後を絶ちません。

変化のスピードが最も速い時代は、産業革命導入期です。日本なら明治維新期です。政治面、文化面、経済面、その他のあらゆる側面を考慮しても、明治維新期は、日本史上最大の劇的な変化が起きた時代です。それ以降もGHQの改革期までは激動期が続きますが、高度経済成長期になれば、政治は変化の乏しい時代になります。日本が全ての面において決定的な停滞期に入ったのはバブル崩壊後であるのは周知の通りです。

産業革命による急速な経済発展が限界に近づいてきたのは、理論的にも現実にも、先頭集団からです。アメリカでは1960年代、ヨーロッパでも1973年のオイルショック後には停滞期に入っていました。しかし、幸か不幸か、日本はオイルショック後でも、就業人口の大幅な増加は続いており、バブル期まで経済を発展させていましたが、そこが限界でした。

とはいえ、急速な経済発展が終わったものの、そこで経済成長が完全に止まったわけではありません。日本の失われた20年間中も、家電や車のエコ化は進みましたし、PCや携帯電話は普及しました。しかし、その程度です。私の父母の世代から、子どもの頃はテレビも冷蔵庫も洗濯機もなかった、という話を聞くと、自分の生きる時代がいかに停滞しているかは嫌でも感じます。現代の少年少女世代になれば、子どもの頃からの最大の変化といえば、ガラケースマホになった程度ではないでしょうか。これを急激な変化といえば、誰だって笑うでしょう。

現在、日本を含む先進国の人が「変化が加速する時代」「テクノロジーは日進月歩で進化している」などという言葉を安易に使っていたとしたら、歴史の流れが分かっていない視野の狭い人だと考えて間違いないでしょう。19世紀の科学革新の時代と比べると科学の進歩は明らかに遅くなっていますし、20世紀の先進国での工業革命の時代と比べると工業化の進展も著しく遅くなっています。さらに書けば、変化のスピードが落ちている先進国にすら、日本は着いていけていません。退職後の人ならまだしも、現役世代にいるのに、停滞する時代の変化にすらついていけないほど頭の中が停滞している人は、産業革命の恩恵を受けるに本来値しないので、山の中で自給自足の生活でもしていてほしいです。

最低な日本人の国際感覚

「アジアを見下して、西洋を尊敬する」のは最低な日本人の国際感覚でしょう。一方で、多くの日本人が持っている感覚でもあります。

私はそれと反対の国際感覚を持つべきだと長年考えていました。今でも「アジアに敬意を払うべきだが、西洋に敬意を払う必要はない」との考えは持っていますが、このブログやこちらのブログを読んでもらえれば分かる通り、私も最低な日本人の国際感覚に近いものを持っています。例えば、西洋で庶民的な暮らしをしたいとは思っていますが、東洋の発展途上国で庶民的な暮らしはまずしたくありません。

私の国際感覚が反転した契機は、現実に、インドに旅行して、中国とカナダに1年以上住んでみたことです。反転理由を適切に説明するのは難しいですが、このブログとこちらのブログを読み続けてくれると、善意に解釈してくれる方もいるかもしれません。もっとも、私の最低な国際感覚を善意に解釈するのは間違っているようにも、私自身、思います。

日本人の美徳は国際的にも美徳である

前回の記事の続きです。

謙虚さが西洋でも通用するように、英語に敬語はありませんが、相手に敬意を示す表現は世界中のどの言語にもあります。当然、教養の高いカナダ人も頻繁に丁寧な表現を使っていますし、品のないカナダ人はスラング(俗語)ばかり使います。つまり、日本と同じです。

その昔、日本では切腹が潔い死に方として称賛されていました。切腹(harakiri)は海外の人が野蛮と批判する代表的な日本文化で、自殺を禁忌とするキリスト教徒は絶対に理解できないと思っている方もいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。例として、ロミオとジュリエットのラストシーンを思い出してください。ロミオもジュリエットも後追い自殺しています。当時も現在も、キリスト教徒たちはこの後追い自殺に感動しているのです。この自殺を美しいとまでは思っていないとしても、野蛮だとは全く考えていません。

昔読んだ能の本に「日本式芸術が最高の域に達したのは室町時代であり、それ以後現在に至るまで、芸術は世俗化(大衆化)しているだけで、質としては劣化している」と書かれていた記憶があります(その本以外で同じ意見に出会ったことはないので、一般的な見解ではなく、筆者の個人的な見解だったのでしょう)。室町時代の芸術では「幽玄」を追及しており、幽玄の代表作は竜安寺枯山水だと私は考えています。これぞ日本人にしか理解できない芸術だと長年私は考えていたのですが、竜安寺枯山水が日本で有名になったのは、イギリスのBBCが世界中に報道してからだ、と数年前に知りました。

具体例は他にもあげられますが、ともかく、日本人にしか絶対に理解できない美徳など存在しないのは間違いありません。ただし、日本人でないと理解しにくい美徳もいくらでもあるでしょうし、その具体例を無数にあげられるのも間違いありません。

「日本人の常識が世界で通用すると思うべきでない」と考えるか、あるいは、私のように「日本人の美徳は世界でも通用する」と考えるかは、人によって違うでしょう。恐らく、前者が多数派で、後者は少数派だと推測します。もし後者が多数派なら、私は日本でこんなに生きづらくなかったでしょうから。

なお、日本でこそ評価されるべき美徳のはずが、私の場合、カナダで評価された例を「私の努力や真面目さを評価してくれたカナダ人」の記事に書いています。

「西洋で謙遜は通用しない」は嘘である

外国人「あなたの英語は素晴らしいですね!」

日本人「いえいえ、私の英語なんて完璧からは程遠いです」

これは日本人(と韓国人)がよくするコミュニケーション失敗例です。西洋では、褒められた場合にまず感謝の言葉を伝えるのが礼儀なのに、感謝するどころか、それを否定しているので、これは失礼にあたります。

このように日本と西洋で礼儀作法の違いがあるのは事実です。しかし、海外では謙虚の文化がない、と考えるのは行き過ぎです。日本人の謙虚さは海外でも教養の高い方相手なら通用します。

それがよく現れていると思うのが、下のソニー盛田昭夫とABCニュースキャスターの1990年の映像です。

www.youtube.com

この動画の最後の方で、盛田は「私の見方はあなたとは違うでしょうが……」と言って、ニュースキャスターに「いえいえ、そんなことはありませんよ。ぜひ聞かせてください」と言わせています。この盛田の発言を謙虚と捉えない方もいるかもしれませんが、「私の意見など特殊でしょうが」「あなたはくだらない意見と思うでしょうが」などの意味が言外に含まれており、謙虚とも言えるのです。だからこそ、ニュースキャスターが盛田の発言を慌てて否定しているわけです。

私は上記の映像を「英語でしゃべらナイト」という番組で観て、「西洋でも謙虚さは通用するんだ!」と知ったので、カナダに留学中、謙虚なコミュニケーション手法を何回も使っています。もちろん、有効でした。

私に言わせれば、日本人にだけ分かる「美徳」など存在しません。そんな「美徳」は、本当は日本人にすら通用していないはずです。

次の記事で、それをさらに掘り下げます。

 

文化大革命と西洋人への皮肉

「青年たちよ。今こそ、我々の理想を実現する時だ。地方の農村に行って、文革を盛大に実践せよ」

そのような指示が中国共産党指導部から出ると、若者たちは我先に、意気揚々と、なんの迷いもなく都会から田舎へ向かって行った。そこで若者たちは自分のたちの「革命」の現実を知るのである。

文化大革命がなんであったのかを説明するのは難しい。私が読んだ多くの教養本では、毛沢東の権力争いを中心に記述していた。しかし、一般大衆が権力争いのために活動していたとは考えにくい。少なくとも、大衆側にその意識は全くなかった。かといって、一般大衆が毛沢東に騙されていた、とも言いにくい。大衆は自分の信じる目標のため命令されずとも文化大革命を推進していたからだ。

文化大革命時代の中国では、全国至るところで「つるし上げ」が行われていた。一言まで単純化していえば「文革とはつるし上げ地獄である」と私は考えている。

たとえば、あなたがネックレスをつけていたとしよう。それを見つけた仲の良い友人が突然、真っ赤な顔で怒り出す。「なぜ、ネックレスなどブルジョアの物を所有するのか? 人間が生きていく上で装飾品など不要のはずだ! 大切なのは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさのはずではないか! こんな物などなくても、精神的な豊かさは享受できる! いやむしろ、持たない方が精神性を高められ、より幸せな人生を送れるのではないか!」 こんな批判を公衆の面前で張り裂けんばかりの大声で言われるのである。近くにいた者たちも、いつの間にか一緒になって、あなたに「自己批判」を迫ってくる。「自己批判しろ!」と叫ぶ連中は10人、30人、100人と増えてくる。あなたに反論する余地があるはずもない。大衆を納得させるには、すぐにネックレスをはずし、ひきちぎり、踏みつぶし、「私が間違っていました! もう二度とこんな物に惑わされないよう、私の中での精神革命を推進していくつもりです!」と宣言する他はない。少しでも躊躇してしまうと、大衆からの批判はやまず、罵倒の過激度は増す一方で、しまいには聞くに堪えない罵詈雑言が浴びせられる。それでも反論したなら「ジェット式」と呼ばれた市中引き回しの刑に晒されるだけだ。こういった「つるし上げ」が教育、仕事、家庭、その他ありとあらゆることに優先して、全国規模で行われていたのが文化大革命である(とここでは捉えさせてもらいます)。

大衆は完全な平等を理想としていたので、中国の政治権力の頂点に立つ毛沢東の地位と矛盾しないはずがない。大衆の猛烈な批判が毛沢東に及びそうになると、毛沢東はその流れを見事に下放政策に変えた。都会にいる大衆を田舎の農村に移住させ、そこで人類史上に輝く(はずの)大革命を実践させようとしたのである。理想に燃える大衆は「我々の革命を実現できる場が与えられた!」と狂喜し、自ら率先して農村に向かった。

当時の中国の農村と言えば、1000年前とそう変わらない生活をしていた。文革時の中国は決して先進国ではなかったが、それでも都会と田舎で生活の差は大きかったのである。田舎では電気もガスも水道も当然のようにない。理想を語っても、理解できるほどの教養のある者がいない。そもそも、共産主義の理想など田舎の厳しい農業生活をする上で、なんの役にも立たない。文化大革命で熱狂していた大衆は自分たちの理想がいかに空虚であったかをそこで知るのである。下放政策に従った大衆たちは物質的に貧しいだけでなく、精神的にも貧しい無為な若者時代を10年あるいは20年と送ることになった。

私が中国にいた頃、「スーリン、ウーリン」という差別用語があると教えられた。「40代、50代」という意味で、いわゆる文革世代の人たちを指す。文革世代の人たちはまともな教育を受けていないので、まともな仕事にも就けない。そんな人たちを救うため、文革世代の人たちを雇うと政府から企業に補助金が出るらしい。

文革時代の若者たちは「我々の幸せとはなにか」について全身全霊をかけて毎日のように考えていた。「物質的な豊かさは精神的な豊さを伴わなければ意味がない」ことは時代や場所を超越した真理であろう。しかし、結果として文化大革命は大衆を幸せには全くしなかった。残念ながら私の知る限り、当時から現在まで、中国人たちは文化大革命について十分な考察をしていない。純粋に善意の動機から生まれたものの、何億人もの人生を狂わせた文化大革命については、時代や場所を超越して、人類が得られる教訓があるように私は思う。

 

上記の文章は、私がカナダのカンバセーションクラブの英語writingクラスで提出したものを、記憶に頼って日本語訳したものです。カナダ人に対する強烈な皮肉のつもりでした。

カナダの教養人たちは理想主義的な私から見ても、極端な理想主義者でした。出身や年齢や社会的背景で差別するのを否定しますし、見た目で人を判断しませんし、物質的豊かさよりも精神的な豊かさを重視します。現実にはカナダ人たちだって出身や年齢や社会的背景や見た目で人を判断している側面はありますし、物質的な豊かさを完全に求めていないわけではありません。しかし、討論になると、そういった理想論を必ず吐きます。実際に、少なくとも頭の中では、そのような理想の生き方を求めているようなのです。

「まるで文革時代の若者みたいだ」と何度も私は思っていました。「皆がそんな理想の生き方をできたら、天国のような社会になる」と信じて疑っていないようなカナダ人たちへの皮肉として、上のような文章を私は書いたのです。

なお、現実のカナダ人は文革時代の中国人のように熱狂的に理想を追い求めたりはしません。「では、なぜ理想のように生きないのか?」と私が聞くと、「俺の意思は弱いから、理想には到達できていないよ。よく衝動買いだってするし、週末には飲み過ぎて食べ過ぎたりもする。誰だって完璧には生きられないからね」などとカナダ人は言って笑います。

私の上の文章を読んだ先生は、カナダ人(自分)に対する皮肉とまでは理解してくれなかったようです。ただし、「これは今まで生徒が提出した多くの文章の中で最高の出来だと思う」と言ってくれたので、「皆が理想通りに生きられる社会が必ずしも最高の社会とは限らない」ことには気づいてくれたように思っています。

メラビアンの法則

「話し相手の印象は、55%は外見から、38%は話し方から、7%は話す内容からで決まる」

正確には違いますが、私はメラビアンの法則を上のように語っていました。「話し方」を「性格」、「話す内容」を「内面」とも呼んでいました。

メラビアンの法則は限定された心理実験から帰納的に導いた仮説なので、上のように捉えるのは科学的に正しくありません。それは私もすぐに理解したのですが、メラビアンの法則を知った当時、「だから、僕は社会にこんなにも評価されないのか」と強く納得したのを記憶しています。実際、私の意見など7%程度の人にしか評価されませんでした。

ただし、カナダに来たら、明らかに日本よりも私を評価してくれる方が多かったです。カナダ人にメラビアンの法則を上のように説明すると、ほとんどの人が「なるほど。人間なんて、そんなものかもしれない」と笑っていました。そして、日本人をよく知るカナダ人は大抵、こう続けました。

「ただし、日本だともっと外見や話し方で評価されるだろう」

私はその意見に強く同意します。カナダ人と比べると、日本人は外見や話し方を重視して、話す内容なんて大した判断基準になっていません。

もっとも、日本人よりもさらに外見や話し方の重要度が大きい国も私は知っています。他国を批判することになり大変申し訳ないですが、中国です。

日本人が陥りやすい間違った討論法

前回の記事の続きです。

失敗例1:「私はAだと思う」「いや、私はAでないと思う」「なにを言うかAだ」「絶対Aじゃない」「A以外ありえない」「Aこそ考えられない」……

これを繰り返していては、イタチごっこになってしまいます。「なぜAと思うか」あるいは「なぜAが間違いと思うのか」と聞いて、そこから矛盾点を突いた方が討論としては効果的でしょう。

 

失敗例2:「私はAだと思う」「いや、私はBだと思う」「CだからAなんだ」「DだからBなんだ」……

そもそも二つの異なる意見を同時に真偽判定していては、討論が複雑になります。討論では、一つの意見のみ真偽を判定すべきです。どうしても上のような議論をしたい場合、AでなければBという二項対立が成り立たなければなりません。具体的には、Aが「日銀はインフレ策をとるべきだ」でBが「日銀はデフレ策をとるべきだ」、あるいは、Aが「次のアメリカ大統領選では民主党候補が勝つだろう」でBが「次のアメリカ大統領選では共和党候補が勝つだろう」なら上のような討論でも構いません。(厳密にいえば「日銀はインフレでもデフレでもない物価安定策をとるべきだ」や「アメリカ大統領選で民主党共和党以外の候補者が勝つ」場合もありえますが、この程度の極めてまれな例外なら、許容範囲でしょう)

しかし、日本での討論を見ていると、明らかに二項対立でない場合で討論している時が少なくありません。たとえば、Aが「少子化対策により力を入れるべきだ」でBが「高齢者福祉を充実すべきだ」であったりします。これは二項対立ではありません。なぜなら「少子化対策により力を入れ」ながら「高齢者福祉を充実する」ことは可能だからです。どうしてもAに反論したいなら、「少子化対策は現状維持でいい。その労力は高齢者福祉に向けた方がよい」とすべきでしょう。

また、Aが「財政難の日本がオリンピックに莫大な財政を投じるべきでない」で、Bが「スポーツには大金を投じる価値がある」であったりもします。これも二項対立ではありません。なぜなら「オリンピックには莫大な財政を投じない」で「スポーツには大金を投じる」ことは可能だからです。オリンピックはスポーツの一部であり、オリンピックとスポーツは同じではありません。

このように一部のみ否定する、似たようなものを否定する、たとえ話で否定する、などで元の意見が完全に否定されている論理の錯綜は本当に多いです。日本人は十分に注意すべきだとよく思います。

西洋式討論術

日本と西洋の教育で大きく違うところはいろいろありますが、ここでは討論に注目します。日本の学校では討論なんてほとんど行いませんが、西洋の学校では毎日討論しているみたいです。また、次の記事で取り上げるように、日本での討論は、政治家の討論を含めて、まともな討論になっていない場合が少なくありません。西洋で討論術を教えているのかどうかまで私は知らないのですが、西洋人は極めて論理的に討論をします。私は西洋人から直接教わったことはないのですが、主にカナダ人との500回以上の討論を通じて、彼らが概ね従っている討論術があると分かってきました。以下に、私の知った彼らの討論術の流れを述べます。

 

1、Aという意見を述べる。

このAは意見であり、事実であってはいけません。例えば、「地球は丸い」「私は25才である」「日本は議員内閣制である」などは事実なので、議論になりません。ただ、Aは意見でさえあれば、極論すれば、なんでも構いません。「地球は四角である」「私を18才と考えるべきだ」「日本は無政府になっていい」などは意見となりえます。

 

2、Aを真と考える理由を聞く

いきなり「Aは間違っている」と否定することは、通常、ありません。さらに「いや、私はBだと思う」と別の意見を述べることも許されません。まず、Aと考える理由を聞きます。

 

3、Aの根拠となる事実Cを述べていく

Aを主張した者は、Aの根拠となる事実Cを述べます。ここで、Cは意見であってはいけません。意見は真偽が決められない、という前提があるからです。真偽の決めらないもの(意見)の根拠が、真偽の決められないもの(意見)であってはいけません。たとえば、「日本は無政府になっていい」の根拠が、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」という意見だと、議論が成り立ちません。もしどうしても、その意見を根拠にしたいのなら、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」が真である根拠をさらに示さないといけません(たとえば、「どの時代の日本政府の統治にも欠点が見つけられるから」など)。

 

4、事実Cを検証する、あるいは、「CならばA」が成り立たないことを示す

Aの根拠としてCが挙げられたわけなので、Cが本当に事実かどうか検証します。もしCが事実でないとしたら、根拠が間違っているわけですから、Aも間違っている可能性が高くなります。

また、Cが事実だとしても、「CならばA」と言い切れるのでしょうか。そうでない場合があれば、必ずしもCはAの根拠になりません。その論理の矛盾を示します。

 

この基本的な流れを西洋人は概ね、踏襲していました。もちろん、ここからいろいろ派生はします。例えば、

3a、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aの根拠となる他の事実Dがないか聞く→4に続く

3b、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aが偽である根拠となる事実Eを提示する(「Eが真ならばAでない」が成り立つ)→今度はAを主張した者が、事実Eを検証する、あるいは、「EならばAでない」が成り立たないことを示す

などです。

この討論術を元に、次の記事に、日本人がよくする討論の失敗について書いておきます。

日本人が開明思想を持っていれば幕末・維新の悲劇は少なかったはずである

幕末の動乱は不可避だったのか」で書いた結論とほぼ同じですが、別の視点から考えます。日本人の多くが開明思想を持っていれば、アメリカと不平等条約を結ぶことはなかったでしょう。また、かりに結んだとしても、維新期の最初に、つまり岩倉使節団派遣の頃に、日本の法体系を西洋列強並みに整備して、民主選挙を実施して(当然、このために日本人に開明思想を大規模に普及しなければなりませんが)、不平等条約も改正できたはずです。

極論すれば、たとえ日本がアメリカと戦争して植民地化されたとしても、日本人全員が開明思想を持っていれば、怖くなかったはずです。アメリカもそんな日本に圧政を敷かなかったでしょうし、かりに圧政を敷いたなら日本人たちが反乱を起こして、すぐに独立を達成したでしょう。

幕末・維新の改革の最重要項目、あるいは最終目標は、日本人に開明思想を身に着けさせることにあった、と私は考えています。そのためには、経済を発展しないといけない、交通・通信インフラを整えないといけない、公衆衛生を発展させなければいけない、などとなるわけですが、最重要項目は国民の啓蒙にあったと考えています。日本人全員が高い教養と道徳観を持っていれば、あらゆる近代化と経済発展が円滑に進んだと考えるからです。

そして、それは現在でも変わらないはずです。

岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由

岩倉使節団不平等条約改正を達成できなかったのは、その目的意識が薄かったことにあります。留守政府も岩倉使節団不平等条約を改正する意志が強くなかったのです。より正確にいえば、強かった者もいたようですが、改正など不可能と諦めている連中に負けています。

現在から振り返ってみれば、明らかに、この派遣時は不平等条約改正の絶好の機会です。そのことに気づいていた者も政府首脳に間違いなくいました。いたからこそ、当時から現在まで、岩倉使節団の目的といえば不平等条約改正が入っています。しかし、歴史的事実として失敗しています。

その理由は「なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか 」でも書きましたが、アメリカに一杯食わされたからです。そして、またもアメリカに騙されたのは、ドイツ公使の説得に流されたからです。また、それと比較すれば小さいですが、まだ理由があります。アメリカに留学していた日本人(岩倉の息子など)が岩倉使節団の人たちに「日本は遅れた国なので、不平等条約改正など時期尚早だ」といった内容を吹き込んだからです。

岩倉具視を筆頭に、この使節団の日本人は国際的にとても通用しない考え方をする者ばかりでした。一方、国際的に通用する考えをする日本人は、本人は無意識かもしれませんが、必要以上に西洋びいきです。厳密にいえば、同じ人物が「国内でしか通用しない考え方」と「国際的で西洋寄りの考え方」を直線で結んで、その間を行き来していたようです。この当時、国際的に通用する理屈を駆使して、日本の利益になる交渉をできる政治家がいなかったのです。国内でのみ通用する政治家が大部分で、一部の国際政治家は西洋を崇拝している状況は、当時だけでなく、現代日本にまで連綿と続いている伝統ではないでしょうか。

なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか」で、岩倉外交を弱腰と断定したのは、やはり大久保と伊藤が全権委任状を取りに帰国したことに最大の要因がありますが、他にもフィッシュ国務長官に言うべきことを言っていません。「アメリカの岩倉使節団(宮永孝著、ちくまライブラリー)」によると、フィッシュが「大統領が調印した全ての条約は上院議員の三分の二以上の同意がなければ効力を持ちません」と言っているのに対して、岩倉は「存じております」と返しています。しかし、ここは「それは困ります。条約が効力を持つ絶対的な保証を要求します。せっかく調印した条約が無効になっては、日本国政府首脳が莫大な国費を使ってアメリカまで来た意味がありません。ペリー氏もハリス氏も条約交渉時に、江戸幕府が京都の朝廷の同意を得たい、と言うと、『それなら京都に行って、朝廷と直接交渉するまでだ』と日本式手順を無視して脅したではないですか」と言い返すべきところでしょう。

アメリカは不平等条約の締結を目的としていなかった

上記タイトルは、幕末外交について私が最も主張したいことで、事実であれば、幕末・明治の歴史家や外交研究者はもっと注目すべきであり、場合によっては、教科書に記載してもいいと思います。

「日本開国史(石川孝著、吉川弘文館)」によると、ペリーが日本に来た目的、あるいは、国務長官代理がペリーに与えていた任務は以下の三つです。

1、事故で日本に辿り着いたアメリカ船員の生命と財産を保護させること

2、食料・薪水の補給などのため、アメリカ船舶が日本の一港以上に入ることの許可

3、港での交易の許可

交易の許可が船員の救済や船舶の寄港よりも優先事項が低かったのは、「幕末の稚拙な外交政策から日本は教訓を得ているのか」にも書いた通り、アメリカは日本との交易よりも中国との交易と捕鯨を重視していたからです。

今回、注目したいのは、というより、日本国家としてそれ以上に注目すべきなのは、日本と条約を結ぶ時は治外法権を認めさせ、関税自主権を取り上げるような指示をペリーは受けていないことです。「日米和親条約にある不平等条項」の記事にも書いたように、ペリーが獲得した不平等条約の片務的最恵国待遇は、下級役人が与えてしまっています。

不平等条約のうち、領事裁判権については「ハリスを好きになったバカな日本人」に書いたように、日米修好通商条約の締結以前に認められてしまっています。

ハリスがアメリカ合衆国から公的にどのような任務を与えられていたのか、私は調べられていません。上記の本や私がその他の文献で調べた限りでは、ハリスは日本と通商を結ぶことを任務としており、関税自主権の放棄を日本に要求することまでは任務に入っていなかったようです。かりに、そんな不平等条約の締結任務までハリスが負っていたとしても、日本側がその条件の理不尽さを指摘すれば、ハリスは無理を押してまで、その条件にこだわらなかったと確信します。

もっと大局的な視野で考えます。アメリカに限らず、当時の西洋列強は、日本と交易はしたかったものの、不平等条約まで結ぶつもりはなかったはずです。もちろん、日本に不利な不平等条約を締結できれば、西洋列強にとって大きな利益になるので、簡単に認めさせられるものなら、認めさせたかったでしょう。事実、ペリーやハリスも、日本人の無知につけ込んで、不平等条約を結んでいます。しかし、不平等条約を結ぶためには日本と戦争して自国民を犠牲にしなければいけない、となると、どの西洋列強国家も交易(対等な通商条約)だけでとりあえずは納得した、と今の私は推定しています。

もしこの仮説が正しければ(アメリカの公文書を調べれば真偽は簡単に調べられるはずです)、幕末を扱った多くの歴史書に「日本は対等な通商条約だけ結ぶことも可能であったが、西洋列強国家が本来目的としていなかった不平等条約まで、日本側の無知により結んでしまった」と記述してほしいです。この視点のあるなしで、幕末から明治にかけての日本外交の考え方は大きく変わってくるはずです。なお、「なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか」の記事は、この視点から考察しています。

西洋人は政治や宗教の話が大好きである

「政治や宗教の話をしてはいけない」という忠告があります。カナダでは、日本以上にその言葉をよく聞いたように思います。実態は、カナダ人は政治や宗教の話が大好きでした。カナダ人に限らず、私の知り合いで教養のある西洋人は、政治や宗教の話ばかりしています。

ところで、なぜ政治や宗教の話をしてはいけないのか、知っているでしょうか? 日本では政治や宗教の話をあまりにしないため、なぜしてはいけないのか、理由がすぐに浮かばない日本人すらいます(私は何度もそんな日本人に会っています)。

その答えは、もちろん、言い争いになりやすいからです。政治や宗教は、人の大切な価値観に関わる問題なので、わずかな違いでも大きな対立を生みやすいのです。だから、政治や宗教に限らず、道徳、家族、性などの繊細な話題は、心の琴線に触れるので注意すべきです。

ただし一方で、政治や宗教などは、人が生きる上で極めて重要な問題でもあります。だから、より多くの人の意見を聞き、視野を広げるべきでもあるのです。また、その人にとって重要な問題ほど、その人の内面が分かるので、より話し合うべきだ、という考え方もあるでしょう。

なにごとも争いを避けがちな日本人は政治や宗教の話題には触れませんが、人として根源的に大切なものを重視する西洋人は政治や宗教の話題をよく持ち出すようです。

ただし、これは国民性の違いだけでなく、政治システムや教育にも原因があるでしょう。日本だと政治家よりも官僚が権力を持っており、選挙によって政治があまり変わりませんし、日本人の多くは無宗教です。だから、話題にするもなにも、そもそも日本人は政治や宗教に関心がないのです。また、日本の教育は政治や宗教を議論する能力を育てていません。それについては、これからの記事に書くつもりです。