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未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

西洋式討論術

日本と西洋の教育で大きく違うところはいろいろありますが、ここでは討論に注目します。日本の学校では討論なんてほとんど行いませんが、西洋では毎日ように討論しているようです。また、次の記事で取り上げるように、日本での討論は、政治家の討論を含めて、そもそも討論になっていない場合が少なくありません。西洋で討論術を教えているのかどうかまで私は知らないのですが、西洋人は極めて論理的に討論をします。私は西洋人から直接教わったことはないのですが、主にカナダ人との500回以上の討論を通じて、彼らが概ね従っている討論術があると分かってきました。以下に、私の知った彼らの討論術の流れを述べます。

 

1、Aという意見を述べる。

このAは意見であり、事実であってはいけません。例えば、「地球は丸い」「私は25才である」「日本は議員内閣制である」などは事実なので、議論になりません。ただ、Aは意見でさえあれば、極論すれば、なんでも構いません。「地球は四角である」「私を18才と考えるべきだ」「日本は無政府になっていい」などは意見となりえます。

 

2、Aを真と考える理由を聞く

いきなり「Aは間違っている」と否定することは、通常、ありません。さらに「いや、私はBだと思う」と別の意見を述べることも許されません。まず、Aと考える理由を聞きます。

 

3、Aの根拠となる事実Cを述べていく

Aを主張した者は、Aの根拠となる事実Cを述べます。ここで、Cは意見であってはいけません。意見は真偽が決められない、という前提があるからです。真偽の決めらないもの(意見)の根拠が、真偽の決められないもの(意見)であってはいけません。たとえば、「日本は無政府になっていい」の根拠が、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」という意見だと、議論が成り立ちません。もしどうしても、その意見を根拠にしたいのなら、「日本ではどの時代の政府も存在すべきでなかったから」が真である根拠をさらに示さないといけません(たとえば、「どの時代の日本政府の統治にも欠点が見つけられるから」など)。

 

4、事実Cを検証する、あるいは、「CならばA」が成り立たないことを示す

Aの根拠としてCが挙げられたわけなので、Cが本当に事実かどうか検証します。もしCが事実でないとしたら、根拠が間違っているわけですから、必然的に、Aも間違っていることになります。

また、Cが事実だとしても、「CならばA」と言い切れるのでしょうか。そうでない場合があれば、必ずしもCはAの根拠になりません。その論理の矛盾を示します。

 

この基本的な流れを西洋人は概ね、踏襲していました。もちろん、ここからいろいろ派生はします。例えば、

3a、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aの根拠となる他の事実Dがないか聞く→4に続く

3b、事実Cが真で、「CならばA」が成り立つと考えるなら、Aが偽である根拠となる事実Eを提示する(「Eが真ならばAでない」が成り立つ)→今度はAを主張した者が、事実Eを検証する、あるいは、「EならばAでない」が成り立たないことを示す

などです。

この討論術を元に、次の記事に、日本人がよくする討論の失敗について書いておきます。