前回の記事の続きです。
謙虚さが西洋でも通用するように、英語に敬語はありませんが、相手に敬意を示す表現は世界中のどの言語にもあります。当然、教養の高いカナダ人も頻繁に丁寧な表現を使っていますし、品のないカナダ人はスラング(俗語)ばかり使います。つまり、日本と同じです。
その昔、日本では切腹が潔い死に方として称賛されていました。切腹(harakiri)は海外の人が野蛮と批判する代表的な日本文化で、自殺を禁忌とするキリスト教徒は絶対に理解できないと思っている方もいるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。例として、ロミオとジュリエットのラストシーンを思い出してください。ロミオもジュリエットも後追い自殺しています。当時も現在も、キリスト教徒たちはこの後追い自殺に感動しているのです。この自殺を美しいとまでは思っていないとしても、野蛮だとは全く考えていません。
昔読んだ能の本に「日本式芸術が最高の域に達したのは室町時代であり、それ以後現在に至るまで、芸術は世俗化(大衆化)しているだけで、質としては劣化している」と書かれていた記憶があります(その本以外で同じ意見に出会ったことはないので、一般的な見解ではなく、筆者の個人的な見解だったのでしょう)。室町時代の芸術では「幽玄」を追及しており、幽玄の代表作は竜安寺の枯山水だと私は考えています。これぞ日本人にしか理解できない芸術だと長年私は考えていたのですが、竜安寺の枯山水が日本で有名になったのは、イギリスのBBCが世界中に報道してからだ、と数年前に知りました。
具体例は他にもあげられますが、ともかく、日本人にしか絶対に理解できない美徳など存在しないのは間違いありません。ただし、日本人でないと理解しにくい美徳もいくらでもあるでしょうし、その具体例を無数にあげられるのも間違いありません。
「日本人の常識が世界で通用すると思うべきでない」と考えるか、あるいは、私のように「日本人の美徳は世界でも通用する」と考えるかは、人によって違うでしょう。恐らく、前者が多数派で、後者は少数派だと推測します。もし後者が多数派なら、私は日本でこんなに生きづらくなかったでしょうから。
なお、日本でこそ評価されるべき美徳のはずが、私の場合、カナダで評価された例を「私の努力や真面目さを評価してくれたカナダ人」の記事に書いています。