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GHQが民政局主導からG2主導に変わった理由

このブログの最初の記事「like a boy of twelveの国から脱却できたのか」で掲げた問に「マッカーサーのような人格破綻者がどうして日本で20世紀の最大の改革を成し遂げられたのか?」があります。

「人びとのなかの冷戦世界」(益田肇著、岩波書店)によると、その答えは「マッカーサーの部下の実働部隊、GHQ職員たちが優秀だったから」になるようです。本によると、日本のGHQ改革を主導したアメリカ人たちの多くは20代から30代の若手でした。理想に燃える若者たちが日本を世界史上に輝く民主国家につくりあげるつもりだったのかもしれません。

他のGHQ改革の謎に、民政局主導のリベラル路線からG2主導の保守路線に転換(逆コースに)したことがあります。上記の本では、その理由として、1946年のアメリ中間選挙共和党の勝利があったと述べています。それまでマッカーサーは当時人気と思われたニューディール路線、つまりはリベラル路線を部下に進ませていましたが、この中間選挙で保守路線が大衆に支持されていると知り、保守路線に戻したようです。結果、1947年を境に多くの者がGHQを去りました。GHQの路線転換は、冷戦の激化という見解が一般的のようですが、それだけではない、と当時のGHQ職員の証言を元に断定しています。

ただし、本ではアメリ中間選挙の結果がGHQを方針転換させたと強調しておきながら、「アメリカ国内政治潮流、中間選挙結果、GHQ内部抗争、マッカーサーの政治的野心、GHQスタッフの不安と保身など複雑に絡み合う多様な要因だった」とも述べています。さらに、もっと根本的で重要な要因として、日本人自身がそれを望んでいたから、とも書いています。つまり、GHQのリベラル路線は、敗戦後の日本人がリベラル改革を望んでいたから実現でき、一方でGHQの保守路線転換は、日本国内の保守勢力が巻き返しを計ったため生じた、という見解です。

この見解がどれくらい妥当かは分かりませんが、1946年の中間選挙民主党が勝っていれば、日本のGHQ改革がリベラル路線のままになっていた可能性は高そうです。GHQ改革が最後まで民政局主導なら、今の日本や東アジアの姿はまた大きく変わったものになったことでしょう。

「大きく変わった」というのは決して誇張ではなく、自民党の長期政権もなく、自衛隊もなく、日米安保条約日米地位協定もなく、もちろん日本に米軍基地も一切なく、朝鮮が南北に分断されていないほどの影響があったかもしれません。

そんな日本、東アジアなど想像しづらいでしょう。朝鮮戦争がなければ、日本に自衛隊など存在していなかった、という自明の理すら日本人はあまり認識していませんから。

朝鮮戦争が日本に与えた甚大なる影響(逆コースの影響)を次からの記事に書きます。