未来社会の道しるべ

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政治選挙で負ける政治学者

現在の株高がバブルであると警報を発しない経済学者は社会に不要です」で昨今の株式バブルでさえ理解していない経済学者を批判したので、この記事で民主選挙で惨敗した政治学者を批判しておきます。既に「政治学者の選挙体験記」の記事で批判しているのですが、この選挙体験記から現状の日本政治の問題点だけでなく、私が何度も提案している「投票価値試験」の問題点も見えてきたので、さらに深く考察します。

まず、「政治と政治学のあいだ」(大井赤亥著、青土社)の著者の経歴を示します。出身地は選挙に出た広島県で、慶応大学入学と同時に上京し、東大法学部を28才で卒業し、37才で東大の大学院で学術博士号を取得して、40才から立憲民主党候補で選挙活動を約2年間行い、41才の衆院選で落選しています。

私が気になるのは、東大法学部を卒業した年が28才と遅く、文系とはいえ、博士課程修了が34才、博士号取得が37才と遅いことです。だからでしょうが、長妻昭立憲民主党の候補者に誘われた2019年の冬、著者の職業は大学の非常勤講師で、独身でした。

私のように学者を志した者にとっては常識ですが、大学非常勤講師とは、学者の最底辺です。もっといえば、学者とは言えないほどの職業です。博士号を政治学でなく学術でとっていることからも、著者は立候補時に政治学者だった、と言っていますが、詐称ではないものの、公称より自称に近いです。

著者の父の職業は、ルネサンス美術の大学教授で、「浮世離れしたディレッタントを地で行った」と本では紹介しています。政治談議を重ねた母は2017年で亡くなり、父は2019年で亡くなり、独身だったので、立候補について家族の反対は一切ありませんでした。非正規雇用だったことも、立候補を決意した大きな要因でした。

立候補者である著者が独身であることに関して、注目したい記述があります。

「いわゆる『票ハラスメント』のような言葉も少なくない。私の場合、独身であることから、結婚に関するデリカシーのない発言をしばしば受けることはあった。いわく、『あなたも結婚しなきゃだめよ』『独身? だめじゃないか。それじゃあ半人前だぞ』など。基本的に余計なお世話ではあるのだが、私はこういうハラスメント発言にも意外と耐性が強く、大概のことは許容してしまい、はぁまぁと聞き流すことの方が多かった。しかし、女性候補者はもっと大変だろうと容易には察しがついた」

上記の記述について私の感想です。

(こんな考えだから、選挙に落ちるんだよ。なにが票ハラスメントだ。こういう左翼知識人は、ちょっとのことで、なんとかハラスメントだとかほざきやがる。大多数の一般人は、その程度でハラスメントなんて思っていないんだよ。『結婚しなきゃだめよ』と言っちゃダメだと? 少子化は現在日本の最大の政治、経済、社会問題だぞ。それに触れていけない、と考えている時点で、政治家になる資格はない。東大卒の自称政治学者なのに、そんなことも分からないのか。だから、落ちこぼれの非常勤講師なんだよ。僕の弟も、同じく東大博士号取得している学者だが、底辺私立大学とはいえ、常勤講師で、結婚して、子どももいるぞ。もし自分が『結婚しなきゃだめよ』と言われたら、『政治家として情けない限りです。当選した暁には、必ず相手を探して、結婚して、たくさんの子どもを作ることを約束します。それを実現するために、どうか清き一票をお願いいたします!』と頭を下げて返している)

著者が出馬した衆議院広島二区の説明に移ります。中選挙区時代には自民党で文部族の灘尾広吉の地盤でした。その地盤は旧内務省の官僚出身者によって引き継がれ、栗谷議員、平口議員が当選しています。

調べてみて驚いたのですが、灘尾は一高(現在の日比谷高校)も東大法学部も主席卒業で、一高時代には昭和天皇の欧州視察を見送る学生代表までなって、文部大臣を7つの内閣で勤め、厚生大臣も1つの内閣で任され、衆議院議長も2期務めています。栗谷も東大法学部卒なのは当然ながら、建設省事務次官まで上り詰めています。著者と衆院選で戦った平口は、灘尾や栗谷ほどのエリートではありませんが、東大法学部卒の建設省官僚であり、本によると、河川の治水など公共事業に強い政治家だそうです。平口の夫人のドブ板選挙が伝説的で、選挙区内の全ての公民館に行っては手芸クラブやダンスの会などに参加し、福祉作業所に行ってはクッキーやブローチを買いまくり、民主党系の県議や市議まで深々と挨拶するという気配りの人でした。

一方、著者が受け継ぐ民主党の地盤は、2001年頃から若手の松本大輔(若手といっても著者の9才上)が造り上げてきました。松本もやはり東大法学部卒ですが、官僚ではなく、前職は三菱東京銀行になります。2000年に銀行を退職し、2001年に松下政経塾に入り、2003年の衆院選で、全国的な民主党躍進の波に乗り、小選挙区の広島二区では初めて、自民党系議員を破り、当選しています。2005年のいわゆる郵政選挙では、平口に小選挙区で敗れるものの、比例で復活当選します。民主党が政権をとった2009年の衆院選では、再び波に乗って、小選挙区で当選します。しかし、2012年、2014年、2017年の衆院選では、平口に敗れ、比例での復活当選もありませんでした。松本および著者の最大の支持基盤は、三菱ケミカル労働組合になるそうです。

松本が引退した2017年の衆院選の結果だと、平口が約96000票、松本が約68000票です。「民主党の地盤も決して弱くない土地」という指摘は妥当でしょう。

ただし、上記の政治家たちの経歴を比べてみると、著者の経歴が見劣りします。もちろん、全員が東大法学部卒なので、小さい頃の地元の評価は「天才」でしょう。しかし、プロ野球選手は一軍だろうが二軍だろうが、素人からすると、みんな化物にしか見えませんが、打率3割5分の選手が球界を代表するバッターなのに対して、打率2割5分の選手は解雇されても仕方ないように、プロの評価での打率で0.1の差は天と地の差になります。

このままプロ野球の打者でたとえてみましょう。東大法学部主席卒業で、何度も大臣を務めた灘尾は、複数球団がドラフト1位指名で争奪戦になって、プロ入り後も10年以上ホームランを量産した名選手です。栗谷は複数球団指名とはならなかったものの、ドラフト1位で入団して、当初は期待通りに打率3割の好成績を残したが、デビューが遅すぎたせいで数年後からスタメンからはずされることが多くなり、そのまま引退した選手です。平口はドラフト2位で入団して、3年後くらいから1軍入りし、下位打線ながらも長く活躍してくれた選手です。松本はドラフト3位で入ってきて、走攻守優れる打者と評価され、特に優勝した年には活躍し、人気だったものの、ある時から二軍にいる期間の方が長くなり、いつの間にか引退していった選手でしょうか。一方、著者はドラフトで全く指名されず、テスト生として入ったが、一度も一軍登録されることなく、1年で去った名もない選手になります。

松本は民主党の隆盛の風にうまく乗り、小泉旋風が吹き荒れた時も比例復活し、3期議員を務めました。一方、著者は2003年や2009年の衆院選のように、たとえ自身の政党に有利な風が吹いたとしても、うまく乗ることができず、選挙で負けていたと私は予想します。

実際、自民党にも立憲民主党にも逆風だった2021年衆院選で、平口の約13万票に対して、著者は約7万票と、ダブルスコアに近い惨敗を喫しています。おそらく、著者に立候補を勧めた長妻昭も、私と同じく「次の衆院選でどんな風が吹いても、著者なら広島二区は負ける」と予想していたはずです。できることなら、松本に政治家を続けてもらいたかったはずです。

負けると分かっているのに、長妻が著者を候補者に擁立したのは、立憲民主党が政権をとると言っている以上、多くの選挙区で候補者を出さざるをえないことが理由の一つでしょう。もう一つの理由は、候補者を出さないと、せっかく松本が造り上げてくれた広島二区の地盤を維持できなくなるからでしょう。衆院選のたびに松本を応援していた人たちが、負けると分かっていることを理由に衆院選を見送ったら、選挙運動のノウハウが引き継がれません。立憲民主党に有利な風が再び吹いた時には、ちゃんと広島二区で勝てるように、選挙運動のノウハウは引き継がないといけません。

長くなったので、著者のドブ板選挙活動については、次の記事で論じます。