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全共闘とはなんだったのか

前回の記事の続きです。

私の出身大学でも、1990年代後半に、わずかですが、新左翼グループが残っていました。全共闘運動に尋常でない興味を持っていた私は、当然、その新左翼グループに加わることも考えましたが、躊躇していました。

最大の理由はインターネットの炎上ですが、それは「空想内全共闘の終わり」で記します。

もう一つの大きな理由は、やはり共産主義です。ソ連崩壊後に大学に入った私にとって、共産主義は明らかに失敗した過去の思想でした。大学当局や日本政治に反対運動を起こすのは同意できますが、共産主義には同意できませんでした。

計画経済がうまくいかないことは、理論がどうこうよりも、歴史が証明していました。民主集中制が独裁を生むことも、共産国家の秘密主義も、非効率な国営企業や福祉政策も、全て私は反対でした。このブログを読めば分かる通り、大学生くらいから私は「税金のムダ」が口癖で、共産党が福祉重視で、場合によっては自民党以上にバラ巻き政策を提唱することも反対でした。まして、共産党を「日和見」と批判し、日本共産党以上の「左翼」を自称する新左翼に参加する気になれなかったのです。

立花隆は「日本共産党の研究」(立花隆著、講談社文庫)で、戦前の非合法共産党が同士内のリンチ殺人によって自滅したことを、「連合赤軍事件の同士内のリンチ殺人で新左翼運動が自滅していたことと似ている」と書いています。やはり、共産主義は20世紀を大混乱に陥れた非現実主義思想だった側面はあるでしょう。

私が全共闘について調べれば調べるほど、当初の情熱はいつしか冷めて、失望に変わっていきました。

「なぜ全共闘学生はもっと建設的な議論ができなかったのだろう」

「なぜ自分が参加したい学生運動を続けてくれなかったのだろう」

日本に大変革が必要なのは、全共闘時代も今も変わりありません。いえ、公平に考えて、右肩上がりの全共闘時代より、右肩下がりの今の方が大変革の必要性が遥かに高くなっています。その大変革を起こすために、既存政党はあてになりません。まさに、今こそ日本に革命が必要なのに、それを生み出せる意思を最も強く持つ学生たちの社会変革運動が全く盛り上がっていません。

全共闘があれだけ暴れたのに、結局、大学も、日本も、なにも変わらなかったじゃないか」

またも「東大落城」(佐々淳行著、文藝春秋)からの引用です。

東大の安田講堂は1969年の機動隊突入後、しばらく「開かずの間」で、立入禁止でした。ほとぼりが冷め、修理が終わり、ようやく入学式が行われるようになったバブルの絶頂期、あろうことか、ウェディングドレスを着た新入生の女が「東大と結婚します」とテレビのインタビューで答える事件がありました。佐々は20年前の東大紛争で安田講堂に一晩たてこもった女学生を思い出したそうです。長い髪を切り、汚い作業服で、風呂にも入らず、夜通しでおにぎりを作り続けたと述べた女子学生。テレビに映るバカ丸出しの東大生。両者のあまりの違いにショックを受けました。

もう一つ、佐々がショックを受けた事件が記されています。朝まで生テレビという夜通し議論する番組で、元全共闘学生のおじさんたちと、現役大学生のチャラい若者たちが出演していました。元全共闘の闘志たちは年甲斐もなく政治理念を熱っぽく語りますが、若者たちはそれには正面から応えず、女と遊ぶことが大切と述べ、議論は全くかみ合いません。ついに若者たちが「あなたたちが学生運動で失敗したせいで、僕たちが苦労しているんじゃないか。僕たちの批判よりも、自分たちを批判すべきじゃないんですか」と言うに及んで、心の琴線に触れられた元全共闘のおじさんたちは、理性を失くし、泣きそうな顔で、絶叫しはじめます。全共闘学生たちの敵だった佐々ですが、全共闘学生たちとは多く接しており、その気持ちは痛いほど分かったので、見るに堪えられなくなり、テレビを消したそうです。

全共闘運動とはなんだったのか」との問いは、「文化大革命とはなんだったのか」との問いと同じく、得られる教訓はあるように思います。第二次世界大戦中、一億総玉砕してでも守ろうとした「国体護持とはなんだったのか」から得られる教訓とほぼ同じかもしれませんが。

空想内全共闘の終わり」に続きます。