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なぜ金川真大は土浦連続殺傷事件を起こしたのか

「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)は取材不足なので、タイトルの問に答えを出すのは容易ではありません。金川は事件当時24才なので教育に問題があったことは間違いなく、とりわけ、家庭教育に原因があるとの上記の本の指摘は正しいでしょう。しかし、そこまで分かっていながら、家庭への取材が不十分すぎます。

本では、取材による事実の発掘よりも、著者の思考が記述の多くを占めています。ろくに取材していないくせに著者の考えを並べるのはジャーナリストとして不適切だと思いますが、なにより腹立たしいのは、その著者の人間観が貧弱で、犯人の思考の本質を全く捉えられていないことです。こんな著者の思考なら書かない方がマシでした。

金川の父は東京都八丈島で生まれ、地元の高校卒業後、22才から外務省のノンキャリアとして働き、事件当時は59才、外交史料館の課長補佐でした。父は金川に大きな期待をかけて、5才の金川を「非常にシャープで、物覚えが早い」「自分の意思を持っており、すっかり1人前だ」と高く評価していたそうです(ただし、この評価がどこに記録されていたのかの記述が本にはありません)。

なぜか父は「小学3年からが本格的な正念場だ。ここから頭角を現すかどうかが分かる」と金川が5才くらいの頃から思い込んでいました。そして、小学3年生の評価が「漢字、かけ算の積み重ねができない分、学習は遅れがち」であると、「真大は欲がなく、のんびり。大器晩成型のようだ」と金川に対する父の評価は「転落」したそうです。

本の解釈によると、金川の幼い頃の父の過剰な期待によって、金川の高い自己顕示欲や自己愛性パーソナリティ障害ができたそうです。また、その父の期待がはずれたことで、父は金川を含めた家族全員とほとんど接触しなくなり、それが一つの原因で金川家では誰もがお互いに口を異常なほどきかない妙な家庭になったそうです

金川の小学3年時の父の評価の転落がそこまで重要だと考えるなら、「小学校3年が正念場だと考えた根拠は? もし金川が小学3年時に優秀な成績をおさめていたら、より家族と関わっていたのか?」という質問を父にしなければなりませんが(私なら絶対にしていますが)、著者はそんな簡単な質問をしていません。

また、父が金川の良しあしを学校の成績だけで判断していた理由も、「外務省で多くの秀才たちに囲まれているうちに知らず知らずに学力が唯一の物差しになった」という薄っぺらい推測しかしていません。そう推測するなら、「真大くんへの評価は学力だけで決まったのでしょうか? 真大くんの人間性の成長はどう考えていたのですか? 真人くんの学力を重視しすぎていたなら、それは外務省勤務と関係あったと思いますか?」と父に聞くべきですが、それもしていないので、上記の推測が正しいかどうか全く分かりません。

金川は小学校入学前までのほとんどを海外で暮らしています。父の勤務に合わせて、上海に1才2ヶ月から4才まで、その後は6才までニューオリンズに住んでいました。小学校は5年生まで横浜市内の公立小学校に通います。その頃までは、仕事が忙しいながらも、父は土日に家族で鎌倉に出かけたり、トランプしたりしていたそうです。しかし、茨城県土浦市にマイホームを購入し、家族で引っ越した頃から、父は仕事、母は家庭と完全に分業されていたそうです。父は朝6時に出かけ、午後11時頃に帰宅します。国会期間中はタクシーで帰宅することもあったようです。事件後、父は「妻と一緒に買い物に行ったのは、真大が小学生の頃、勉強机を買いに行ってから一度もない」と語っています。金川は事件までの2ヶ月間アルバイトもせず、自室でゲームばかりしていたのですが、父は「1日4,5時間のアルバイトをしながら、勉強しているのだろう」と思い込んでいたというのです。金川の二人の妹にとって、父は厳しいだけの印象しかないようです。

事件が起こると当然金川の家に警察が来ましたが、母も母で、金川の部屋に入るのは2ヶ月ぶりだと白状し、警察が金川の連絡先を聞いても、母は金川の携帯番号を知らない、と言って、警察関係者を唖然とさせています。

金川は中学を「おとなしい、静かな子ども」として過ごし、進学した私立高校の普通科コースの成績は「中の中」で、弓道部ではナンバー2までの腕前になったそうです。

金川がおかしなことを言いだしたのは、高2の8月に部室にあった雑誌ムーを読むようになってからのようです。「宇宙と一体になる」と言って座禅を組んだりしたので、クラスで浮いた存在になっていました。11月に父からもらった「子どものための哲学対話」(永井均著、講談社)を読み、常識を見下す思考を身に着けました。12月の沖縄修学旅行の感想文に、金川はこんなことを書いています。

「よく聞け、無能でバカな愚かな下等生物がごとき野蛮な人間ども。お前たちはどのみち、滅びの運命にあるのだ。そう、最後の審判の日に一人の審判者によって、すべてが裁かれ、罪を負うだろう。『死という罪を』」

当然、「人間を中傷する内容だ」と担任教師に書き直しを命じられますが、それでも中傷は半分程度までしか減らなかったそうです。上記は書き直した文章の一部です。

金川真大はオタクなので、オタク用語で表現するなら、これは中2病です。「最後の審判」といった非科学的な発想はしないものの、このようなドス黒い表現は、私も中高生の時は好んで使っていました。いえ、この世の理不尽さに耐えかねて、「無能でバカで愚かな人間ども」など死んでしまえ、という思考は今でも私の中で残っていますし、このブログでも見え隠れしていることでしょう。

金川は事件を起こす直前、2台持っている携帯の一つから、家に置いておくもう一つに次のようなメールを送っています。

「この宇宙で最も正しい答えを知っている。何が正義で、何が悪か、善悪の基準はどうつけるのか、知っている。私が正義だ! 私が法律だ! 私の言葉が正しい! 私の行動が正しい! 私以外の人間は皆、間違っている!」

この言葉だけで自己愛性パーソナリティ障害の診断はつけられるでしょう。また自己陶酔しており、犯行前にわざわざ書き残していることから、自己顕示欲が強いことも容易にみてとれます。情けないことに、高校2年生時の思想の間違いを悟らないまま、金川は24才になり凶悪事件を起こしてしまいました。

もっと信じられないことに、金川はその思考の間違いを犯罪後も指摘されないまま、29才で処刑されています。それが上記の本を読んでいて、私が最も嘆くことです。

金川の家族について、次の記事で掘り下げます。