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土浦連続殺傷事件はどうすれば防げたのか

前回までの記事の続きです。「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)を元に書いています。

犯人の金川は高校3年の7月に弓道部を引退、9月頃に進学ではなく就職することを決めます。「唐突に、大学に行かない、と結論だけ言われた。理由は話してなかった。勉強するだけが人生じゃない、就職すればいいと思い、理由は聞かなかった」と母は振り返っています。子どもの人生の重要な進路であり、場合によっては母自身の人生にもかかわってくる問題なのに、理由を聞いていません。日本人ならともかく、西洋人なら「家庭暴力のある子でもないのに、なぜ?」と理解できないでしょう。

金川が就職希望になったので、担当教員が土浦市内の和菓子会社への就職試験を斡旋します。金川は同級生に「和菓子会社に就職し、技術を身に着けたい」と嬉しそうに話していました。しかし、和菓子会社に訪れると、面接はなく、工場見学だけで帰ってきたそうです。会社の判断で、面接はなかったのです。後日、和菓子会社から断りの電話が入っています。事件後の著者との面談で金川は「面接だから行ってこい、と先生に言われて、行ってみたら面接じゃなくて、ショックを受けました。そこの和菓子会社の面接は受けない、って先生に伝えました。こっちは超、張り切って行ったのに違っていたから」と珍しく涙ぐんだそうです。なお、金川は自分から面接を断った、と著者に言っていますが、事実は和菓子会社が金川を断ったようです。工場見学の段階で「コイツは面接するまでもない。不採用だ」と判断されたのでしょうが、本には明確に書かれていません。

本によると、この和菓子会社就職失敗事件は、金川の重大な分岐点です。著者は「誰かにこっぴどく裏切られた経験はある?」と質問し、金川は「高校の〇〇先生です」と答え、「和菓子屋さんの件、そんなにショックだった?」と質問されると、「ガビーンって感じですね」と同意しています。この時、著者は「なぜ〇〇先生のせいなんだ? 和菓子会社からの面接試験連絡が間違っていた可能性もあるだろう? いや、本当は面接すらされず不採用になったことを認めたくないだけだろう? その程度の軽い挫折で人生を踏み外して、挙句、殺人だと! 自分の弱さも直視できないくせに、俺だけが真実を知っているなどよく言えたものだな! 真実を知っているとほざく前に、自分のバカさ加減を知れ!」となぜか言っていません。

事件が起こる前、やはり父はこの金川の和菓子会社就職失敗の挫折を知らなかったようです。知っていたとしても、金川の父なら、なにもしなかった可能性が高いので、知る意義もなかったかもしれません。

金川は高3の2月、物理の単位取得が難しくなり、卒業が危うくなりました。担当教員が「レポートを提出すれば単位がとれる」と説得しても、金川は「どうでもいい」の一点張りでした。母に相談しても解決せず、困った担当教員は弓道部の友人たちに説得を頼むと、金川はレポートを提出して、卒業します。この事件は、「かたくなな態度を翻した実例」として裁判でも登場し、金川に更生する可能性がある根拠として使われたそうです。

次の記事で詳しく書きますが、本では金川を強固な思想を持つ者と称していますが、私は全くそう思えません。金川の思想は軟弱で、本に出てくる著者や弁護士や哲学者でなければ簡単に論破できます。高校卒業が怪しくなったとき、家族の説得に応じなかったのは、前回の記事のような家族関係なので、当然です。また、信頼関係のない教員の説得では、金川に限らず、信念は変えないでしょう。しかし、弓道部の友人はあっさり金川の信念を変えられたのです。金川の強固な思想といっても、その程度のもろいものです。あるいは、金川にも自分の信念よりも価値のある友人はいたのです。

金川弓道部の後輩が、事件後、著者と一緒に金川に面会します。これまで著者が見たこともないような笑顔を金川は見せ、後輩と会話すると、金川の顔は紅潮し、目には涙が浮かび、沸き上がる感情を抑えるように、のど仏を激しく上下させていたそうです。

かりに私が凶悪殺人事件を起こして、事件後に面会に来てくれたことで、私が笑顔になれる人がいるだろうか、と私は想像しました。いえ、笑顔でなくても、会うことによって私を癒している人がいるだろうかと考えましたが、一人も浮かびませんでした。家族や子どもの頃の知人たちは論外で、私は喜ぶどころか、そいつらを怒鳴り散らすでしょう。妻と子どもは今の私にとって最も大事な人ですが、凶悪殺人事件の後に会いに来ても、私を癒してくれることなど想像できません。私が生涯で最も愛した女性が、私の期待を裏切らないように話し、私を愛していると言ってくれたら、私は癒されるだろうと想像しました。つまり、凶悪事件後、私が面会で癒される可能性はほぼゼロです。凶悪事件後にですら笑顔で会える人物のいる金川が羨ましいと同時に、そんなに恵まれた人生なのに凶悪事件を起こした金川が腹立たしいです。

金川は高校卒業後、ハム工場に務めますが、父に「自己研鑽の機会がなくなるから、アルバイトは半日にしなさい」と諭されて、辞めました。しかし、ハム工場を辞めて、金川は自己研鑽などすることなく、3年間、ゲームばかりの毎日を送っていましたが、父はそれに気づくこともありませんでした。その後、金川は1年間、コンビニのアルバイトをして、またしばらく無職になった後、別のコンビニのアルバイトをしていましたが、事件の2ヶ月前にそのコンビニも辞めています。高校卒業後から6年間、金川がいつアルバイトを始めて、いつ辞めたかを父は知らず、その間に金川がゲームばかりしていたことを知ろうともしていません。母も「なぜコンビニを辞めたのか」「これからどうするのか」について金川に聞いていません。母が聞かないため、金川が苦しんでいたことをしばらく後で知ることもよくあったそうです。横浜から土浦に引っ越してきて、「朝早く起きなければいけないので、しんどかった」と母が言われたは、金川がとっくに土浦の生活に慣れた数年後だったようです。

金川が常識を見下し、かつ、人生が暗転した時期は、高校2年生の夏から高校卒業時までです。長く見ても、ハム工場を辞めた時期まででしょう。だから、本来であれば、その時期に殺人事件を起こすはずです。しかし、実際はそれよりも5年も後に金川は殺人事件を起こしています。なぜでしょうか。

それは、やはり、高校時代の弓道部の友だちや充実した体験があったからでしょう。殺人事件を犯して、人生を棒に振るほど、自分の未来に絶望していなかったからでしょう。

金川が殺人事件を犯さないためにはどうすればよかったのか?」の質問の答えは無数にあります。本でも書いているように、好きな彼女がいるだけでも、まず殺人事件など犯さなかったはずです。最も簡単なのは、両親のどちらかが金川に適切な説教をすることです。他にも、気の合う友だちと交流していたり、金川の薄っぺらい殺人理論が論破されたり、家族間の会話が活発化したり、信頼できる福祉の相談相手(私の提案する家庭支援相談員など)がいたりしただけで、金川が殺人事件を犯す確率は各段に低くなっていたに違いありません。

しかし、ゲームとアルバイトだけの生活を5年間もしているうちに、過去の充実した体験の効果も消えてしまいました。誰だって家に引きこもっていれば、将来に絶望してきます。かりに金川が殺人事件を起こさなかったら、どうなっていたでしょうか。十中八九、引きこもりが長期化し、金川はそのうちアルバイトもろくにできなくなっていったでしょう。金川の性格なら、いずれ家族に暴力を振るうようになって、警察や精神病院のお世話になっていた可能性が高いです。金川自身も、そんな未来をある程度予想し、それくらいなら、元気な今のうちに派手なことをした方がマシだ、となったのでしょう。そう言葉として整理しなくても、「このままダラダラ生きても、どうしようもない。それなら……」という考えは募っていったはずです。

だから、金川の連続殺人事件の予防期間は、少なくとも5年以上あったのです。金川は意思も能力も低いくせに、プライドだけは高い、日本中に何十万人もいる引きこもりの一人です。本来なら、家族がなんとか対処すべきだったかもしれませんが、前回の記事に書いたように、金川の家族は、表面上はともかく、内面は薄っぺらい連中だけでした。

だったら、こんなダメな金川こそ、福祉の力で救うべきだったと確信します。

土浦連続殺傷事件からも、「一人の取りこぼしもない社会」を目指すべきことが導かれると私は考えます。