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脳回路修正療法・会心の一撃編

前回までの記事の続きです。

「こころの臨床a・la・carte本当に困った症例集【心療内科編】」(久保木富房著、星和書店)に載っている症例です。

生まれてから一度も虫歯の治療ができない20才くらいの男性です。歯の治療をしようと歯科器具を口の中に入れると、必ずゲップが出るそうです。

患者さんはなんとかしようと消化器内科に通って、内視鏡までしますが、異常なし、となります。仕方なく、精神科にかかりますが、精神科医も「なんだ、その病気は?」と頭を抱えます。とりあえず、いろいろな薬を試してみますが、全く効果はありません。

そこで、ふと「脳回路修正療法・行動療法編」に書いた高所恐怖症の行動療法を思い出します。まず、患者さんが来たら、次のように告げました。

「知っていましたか? ゲップが出る回数は最大値があるんですよ」

本当にそんな医学的事実があるかどうかは知りません。暗示の効果も期待して、そう断定したのです。診察室の椅子で、まるで歯科治療中の患者のような姿勢にさせて、上を向いて口を開けてもらい、ペンを口の中に何度も入れました。

患者さんの言う通り、これまで見たこともない大きなゲップが出て、さらに頭ものけぞるので、精神科医も「これは治療できないな」と思ったそうです。が、ともかくやり続けました。すると、50回くらいすると、明らかにゲップが小さくなってきます。100回前には、完全にゲップが出なくなって、ペンで歯を叩くこともできます。

「ほら、ゲップの回数に限界があったでしょう。だから、次回、歯医者に行く前に、自分か誰かで、ペンを口に中に何回も入れて、ゲップが出なくなったら、歯医者に行けば治療できますよ」

次の週、晴れやかな表情の患者さんが精神科にかかります。

「先生、ありがとうございます! 生まれて初めて虫歯の治療ができました!」

「それは素晴らしい。それで、歯医者の前に、何回くらい、ペンを口の中に入れました?」

「ハハハ。そんなのしていませんよ。しなくても治療できました」

精神科医の目が点になります。つまり、前回診察の一撃治療で脳回路は完全に修正され、以後、その患者さんが歯医者でゲップをすることは二度となかったそうです。

精神科受診のため悪化」にも書いたように、こんな一撃必殺が精神科だと起こりうるんですよ!

50回目のファーストキスとアンメット」でも少し書いたように、僕も精神科医として「話せない」と訴える患者さんを1回の診察で治したことがあります。患者さんにとって、これは奇跡ですが、医学的にはなんでもないことです。僕も「話せない患者さんを1回の診察で話せるようにした症例」は論文発表もなにもしていません。世界中のどこかで今日も、精神科に通わずとも、こんな奇跡はいくらでも起こっていると精神科医は知っているからです。

ただし、「話せない患者さんが1回の精神科受診で話せるようになった」のは、精神科医の僕はきっかけを与えただけで、患者さん本人が努力したからです。この患者さんは女医さんで、僕の同僚でした。

この女医さんが話せなくなった原因ははっきりしています。過労です。詳述はしませんが、この女医さんの身体的、精神的負担が大きいことは、院内の誰もが知っていたことです。最初、やはりというか、この患者さんは神経内科にかかりました。しかし、咳込めたので、声帯を動かす筋肉も神経も生きていると分かり、精神科に紹介となったのです。

当初、この女医さんは私に治してもらおう、とほとんど思っていなかったはずです。精神科受診の一番の目的は「休務診断書を作成してほしい」でした。私は休務診断書を欲しいと言われると、ほぼ言われたままに作成しますが、この時、私は珍しく拒否しました。なぜでしょうか。

二番目の理由は、その患者さんが女医さんだからです。休務診断書を作成すると、ほぼ自動的に傷病手当を申請可能です。傷病手当を申請すると、働いてもいないのに3分の2の給与がもらえてしまいます。医師の給与が莫大なのは、私も医師なので、よく知っています。10万円と100万円は、当たり前ですが、10倍も価値の差があります。「病状と金額は関係ない」という理想論も分かりますが、お金を無視できる科は医療現場には存在しません。まして精神科なら、なおさらです。

一番目の理由は、その女医さんの勤務する病院が、公立病院だったからです。つまり、女医さんが休むと、働いてもいないのに莫大な税金が浪費されることになります。公立病院の年収1500万円以上の公務員の女医さんと、年収100万円の民間企業のパート介護士で、「職業差別はいけない」と全く同じ条件で休務診断書を作成している精神科医がいたら、そいつは医師免許を没収する程度で済まず、財政赤字に苦しむ日本から強制退去させなければいけないと私は強く信じます。

三番目の理由は、患者さんの病気が身体表現性障害だったからです。心気症、心身症などとも呼ばれます(実際はそれぞれ微妙に違うのですが、ここでは一括します)。これらは全て「他の科では診断がつかなかった(検査などで異常が発見されなかった)が、本人が症状を訴えている」という共通点があります。「脳回路修正療法・身体表現性障害編」に続きます。