未来社会の道しるべ

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殺人がいけない理由を答えられない日本人

100年後の人には信じられないでしょうが、「なぜ人を殺していけないのか」に明確に答えられない日本人が21世紀初頭に多くいました。「そんな当たり前の質問にも答えられないのなら、どうやって子どもに倫理観を身に着けさせられるのか」と思われるでしょう。私もそう思います。しかし、そんな初歩的な道徳問題に答えられない奴でも、一流新聞社に入社できる事実がありました。現在の日本の教育や就職システムのいびつさが端的にあらわされています。

土浦連続殺傷事件で、犯人の金川は死刑になるためだけに人を殺したと述べました。多くの人が「だったら自殺すればいい」と考えるでしょう。「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)の著者も、当然、金川にそれを告げていますが、そこでの会話がいびつです。

著者「もし安らかに死ねる安楽死制度があったら、使っていた?」

金川「応募しますね」

著者「痛くない自殺の方法はあったと思うんだけど」

金川「まあ、それは言わないでください。いろんな人に言われています」

ここから先、著者の言葉は載っていません。しかし、金川は「私はこの宇宙で最も正しい答えを知っている!」とまで言って、殺人を犯しているのです。私なら「そんな簡単な質問にも反論できないのか! そのくせして『宇宙で最も正しい答え』を知っているだと! その反対だ! おまえは宇宙で最も簡単な答えすら知らないんだよ!」と金川に怒鳴っているでしょう。なぜ著者はそれを言わなかったのでしょうか。

他の機会の著者と金川の変な会話です。

著者「自殺を選ばなかったのは?」

金川「さすがに自分で自分を傷つけるのは怖いので。切腹するにしろ、電車にひかれるにしろ、痛そうなので」

著者「事件で刺された人が痛いのは分かる?」

金川「それは分かります」

著者「それでも悪いことをしたとは思わないの?」

金川「思わないです。殺人は悪じゃないですから」

著者「あなたにとって悪とは?」

金川「善も悪も存在しないんですよ」

確かに、善悪の判断基準は、宇宙に絶対的に存在するものではありません。人間が定めたものです。より正確には、複数の人間から作られる社会全体で、方向性が定まっているものです。自分が痛いことをされたくないように、他人も痛いことはされたくありません。相手がされたくないと分かっているのに、それをあえてしたなら、その行為はどんな社会であっても悪(非難されるべき)です。「常識に照らし合わせれば、殺人が悪である」ことを金川は認めています。

「ライオンがシマウマを食べて殺す時、ライオンはなにも感じない。それが自然ということ。人間はそこに善だの悪だの持ち出しているだけ」が金川の理屈です。自分は人間の形をしたライオンだと金川は真顔で言います。

「おまえはライオンじゃないだろう! もしライオンなら、草原で暮らせよ! 裁判も受けるなよ! 死刑も受けるなよ!」となぜ著者や弁護士や警察は反論しなかったのでしょうか。

動物世界の道徳は、人間世界では通用しません。人が人を殺す話をしているのに、動物の例え話を出すべきではありません。なぜ、そんな当たり前のことを金川に指摘する人がいなかったのでしょうか。

金川は死刑になるために殺人を犯したと言っているくせに、死刑が確定してもすぐに執行されるわけでないことを知りませんでした。刑事訴訟法には死刑確定後に半年以内と書いていますが、実際には10年間以上も死刑執行されないままの囚人も多くいます。金川の場合は異例に早かったのですが、それでも3年かかっています。金川は死刑確定してから半年後、「さっさと執行しろ」との手紙を何度も法務大臣に送っています。著者のような世間知らずから何度も「死刑は怖くないの?」と聞かれたので、そうでないことを法務大臣への手紙で示し、優越感に浸りたかったのでしょう。本当は痛いくせに、「痛くない」と言って笑う児童の心理と変わりません。

しかし、金川は死刑の方法についての情報入手を拒否しています。

著者「死刑についての本を読んでみたい?」

金川「いや、別にいいです。興味ないです」

著者「知っておいた方がいいと思うけど。君が死刑、死刑というから俺も読んだけど」

金川「知る必要はないです。すでにだいたいは知っているので」

著者「まだ知らないことがあるよ」

金川「どうでもいいことです」

本当に死刑が怖くないのなら、読んでもいいはずです。この世の真実を知っているから殺人も犯せた、と言うのなら、知って怖い事実などないはずです。しかし、現実の金川は世間知らずな無知な青年なので、絞首刑の詳細を知って、心が揺らぐことを恐れたのでしょう。金川の強がりも、所詮、その程度なのです。殺人まで犯したバカなのに、どうしてそういった点を強く非難する人がいなかったのでしょうか。金川が「人を殺すのは蚊を殺すのと同じ」と言ったと知った時、著者は怒りで体が震えた、と書いていますが、その怒りは金川の思考同様、浅はかだったようです。

高校2年生の時に読んだ「子どものための哲学対話」(永井均著、講談社)が金川の思考の基礎になっています。「善悪は所詮、人間が作ったもので根拠がない。善悪の概念は一般人が洗脳されているだけで、自分が真実を知っている」と気づかせてくれたのがこの本だったと金川が証言しています。

「死刑のための殺人」の著者は、「哲学対話」の著者の永井に会って、金川のような奴に「殺人がなぜ悪いのかをどう説明するか」を聞いています。あろうことか、永井は「それは不可能ですよ」と答え、「死ぬのを恐れていない人に、それは通用しない」と言ったそうです。金川の思考も浅はかなら、金川に影響を与えた永井の思考も浅はかのようです。自分が死ぬことを恐れていなくても、大抵の他人は死ぬことを恐れています。そして、他人がしてほしくないことを他人にしてはいけません。小学生でも分かる単純な理屈です。

確かに、間違った信念を持つ人の説得が難しいのは統計的事実です。しかし、上記までに明らかなように、金川の論理は稚拙な上、自己顕示欲が強いため、「死刑のための殺人」の著者との会話にも応じています。こんなに簡単に話し合いに応じる金川の思考の論破は、ジャーナリストの著者や永井のような浅い思考の哲学者でなければ、容易なはずです。

「死刑のための殺人」には、鑑定医が登場します。金川を13回も問診した筑波大の佐藤親次は、弁護人からの「被告人(金川)は随分、先生に信頼を寄せているように見えます」との言葉に、「それはないですね。彼は自分が先生だと思っている。この法廷でも、自分が中心だと思っている。いい意味でも、悪い意味でも」と返しています。ここでの「いい意味」が私には理解不能ですし、診察中に金川が出したアナグラムの問題に裁判上で鑑定医の佐藤が真面目に答えているのも理解不能です。

著者は、金川の内面を知るため、東工大教授の影山任佐に面会に来てもらいました。しかし、その会話がまたも稚拙です。

影山「理不尽な人生の奪われ方をした人のことは、実感として感じる」

金川「常識的に考えれば分かりますけど」

影山「人間の心って、考えれば分かるものじゃなくて、胸がきゅっとなったりするもの。そういう風にはならないの?」

金川「ならないですね」

影山は1000回以上も犯罪者の精神鑑定をしたそうです。金川とこんな会話をするような奴が犯罪者の心理を正しく鑑定できるものなのでしょうか。

「死刑のための殺人」を読めば読むほど、金川を論破できない精神科医、弁護士、裁判官、一流新聞記者(著者)に情けなくなります。この程度の人間観、社会観しか持っていない奴らが社会のエリートとして出世できているのに、どうして私が社会の底辺で毎日自殺を考えるような生活をしなければならなかったのでしょうか。所詮、それが日本なのでしょうか。