前回の記事の続きです。
精神科には「特定の恐怖症」という疾患があります。高所恐怖症、閉所恐怖症、赤面恐怖症、ゴキブリ恐怖症、ジェットコースター恐怖症(私はこれです)などです。
特定の恐怖症に、薬物療法は原則無効です。もしかしたら抗うつ薬を出すかもしれませんが、9割、私は出しません。恐怖症の患者さんに僕が仕方なく薬を出している場合は全例、以前にヤブ精神科医が効きもしない薬を出していて、患者さんもその薬に依存しているからです。
それでは、特定の恐怖症はどうやって治すのでしょうか。それは行動療法です。「精神疾患はどうすれば治るのか」や「精神科受診のため悪化」で少し説明した療法です。
大雑把にいえば、行動療法とは、患者さんの努力により、少しずつ慣れさせていく療法です。
たとえば、「電車恐怖症」というものがあります。電車が必須の東京の有病率と比べてどうなのかといつも思いますが、私のいる愛知県では本当に多いです。精神科通院患者さんの3~5%くらいは、怖くて電車が乗れないと訴えます(実際は我慢して電車に乗っていたり、主訴は他にあったりします)。この電車恐怖症の行動療法は次のようになります。
1,電車を見るところから慣れさせます。
2,入場券を買って、ホームに降りて、電車が見えたら、電車が来るまで待たず、改札を出て、一度、家に帰ります。
3、ホームで電車が来て、出ていくまでを見て、電車の中には入らず、家に帰ります。
4,ホームで電車の扉が開いて、わずかに中に入るが、扉が閉まる前に、電車の外に出て、そのまま電車を見送り、家に帰ります。
5,電車で一駅区間だけ移動します。この時、誰とも目を合わせないように注意します
以後、少しずつ電車の移動距離を伸ばしていきます。
ここで大切なのは、たとえ5まで問題なくできていても、1から始めることです。理由は二つあります。
一つ目の理由は、もし5から始めて「パニック発作」が起こると、4まで大丈夫だったのに、4すらできなくなったりするからです。この場合、また1からやり直さないといけなくなったりします。さらに悪いことに、「この行動療法でも治らないんじゃないか」と考えてしまうため、治癒率が下がることです。
二つ目の理由は、簡単なことから始めると、そんな努力するほど怖がっている自分がバカバカしくなってくるからです。怖がる自分がバカらしくなればなるほど、治癒率は高まります。残念ながら、私が出会った10名を越える電車恐怖症患者さん全員に、上の行動療法を勧めましたが、誰一人上の通りに実践してくれた人はいません。もし上を実践して、電車恐怖症を克服した方がいたら、下の「コメントを書く」に体験談を書いてもらえると嬉しいです。
ここから、科学的に最も効果が高いと恐怖症克服法を紹介します。高所恐怖症の行動療法で、治癒率は9割を越えます。私が説明する回数が最も多い行動療法でもあり、既に数百回は説明して、精神科医退職までに数千回は説明するでしょう。
1,高所恐怖症患者さんが確実に吊り橋を渡れる方法です、と説明する
2,患者さんに歩けるところまで歩いてもらう
3,吊り橋が見えたところで立ち止まったりするので、そこで現在の恐怖段階を10段階で数値化してもらう
4,10段階だと言っているのに100とか言うが、とにかく、その数値を記録して、その場で立ち止まったままでいてもらう
5,15分後、30分後、45分後と一定の時間後に、また恐怖段階を数値化して、記録する
6,記録数値は当初200、300と上がっていくが、ある時間が立つと、それ以上上がらなくなり、ついには下がりだす
7,最終的に必ず0まで下がるので、下がり切ったら、「あなた、今、歩けますよね?」と聞いて、「はい、歩けます」と言わせて、歩けるところまで歩いてもらう
8,今度は吊り橋に足がかかったところで立ち止まるので、また恐怖段階を数値化してもらい、一定時間ごとに記録すると、同じように上がって、また0まで下がる
9,これを繰り返すと、9割以上の高所恐怖症の人が吊り橋を渡り切ることができる。ただし、稀に1日の数時間程度では渡り切れず、一度帰って寝て、2日目に成功する人もいる
数ある恐怖症の中でも、私が知る限り、最も克服しやすいのは、この行動療法が確立している高所恐怖症です。この行動療法の背景にある理論は次の通りです。
人間の恐怖(不安)は実害がないと、最大値が存在する。
「実害ない」は重要です。たとえば、イジメは実害があるので、不安は蓄積して、際限なく増えていきます。また、過労の精神疲労も実害があるので、働くたびに増加していきます。
しかし、高所恐怖症は実害ありません。患者さんが勝手に落ちることを想像して、怖くなっているだけです。意識的にしろ、無意識的にしろ、変な脳回路が作っている病気です。
この変な脳回路は、どこまでも恐怖を増大させられません。なぜなら、恐怖を増大させすぎるのも、人間の脳は拒否するからです。もっと平たくいえば、実害ないのに怖くなりすぎるのも、疲れるんですよ。前頭前野が「もう怖がるな。俺はバカか」と命令し、偏桃体を落ち着かせるんでしょう。
人間の脳活動全般に言えることですが、最初に感情が無意識に発生します。医学的に言えば、大脳基底核や大脳辺縁系が活動します。しかし、途中から理性で、医学的に言えば前頭前野で、感情が制御されていきます。
上の高所恐怖症の行動療法は科学的に最も効果が証明されて、実践も研究もされているので、いくつか興味深い事実も分かっています。
一、なにも精神理論を説明せずに、上の行動療法をしても効果が証明されているが、最初に「いずれ恐怖はゼロになりますよ」という精神理論を説明していると、恐怖心がゼロになるまでの時間が劇的に短くなる
二、上の行動療法で吊り橋を問題なく渡れるようになったのに、しばらく吊り橋を渡っていないと、また高所恐怖症に戻ってしまう人がいる。その場合も同じ行動療法で治癒可能で、また2回目の行動療法は1回目の行動療法の時よりも短時間で成功する
上の二の事実に関連して、「虫歯治療ができない患者さん」の話をよく私はします。「脳回路療法・会心の一撃編」に続きます。