私が精神患者さんに100回くらいは伝えた教訓です。原典は「孫氏の兵法」です。
「頭のいい人は良いことと悪いことの両方を必ず考えるものだ」という意味です。もう少し具体的な説明も続きます。
「利益を得ようとするときは、それが失敗した時の損害も考えなければいけない。失敗したときは、そこから得られる利益も考えなければいけない」
この教訓を知ったのは22才くらいだったと記憶しています。この教訓を知って以降、人生で大挫折は経験していません。
「偶然と必然」を書いたのはわずか12日前です。その時は私より不幸な担当患者さんが100人いると書いていますが、「不幸自慢」に書いた通り、それから仕事でも私生活でも人生稀に見る挫折を経験したので、不幸偏差値が10から20は上がってくれて、私の担当患者さんの不幸ランキングで私は晴れてトップ10入りを果たしました。
重要なことなので、書いておきます。ここまで堕ちた私でも、トップ10入りした程度です。現在の私よりも、さらに不幸な担当患者さんが5名ほどはいます。そういった方たちを除いても、私と同等の不幸な担当患者さんが他に5名ほどいます。普通の精神科医は、それほど不幸な患者さんを抱えているわけです。
本題に戻ります。
「不幸自慢」の通り、人生稀に見る挫折をわずか3日間(形式上は同日)で経験しましたが、それでも私にとって人生の大挫折ではありません。私は楽観的な人間ではないと思いますが、それでも所詮人間は自分に甘いので、仕事も私生活の問題も成功するだろうと私は甘く考えていました。どちらも失敗になるとは、あまり考えていませんでした。
しかし、あくまで「あまり考えていない」です。「全く考えていない」ではありません。「あまり考えていない」と「全く考えていない」は、人生で大きな差になる、とここで強調しておきます。
「智者の慮は必ず利害に雑う」の教訓で重要なことは「未来については悪い結果を予想しておく。過去については良いことに注目する」です。これで大挫折だけは避けられます。より正確には、失敗や損害の事実は全く変わりませんが、それらを受け入れる心の傷は大きく変わります。つまり、心の傷を10分の1くらいには小さくできます。
仕事もゼロ、家族もゼロになった私が、これから自分の意思と能力だけで、どれくらい挽回できるかはよく分かりません。「智者の慮は必ず利害に雑う」の教訓を理解する私なので、さらなる不幸に落ちていく可能性も当然あると把握しています。
とりあえず、今は京大の滝川教授の教訓「人生はどんな状態でも学ぶことができる」を噛みしめておきます。こんな不幸な経験をしなければ学べないことも確実にあるはずです。今はそれがなにか検討もつきませんが、数年後には「こんな貴重な教訓を学んでいたんだ」と思えることを期待しています。