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アメリカが朝鮮戦争の現実を認めていればベトナム戦争の泥沼化もなかった

朝鮮戦争は双方に奇襲成功があり、戦局が大きく変わっています。そのどちらの奇襲作戦も、味方の大反対を覆して、実行しています。

一つ目は1950年9月15日、アメリカ軍の仁川上陸作戦です。マッカーサー自身も認めるように、失敗の可能性が高く、しかも失敗した時の損失も大きい作戦でしたが、幸運にも大成功します。

二つ目は1950年10月25日、中国軍の参戦です。「なぜ中国は朝鮮戦争に参戦したのか」に書いた通り、「かりに参戦しても中国軍の装備が貧弱なため、アメリカ軍は中国軍を完全に制圧する」とほとんどの中国軍首脳部は考えていました。つい5年前まで、中国軍を蹴散らしていた日本軍は、アメリカ軍の重装備に完膚なきまで破れていました。ここから理論的にアメリカ軍>日本軍>中国軍と強さが導かれます。中国軍がアメリカ軍に勝てるなど、理論的には考えられませんが、事実として、中国軍は参戦直後にアメリカ軍を圧倒します。全ての本に「人海戦術」でアメリカ軍の戦車部隊を怒涛の勢いで後退させた、と書いていますが、何百名いようが人が戦車に勝てる理屈がよく分かりません。ベトナム戦争時のテト攻勢と並んで、世界の戦史上、これほど装備に劣る側が勝った記録はないように思います。この時の中国軍の作戦から学べることは大きいと考えるので、もっと研究すべきでしょう。

このうちアメリカの仁川上陸作戦が失敗していたら、北朝鮮朝鮮半島統一するのは言うに及ばず、台湾も共産主義化されていたかもしれません。ベトナム全体の共産主義化も10年から20年は早まったでしょう。冷戦時代にソ連アメリカにより強気になったでしょうから、キューバ危機は米ソの核戦争に発展し、世界文明が滅亡したかもしれません。

逆に、蒋介石が期待したように、中国の人海戦術が失敗していたら、中国は国民党政府で再統一されていたかもしれません。そうなると、「一人一票の多数決が間違いを導く代表例がインドにあった」に書いたように、中国は現実より50年以上早く経済発展して、日本の高度経済成長は鈍化し、自動車産業も育たなかったかもしれません。

このように、どちらの奇襲も失敗していたら、世界史に大きな影響を与えていたと推測されます。とはいえ、中国の奇襲が失敗しても、世界中の誰もが「やはり中国が負けたか」と思ったでしょうが、アメリカの奇襲が失敗していたら、「あのアメリカが負けた!」と世界中が驚嘆していたことは間違いありません。

1950年6月25日からの北朝鮮の大攻勢でアメリカ軍が負けたことについて、北朝鮮の捕虜になったディーン少将はこう述べています。

「開戦直後の数日間の最初の驚きは、いかに北朝鮮軍が強く、いかに韓国軍が弱いかということだった。韓国軍はほとんどの前線でほぼ壊滅とみられる打撃をこうむった。次の驚きは、(日本から)派遣されてきた先陣の米軍部隊が緒戦でみせたさんざんなていたらくだった。それは驚きどころの騒ぎではなかった」

アメリカ軍が北朝鮮軍や中国軍に負けることなどありえない、とはアメリカ人自身が一番強く思っていました。そんな風に相手を見くびっていたからこそ、北朝鮮軍にも中国軍にも歴史的な大敗北を喫した、とどの本も書いています。

戦線は1951年1月以降、膠着状態に陥っていました。その1月から停戦に向けての会談が行われる7月まで、アメリカ軍は明らかに無駄な攻勢を何度もかけています。サンダーボルト(雷電)、ラウンドアップ(狩りこみ)、キラー(殺し屋)、リッパー(切り裂き)、ラッギド(のこぎりの歯状)などの大げさな作戦名をつけましたが、全て失敗しています。

「わかりやすい朝鮮戦争」(三野正洋著、光人社NF文庫)はこれらの作戦を「成功すると考える方がおかしい」「なんの成果もあげず、わずか5日間で中止された」「中国軍の一部は、アメリカ軍が攻勢をかけてきたことに気づかないほど、この作戦はみじめな失敗に終わっている」「なぜこのような新たな攻撃を矢継ぎ早に実行したのか、理解に苦しむところである」「なんら戦局に変化を与えることが不可能なこの種の作戦を立案し、実行する参謀の無能ぶりは信じがたい」と散々に批判しています。

アメリカが無駄な作戦を繰り返した最大の理由は、「アメリカ軍が中国軍や北朝鮮軍に負けるわけがない」とアメリカ人たちが信じていた、信じたがっていたからでしょう。「前回の相手側の勝利は奇跡だ。今回は普通にアメリカが勝つ」「たまたま〇〇だったから、負けただけだ。今回はそうでないからアメリカが勝つに決まっている」などとアメリカ軍参謀が考えてしまったのでしょう。

逆に言えば、アメリカが「原爆でも使わない限り、中国軍や北朝鮮軍には勝てない」と理解するまでに半年間は無駄な作戦で失敗し続ける必要があったと考えます。

もう一つ重要な点は、1950年代前半、あれほどアメリカと中国の経済力の差があった時代で、アメリカ軍は中国軍に勝てなかった、引き分けにするしかなかった事実です。この事実を「アメリカが本気を出していれば勝っていた」「朝鮮戦争は韓国と北朝鮮の戦いで、アメリカと中国はオマケ」「死者数だったらアメリカ軍が圧倒的に少なかった」などと捻じ曲げてとらえていたら、本質を見誤ることになるでしょう。

実際、アメリカがその本質を見誤っていたからこそ、ベトナム戦争があれほど長期化、泥沼化したと推測します。冷戦の力関係は1950年代より1960年代や1970年代が拮抗していました(共産圏が資本主義圏に軍事力で対等に近づいていました)。だから、ベトナム戦争は、アメリカが参戦しても、北ベトナムが勝つに決まっていました。朝鮮戦争を十分に研究していれば、それは導けたはずです。

最後に、朝鮮戦争トルーマンマッカーサーを解任してでも原爆使用に反対した理由を「朝鮮戦争」(赤木完爾編著、慶應義塾大学出版会)から引用しておきます。

マッカーサーたちは満州の飛行場への2,3発の原爆が鴨緑江に至る朝鮮半島の勝利をもたらします、と言うのだ。もしそうした攻撃を効果あらしめるには、北京、上海、広東、奉天、大連、ウラジオストックウラン・ウデも破壊しなければならなかっただろう。

ソ連のヨーロッパ正面ではソ連軍は北海と英仏海峡まで進撃したであろう。我々は手持ちの6個師団で、同盟国とともにその進撃に抵抗しただろう。だが彼らは地上軍で400万人以上を有していた。それを阻止することはできなかったであろう。

東方において、我々は中国の諸都市を一掃し、約2500万人の婦女子と非戦闘員を殺すことになったであろう。私は2500万人の非戦闘員の殺戮を命じることはできなかった」