未来社会の道しるべ

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いじめ問題の教訓をパワハラ撲滅に活かすべきである

パワハラを漏らさず把握し、撲滅に専念する公的機関を新設すべきである」に述べた提案の実現は容易でないでしょう。その方法を実行するためには、新規の法律と予算が国会審議にて可決されなければなりません。多くの国民が上記の提案に賛同して、それを実現する政治家を選ぶ必要があります。しかし、日本は未だにパワハラを容認する者たちが少なくないと思います。それは使用者に限りません。労働者にも、あるいは労働者こそ保守的なパワハラ社会を認めているように感じます。

大量の労働者を採用して、薄給で過重労働させ、使い潰すブラック企業という言葉があります。過重労働を長期間続けられる者は限られます。仕事が十分にできない労働者には上司から厳しい叱責が、退職に追い込まれるまで、浴びせられます(パワハラが行われます)。我慢できずに辞める者が続出しますが、すぐに新しい労働者を補充するので、企業としては安価な商品を提供できます。使い捨てられた労働者としては、たまったものではありません。大した技能も身に着けられないまま、体力と精神力と人生の貴重な期間を消耗しただけに終わります。給与は低く抑えられているので、ブラック企業の従業員が多いほど日本の生産性は低くなります。

問題だらけにもかかわらず、過去にブラック企業大賞を受賞した企業は一流の誰もが知る名前が並んでいます。その経営者がカリスマとして称賛されている企業も少なくありません。パワハラが横行しているはずの企業の従業員たちが、パワハラではなく情熱のこもった指導だと、上司たちに本気で同調していることもあります。辞めていった者たちは根性なしと批判されていたりもします。それはまるで、いじめがあった時にいじめられた者の欠点をあげつらう、いじめた者やいじめの傍観者たちのようだと、皆が早く気づくべきです。

私の案の中でも、パワハラを行う者に解雇や停職の処分まで認める部分には反対が大きいに違いありません。他の従業員たちは耐えている、嫌になった者は去って他の会社で働けばいいだけだ、との意見もあるでしょう。もちろん、不満を持つ者が会社を辞める自由は認められるべきです。しかし、あえて公的に訴えてまでその職場に残りたい人がいるのに、パワハラ加害者ではなく被害者を解雇する処分が社会的に妥当だとは思えません。たとえば加害者に数日間の停職を命じて、被害者の気持ちを想像して反省する期間を与えたら、加害者が合理的に指導するようになり、職場の雰囲気が一気に改善することもあるはずです。全てのケースで訴えられた者を解雇や停職させるべきではありませんが、パワハラ撲滅のためには、そういった強い権限をパワハラ対処公的機関に認めるべきと考えます。

いじめ問題について国が始めて調査をして、取り組み出したのは、東京都中野区中2生自殺事件のあった1985年度からです。その後もいじめによる悲劇のニュースは途切れることがなく、2011年の滋賀県大津市中2生自殺事件が起こって、ようやく2013年にいじめ防止対策推進法が成立しました。国、地方公共団体、学校、教職員、保護者の全てにいじめ防止対策の責任があること、いじめた者を別の教室で学習させたり、出席停止させたりできることが法律に明記されました。

このいじめ対策の進捗具合からすると、日本からパワハラを撲滅させるには長い年月を要するのかもしれません。しかし、どんなに時間がかかっても、社会全体での精神的ストレスを激減させ、かつ、国の経済規模を増大させると理解して、諦めずにパワハラ撲滅を実現まで不断に訴えていくべきです。